オクラホマ・スティルウォーターから

2001年01月31日(水) 確定申告

 確定申告の季節、、、といってもアメリカのことである。税金を扱うIRSから申請書類も送られてきたし、再来週ぐらいから書き始めることにしますか。
 書類は郵便局にもあるが、外国人用の書類は置いてないこともあるので、そういう場合は、インターネットから取り寄せることもできる。

 アメリカで収入があった外国人のためにも書類があってそれに書き込むのだが、日本人はアメリカと日本との協定があって、子供の数で控除されたり、日本人というだけで控除額があったりする。また、学生の場合は3年、教師の場合は2年、最初の2000ドルまで無課税なので、その申請をしないといけないことになっている。

 たいていの学校で、留学生に対して書類の書き方の講習があって、専門家が来て、説明してくれる。わからないところはその場で聞くことができる。
 これまでも、大学からもらっていたなけなしのお金にかかる課税額はマイナスで、日本円で約3万円ぐらい返ってきていた。たぶん今年もそれぐらい帰ってくる見通しである。



2001年01月30日(火) 会話パートナー

 今日から、以前教えていた日本語のクラスの学生の会話パートナーになった。日本名をゆきこさんといって、お母さんが沖縄出身である。ゆきこさんは日本の文部省主催のジェットプログラムに応募していて、審査が通れば、日本の高校で最長2年間、英語を教えることになる。神奈川にも親戚がいるそうで、もし神奈川で教えることになればいいなあといっている。

 もともとクラスでも成績は優秀で、家の中でも習った文を犬を相手に練習するほどの熱心さで、今日から少しでも日本語の会話の練習になればと会話の時間をプライベートで持つことになった。犬よりはいい会話のパートナーになってあげられると思うのだが、今日は一般的な話になり、ほとんど日本語の会話ができなかったので、来週から、ちゃんと日本語で話そうと思う。

 また、今の日本語のクラスでも徐々に難しくなっているようで、文章の単語は分かるのに、1つの文章として意味がつながらないのがあるらしい。それは英語にも当てはまることで、単語はわかるのに、全体の意味がわからないということがある。

 今日のゆきこさんが見せてくれた、わからない文章というのは長い会話の一部でかぎかっこの中の文章である。
 日本語を勉強している、ある外国人のところに宅配便がきて、言った言葉である。

 「すみません、おとなりの長山さんの宅配便ですが、あずかっていただけないでしょうか。」

 日常、よく聞くであろう文章である。ゆきこさんがわからなかった部分は「おとなりの長山さんの宅配便」である。「おとなり」と「長山さん」の間に「の」があって、これがわかりにくかったのと、宅配便の人が見せているであろう荷物を見せているので、主語の「これは」がなかったこと。
 また状況で理解できることもある。きっと日本でこういう状況になればわかると思う。
 
 



2001年01月29日(月) 風邪

 12月半ばから1月にかけて、2回も風邪をひいてしまって、また、今も風邪菌と闘っている。

私の場合の風邪をひく要因の主なものである。
1.寝不足
2.疲れ
3.水分不足
4.ビタミン不足
5.甘い物を食べ過ぎ

 1から3は誰にでもあることだが、5は意外に思われるかもしれない。
甘い物を食べて水分不足になって、体の抵抗力が落ちて(?)風邪をひくというパターンである。これは子供の時からそうである。
 今の戦闘状態は、水分の摂取とビタミンの補給である。紅茶にレモンを入れてたくさん飲んでいる。また両親が置いていったスタミナドリンクを小出しに飲んでいる。来週まで風邪をひいてはいけないことになっている私。なんとか、来週の土曜日まではもってほしいと、ひたすら闘っている私である。



2001年01月27日(土) 同窓

 最近、懐かしい友人とメールでやり取りしている。大学のクラスメートであったり、高校の下宿でいっしょだった子だったり、インターネットでどこにいてもメールで話せるというのは、すごいことだなあと思う。たった10年前までは考えられなかったことだ。私のように国外にいると、手紙を書いて送って、返事がくるまで2ヶ月や3ヶ月は当たり前で、最初は友人から物珍しさもあるのか手紙を送ってきてくれるのだが、そのうち来なくなって、メールボックスに入っているものといえば、電話や光熱費の請求書ぐらいで、たまに来る手紙には飛びついて、何度も読んでしまうのである。

 メールでのやり取りは、その日の内も可能で、日本にいようが、国外にいようが関係ないのがすごい。

 メールだけではない。HPの掲示板はすごいことになっている。これまで遊びに来て下さった方のお住まいは日本、中国、トルコ、イギリス、アメリカ、ブラジル、と国際的。インターネットに感謝である。



