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コーヒー屋見聞録 - 2003年12月31日(水) その店は間口がとっても小さい。座れるのもカウンターに5~6人のみだ。でもなんというか、おじゃる丸に出てくるのマイクさん(コーヒー仮面)の店 と形容すると分かる人にはわかってもらえそうな雰囲気である。 マスターのコーヒー仮面(仮名)は人生の酸いも甘いもよくご存知の町の哲学者っぽい風格の御仁。居合抜きの達人(伝聞)にしてコロンビア勤務経験の父を持つ若妻と二人で店を切り盛りしている。もう一人立ち位置としては客なのだが、店の労働力として欠かせない人がいる。生後3ヶ月のコーヒー仮面(仮名)のご子息の子守りをする元日経記者にして現在謎の活動に余念のない世捨て人のAさん(仮名)。その他ときどき変な同伴客を連れてやってくるジンバブエ文学研究者のコナン女史や町の百科事典タイゼンさんなどいろいろな常連客が出入りしている。 やはり特筆すべきはご隠居様である。ご隠居様は毎日必ず店にやってきて含蓄のある言葉をつぶやきさっていく。ご隠居が店のドアを開けると、客たちは静かに移動し、一番奥のご隠居の席を譲る。ご隠居の専門は日本酒なので日本中のどこ蔵でどんな酒を作っているかをつぶさに悉く知り、そして彼はまた歩く雑学辞典である。 ある日ご隠居は「そば」について語る。 隠「そばってのはあの形態になったのは比較的新しい江戸中期のことなんだ。それまでは麺状になってなくて“そばがき”にして食べていた。ところがそこんとこいくとうどんは古い。なんてったって弘法大師のころに出来たんだ」 一同「へ~」 隠「空海(食うかい?)ってね。」 一同「、、、、(凍る)。」 隠「じゃ、またね。」 そういってご隠居は夕暮れの町へと去っていった。 (一部伝聞を含み、マルコが再構成しました) ... 関西ミスド事情 - 2003年12月26日(金) 本日は1号さんがお咳をなさり、なんとなく喘息発作の予感だったので2人の子らに保育園を休ませ、マルコも冬休みに入ったことにして家でまったりと過ごしました。 1号さんは「ミスタードーナッツを食べたい」とおっしゃるのでバスで隣町のミスドに参上しお昼食。ミスドは子連れの髪振り乱した母親がたくさん居り、酒井順子のい言うところの「故郷の弟にお前はそっちでがんばれと集団で手紙を書いている」様な雰囲気でした。髪振り乱すしあわせは、確かに外からは見えにくいかもしれないな~何ぞとおもいながら、ワタクシも正しくその一人としてミスドでランチ。 さて現在ミスドでは200円お買い上げごとに1枚のカードが渡され、10枚集めると(つまり2000円分購入すると)キュートな景品がもらえるキャンペーン実施中です。 関東在住時代このカードを最後まで集めたことは無く、大体途中で結構短いキャンペーン期間が終了し手許には後一息の8枚のカードとかが残ったのですが関西に来てからこの隣町のミスドで私どもは実に4回も景品をゲットしております。 本日もゲットしました。子供用土鍋と言う役に立つんだか立たないんだかよく分からん代物ですがエルモのイラストがきゅーとです。 本日は約1,000円のお買い上げでカードは5枚しかいただけなかったんですが5枚のカードをテーブルに広げていると他のお客さんが「私捨てちゃうんでよかったらお使いください」とたくさんカードを寄付してくれるのです。結局この日は14枚もカードが集まってしまい、4枚をとなりのテーブルで髪振り乱しているうら若き3児の母にあげました。 この気軽に声を掛け合う、というのは関西の美風です。これが気に入る人とそうでない人とで関西定着はかなり成否を左右すると申し上げても過言ではございません。 幸い血中濃度8分の3関西人のマルコは結構声を掛け合うのが好きなので今日も楽しく電車のボックス席でそこらのおばさんと世間話をしちゃうのでした。 ... 酒井順子② パラダイムシフト - 2003年12月23日(火) 1号さんを産んだばかりのころ「何で子ども小さいのに働くの?」という質問を受けて「働く理由」を一生懸命説明したなんてこともあった。