頑張る40代!plus

2001年04月30日(月) 体毛

最近テレビで動物の生態などをやっていると、つい見入ってしまう。
彼らが羨ましいんです。
何が羨ましいのかというと、あの体毛です。
不精者のぼくには、あの体毛が大変便利に思えるのです。
まず第一に、床屋に行かなくていい。例えば毛が伸びすぎて困っている猫なんか見たことがない。
第二に、着替えなくていい。衣替えも自動的にやってしまう。衣服に気を使う必要がない。
第三に、雨風をしのげる。当然傘なんか必要としない。
第四に、冬でも寒くない! これに尽きます。冬の寒い時にだって、髪のある頭は防寒しなくてもいいでしょう。これが全身にあれば当然防寒着は必要ない。

それにしても人間にも体毛に覆われた時代があったのに、どうして退化してしまったんだろう?
おそらく人類の生活スタイルが、体毛を必要としない方向に向かわせたからなのだろう。
それでも体毛が退化し始めた時には、「ははは、あのおっさん見てみろよ。尻が禿げているぜ」とか「最近お前、尻が薄くなってきたんじゃないか?」などという会話があったはずだ。
ぼくは、パンツは人類が身につけた最初の衣服だと思っている。
今のかつらと同じで、当初は禿隠しだったんだろう。

野生の動物は、余計なことを考えず、全精力を生きるということに傾けている。
自分のことは自分でやっているし、決して誰の助けも求めることはない。
そして死に際は泰然としています。素直に死を受け入れている。
こんなところにも、憧れを持ちます。



2001年04月29日(日) ちょっと怖い話2

昨日の続きです。

1、ぼくは一度幽霊を見たことがあるのです。
中学に入る前だったか、家で昼寝をしていたんです。
玄関のほうで「トントン」という音がする。
誰か来たと思い、目を開けると目の前にモンペ姿のばあさんが立っている。
見たことがない人だったので、どうせ夢だろうと思い、また目を閉じた。
でも、「トントン」という音は続いている。
「夢じゃない!」と思い飛び起きると、まだそのばあさんが立っている。
「誰か?」と言おうとしたが声が出ない。
ぼくは力を振り絞って、そのばあさんを払いのけようとした。
現実に戻りました。
確かに客は来ていましたが、同級生でした。
あのばあさんはいったい何者だったんだろう?
昔住んでいたところは、今は駐車場になっています。
2年程前にあるじいさんがここにたくさんの霊がいると言って、その駐車場に毎日塩を撒いていました。

2、ラーさんは不思議な能力をお持ちの女性である。
何が不思議かというと、彼女が応援に行くと決まってダイエーホークスに不幸事が起こるのだ。
9回2アウト2ストライクまで勝っていた試合を、劇的な逆転ホームランでひっくり返されたり、昨日は昨日でおみくじで大吉を引いたらホークスが大逆転負けしたり、秋山選手が頬骨を骨折するという事態になったり、とにかく大変なのだ。
これは単なる偶然なのだろうか?

今日午後2時からテレビでダイエーVS近鉄戦の中継があった。
ぼくは売場のテレビで観戦していた。
3回の裏までで、3-0といい出だしだった。
4回の表だった。
今日休みのラーさんが家族連れでやってきた。
その時だった。
近鉄のローズにホームランを打たれたのだ。
さすがラーさんである。 期待通りの活躍だ。
その後も近鉄の攻撃は続いたが、ラーさんが帰ったとたんに近鉄の攻撃は終わった。
これを単なる偶然と言っていいものだろうか?



2001年04月28日(土) ちょっと怖い話

今日顔なじみの警察の方が来て、「昨日は大変やったよ。自殺志願者がおってねえ。ビルから飛び降りようとしたところを、取り押さえたんよ。下には消防署が来てマットを準備しとったけど、飛び降りられたら一生悔いが残るけねえ」と言っていた。
「昔住んでいた団地が、今自殺の名所になってるんですよ」とぼくが言うと、「それは霊が呼ぶんよ。以前○○公園の池の前にあった木で自殺者が出た。そしたら続けてそこで首吊る人が出てねえ。結局その木を切れということになって切ったけどね。飛び降りも同じ。霊が呼ぶんよ」と言った。
木は切れても団地を壊すわけにはいくまい。

そういえば昨日、久しぶりに金縛りにあった。
目が見えるんです。目が! 
こちらが目を瞑ってても見えるんです。
思わず般若心経を唱えました。
すると消えていったんですけど。

幽霊を見る人は、霊を呼ぶ人だと聞いたことがある。
ぼくも霊を呼ぶ人なんだろうか?
となれば、自殺の名所に行ったら、お互いに呼んでいるんだろうか?



