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故郷によく似た違う町 - 2003年02月24日(月) 本日は心斎橋の専門学校で私が授業を受け持つ各学科の担任と教務主任と顔合わせ。おKをシルバー人材センターのN婦人に託し、大阪へGO。 JR大和路線で天王寺駅まで3駅。1駅目の王寺駅-2駅目の久宝寺駅間は風光明媚な大和川沿いに汽車は進む。そして久宝寺駅-3駅目の天王寺駅間で風景は1変。住宅街が込み合いだし、高速道路が高層ビルと絡まりあうような大都会へと突入する。スモッグにかすむ大都会を見るとほっとする。これは私の育った町の風景だ。でも東京ではない。似ているけれど違う町。ソウルを訪れたときに感じた「パラレルワールドの安心と孤独」というか「ほっとする違和感」を思い出す。 仕事は1時間程でさくっと終わり、3時間ほどフリータイムがあったのでアメリカ村のランドマークであるビッグステップというビルにあるオーガニックレストランで食事をし、持って来た英文と専門の本を読む。英文はジェンダー関連の短い論文なのだけど女性への虐待がテーマでした。 夜、夫@あめでおに「イギリスでは100カップルのうち5カップルが家庭内暴力発生カップルなんだって」と論文の受け売りをすると「出典はナニ?」と追及されました。ジェンダーを論じるときってなんで、論者がそれぞれの性で当事者に肩入れしちゃうんだろう。イギリスの100カップルの話をしているのに、なぜか私とあなたの話にトランスしちゃうんだよね。フシギ。 ... 友、遠方より来る - 2003年02月23日(日) 本日は、なんとなんとあのYAYOIさまが斑鳩の地にご降臨なさいました。 YAYOIさんのやさしげで上品で冷静でマイペースでミーハーなあののほほんとしたオーラを久しぶりに感じて心が洗われました。 さて夫@あめでおは基本的に来客好きですが(1部の方は家への出入りを禁止されていますがソレはあくまで1部の方です)、斑鳩に引っ越して、縁者と遠くはなれてしまった私を不憫に思ってか、来訪者にはひとかたならぬ感謝の念を抱いているようです。YAYOIさんを迎えての昼食の準備も率先して行いました。 YAYOIさんがいらっしゃる前に「YAYOIさんってどんな人だっけ?」と問うので「やさしくて上品で冷静な関西出身な人」と応えると、大変喜んでいました。あめでおの好む(男女問わず)人間の傾向のすべてクリアしているのです。ところで「激しく、熱い関東の女」な私(あめでおの正妻)はあんまりあめでおの好む人間の傾向をクリアしていません。人生ってフシギだわー。 私が「あめでおはテレビのこととかぜんぜん知らないんだよ。」とYAYOIさんにいうと「うちの夫はTOKIOのメンバーくらいは全員じゃないけど言えるかな?」とお答えになりました。ソレを聞いていたあめでおが「わしだって、お釈迦様の十大弟子くらいは全員じゃないけど言える」と挑戦していました。ちょっと論点がずれてます。 YAYOIさんがお帰りになった後、法隆寺でYAYOIさんを囲んで撮ったデジカメの映像を整理していると娘1号がYAYOIさんとあめでおの2ショット写真を指差し、 「おとうちゃん、おかあちゃんよりこの人が好き?」 という激しい問いを無心にしました。 あめでおはどぎまぎと 「ええっと、おかあちゃんの方がスキだよ」 と応え、1号は 「よかったねえ、おかあちゃん」 と喜んでくれました。 YAYOIさんもこんなところで引き合いに出されては迷惑な話ですが、YAYOIさんの来訪を家族でとっても楽しんだってことで、お許しあれ。 ... 聖徳太子御忌-法隆寺マニアなひとびと - 2003年02月21日(金) はああああ! 今日は上記の法要が法隆寺にて執り行われたのに、ころっと忘れて参加できませんでした!! きいいい!くやしいいいい! 