痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2003年01月30日(木) 情熱

マイブーム。熱い。それは新規ではなくて、懐かしのマイブーム復活なのですが。

最近食べ物の日記かかないなあ、とお嘆きの貴兄に(これも数十年飽きずにお気に入りのフレーズですなあ)ホームに食べ物掲示板があって、どうもそっちにコネタを書いてしまうので、長い文にする気力が簡単に発散してしまわれるのであって。
大江戸屋さんも覗いてみてください。

そうでした。ブームは”微塵切り”ですだ。
それも キャベツ。
微塵切りの醍醐味は圧倒的にタマネギにあるんですが、キャベツもいい。特に冬キャベツはかたいので、汁がでにくいです。

キャベツの微塵切りをどう使うかっていうても、お好み焼きしか思いつかないので、このところ毎日お好み焼きやもんじゃを食うております。
しかしあくまでもブームの中身は 微塵切り であって 粉モノ ではない。
でも、よおく微塵にした、キャベツをたくさん入れたお好み焼きはおいしいよ。ご家庭お好みの時には、ここをサボらずケチらずすると、お店のお好み焼きのようになります。あと、からしマヨネーズは必須。キューピーさんで、出しているからマヨは簡単でいいね。

このところ、野菜をいっぺんに沢山食べようと、いろいろ考えていた時に、ふとスーパーで考え無しにキャベツを一玉買ってしまい、食べきれないよね、キャベツはすぐ黒ずんでくるし。しかたなし、考え無しにまな板の上にのせて、なんの将来ビジョンもなく包丁で半分、四分の一、八分の一、十六分の一・・・とやっているうちに、ウォー、サクサクサクサク・・・・、気づくと大量に微塵切りをつくっていた。ボールにいれて始末に困り→お好み焼き とあいなったわけです。

思い出しちゃった。家庭科実習というものをやっていた当時、毎回野菜の下ごしらえ担当(生魚 生肉が触れなかったから)をかってでて、キャンプにいった時も50人分の牛丼のタマネギの串切りをかってでて、いつでもヒトには譲らなかった。
ねっからこういう より細密に、な作業が好きなのですね。なにより感覚的に包丁がショリショリするかんじが好きなのです。

それにしても、自分がやりたくないものは、なんとかしてやらずにすませ、やりたいことは絶対他人に譲らない、いやな子供でありましたな。こりゃ、ほかの子供の自我がはっきり目覚めた頃にハブんちょにされたのも仕方ないこってすね。

みじん切りのBGM用に、CDラジカセを台所にもってきたりして、いまブーム最高潮。



2003年01月29日(水) 実験結果

成人女子はなんども、ふうむ・・・
と思い巡らしたこともあるでしょう。
シュクベン(恥じらいカナ)
本当に、そんなに腸に?
一気に3kgも?
からだに毒素?
お肌もキレイに?

しかし、グッズが無駄に高い。腸内洗浄は、怖い。
が、今年にはいって、早一ヶ月。前進してない自分。去年とは違うことをなにもやっていないと気づき、他に思いつかなかったのでやけくそ気味に試してみました。

結果発表。

そうでもなかった。

でにくい体質の方以外は、べつに一生やらなくてもいいみたいよ。

毎日普通にだして、腸内善玉菌が気になるのなら、ヤクルチョでも飲んでればいいってかんじ。
アルコールで腸粘膜がやられているひとは、エビオスでも飲んどけ。

どうも活性酸素と腸内悪玉菌は、うさんくさい。

溜めこむのはなんでもよくない、というのはわかるけどね。
入れたらだす。これが健康と若さの秘訣でしゅよ。お金もそうだぜよ。
今回は、「やってみた」ということに対価を支払ったかたちですね。不可価値は、ひとに経験を話せる。かな。
恥じらいつつ。



