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血脈-ミトコンドリア・エルザ - 2004年07月27日(火) 1号さん、夏休みである。夏休みといえば宿題である。現在1号さんは、工作・自由研究系の宿題に取り組まれている。そのなかに「アイディア貯金箱」の作成がある。規定は1辺25センチ以下とあるだけであとは子どもたちのオリジナリティーの発揮が求められる課題だ。1号さん1辺25センチ以下の直方体の箱を持ってきてまわりに千代紙をちぎって貼り、完成。所要時間15分。 拍手して完成をたたえる夫あめでお。 、、、みんな、それではあまりにやる気が無いと言うか簡単過ぎないかい?と思いマルコ昨年度の文部大臣賞の作品なんかをインターネットで検索し、1号さんにお見せし、 「ほらみんな1年生でもこんなの作ってるよ。1号ちゃんも受賞目指してもうちょっと工夫してみようよ」 と、かき口説く。 審査風景の写真なんかを興味深げに見入っていた1号は 「でもさ、『おお、何の飾りもついてない貯金箱は初めてだ!』とかいって賞、もらえるかもよ。」 もらえません。母は断言する。もらえません。 蝉時雨の中、何とか1号を改心させ、もうちょっとこった芸をさせようと、言葉を選んでいると、デジャブのように20年前の景色がよみがえる。やはり夏休みの宿題に取り組む中学生のマルコ。苦手の家庭科だ。お手軽にすませ、できたよ~と自慢していると、勤めから帰ってきたエルザさんがそれを見咎め、やり直しを命じる。マルコが応じないと、翌朝マルコの作品は見事なエルザさん制作の作品に生まれ変わって机の上に乗っていた。新学期、家庭科の先生は絶賛してみんなに見せたが、万年家庭科「3」の女、マルコがそんなもん作ったなんて誰も信じていなくて、心が痛かった。そしてその学期、やっぱり家庭科の評価は「3」だったと思う。 その家庭科の夏休みの宿題の話しでマルコはたびたびエルザさんの過干渉を責めた。エルザさんは「私なんてね変な課題を作ると母親(マルコの母方祖母)に糸ほどかれて、やりなおし!って言われて、それはそれは厳しくやられたわ。母親としてのあの人(マルコ母方祖母)は私よりずっと厳しかったわ。」という反論をなさったりした。 DNAは父と母と半分ずつ子どもに提供されるが、ミトコンドリアのRNAは女系でのみ受け継がれるという(出典:瀬名秀明著『パラサイト・イブ』)。 マルコのミトコンドリアはエルザさんがその母、その母、その母とずーっと女系で受け継いできたものだ。エルザさんの母方の女たちはみんななんか濃くてエネルギー過剰な人が多い。出世した人もいる。グレート教育マザーになった人もいる。マルコ自身このごろそのエルザ系の女たちに自分の有り様のルーツを感じたりする。 今1号さんを目の前に考える。ここで1号さんの貯金箱にやり直しを命じる、あるいはマルコが手を加えると言う行為は、このエルザ系ミトコンドリアの記憶を焼印のごとく1号さんの肩に押し付けることになるだろう。 やるか?やるまいか? 蝉時雨はやまない。夏休み終了まであと35日。 ... MUSTな女 - 2004年07月23日(金) 非常勤講師同僚のももこ先生がこの9月にご出産になることになりました~ぱふぱふどんどんどん。 ももこ先生は中国からの留学生なので、マルコはニッポン保育園事情など力をこめて解説しちゃったりする日々でございました。今週から職場の専門学校も夏休みで2学期から産休のももこ先生とはしばらくあえません。 そこで本日は「ももこ先生を囲む出産激励会」ということで梅田・大丸のレストランで昼食会を催しました。 ももこ先生はがんばり屋さんでここまで一生懸命研究してきて、今年はD3。今後D論執筆と育児との両立が本当に出来るのかそれはそれは心配しておられました。