法隆寺の年中行事を探るシリーズ完成は来年以降に持越しですわ! ところで三蔵会(2月5日)と涅槃会(2月15日)と続けて参加した私ですが、私のほかにも法隆寺年中行事マニアの皆さんがいらっしゃいます。アマチュアカメラな皆様と何が目的かわからん人がいます。私がライバル視している人にちょっと濃い目の顔をして老婦人を伴ってくるハンサムな40歳くらいの方がいるんです。何が目的かわからんグループです。私は10ヶ月女児を常に伴っているので老婦人を伴う彼とは格好な好敵手。 しかし10ヶ月女児は突然泣き出す危険性があるので、突然泣き出さない老婦人連れの彼が時々うらやましいですわ。 ああ、ライバルは今日の法要行ったんだろうな。 次はちょっと渋いですけど道詮忌(3月2日)ですわ! ... サルベージ「2人の貞子」 - 2003年02月20日(木) なんにも書くことがない日が続くので、サルベージ日記。(過去掲示板で面白かったネタを拾うという企画ものです。ちなみにサルベージとは海中からお宝や難破船を引き上げるという意でございます。) あれは当HP開設直後、そして私が無職浪人になった直後のことです。皆様からの無職浪人を励ます書き込みが相次いだのです。その慰め方が微妙に個性的だったので掲載します。 ======================== 「タイトル:本日の給食はカレーだった模様」 投稿者:らいむ 投稿日:12月 4日(水) 今は職探しで大変そうだけど、マダム貞子も言ってるじゃないですか。「女の人生は男より長いんだから、長いスパンで人生設計たてなさい」 それだけ世界遺産な街に住んでるんだもん。心の準備をしていればきっとぴったりな仕事をするチャンスが来るよ。 ======================== 「タイトル:おお、ひとがいる」 投稿者:マルコ 投稿日:12月 5日(木) >「女の人生は男より長いんだから、長いスパンで人生設計たてなさい」 はー、涙が出るぜ。ところでマダム貞子って誰? ======================== 「タイトル:私の中にサダコが…」 投稿者:れいこな 投稿日:12月 6日 マダム貞子とはオガタさんのことでは? 今年元旦の日経に「世界と歩む」と題したインタビュー記事が出ていて、 私はとても感銘を受けて、滅多にしない切抜きをしてノートにはさんでありました。 で、らいむどん様の書き込みに関係する部分を記事から以下(無断)引用。 --------------ここから-------------- -自らの人生自然体貫く- 自然体を極めると自身が女性であることにもこだわりはないかのようだ。 上智大学で教鞭をとっていた頃、女子大生からしばしば女性が社会進出する不利 をどう克服するか、と聞かれた。 緒方さんの答えは簡明だった。「女性と男性はサイクルが違うだけです」。 女性が子供を産み、育てることは確かに社会のキャリアを重ねる上でハンディになる。 しかし「男性と同じサイクルを歩まなくても出産し、子育てをするのも幸せだし、喜び」。 人生をトータルすれば同じ、の意かもしれない。(中略) 二人の子供の育児や母親の介護もこなしながら学界、そして外交界へとデビューした。 家庭生活にとられた時間を取り戻す秘訣は「勉強すること」だ。(後略) --------------ここまで-------------- 久しぶりに読み返して、改めてやる気が沸いてきました。規模は違うけど。 ======================== 「タイトル:おおマダム貞子はリングの貞子ではなかったのだな」 投稿者:マルコ 投稿日:12月 6日(金) 緒方記事の引用には涙だぜ。感謝。 保存しておこう。 特にココが泣かせる。 >家庭生活にとられた時間を取り戻す秘訣は「勉強すること」だ。 それでは午後は勉強しよう。うんうん。 ======================== 「タイトル:実名だすなって(笑)」 投稿者:ベラ 投稿日:12月 6日(金)夫の マダム貞子は私も好き。 彼女が大臣蹴った時は本当に嬉しかった。 