2003年01月25日(土) お散歩日記 =テクテクと=

に題名を変更しようかと思いましたが、このまま続行。
散歩は大事ですね。PCで懸賞サイトばっかりまわってないで、今年は散歩と睡眠を大切に生きようと思いました。

というわけで、昨日サインシャイン水族館にいってパソコンショップを回って、買い物にはしるより、今あるソフトを無料バージョンアップした方がよいのでは、と思いつき無駄金をつかわずすみました。

水族館はねえ、一番楽しかったのはプリクラと、お土産屋さん。

水槽の中の生き物に見られるというのは、野良の犬猫に見られるのとはマタ違いますね。彼らは人間を見るプロ、というかんじです。なにしろ、水槽の中に入れられてから死ぬまでほぼ人間の定点観測をしつづけているわけですから、この水族館育ちの水の生き物がそのままドンドン繁殖して何世代にも渡っていくと、海や川や池にいる野生の水の生き物とは違う進化をするのではないかと思います。

それぐらい彼らは見にきた人間を見ているよ。野生の奴らはチラッと見ると、すぐ視線を他に移すけど、ここのモノたちは長いことこっちを見ているもん。
いわしみたいに忙しない回遊魚はグルグル回りながら、一周するたびに、チラッってみていく。マンボウなんかはもう、自力では簡単に方向転換できないから、目が合うと睨み合い状態。ものすごく退屈していそう&観察されている居心地悪さで、こっちも目を離すタイミングがつかめない。

晒し者にされつつも、むしろこっちが冷静に眺められているような、逆観察の感覚におちいるのは、動物園よりも水族館ですね。水の動物の視線には表情や感情が感じられないからかな。


タカアシガニの写真ばかりたくさん撮ってしまったのは、美味しそうだったから。
カニ爪 一本でいいから食べたい。カニって再生する・・・んだったっけ?



2003年01月23日(木) 召し上がれって飯あがれなんだぜ、知ってた奥さん?

やっぱり、彦市はイヤな奴だったぜ。(彦一はまちがいでした)
そしてなんと、吉四六さんも同じくらいイヤな奴だったのでした。
おまけになんと、全国に同じくらいイヤな奴は、彦七さん、吉五さん、是市さん、吉右衛門さん、万六さん、半七さん・・・ と沢山いたんだよ。

ああもう とんち名人に愛すべき人はいない。
これが、研究結果です。

小ズルくて、働くの嫌いで、頭がまわり、ヒトの揚げ足をとり、ケチで、執念深くて、復讐心が強くて、法の手がまわらないように動くのがうまい。

そういう奴なんです、とんち名人って!
なんとなく、貧しくて、愚かで、上昇できないサダメの昔の庶民の中で、頭をつかって、権威や支配層をギャフンといわせて、ふ~胸がすくね、ってなことを漠然とイメージしていたとんち名人ですが、違いました。
こいつらは、全部自分がまわりの馬鹿どもと同じように働くなんて、っへっ!
という思いの元に、持てるところから掠め取り、決してひとにわけず、しかもみせびらかす、そんな奴らなのでした。

子供向けのギャフンで終わらせるようなとんち話は巧みに偽善ちっくに繕っていたけれど、イヤな匂いは隠せなかったね。
長い長い、とんち話への、うさんくさい・・・という疑惑に終止符が打ててよかった。これはねえ、想像するに、昔のひとも、
「はあ、いつでもどこにでも頭のいい奴ってのはいるもんだよ、うらやましいやら、でもどう思うよ?」
という苦笑い話だったのではないかと思いまする。だって、とんち話ってとんち名人がその後どうなった(その後は長者になって安楽に暮らしました、とか、長者の娘と仕合わせに暮らしたとな、めでたし。みたいな)の著述というか語りがないんだもん。興味はその出来事というかトリックで、主人公の肉付けは最初の説明文(頭がよくて怠け者でとか)だけなの。新本格派ミステリーみたいね。


