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桃次郎の冒険 - 2004年11月23日(火) 休日です。ファミリーメンバーみんな風邪引き気味です。そんでNHK教育でやってた劇団四季のミュージカル桃次郎の冒険なんかみちゃいました。 以下ネタばれあり 話としては桃太郎が鬼退治した後の鬼が島にやってきた桃次郎が「鬼の側から見た世界」に愕然とし、鬼とともに暮らそうとしますが、そこへ桃三郎がやってきて哀しい終末を迎えるという話です。 私は子どもの頃もこれをTVで観たことがあって、そのときは優しい正しいすももねえちゃんがラストで無意味に殺されてしまうのが不条理で、強烈に記憶に残ってました。 あまりにも多くのものを損なわれたすももねえちゃん(父も母も桃太郎に惨殺され幼い妹も虐殺され、その妹の霊を慰めながら生きている)が超人的に桃次郎に優しく出来たのは何故か?とか、もしかしてすももねえちゃんは死にたかったのかな、とか、ちょっと複雑な思いでTVの中のステージをみました。 「すももも、ももも」という主題歌が親子2代で歌えるようになってしまいました。 このステージは子どもがいろいろ考えるきっかけにはいいと思います。 ... 抹香臭い私たち―策略のあめでおさんと仏顔のおKさん― - 2004年11月21日(日) このごろ1号さんが「もう法隆寺ばっかり行くのがいやなの~き~っ」とのたまい、なかなか休日の法隆寺散歩にご同道してくれなくなった。ご同道してくれないからといって、1号さんを一人でおいとくわけにも行かないので、皆で法隆寺に行けない休日なんてのもこのごろあった。 そんな状況を打破すべく、あめでおさんは一計を案じられた。 「1号や、おまえさんもすでに七五三を終えられたので『法隆寺友の会』に入会しなさい。」 『法隆寺友の会』とはご存知年会費3000円で法隆寺の拝観料が必要な部分入り放題、1000円相当の記念品がついてくる、年に数回『聖徳』という読み物が送られてきて、法隆寺が開催する年間のイベントの案内が受けられるというアレである。法隆寺の拝観料は大人は1回1000円なので3回拝観すれば元が取れちゃうという代物で、私たち夫婦は引っ越してきてからわりとすぐに入会し、すでに2回更新している。 友の会にはさすがに『子ども料金』は存在せず、1回の拝観料が500円の子どもが入会するとうまみがいまいちなのだがほぼ毎週法隆寺に通ってる私たちにはやっぱりあるとお得なものなんである。 小学校に入学したら、1号さんも基本的に拝観料を払わなければならないのだが、友の会員子弟としてまあ今までは大目に見てもらっていたのだ。それをここに来てあめでおさんは1号さんを1人前の『友の会会員』にしようという。友の会会員は法隆寺のお宝(今年度は救世観音宝珠が印刷された会員証をもらい、拝観料が必要なスペースに入るときはそれを提示すると、フリーパスで入れるという仕組みだ。 さて7歳児会員、誕生。おそらく最年少会員であろう。切符もぎのおじさんもさすがに幼い1号が会員証を提示するとかなりびっくりする。1号さんはその「おどろかれ感」がたまらない。 『ねえねえ、法隆寺に行こうよ~』とまんまとあめでおさんの策略にはまる1号さんなのであった。 拝観料スペースでは私たちは南向きで日当たりの良い大講堂前の石段にすわり、法隆寺カルトクイズをする。「法隆寺に松の木が多いのは何故ですか?」とか「真中が膨らんだ柱を何といいますか?」とか「金堂の釈迦三尊像を作ったのは誰ですか?」とか「聖徳太子のお母さんの名前はなんですか?」とか法隆寺にまつわる質問を適当にあめでおさんが出し、マルコと1号が競って答えるというクイズである。 クイズをしていると、おKさんが飽きてくる。マルコはクイズをちょっと休んで、おKさんをつれて大講堂に入って講堂の本尊薬師如来像にお祈りをする。ちょっこり風邪気味のおKさんの平癒をお願いした。マルコが合掌するとそれを真似て、おKさんその仏陀の十大弟子の一人、須菩提のようなお顔で合掌し瞑目。そして、はっきりとした声で「せけんこけ、ゆいぶつぜしん!」(世間虚仮、唯仏是真: 現世のことは仮のことで、仏のみが真実である。蘇我氏との朝廷の主導権争いに敗れて半隠居状態になってた晩年の聖徳太子の言葉)と唱える。隣にいたアベックの男性の方がおKさんを振り返ってギョッとして見つめる。 まあこんな感じで私たちの抹香臭い普通の休日はくれていくのでありました。 ... 戒壇堂前でけんか - 2004年11月20日(土) 本日は1号さん喘息定期検診&インフルエンザの予防接種のため奈良市内の主治医さんのもとへ向かいました。途中、我が家最寄り駅で1号さんの担任の先生@教えるのはマルコの3倍くらい上手なプロフェッショナル女教師のK先生に偶然行きあいました。1号さん大興奮。 K先生は大阪まで劇団四季の公演を見に行かれるとのことでした。うらやましいっすうう。K先生はお子さんが中学生なんですが、中学生にもなれば休日は開放してくれるのか>子らよ。 そんで診察後、適当にその辺で昼食を食べたのち、東大寺の戒壇堂に行きました。どういうところかっていうと、こちらのページなんかが良いでしょうか。 とにかく美しい秋の一日。堂内には美しい仏様。