でも、家庭生活に時間をとられたと思った事はないなぁ。 人生無駄なし。 ======================== 「タイトル:大臣蹴ったときは私も嬉しかったよ 」投稿者:らいむ 投稿日:12月 6日(金) そうざます。 「マダム貞子」とは緒方貞子さんのことざます。これがリングの貞子だった場合 「このビデオテープを見たものは7日後に死ぬ運命にある。 人生設計たてなさい」 おまえに言われたかねー! それにしても、 >家庭生活にとられた時間を取り戻す秘訣は「勉強すること」だ。 心にズギュンのきますね。この言葉は今日一番の収穫です。 マルコくん、就職の面接で「目標とする女性はいますか」と訪ねられたら、迷わず「貞子。」と答えてくれたまえ。 ======================== みなさまのそれぞれに個性的かつ気合の入ったお励ましに感謝申し上げます。 春はもうすぐそこ。 ... ジブリな週末 - 2003年02月16日(日) 金曜の夜はTVで「もののけ姫」をやっており、ビデオに録画。1号のジブリ好きに母マルコはわりと協力的。 さらに土曜日は「ナウシカ」の劇を1号の保育園の年長組が鬼気迫る熱演で披露。王蟲も元気に暴走、巨神兵も最終兵器を炸裂させてました(このクラスの担任の先生は男性で体育会系のものすごいかっこよい人。夫あめでおはちょっとこの男性保育士さんにあこがれているようである。ちなみに生活発表会の前夜にベビーが誕生したそうな。いろいろと力がはいったんだろうな)。 本日は町の図書館に行きました。 あめでおが非常にめづらしい休日出勤をしたので娘2人を相手にキレずに時間をつぶせる最良の場所が私にとっては町立図書館なんざんす。 この町立図書館人口3万人の町民の税金で成り立ってるにしては大変優れものである。AVスペースでビデオ・DVDも見れるので娘1号と眠り姫おKと何か観ようということになる。1号はまず「火垂の墓」のDVDを選択。でも機材の都合でビデオじゃないとすぐに見れないというので選択しなおし、「ルパン3世カリオストロの城」を見ることにする。司書のおば様は「あら『火垂の墓』から『ルパン3世』って随分、、、。」とか何とかつぶやいていた。まあ同じジブリ印だしさ。 さてルパン3世だが中学生の頃熱狂してみた覚えがあるのだが、大人になってみてみるとなかなか違う味わいがある。 ルパンの職業は怪盗ということであんまり一般人には共感できないというか、スーパーマンで得体が知れないと子ども時代思っていたのだが、どうしてどうして。カリオストロの城では「10年以上前に馬鹿やって、いきがってた自分」を回想したりしてなかなか共感できるのだ。 多分今の私はルパンと同じ年代だ。 いろいろと円熟味をもって自分の仕事に自信をもつルパンが時々失敗したり、若かった自分を自嘲したりする場面に子どものときはわからなかった共感を抱く。絵で表現されるルパンの肉体感覚みたいなものまで感じる。クラリスより年下だった子どもの私にはあの2人の関係ってよくわからなかったけど。おじさんの願望としてのクラリスや、クラリスが冒険を通してルパンにひかれちゃう気分とかいろいろ見える。 まあ一番よく見えるようになったのは宮崎駿という人の女性観だ。 女性像が揺るがないねえ。可憐(クラリス、ナウシカ、サン:守ってあげたい)と妖艶(不二子、クシャナ、エボシ御前:守っていただきたい)がスキなのねえ。奥さんはどっちの人かな。 ... 風の谷の奈良鹿 - 2003年02月15日(土) 本日はお釈迦様の入滅の日でございます。 そしてそして娘1号が2ヶ月近く準備を重ねてきた生活発表会が保育園で開催されるのでございます。 1号は年中児組の劇に出演。 ラストシーンで虹が出たのを発見し 「見て!虹がでたわ!」と台詞を言って、虹のOHPが客席の後ろに映し出されて、幕が閉じるという、クライマックスを告げる役なんざんす。 しかし1号、練習で声が出ない。