ところがおKさんを産んで失職してフルタイムの労働から遠ざかって以来、「(健康で経験もあるのに)なんで働かないの?」と問われ、働かない理由を説明する場面も出てきたりしてきた。 世の中「子育て中も働いて当然」の方向性にパラダイムシフトしているように思う。少子高齢社会の訪れとともに若年労働力の希少化が予測され、女性労働力を労働市場に組み込もうとする国の意図もなんとなく感じる(このとき社会のコアは既得権としておやじがガッツリ握って女性労働力はあくまで2級労働力として扱おうなんて雰囲気もそこここに感じるがそれはまた別のお話)。 さて昨日酒井順子の「少子」がおもしろい!と叫んで心に残った部分だけ抜書きして断片的な感想だけ述べたが、本質を今ひとつ捕らえきれてなかったので、酒井論、リベンジ。 「少子」の中の酒井順子の新しさは多分、女を巡る状況について新たなパラダイムシフトを告げている点だ。 これまでは30代の女性で結婚していなかったり、子どもがいなかったりすると「何故結婚しないのか?」「何故子どもを産まないのか?」という有言・無言の疑問が投げつけられてきた。勿論この背景には人は結婚して子どもを生むのが完成形でそう至っていない人はそのゴールへの道程にいるプロセス上の人間であると言う認識だ。そしていつまでもゴールに向かおうとしない人には「何か問題があるの?」と無心な質問がなされる。 この女の人生、母になって一ちょ上がり的、1系進化論は、全ての社会は経済発展を経て工業国へと離陸していくと言うロストウの近代化論と似ている。人類学で言えば全ての文化はアニミズムから多神教を経て一神教に至ると言う進化主義文化論に似ている。ちなみに1系的進化発展の道筋を説いた近代化論も進化主義人類学も現在は否定されており文化も社会も多様な方向性をもってそれぞれ固有の進み行きを示すという文化多元論が現在は広く認知されている。 そこで酒井氏は「何で結婚しないの?」「なんで子ども産まないの?」の世界から「何でわざわざ結婚するの?」「何でわざわざ子ども産むの?」と言う疑問も成立しうる世の中へと日本はパラダイムシフトしようとしていると告げている。 「何であんなに痛そうなのに/めんどくさいのに/従来のライフスタイルがぶっ壊されるのに/キャリアが中断するのに/男が魅力的でないのに/結婚はうざいのに、子ども産むの?」と、産むにいたる個人レベルの脱力系障壁がこれでもかと並べられ、「個人レベルの欲求に照らせば、フツウ産まないでしょ?」と結論付けられる。 少子化に関する議論はこれまでも腐るほどされており、いずれも少子化は克服すべき問題でその原因は社会・経済の構造的問題に帰されて来た。しかしこの本では少子化の原因は個人の欲求の結果であり、少子化(究極的には滅亡)は受け入れられるべき問題と定義される。 「出産は物好きで体育会系熱血好きな血中アドレナリン過多な人々が行う滅び行く伝統芸能なのだ。好きな人がやればよい、みなが手を出すことはない。そして少子化の行く手にある西暦3500年日本の人口1人と言う切なくも笑える現実をを受けいれよう」という「世も末」感漂うロジックが展開される。 成熟した民主社会では個人の欲求は国家の利益をしのぐのだなーとしみじみ。 まあ血中アドレナリン濃度の高いわたしとしては多様な選択肢の一つとして結婚・出産を選んで、滅び行く日本のたそがれを子どもの手を握って見つめていくのか~とすっかり酒井パラダイムにシフトしてしまった脳みそで考えたりする。 ... 酒井順子、脱力するわたしたち - 2003年12月22日(月) このHPのどこかにあるBBSでもかきましたが、ロタ中のマルコは吐き気を抑える本に酒井順子氏の「少子」を選んでよんどりました。書いてることにも凄く笑っちゃった部分があるのですがなによりこの女史の物書きとして生きるスタンスがウケました。 なんか文章を書く人ってものすご~く業が深かったり、吐き出さずには居れないエネルギーの塊を抱えていたり、うおおおお、というテンションの方が多いような気がするんざんすよ。酒井順子氏のかきっぷりは「脱力」の文学とでも申しましょうか、「あ、もう疲れちゃいました、そんなことできません、わたくし。」