ながながお付き合いありがとうございました。とんち話はもうおしまい。
でも昔話はまだ、つづくかも。
どうして、カニの爪にはちょびっと毛がはえているのか、ついに知ったわたしです。



2003年01月19日(日) のれんに腕おし

東 と書いて、なんで あがり と読むのだろう、という以前からの疑問が氷解しました。
西 と書いて、いり と読ませている文を読んだからです。
お日さまがあがる方が東、でお日さまが入る方が西だからなのですね。

昔話はすばらしく楽しくて為になるなあ。
わたしの小さい頃、ドリフの全員集合!が、親が子供に見せたくないTV番組ダントツでナンバーワンだったのですが、その頃学校が親に配ったアンケートの中に、
子供にみせたいTV番組はなんですか?
というのがあって、ニュースだとか、自然番組だとか、音楽コンサートとか、つまり文化・教育番組ばかり並んだなかで、ただ一つ
「まんが日本昔話」
という回答があり、アンケート結果が配られるや、
「誰の親だよ~」
とクラス中の笑いものにされたのですが、むろんうちの母だったので、わたしは黙っていました。あああ、今ならバンと机を叩いて
「いい番組だよ!」
と名乗りをあげるのに。

そう、またまた脱線して、とんち研究は進まず、昔話ばかり読んでいるのです。
研究者いわく、長いお話は脚色・創作含みと疑え。
だそうです。やっぱりね。
おむすびコロリン も、やたら長いバージョンがあって、話がうますぎる感じだもの。だいたい、昔話はそんなにうまくオチないし、説明文がほとんど無いものね。

とんち話はやっぱり あんまり好きじゃないんだな。頭のいい人のお話、ひとをギャフンといわせる話ってそんなに気分のいいもんではないもんね。なんつうか、復讐的なものを感じるのよ。
でも、まだ、やめません。

なんていうか、夏の、鈴虫とオタマジャクシ フィーバーの頃の日記を彷彿させるこの頃の話題。ああ、みんなあんまり興味ないんだよねえ、そうだよね。

糠に釘。

大好きなことわざ。似た意味の題名の諺よりも良くできている。
まず、シンプルでしょ。情景の絵づらが面白いでしょ。ナンセンスでしょ。
のれんを押すのは、まあ馬鹿らしいけど、お笑いトーク。でも糠に釘をうつのは、力技のシュールなコントという感じです。



2003年01月17日(金) とんち

図書館に調べものにいくと、すぐ脱線して違う方向の本を山ほど借りてきてしまう。
今年は、活字離れしようと思っていたのに。本を読むより手足を動かそうと遅れ馳せながら思い立ったり、正月あけて2週間で元通りだったり。あいかわらずだったり・・・

でも今回の研究テーマは、クリスティと違いすぐ終わりそうです。
(クリスティも挫折・・・いや一時休止中)

吉四六さん と 彦一さん では、どちらが愛すべき”日本一のとんち名人”なのか。

なんとなく、彦一さんは子供心に、小賢しいぜ、と思ったような記憶があります。
でもうろ覚えだから。
吉四六さんにいたっては、焼酎の名前の方が今のわたしには一番に浮かんでくるので、、呑ん兵衛の気のいいおやじ≠小原庄助さん、といった人物像にいつのまにか記憶が塗りかえられていたようで、彼のとんち話はまったく覚えていないありさまです。

しばらく、わたしの手元には、「彦一とんち話」や「吉四六とんち話」の本があるでしょうが、どうぞお願い。
「なんの本読んでるの?」
と手元を覗かないでください。
「なんで、そんな本読んでるの?」
と、聞かれても わたしにもわかりません。
大抵、ひとの読んでいる本を覗くひとは、上記の質問をし、最後に、
「おもしろい?」
「ふーん」
「がんばってね」
とその場を立ち去るからです。
邪魔をすまい、と早々に去るのはありがたい。でもだったら最初から話しかけてくんなあ。どうせなら、もっと会話をふくらまそうよ。いや、それも邪魔か。