先生は 「おうちで何も言わずに、見守ってくださいね。プレッシャーで保育園に行きたくないとか言い出したら、教えてくださいね。」とかなり気を遣ってくれている。毎日練習なのだが、声が出た日は、迎えに行くと「お母さん今日は、1号チャンがんばりましたよーほめてあげてください」と言われ、先生の涙ぐましい1号への気遣いに母も泣ける。本番に向けて1号の調子は上がっているようだった。 母もなんとか1号にがんばってもらいたくて策を練る。 「天才テレビくんワイド」というNHK教育のテレビ戦士という役で子供がたくさん出ている番組が1号は好きだ。 「どうやったらテレビ戦士になれるの?」ときいてくるので 「さあな、アレはスカウトされた子が出るから、生活発表会で上手に劇が出来たらNHKの人にスカウトされるかもなー」 とかいって1号の奮起を促す。ゆるせ1号、母はうそつきです。 ところが本番前日の総練習で他のクラスの先生が不用意に「1号ちゃん声が小さい!きこえへんで」と叱ったらしい。 本番当日初めて1号は「保育園に行きたくない。今日は台詞も言いたくない。」 と思いつめた顔をした。母も担任の先生も胃をぎゅっと絞られるような思いのなか劇は幕をあけた。 1号のソロ台詞は3箇所。まずは前半と中盤の台詞をこなす。 そして歌って踊ってミュージカル調の劇はどんどん進む。 ラストは近づく。あめでおは2台の巨大デジカメで必死に撮影し、マルコも次女おKが飽きて騒ぎ出すのを食糧を供給し続け必死で黙らせながら祈る気持ちで運命のラストシーンを迎えた。 果たして虹が客席後方にOHPで映し出されると しばらくの沈黙 1号の隣の子が1号の袖をひっぱり耳元で台詞を言っている。 「見て虹が出たわ。」 言ったああ!! 声は小さい。でも言った。前から3列目に座っていた私たちには聞こえた。 それでいいのだ。 1号によると 「言えないかとおもったけど、自然に口が動いちゃった」 そうそれを練習の成果と人は言うのだよ。よくやった。 その後、年長組によるものすごく手の込んだ風の谷のナウシカが上演された。 なんだかものすごい鬼気迫った準備があったんだろうなーという劇でした。 1号の担任の先生の様々な方面からのプレッシャーを感じたり、6歳児、その台詞の意味がわかるか?とか様々な物思いの中、鬼気迫る「ナウシカ」の劇を見つめる。 私はナウシカを見たこともあるしストーリーもわかっている。園児の親というのはナウシカ世代だ。王蟲も巨神兵が腐るシーンも青春の1ページとして共有しているだろう。ナウシカは大人が見て、かなりぐっと来る。 ところであんまり人々と青春の思い出を共有していないあめでお(山岳部で山ばっかり登っており映画などは見たことがない人)に感想を尋ねると 「風の谷の奈良の鹿?」 という感想でした。 さて、どっと疲れたり、なにやら感動した生活発表会を終え、私たちは駅前のパンを買って帰宅。 そして午後は法隆寺にてお釈迦様入滅の法要があったので出かけました。 ... イベントの消費者として生きるⅡ-祈りの不在 - 2003年02月13日(木) ちょっと長いタイトルですが正しくは 『地域伝統の担い手とならず、イベントの消費者として生きる』です。 早い話が恵方巻き後日談です。 関東にはない!と言い放った恵方巻きですが、このごろは商業主義との幸福な出会いを経て全国でイベントとして広まってるそうです。 時々掲示板に現れておられるれいこな女史の分析によると下記の通り >私が分析するに、最近は「内食」のアットホーム志向が高くなっているので、 >イベントものを欲した寿司屋とコンビニが結託して >広めたのではないでしょうか? >去年の恵方巻も、イベントとして実験的に試しただけですから、 >ハロウィンのかぼちゃと同じで、ありがたみもなんにもありませんわ。 おお、明晰。 商業主義と出会って地域の伝統は外へと出て行くのでございますね。 さらにれいこなさんが探してくれたこのページは泣かせます。 恵方巻きな方々(いるのか?)