2012年01月02日(月) |
I shouldn't be there |
大晦日から元旦にかけて、帰宅。 そこの空間が放つ空気は、変わっていた。澱もうとしていた。 流れが滞り、澱んで時間が止まっているかのような 船の墓場みたいな感じ? それはカビ臭い父方の祖父母宅のような空気と似ていた。 ちなみに祖父はおそらく、パーソナリティ障害者だ。
結論は 「帰らなければよかった」。
母が軟化してきたので忘れてしまうが 単身赴任から一時帰宅していた親父の モラルハラスメントが横行していた。
正直ね このネタ、ワンパターンだから、いい加減厭きました。 パーソナリティ障害者の傍には 負のスパイラルが蔓延して、空気が澱む。 人が逃げていくから、循環がないのだ。 マトモな人はまず残らないので、 (残るのは依存症の人か、毒牙にかかって逃げられない人だ) 外部からの目が届かなくなって、自己愛が不自然に肥大化していく。 そうして益々外部からの接触がなくなり、澱み、 水も土も家も空気も腐っていくのだ。
私は、正のスパイラルに巻かれようと思う。
実家のパーソナリティ障害者は 前の職場はクビになってたけど 今の職場でもすでにハブられてるんだとさ。 わずか2~3年でしょ。でも、当然だよね。 人格障害者は不愉快な人々だから、正常な人は避ける。
不愉快なモノは自然に篩にかけられて、 私の手から自然に落ちていくのだ。
母は依存気質だから 人格障害の父にすら依存するのだろう 先日、母の私への依存をぶった切ったからね。 代わりに親父に、渋々憑いたんだろう。 不愉快さよりも依存を選ぶんだってさ。 その答えは、数年前の祖母の 「人生なんて寂しいものよ」に繋がっていくんだろうけどな。 このままいくと、饐えた墓場で寂しく殺されるんじゃない? 私としては逃げてほしいのだけど。
墓場に埋没するのは、元凶だけでいいんだから。 それにね 本当に相手の事を想い、愛しているのなら わが身の依存を優先するよりも 切り捨てることが愛なんだよ。 本当に一からやり直す時には
切り捨てる愛、というものがあるんだ。
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私の今年の、とりあえず現在のテーマは ふんわりとした言葉を使うこと
モラハラ家庭にないもの それは「肯定する言葉たち」。
ないから、ないことを持続させるのか(親父のように?) ないから、生み出していくのか(私のように)
これまで出来合いの不幸せから立ち上がってきた私ですから 当然後者を、宣言するまでもなく、自動的に選択してますわ。 思いついたんだから、実行しちまうんだろうね。 それをするのは、その発想に気づいてしまったからだ。 山に登るのは、山があるからだ。それと一緒。 すげーな私…と自分を褒めてみたり。
ふんわり言葉の周りは、正のスパイラルがあるのだと 研究室に行ってから知ったわ そういうスパイラルの人は思いのほか多いというのもな。
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