そうそう、昨日の「おむすびコロリン」ですが、いろいろなパターンが見つかりました。
もしかして誰も興味ないかも、と薄っすら思いつつ。

・おむすびの数は1個 3個 沢山 とバラバラである。
・おむすびが全部無くなっても歌がききたいお爺さんは、包んであった竹の皮まで わざと落とし、すると穴から「竹の皮までコロリン(?)スットントン」という 歌が聞こえ益々楽しくなっちゃったお爺さんがみずからはいるという実にお話と
 してしっかりしているパターンもある。(でもこれはのちの童話作家のつけたしくさいように思える)
・穴の中にはお爺さんが みずから入る、うっかり落ちる、2パターンある。
・穴の中にいるのは、ネズミ ウサギ お地蔵さま(確認済み)などで他にもある
 かもしれない。
・お爺さんはおみやげに、ネズミorウサギのついた餅とお宝の葛篭をもらう。(大
 小選ぶパターンは今回読んだなかには無かった。なお、お地蔵さま版は後ほど)
・よくばり爺さんは
 (ウサギ版) みやげに勝手に葛篭を強奪しようとするが、ウサギに杵でボコボ
        コにされる。

 (ネズミ版) イイ爺さんにも悪い爺さんにも、はじめにネズミの方から、「一
         緒に楽しく歌い踊りましょう。でもわたし達はネコの声だけは苦
         手なので、どうか宴の最中にネコの声は出さないでください」と
         いう警告があり、イイ爺さんはそれを守ったが、強欲爺さんは宴
         なんかどうでもいい、早く宝が欲しい、いっそネズミどもを追い
         払ってさっさと葛篭を奪おうと、ネコの鳴きまねをして、一斉に
         ネズミがあわてて逃げたので、明かりがなくなり穴の中は真っ暗
         。葛篭がどこもまったくわからず、爺さんは狭い穴の中でオロオ
         ロとあちこちの壁にぶつかり、みずからボロボロになる。(どう
         もこれも半分くらい童話作家の匂いがする)

 (地蔵版)  これは全然話しが違います。爺さんは穴の中でお地蔵さまをみつ
         け、おちたおむすびの、泥のついた側を自分でたべ、きれいな所
         をお供えにします。するとお地蔵さまが、いまからここに鬼が博
         打にくるから、自分の笠の影にかくれろ。そして鬼が酔っ払った
         ら鶏の鳴きまねをしろ、と言います。爺さんは恐れ多いと辞退す
         るんだけど、押しの強い地蔵さまにおむすびの礼だ、押しきられ
         ます。爺さんはその通りにして、鬼は爺さんのコケコッコーを聞
         いて朝がきてしまったのだと勘違いして、賭けていた金銀を置き
         っぱなしで棲家に逃げていき、爺さんはその賭博の金を地蔵さま
         にもらいます。強欲じいさんは泥むすびをお供えしてきれいな所
         は当然自分で食べた、勝手に笠の影にはいり、コケコッコーまで
         は一緒なんだけど、そのあと慌てる鬼たちをみて、つい笑ってし
         まい、鬼に気づかれてボコボコにされます。

わたしはやはり、ネズミ版が好きです。賭場の金を横取りするお地蔵さま版も捨てがたいが。




2003年01月16日(木) メロディ

アニメ日本昔話はかつて毎週みていましたが、どんなふうに表現していたんじゃろうか。覚えてない。
なにって、”おむすびコロリン”ですよ。
正確には、山仕事にきたおじいさんが昼飯にしようとして弁当の包みをひらいたところ、つい手落としたおむすびがコロコロころがって、しまいに深い穴に落ちてしまって、あ~せっかくばあさんが作ってくれたおむすびが・・・と、じいさんが悔やんでいると、穴の中から聞こえてきた歌、
「おむすび コロリン スットン トン」
の歌のメロディですよ。
補足すると、穴の中にすんでいるネズミ達が、落ちてきたおむすびで餅をつきながらうたう歌ですよ。
再補足すると、あまりに楽しい歌なので、おじいさんはもう一度歌を聴きたくて持っていた全部のおむすび(全部で3個だったように思う)を次々に穴に落としたばかりか(これだけでも昔話であるからには、豊かでない日々の糧を想像するに、大きな代償であるように思う)とうとう、不思議な現象への怖さも忘れ(その時点ではネズミが歌っているとはしらない)、みずから!うたの仲間に入りたくて穴の中に飛び込んだ。
それほどの歌ですよ。