はぜひご一読を。 さてここで完結するかと思われた恵方巻き談義ですが 私がれいこな掲示板にて 「太巻きでおなかいっぱいなのに まだこのうえいわしをたべろというのか」と言う意のことをかいたところ 関西圏で青春を送られたご友人@れいこなから 「縁起物を『たべきれない』というのは罰当たりになりかねない」 というご指摘を受けました。 私にとっては太巻きまるかぶりは 「なんだか面白そうだからやってみよう」 と、果てしなくイベントなのです。 私の暮らす斑鳩での雰囲気はご指摘の通り、マジな儀式なわけです。 確かにここで生きていくからにはわーいわーいという雰囲気をあんまりみなぎらせないほうが人々の顰蹙を買わずにすむでしょう。 そこではたと気付いたのですが 私にはマジな儀式がないのです。私には儀式につきものの祈りが欠如し イベントの興奮だけがあるのです。 正月も盆も節分もバレンタインデーもすべて等価なイベントなのです。 じいさんの初盆で都内の実家の前で送り火をたいて 父母は高校生だった私に火の上を飛ばせました。 「これってどこの風習よ。」と冷静に話し合いながら。 父は福島出身と静岡出身の祖父母から生まれ 母は大分出身と大阪出身の祖父母から生まれてます。 福島の祖父はさらに福島と京都の出身の曽祖父母に因数分解されます。 祈りを伴うような地域伝統を私は誰からもなにも受け継ぎませんでした。 伝統行事を実行するとき 「おばあちゃんの在所ではそういうことをやるわけ?」という冷笑、 つまり相対的な価値観にさらされ 伝統行事を放棄したのでしょうか。 あめでおの実家にも私の実家と大変似た伝統行事へのさめ方を感じます。 あめでお実家は100%伊賀上野人ですが 転勤に継ぐ転勤で一家は様々な地域を経巡るうちに相対的な文化観を 獲得したのでしょうか? れいこなさんも「戦争の分断」のせいか あんまり継承してないと自己分析しています。 斑鳩はなんだかいろいろ継承しています。 そこここに祈りがあります。 わたしは昔まじめな民族学徒だったころあちこちの祈りを拾い集めて研究していました。漁村で夫の漁の無事を祈る女たちにも、山ノ神を神社からお神輿にお移し申し上げる木地師の人々にも出会い、畏怖と尊敬を抱いていました。 斑鳩の祈りにイベントの高揚感だけを求めず、 当事者の祈りに畏怖を覚え、それを支える文化を紐解いていきたいものだと思います。 ... 極楽日和 - 2003年02月10日(月) 本日は郡山のハローワーク様へ 失業認定をしに参ります最終回でございます。 週1回の専門学校講師のバイトを ハローワーク様は「就業」とは認めてくださいませんので わたしはいまだ職探し身分と厚生労働省様に認定されているのでございます。 ハローワーク、激混みです。 世の中は不況でございます。 しかし私の心は晴れ晴れ。 なぜなら本日はシルバー人材センターのN婦人がAM10時からPM2時30分まで 次女おKの面倒を見てくれるので ハローワークなんて15分で用事を済ませて あとは私の極楽時間でございます。 ハローワークの担当者のおばさんは 雇用保険期間内に次が決まらなかった私に 沈痛な表情ですが、ハローワークを出た私は郡山駅前の マッサージ・リラクゼーション「楽」に直行! 同じ年くらいの女の人が施術してくれましたが なんと!神の手の持ち主に こんなに簡単にめぐり合えるとは!というくらい グッドにナイスなマッサージでした。 タイの涅槃寺ワット・ポーのタイ古式マッサージ大学で していただいた神聖なマッサージと ちょっと似ています。 その後JRでさらにもう一駅、奈良市へ。 12時前なのに猛然とおなかが空いたので(これもマッサージのおかげか?) おしゃれでパワフルなものを食べようと 奈良三条通りへ。 結局ベトナム料理屋さんでガツンとランチと蓮茶を飲んで 因縁のスタバへいって時間いっぱいまで辞書を片手に英語なんか勉強したりして ああなんて素敵な私の休日。 