そこでこの日の会の趣旨としては「子ども産んだって研究・仕事OK」と言うエール交歓会という感じでございました。 参加者はももこ先生、マルコ、そしてももこ先生が中国で学んだ大学に丁度その時期客員教授として派遣されていたさるとる大姉、日本の教育事情に精通した3児の母にして必殺編集者のダイヤ様でございます。 ダイヤ様はインタビューとインタビューの合い間に(←マルコによる想像)後半40分だけ参加してくださったんですが、ダイヤ様がデータをもとに鋭く分析してくれた日本の教育事情はなんだか物凄くためになりました。マルコは保育事情だけを考えて斑鳩を居住地に選んだのですが、2010年から始まるディケイドは教育事情を考慮した家選びをするべきなんだろうか?とかちょっと考えちゃいました。 でも斑鳩を愛するあまり子供の教育を2の次にしてしまいそうでちょっと怖いです>我が家。そうなのですマルコは斑鳩を愛しているのです。と会の時に叫んで「だって大阪から20分なんだよ」と勢いあまって言うとダイヤ様に「なんで郊外在住の人って最短の通勤時間を語りたがるのよ~」と笑われてしまいました! はっ、不動産屋のチラシのような女、マルコ。た、たしかに~。 またももこ先生が「子どもを産んで本当に研究はできるのだろうか」と悩んでおられるのにさるとる大姉がかけたお言葉が忘れられません。 「大丈夫、子どもには確かにいっぱいエネルギーをとられたけど、それよりずっとたくさんパワーをもらえるから。子ども産んで時間がなくなったけど、研究への志はとてもクリアになったもの。」 マルコも実は方向的には似たことを考えていたのですが、なんというかもっと悲壮な感じで考えていたのです。「子どもに中途半端な背中を見せられない。子どもに同性としてロールモデルを提供出来るような生き方をせねば恥ずかしい。」 「子どもが生まれたことを機にしっかり人生を生きよう」という方向性は同じでもさるとるさんの「パワーをもらえたからがんばれる」と、マルコの「恥ずかしくないようにがんばらねば」では、マルコの方が肩に力が入っちゃって生きにくい感じがします。もっと肩の力を抜こう>OOしなければならない女=マルコ。 今日もあんまり言うことを聞いてくれないおKさんと対決しながら、「んも~君にどれだけ時間をかけなければならないのだ!」とか怒りながら「でもこの徹底対決のパワーは君からいただいたものなのかな」と考え直して首をぐりんと回して、肩をこきこきっとほぐして深呼吸して周りを見回してみます。大丈夫、きっといろいろなことを何とかやっていけるでしょう。 ところでインターネットも子どもと一緒でそれなりに時間とられるけど、それよりずっと多くの「たくさんのパワーをもらえる」な~。 さるとるさんとダイヤさんともインターネットが通じていなければ会えなかったんだものね。感謝。 ... 肩に食い込む、、、 - 2004年07月22日(木) 皆様、「よびかけ」ってご存知ですか? 小学生時代やったんですが、朗読っていったらいいのか演劇って言ったらいいのか、よくわからんのですが160名ほどの児童が順番に台詞を言っていって大事なフレーズは全員で詠唱するという、卒業式とか記念式典で行われる出し物なんですわ。 マルコが6年生の時母校の区立目白小学校は創立50周年記念で50周年を振り返る「よびかけ」劇をやったんですわ。 そんで戦時中の学童疎開の思い出を振り返る場面では 児童A「肩に食い込む」 児童B「薪運び」 全員「買出し」という台詞があったのですわ。 今でも重い荷物を肩にかけて肩が痛い時は上記の「よびかけ」の台詞が自動的に頭の中でリフレインしちゃうんですが、今物凄く肩が痛いです、肩が日焼けして真赤っかなので。 