2001年01月26日(金) トルコ人パーティー

 夜には隣町に住むトルコ人のアパートでポットラック(持ち寄り)パーティーがあった。ポーツマスに住むトルコ人を迎えに行って、アパートについたのは集合時間を1時間ぐらい上回っていた。12,3人集まった中でトルコ人じゃないのは私とトルコ人の教授の奥さんぐらいだった。それでアメリカの市民権の話になって、市民権を持っているトルコ人が2人いたが、生まれた当初から持っているのは、梨奈だけということが判明。違いはといえば、後から市民権をもらった人は大統領に立候補できないのである。たとえば、アーノルド・シュワルツネッガー。彼は移民なので、市民権はあるが、大統領になれないのである。そうすると、梨奈は合法的に大統領に立候補できるのである。そうすると、トルコ人の教授、面白い人で、学長であるにもかかわらず、梨奈に敬礼するのである。



2001年01月25日(木) 世間は狭いな2

 今回はパートⅠまではいかないけど、ネジャーティの恩人を私の高校の卒業生が知っていたというもの。

 同窓のHP「指とま」に高校と大学の分を登録してて、高校の方をチェックしていると、下の学年のある卒業生が、卒業生に協力を求めていた。高校の進路指導の先生が卒業生の声を在校生に届くようにするためにHPを開くようで、そのために留学経験者や特殊分野で仕事してる卒業生の協力を求めているものだった。
 自分の留学経験が在校生にとってお役に立つかどうかわからないが、連絡だけしてみようとその卒業生にメールを送った。メールのアドレスが沖縄にある大学の医学部になっていたので、ネジャーティの恩人がそちらにいます、と書いていたら、返事のメールに、毎日その先生に会っています、ということで、あら、また狭い世間やなぁと思ったのである。

 恩人というのは、その医学部の先生で、ネジャーティが1人ではじめて日本にきたときに助けていただいた方なのである。この話は長くなるので、詳しい話はまたHPに後日載せるとして、簡単に言うと、成田経由伊丹行きの飛行機に乗り遅れたことから、次の日にバスで羽田に行って、羽田から伊丹に飛ぶことになったのだが、成田の航空会社の人曰く、「こちらでは何もできないので、羽田に行って、航空会社の人と話してください」という無責任さ。国際線と国内線が別会社だったのと、伊丹行きは1日1本、夕方だけなので、その時間まで待つのはあほらしい。
 不安な中乗った、羽田行きのバスで隣に座っていたのがその先生だったわけである。事情を聞くや、すぐさま携帯で航空会社の人と話をつけ、無事トラブルを解決されたのである。そうでなければ、最悪の場合、国内線のチケットを買う羽目になっていたそうである。
 成田まで迎えに行くべきだったかな、という自責の念と、航空会社の対応の悪さへの怒りもあったが、先生に助けていただいたということは感謝しても仕切れないのである。特に、ネジャーティとは結婚する前だったので、いってみれば、親への紹介を兼ねた来日だったのである。
 結婚を報告した時には、喜んでくださったようで、お手紙をいただいた。

 恩人がいらっしゃるところに、たまたま高校の卒業生がいたという話でした。



2001年01月24日(水) 3人の誕生日

 今日は、私の知り合い3人の誕生日です。2人は中学の同級生で、中学の時、今日が誕生日で、同じ学年に2人、同じ誕生日の人がいるんだ、というのが印象に残っていたのです。
 もう1人というのは、大学時代の英語のクラスの先生です。大学では4年間+2年間、お世話になりました。女性の先生で、アメリカにも留学経験がある先生なのですが、当時の英語のクラスはとても仲がよく、みんなもこの先生の授業が好きで、クラスでよく飲み会も開いて、先生もお呼びしたりしました。「10年間教えていて、こんなに仲がいいクラスも初めてだ」と驚いていらっしゃいましたが、先生もご自宅にクラスのみんなを呼んでくださったりしました。留学の時も、推薦状を書いてくださったり、今でも先生とお付き合いをさせていただいています。
 今日がお誕生日だと知ったのは、ここ2、3年の話で、去年は海外でお誕生日を過ごされたとか。今年は日本でしょうか?
 
 同窓生HPの「指とま」(この指とまれ)に、つい最近、その英語のクラスの仲間が登録したようで、思わずそのHPからメールを出しました。彼女は私を覚えていてくれているかどうか、、、。



2001年01月23日(火) 久しぶりの散歩

 午前中は、このアパートのメインテナンスをしているトムがきた。昨日も来たのだが、トイレのタンクの下の床が少し濡れているので、来てもらって、結局はお風呂の蛇口からお湯が漏れている状態だったので、部屋全体が湿気ていて、タンクが汗をかいて、その水が床に落ちていたようだった。
 午後もう1回来て、蛇口を交換に来た。午前に一応漏れるのは直して、午後に蛇口を交換する、よくわからないことだったが、ちゃんと直してもらえたらそれでいい。
 それから、台所の換気扇を開け閉めする鎖が、引っ越した当初から汚くて、きれいにならなかったので、それも交換してもらった。こんなことなら早くしてもらうんだったが、鎖だけのために来てもらうのも悪いなあと思ったのと、トムは靴を脱がないので(頼んでも「セキュリティーのために脱げない」といって)、鎖だけのために、土足で入られて、掃除するのが面倒だったということもあって、ほっといていた。