ハローワーク通いがなくなって もうおKをあづける口実がなくなっちゃったけど。 でも口実なんて人が作るもの。 ふふふ、春はそこまできているなあ。 ... イベントの消費者として生きるⅠ - 2003年02月09日(日) この週末は寒かったり天気がいまいちだったりしたので おうちでバレンタインデーのチョコを娘1号と二人で作ってました。 そんで土曜日は茶色いのを 日曜日はホワイトチョコを 普段、1号に邪険にされているあわれなあめでおにあげました。 娘の手作りチョコ このシュチュエーションにあめでおはヤニさがっております。 ふっ。 チョコレートを湯煎して型にはめる 等と言う乙女な技巧を わたくしはご存知ない青春を送っておりました。 ところが大学時代、深夜の12時ころやっと自主ゼミが終わって 大学近くの喫茶店で 自主ゼミのメンバーと夜ご飯を食べていたら (大体深夜12時までゼミやってそのあと当然のようにご飯が食べられると言うのも 結構不思議な青春でした) 大学院生とのゼミを終えて 同じ喫茶店に流れてきたセンセイが 「みなさんもうすぐバレンタインデーですね(にっこり)」 と自主ゼミのメンバーにコーヒーをおごってくれたので その場に居合わせた男子学生も女子学生も そのセンセイにチョコをプレゼントする羽目に陥りました。 このとき一緒に深夜の夕食をかき込んでいた ななへちゃん(当HP掲示板にときどき現れている人)と二人で わたしは「チョコ作り」と言う乙女な技に挑んだのですが 相棒がななへちゃんだったので チョコの中に「どんパッチ」しこんで 食べたら爆発するチョコレートとかを量産して あっちこっちに配ったのでした。 まあそういう青春のおかげさまで娘に 手作りチョコの作り方を伝授することが出来ました。 こうして商業主義とであったバレンタインデーは 世代を越えて継承されていくのでございます。 あ、でも日曜はお昼ご飯を食べに 近所のお好み焼きやに行ったついでに 法隆寺にも行きました。 友の会会員なので拝観料の必要な場所にもフリーパスではいれます。 法隆寺1週間に1度は行かないとね(あめでお談)。 ... 涙のスターバック - 2003年02月06日(木) スタバ@奈良に行った。 奈良県の県庁所在地、鹿のいる奈良公園のある奈良市は わが町からJRで3駅、所要時間10分。 朝おKを抱っこ紐で体に結びつけ、1号を駅近くの保育園に送りに行き そのままおkをつれて奈良へGO。 午前中前半、おKは爆睡さんである。 でも家にいるとつい家事やっちゃったり、インターネットしちゃったりして おKの爆睡時間を有効活用できないのである。 そんで辞書と本を持って奈良のスタバでお勉強しようと思った。 スタバで期間限定のホワイトチョコレートなんたらという 飲み物があるとべらちの日記で読み コレは是非堪能したいという思いもあった。 スタバにてならんでいたらビジネスマン風のおっさんに横はいりされた。 東京では人々は並ぶことを目的にしてんじゃないかというほど 並ぶことが好きで横はいりというのはもう万死にあたいするくらいの 顰蹙技である。 もし東京のスタバなら店員は横はいりした人の注文を聞かず 先にいた人に 「お客様どうぞ」 と言うだろう。 しかし横はいりした人は注文した。 店員もにこにこしながら注文をとった。 私はかなりむっとした。 ところがオーダーを入れるときに店員さんが私に聞こえるように (横はいりした男性には聞こえないように) こういった。 「ホワイトチョコレートのお客さんのを先に出して」 感動した。 誰も傷つかない。みんなが納得する解決策だ。 さて満足して席についた私だが5行ほど外国語の文章を読んだところで おKは泣き出した。 きみい、いつもは寝ている時間じゃん。 いつものスマイルはどうしたのだ! さすがの私もスタバでどこでも授乳ショウをするのははばかられ 約15分ほどの滞在で帰路につきました。 またいくぞ!スタバ!! まあね、しょうがないや。 ... ワタシノジリツ - 2003年02月05日(水) 法隆寺の年中行事を探るシリーズ。 ああああ、なんとなんと、ついに今日は私は行ってしまいました。1人で。 いや正確には0歳児次女おKと2人で、法隆寺に。 これまで法隆寺に通ってたのは 「あめでおが好きでさあ、こまっちゃうよ、へっ」 というスタンスで、牛にひかれて善光寺ってかんじで 法隆寺通いをしていたのです。 駄菓子菓子!本日私ははじめて自分の意志で あめでおのデジカメひっつかんで出かけましたわ。 法隆寺に。 で今日は何しに行ったかというと 法隆寺で三蔵会というのがあったんざんす。写真は コレですわ。 玄奘三蔵の遺徳をしのぶ法要で 午前10時に侍などの格好をした人が法螺貝を吹いて 寺の僧らが境内の西のほうにある三経院まで行列していって そこで法戦(教義についての問答)を繰り広げるんだわさ。 わたし的には法螺貝を吹く侍を激写しに行ったんだけど 雨が降ってたので1雨がやむのを待って 10時30分頃に遅れていったら、すでに法戦が始まっていました。 残念。 法戦をやってるお堂の中まで入ってもいいんだけど さすがにいつ泣き出すかわからん0歳児連れ込むのも 気が引けたので 三経院のお向かいにある無料休憩所でお茶のみながら 法戦を激写。 あと坊さんの行列の先導役の人が休憩所でくつろいでいたので ついでに(失礼)彼らも激写したのでした。 まあ、インドまでいった三蔵さんもこんな東の果てでまで 拝まれてよかったよかった。 ここにはギリシャ発のエンタシスの柱もあるけどさ、ふっ。 (私がえばってどうする) ... ドキュメント節分 - 2003年02月03日(月) さて、節分。 坂東女をやってたころのわたくしにとって節分とは 「おにはそと~、ふくはうち~。」 とおたけんで豆まいて豆くって終了でごんした。 皆様はいかがでした? ここ大和の国ではね、以下のような感じなんですわよ。 1) 太巻き 夕方、保育園に娘1号を迎えに行く。 保育園の先生から「関東では節分に太巻き食べないって本当ですか?」 と聞かれ、「節分に太巻き食べるってコッチ来て初めて知りました。」と答え 思わず2人で異文化にしみじみする。 帰り道スーパーで太巻きを売っている惣菜売り場へいくとマジで黒山の人だかり。 特に特上巻き(780円)は飛ぶように売れていく。 お店の人がごんごん補給するのにすぐにはけてしまう。 私も黒山に参入し、 特上巻きと海鮮巻きと娘用に少し細めのうなぎ巻きの計3本を購入。 豆まき用の豆も買って帰宅。 マンションロビーで生協の荷物仕分けをしている住人諸君に遭遇。 「太巻き買ってきたよ」と報告すると 「買っちゃったの?つくらなあかんよ」 「今年の恵方(南南東)向いて、食べ始めたら食べ終わるまで1言も口きいたらあかんよ」 と様々な作法を教えられる。 「関東では太巻き食べなかったよ」 というと「じゃあいわしだけ食べはるの?」と問われる。 いわしって?がーん、買ってないよ ししゃもがあるのでそれを焼いて代用にする。 6時前に職場を早退してきたあめでおが帰宅。 家族3人、壁に向かって無言で太巻きを食す。太巻き、結構な量だし 結構時間がかかる。 突然無言になった私たちに次女おKが異変を感じて泣く。 途中醤油がなくなり、娘1号がジェスチャーで 「醤油を足して」と訴えるので台所にとりに行く。 疑問1しゃべっちゃためだが、ジェスチャーならいいのか? 疑問2途中で醤油とりに行っていいのか? 様々な疑問が渦巻く中、無事完食。 1号は保育園で昼も太巻き1本食べたんだって。 しかし30人以上の園児が無言で1つ方向向いて太巻きを完食する姿。 是非写真にとりたい。 2) 追儺式(鬼追い)於法隆寺 午後7時より法隆寺境内西円堂(国宝)というお堂で上記催しがあり 家族で着膨れて自転車でGO。 1261年から始まった国内最古の鬼追いの行事だという。 2月1日からやってる西円堂修二会のトリを飾る行事だ。 