ここは4天王像が有名なんですが、増長天のぐわっと怒った顔はおKさんが怒り心頭で泣いている顔と大変似ています。 さて戒壇堂を出たところですでに時計は午後2時40分。今日はマルコは午後から神戸の方で午後5時から共同研究者のお歴々と研究会、午後6時半からフィールドワークの予定だったので午後3時には家庭から離脱する必要がありました。 あめでおさんに「マルコはそろそろおいとましたいのですが」と申し上げると、あめでおさんは「今日は午後4時にこっちを出れば良いと言ってたではないですか?」とおっしゃいます。 「いえ、フィールド前に研究会が入ったので出発は午後3時になったと今日、朝に訂正しました。」と言うと「聞こえていなかった」ということで一気に空気は険悪に。 でも行く時は行かねばなりませぬ、と怒るあめでおさんと2児を置き去りにするマルコでございました。 今日の反省点は事前にホウレンソウ(報告、連絡、相談)はしっかりしましょう。とあんまり子どもの前で(仏様や観光客の皆さんの前ででもですが)口論するのはよろしくないと言うことでしょうか。 でもさ、そりゃあ事前連絡がしっかりしてなかった私にも問題あるけど、こんなに移動に時間のかかるところに住みたがった君にも責任あるでしょ~。しっかり気合入れてフォローしろよ、とあくまで強気なマルコなのですが、一応(深夜)帰ってきてから先に謝りました。ごめんなさい。 ... クール&ビューティ - 2004年11月19日(金) 富山のみんみんさん関西にご光臨になられたので、11月1日オープンのCHEZ SOLVIVAにてランチをご一緒させていただきました。すぐ近くの会社に勤めているなみなみさんも、会社の昼休みを利用して参加してくれました~。 みんみんさんはなんか涼やかに美しい人でした。いや、別に顔の造作のことだけではなくて(マルコはド近眼なので基本的に世界はぼんやりとしか見えていません)纏ってる雰囲気と言うかオーラがとってもクールアンドビューティでした。もちっとわかりやすくいうと、「弧高なる自然体で猫みたいに笑ってる」とでもいうとわかりやすいかな。いや余計わかりにくいか。 「富山で一番あっちこっちの図書館カードを持ってる女」というのもなんつうか的を得た形容詞かもしれませぬ。みんみんさんはあっちこっちの大学で教鞭をとりながらこの秋博士論文を提出しちゃったと、こう書くと鼻血が出そうな勢いなんですがそれを涼しい風情でこなしちゃう感じがなんつうかマレビトなんですわ。 「涼やかさ」というのは多分努力して手に入るものではないのですが、なんか「かくありたし」と久しぶりに思わされる出逢いでした。まあ別に鼻血噴出させながら突っ走るって言う自らのキャラクターもそれなりに愛しているのですが。 ... 駆け出しは旅をする。 - 2004年11月18日(木) マルコ翌4月より某4年制大学で非常勤講師をすることになりました~。ぱふぱふ~。専門学校講師&NGO職員というなんとなくアンダーグラウンドな匂いのする人生も捨てがたいのですが、まあ目の前に来たお寿司はとりあえずいただくことにします(目の前のおすしの出典こちら)。非常勤なので微妙にアンダーグランド臭は漂いますが、まあそれもまた一興。 さて新勤務先は,これがまた遠いです。何県の大学かは申しませんが、遠距離通勤ギネスブックに挑戦かって感じの遠さです。 ところがマルコ周囲の人々にあっさりギネス記録は持っていかれました。 まずはエルザさん。エルザさんはマルコとその兄を立て続けに生んじゃった関係で、某大学の専任研究員の職を辞し、専業主婦さんを5年ほどなさいました。その後やっぱかなり遠隔地の短大(現在は四大)の非常勤講師として復活され,その後もちっと近場の短大(こっちも現在は四大)に移られて、専任助教授→教授と出世していらっしゃったんですわ。ちなみに遠隔地の短大はエルザさんの暮らす目白から128キロのかなたにある駅の周辺にありました。 そしてあめでおさん。彼も北の大地で博士課程の院生中に飢えをしのぐために引き受けた大学の非常勤講師口が住居の札幌からはるか137キロかなたの旭川だったということがありました。 さて,斑鳩よりマルコの今回通勤先となる大学の最寄駅までは123キロ。あはは、ちかいじゃ~ん(涙目)。 ... 危険なネタ - 2004年11月15日(月) 地方と中央の格差の話ってのはなんだかいろいろと難しい問題をはらんでいて、過去このHPの掲示板でも大荒れに荒れたことがあった。れいこなさんの日記および 掲示板で今その話題が出ていて、慎重にみんながコメントをつけている。 マルコとあめでおは東京人VS地方人なので、夫婦でこの危険なネタを対立的に内包している。あめでおさんは自覚的に東京帝国主義と戦うレジスタンス兵士だし、マルコはかなり自覚的に故郷の東京を愛している。夫婦でこのネタでもって会話する場合は人様の目がないことをいことにそれぞれの立場のむき出しの本音を炸裂させあい、結構えげつないけんかになることもある。 地域格差(論争)が原因で離婚ってことになったら、ネタとしては面白いが、具体的なエピソードを人様に紹介できないのがジレンマだ(むき出しの本音がえげつなさ過ぎるので)。 そんで付き合って15年、地域格差論争も15年の私たちが融和するためのツールとして用いている思考法を紹介しておく。 