今おりしも大学図書館の建て替え&引越しで夏中図書館が閉鎖されるので博士課程の院生は1人40冊まで3ヶ月近く図書が貸し出しできるという期間なのです。マルコも30冊ほど図書館で借りて、たいていは自分の研究室にツン読して、3~4冊ずつ自宅に運び込んでるんですわ。 勢い荷物が重くなりかばんの肩紐が日焼けした肩に食い込み、上記よびかけの台詞が始終リフレインしている状態です。 何でそんなに焼けたの?どっか海行ったの?と皆さん尋ねてくれますが、先週末の連休を町民プール行って過ごしたのが原因の「町民プール焼け」なんざんす。 ... 夏ー夕の祭 - 2004年07月18日(日) 夏休みまで秒読み。子どもの頭の中は楽しいことしかございません。親は結構いろいろな問題に直面してても子どものうきうきに引っ張られてなんとなくうきうき過ごし、手がつけられてない仕事が先延ばしになり問題は大きくなるのですが。 今日は午前中は町民プールの流れるプールで流され、帰ってきて昼寝をした後、午後五時から「斑鳩の里子ども夏まつり」に参加してきました。 町が主催で中央公民館で行われた子どものためのお楽しみ会で、保育園の夏祭りが町規模で行われてると思ってください。1号さんの小学校の校長先生が古本市の売り子をしてたり、町議会議員が呼び込みしてたりするなか、ヨーヨーつりとか輪投げとかが10円とか20円の値段設定で楽しめるわけです。 この異常に上手な紙芝居のおじさんもおそらく町のVIP。多分町立の小中学校の先生か? 公民館のホール入り口はかなり賑わっております。このなかでは缶積とかこま回しとか昔の遊びを町の民生委員やらその他ボランティアの人々が子どもに伝授している会場があり、1000人近い人出で熱気むんむんでした。 ところでこの入り口でノコギリクワガタがケース付きで400円で売られていました。 公民館の庭から見た景色。夏休みが始まるねえ。 ... びんご - 2004年07月17日(土) 働く母のネットコミュニティで時折お見かけする方でHNが母エルザさんのパソコンの先生と同名の方がいた。私は内心その方を「母の先生」と名づけ、その方の投稿文は必ずチェックするようにしていた。 そのうち私の日記をはてなアンテナ経由でチェックしてくださってる方の中に「母の先生」のアナザーHNのキーワードが含まれている方がいて、「あ、『母の先生』が見に来てくださってる。当日記に時々登場するエルザさんが目当てでいらしているに違いない。さすが『母の先生』」と思い、勝手に胸を熱くしていた。 「母の先生」もエンピツ日記を書いていらっしゃり、そちらもマルコ好みのスタンスの日記なのでかなり愛読していた。そのうち、勇気を振り絞って「母の先生」の掲示板に「あなた様はひょっとして母の先生では?」と投稿してみたのをきっかけにDMのやりとりをさせていただき、「母の先生」は残念ながら「他人の空似」であることが判明した。 しかし人違いだった「母の先生」日記がおもしろくて愛読を続けているとどうも「元・母の先生」は夫あめでおの大学の同窓生なような気がしてきた。その疑惑から今度は「夫の先輩」という新たな呼び名でお呼びしており、このたびまたしても「夫の先輩」の掲示板に勇気を振り絞って「あなた様は夫の先輩では?」とおよびかけ申上げたら、果たして大ビンゴで同じ学部・同じ学科の2年先輩であられた。 あめでおさんは大学3年までほとんど授業に出なくて山ばっかり登っていたので直接の記憶はご両人ともないようだが叩けばいろいろ共通のご友人なんかも出てきそうなご様子。なによりあめでおさんによってユートピア的に語られる海のそばのその大学の空気が第3者であられる「母の先生改め夫の先輩」から語られるのも大変楽しい。 そういうわけで「夫の先輩」日記今後も愛読予定。 しかしネットはどこでどう通じているかわからないな~と感心。 偶然高校の先輩だったれいこなさん。 