今日は隅田川でした。木曜日は荒川だったね。 テレビで隅田の花火をみていて、退屈して3階に上がったら、家の窓から見えるではありませんか。 ありがたみは薄いが。 何万の人が浴衣を着ておでかけしたのでしょうね。
わたしだって今年は二枚も浴衣を買ったのに。 一緒におでかけするする人が・・・
なにより、帯がない。 浴衣は気に入った物があったのですが、帯がね。なかなかいい浴衣帯・半幅帯がみつからず。 セットモノの帯はひどいんだ。
さあて、わたくしの怪我なのですが、実家に帰り両親にみられ激しく心配されることをひたすら恐れていたのですが、まだ気付いていない!
おもいきり対面する食卓でも、いつも結んでいる髪を、うっとうしく頬にたらして隠しているということもありますが、それだけ治りが早いということです。 だって結構大きな範囲だったのよ。 3日のライブでは、たぶんそれほど 「うわ~・・・」 ということにはならないと思います。
しかしなぜ、両親にしられたくないのか。
① 酒を飲んで怪我した と告白するのが恥ずかしい ② 怪我が顔なので心配の度合いがいつもとは違うだろうと思うと少しウザイ ③ 事故が数度目なので、「またか」と思われたくない ④ なんとなく失敗の話をしたくない
いろいろあるのですが、なんかいい年した娘にこんなことを告白されては可愛そうだ、というかんじ。
今日気づきました。わたしって親からたまに まー坊 と呼ばれている。
うわー、八月ですよ。
あのね、もう 超薄切りハム→ピンクのお肌 になりましたよ。一部キズが深かったところはまだ、生ハム混じりの薄切りハムですが。 とにかく治りが早い!
万歳 最新医療。 万歳 そういう医者をみつけた自分。
もう、十年前の治療方法と全然違うね。 キズは乾かさない。 カーゼや包帯をしない。 不思議なシート。
でもいまだに、昔ながらの キズを毎日消毒してカーゼを替えて という治療で治るまで1ヶ月もかかる という医者もたくさんあるので結局は最初にどこに行くかなんですね。 今回のセンセイは女のひとで、 「あたしはセッカチだから1ヶ月もかけてられないよ。まして顔にねえ。」 と言っていました。頼もしい。好きなタイプ。 たしかに顔にガーゼを貼って1ヶ月なんて、おとなしく治療にすべてを投じようと決心してても、この酷暑に耐えられないよ。
まあ、これからキズ跡の色が変わったり 盛り上がったりしないよう暫く薬を飲まねばならないのですが、根拠無くキレイになると信じているし、 最悪は、形成治療があるようなので、それもまた試してみたいし。 ヨーグルトの件もあるし。 毎日じっくり鏡をみなければ。
怪我は全身にあるのですが、とにかく見えるところがアレなもんで、やはり四谷さまが祟ったのでは などと言われてもいますが(怪我したのはお芝居の打ち上げの帰りだった) たぶん関係ないですよ。 酒が祟った。 これは確実。
毎日医者にいっています。 今日は鏡をみせてもらった。
最初 傷ははっきりただの傷だったのです。 センセイに処置してもらって (ズル向けた皮を全部チョキチョキ切り取られゴシゴシされた。ひどい擦り傷には麻酔をかけて、傷をブラシでゴシゴシ擦るという荒業も使われるらしい。そのほうがキレイにナオルらしいけど、そこまででなくてよかった。) 傷→生ハム になりました。 ここで保護シートをかぶせ、素晴らしきリンパ液(みたいなもの)に任せていると、今日は 生ハム→超薄切りロースハム にまでなっていました。 次ぎにシートを剥がすの水曜日! 楽しみ。
さて、フランス療法を信じて 日々ヨーグルトの大箱を二箱は食べているのですが、もう飽きた。 それからたしかヨーグルトには入眠作用があるんだったか、眠くてたまりません。 でも眠いのは、全身に打撲を負った身体が治ろうと全力をつくしているのかも。
顔を怪我していると、まわりの人間は、だいたい アッと気付き、横目でながめ、目が合うとそらすというか俯きます。 これが弱者のもつ力か・・・ といい気になって いつもよりゆっくりレジでお金を払ったりするわたし。