「中心と周縁」理論ってのが山口昌男やもっと根本的にはレヴィ=ストロースの構造主義なんかで語られているのだが、東京-地方の2元論をその他の2元論に置き換えて理解すると理解しやすい。 例えばマルコはジェンダー的な問題にセンシティブなのだが、男女間の格差や不条理を都会-地方の格差・不条理に類推すると言う操作をする。 中心ー東京ー男 | | | 周縁ー地方ー女 てかんじに。 女性は教育の過程で教師の思い込みが投影されたり(ピグマリオン効果)、仕事をえても男性と同等には評価されず、男性と同様の評価を得ようと思ったら3倍有能でなくてはいけなかったり、いわいるたくさんのヒドゥントラックが設定されている。そういう構造的な不利をすっ飛ばして「女性で社会的に成功している人は少ない。よって男性の方が優秀だ」といわれたら「おいおい、もっと過程を見ろよ」といいたくなる。 同様に中央に職場・教育機関を集中させておいて、都市には優秀な若者がたくさん居住している。なんてことを言ったら「その結果を生起させる原因の構造的不平等にふれてくれ」と言いたくなる。 あめでおさんが地方の不利をマルコに説明する場合、しばしば「ジェンダーでいえばこういう状況にあたる」と解説しマルコの理解を得て、あめでおさんがジェンダーに対して無思慮なことを言えば、「あんたは今都会人にOXOいわれた伊賀上野の若者と同じような立場に私を置いたんだよ」と共感しうる形で不快感を伝えた。 、、、とここまで書いてれいこなさん掲示板を見たらマルコより3倍わかりやすくさるとるさん「構造と個人」と言う投稿をなさってた。 まあそういうわけでえげつない夫婦喧嘩はこのごろしばらくしていません。レヴィ=ストロース先生ありがとう。 PS.この話題を掲示板で触れられる場合はくれぐれも慎重にお願いします。また本文中やばい表現があったら、お知らせください。削除も訂正もしませんが「気がつかなくってごめんなさい」と言うことはあるかもな~、と思う。 ... こうしたらどうだ? - 2004年11月14日(日) 皇室制度についての意見はいろいろあるのだと思うが、一番の構造的問題は「皇族と言う貴種の存在を認めることで“国民の法のもとの平等”と言う感覚が著しく阻害されることだ。」と憲法学の授業で習ったように憶えている。今から17年位前に。 またマルコ最近の愛読ページFeliceさんのエッセイ集では皇室を生きる人々の苦痛にも言及され、たいした機能もないのに、人を不幸にするシステムってのはやめたほうがいいんじゃないの?とさっくりまとめておられた。 そんで今回のさーやの結婚話で相手の人がやっぱり貴種で(でもこのひとと6段階友達らしい)こんな条件の男を良くぞ探し出してきたな~、針の穴を通す星飛雄馬の投球術のようだと感心。 この貴種な方との結婚、ということから抱いたマルコの残念感は 1)貴種じゃなくて普通の人と結婚するとか、どこぞのヨーロッパの王女みたいに外国の先住民族な方と結婚するとかして、皇室の「平等感覚への阻害要因」打破に貢献したら面白かったのに>さーや 2)大物負け犬(酒井順子著)として多様化する日本女性のありようを「象徴」して欲しかった ってなことをつらつら考えて、夫@あめでおさんにそういったら、 「2)に関してですが民間負け犬の皆さんと同列に論じてはさーやが可哀想です。民間負け犬は結婚と言う制度に依存しなくても何の不都合もなく恋愛もパートナーの獲得も自由にできますが、さーやは結婚と言う制度がなくては自由に恋愛もパートナーシップもえられないのではないか。それは基本的人権の阻害である。1)に関してはかなり同感だが、やっぱり皇室の機能を「文化遺産」として捉えた場合、それなりの文化遺産としての皇室に親和性を持つ人である必要がある。」 と言う2点のコメントから下記のような改革案をいただきました。 「皇室制度を純粋な文化遺産として、やりたい人が弟子入りして、和歌などの古典教養、神官としての技能、国際感覚などの技を芸事のように習得し、最も高い技能を習得した人が次期天皇になる。基本的に財産はなく、政治的発言も許されず、私生活の自由もないが、日本の象徴として一定期間を過ごす。その期間の衣食住は確保され、老後は年金が支払われるってなことにしたら?そしたら現在皇室が与えている社会へのマイナス要因(=平等感覚の阻害ね)や皇室を生きる人々が宿命的に背負い込む苦痛(=私生活の不自由さ)を軽減出来るのでは?」 とのことでした。 上記のように天皇を一般公募したらやりたい人っている?私はやりたくないけど。世の中に芸事の好きな人っているからな。 しかしこうやって考えるとますます存在意義が不明です>かのひとびと。一番の存在意義は「なんだか知らないけど、続いちゃってるから」ってことなのかな? ... 非伝統的焼菓子 - 2004年11月13日(土) 1号のお友達のお向かいに住んでるAちゃんがお誕生日であらせられました。先月の1号誕生日にはAちゃんの祖母上様が1号に洋服を買ってくださるなど、ご厚情をいただきましたので、なんぞ良いアイディアでお返しは出来ないものかと1号が企画したのが「顔くらいのでっかさのクッキー焼いて、そこにおめでとうメッセージを書いて渡す」というものでした。そんで焼きました。巨大クッキー2枚。 