みたいな低体温なモードが全体を支配しています。それなのに、最後まで読者を引っ張っていくのですから、脱力はたんなるポーズなのかもしれません。なぜならその脱力モードの中、言ってはならない数々の暴言「洗濯機があるのになぜ自動赤子洗い機はないのか?」とか「少子化とめたかったら、宗教にはまってみれば?/戦争してみれば?」等が吐き出されてくるわけです。 マルコ的に一番心打たれたのは下記の部分です。 「子持ち文化」が栄える「子持ち国」と「未婚文化」が栄える「未婚国」の間の葛藤に触れて、国は後者に対して前者への「移民歓迎」の告知をだしながら、子持ちの女性たちのやつれ果てた顔は「入植に失敗した移民が故郷の弟に『お前はそっちに残ってがんばれ!』と手紙を書くようなもの」なのだそうです。 また両文化に属する者同士の交流は国際交流のようなもので「日本人てちびばっか」「アメリカ人って薄着過ぎて馬鹿っぽい」と腹では思っていても「てんぷらおいしいで~す」「さんきゅう、わたしもハンバーガー大好き。」みたいな「上っ面な褒めネタを応酬させるムードに似て、多少のものめずらしさはあっても、意外と不毛で疲れるもの」と定義しています。根性がなければ異文化交流はあきらめて同じ文化の者同士かたまって過ごしちゃうのがラク。っと再び「根性無し」で「ラク」な人生の心地よさが歌われます。 ここで、根性出して異文化交流してみることにいろいろな問題の解があるのかもしれませんね。 前にBBSで書いたことがあるのですが子どもを生むと、部族のおきての体現者として先祖の視野を手にいれ、垂直方向の視界が広まり、「子どもを生んで視野が広まった」と錯覚する場面が増えます。しかし、垂直方向の視野の深まりは確実に水平方向への視野狭窄をもたらします。具体的な例をあげると、同性愛者の知人のHPを読んで、さらにその後子持ちの友人と同性愛について語った時に、子持ち文化圏の人間の水平方向への視野狭窄を物凄く感じた、なんてことがありました。 そんなわけで酒井順子の語る脱力未婚文化は垂直方向への視野に気を取られている子持ち女になかなか得がたい水平方向の視座の1つである未婚文化の本音を提示してくれるものと思われます。 あと「子育ての素晴らしさを力説するのは宗教っぽい」というところで、マルコはそうだよな~とつぶやいてしまいました。子育ては渦中に巻き込まれているものにとっては「私は体育会系の合宿で血反吐はくまでがんばった!」的な頭の中ドーパミンでタブタブな状態になってるランナーズハイの中の快楽と言うのがあるように思うのですが、コレは渦中にいない人にはひたすら臭いだろうな~。この辺の「渦中で夢中な人の臭み」に関してはさるとるさんがさっくりまとめておられるのでそちらに譲ります。 このようなことがもし朗々とした文体で居丈高に謳いあげられていたら、読者はたまらないと思うのですがあくまで腰を低く、疲れた振りを装いながら、どちらのスタンスを生きる人をも笑わせつつ、話は進んでいきます。 そういうわけでわたしは酒井順子の脱力感がとても気に入りました。今後も読んで脱力しながら未婚文化の本音に迫っていきたいです。 でも一番受けたのはあとがき書いてたのが「業の塊」の内田春菊だったことでございましょうか。編集者、いい人選です。 ... リターンマッチの行方 - 2003年12月20日(土) 今日は朝から私の専門分野で活動している人々のスキルアップのワークショップがございました。マルコは子らをあめでおさんに託して大阪方面に向かいます。このワークショップは現役NGO職員以外は受講できない代物なのですが、関西の某団体にお願いしてそこの職員と言うことにしてもらって参加。でもワークショップのオーガナイザーもわたしの前の職場時代の友人なので名義借りはばればれでございました。 朝もはよから非常に渋い講義を受け、関西のいろ~んなNGOからいらした職員の方々の毒気じゃなくて覇気を感じてなかなか楽しく1日を過ごします。ちなみにこのワークショップは2日連続なので明日も楽しい1日が待っているはず。 しかしわたしはこの楽しいワークショップを夕方に中座し、なんと就職関連のお話をしに大阪市内の某所に向かいます。