西安ー京都ー東京で通じていたももこーさるとるーマルコライン。 タイのてんもさんとマルコが共通の親友を持ってた。 かおさんの高校時代のお友達がマルコの旧友とカンボジアでルームメイトだった。 Kakoさんがニルスの夫の研究室の後輩だった。 かーたんとニルスの親友ジェニファーさんは大学時代のサークルの先輩と後輩。 ダイヤさん夫ぎみの中学時代のバンド仲間がマルコの学部・修士時代の腐れ縁の友。 ちょっと思い浮かべただけでもいろいろ人間関係はオフラインオンライン入り乱れて錯綜しております。これから先もどんな人間関係が析出されるかわかりませんのでどきどきわくわくですわ。 ... 情けは人のためならず - 2004年07月16日(金) 序 今年の3月のことでございます。そのころマルコは優雅に所属先の研究科の集中講義なんか出てたんですが、その朝、バスが大学正門のバス停に到達して、何人もの学生乗客が降りようとしていました。その中で同じ集中講義に出ている女性が小銭がなくってバス代が払えなくって困っていらっしゃいました。 マルコは「同じ講義に出ている方ですよね、払っときますから、講義の時に返してください。」と200円のバス代を立て替えて差し上げました。黒髪の美しいエキゾチックなお顔立ちの方でした。 本論 さて、現在はその4ヵ月後、マルコはD論に向けて生意気にも在日外国人コミュニティやら、在日外国人教育支援NPOやらでフィールドワークなんかをしています。本日は大物中の大物支援活動家のおっちゃんと面会することが出来て、インタビューしていました。おっちゃんは「あなたのご興味のあるプロジェクトの担当は私の妻です。妻を呼びましょう。ちなみに妻はあなたと同じ大学で研究もしてるんですよ。」とおっしゃって奥様をお呼びになりました。現われた黒髪の美しいエキゾチックな奥様はあの朝、バス代が払えなくって困っていた方でした。 お互い顔を見合わせて 「あ、あの時のバス代の!」 と叫びあう私たち。 その後調査が異様にスムースに進んだことを付記しておきます。 情けは人のためならず。 ちいさな親切、大事です。これからは疲れていても、電車の席をまめに譲ることにしようと思います。どんなご恩返しが待ってるか世の中わかったもんじゃありません。 ... 夏ー朝の珍客 - 2004年07月15日(木) きっぱりと夏でございます。 朝から暑くて汗だらだらで登校準備をいたします。 個人面談の時マルコが持って帰らされた1号さんご栽培の朝顔はあまりの暑さに夕暮れには全体的にしおれてしまうので朝夕の水遣りは1回でも欠かしたら、枯れるって感じがして気が抜けません。 しかし怠りなく水をやってるおかげさまで毎朝こんな感じで美しい朝顔が咲いております。(しかし夏休み前に朝顔って咲いてたっけ?温暖化で夏が前倒しでやってきているのか?) 本日はさらにクワガタムシのお嬢さんがベランダで仰向けにひっくり返って苦しんでいたので救助してきゅうりなんかをあげました。 ゴキブリさんとそう変わらない感じですが、クワガタというとなんかありがたい感じがして2児とも必死に覗き込んでおられます。 しかしおKさんクワガタの分のきゅうりまで横取りするってのはどうか?君は既に朝食で母の目玉焼きを横取りしたんだからさ。 そんなわけでとっても季節感あふれる本日の我が家の朝でした。 ... マルコの恩返し - 2004年07月13日(火) 本日は午後3時から1号さんの個人面談が執り行われる。そんなわけで午前中から昼過ぎまではフリーです。今日は何して過ごそうかわくわくしておりました。 おりしも堂島方面で某働く母サイトのランチオフが挙行される模様。久しぶりに楽しんでこようとマルコは浮かれておりました。 専門学校の補講を今週の火曜か金曜にやってくれ、なんてしけた依頼もありましたが、るんるんと補講を2学期に延期しました。