わけあって怪我をしました。 わけは酒です。 またか。 懲りずに。 というところです。 ただ今回は顔なのです。 ほっぺたをズル剥いてしまったのです。 まあ、広範囲だけど浅い。ところにより少し深い傷なので 直るだろうと楽観はしています。 皮膚科の先生もきれいに直してあげるといっていたし。 ?身体の場合は 直す ではなく 治す かな。
それで、皮膚の再生には ヨーグルトがいい という話です。 フランスでは常識らしいです。 友人も、フランスで階段から転げ落ち、両手を激しくズル剥いた時に、フランスの皮膚科の医者に 「とにかくヨーグルトを食べろ」 と言われ ひたすら大量に食べつづけたところ 今では 傷跡・あざのかけらもありません。
よしわたしも食べます。 と、無調整ヨーグルトの大箱をバクバク食べたところ お腹がピーピーです。 でも食べるぜ。
女として顔の怪我は落ち込むところなのでしょうが、はじめから根拠もなくナオル と信じているので、このヨーグルト皮膚再生実験にドキドキです。
でもヨーグルト売り場で迷う。乳酸菌?ビフィズス菌?Lなんとか菌? どれがいいのかな。伝統からして今のところ 乳酸菌ものを選択しているのですが。 すると やくると でもいいのかな。
アメリカではお腹をこわした子供に医者がコカコラを飲ませるようすすめる(ぺぷしでもいいのかどうかはわかりません)という話も一度は信じて子持ちの友人に薦めまくったのですが、誰も採用してはくれませんでした。
暑くて 熱くて(どっちかというとこっち) とてもPCなんかいじっていられないぜ。 日記に書くようなこともないぜ。 あるのかもしれないけど、脳みそくんが 認知・記憶をしてくれない。
39度ってなによ。 そんな熱、3歳のとき以来 だしたことないよ。 なんでしょうか、なにか体内に入った悪いウィルスをやっつけようとしているのでしょうか?
身体=地球 ウィルス=人間
って笑点の歌丸さんか。
恥ずかしいという気持ちもどこかうつろ。 将来 後悔するかもしれないが、やけくそ気味にこのままUPだ。
2004年07月15日(木) |
ボンジョルノ ミア マードレ |
今日、バイクで橋の上を走行中、 どうしても 母をたずねて三千里 の主題歌を 正しく歌いたくなり、 ビデオ屋で借りてきました。 最終巻。
滂沱の涙。
男の子は愛するもののために大人になるのだなあ。
ずっと、むにゃむにゃ歌っていたサビ前の歌詞もわかりました。 メロディも頭の中にあったものとちょっと違っていた。 歌いやすく勝手にいじっていたみたいです。
これがその歌だ。
はるか草原を ひとつかみの雲が
あてもなくさまよい 飛んで行く
山もなく谷もなく なにも見えはしない
けれどマルコ お前はきたんだ
アンデスに続くこの道を
さあ出発だ いま日が昇る
希望の光 両手につかみ
ポンチョに夜明けの風はらませて
かあさんのいるあの空の下
はるかな北をめざせ
子供の頃はわからなかった。 アルゼンチンの草原には、ほんとうに山も谷もないこと。 マルコが出会う人々に、顔の白いひと茶色いひとがいること。 小さな樽のようなものを吸っているのか飲んでいるのか、なんだか全然わからなかったけれど あれはマテ茶だったのですね。 かあさんがなぜ外国に働きにでねばならなかったのか、とうさんがジェノバの貧民窟で診療所をひらくために借金をしたこと。 そしてマルコが最後にジェノバに帰って一生懸命に勉強して医者になって必ずアルゼンチンに帰ってくると言ったことも忘れていました。
エンディングの歌とイラストも大好きだったこと。 地球がくるくる回って 反対側にいるかあさんのところにいまお日さまがのぼったかな かあさん おはよう という歌。
こんな歌が歌えるアニメ歌手になりたかったことを思い出しました。
はじめて知ったこと。デザインは 宮崎 勲 だよ。
大家さんはバルサンも焚いたらしく、おかげで我が隠れ家には小さなプチゴキが次ぎから次ぎへと登場しては、わたしに殺されています。
今日は東京のお盆の入りです。 うちの大家さんは、毎年ちゃんと迎え火をたくのです。 未亡人だしね。