しりたい。歌ってみたい。
なんとなく今まで、日本のメロディだから、そんなような、ことばの抑揚とかで
→↑→→↑↓↓ ↑ ↑ ↑
おむすびころリンスットントン
こんなイメージがあった、昔話を読んでくれたひとが、みんなそんな節回しだったような気もするし、覚えてないけど市原悦子がそう語ったのかもしれない。

あああ、しりたいねえ。活字の中の、五感ものは強烈に残るね。体験してみたい、という渇望がいくつになってもよみがえってくる。味・匂い・色・手触り・そして音。みんな、この世にないほど素晴らしい!ものなんだけど、形は違えどもの自体は実在する(ホットケーキ、もち、お酒、花、水、布、宝石、ひと etc...)
からよけいにこのお話にでてくるものを、食べてみたい、見てみたい、聞いてみたい、触ってみたい、嗅いでみたい、と読み返すたびに思ってしまう。

そして、音はいままで、この世のものとは思えないような音色、と思っていたようなんだけど、”おむすびコロリン”を読むとどういう歌=メロディ=節だったんだろう、とこの頃は思うのです。

そんで、”おむすびコロリン”は、いいお爺さんが、小さい葛篭、強欲じいさんが大きい葛篭、そういうお話だったっけ?
”舌切り雀”と”ここ掘れわんわん”と同じ結末だったような、そこが少し興ざめだったような記憶があるんですが。
あれ?あした図書館で確かめてみます。



2003年01月13日(月) ノアール

ものすごく酔っ払った状態をフランスではこう表現するんだって。真っ黒。闇。
昨夜は久しぶりに、千鳥足まで、酔ってしまいました。下北沢で飲んで、一人ぬけ二人ぬけ、さすがにお布団が恋しくなったので、帰ろうと思ったらまっすぐ歩けなかった。このままタクシーに乗って気持ち悪くなったらサイアクだ、という理性はあった(いやいつも理性は最後まである)ので、酔い覚ましに少し歩いてしばらくしたらクルマをひろおう、と歩き出したけど、いつまでも酔いはさめない。
いっそ、強制リバースして憂いなくしてからタクシーをひろおうか、とやってみたけど、なにも食べずに飲んでいたので、カラオエばかりでなにもでない。

しかたない、歩いて歩いて、理性はあっても酔っ払いだからテキトウに角をまがったりしているうちに自分がどこにいるのかわからなくなってしまい(ほんとうは大原くらいまで歩くつもりだった)、もしかすると、もうすぐ電車が動くかもしれないから、(時計をみろ)それならそれで、タクシー代がういてラッキーだ!もうすこし歩くべ、と酔っ払いの論理でどこでもいいから駅をみつけようとまた歩いたんだけど、世田谷の住宅地に入りこんでしまったみたいで、全然 駅どころか、大きな道にでくわさない(どっち方面という標識がみたかった)。コンビニもなかった。
1時間くらい歩いたのかなあ、疲れちゃってさあ、マンションの駐輪場がすごくイイ寝床のように思えて、1時間だけ、携帯のアラームかけて寝ようかな、でもひとにみつかったら恥ずかしい(怖いと思わないのが酔っている証拠)と誘惑を何度もふりきり、やがて酔いが少し覚めてひたすら眠く重い足をひきづり
「えき~、なに駅でもなに線でもいいから、えき~」
とゾンビのようにサマヨウうちに、どうも井の頭通りの何本かうらの道をを歩いているようだと気づき(酔いがさめてきたからね)、もしかしていままで逆、新宿方向でなくて吉祥寺方向に歩いていたのではと怖くなり(でもまだ酔ってるからね)、もうあわてて目に付いたタクシーをとめました。
(駅はどうしたんだ。電車なら数駅分くらいたいしたことないだろう)