2001年04月27日(金) 寝ます

今日は休みだったので昼まで寝ていました。
昼からは銀行に用があって出かけました。
それ以外は何もしてないな。
銀行から帰ってきてから、ちょっと頭が痛くなったのでまた寝ていました。
起きたら午後9時を過ぎていました。
それから風呂に入り、食事をし、今こうやっているわけですが、午前1時にはまた寝るでしょう。
休みの日は何か用事でもない限り、いつもこうです。
そして翌日会社に行くと、決まって腰が痛い。
もっと健康的な休日の過ごし方をしないとね。
とにかく、明日は早出なのでこれでおしまいです。
それでは寝ます。



2001年04月26日(木) W3

小学生の頃かなりの漫画を読みました。
あの頃の漫画は、今の漫画よりもずっと品があったと思う。
好きだった漫画は、「おそ松君」「サブマリン707」「ミラクルA」「W3」「バンパイア」「マグマ大使」「ビッグX」「スーパージェッター」「サイボーグ009」「5年ひばり組」「伊賀の影丸」などあげたらきりがない。
その中でも特に「W3」が好きでした。
最終回は感動的だった。
別にドラマチックな終わり方じゃなかったのだけど、手塚先生は最後に夢を盛り込んでくれた。
その夢がぼくの中でずーっとくすぶっていたんです。
それが10年程前に突然蘇って、「W3]を読みたくてたまらなくなった。
探しましたねえ、2年間。
だってどこにもないんですよ。
北九州や福岡の有名な本屋はだいたい回りつくしたし、東京に行った時も他の場所には目もくれず、神保町の本屋をうろうろしていた。
それでも見つからないものだから、東販や日販に問い合わせてみたりもしたんです。
「廃刊」との答でした。
でも、秋田書店のサンデーコミックのリストにはちゃんと載っているんですよ。
それで秋田書店に聞いてみると「切れている」としか言わない。
2年が過ぎ、ようやく解決しました。
ハードカバーの手塚治虫全集が出たんです。
ありました、「W3」。
一気に読みましたね。
小学3年生に戻っていました。
ぜんぜん感動が変わらない。
やはり最後は考えさせられてしまうんですね。

内容はここでは書きません。
大人の目で見たら大したことではないので、馬鹿にされそうですから。
でも、ぼくとしては子供の目でそれを読めたことが嬉しかった。
実は、今日も子供の目で「W3」を読んだのです。



2001年04月25日(水) 小学生の頃

「少年」「少年ブック」「ぼくら」「冒険王」「少年画報」と書いてピンとくる人はもう40歳を超えている人だろう。
あるホームページを見ていたら、これらの名前が目に飛び込んできた。
知らない人のために言っておけば、ぼくが小学生の頃読んだ月刊誌(漫画)の名前です。
今の月刊誌と違って、豪華な(?)付録がついていた。
「来月号は豪華10大付録付き」なんて書いていたなあ。
日光写真なんかはいつもどこかが付けていた。
その他いろいろな付録があったが、ぼくが一番嬉しかったのは別冊本だった。
例えば「鉄人28号」が本とは別の内容で、1冊の本(読み切り)になっていたのだ。(たまに「別冊に続く」となっている場合もあったが)
こういうのを持っていたら、今かなりの価値があるんだろう。
そう思うと、あの時捨てた「ビッグX」が今となっては惜しい。

ぼくは「少年」と「少年ブック」と「冒険王」をよく読んでいました。
当時はお小遣いも少なかったので、どれか一冊買うのがやっとでしたね。
他に「週刊少年サンデー」も買ってたし。
あとは古本屋で立読みするとか、床屋で読むとかしていました。

ところで、ぼくの小学生の頃の生活は、学校では授業中はおしゃべりばかりし、学校が終わるとパッチン(メンコ)ダンチン(ビー球)草野球、家に帰れば漫画を読みと、とにかく忙しくて勉強している暇などなかった。 高学年の時は宿題もほとんどしなかった。
きっとこんな生活をしていたから痩せていたんだろう。
今もこんな生活をやっていたら、腹の肉は付かないだろうに・・・。
 ・・・またこの話だ。