 お風呂の蛇口が直って以来、お風呂場が寒くなった気がする。漏れてたのは水で、暖房で暖かいんだとばかり思っていた。

 トムが帰った後、久しぶりに、7度ぐらいに上がっていたので、梨奈をベビーカーに乗せて、アパートの周りを散歩した。ここ最近ずっと寒く、日中でも0度を保ったままで、なかなか外に出られなかったからだ。梨奈のお昼寝時間ともあって、途中で寝てしまった。風がちょっと吹いていたが、久々に外の空気を吸ったので、気持ちがよかった。



2001年01月22日(月) 10秒立った!/私の勝ち!

10秒立った!
 夜、梨奈が10秒立った! 私につかまっていたが、つかまっていないも同然で、そっと離した。梨奈はテレビに夢中で、1人で立っていることに気づかない様子だった。10秒ぐらいして、1人で立っていることに気づき、座り込んでしまったが、こんなに長く立っていたのは初めて。

私の勝ち!
 何を書こうと思っていたのか忘れてしまった。あっ、思い出した。
夜、テレビを見てたら、映画をやってて、ニューヨーク州にあるシュラキス大学の教授の少年時代という設定で、少年役は、まだ声変わりしていない、あるアメリカの若手俳優が10代だった。
 自慢じゃないが、外国人の名前を覚えるのがとても苦手な私。高校で日本史をとったのもその理由の一つ(日本人だと、ちゃんと覚えられるが、最近物覚えが、、、)。それで、その若手俳優の名前も顔と名前が一致しない。ネジャーティに、「この俳優誰? ブラット・ピットじゃないよね」というと、違う、という。「デカプリオ?」と聞くと、そうじゃないという。「○○の映画に出てた人」といって、ネジャーティも名前が出てこない。それで、インターネットから引っ張り出してきて、「マット・デーモンだよ」と言って、インターネットのページを見せてくれたが、10代から比べると、おっさんになったなぁ、という印象をもった。
 
 映画ではお父さん役がロバート・デニーロで、お母さん役は覚えていないが、家族の話である。少年は大学入学の際に奨学金をもらったが、お父さんが使ってしまい、2人で大喧嘩。最後には、そのお母さん、出て行ってしまうのだが。
 そして、映画が終わり、キャストを見ると、、、、。「デカプリオ」だった。「マット・デーモン」なんて、うそばっかり。だから、私の勝ち!
 
 この映画、1993年の映画である。そうすると8年前。デカプリオが声変わりする前の映画だが、何歳なんだろう? 映画の題名は忘れたが、もし、興味のある方は、10代のデカプリオをごらんあれ。



2001年01月21日(日) サイコ

 「サイコ」は人の名前でもなく、「ウ」が抜けたのでもなく、あのヒッチコックの映画「サイコ」である。中学時代に見て以来で、内容もほとんど忘れたが、モーテルに泊まった女性がシャワーを浴びている時に殺されるシーン、また排水溝をズームアップするシーンは強烈で、ショックを覚えた記憶がある。そのシーンだけを覚えていたが、昨日の夜、テレビで「サイコ」をやっていて、ネジャーティとどんなんだったかなあと言いながら見ていた。

 ところで、フロリダにあるユニバーサル・スタジオカリフォルニアにあるユニバーサル・スタジオより小さかったが、おとどしぐらいに、遊園地の部分を広くしていた。それは置いといて、映画のセットの1つは、この「サイコ」なのである。これは、劇場みたいになっていて、観客席に座り、ステージには「サイコ」のシャワーの撮影シーンをスタッフが再現して、どうやって撮ったかを説明くれる。シャワーを浴びてる女性はもちろん裸じゃないので、その辺は男性の方、期待しないように。それで、サイコ役の男の人、もう1人説明してくれる人も、見事の話術で、セット、カメラの位置(確かシャワーの近くに6台あった)を説明してくれる。また観客からボランティアを募って、ステージに上がってもらい、再現を手伝うもの。
 最後には、観客をあっといわせて、謎に包まれながら帰っていくのだが、、。

 大阪にユニバーサル・スタジオができるが、「サイコ」のコーナーがあれば、興味のある人は行ってみるべし。また、アメリカのユニバーサルに行く機会があれば、是非ご覧あれ。



