前回のつづき
で、何が言いたいかと言うと、副作用のことなんです。 すぐ慣れちゃう すぐ排出しちゃう。
今までも、吐き気 眠気 倦怠感 口内炎 味覚障害 だいたいひととおり出ましたが、どれも不快レベルで乗り越えられないほどではない。 そして投与のたびに副作用も弱くなっていく。 白血球・血小板・腎肝機能・貧血 尿蛋白 の値もやや変化はすれどもやばいレベルにはいかず、やはり数回の後に平常値に近くなっていく。 前回つかっていた高~い薬。これは強い薬で、 抹消神経の麻痺、末端の血流量不足、鼻血など普通に生活するにはかなりの障害になり、症状の緩和も漢方しかなかったんだけど、この薬をやめて2ヶ月でほぼ治まってきました。 一時は手足すべての指の先がシビシビに痺れていたし、 爪の先に血が通わず、小指の爪などはいわゆるヒョウソウ状態で爪は緑色に変色し、少し引っ掛けたらはがれてしまいそうでずっとバンドエイドを貼っていたのだけれど、 やはり薬をやめてたら付け根からじょじょにピンクになり、今は緑の部分は5ミリくらいです。
だんだんピンクになっていく爪をみて、 ほかも戻るもどる、と自分を勇気づけているのです。 現在の薬の副作用は、投薬後の数日後の激しい眠気と倦怠感、食欲不振くらいです。これも抜けるのが早くなってきました。 一番心配された心臓機能の低下もおきていないよう。 白血球値は、ふつうの人より多いくらいです。 今年のはじめにくらべ、腫瘍マーカーの値も半分くらいになり数値上では結構薬は効いているのです。
するといま何が痛くてどう大変なのか。 前々回の薬の投薬中、左胸に再発した腫瘍の細胞が薬で死んで、 体内に排出してくれればよかったんだけど、どういうわけか外側に破れて排出されました。 最初は小さな傷だったけど、どんどんどんどん腫瘍を殺して傷は大きくなっていきました。 で、次の薬は、新しい細胞(血管)をつくりにくくするという特徴があり、 それもあって傷は塞がらず、どんどん癌細胞は死に、胸骨の上の患部に近付くにつれ深くなっていきました。 今ではこぶし大の大きさで深いところは1センチ以上もえぐれていて、 これが数ヶ月ずっと生傷なのです。 そりゃあ痛いよ。乳首の近くなんか鋭い神経のかたまりが走ってるもんね。
薬でもウィルスでも外からの刺激に強くてあまり影響されない。 自分で自分の細胞を殺し、とにかく外にだしてしまおうとする。
自分のことだからよく分かるのですがこんなところまでいかにもわたくしらしい。
で、毎日 朝昼晩 痛み止めを飲んでいるくらい痛いわけですが 癌という病的には、数ヶ月前より症状は上向いているのですね。 まあなにか奇跡的なことがあれば完治することもないわけではないだろうけど、 わたくしも年をとるし、いつかは体が薬にまけるかもだし、 いったん良くなってもまた悪くなることは予想できますでしょう。 少し前、倦怠感が非常に強かったときには、少しくらいよくなったって、 もう一度この過程をくりかえすくらいならもう終わりに向かってしまった方がいいにゃあ 病院いくのやめようかにゃ と考えていました。 でもあのマイナス思考は薬のせいでもあるのでしょう。 今はその時より痛みは強いんだけど、 ひとは簡単にか死ねないし、だったら死ぬまで生きるしかない。 ジタバタしてもまだ痛み止めは効くし、ご飯も美味しく食べられる日もある。 なんだか髪と眉毛もまた少し生えてきたし、体が生きるというなら頭は従うしかないな、と。 がんばらない 思想は老人ではないわたくしには合わないし、 あえて意識的にがんばらない、ってすると本当になんにもすることがなくなっちゃう。 それにわたくしには治療拒否する理由がない。
そんなわけで頑張っている最近です。 実質は仕事とか家事とかほとんど何もできないんだけどね。 だから何を頑張っているかというと応援を頑張っている。 お相撲も、毎日すべての力士を応援している。 おばちゃんんのように、 「どっちもがんばんなさ~い。」 「いい相撲をとりなさ~い。」 「変化したり下がったり叩いたりしないで、正面からドーンとあたりなさい。」 「今日の勝ち星のためつまらない相撲をとるな!」 「惜しい、がよ~しよし いい立会いだった。」 と応援しています。 以前と違うのは全部声にだして応援していること。 おお、ますますおばちゃんだ。
別に相撲に限りません。テレビやネットでいい歌を聴けば拍手して、 「よかったよお~。」 と声をかける。 いい仕事、いますぐの役にたったり星に繋がらなくても、その先を考えた仕事をしている人を皆応援しています。
むかし熱血小学生だった頃、運動会ではなんといっても エールの交換が好きでした。 試合の途中で、あえて相手を称える。相手にフレーを送り、頑張れという。 今も、高校野球やJリーグの試合でそんな光景を見る。 いいよ~。
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