2001年04月24日(火) 腹の肉

今日は少し寒かったが、ここのところ晴れた日はだいたい暖かい。
そろそろ夏物の準備をしなくてはと思い、家にあるTシャツなどを眺めていたら、白や黄色の物しかない。
これは困ったことになってしまった。
というのも、最近腹が出てきたからだ。
白なんか着たら、体型まるわかりだ。
黒いTシャツも何着かあったのに、どこにいってしまったんだろう?
買えばすむことだが、衣服に費やすほどのゆとりがないし。
運動して痩せるしかないか。
でも歩くのは仕事の都合上(帰宅時刻の関係)毎日の継続は難しいし、腹筋やっても長続きしないし、さてどうしたものか。
無理なく痩せる方法を知っている方がいたら教えて下さい。




2001年04月23日(月) オムニバス

「猫 その2」
昨日に続いて猫の話です。
猫を飼っている人から聞いた話だが、今まで飼った猫は必ずと言っていいほど1~
3ヶ月行方不明になったということだ。
そういえば、小学生の頃読んだ本にミステリーゾーンというのがあって、その中に
「猫修行」という項目があった。
先の人が言っていたとおり、猫は1~3ヶ月行方不明になることがある、と書いていた。
その間猫は修行に行っているらしいのだ。
そこには場所も特定してあって、その場所はなんと「福岡県鞍手町八尋」と書いて
あった。
鞍手の八尋といえば、ここから車で30分もかからない場所である。
小さい頃何度か行ったことがあった。
それを読んだ時ぼくは「あんな所で修行しているのか。でもこの辺の猫なら近くていいけど、北海道の猫はどうやってここまで来るんだろう?」と馬鹿なことを考えていた。
ところで、いったい猫はどんな修行をするんだろう?
だいたい猫は修行という言葉が一番似合わない動物だ。
人に媚びないことでも修行しているのだろうか?

「不勝神話の持ち主」
昨日劇的な負け方をしたホークスだが、実はあの不勝神話の持ち主ラーさんが観戦に行っていたらしい。
勝てるわけないやん。
9回2アウト2ナッシング、ここまではホークスの力。その後の逆転3ランホームラン、これはラーさんの力だった。
さすがラーさん!人が呆然とするような負け方を演出してくれる。
ところで、そのラーさんの近くに座っていたおじさんが「ここに十何回応援に来たが、一度も負けたことがなかったのに。今日は疫病神が来ているらしい」と言っていたそうだ。
ラーさんは顔を上げることができなかったという。



2001年04月22日(日)

今日会社(店)の表玄関に張り紙がしてあるのに気がついた。
行方不明の飼い猫を探してくれ、というものだった。
黄色の首輪をしていたとか、耳が欠けているとか、いろいろと猫の特徴が書いてあった。
「6㎏ある」と体重まで書いてあったが、はたして歩いて(走って)いる猫を見て「おっ、あの猫は6㎏あるぞ」とわかる人がいるだろうか?
それに猫も動き回るわけだから、当然体重も減るだろう。
その張り紙にはご丁寧にその猫の写真までついていた。
写真に撮られるのが嫌なのか、大変迷惑そうな顔をしている。
「きっとその飼い主が嫌だったんだろう。それにこんなどこにでもいる猫を探し出すのは難しいやろう」と、ぼくは思った。

だいたい「猫を飼っている」というのは人間の勝手な思い込みに過ぎない。
猫は犬と違って「私は飼われている」とは決して思ってない。
おそらくその飼われている家を、体のいい住みかぐらいにしか思ってないだろう。

それにしても猫ぐらい待遇のいい動物はいない。
夏は涼しく冬は暖かいところに住み、毎日毎日餌をもらい、しかも自由に振舞える。
鎖に繋がれることもまれで、出入り自由、適当に遊んではねぐらに帰る。
文句をいわれても犬みたいにシュンとせず、どこ吹く風といった顔して寝ている。
まったく羨ましいですな。



2001年04月21日(土) 愚痴

毎日毎日大したことがないということですね。
今日もネタに詰まっている。
このサイトのタイトルも「頑張る40代!」から「毎日毎日更新できるもんじゃない!!」に変えようかとさえ思っています。
本当に毎日書くことのある人が羨ましいですね。
きっと、些細なことでもメモする人や、ショーモナイことを大きな事件と受け止める人が、そういう離れ業をやってのけるのでしょうね。
ぼくは細かいことをメモするような人間ではないし、すべては流れと思っているような人間なので、そんな離れ業はできない。

