  
 
ひとりごと〜リターンズ〜
  
不知火 
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| 2001年03月12日(月) ■ | 
 
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| 家族の標本〜我が家の場合〜(その4) | 
 
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目が醒めたら朝の7時ごろだった。
  私は連日の疲れで寝てしまっていたらしい。
  といったところで、親父などもっと疲れて、もっと眠かったであろうに、 一つも寝ていなかった顔をしている。
 
  私の朝一番の仕事は今日受けるはずだった面接の予定、セミナーの予定を、 全てキャンセルしたり変更したりすることだった。 昨日が日曜日で電話の繋がらなかった企業が多かったのだ。
  それが終わった頃には、親族が少しずつ集まり始めていた。
 
  親族は葬儀、告別式の間、それぞれの役割を完璧に果たしたと思う。
  私と奈美姉は受付係を。 伯母は喪主を。 喪主の挨拶は実子である親父が担当し、 実務的な事は喪主の長男である忠志兄がほとんどこなした。 母親や兄貴、兄嫁は母方の祖母の面倒まで見なくてはいけなかった。 今度こけたら、もう歩けなくなるのではないか、そんな不安もあったからだ。
  ともあれ、 親父は実の母親の告別式において、立派に挨拶をしたと思う。
  茶番だな。 葬式なんて親族の見栄と、知人の偽善。 所詮はただの茶番だな、ニヒルな考えが心を支配する。
  葬儀における役目を全うしようとすればするほど、 その瞬間におけるばーさんへの悲しみが薄れてしまうのだ。
  結局、今回も私は涙ひとつ流さなかった。 血も涙もないわけではない。
  伯父の時もそうだったが、この人たちの葬儀に私の涙がは似つかわしくないのだ。
  「あほか!何泣いとんねん!!」 そう云われそうな気がした。
  でも、きっと親父の時には泣くんだろうな。 親父には涙が良く似合うから。
 
  そして、今日は実家で泊まった。 両親と、兄貴夫婦と、もう一人のばーさんと私。 6人そろっての食事はこれが初めてだった。
  いや、ばーさんは疲れて先に寝てしまったようだったので5人か。
 
  とにかく、残ったものたちはまたこうして新たな生活を始める。
  生きているものは、そうせざるをえないのですから、ね。
 
 
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