東京の片隅から
目次|きのう|あした
駅ホームの有人売店がどんどん減って自動販売機に置き換わっている。 ジャンプ500万部時代は遙か彼方、アプリで新聞も雑誌も読める時代にわざわざ紙の雑誌や新聞を買う人も少ない。ガムもミントタブレットに置き換わった。そもそもの需要が減ってるんだろうし、改札を出ればたいていコンビニがある。 JRならコンコースにミニコンビニがあるのだが、地下鉄にはそういう店が少ない。持ち歩く可能性のある鞄には必ず飴やグミを入れるようにしているが、喉が悪く咳が出がちな人間にとって、鞄の中が心許なくなったときに、とっさにそういうものを買える場所があるといいな、とは思う。
子どもが最近図書館でライトノベルに手を出し始めた。 自分が子どもの頃もコバルト文庫とか読んでいる子はいたし、何も読まないよりも、何か読む習慣をつけた方がいいと思うので、あまりエログロでない限り内容には関知しない方針。
それまではいわゆる名作と言われる児童文学を一通り薦めては見たものの何となく本人には響かなかったようだ。まぁそうだよね、今の子にはちょっと古いかもしれないよねぇ。 自分が5年生だともうルパンホームズドリトル先生やケストナーは終わっていて、江戸川乱歩クリスティナルニアゲドあたりに入ったところだったか。中学受験組だったので「君たちはどう生きるか」とか「ろうそくの科学」とか「路傍の石」とかとにかく日曜テストの問題文になっているやつはだいたい読んでいたはず。あと親の本棚から司馬遼太郎とか、日本経済新聞に掲載されていた渡辺淳一とか読んでた(笑)。
で、ライトノベル。 連続ものの場合、前の人が遅いとつっかえてしまうという問題が発生する。短編連作でどこから読んでもだいたい問題ないものならいいけど、今読んでいるのはそうじゃないらしい。区内の他の図書館にもあるので、まとめて予約するのだが、Ⅰ巻の次は3巻が先に用意されて2巻はまだ来ない、とかある。 とりあえず先に届いた本の引き取りをギリギリまで延ばし、借りて手元に積ん読しておいて前の巻がくるのをまた待つという作戦をとる。うちの次に予約している人には悪いんだけど、返すときには一気に返すので勘弁してください・・・。 自分も中学校の時同じ経験があって、結局オズの魔法使いシリーズは最初の1巻か2巻だけで返却を待てずに読まなくなっちゃったなぁと。
ギョルゲ・ササルマン「方形の円」読了。 「偽説・都市生成論」という副題もいいし、表紙が野又穣だ。それだけでも手に取る意味がある。オマケに開いてみたら活字も実に私好み。 ルーマニアのSFというか幻想小説?になるのか。架空の都市にまつわる短編集。もう今は亡い都市についての文章なので行間からにじみ出る滅びの匂い、どこをとってもめっちゃ好み・・・! 今回は図書館でハードカバーで読んだけど、文庫になったら絶対買う。でも文庫でこの活字を再現できるだろうか・・・ダメなら久しぶりにハードで買ってもいいな・・・
長いこと同じアーティストのファンをやっていると、このコード好きなんだな、とか、こういうリズム好きなんだな、というのが見えてくる。新旧の曲が混ざったり作ってみたら似てしまったと言うことにならないのだろうかと考えるが、リリースされるまでに周囲が気づくんだろう。まぁ似ているからこそライヴで新旧の曲がランダムに並んでも違和感がないという利点もある。でもときどきすごく変わる人いるよね、アレはアレでタイムトラベルのようで面白いのでアリ。 もっとも、ベートーベンだってモーツァルトだってバッハだって、有名じゃない曲でも聴けばメロディラインや和音や使用楽器などで誰の曲だとわかるわけで、お気に入りの旋律は使い回したりもしている。 古今東西みんな手癖で曲を作ってるし、別にいいんじゃないかと最近は思うようになってきている。
指先が完走しすぎて、スマホの画面をスワイプできない。
2021年02月23日(火) |
コロナ>インフルエンザ |
コロナのせいでうがい手洗いが徹底されているせいか、テレワークの普及で風邪を引いているのに無理に出社する人がいなくなったせいか、今年はインフルエンザにかからずに乗り切れそうな気配。毎年なんだかんだと罹患しているので、無事なら何年ぶりだろうか。学校のほうも学級閉鎖は回避できそうな感じ。今年は時間数がギリギリなので、もし学級閉鎖がでたら春休みを短縮して補習になると言う恐ろしい話を聞いていたので、一安心か。