よくいるでしょう?「何月何日にあんたはこう言った」とか言う人が。
こちらとしてはショーモナイことを言っただけなのに、その人は大きなことと受け止めて、そのショーモナイ言葉を後生大事にしている。
そして事あるたびにその言葉を持ち出す。「あんたは何月何日にこう言った・・・」
その細かさしつこさは立派な財産ですよ。
こんな人こそ日記を書くべきなんです。
そんな人と比べたら、ぼくみたいなずぼらな人間は、日記を書くことすらおこがましい。

本当にタイトル変えようかなあ・・・



2001年04月20日(金) これを書かないと眠れない

「今日は何を書こうか?」、「今日は何を書こうか?」を毎日繰り返しています。
夜10時を過ぎると、いつもその思いに駆られる。

実は今日NTTから「先日お申し込みされたフレッツADSLの件ですが、お客様の所では使用できません」との連絡があった。
どうも電話局からの距離に関係あるらしい。
申し込んだのが今年の二月だったから、2ヵ月待たされてこの結果だったわけだ。
距離に関係あるというのは、申し込んだ時にわかるはずじゃないか。

もうひとつNTTの話です。
実家のほうで、去年の12月8日にフレッツISDNを申し込んでいたのだが、ターミナルアダプターだけが12月末にきて、その後何の連絡もなかった。
今日上記の連絡があった時に、どうなっているのかついでに聞いてみた。
「増設の関係で遅れています。あと3ヶ月ほどかかりますが、どうしますか?」という返事だった。
ターミナルアダプターをすでに送ってきているくせに、「どうしますか?」はないだろう。
結局「待ちます」と言うしかなかった。

この二つのことで「もうNTTには頼まん!」と思ったが、今のところ北九州では常時接続サービスというのは、フレッツしかない。
テレコムのADSLサービスにしても結局は同じことなんだろう。
何がITだ!



2001年04月19日(木) イチロー

マスコミはイチローで盛り上がっている。
どのチャンネルをかけてもイチローの13試合連続ヒットの話題ばかりだ。
日本で盛り上がるのは当然のことだが、果たして現地のアメリカではニュースで
言っているほど盛り上がっているのだろうか?
ぼくがなぜそのことに疑いを持つか、それには理由がある。
今から29年前ミュンヘンオリンピックでの話だ。
その当時は男子体操やバレーボールなどが強く、メダルの獲得数も今よりずっと
多かった。
レポーターもいささか興奮ぎみに現地情報を伝えていた。
「西ドイツは日本びいきのお国柄。ここミュンヘンでも日本選手の活躍に『ハポン(日本)もなかなかやるじゃない か』といった声が街のあちらこちらできかれます」とのたまっていた。
当時はぼくも若かったから、その言葉を聞いてドイツに親近感をもったものだったが、後年あれは簡単な情報操作じゃなかったのか? と思うに至った。
「あちらこちら」というのは「いたる所で」という意味だが、そのレポーターはどこに行っても「ハポンもなかなかやるじゃないか」と聞いたのだろうか?
トイレに行ってもドイツ人たちは「ハポンもなかなかやるじゃないか」と言っていたのだろうか?
そんなわけないやんか!
そこにはおそらくこんなやり取りがあったのだろう。
そのレポーターは街を歩いていた人に声をかけて「オリンピック、地元西ドイツは頑張ってますね。それに比べてハポンはまだメダルが○個しか取れなくて・・・」とこぼした。
ろくにハポンを知らないその人は「ほう、ハポンという国は○個もメダルを取ったのか。なかなかやるじゃないか」と言った。
ただそれだけのやり取りを、ああいうふうに伝えたのだろう。
あちらこちらも二、三人位じゃないのか?
さらに日本びいきに至っては、第二次世界大戦の同盟国だった、という日本人の勝手な思い込みに過ぎない。
ヒトラーは日本人を見下していた。

まあ、こんな理由で海外の現地レポは信じられないのだが、今はあの時代よりはましだろう。
イチローにも頑張ってもらいたい。



2001年04月18日(水) 事故現場に行ってみた

昨日の話です。
先日起きた歩道橋落下の事故現場に行ってきました。
人から「あの店の近く」などと教えられたのだが、店の名前を教えられてもピンとこなかったので、とりあえず則松から黒崎方面に車を走らせてみた。
ありました。陣の原三叉路じゃないですか。
ぼくの家から車で5分ほど行ったところです。
はい、階段だけ残って無残な歩道橋でした。
階段の上り口には「3号線方面には行けません」と書いていた。
あたりまえじゃないか! 見たらわかるわい。
ということで、しっかり事故現場を観察して帰った次第です。