1枚目には「Aちゃんへ、これからもよろしくね、1ごうより」 2枚目には「おたんじょうびおめでとう」と書きたかったのですがスペースの都合で「おたんじょうび」だけになりました↓ おたんじょうび、なんなのだ、って感じですね。 自慢じゃないけどクッキーはあんまり作ったことなかったんですが、昨今はやった子ども向けアニメの「どれみちゃんシリーズ」でどれみちゃんらがお菓子やさんになるシリーズがあり、それ関連の絵本を買ったら、子ども向けのクッキーの作り方が書いてあったので、そのつくり方に従って実践してみました。結構簡単でした。でもあま~いクッキーは嫌なので、レシピの砂糖を60%くらいの量にしてさらに砂糖を普通の砂糖でなくて「てんざい含蜜糖」という茶色い砂糖を使ってみました。 アメリカのようこさんがあんまり甘くない素朴なクッキーをいただいてたのがうらやましかったのでそれを真似てみました。 お菓子の手作りは本当にたまにですが、したほうがいいと思います。いかに市販品が砂糖を大量に使用しているかがよくわかるので。 よくわかったから手作り菓子を作ろう、という結論ではなくて、なるだけ砂糖使った菓子は買わずに、煎餅でも買っとこう、というのが私なりの結論ですが。 ... 突然ですが、未来少年コナン - 2004年11月11日(木) 皆さんご存知ですか?現在、毎週木曜午後7時半、NHK教育放送で未来少年コナンが再放送されております。ってこれは全国的な現象なんざましょうか? 未来少年コナン、ご存知ジブリ爆発前夜の宮崎的アニメのプロトタイプと言うべき秀作でございます。うちの兄嫁が結婚式で小学校時代の恩師に「将来結婚したい理想の男性は『未来少年コナン』と文集につづっだ」と言う逸話が曝露されていました。その話を親族席で「わかる、わかるぞ、ねえちゃん」と呟きながら聞いたマルコにとっても「未来少年コナン」は心のコイビト、不朽の名作なのであります。 1号さんもジブリの絵本シリーズや映画に編集されたバージョンのコナンは見たことあたんですが、いずれも数々の名場面が端寄られており、やっぱあの中身がぎゅっと詰まったお話は全26話しっかりテレビの前で正座してみる必要があると以前から感じていたので、今回の再放送は大変喜ばしいです。 それにしても超磁力兵器が使われた世界大戦は2008年に起こってたのですね。アレクサンダー・ケイの「残された人々」を原作に未来少年コナンが制作された時代は冷戦の真っ只中の1978年。30年後には世界が終わってるって感じはとってもリアルでしたな。そして現実に26年経った今もやっぱり未来が薔薇色になってる確信なんて誰ももてない時代で、さらに事態は混迷しているようにも思います。 モンスリーが初回で「大戦が起こったとき私たちは子どもだったのよ。世界をこんなにしちゃったのはあんたたち大人じゃない!」と、おじいに向かって喝を入れますが、1978年当時確かに責任のない子どもだった私たちは、今ばっちり責任世代になってますな、すまないねえ>モンスリー。そうか宮崎駿はおじいと同世代になる予定の子どもたちに向けてあの話を作ってたんだな。 ところでコナンの声が『どらえもん』のび太で、ダイスの声が『サザエさん』の波平で、モンスリーの声が『ハイジ』のクララという物凄いラインナップにも感動します。のび太と波平はまだ続けてます。 本日が第2回でした。来週は第3回です。みんな見よう。見て、ふがいない大人になってしまったことをモンスリーにお詫びしよう。 ... イケメン文化の民族誌 - 2004年11月08日(月) 1号さん、ちょっとマルコとは異なる立ち位置で人生を送っている7歳児。マルコの幼少期と言うのは「燻し銀のクラスの知恵袋」ってかんじで、まあ適当に賢いけど華やかさにかける少女であったわけです。 駄菓子菓子、娘の1号さんはどこでどう間違ったか、なんと言うか分類的に「クラスのおとなしい美少女」というポジションらしい(と親のマルコが思っているのはひょっとして単なる親ばかか?)。 1号さんの美少女ポジション疑惑は以下の二つの証言から導かれたものです。 ①同じクラスのYちゃんに「1号ちゃんは可愛いからわたしの気持ちなんてわからないのよ!」と叫ばれ、走り去られた。 ②違うクラスの男児2人が好きな女の子として1号の名を挙げた、ということがこっちのクラスまでウワサとして流れてきた。 間違ってもそういうシチュエーションに立ったことのないマルコはひえ~て感じでそういうウワサを聞いていました。そんでとくに②なんですが、「違うクラスの子に見初められる」ってのはすごいな~。 大石静が「美人は黙って座ってても、オトコが振り向いて話し掛けてくるが、非美人は黙って座ってても存在を気づかれないので、自分から告白して振り向かせる作業をしなければならない。そして告白すれば何もしない美人よりは1歩リード。」 とか言ってたけど、まことにそのとおり。マルコも告白する(あるいは面白いことを行って注目を集める)人生を歩んできました。間違っても黙って座ってて美味しい果実をゲットなんてことはありませんでした。 そんでマルコが子ども時代、やっぱりただ黙ってるだけなのに男の子が言い寄っていく女の子ってのは異次元には存在したんですが、彼女らは「いやだわ、こまるわ。」と大変控えめな反応をします。間違っても「へへん!私、もてちゃった、Vサイン!」なんて反応はしません。 