参加表明期日に微妙に遅れましたが主催者様の暖かい配慮で何とか参加できそうです。 2児とあめでおさんを送り出した後、さて何を着ていこうかな?昨夏より2キロ分増強したこのお肉を如何に隠すべきかな~、なんて浮かれながら部屋の掃除をしていると携帯が鳴りました。 お向かいに住む1号さんの親友Aちゃんのママからでした。Aちゃんの家には1号さんの同級のAちゃんとおKさんと同級に妹ちゃんがいます。花のようにかわいらしい妹ちゃんは病気で週に1度リハビリにかよっています。 Aちゃんのママは今日からAちゃんが短縮授業なのを知らずに、妹ちゃんのリハビリを入れてしまった。今から妹ちゃんのリハビリに行かなくてはならない。Aちゃんが帰宅する午後1時から、ママと妹ちゃんが帰宅する2時までマルコ宅でAチャンを預かってはくれないかという依頼でした。 日ごろ、特におKさん入院中はAチャン一家には筆舌に尽くしがたいご恩をいただきました。1号さんを朝学校に送り出す役のあめでおさんが早朝出勤せねばならない日は朝7時ころから登校時間まで1号さんをAちゃんちで預かってもらいました。 また夕方、1号さんとマルコがバスで病院に向かおうとしているのを発見したAちゃんママは「も~そんな疲れた顔して何バス待ってんの!」と怒って、自家用車を出して病院まで送ってくれました。帰りは1号さんとあめでおさんを乗せて家まで帰ってくれました。丁度皆疲れていたころでこの親切は骨に染みてありがたかったす。 ここでこれまでの数々のご恩に応えねば、マルコ、女が廃ります。 そんなわけでこの日はちょっこり雑用をした後、下校してくるAチャンを迎えに行き、(ちなみに1号さんは学童)1時間程Aちゃんとまったりおやつ食べて、宿題をみてあげたりして過ごしました。2時ころ無事にリハビリを終えたAちゃんママと妹ちゃんが迎えに来ました。 マルコ、我ここにおいて後悔なし。 でも今度オフがあったらのがすまいぞ、と決意の青い炎を燃やすのでした。 付記:1号さんの個人面談は滞りなく5分ほどで終わりました。1号さん通信簿6科目30個ほどの評価項目すべて「よくできました」。テストも100点以外は取らなかったそうです。駄菓子菓子!授業中自分から1回も手を挙げて発表しなかったそうです。 うむう。わからなくてもじゃんじゃん手を挙げて意味不明な解答を繰り返す子どもだった私には理解できません>1号さんの授業態度。 ... まったり参院選 - 2004年07月11日(日) 今日は日曜-!しかし朝から雷雨です。これでは町民プールにも参れません。ちょっと涼しいので朝食後も布団を引きっぱなしにして、みんなでごろごろしておりました。 ごろごろにも飽きて、布団を上げて掃除して、昼食にそうめんを食べて、さて、参院選にでもいくべ、と思うと選挙の入場券がありません。マルコ・あめでお両方ともありません。探しましたがありません。棄権のぴーんち?と慌てふためきましたがインターネットで調べると、入場券がなくとも運転免許証などの身分証明書を持っていけば投票OKということで、身分証明書握り締めて、家族で近所の投票所にGO. 投票所で「紛失しちゃいました、ごめんなさい。」と平謝りして身分確認してもらいます。選管の皆さんは大変優しく「いいんですよ。紛失しても良く来てくれましたな。」と褒められ、無事投票。 その後本屋さんに行って、ごろごろしながら読む用の本、(あめでおさん→スポーツ雑誌、マルコ→清水ちなみの文庫本、1号さん→お魚図鑑)を買い求め、コンビニでごろごろしながら食べるアイスを購入し、帰宅して予定通りごろごろ。 夜、参院選の開票速報を見て、おーっと興奮してとりあえず就寝しました。 やっぱり競馬見るにしても馬券買ったほうが断然楽しいので、選挙には必ず行くことにしております。