ところでこの事故は、その日の朝10時頃に友人から入った電話で知ったのです。
「しんちゃん、大丈夫やった?」
「何の話?」
「朝9時頃、陣の原の陸橋が落ちたらしいよ」
「ええっ!?」
陣の原の陸橋が落ちたなんて大事件じゃないか!
阪神大震災並みの騒ぎになっているんじゃないか? とテレビで速報が流れてないか見てみたけど、そんなニュースは流れていない。
その後お昼のニュースなどをチェックしてみたが、どの局もそんなニュースは流していない。
やっとそのニュースが流れている局を見つけ、よく聴いてみると、落ちたのは陸橋じゃなくて歩道橋で、重軽傷者が3人いたが死者は出なかったとのことだった。
陸橋が落ちたら大変ですよ。
高速道路が落ちてくるに等しい。
おそらく多くの死者が出るだろう。
復旧工事に1ヶ月以上はかかるだろうし、その間、迂回路を通る車で大渋滞は避けられない。
ぼくはその道を通っているわけではないけど、当然迂回路はぼくの家の前の道になるはずだ。
陸橋が落ちたと聞いた時、ぼくは「何時に出れば定時に着くだろうか?」と真剣に考えていた。

それにしても事故が日曜日の午前9時頃だったことは不幸中の幸いでしたね。
平日だったら交通量の多い所だから、歩道橋とはいえ大惨事になっていただろう。
歩道橋は穴生小学校の通学路でもあるわけだし。
ところで、則松から向かっていて思ったのだが、なぜ歩道橋にぶつかったトレーラーは則松の歩道橋にはぶつからなかったのだろう。
熊本から来たトレーラーだから、当然則松は通ったはずだけど・・・。
高さが違うのかなあ?



2001年04月17日(火) 今日は忙しかった

今日はいろいろ忙しかった。
車の走行距離を見ると、100キロを超えていた。
別に特定の場所に行ったわけじゃなく、同じ所を行ったり来たりしていた。
運転中、日記に書き忘れたことを思い出して、「今日の日記に書かんといけん」などと思ったりしていたが、結局その内容を今また忘れてしまっている。

あ、ひとつだけかろうじて覚えていた。
甘栗ちゃんネタです。
この間三波春夫さんが亡くなったが、甘栗ちゃんは加山雄三が亡くなったと思っていたらしい。
追悼番組は見ないにしろ、芸能ニュースぐらいは見たはずだ。
着流しスタイルで「チャンチキおけさ」を歌っている三波さんを見て、「あっ、加山雄三だ!」と思って、甘栗ちゃん死亡者リストの中にインプットされたのだろうか?
若大将も甘栗ちゃんにはかなわない。



2001年04月16日(月) 甘栗ちゃん「頑張る・・・」を読む

今日とうとう甘栗ちゃんが、この日記を読んだ。
携帯からアクセスして読ませたのだ。
「はい、これが前から見たがっとった、しんたさんのホームページ」
「なんですか、これ。きゃはは、『頑張る40代』ってなんですかあ?きゃはは。40代なんですか?誰が書いたんですか?」
とりあえず日記だけ読ませたが、「これ何を見て書いたんですか? 誰がまとめたんですか?」と言った。
「日記は自分で書くもんやろ」などと日記の説明をしたが、まだ理解できないようだで、昨日の日記を見て「これ吉本の日記なんですか?」などと言っていた。
甘栗ちゃんのことを書いているところを見せると、ようやく理解できたようだった。
普通あんなことを書かれると怒るだろうが、甘栗ちゃんは違った。
「きゃはは、私こんなこと言いましたかねえ?きゃはは」
始終笑いっぱなしだった。
「でも、どうしてジャガーさんはTさんなんですか? どうして○○さんと書かないんですか?」
「それは世界中の人が見るけ、本名じゃまずいやろ」というと、「ええっ!これって会社の人だけが見るんじゃないんですか?」とちょっと困った顔をしていた。



2001年04月15日(日) 昨日吉本新喜劇を見た

昨日の話だが、テレビで「吉本爆笑アワー2001」というのを見ていた。
池乃めだかや石田靖、山田花子などが中心になって喜劇をやっていたのだが、ちょい役のじいさんが出てきたとたん、拍手が大きくなった。
よく見てみると、なんと岡八郎じゃないですか!
まだやっていたんだ。
「くっさー」や「えげつなー」といった一連のギャグも健在だった。
それにしても、同じ時期に活躍した花紀京や原哲男などは、まだテレビに出ているのに、どうして奥目の八ちゃんだけが出なかったんだろう。
そういえば、昔に比べてずっと老け込んで痩せたような気もしたが、病気でもしていたんじゃないのか。
とにかくぼくが小・中学生の頃、寛平ちゃんがブレークする少し前、吉本新喜劇といえば岡八郎だった。
これからもどんどん出てもらいたいものだ。