しかし1号、そのウワサが伝わってきた日、うちに帰って「おかあちゃん聞いてや!2組のOXOくんとXXO君が1号のこと好きなんやて~!!」と小鼻膨らませて大自慢。そうか、やつらは学校では困った振りしてても内心は得意でしょうがなかったのだな!とはじめて異文化イケメン界の住人の本音に接して、少し驚くワタクシ。「その話を聞いた時、1号ちゃんは学校ではなんていったの?」とイケメン文化のフィールドワークをしておくと、「『え~、、、困るわ。』っていうたねん!!」だそうです。 そうか、そうだったのか。奴らと我らの違いは面の皮一枚で中身は同じだったのね。 もうひとつ感銘を受けたイケメン界の住人に関する考察をもう一発。 以前、掲示板で大流行した相性診断ですが、ある種の男性がたが軒並み「ゴキブリ級」という18段階中18位の低評価の診断結果をおだしになりました。多くが掲示板参加者(女性)のパートナーの方々で、うちのあめでおさんなんかも本人が診断してたら、多分この範疇だったと思います。そんでこの相性診断は恋愛フォーカスなモノなもで、異性の気を引く気配りやセンスに高評価が与えられるシステムになってるんです。そういうモテル文化とはアンチな立場をとってる男性諸氏が「男女のコミュニケーションよりはアイガー北壁が大事」みたいな信念に基づき、自らのアイデンティティとしてゴキブリ評価を獲得したんだと思います。 さて掲示板の重鎮なみなみさまの夫さまは目撃談によると福山雅治に似てたり、ヨン様に似てたりしているいわいる、イケメン界の住人なのですが、この福山似のイケメン夫も堂々のゴキブリランキングを果たされ、なんかイケメンな男はモテル文化と親和性があるんじゃないかと言うワタクシの仮説があっけなくやぶられました。 イケメンというのはモテル文化においては生得的に与えられた資源なわけでイケメンな人の多くはこの資源を利用して恋愛フォーカスな文化=モテル文化を生きているんだと思ったんですが、イケメンでもアンチ恋愛を生きている人がいることにちょっと感動しました。 そうです今回の結論は彼らと我らの違いは面の皮一枚で、中身は違いがあんまりない。つまりイケメン文化というのは存在しなかったのです(モテル文化ってのは顔の美醜に関わらずあると思いますが)。 中身はアンチ恋愛的に生きている福山似の夫さまにとって、そのイケメンはときに邪魔だったかも知れませんな~。 ときにうちの1号さんも「1号ちゃん、高校は女の子だけのところにしようと思うの。お勉強したくてもコイビトが出来ちゃって帰りが遅くなったりしたらいけないと思うから。」とおっしゃっていましたが、イケメンと言う要素がもたらすマイナス要因に早くも危惧を抱いている様子になにやら哀れさをも感じます。 私は人生の初期に「コイビトができちゃって困る」なんて困難をシュミレートすることなく、わが道を爆走してたのは、それはそれでしあわせだったのです。そしてイケメンにはそれなりの生き難さもあるのだということを深く理解したのでした。でも大丈夫>1号。あなたのイケメン度はたいしたことありません。安心してください。 ... もみじの予感 - 2004年11月07日(日) さて、昨日七五三を終えて、本日は後日祭。 夫実家の老親は用事があって朝一番で斑鳩をたたれたので、マルコ実家の老親と我が家のメンバーとで奈良国立博物館へ行って第56回正倉院展 を見ることにする。 最寄のバス停からバスで一気に国立博物館前まで行き、国立博物館友の会の家族会員なので全員無料で博物館に入る。エルザさんとマルコ父(=エルザ夫)と1号さんは音声ガイドの機材を借りて(1号さんは子ども用解説をしてくれる機材を借りる)かなり丹念に見てまわっていた。おKさんのカラータイマーが5分くらいなので、おKさん担当のあめでおさんは前からめぼしをつけておいた展示物をチェックしながら15分ほどで退館し、野点のお茶席で私たちが出てくるのを待っておられた。 私はじっくり見られた人々とさっくり出ていかれた人の間で連絡を取りながら、みたいものを集中的に見る。マルコが面白かったのは、1000年前のビーズ細工と鑑真直筆の経典の借用書。前この博物館で聖徳太子の直筆も見たが、聖徳太子はとっても丸いエレガントな筆跡だったが、鑑真は凄く勢いのある字を書く人だなと感じる。 その後茶席で参加者全員合流し、お庭を散策。 なんかもみじが爆発5秒前って感じで、物凄い紅葉を予感させながらも、わだかまっていた。 紅葉してる木も何本かあり。まあ最盛期は来週か再来週か?再来週末、インフルエンザ予防接種の第二回があって奈良に来るので、そのときはじっくり紅葉見物をしようと思う。 この後、興福寺の宝物殿へ行き(ココも友の会会員なので3人まで無料。マルコは見慣れているのでおKさんと外で待ってる)、適当に鹿をからかい、ご飯を食べて、そこで老親とわかれて私たちはバスで帰宅。老親は大仏やら二月堂や三月堂を元気に攻めた模様。 ひとつ発見。 我が家の人々はマルコ以外は鹿が怖いので、マルコが鹿煎餅片手に群れに分け入って「うりゃうりゃ~」とか言って鹿を屈服させて遊んでいると、あめでおさんと2児は物凄い引いて、物理的に物凄い距離をとって、そんなマルコを恐ろしげに遠くから見つめていたものだったが、さすが似たような遺伝子成分の実母エルザさんはマルコと一緒に鹿と戯れてくださる。