わたしはお墓参りもいかないし、野菜の乗り物もつくらないけれど、 大家さんに便乗で、お線香がわりに蚊取り線香をたいてお出迎え。 霊を迎えて 蚊を送る。
ちゃんと帰ってきたかしら。
きのう近所ですごい火事があったのです。 JR駅近くの12階建て(くらい)のマンションの上の方の階だったので、ハシゴ車は何台も何台も次ぎから次ぎへとやってくるし、通りは封鎖されるし、新聞社のヘリコプターは何時間もやってきては旋回しているし、そりゃもう大騒ぎだったのです。 が、選挙の夜だったので 全然全くちっとも報道されませんでした。
でも気になっていた。だから、 そうだ 銭湯へ行こう! と思い立って、一番混む時間帯 23時帯にわざわざ出かけたのです。
ズバリ狙いは的中だ。 いつもよりまた一層混んでいる。 この沼の主 ガマガエル婆も、その腰巾着のアフロ婆も来ている。 話題は火事の話し98%。 お婆たちの背中流しッこ率たるや、100%! まさにメスばっかりのカエル沼。 もちろん「お背中ながしましょ」の目的は昨夜の火事の新しい口コミ情報が欲しいから。
そこで私が、耳ダンボ(死語か?)で集めたところの情報。
① 火事場は10階らしい。 ② あそこの子供はアフロ婆の上の子か下の子か、でも確かにどちらかの同級生らしい。 ③ あのうちは、あのマンションに引っ越すまではアソコのマンションにいたらしい。 ③ ガマガエル婆の家の前に消防車が横付けされ、車がだせなかったので、 遊びにきていた娘は泊まっていったらしい。 ④ 9階8階は水浸しでそこの住民はほとんどあのホテルに泊まったらしい。 ⑤ 火元の家は火事の時には全員るすだったらしい。 ⑥ それは間違いでお嫁さんが一人でいたらしい。
役にたたん!!!
が、銭湯社交は生きています。健在です。 一番しつこく誰にでも何度でも火事の話を持ち出していたのは アフロ婆。 さすがの腰巾着魂。
なにかといえば、現在使っている石鹸です。 パリでしこたま買いこんだ、いちじくと蜂蜜 あんずとオレンジ とかのシリーズの(たぶん)夏限定版。 試作の段階で りんごを混ぜたくなった気持ちはよく分かります。 メロンの匂いってかなり強烈、そしてしつこい。 あの水水しさに騙されている。あれはやっぱり瓜一族の野菜なんだ。 日本人なら誰でも、スイカの匂い=かぶとむし と連想するように、 メロンの匂いはキリギリスを連想させる。 キリギリスがどんな形か忘れちゃったけど、でかいバッタでしょ。 毎日、お風呂の中で私の頭の中をバッタが飛び跳ねています。
さてオーケストラを観賞してきました。 いつも一番好きな瞬間は、一番最初 指揮者が登場する前 コンマスが立ちあがって どこからともなく A というか ラ というか 1点イ音 というか、 とにかくチューニングの音が プワァー と広がっていくところ。 ここでゾクゾクっとします。 大抵これ以上興奮するところはなかったりするんだけど。
今回は、ヴァイオリンのソリストが出ましたが、アクロバティックな指の動きにもすぐ飽きてわたしはひたすらトライアングルの人を見ていました。 盛り上がってくるとあんなに何十人ものヴァイオリンさん達が 音量を上げようと必死でこすってこすりまくっているのに、たった一人のトライアングルさん。 鉄を叩くだけでなんと音が響くのでしょう。 ものすごい集中。 あれかな、一回一回 今のはジャストしかもいい響き!今のダメ とか叩きながら思っているのかな。 チーン チーン チンッ と短くあわてて(そう見える)音を消すところが好きです。
ラベルのボレロもずっと疑問だったことがわかってよかった。 あれはやっぱり小太鼓の人が鍵だったのだ。 ずっと奥にいたパーカッションさんが、この曲だけは指揮者の近くにいたし、最後にスタンディングしていたもん。一人指揮者からお花ももらっていた。 今回はちょっとラストのダダダダ と崩れ終わるところがいまいちだったけど、ラストの為だけにいるシンバルさんも好き。 最近パーカッショニストは女性が多いなあ。