2001年04月14日(土) 更新

パソコンでここを開いた人は気がついたと思うのですが、今日若干内容を変更しました。
といっても、隔日刊「吹く風」を追加しただけですけど。
モバイルサイトの「吹く風」を表に出しました。
実は最近、検索エンジンにこのサイトを登録したのです。
その際「紹介文を書け」とあったので、仕方なく「詩のサイトです」と書いてしまった。
そう書いた以上、ちょこっと詩を載せているだけじゃだめだと思ったわけです。
今までは昔の詩ばかりだったのですが、これからは新作も載せていこうと思っています。
だからあえて日刊というタイトルにせず、隔日刊にしました。
「毎日新作が書けるわけないやん!」という意味です。
いつ更新できるかはわかりませんが、新作ができたら発表していくつもりです。



2001年04月13日(金) 万引きじじい

明日は休みなので、今日は少し多めにお酒を飲みました。
ちょっときています。
眠い。
居眠りをしながら書いているので、なかなか進みません。

さて、今日万引きを捕まえた。
74歳のじいさんだった。
盗ったのはカセットテープで、ジャンバーのポケットに入れていた。
捕まえて事務所へ連れて行こうとすると、じいさんは「買おうと思っていた」と言って財布を出したが、「お金は事務所で払って下さい」と引っ張っていった。
警察が来て取調べを始めたが、「買おうと思っていたのに、店員が無理矢理ここに連れて来た」などと言っていた。
警察の人から「買おうと思ったらポケットに入れるんか?」と言われ黙ってしまった。
結局そのじいさんは常習犯だったので、そのまま警察に連れて行かれた。

普通はこれで終わりです。
でもそのじいさんはちょっと違った。
警察から出てきたあとで、再びうちの店にやってきて電池を買ったということだ。

そういえばあのじいさん、近くの神社のお賽銭も盗っているらしい。
よっぽど貧しいのか、すごいケチなんだとぼくは思う。



2001年04月12日(木) とりとめのない話

むかし日記を付けていた時期があります。
そうですね、もう20年以上も前になります。
今日その当時の日記を読んでいたのですが、ふと4月12日の日記はないだろうか? と探してみました。
ところが3月から急に6月に飛んでいて、4月12日はおろか、4月5月は何も書いてないのです。
その後の何年間かの日記を見てみたけど、東京に出た年も、こちらに戻った年も、やはりこの時期は何も書いてない。
環境が変わると書きたくなくなるんだろうか?
それとも書けない事情でもあったのだろうか?
書くのが嫌になっていたのだろうか?
自分のことながら、その辺の記憶が曖昧です。
何でその辺の事情を日記に書かなかったのだろう?



2001年04月11日(水) 甘栗 VS ジャガー

甘栗ちゃんが、携帯の調子が悪いとぼくのところにいってきた。
どうもメールの送信ができないようだ。
「ジャガーさんから買ったんやけ、ジャガーさんに連絡すればいいやん」とジャガーさんの電話番号を教えてあげた。
早速、甘栗ちゃんはジャガーさんに連絡した。
「キャハハ、ジャガーさんですかー? ケータイのチョーシが悪いんですよー・・・」

ジャガーさん=Tさんという40代の男性である。
副業で携帯電話の販売をやっている方で、ジャガーというのは副業を始めた頃、強くて機敏という印象を人に与えるようにと、ぼくが冗談でネーミングした。
ジャガーさん自身はジャガーと呼ばれることを嫌っているが、それでもぼくの周りの人はみんなそう呼んでいる。

結局甘栗ちゃんの携帯は、ショップで修理するということで決着がついたが、後でジャガーさんからぼくに電話があり「・・・ということになったけど、ショップでジャガーさんと言わんように伝えとって」ということだった。
17歳の女子高生に「ジャガー」と呼ばれることがいやなのだろう。
ぼくがその旨を甘栗ちゃんに伝えると、「そんなこと言うわけないじゃないですかー。あ、でも名前知らん。何と言うんですかー?」と言った。
『教えんほうが面白いかな』とぼくは思ったが、教えた。