一応、自分の専門分野のNPOでの研究活動を含む総合職です。書類審査・1次審査も通過し、マルコ的にはこれはイケルか?と思ったのもつかの間、う~ん不調。労働条件がぜんぜん折り合わなかったんざんす。まあ他にも問題はありましたが、労働条件の厳しさに「それは出来ません。」と思わず言ってしまいました。 まあ、いいさ。1号さんの小学校入学時に新しいフルタイムワークをはじめると言うのも骨なので当分楽しく院生&非常勤講師の日々を満喫しよう、と思い直します。 帰路、大和路快速にゆられながらあーあんなぶどうはすっぱいやい、と小さくつぶやいてみるマルコでした。 ... 無礼講 - 2003年12月17日(水) ロタ星人たちはなんとか回復したようです。 おKさんがまだ食欲がいまいちですが1号さんとあめでおさんはさすが年の功で2~3日で現状復帰しました。えらいぞ。 さて、そんなロタ星人たちの群の中で暮らしながら、私は仲間になるまいと、彼らが使ったお箸を共有しないように気をつけたり、もったいないと思っても彼らが残したプリンを戴かないで捨てたりしてたんですが、無駄な努力でございました。子らが再登園をはじめた本日、マルコ、ロタ星人デビューでございます。もう彼らが残したプリンもヨーグルトも遠慮なく戴きます。お箸もいっしょに使いましょう。キスだってしちゃいます。えい。こういうのを無礼講と申します。 でもさんざん社会生活を犠牲にしてロタ星人たちに付き合ったのでもうこれ以上大学を休むのもむかつくので、ワタクシは吐き気を抑えながら登校いたしました。あ~むかむか。本日は授業&ゼミ、その後今年の締めの簡単な宴会なんかもありました。吐き気と戦いながらロタ星人マルコ、フル出場でした。 病院に行く時間が惜しかったので1号さんがお医者さんにもらったけど、予想外に早く治ったので飲み残した吐き気止めのシロップを2倍量にして飲みます。効いたかどうかはわかりませんが、コレも無礼講ってかんじですね。はは。 ... ロタ星人たちとの暮らし - 2003年12月15日(月) ロタウイルスと言うのをご存知でしょうか? はい、そうです。あれです。嘔吐下痢症を引き起こすあれです。 先週木曜夜、おKさんがお吐きになり、雑巾絞るように上からも下からも水分を振り飛ばしておりました。日曜のお昼、ずっとぐったりしていたおKさんが少し嘔吐の間隔が間遠になったかな~?と思ったらいきなり1号さんが噴水のようにお吐きになりました。ロタ星人の増殖です。日曜はあめでおさんがめづらしくお仕事で不在だったのでマルコは1人で、娘2人を連れて休日診療所に出向きました。おKさんは金曜にすでに受診していましたが、もうお薬もつきていたので再度受診です。2人とも何種類課の同じクスリをいただきました。おKさんは吐き気止めのクスリを金曜にもらった経口薬から座薬に変えてもらいました。経口薬あんまり上手く飲めないので。 帰宅して二人に投薬。おKさんは座薬はにこにこ受け入れるくせに、経口薬は泣いて暴れて嫌がります。1号さんは経口薬はいけるくせに座薬を入れようとすると激しく抵抗します。コレが5年分の人の成長というものかしみじみします。 さて昨日夕刻ご帰宅になったあめでおさんにロタ星人の増殖を報告しようとすると「吐き気がする、おなかも痛い」とのこと。ああここにもロタ星人が。 本日月曜、ロタ・あめでおさんはどうしても休めない日だそうで下痢ばら抱えてご出勤になり、私はホントは大学図書館に行きたかったけど2人のロタ星人、ロタ・おKさんとロタ・1号さんと国会中継の実のない議論を聞きながら午後を過ごしているのでございます。ああ、ロタロタ。 ... おやじの自立 - 2003年12月13日(土) 今日は1号さんをつれて隣町の映画館に「ファイディング・ニモ」を観に行った。実はおKさんが嘔吐下痢症で寝込んでおり、付き合ってずっと家で逼塞していた1号さんのガス抜きに連れてったのだ。しかしピクサ―&ディズニー、泣かせ所を必殺でついてくるな~。恥ずかしながらマルコのガス抜きにもなりました。 以下ネタばれありなので、コレからニモを観に行く予定のある人は注意。 ファイディング・ニモの邦題をつけるとしたら、それは「息子尋ねて3000里」になる。