ダフトパンクがいきなり終わりを迎えた。確かに最近は活動してなかったしなぁ、と納得する気持ちもあるが、インターネットに上げられた動画はまるで短編映画のようで、画面も音楽も美しいのにひたすら切ない。見終わった後ものすごい喪失感が残る。
麒麟がいなくなっちゃってすっかり麒麟ロス。 次の大河ドラマも面白いんだけど、演者が若いと私は興味が薄くなる傾向がある。 若々しさを演出するための芝居とか、若さ故の勢いとか、そういうのが演技の上手下手と関係なく見ていて気恥ずかしくなってしまうのだ。だから麒麟も最初は毎回見ていたわけではない。 もっとも、主人公が武家出身じゃない(途中からなるけど)幕末もので、明治維新をどう描くのかは気になる。最近の学説に乗っ取ると薩長は正義の味方じゃなくて明治維新はクーデターやテロだったし、主人公の経歴的には幕府寄りの描き方になるとは思う。新政府をどう描くか。首相が長州じゃない今、そのあたりには期待する。
自分が若い頃バラエティ番組でえげつないことをやっていたお笑い芸人がいつの間にか好感度アップしていたり文化人顔して教養番組で司会をしていたりする。人は変わることが出来るものだけど、何だかうさんくささを感じて、せっかく面白い番組でも話半分。 そういう意味で、未だにお馬鹿コメディアンとアート系映画監督(最近撮ってないけど)を両立しているビートたけしは偉いんだな。
コロナで急な休校になってからもうすぐ1年。まだ終わりは見えない。 たぶん感染者数の増加と減少の波が幾度か繰り返されて、その波の上下差が少なくなってきたら通常モードに戻るのだろうけど、それはたぶん来年頃になるのだろうと思う。(オリンピックは本当にやるのか) でもそれまでにいろいろ変わってしまうんだろうな。学校行事とか地域のお祭りなどのイベントは勿論、飲み会や外食のありようも変わるだろう。会社も変わるだろう。マスク着用も、花粉症の人以外にも定着するだろう。 コロナ前とコロナ後で、それこそ教科書に残るくらい社会ががらっと変わってしまうんだろうな。それがいいことなのか悪いことなのか、渦中の私にはまだわからない。
「山怪 Ⅲ」読了。この前読んだⅠ・Ⅱに引き続き、山人からの採話である。古い出来事もあるが、ごく数年前のものもある。 こういうのを読むと、得体の知れない存在は確かにあるんだろうな、と思う。 高尾山の裏で一人で山を歩いたことがある。 高尾山~小仏~景信山あたりまではまだ人がいる。その先はハイキングシーズンでも陣馬山山頂まであまり人に出会わない。でもどんな山でも気配は充ち満ちていて、そこら中に「なんかいる」「見られている」感覚はあるのである。 本州の山も怖いけど、西表島の山も怖かった。あれは本当になんかいる。生きている山だ。呼ばれて入ったら出てこられないと思う。現にそういう人がいて、尋ね人のポスターが貼ってあったりする。
子どもの頃、電車に乗って出かけると、乗っている間、切符の4桁の数字を加減乗除して1からどこまで作れるかというのをよくやっていた。どんな数字でもだいたい16までは作れる。そこから先がどうにもならなかったりするので、思わぬところまで出来るとラッキーな感じ。きょうだいで連番になることが多いから、そっちの数字の方が良かったなんて言い合ったり。 今にして思うと、あれは基礎的計算力を涵養するのに丁度良かったなぁと思う。 今は全部ICカードだから、便利だけど、そういうところの楽しみは薄くなってしまった。
子どもがマスクのワイヤーを嫌がる。確かに大人でも上手く嵌まらないとイラッとするので、子どもならなおさらだ。布マスクのような形の三角マスクをつけている。 で、思ったんだけど、あのワイヤー、樹脂のものが多いけど、子ども用だとそれでもまだ硬いんだろう。厚紙とかの紙素材で出来ないものだろうか。一日もてばいいんだから、むしろ紙のような吸湿して柔らかくなる素材のほうがフィットするんじゃないだろうかと素人は考える。それともプロがもう試作してダメだったのかな。