さて、帰りに甘栗ちゃんは「どーしてジャガーさんっていうんですかー? ジャガーってタイガーみたいなのですよね。阪神ファンなのかなー?」と言っていた。
ジャガーさんは大のダイエーホークスファンである。
自分の嫌いな通り名のおかげで、阪神ファンにされてしまった。
迷惑な話である。



2001年04月10日(火) JCB

今日はJCBの引落とし日だった。
毎月プロバイダ代(2000円程度)しか利用していないので大した額ではない。
と、高をくくっていたら、今日たまたまJCBの明細書を見て、唖然としてしまった。
20000円の請求になっているのだ。
「うそやろ!」とぼくは思って詳細を見ると、なんと2月と3月にガソリンをカードで入れた分が、今月まとめて請求してきているのだ。
「15日締めの10日払いのはずじゃないか、こんなの詐欺だ」と思ったが、引かれるのだから仕方がない。
銀行残高を見ると1000円足りない。
あわててJCBに電話をし、「まだ間に合いますか?」と聞いた。
「うちでは引落とし時間等はわかりかねますので、福岡銀行さんのほうにお問い合わせ下さい」とのこと。
福銀に電話すると、「午前と夜間、二度引き落としてますから大丈夫ですよ」ということだった。
何とか時間内に入金し事なきを得たのだが、あやうく延滞0の実績に傷がつくところだった。
それにしても、ガソリン代はなぜ請求が遅いんだろう?
いつ請求がくるのかわからない買い物も考えものである。
カード払いは便利だが、こういう時は大いに困る。
やはり現金払いが一番、か!?



2001年04月09日(月) 最近よく聴く曲

ここ2,3年、この季節になるとよくラジオでかかる歌がある。
矢野顕子の「春咲小紅」である。
もはや春の定番となったようだ。
ぼくが学生の頃、春の定番といえば、シャドウズの「春がいっぱい」だった。
FM,AM問わずよくかかっていた。
でも、最近ラジオでこの曲を聴くことはなく、代わってDJの「春といえばこの曲ですね」の声と同時に矢野顕子が登場するのだ。

この歌が流行ったのは1981年、ぼくが長い浪人生活を終え就職した頃だった。
この曲にはちょっとしたエピソードがある。
その年の春、神戸博覧会があったのだが、「春咲小紅」は実は神戸博のコマーシャルじゃないのか? という噂が流れた。
確かに、“ほーら春咲小紅、ミニミニ見に来てね”は本当は“ほーら春先神戸に、見に見に見に来てね”と聞こえる。
結局真意はわからなかったが、レコードも売れ、神戸博の入場者もまずまずだったらしい。



2001年04月08日(日) iモード

ここ数日iモードの通信料をどうやって浮かすか、という課題に取り組んでいます。
今やっておかないと503iに取り替えたとき、iアプリなんかでさらに通信料がかさむのは目に見えています。
まずメールをどうするか。
今e-shotというところで、分割転送して長文メールを読めるようにしているが、通常のメールなら2~3分割で来るのだけど、メルマガやDMなどは10分割で来てしまう。
これも結構通信料がかかるんですね。
それでもっと節約できるメール転送のサービスを探しています。
実験的に2,3やってみているのですが、まだ結果が出ていません。
長文メールの送受信ができるJ-Phoneがうらやましい。



2001年04月07日(土) いろいろありすぎて何も書けない

今日はいろいろとあって疲れました。
もう寝ます。



2001年04月06日(金) 春眠も習慣には勝てず

昨日は結構遅くまで起きていた。
寝たのは午前3時を過ぎていたと思う。
まあ、今日が休みだから朝ゆっくり寝たらいいや、ぐらいの気持ちで起きていた。目覚めてみると朝の7時半。
いつもと同じ時間に起きてしまった。
もうひと眠りしようと布団にもぐりこんだが、今度は眠れない。
新聞を読んだり、パソコンゲームをやったり、意図的に眠気を誘うことをしていた。
午後から車を運転しないといけないので、なんとしても睡眠をとっておきたかったのだ。
でも、眠れないんです。
気がつけば正午を越えていた。
しかたなくそのまま準備して出かけた。
そこからが地獄だった。
運転中に眠気が襲ってきたのだ。
何度居眠りしそうになったか。
ぼくはそのつど思った。
「しまった。最初から運転していたら、簡単に眠れたのに」



2001年04月05日(木) 拓郎好き

今日、閉店後花見に行った。
最初はそうでもなかったが、時間を追うごとに寒くなって、帰る間際は震えていた。
なんといっても今日の収穫はかんべえさんと拓郎の話が出来たことだ。
周りには音楽好きは多いわりに拓郎好きというのが少なく、寂しい思いをしていたので、今日は嬉しかった。
またアコースティックギターの話なども出た。
やはり同世代と話すと楽しい。