やっぱりあのお方はマルコのプロトタイプなのね~。 ... 「神のうち期間」終了 - 2004年11月06日(土) 本日は長女1号さんの7歳の、そして次女おKさんの3歳の七五三の儀式を執り行いました。7歳の女児の儀式は帯解きの犠といい、3歳の祝いは髪置きの犠というんだそうです。出典はこちらの着物やさん。 まあ、あんまり現代社会においてものごっつい意味のある儀式ではありません。ですが、3歳や7歳と言うのは本人の意思より親の意思が尊重される時代です。親や、じじばばが子どもを肴に集まって楽しく過ごしたいんですから、ココはひとつよろしくお願いします、って感じで2児には七五三していただきました。今後娘たちは「着物は日本女性にとってストレインジャケット(拘束衣)である。」という主張をするようになるかもしれませんが、まあここは親の顔立てて一発装ってほしいものです。事実マルコは7歳で着物着て以来、20歳の成人式も、さらにツッパリ盛りの28歳で挙げた、てめえの結婚式も、スーツ着てすませてしませてしまったのでした。今思うとそんなに突っ張りかえらずに、着物のひとつも着といたほうが良かったんでないのか、とじぶんに語りかけてやりたい気持ちもあるのですが、当時は着物着るよりその金でみすず書房の本が買いたい、とか何とか力みかえっていたんだと思います。 前置きは長くなりましたが、とにかく七五三でした。さて上記のようにトラディッショナルな儀式になると割と消極的になってしまうマルコの性格を見越して、実母エルザさんは雛人形とか、七五三の着物が必要な年になると、その売出しが始まる日、つまりシーズンの頭、に必ずお買いになって「買っといたわよ。どうせあんた買わないでしょ。」といって儀式の日の1ヶ月前くらいになるとモノを(足袋も草履もなにもかもセットになった奴)宅急便で送ってくれるのでした。実務能力がまるでないマルコは大変ありがたいですし、姑が「どうするの?」とか言ってくる前にいつもなにもかもが出来上がってるので「用意のいい嫁」のフリをすることまで出来ます。ありがとう>エルザさん。でもよく考えたら、おかげで核家族で儀式ができなくって、前提条件としてマルコとあめでおさんの実家を呼ばなきゃならないわけか、う~む子、親、その親様々に思惑が絡み合う七五三ですな。 また、今年はいろいろと忙しくて、送ってもらった着物も前日まで中身をチェックできませんでしたし、1号のお古として家に置いといたおKさんの3歳児用の着物なんて着せなきゃいけない1時間前まで未チェックでした。 そして今回マルコが頭をひねったのはどうやって儀式からその後の宴会からをマルコの家の外で行うかと言うことでした。マルコは金曜の夕方まで仕事があるので土曜は家の中が掃除できてない状態で迎えます。しかし斑鳩よりはるか東方のお江戸に居住する両実家の老親を呼ぶわけですから、家に一歩たりとも入れん、というのは結構むつかしいです。そこはあめでおさんを参謀にいろいろ策を練って、参加者の集合場所を会場となる龍田神社において現地集合と言うことにして、龍田神社から我が家の間にある旅館に両実家の老親を宿泊させ、そこで夕食をみんなで食べてお祝いをする、という段取りにしました。まあ、これで「家の掃除」と「宴会の準備」と「客の宿泊」と言う三重苦から逃れられます。マルコの仕事は適当に家族のものを着飾らせて、お参りさせて、酒飲んで飯食っていっちょ上がりです。ですので事前準備は1号さんの着付けの予約と旅館の予約のみでした。ちょろいぜ。 さて、当日、まずは1号さんとあめでおさんが予約しといた家のお向かいのパーマ屋に着付けしてもらいに参りました。そこでゆるゆるとおKさんが着る予定の着物を取り出しまあいっちょ、着させるべ、と思ったら!んが~ん!!丈が長くておひきづりさんです!なぜ?なにゆえ?1号さんだってこれを着たじゃん!と灰色の脳細胞を回転させると、そうだ、1号さんも長かったから、エルザさんが着丈を短くして宅急便で送ってくれてたんだけど、その後も毎年お正月に着せてたら、5歳くらいで丈が短くなったからもとの長いサイズに戻しちゃったんだっけ、といろんな映像が脳裏をよぎりまくります。さて困った、コレから丈を短くする時間も技術もない。一心に長すぎる丈の着物を見つめていると、以前エルザさんが丈を短くされた時の縫い痕が裏地に微妙にのこっています!その縫い痕を頼りに安全ピン7本を使用して何とか丈を短くすることに成功。 そのピンチを脱した晴れ姿が下記でございます。 汗だくになって1号さんの準備をしている美容院におKさんを伴い参りますと、1号さんさすがにプロの手によりそれなりに変身なされて、半玉か、チビタマかって雰囲気で完成なされておりました。 そこから着物姿の2児に運動靴はかせて、バスに乗って龍田神社に移動しました。バスに乗り合わせた老女な方も運転手さんも「七五三かい?おめでとう。」と祝福してくれました。神社に到着し、しばらくして参加者全員集いました。まあココで10円ほどお賽銭上げてむにゃむにゃお参りして帰ろうかとも思ったのですが、ちょうどそのとき、お宮参りで祈祷してもらってたご一行様が拝殿から出てこられました。神主さんもばっちり装束決めてそこに居られたので「まったく予約してないんですがご祈祷お願いできますか?」と聞くと「いいですよ」と気さくに応じてくれました。