年度で仕事の区切りがある業務がある。こちらからは通常のルーチンで動けば間に合うように早めに連絡しているし、だいたいの客先は逆算して行動してくれる。だが、ときどきそうじゃないところがあって、無茶振りやゴネがあるときいて、今からげんなり。忙しくなるのは承知だけど、無茶振りは辞めて欲しいなぁ・・・
隣家の猫は女王様気質で物理でもかなり強い。隣家の方によると、旦那さんしか抱っこできない、他の家族は触るのも難しいそうだ。 彼女は我が家の庭も縄張りにしていてデッキを横切ることがあるのだが、一度家の中から声を掛けたことがある。 まさか自分の名前を呼ばれるとは思わなかった彼女、家の中をまじまじと見て声の主を確認し(隣家の奥さんと知り合い=特に害がないことは認識しているらしい)去って行ったが、その後、デッキを通るたびに家の中を確認していくのが可笑しい。気にしてるんだ・・・。
同じ画面を見ているのに、会社だと無意識で入力できるパスワードが家だとわからなくなる問題。会社の座席にパスワードが埋め込まれているのだろうか。
大学生の頃、人気がある企業と言えばJTBだった。特に女子に。華やかなイメージがあったことと、採用人数が多かったからだと思う。そりゃあんなにあちこちに支店があれば採用数は多いだろう。私は接客業は向いていないと思ったので最初から考えていなかった。部活で交流のあった他大学の先輩がどこだかの内定を蹴ってJTBに決めた、と聞いたときはそんなに人気があったんだと実感したくらい。 あまり旅行代理店を使う人間ではないが、それでもツアーで行くときはまず最初にJTBでパンフレットをもらう。だいたいどこにでもツアーがあり、集客力があるからか催行される可能性が高い。敦煌に行ったときは、同じ日程の他社ツアー(JTBよりちょっといいところがあった)が流れて最終的にJTBに集まった人が何人もいた、という笑い話もあった。 会社の勤続記念で旅行券をもらったときも窓口に行ってこの予算で母子で旅行できて旅行券を使い切れるところ、とざっくりした説明で宿と交通手段を組んでもらったときは流石プロだなぁと感心した。 いまはそういう使い方をする人も少ないのだろうけど、でもこれまで培ってきた団体旅行への強みはなくならないだろう。それでもかつての人気業界が苦戦しているのを見ると、花形産業は移り変わるものだなぁと思う。
田中康弘「山怪」「山怪Ⅱ」読了。 マタギや林業など山に関わる仕事、山間部の集落に住む人たちから聞いた怪異話を集めたもの。昔話ではなく、せいぜい一世代二世代前くらいの話。現代版「遠野物語」といった趣。出版元が「山と渓谷社」なのが何だか信用できる(笑)。 現実には説明できないこと、説明できるけど不思議なことが訥々と語られるが、書き手の地の文がユニークなので怖いけどそれほど怖くない、という不思議な話。 自然の中にはまだまだ人智の及ばない何かがあるのだなぁ、と思う。
2021年02月10日(水) |
コロナのせいで廃れるもの |
コロナで廃れるものは、会社の飲み会と、義理チョコだろうか、と考える。
通勤時に公園を横切る。公園には池がある。この時期は生物の気配も少ない。今年は池が余り凍らなかったな、と思う。この時期まで凍らなければ後は春までほとんど凍らないだろう。今年の春は早いかもしれない。
現状週2でテレワーク。もともと2路線のうち片方は半年定期を購入してやっと回数券よりも安くなるというしょぼい割引率なので、今後もこの状況が続くなら定期券では元が取れないと思う。でも次回更新時も結局定期券を買うと思う。回数券を買うのが面倒くさいのもあるし(地味に時間ロスする)現状実家に通う回数も増えているので、定期券があった方が何となく便利。会社が実費精算ではなく定期券代を支給してくれるのが一番大きいが。 定期券は偉大だ。これがあるからこそ、土日に車では行きにくい(駐車料金が高い)街中に出る気になる。通勤通学途中で途中下車して書店や画材店に行かれる。ファッションビルじゃないあたりがヲタク。定期券があると行動範囲が広がる。それはすなわち自分の世界が広がることと同義だ。
子どもが「Wの悲劇」を「ワットの悲劇」と読んだ。まぁ小学生だとそうなるよなぁ。