正常な状態ですと、酔っ払いの行動・思考には、例え同一人物だとしても後々ツッコミたくてたまりません。

どうも最終的に笹塚付近をさまよっていたみたい。
深夜未明、世田谷の住宅地でクルマをとめ、下町へいってくれ、という女(年齢職業不詳)。運転手さんも気持ち悪かったよね。むさしのたくしーさんは下町のことがぜんぜんわからず、
「とにかく しのばず通りへでて上野方向をめざし、わからなくなったら起こしてください。わたし寝ます。」
というと、
「じゃあ、無理やりおこしますよ。ほんとにわたしわからないんですから」
と運転手さんがかえし、あとはわかりません。声をかけられて目をあけるとワープしたように、うちのそばでした。

もうなにもできないほど眠かった。
でも起きたらちゃんとコンタクトもはずし鍵もかかりチェーンまでしていた、えらい。

酔うと怖くなくなるのが怖いね。



2003年01月09日(木) 収穫

初詣には夕方から行ってはいけないよ。
屋台がみんな店じまいです。焼きとうもろこししか買えなかったよう。
このウラミは浅草ではたす。

さて、毎年恒例のおみくじは、まず初手にいきなり凶をくらい、
待ち人・・・こず
失せ物・・・でず
縁談・・・・ととのわず
病・・・・・ながびく
屋移り・商売・学業・もろもろすべて・・・わろし、急くべからず、まて

ふ~む、全部なにをやっても駄目ゆえに凶なのだなあ、と納得。
すぐに枝に結んで、再度ひいたらば 末吉。
待ち人・・・おくれる
失せ物・・・やがてみつかる
縁談・・・・あせらずまて
病・・・・・やがて快復す

微妙だ。上り調子になるのはすごく先の話なのね。口先だけでごまかされているようでいっそ、でず・こず の方があきらめがつくわい、と先ほどよりも腹をたてて枝ゆき。
すると、夕方に行ったせいか、結ぶそばから、管理のおじさんたちが茶摘みのようにせっせとはずしては黙々と(ゴミ)袋にいれていく。大漁だ。あ~あ、見えないところからやってくれればいいのに。
こういう時、
「いやでなければ、こっちの袋(透明ゴミ袋)にいれてください(同じことですよニッコリ)」
と丁寧におじさんから頼まれるのと、どっちがいやだろうか。
わたしは前者だね。一言いえばいいじゃん。片付けますからね、って。見えてるだろう、結んでるのが。言われれば、そうだな同じだなって思えるのに。
今年の目標「ことばをおしまない」

その後、3回おみくじをひいて、大吉2本 吉1本。まあまあの収穫です。
明日もいくつもりです。フランクフルトを食べたいです。小さなお守りつきおみくじは、「瓢箪」「銭亀」「恵比寿」でした。あと「招き猫」と「かえる」が欲しいです。いつも年始めに財布にいろいろ入れておくんだけど、一年たつとみんなどこかにいってしまう。

ひそみ居し ふちの龍らも時を得て 雲井に登る かげのめでたさ

大吉より。お坊さんの飯のたねでございます。



2003年01月06日(月) 大きさ

ヘビーローテーションスモーカーにとって、すぐに手元にライターが見当たらない、というのはとにかくイラタダシイことであります。とくに飲んで帰った翌朝、あんなに部屋中にゴロゴロしていたライターが一つもみつからない、かばんにもポケットにもない、なぜだ!昨日キオスクで新しいのを買ったではないか!
もう!畜生!とガスコンロに口をひっつけやっと点したタバコのまずいことはいうまでもありません。