自分が馬券買った馬が今後も良い方向に活躍することをお祈りしちょります。 ... 奈良公園の周り - 2004年07月10日(土) 本日は奈良市に1号さんの喘息検診にお出かけしました。最後の薬のオノンもかなり量が減っています。完全薬フリーの日々が来るのか、どきどきいたします。 さて診察後いつものように東向商店街を抜けて興福寺境内へ。おや前方からなにやら華やかなものがやってきます。その華やかなものとはコレ!↓ おお、娘御輿の皆さんです。 今日はなんか神事があったっけ?と思いをめぐらせますが思い当たりません。 うむう、この後姿。どうやら神事ではなく町おこしイベントのようでございました。相変わらず住民参加型町おこしです。 その後興福寺境内でまたもや作ってきたホットドックを食べ、奈良国立博物館へ行き、特別展新羅・黄金の国を見に行きました。 感動的に綺麗です>黄金。良くぞ盗掘にあわずにここまで残ってくださいました。藤ノ木古墳のものと随分似通った形式のものもあり、古代からの韓国・日本両国の浅からぬ縁をかんじました。 ところがおKさん、黄金に目がくらんだのか大興奮してしまい、観覧途中で博物館の監視員のお姉さんにつまみ出されてしまった私ども一家でした。しくしく。 それでもめげずに奈良国立博物館友の会の家族会員に登録しちゃいました。特別展は期間中1回しかいけませんが常設展はフリーパスです。つくづく友の会好きの私どもでございます。まあ1月に1回ペースで行ってるのでいちいち料金払ってたら家計が持たないんですけど。 その後鹿に昼食のパンの残りをやったりしながら帰宅しました。 ... 似ている二人 - 2004年07月09日(金) おKさんはわりとこう和風な柔和なお顔立ちのお子さんです。マルコに似ているか、あめでおさんに似ているかと問われて、どっちともさっくり言い切れないで居たんですが、最近おKさんにものごっついそっくりな人が存在することに気がつきました。 それはおKさん保育園のクラス担任I先生。I先生は前年度も担任してくれた「新卒ですのん、のほほ~ん」というムードを漂わせたおっとりした若い先生です。 マルコが気付くより早く保育園ではすでにうわさになっていたほど両名は似ています。 曰く、「おKさん、I先生の隠し子疑惑」 朝、運良くI先生が居るとマルコはI先生におKさんを託して保育園を出ます。そっくりなI先生に抱かれたおKさんは大変満ち足りた様子で、その二人の姿は実の親子以上に親子っぽいです。 おKさん入院中も、看護婦さんに「Kちゃんはお母さん似ですか?」と問われて、マルコは「いや~、保育園のI先生似です。」と意味不明なお答えをしてしまいました。 ... 告白します。 - 2004年07月08日(木) いろいろとがんばったり、騒いだり、泣いたりして卒乳を果たしたおKさんですが授乳復活してしまいましたー!!どんどんどんぱふぱふぱふ~。 入院前の体調不良時からなんか乳に興味ありそげだったんですが、入院して夜泣きを黙らせたり、点滴嫌がって暴れるのを沈静するために大変よく授乳してしまいました~。 はい、おKさんのせいではありません。大人の都合です。 最近は言葉も達者になられたおKさん 「だっこちてよ~。ちちのませてよ~」 と、号泣なさるので、あのゴールデンウィークのころの卒乳への苦労はナンだったのかと脱力しながらもろ肌脱いじゃうマルコなのでした。 ... お星様にお願い - 2004年07月07日(水) 今日マルコは2週間ぶりにゼミなんかに出ちゃいました。 昨日は笹をとってきて適当に飾って皆でお願い事を書きました。 下記に我が家の願い事大公開。 あめでお「健康、成長、写真」(写真って何だ?) 1号さん「らむべんがほしいですください。」