2001年04月04日(水) iモード

iモードのパケット料金は、なんであんなに高いんだろう?
「これくらいは」と思って使っていると大変な金額になっている。
昨日メールの設定などをやっていたので、どのくらい使っただろうとパケット通信料を見てみると、昨日1日で1000円も使っている。
今日もその続きをやったので、同じくらいの額になっているのだろう。

あまりの高いので、知り合いのドコモショップの店長に、「定額でiモード利用できないんですか?」と電話で聞いてみると、「よく言われるんですよね。でもそういうプランはないんですよ」という答えだった。
iアプリだのなんだの言う前に、パケット料金を安くしろ!



2001年04月03日(火) 法事

寺に行くと住職が代わっていた。
祖父が死んだ時に来た住職から数えて3代目になるそうだ。
24年の歳月を感じますね。
それにしても本堂は寒かった。
石油ファンヒーターを2台準備してくれていたが、あまりに本堂が広すぎて温もらない。
特に今日は寒かったし。
それに正座。
日記を書いている今も足が痛い。
焼香のときは立てずに、這って行った。
昔は武道をやっていたおかげで1時間ぐらいは大丈夫だったのに、今は10分持ちません。
来年も法事があることだし、何か秘訣はないでしょうか?

ところで、昨日言っていた「19の頃」の自分には会えませんでした。
足の痛みを忘れるために、新しいiモードのことばかり考えていました。
「仮に取り替えるにしろ、お金をどこから算出するか」それがテーマでした。
結論は「iモードは高い! なんでJーPHONE並に安くならんとか!」でした。



2001年04月02日(月) 19歳の頃

明日4月3日は祖父の25回忌の法事をやります。
19歳のときだったから、あれから24年経つのか。
エッセイにも書いているが、あの年はろくな年ではなかった。
大学は落ちるし、仕方なく行こうと思った短大はつぶれるし、じいちゃんは死ぬし、バイトの面接で26回も落とされるし、本当に前半生の地獄を集約した年だった。
あの頃の精神状態は普通ではなかった。
ずっと後になって、その時代を振り返った詩がある。

 「19才の頃」

 雨が降りしきる 小さな街の中を
 いつも傘もささずに ぼくは歩いていた
 十九の頃ぼくには 何も見えなかった
 時の流れでさえも

 いつも自分を作っては 日々を送っていた
 大人びたしぐさに 人目を気にしていた
 十九の頃ぼくには 自信もなくて
 つまらぬ人の言葉に 流されていた

 あえない人の影を ぼくは追っていた
 いつか巡り会えると トランプをめくった
 奇跡をいつも夢見ては ため息ついた
 そこから 一歩も出ずに

 過ぎた日の想い出に ぼくは縛られていた
 戻らぬ日々を 築こうとして
 十九の頃ぼくには 夢もなくて
 自分の心の影に 流されていた

実際はもっとひどい状態だった。
異常でしたね。
おそらく当時の自分と対面しても、「こんなの俺じゃない!」と思うでしょうね。
そのかもし出す雰囲気だけで、毛嫌いするでしょうね。

明日の法事、24年前の自分に会ってきます。



2001年04月01日(日) 酔っ払いのおいちゃん

最近酔っ払いのおいちゃんが頻繁にやってくる。
最初はいろんな人に絡んでいるだけだったのだが、最近は押売りもやっている。
山で芋や筍を掘ってきたと言っては、勝手な値段をつけて売っている。
酔っ払っているもんだから、時々大声を出して脅している。
立派な押売りである。

今日うちの女の子に筍を1000円で売ると約束していた、と筍が2つ入った袋を下げてやってきた。
たまたまその子が食事中だった。
売場に居座って、「どこに行ったんか?」とか「だましたんか?」とか言って吼えていた。
誰もまともに相手をしなかったので、頭にきたのか筍の入った袋の中に痰を吐いていた。
そして「この筍は、いい筍ぞ!」と、袋の中から筍を一本取り出した。
その筍にはさっき吐いた痰がベットリ付いていた。
結局店長がなだめて帰らせたが、閉店前にもう一度やってきた。
ぼくに「大将!」とか言って、大声で口汚いことを罵っていた。
ぼくが「いくら酔っとうからといって、そんなことを言うたらいけんやろ!」と怒鳴ると、「すいません」と言って話題を変えた。
きっと小心者なんだろう。


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