ロックやジャズやら含めてポピュラーミュージックの人がクラシックや伝統芸能に混じるとすぐわかります。 みんな首のすわりがわるいというか、姿勢がよくなくてたいてい肩や首が上下左右に大きく動きがちなのです。 ちょこちょこ手で顔を触ったり、足を踏み変えたり、自分が弾いていない時もじっとしていない。 集中して演奏している時も唇をなめたり身体のどこかでリズムをとったりどこかしら、演奏と別な部分が動いている。 そこまで教育されてない、手本は音だけで無意識の姿勢なんかは一朝一夕では変わらないってことなのかな。 悪いこととは思わないけど、合奏ではすごく目立ちます。 どっちが格好いいかっていうと・・・ 人間的だけど、普段っぽいんだよね。 あ、きっとあのトロンボーンさんもバンドやってるな、と楽しく推理。 ジェフ 君もだ。
ドラマは初回の30分と最終回だけみて、その間は想像して楽しむのがいい。 そうじゃそうじゃ。 すると、一目ボレのお気に入りの登場人物が なんじゃそりゃ? といった奇天烈+ご都合主義のキャラクターになったりしない。 まったく一筋も予想たがわず、行間を埋めるディテイルもなく、初回に頭の中で書いたあらすじのままじゃん、文にしたら半ページでいいじゃん という脱力もない。 だってヨソの刺激も受けたいけど、時間をかけてみて、こりゃ思ってもみなかったわい、と思うことなんてほとんどないんだもん。 プロットが面白いと思ったら初回30分〈イントロダクションだけでもいいか)と最終回の前の回の次週予告をみる。で、収まるところに収まりそうだったら最終回も見る。
冬ソナも、つい初回をお風呂屋さんの脱衣所で見てしまったので、そろそろ最数回かと思って今日みてみたらまだでした。 でも今回は記憶喪失がもどるかも!そして交通事故再び!!という王道の醍醐味の回だったのでよかった。 そして意識不明のヨンさまは、なんだかアイラインにグリッターのように怪しく光るものはついているし、顔色はいいし、色々な意味でよかった。 ヨンさまか・・・ 魅力は唇とみました。
次週もみるかどうかは不明ながらたぶん見ない。 次回こそ最終回をみよう。
ヨンさまはいったい何日くらい意識不明だったのでしょうか? 時間の流れがわからなかったなあ。 2週間くらいか?
絶対に意識がもどると信じて待つ状態というのは、経験がなくてもわかる気がするような気がするのですが、信じたいけどれたぶん絶対もどらないと思っていてけれどもなにかを待っているという状態は経験したのに実感としては前者より遥かに遠い。
気がする がポイントか? 何度も読んだ台本だからか?
でも今日は光化学スモッグ注意報がでましたね。 下町だけか? 区役所の放送が鳴り響くなんて何年ぶりでしょうか? 隅田川がきれいになった頃からスモッグも出なくなっていたのになあ。
今でも小学校の屋上に 注意報は黄色、警報は赤の旗がたつのでしょうか。 スモッグがでるとプールに入れなくなるのでいやだった。 黄色なら入れたんだっけかな? しかしわたしたち昭和の子供は朝から 今日は注意報そして昼前には警報に変わる と肌でわかったものです。そしてどうか風よ吹いてくれ!と祈ったものでした。 スモッグは今日のように朝のうちに風のない日、東京中をドンヨリとラップをかけた丼のように覆いこみ、日中に車の量が多くなり工場の排気が増えると益々膜を厚くして中にいる人間を苦しめる。 朝、起きた時にすでに息苦しいと感じたら、注意報です。 口をあけて犬のようにハアハアしたくなったら警報です。
そして強い風が吹いてくれると解除になるのだ。
で、スモッグがでると (って毎日でているんだけど目に見えて人間に毒なほど出ると)外での遊びが禁止される。超警報だと窓までしめる。スモッグデイは高温多湿と決まっているので、冷房のない小学校の教室は地獄でした。 でも窓を開けていると、目が痛む(シパシパしてあけていられなくなる)吐き気がする等の症状を訴える生徒の人数がジワジワ増えていき一人抜け二人抜けで保健室に行き(保健室には冷房があった!)授業にならないどころかやがてパニックになるのです。