(らむべんとは何だ?) おKさん(あめでおさんが代筆)「ジュース、アイス、お菓子」(即物的な、、) マルコ「今年中に論文1本」 皆、夢はないのか? ... 多分、記念碑的な日々⑥リアルお医者さんごっこ - 2004年07月06日(火) もうとっくに退院して落ち着いてますが、追憶日記。 おKさん入院初日は3人部屋に一人っきりだったのだが、翌日には同室のAちゃん、Bちゃんが入院してこられた。3人とも初日と次の日くらいは病人らしい雰囲気なのだが、3日もすると『お家帰りた~い』というモードに変わる。 喘息児の親は救急も入院もそれなりに経験をつんでいるので退院までに踏むべき検査や手続きを逆算して「うちは多分月曜あたり退院」と見当をつける。 Aちゃんママは前にも書いたけど開業医サンなので自分の聴診器を持ち込んで、娘の肺の音を聞いて「コレならそろそろ退院か?」とかつぶやいていた。 Aちゃん(6歳)とBちゃん(4歳)はそのAちゃんママの聴診器を使って飽きずにお医者さんごっこを繰り返す。2人が医者役と看護婦役を順番に演じ、ぬいぐるみのクマちゃんが患児役。 これが物凄いリアルなのだ。4歳のBちゃんが 「どれくらい前から息が荒くなってきましたか?」とか「看護婦さん、まず血液検査とレントゲンに回して。」とか「とりあえず薬とホクナリンテープ出しときますからそれでダメなら点滴入れましょう。」とか言っちゃうのだ。 Aちゃんの方も「先生吸入は生食(生理食塩水のこと)何CCですか?」とかリアルな看護婦を演じる。 ちいさな2人の長い長い喘息との戦いの歴史に思いを馳せ、親たちは爆笑しながら「笑いすぎて涙が出ちゃった」と涙を拭いた。私も拭いたあの涙は「笑いすぎた」モノかどうか、実はよくわからない。 1号さんも長らく喘息と戦ってきたが、こちらに移住して以来、目に見えて回復への道を歩んでいる。1号さんの長く激しかった戦いが今こうして終息に向かっているようにAちゃんやBちゃんや他の子供たちにも夜が明ける日が来ることを心から願う。 おKさんもこの入院を君の人生のとってもまれな記念碑にしておくれ。お星様にお願いだ。 ... 多分、記念碑的な日々⑤イニシエーション - 2004年07月05日(月) さて入院が申し渡された6月22日(火)午前11時頃、マルコは間違いなくパニックだった。午後6時半に学童保育が終了する1号サンを誰がお迎えするのか。入院準備もしていないおKさんのオムツの替えはあと1枚だ。すぐ帰るつもりだったので布団も干したまま。朝の食事の後片付けも終わってない。 朝1番に近所のお医者さんにちょっと診てもらうつもりで家を出たのに、なぜ私は県立病院の小児病棟で呆然としているのか。 あめでおさんと21世紀職業財団ご紹介の保育サポーターさんに電話してみるが両方つながらない。何度電話してもやっぱりつながらない。保育サポーターさんにはNTT番号案内から21世紀職業財団奈良支部経由で番号を確定した。書くものを持ってなかったので口紅を使ってメモした。携帯は使ってはいけないので公衆電話を使ったのだがなぜかテレカを持っていなくて10円玉と100円玉があっという間になくなった。看護婦さんが昔の入院患者さんの忘れ物のテレカを内緒でくれたのでソレを使って外部との連絡を試み続けた。 午後4時過ぎ、やっとお向かいの家に住む1号サンのクラスメートのお母さんと電話がつながり、学童のお迎えをお願いする。午後5時過ぎゼミが長引いていたあめでおさんとも何とか連絡が取れ、あめでおーマルコの連係プレーで今日がしのげることになり、クラスメートのお母さんへのヘルプをキャンセルして1息着いた。 あめでおさんと連絡が取れなかった数時間、何度か実家に電話してエルザさんに救援をたのもうかと思った。