2人ともお祈りしてもらって9000円でした。 下記がお祈りされ中の1号さん。祝詞も郷土色豊でおもしろかったです。ちなみに神主さんは女性でした。なんか優しげでいい感じでした。 さてその後あめでおさんも心行くまで写真をとられ、気が済んだところで、再び2児は草履から運動靴に履き替えて、全員で宿泊先の法隆寺の東にある旅館「大黒屋」さんに移動。ここは正岡子規が逗留したり、高浜虚子の「斑鳩物語」ではこの旅館の娘が法隆寺の僧と恋に落ちると言う設定だったりしてまあ、由緒正しい旅館なんですが、今は寂れてご夫婦2人で営まれている民宿って雰囲気でした。でもお料理も素朴に美味しく、とっても善人そうな女将さんが素敵で「まさかあなた様があの斑鳩物語のモデルでは?」というような失礼な疑問は持ちませんでした。 で、まあその大黒屋への移動途中、法隆寺境内を散歩がてらみんなでそぞろ歩き中が下記の写真です。 2人も女の子が着物着てれば、それなりに目立ち、割と注目を集めました。おいおい七五三は寺におまいりじゃなくて神社だろ?という突っ込みも聞こえてきそうでしたが、法隆寺は散歩経路なのです。お許しください。 中でも外国からのお客さんは非常に子どものばっちりした民族衣装が嬉しいようで、白髪の欧米系と思われる一人旅中と思しきおばあさんがふらふらと私たちについてこられました。 まあ気持ちはわかります。私だってアフリカ勤務中、平素びしっとスーツ着てるアフリカ人の皆さんがお祭りの日に腰蓑つけてトラディショナルダンス踊ってくれれば、ばしばしカメラで写真とって、やっぱこうでなくっちゃ、と喜んだものです。またスペインに学部の卒業旅行で参上したときちょうどスペイン・バレンシアの火祭で民族衣装姿のお嬢さん「ポルファボール」とお願いして写真とらせてもらいました。 さて、件の白髪のおばあさんはかな~り長い間1号さんの跡を追いかけた後、「シル・ブ・プレ」とフランス語で声をかけてこられて、身振りで写真とらせてくれ、とお願いされました。なんか現地人としては嬉しい気持ちで「ダコード、シル・ブ・プレ」と鷹揚に許可を与えます。 あめでおさんがカメラを向けると嫌がる1号さんも、このときはびっとカメラ目線で写真を取られていました。あめでおさんもココを逃がさずとフランス婦人の横で激写活動。「1号め、わしだと写真をとらせんくせに、フランス人には許しおって、わしもフランス人になろうか」なぞと口走ります。 あめでおさんあんたきょう1日で700枚も取ったやん>写真。 あのご婦人が撮影なされた写真はフランスでどんな風にアルバムに張られたり、知人に見せられたりするのかな?とあまやかに想像しながらも、悪用しないでね、おばあさんとも思う情報化社会の私たちなのでした。 まあ、私は世俗の絆にびしばしつながれて今日の七五三を楽しく執り行ったわけだけど、異国を一人旅する老境の自由にしばし思いを寄せたりしました。 そんで大黒屋さんで着物を脱いで、ちょいとおしゃれ目な黒いビロードのワンピースに着替えて2匹の黒猫のように法隆寺境内で夕暮れまで散歩しました。 まあ2児をはじめ、遠方よりお越しのお客さんも、いろいろとたくらんだあめでおさんもマルコもまったくお疲れ様でした。それなりに人生の中で思い出に残る良き一日となりました。肴になってくれてありがとう>1号さんとおKさん。 ... 人生は大逆転のないスポ根 - 2004年11月04日(木) スポ根(例としては巨人の星とかタッチとか)で主人公はまず大変やられる。いろいろと苦労したり絶対勝てそうに無いライバルに圧倒されたりする。でも要所ではすっこ~んと魔球とか超人的な努力の成果とかで気分よく大逆転で勝つ。主人公と一緒に苦労してた読者はえもいわれぬカタルシスを得る。 でも実際はそんな都合のいい大逆転なんてない。きっとね。 したり顔した小泉君を「ケリーがブッシュを倒す」という他所で起こった大逆転でもってぎゃふんといわせたかったんだ、私は。でも、そうは上手くいかなかった外圧を期待している場合ではなくなってしまった。 それにしても意味もなく死んでいった10万のイラク民衆と1000人のアメリカ兵の屍を乗り越えてブッシュにYESといった51%のアメリカ人をハーグの国際裁判所に歴史揺籃罪(なんてあるのか知らんが)で訴えられんか。なんかアメリカって言うと都市部のリベラルな人ばっかりを思い浮かべてたんだけど、「ハンバーガーとコーラ片手にカウチに座ってついでにチーズのたっぷりかかったチップスとかも食べながら野球をみるような大男」(掲示板より)がときどき「フットボール見ながらプレッツェルをのどに詰まらせたり」(やっぱり掲示板より)しながら「世界中アメリカになっちゃえば平和が訪れるのに」(これも掲示板から)とか無教養なこと言ってブッシュに投票したんだろうな。 でもブッシュにNOと言った49%はちゃんと自らの国の過ちに向き合おうとしたんだ。そのことを励みに、今度はしっかり日本の選挙に参加しよう、と思う。大逆転のカタルシスを得るのは難しいかもしれないけど、キーワードは「地道」ですわ。 ところで今回アメリカ民主党が支持者のリストを元に、1軒1軒尋ねていって、「選挙棄権しないで、投票に行ってください」とだけ伝えるという草の根の選挙運動を展開した模様。地道だ。今回は負けたけど1000里の道も一歩からだな~。 