しかしここ数ヶ月そんなこともなくなりました。自分の思いつきを誉めてやりたい。
ライターは微妙に小さい。なにかの影にかくれていたり、隙間に入り込むと簡単にはみつけられない程度の大きさです。
それで、わたしは100円shopでデカライターを3個買ってきました。通常のライターの倍の長さ。これをデスクと寛ぎスペースに1個づつ配備。予備の1個は同じくいつもライターを探してる仲間のEちゃんにあげました。

なくなりません。その存在感。あ~ おしゃれには程遠いですが、その信頼感。そこにあるはずであるところをめざせばそこにある。
それにいつまでたってもガスが減らない。まあお得ねえ。

でもいいことばかりじゃないのよ。
タバコの美味しさなんてものは、ああこの味!うまあい、というのは10本に1本か、ヘビーになれば20本に1本、そんなもんなのです。たいていは、パックからとりだして、火をつけて、吸いこんで、フー うま・・・ そんな程度で二口目からはもうどうでもいいのです。
大事なのは、思い立ったときこの3つの動作がスムーズにいくことなのです。
それはリズム。生活のなかの一息だと自分で信じているフーまで、なにか考えたり煩わしいことがあったりしては うま・・・ にならないのです。そんなもんなのです。タバコなんて。だから習慣性の中毒になっちまうのでしょう。

でもそれだけじゃなかったみたい。デカライターを導入してからは、スムーズという点でイライラさせられることはほとんどなくなったのだけれど、どうもフーが以前ほど美味しくない。ぼんやりと、なにか違和感があるんだよなあ、と思っていたのですが、今日たぶんそういうことだろうという見当がつきました。
デカライターは大きすぎるのです。しっかりと握ってそれでも手にあまる大きさなのです。なんというか、普通のライターは手に収まる大きさ、つい玩んでしまう大きさ、ゆえになくしやすいのですが、あの大きさと手にすっぽり収まる感が、今までのフーへの道の一端を形作っていたのでしょう。スムーズは、リズムやタイム感だけでなく、道具のもつ抵抗感の大きさもかかわってたみたいなんです。
簡単にいうと、デカライターはタバコに火をつけるにはちょっともてあます大きさ、その動作に道具としてそぐわない馬鹿みたいな大きさ、持ちばかりしすぎて意識的すぎる、タバコ吸うのに手に邪魔なかんじ、ってわけなのです。

でも、なくならないしな、頼り甲斐のある奴だし。
そういうわけで、部屋にはなくならないデカライター2個と入ったり出たりのはげしい普通のライターがゴロゴロと何個あるのか分からない状態なのです。

今年もよろしくお願いします。



2003年01月02日(木) 年頭としあたま

日本の正月を満喫。
箱根駅伝をみてカリユキの活躍にビールを飲み、大学ラグビーをみて法政を判官びいきしてはワインを飲み、高校サッカーをみては日大の付属高校は日本中にいったい何校あるのだろうかとお節をつまんでシャンパンなどあけてみたり、
そしてお昼ね。
母は福袋を買いにでかけました。

初夢はですね、すごく久しぶりにamiの夢をみましたよ。しかし姿はみえない。そして、両足を思い切りみえない手にひっぱられている。(それがamiだとはっきりわかっているわけです)死んだひとに思い切り足をひっぱられるというのは縁起がいいのか悪いのか、わからんちんです。

今晩はすまっぷの番組をみよう。わたしはクサナギつよポンの大大大ファンなのですが、グループ全体にたいして興味がなかったのです。しかし今日は正月らしく特番をみますよ。

今年のテーマは ミーハー と決めました。

はやくロード・オブ・リングスⅡみたいな。公開を待ちわびる映画なんてひさしぶりだ。


 もどる  もくじ  すすむ


ITCH [HOMEPAGE]

My追加