新婚の妻と400個の孵化間近の子どもたちと幸せいっぱいだったカクレクマノミのマーリンはバラクーダの襲撃で1瞬にして妻と399匹の子どもたちを失ってしまう。たった一匹、生き残ったニモをそれはそれは大切に過保護に愛している。その息子ニモがさらわれてしまったのでマーリンはそれは筆舌に尽くしがたい苦労と大冒険を繰り返しながら息子を取り返す旅をする。というのがあらすじ。 その旅は一言で言うとマーリンにとっての「子離れの旅」になる。過保護で過剰な愛情をセーブし息子を信じて見守る態度の必要性を様々な冒険からマーリンは学んでいく。 いやいやいや、ちょと前まで冒険の旅に出て、自立を獲得したり、成長するのは「子ども」の専売特許だったんですが、このごろは親の方にも通過儀礼が必要なんだなあ。っていうか今までスポットライトがあたっていなかった人生の困難な場面「子離れ」がクローズアップされたというべきなのかな? これまでもこれからも「子離れ」等、発見されたり、発見されてなかったりする人生の困難をいろいろ冒険しながら越えていくのね。ちなみにマーリンは悲劇的になったりしてたけど相棒のドリーはジェットコースターを楽しんでる風だったな。かくありたし。 ... タイムカプセル - 2003年12月10日(水) 本日、母校の高校の修学旅行が法隆寺を訪れるという。 母校はえらく気合の入った京都・奈良の修学旅行を敢行するので有名な学校だった。私が高校生の時代は7泊8日も京都・奈良のあたりを回遊し、まる2日間、班行動が設定されており、かなりディープに京都・奈良と仲良しになれた。 さてその母校のご一行様が本日9時半に法隆寺の門をくぐられたわけだ。修学旅行期間は5泊6日と微妙に短縮されていたが。 今日行くよ~。と連絡を下されたのはタージマハール先生(仮名)である。タージマハール先生(仮名)はマルコが大学4年の時、母校で受け入れてもらった教育実習の指導教官である。当時マルコは鼻っ柱だけで世の中何もわかっていなかった22歳で、タージマハール先生(仮名)もうら若き26歳(推測)の若手教師でなんだか、お互いきらきらと輝いてた青春の日々を物凄いハイテンションで共有させていただいたのである。 教育実習の4年後、マルコ26歳でタージマハール先生(仮名)30歳(推定)のときに新宿で地中海料理をおごってもらって以来、本日は実に10年ぶりの再会だ。 いやいやいや、お互いに10年の風雪に耐え、なかなか苦みばしったいい女になっておったよ。10年前はまがりなりにも2人とも独身だったが、現在は揃って2人の娘の母親になっておった。 さて、マルコは今朝、いつものように大混乱で子どもらを保育園に預け、法隆寺に急行した。法隆寺境内では母校の学生さんらが自由行動で法隆寺を見学しているなか、苦みばしったいい女のタージマハール先生(仮名)を発見。お昼前までの約2時間自由行動だということなので、マルコは日ごろあめでおさんが垂れている薀蓄をもとに、法隆寺まめ知識なんて披露しながら、約1時間、タージマハール先生(仮名)と法隆寺内を散策した。 こどもが病気の時の預け先の確保とか、来年春揃って小学校に進学するそれぞれの長女の話とか、アフリカ関連の仕事をしている同窓生の話とかとにかくいろいろ話す。もう話したい事が山のようにあり、しかし時間はあまりにも限られていたので文脈も何もあったものではないのだが、逢えて話せることがうれしいのだからこの場合いいのだ。 マルコ高校時代の部活動の顧問の先生T口先生とか、高2の時の担任のM野先生とかにも法隆寺境内で再会。突然大昔の教え子が法隆寺境内に出現したら驚きだろうが、そのへん彼らは大人である。まあ、いろんな教え子がいるのだろう。18年ぶりだったり、14年ぶりだったりしたが、どちらの先生も年をとりながらあのころの空気を変わらずに身に纏ってる感じがうれしい。 本日は神戸で授業&エンドレスゼミの日なので短い再会を終え、マルコは神戸へと出発した。 神戸への道中、電車に揺られながら、堅く1つポジションを守って激しくも充実した日々を送っているタージマハール先生(仮名)のことを考えた。私立高校世界史教師というポジションはアフリカから帰国した直後のマルコが激しく憧れたポジションだ。