今思うと、実際に目が真っ赤になっている子とかもいたけど、半分は集団ヒステリーじゃなかったかな? だいたい風の入らない30度以上の部屋に40人も子供がいればデリケートな子供は気分が悪くなる。それに、 そんな気がする→そうだ→絶対気分が悪い それに気分が悪いと言った方が全然平気と言うより、いま現在トレンディだ・・・ と、わたしもいつも心の隅で考えていたような気がするし。
いや、実際スモッグはかなり身体に悪いよ。本当に目が痛んだりするよ。 でも、教室中の子供が入れ替わりたちかわり水道に目を洗いにいったりしていたのは、騒ぎに乗り遅れたくない気持ちも28%くらいはあったと思う。サボりたい気持ちも16%くらい。昔の子供は真面目だったなあ。
おじいちゃんが死んで、葬式が終わって、親戚中がわれさきに、 むしの報せを感じた と言い出した時のことをほんのり思い出しつつ。
わたしも言いました。しかし一番乗りは従姉妹だった。
眠って眠って、お風呂に入ってボーっとしてまた眠って、ビールを飲みながらこれを書いています。 そう、帰省中です。 今日、家族全員分のお皿を洗っていて 幸せだなあ と思いました。 でも隠れ家はすごいんだ。小さな虫が湧いている。 たぶん一週間くらい前に食べた枝豆の皮などのゴミに沸いたのだと思います。 とうもろこしの芯かな。なんにせよ10日くらいゴミ捨てをしていないから。 固く縛ったゴミ袋を廊下に出し、とりあえず蚊取り線香を焚いて逃げるように出てきましたが、今頃・・・
毎度毎度、もう十数年も芝居をやっているのに、いまだに打ち上げと称する飲み会が嫌いです。 とくに発見の会は毎度、100人近い大人数で、いったいどこに座って誰と何を話せばいいのか、何度参加してもわかりません。 ま、この打ち上げは役者のためのものではないので、スタッフやお客さんに、 ありがとうございます していればいいのですが、正直 退屈。そして困惑。 打ち上げに残るようなひとは関係者や昔からのファンなので、毎度誉め殺すか、毎度ダメだしをするからです。 十数年前と芝居が違うだけでまったく、同じようなお言葉に はあ、 ええ、 失礼ですがなにをなさっている方ですか? と相槌をかえす夜。 それが打ち上げ。
仲間づくりが苦手で、こういう機会に知り合いになった方々と今後発展的なお付き合いを100%絶対にしない 今までの経験から だいたいいつもあの辺に座ってよく知っている人とその知り合いくらいの人と会話をしていよう と作戦を練っておくのですが、今回は失敗。 打ち上げ迷子になってウロウロ会場を見まわしているうち、結局 座のど真ん中に呼ばれて台風の目のように静かにつまらなく座って飲んでいました。
名刺をもらってもかえす名刺はなく、電話番号交換している人たちを横目でいいなあ、と思いながらも自分が尋ねられると、 かかってきても困る・・・ わたしもかけないだろうしなあ と逃げ腰になる。 もう本当に打ち上げは嫌いです。 でも、仲間づくりをしている人たちを いいなあ と思っていることも本当です。 わたしは、作品が終わると一回一回 人間関係も完結 がスッキリして好きなだけで、それはフロントだからいえることかもしれない。 スタッフや裏方は、ビジネスだけでない協力、作品や人間への興味で次の作品への参加の仕方も変わってくると思うから、様様なジャンルで別々に参加している人と話して今後のコネクションやネットワークをつくるのは本来のその人のやっていることにも有効だと思うのです。
ま、役者もそれで、別な集団に客演したりチャンスがあれば違う媒体にでたり、なにより次への動員を増やしたり その気になればいろいろプラスにできるんだけどね。
でも親しくただ飲んだくれたい。 祭りの終わりに一人で帰りたくはないけれどここにはいたくない。 いつもいつも 楽日の夜の葛藤です。
あ、お芝居は久しぶりにやっていてずっとずっと楽しかった。 ここ数年ですっかり着物を着ることが苦にならなくなりました。 カエル大集合写真を早速、添付でもらったので、週末くらいにUPしたいです。
|