2004年09月21日(火) |
ぎゃあ!下半身イタイ!のプチ闘病日記① |
あたしはじゃあどうすべきだったのか? と、思いました。
今はもうそんな思考はしていませんけれども。
今、股関節の病気で仕事を長期休職している現状について。 もともと腰がオバカさんのため、一日立ちっぱなしの仕事をするにあたって 1年前、何回もいろんな病院に行って聞いて回りました。 もともと腰椎分離症という腰のバクダンをかかえていたため。 (ちなみに10年前、この診察をうけている)全ての先生の意見を聞いて。
だいたいに一致していたことは 「うん、やっても大丈夫。今後も続けても大丈夫。」 悪化して歩けなくなったり悪くなったりする可能性は非常に少ない、ということ。 この仕事を続けても支障はない、ということ。 「30年くらい続けたってビクともしないよ」。 そうか!よし。
痛くなく、まったく元気に仕事を続けられている中でも、検査に 何回か行った。数ヶ月ごと。 知らないうちに悪くなっているという可能性もあるからね。 しらないまに取り返しがつかないことになったら元も子もないので。 結果は相変わらず、大丈夫だね、ということだった。
そして。そんなふうにしながら1年仕事をしたところで、なんだか ん?イタイかも・・・。 むむ。と思いまた病院に行った。それが今年の4月である。 同様、多くの病院を回り多くの先生の意見を聞いた。
「何も悪くなっていないよ。大丈夫。」 どこにいってもそう言われた。 おかしいな、私、仕事中痛いんですけど・・本当に何も変化はないんですか?? 「ないなぁ。疲れがたまっているんじゃないか?」
そうか・・。疲れがたまってるんだろうか。
それでも納得できないのでもっと病院を回った。 するとあるところでこういわれた。
「左腰の軟骨が疲労骨折してるみたい。でも仕事をやすむほどではないな。 治療してなおすものじゃなくて、自然治癒するものだよ。運動選手なんかも よくなるけど、普通に生活していれば自然になおるよ。これね、疲れが原因で、 キミがもともともっている腰の病気とは関係ない症状で誰でもなるものだね」
ガガン!!疲労骨折!!! ・・・・職場に伝えたら休みをくれた。 確かに、休むほどの状態では全くなかったけれどありがたく、 休ませてもらった。 1ヶ月くらいかな。 このころ、もう6月になっていた。 行った病院、2ケタはこえてるはず。 1年前、痛くない頃もそのくらい行って現状をさぐった。
そしてまた病院へ行った。 なんだか、またイタイなぁ。 すると。 「疲労骨折?どこにもそんなものはないしした跡もない。 腰も悪くなっていないしそのほかもみあたらないなぁ・・ きっと疲れがたまっているんだ」
は?!疲労骨折してない? どういうことですか・・・。 あっちではしてる、こっちではそんなものない、 ・・・あのーー病院って、一体・・。
そして復帰。6月18日。 腰の状態は悪くなっていない。仕事は続けても大丈夫。 どこの病院でもそう言われたけれど私は異動を申し出た。 (正確には相談したんですが) まだまだやりたいことも残っていたし、生きがいであったけれど もう仕事を休んだり痛くなるたびに不安になるのはいやだった。
この頃の葛藤は思い出しても誰かをあやめてしまえるほどの 苦しさでした、うんー。仲居さんを絶対にやめたくなかったから。 だけど、私はこのまま続けるのは長い目で見てよくないだろうと仲居さんから 予約、フロントへ異動した。 勤務時間も、たっている時間も圧倒的に少なく、肉体労働がぐぐん、と 減った。ほとんど一日座っている。
でも・・・・。おかしい。 なんだか、イタイ。痛いぞ。 ねえ、先生達、どこも悪くなってないってみんなそう判断したよね。 何人もの、いくつもの病院のの整形外科の先生さんたちよぉ。 つかれつかれってみんな言うけど・・・。
あたしはまた、いろんな病院をまわった。 そして下田のものすごいちっちゃい整形外科を尋ねた。 レントゲンをとった。8月のことだった。 そして先生。 「どうして今まで何年もキミをみてきた先生達は気付いてあげなかったんだろう。 ショックだと思うけど、君は両側股関節臼蓋不全症、っていう病気なんだ。 今までの痛みはこれだね。ずっといわれていた分離症の痛みじゃないんだ」
ガーーーーーーーン。
な、なにそれ? 「キミは何年前に腰の診察をうけているの?」 は、10年前からですけど・・・
「この股関節の病気はね、キミが産まれた時からもうなっていた病気なんだよ」
はっ?! 意味がワカラン。 全くワカラン。
そして先生は細かく説明してくれた。 股関節の骨が人の半分くらいしかないため、異常に負担がかかること。 使いすぎると軟骨が削れて歩けなくなること。 治るものではないということ。 運動や安静な生活を維持して進行を遅らせることが治療な病気。 または、手術をして(以下同文)。
見せてもらった私のレントゲン写真とフツウの人の写真。 股関節の形、面積があきらかに小さい私のほう。 すこしずれたらズコン、と股関節から足がはずれそうな写真。
「なんでそれだけ病院をまわってどの先生も気付いてあげなかったんだ・・」
いやいや、それはコッチのセリフです、せんせいさん・・・ 分離症だって診察を10年間も受けていたから、それだとばっかり思っていた。 どの先生もそれしかいわなかった。 自分でわかっていたから、何回も病院に行って痛くないときも 検査を受けたり注意したりしてきたのに・・。 おいおい、私の10年間、一体何!?
目の前がぼーーんと真っ暗焦げ。 気付いたら診察室でぼろぼろぼろぼろ涙がこぼれた。 仕事は?まだ発展途上、まだまだ勉強したいことがたくさんある接客業。 これから先の人生を考え様としてもまったくわからず、心が路頭に迷った。
・・・泣いてもしょうがない。 このくらいなにさ!先の正しい歩みを考えねば。 そのためには、この病気のことを知らねば進めない。
・・・そんなわけで今に至ります。
この病気を教えてくれた病院は個人でやっている非常に小さい病院だったので 大きい病院もその後行きました。病気のこと、調べまくりました。
相当必至でした。だって、私、この病気のこと、またはその中でも 自分がどのくらいの状態なのか、全く無知だからです。
今後の生き方を考えるに当たって、まずそれを自分で理解していかなければ 進んで行けません。何が出来て、何が出来ないのか、または 今は出来ても、長い目で見たらしないほうがいいことだってあるでしょう。 その判断や情報が全くなかったからです。
とりあえず安静に、といわれても安静のレベルがあります。
・・・そんなふうに必至で情報を集める時、一番正しい情報を持って 判断してくれるのは病院の先生だ、そう思ってました。
・・・でもね。今まで何年も腰関係、そして今回の股関節のことで 病院をいくつもいって何人もの先生にあって今,確実にいえること。 それは、先生なんか、全く頼りにはならないということ。
・・・・・長くなりましたので今回はココマデ。 次回、いかに病院がヘボなのか、書かせて頂きます。
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