もちろんその憧れのロールモデルは22歳の時に出あったタージマハール先生(仮名)その人であったのだが。 一生いくつかの現場を転戦しなければならない開発協力の仕事への疲れとあめでおさんとの結婚生活の維持のために私は日本に定着する道として私立高校世界史教師に激しく憧れた。実際、この時期、東京のある高校で2年間世界史の非常勤講師をしたりもした。しかし結局はノマドな開発関連の仕事へと私は戻っていった。あの時の夢がかなっていたなら、また違ったしあわせな格闘の日々があったのだろうか。 マルコが40歳になるまであと4年ある。まあ、あと4年間は惑っていいのだ。孔子様もそういっている。 ... 1年ののち - 2003年12月07日(日) 本日は昨年亡くなった従弟の1周忌だった。 マルコは遠方にて今回は欠席させてもらった。かわりに家族で竜田公園に行った。竜田公園は竜田川流域部にある公園地帯のことを普通さすが、マルコ家が竜田公園と呼ぶのはその近くにある丘(崖?)の上の公園だ。ここは物凄い紅葉と、眼下に望む竜田川、目の前にある三室山そしてはるかに広がる奈良盆地が一望に出来、大変美しい公園だ。 靴を新調したおKさんは枯葉をざくざく踏んでのしのし歩き、ものすごい高い滑り台に1人で上りびゅんびゅんすべる。1号さんもあめでおさんもそんなおKさんの大胆不敵な行動に悲鳴をあげながら危険が無いか見張るのに忙しい。 竜田公園には竜田観音という比較的新しい観音立像があり、多くの花が供えてあり誰かが定期的に信仰の場としている事が伺われる。 マルコはそっと観音さんにお願いした。今は亡い人が安らかでありますように。その人の母なる人が、姉なる人が、父なる人が、少しでも心平らかになりますように。その配偶者の方の心が和むことがありますように。 風が冷たいけれど、空気がとても澄んでいた。 ... 奈良浮遊 - 2003年12月05日(金) 金曜日、久しぶりに晴天でございます。前夜、非常勤講師稼業(午後4時半まで)+大学院のゼミ(午後6時からエンドレス、いつもは水曜だけどこのころ先生の都合で時々木曜)のれんちゃんをし、夜10時半に法隆寺に帰ってきながら、電車の中で眠りこけてて、乗り過ごし、結局11時に帰宅した身には青空が目にしみる朝であります。 本日は午後3時から1号さんの保育園で卒園アルバム製作の集いがございますので、午前中のフリータイムあんまり遠出できません。そんなわけで本日は奈良市内の県立奈良図書館で来週の講義の準備+某申請書類書き+ラオス関連のお仕事をしようとJRで奈良に出向きました。 県立図書館は三条通りを興福寺方面に歩き、途中で左折し、県庁や県立美術館のあるほうへてくてく歩くと到着します。座席指定制ですが、どの席からも東大寺の大仏殿の屋根が見え、周囲の紅葉とあいまり、それはそれは美しゅうございます。しかし大仏殿、巨大です。こうやって普通の窓外の光景としてみるとなんか新興宗教のお堂っぽいですな。いや新興宗教のほうが真似したのか?聖武天皇の時代はコレも立派な新興宗教だったのでは?とかいろいろ考えながら作業。 細かいつめはパソコンの前で深夜にやるのですが大体の骨子を作ってしまえば後は楽です。1時半ころに3つのミッションのうち2つがなんとなく形になったので図書館を出て、県庁前の公園や興福寺の境内を紅葉をめでながら歩き、三条通りのベトナム料理屋「タンナム」にて昼食。このベトナム料理屋は2003年2月10日の日記にも登場してますな。あのころハローワーク通いにかこつけお願いしたベビ―シッターさんにいただいた自由時間をむさぼるように堪能し、かつ受験勉強を隠れてしてたんでございますよ。あのころの余裕の無さ、追い詰められ度に比べると今は消費者か生産者か良く分からんなりに一応子どもを保育園にあづかってもらえるだけの社会的ポジションは手にしたのだなあと感慨深いです。来年の今ごろはどのような立ち位置でこの日記を書いているのか本人にも見当がつきません。 ベトナム料理屋では15分ほどで食事を終え、サンマルクカフェに場所を移し(スタバがこのごろ閉まってるんざんす)ちょっと残ってしまったラオス関連の英文を読んで過ごし、3時10分前の電車で法隆寺に戻り、1号さん保育園に参ります。 