じゃあ、まず1000里の道も一歩からの一歩目として掲示板でどらりんさんが紹介してくれたこのページを日記にも、はっておこう。 ... 文化の日なので学祭なんかに行く - 2004年11月03日(水) 本日はあめでおさん勤務の大学が学祭。学祭にあわせて来春受験を考えている高校生の皆様への進路相談会なんかを大学はやっちゃうそうだ。またもや講座の同僚教員とのじゃんけんに負たあめでおさんは高校生へのサービスアテンド役を仰せつかった。 それにしてもこのごろの大学というのはほんとに学生確保のために労をいとわない。私たちポスト丙午世代は「学生なんて掃いて捨てるほどいるから」って感じでこういう大学教育に関する消費者サービスを一切受けられなかったのに、も~まったく時代は変われば変わるもんである。 午前10時から午後4時までサービス業者として拘束されてるあめでおさんが「学祭は子ども向け企画も多いようですから、遊びに来ては?」というので昼過ぎから2児を連れてまあちょっとでかけることにする。 大学の学祭、てめえの大学の学祭も学部3年くらいからノータッチで現在の博士課程の所属先の学祭に至ってはいつやってるのかも知らないというのに参加してしまいました。 若者汁がそこココでほとばしっており、なんだか疲れました。子どもが大人に脱皮しようとしている現場って言うんでしょうか。その青臭さで息苦しいような感じでしたが、明らかに外部から侵入しちゃった雰囲気の香具師のおっさんのオカメインコの芸がにグッときました。 大道芸サークルの大道芸に1号さんが魅入られてしまい、ほとんどの時間を大道芸の方々の前で過ごして、もの凄いショットとかデジカメでとっちゃったんですが、ココで掲載するのはちょいと控えます。 4時に進路説明会の会場前で任務を終えたあめでおさんと合流して帰宅。解凍しておいた刺身と作っておいた味噌汁で夕食。 そしてそして震える手でネット開いて米大統領選の結果(現時点での)をチェック。なに~だめじゃん!ブッシュ優勢?!!アメリカ人の51%くらいはひょっとして新聞読んでないのか?町内のニュースしか読まないのか? でも他人のことは言えません。私の愛する故郷、東京もとんでもないレイシストを知事にして喜んでるんですから。私はレイシスト君に投票したという人を発見すると、多少人間関係が傷つこうがかまわず、こんこんと次回は止めるように説得しております。今までで一人しか発見できませんでしたが、そしてその一人とはあめでおさんのご生母さまなのでした~。 そういうわけでいろいろと盛りだくさんな一日でした。あ~明日休みじゃないのね。そうですかそうですか。 ... 雨の11月~おうちに帰ろう - 2004年11月01日(月) イラクのバクダットから哀しい知らせが届く。 四月の人質事件のときはこんなふうに、こんなふうに、こんなふうに感想をつづった。 今回の犯人と目されるザルカウィはもともとヨルダン人でアメリカによって生じたイラクの混乱が引き寄せた外来テログループのようだ。ザルカウィ一派の犯行には地元の聖職者会議も手が出せず、これまでもアメリカ・イギリスだけでなく、韓国人やネパール人、トルコ人さらにはイラク人にも被害者が出ているという。犯行グループがザルカウィ一派らしいと言うだけでなんとなく最初から絶望感が漂っていた。 日本政府が最初から若者を『迷惑な存在』として見捨てた態度については、Feliceさんの日記にとても同感。 アメリカ大統領選挙の投票日は明日。アメリカに、ブッシュの政治を総括できる指導者が現われてくれることを強く望む。 その大きな枠組みの変化を見越した上で12月14日のサマワの自衛隊の駐留期限更新を検討しても良いのではないか。駐留期限更新に関してはテロリストによる脅迫に屈したという形ではなく、いま一度検討するべきではないか? 『あと、また日本に戻りたいです』とつぶやくように言った彼の言葉をサマワにいる人々に再び、みたび、つぶやかせてはいけない。既に開戦の大義は崩れ、派遣の前提であった安全確保もむなしく、「人道的支援としての派遣」という国内向けダブルスタンダードのお題目は無残に砕かれた。 誰が若者を殺したのか。若者の無鉄砲な好奇心か,狂った悪いテロリストか、悪いテロリストをバクダットに呼び寄せたブッシュか,はたまたそれに追随することを最優先事項とする小泉か、そんな指導者を漫然と選んでしまった両国の国民か。多分全部だ。 若者の死後もバクダットは3,840,000人、イラク全土では25,000,000の人口を抱えて朝と夜を迎えつづける。日本国民やアメリカ国民と違って彼らには支配者を選ぶという権利が与えられていない。その点において、支配者を選ぶことが出来る国の人間の責任は重い。 1日も早く混乱が収束し、普通のバクダット市民と民間の外国人が平和に暮らせるバクダットに戻ってくれることを祈り、私たちに出来ることを私たちは行おうと思う。 追記:昨日布団にはいってから、フセインはともかく日本の総理大臣やアメリカの大統領を「支配者」ってよぶのってへん!とかおもいました。じゃあ、なんだろう、代表者?でもこの民意の聞いてくれなさは代表者って感じでもないしね~。 ...
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