いつも思うんだけど、食器洗い乾燥機の「○人分」って、絶対そんなに入らない。 象印夫人(岩下志麻)がかつてCMで言っていたけど「本当に測ったの?」と訊きたくなる。 たぶんメーカー側が想定している食器が、茶碗とお椀と大皿と小皿、なんだろうなぁ。おかずは先にめいめいの皿に盛りつけちゃって余りも出ない方式。残り物も食卓に出さないから保存容器もない。我が家は大皿に盛って各自で取り分ける方式なのでメーカー想定の皿数よりも多くなる。 そして、茶碗はともかくお椀はあの溝には入らないんだよね。ぴったりし過ぎて洗えなかったりする。ちょっとずらして配置するとこんどは数が入らない。 どうにかならないものかなぁ、と日々パズルのように頭を悩ませる。
「発言を取り消します、妻にも怒られました」って、自分じゃ悪いことをやったと全く思っていないけど、怒られたからやめるってことか。とても無責任だし、言い訳がママに怒られた幼稚園児みたい。この年齢までこれでやってきたって、人間性が恥ずかしい。親の顔が見たいとはこのことか。でも親はもっとひどいんだろうなぁ。 ココの選挙区出身の同僚がいるんだけど「・・・いろいろ話はありますよ」と言っていた。「・・・」に相当いろいろあるらしい。
女性の多い会議がなぜ長引くのかと言うなら、男性ばかりの会議がなぜ早く終わるのかも問わなければならない。喫煙室や居酒屋などの非公式な場所で勝手に内輪だけで決めているからなのか、男性は上の立場のものにおもねり媚びへつらうからまともな議論が起きないのか。もしくはいてもいなくてもいいお飾りのトップだから大事な話から最初から外されていることに気づいていないのか。
会社の人、お子さんの中学受験は無事終了したとのこと。 勉強はあまり好きではない子だそうだが、とにかく中学受験の体制に持って行けただけで尊敬する。家はどうあがいてもダメだった。 学童を続けないでさっさと塾に放り込んでおけば良かったのかな。まさか4年生で入れるとは思わなかったんだよな。 もう過ぎたことなので仕方ないのだが、これからずっと、もう(受験しないと)決めたんだけどもやっとする、そんな場面が続くんだろうなと思う。
テレワークの時の昼食が面倒くさい。自分一人なら適当でいいが、義父がいるのでなにがしか形にしなければならない。「適当でいいよ」と言われても額面通りにとれないのが実情なわけで、でも料理するほどの時間はない。麺をゆでるのがギリギリ。結局食パンがあればそれとハムと野菜を適当に並べることが多い。毎回同じものでも気にならない二人だからいいが、こだわりのある人だと面倒くさいだろうなぁ・・・。
リゾート地でリフレッシュも仕事も、という動きがあるようだが、無理じゃないかなと思っている。 有給休暇を取ってもスキー場のゲレンデに電話がかかってきてネットワークのトラブル対応に追われるまーさんを見てると、あまりいいものに思えないんだな。
ハード面での条件としてはWi-Fiが飛んでいること、電源が潤沢にあること。自分のパソコンは持って行くにしてもプリンターはできれば現地にあってほしい。あと仕事が出来るサイズの机と椅子とちゃんとした照明。よくホテルなんかにある電球色の薄暗い照明、アレではダメだ。できればモニターも欲しい。 そもそも先立つものがなければ大変だ。それとも自社の保養所を活用するのか。昔友人家族の勤務先の関係で出版社の保養所に泊まらせてもらったことがあるが、確かに作家をカンヅメにしやすそうだった。温泉がついていてリフレッシュルームで卓球が出来て自室もあるしリビングもある。
実際、成果主義で時間に縛りがないならともかく、勤務時間の縛りがあったらリフレッシュする時間がない。昼休みや定時以降ぶらぶらする?上げ膳据え膳ならともかく自分で食事の支度して食べて片付けるって1時間結構ギリギリだと思うよ。定時以降は田舎はもう外が暗いからなぁ(苦笑) 共働きの場合、片方だけワーケーションになるのだろうか。子どもも連れて行ってもデイキャンプみたいに面倒見てくれるような場所はないだろうから、結局片方は子どもの世話に追われて仕事できない。それだと自宅と変わりない。片方だけワーケーションに行ったら「お父さん/お母さんだけずるい」になるのは容易に想像できる。 結局、これは、独身者か既婚者でも子どもがいないかもう大きいか、そしてお金がある人が考えた机上の空論なんだろうなぁ。
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