ここでは子どもと親と一緒に卒業アルバムの製作作業をいたします。1年間の思い出を先生に語ってもらいながら子ども達の歌あり、自家製紙芝居の発表ありの盛りだくさんの企画で相変わらずこの保育園の企画力の高さに感銘を受けます。 子どもたちが「世界で1つだけの花」をうたったとき、となりで聞いてた仲良しの女の子のお母さんが「あんなおしめつけてた子達が皆こんなに大きくなって」と涙ぐみました。「ホントですねえ」と相槌を打ちながらはるか川崎の1号の昔の保育園の仲間たちの0歳児のころの映像がちょっとフラッシュバックしました。あの子もこの子もこの春には小学校に進みます。近くで見守ることはお互いできなくなったけど、それぞれしっかりと成長されていることと思います。皆にも心配してもらい、マルコもあめでおさんも気が遠くなるほど心配したけれど、1号さんは何とか新しい環境でがんばっています、と、おもわずはるか東の空に語りかけてみたりしました。 ... 無我の境地 - 2003年12月04日(木) 私は一日に何度か無我の境地に陥ることがある。たいていは1日3度。それは食後、皿洗いに没頭している時だ。その無我タイムに時たま思考が物凄い創造的になることがある。 今日の朝、皿洗いをしながらD論の調査の進め方がかなりクリアにイメージでき、おお、と思わず声を出し、ふと手許を見ると最後の1枚が洗いあがっていた。自動食洗機状態である。 目を上げて対面式キッチンから居間を見ると、同様に何事か考えながら、目の焦点が合ってないあめでおさんが正確無比に掃除機をかけており、25畳のリビングの掃除が美しく完了しようとしていた。ロボット式自動掃除機"ルンバ"状態である。 無我の境地の父母の足元ではこれまた1号さんがトランス状態で塗り絵をし、おKさんは色鉛筆で広告の裏紙に何事か書き付けていた。 本日の朝、出動前の大混乱タイムほんの1瞬、ファミリーメンバー全員、無我の境地に至っていた。 ... マルコ、英語で褒められる - 2003年12月02日(火) アメリカのようこさんと共同作業でやってたマルコD論テーマを題材にしたネタ探しミッション(違)は無事終了し、あとはようこさんがレポート用にまとめるだけになりました。大変楽しい日々だったのでおいちゃんは寂しい。これからはようこさんが探してくれた物凄い情報量の多いモン族(ラオス少数民族)研究者サイトを「ようこ」と名づけて毎日覗くよ(嘘)。 ようこさんが日記でマルコとの共同作業に触れて褒めちょります。コレは英語で褒められたと言うのがポイントですな。おおお、こんな表現があるのか~って感じで、家のモノどもにその部分の英語を読んできかしてあげました。 8月に怒涛のようにようこさんが渡米して、留学され、早くも1セミスターが終わろうとしています。メールのログを見ると9月20日にようこさんから共同作業の依頼があり、約2ヵ月半二人で英語で文通しながらやってたんですが、最初のほうはようこさんの英語はマルコ@TOEIC710点と実力伯仲ってかんじだったのがメールが届くたびにめきっと言う擬音が聞こえそうな感じで上達を繰り返され、最後のほうはかなりくっきりとした英語力の彼我の差を感じるようになりました。12月からようこさんはWEB日記も英語で書くようになりました。 英語は英語環境にいるからといって上達するものではなく、ようこさんがコレだけの英語力を身につけていくにはどれだけの語られない努力があったのだろうと考え、マルコはちょっと胸が詰まります。 4人の子どもさんを育てながらフルタイムで働く、というちょっと前までのようこさんのスタイルも、4人の子どもさんとアメリカで勉強すると言う現在のようこさんのスタイルも「人はそこまで出来る」という拡がり行くキャパシティをマルコに提示してくれます。 深夜まで研究室で勉強できる独身の同級生をうらやむ前に、出来ないことを数えてため息をつく前に、出来ることを淡々とやっていこうと思ったりしました。 ...
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