法隆寺では鬼は豆をまかずに火をまきます。 ビジュアル的にはこんな感じ(写真)。 写真ぶれてます。 とにかくフラッシュ禁止なので3秒くらいシャッター押しちゃわないと 写らないのでこんなことに。 7回半の鐘太鼓の演奏(1回5分くらいで音程なし。 ケニアの葬式の太鼓みたいなかんじの粛々と盛り上がるかんじの演奏) ののち巨大松明を持った和服の男性4名が現れ、遅れて3人の鬼と1人の毘沙門天が現れ それぞれがもったマサカリ、太刀などで所定の所作を行った後 巨大松明を観客めがけて投げつける。 4人が3巡2箇所で所作と松明投げを行うので(毘沙門天のみ最終回のみ投げる) 結構な回数松明が宙を舞う。 以前、この松明が目に直撃し失明した観客がいたため 現在ではお堂の周りに高さ3メートルくらいの金網が張り巡らされている。 でも1回、高く投げ上げた松明が金網を越えて観客の間に飛び込んだ。 鬼を毘沙門天が追い払うという脚本らしいのだが両者はどう見てもお仲間ってかんじの お面かぶってました。このお面も鎌倉時代からのもので重文。 しかし昭和47年にレプリカ作って、現在はレプリカでやってるそう。 鬼役も法隆寺の僧がやってたけど1798年から寺の丑寅の方角の岡本法起寺うらの住人が勤めてるんだって。 とにかく観客(300人くらい、ほとんど地元の人だった)が時々どよめく以外は 無音の中で行事は進行。終わると坊さんが牛王の法印を授けてくれる。 そして人々は粛々と家路に着く。 屋台も出なければ、参道の土産物屋もやってない。静かなしかし厳粛な神事(仏事か?) ってかんじでした。 しかし国宝の建物でアレだけ火の粉を撒き散らし松明投げまくってよくぞ、1261年以来火事にならなかったものよのう、と感嘆しました。 帰宅すると午後8時。みんなでココアのんで関東風の豆まきをして寝る。 いやー、おもしろかった!! ... お宝ごろごろ - 2003年02月02日(日) 昨日より夫両親が東京より来訪。 大阪での同窓会出席後、我が家に一晩泊まって、 今朝、伊賀上野に旅たつ。上野の空家になってる 夫父実家を片付け(6月に家を壊す予定)にいく。 まあ旅の途上で息子夫婦の家に一泊&孫と戯れるというなかなか愉快な企画 の一環ですな。 わたしもハッピーリタイヤメント後にぜひやってみたい企画である。 朝9時、夫両親を送ってJRの駅まで家族でお出かけ。 その後町立図書館へ行くが開館時間が10時からということで 図書館の2階部分にある「藤ノ木古墳」資料室をみて 時間をつぶす。 藤ノ木古墳は法隆寺から役場に行く道の間の 野原にごろんとある。 聖徳太子の生きた時代の支配者の墓で青年と男性(年齢不詳)の2人が 同じ棺に葬られ、その副葬品の豪華さはそりゃそりゃすごいものらしい。 でもそういう「国家レベルのお宝」はぜーんぶ橿原考古学研究所に持っていかれて 現場には石棺のレプリカがごろんと置いてあるのみ。 副葬品も図書館2階の資料室にレプリカあってまあ解説はあるけどすごーくあっさりしている。 もし藤ノ木古墳がこの町以外のあんまり名産品のない町で出たら 絶対町おこしの起爆剤になったであろうに。 しかしこの町には生きて活動している至宝、世界遺産の法隆寺が いっぱい観光客を連れてきてくれて いっぱいお金を落としてくれるので 藤ノ木古墳はごろんと置かれている。 藤ノ木古墳は誰の墓か不明。 1説では祟峻天皇の墓といわれてる。 どの天皇だかわからないって? ほら、日出処の天子で暗愚の帝王として好きなように書かれていた 泊瀬部王子ですわよ。 墓まで聖徳太子の影になって輝けないとは。切ないですわ。 ところで生きて活動している聖徳太子のお寺、法隆寺で 3日夜「追儺式勤行」がある。 早い話、節分の鬼追いだがこれがまたキテいるらしい。 当日はあめでおも早退して家族で参加予定。 3日の報告、乞うご期待。 ...
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