でもこの件を乗り越えるために1番最初に相談するべき相棒はエルザさんではなく、あめでおさんなのだから、救援信号を出すにしてもあめでおさんに相談してから出そう、と公衆電話に伸びかける手を押さえた。 孤独だった。しかしコレは親として自分が自立するための通過儀礼なのかな、とも思った。 その後あめでおさんとの連携はうまくいき、木曜にはあめでおさんに付き添いを代わって貰って、病院から勤め先に出勤したりもした。 久しぶりに人ごみに出ると食事も睡眠も不十分だったので少しふらふらした。でも2コマ3時間の講義を終えると若い学生さんの精気を吸い取った感じで元気になった。 帰りの電車で天王寺名物ベアードパパのシュークリームを自分用に1個買い、缶コーヒーと一緒にパクパク食べた。 シュークリームにぱくつきながら、唐突に小学生の私が盲腸で入院したときのことを思い出した。若かったエルザさんが病院に泊まりこみ、講義があるときだけ病院から勤め先の短大に出かけ終わるとまたベットの傍らに戻ってきてくれた。 当の入院患者の私は学校は休めるは、普段お忙しいエルザさんに甘えられるは腹がいたいのを除けばそれなりに満ち足りた日々を送っていた。 しかし準備不足で講義するつらさも、置き去りにしてきた兄弟児や家事への懸念、硬いベットや続くコンビニ食への不満など、当時エルザさんを取り巻いていたパニックの雲も今ならとてもよくわかる。 あの頃盲腸だけでなく、いろいろ虚弱で何回も入院してごめんね、と思いつつ、少しは私も経験値積んだのよ~。と東の空に向かってにへらっとしてみる。 ... 川床とは? - 2004年07月03日(土) 本日は当HPのどこかにある掲示板の関西在住の重鎮の皆様がうちそろい、川床料理を食べにいかれました。毎年この時期川床料理企画が私や皆様が参加されている某「働く母のHP」関連で開催されているのです。 マルコは狂おしく行きとうございました。去年も行きとうございました。川床料理企画は人気があり、あっという間に定員がいっぱいになるのに、今回に限ってキャンセルな方が出て、マルコを誘惑するように空席が1つ出来ました。 しかしまあ、おKさん退院直後で家族がてんぱってる今日この頃、「じゃあお母さん川床料理食べてくっから」といって一抜けするのもなんだか怖くて、今日は川床料理も食べずにマルコと1号さんは町民プールへ、あめでおさんとおKさんは法隆寺に出かけ、お昼過ぎに法隆寺の門の下で待ち合わせ、作ってきたサンドウィッチを食べたりしてすごしました。 夜9時、そろそろ川床宴会がお開きになるかな?ってときにマルコは万感の思いを込めて「今日は川床オフがあったんだけど、行かなかったの。」とぽつりと呟くとあめでおさんが「あんさん川床料理ってなんだか知ってるの?」とききます。はたっと立ち止まって考えるに、マルコは川床料理とはなんだか知りません。なんでしょうか川床料理って。 答えに詰まっているマルコにあめでおさんは「川に腰まで浸かって、涼を楽しみながらご飯を食べるのです。冷たくて腰の感覚がなくなるそうです。料理の基本は流しそうめんだそうで、川の中に皆で座り、真ん中に設置された流しそうめん機材を流れてくるものを食べるのです。」とにこりともせずにあの深い声で説得力たっぷりに言うのですが、さすがにマルコもおかしいと気付き、 「とてもご馳走だと聞きました。そうめんだけとは思えません。」と反論すると 「流しそうめん機材をそうめんだけでなく様々なものが流れるのです。生きた魚も流れて来るそうで、それを踊り食えなければ、魚は川に逃れて生き長らえるという大変野趣にあふれた企画です。」 とのご託宣をいただきました。 川床オフご参加の皆様、このあめでお師のご託宣は正しいのでしょうか。迷えるマルコをお導きください。 ...
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