2001年01月20日(土) あめちゃん

 今日で、13ヶ月になる梨奈。早いものだ。昨日は晩ごはんの後、3人とも3時間ぐらい寝てしまって、その後が寝られなくて、今日はお昼近いが、ネジャーティも梨奈もまだ寝ている。私は眠たいにもかかわらず、起きてしまった。

 最近、毎日書くことがあって、これをずっと言えなかったので、やっと今日書ける。
 インターネットで、30分にまとめてある、ABCラジオ(大阪)でやってる「上沼恵美子のこころ晴天」を月曜日分、火曜日分を聞くのが好きなのだが、この前の火曜日の分で、「「あめちゃん」って、関西でしか言わへん」と言っていた。そうすると、関西以外の人は、あめちゃんって何のことかわからへんってことなんかなぁ。
ちなみに「あめちゃん」を言うときは、下がるのではなく、「あ」から「め」まで上げて、「ちゃん」はそのまま平坦に言うのです。
           
 イントネーションは「あめちゃん」(下記参照)なのです。
           _----

 このあめは「雨」ではなく、食べる方の「飴」なのです。Candyです(もうええって)。
 関西以外でも、「あめちゃん」という方、是非、教えてください。
           



2001年01月19日(金) 電話の相手は?

 今日は雪が降っています。雪が木の枝に積もっている風景を見ていると、アメリカにいるにもかかわらず、日本の情景を思い浮かべてしまいます。雪と言えば、江戸時代に起きた赤穂浪士の討ち入りや、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたのも雪の日でしたね。雪の静けさと動乱の激しさが対照的というか、、、。

 雪が降らないことを願っていたのに、降ってしまいました。ラマザン、フィリズ、トゥーチェちゃんがトルコに帰る日です。ボストンからルフトハンザに乗って、ドイツのフランクフルトで乗り換え、トルコのイスタンブールに着きます。

 3人がここを出るのは昼の12時で、それまでに友人から電話がかかってきたりして、それから送り出す支度をしていました。朝、いつもシャワーを浴びるので、梨奈をリビングに一人にしておいてシャワーを浴びていました。ネジャーティはここから2,3分のところにある学校に行っています。その間とんでもないことが起きていたのです。

 浴び終わったらネジャーティが学校から帰ってきていて、一言、「電話をしたら、梨奈が出たよ」。そうです。明日で13ヶ月になる梨奈が、たまたま机の前の椅子に登っていて、机の上の電話が鳴ったので、受話器を取ったんです。それでネジャーティに向かって意味のない言葉で喋り始めたんです。受話器は梨奈が放り投げ、電話はつながったままなので、ネジャーティは電話を切って慌てて、アパートに帰ってきたというわけです。
 普段、電話が鳴ると私を見る梨奈。受話器を取る私の姿を覚えていたのか、今日は私に代わってとってくれたということでしょうか?そのうち短縮ダイヤルも押して、どこかにかけてしまうかもしれません。

 トルコ人の家族の話に戻って、3人を空港まで送っていくのは、独身のトルコ人2人。車がアパートから出発したときに、見送りのトルコ人の女の子が水が入ったコップを持っていて、その水を車の方にかけました。トルコでの慣わしだそうです。水の勢いのように旅もうまく行くように、という意味があるそうです。

 今、梨奈はお昼ね。梨奈は自分の寝言で目が覚めました。



2001年01月18日(木) 最後の演説

 今日、クリントンは、大統領として最後の演説をした。アメリカの大統領は2期が最長だが、もし何期でもできたら、次の期もクリントンがなったに違いない、と思う。

 雪空で、今にも雪が降りそうだったが、結局降らなかった。明日は降らないように。ラマザン、フィリズがトルコに帰るから。



2001年01月17日(水) この日を忘れまい--震災から6年

 アメリカ時間では16日だったが、今日であの震災から6年が経った。震災での経験はHPの
「6年前の阪神大震災」で述べている通り。

 静岡に6年いて、89年の伊豆沖の海底噴火による地震も経験したので、多少の地震には慣れたが、こんな閑静な住宅街の阪神地域で、まさかあんな地震が起こるとは予想もしていなかった。

 うちの父は地鳴りで目が覚めたという地震。まだ寝ている時間だったので、布団の中で揺れが止まるのを待つだけで精一杯。電気は1時間後についたが、その間の家全体、街全体がすごく静かだったこと。その日はテレビにかじりつきで、電気をつけたまま、コタツで寝たこと。2,3日は幸いにもガス、水道が使えたが、お風呂に入れなかったこと。食糧難の恐怖、車で移動するにも、ガソリンが手に入るだろうか、と心配になったこと。

 うちの辺は西宮市内でも一番被害の少なかったところだが、ちょっと街に出ると、道路の亀裂、マンションの倒壊、瓦礫の山。
 3日後、家族で、京都のおじの家に疎開して、駅のラッシュで人々が普通の生活に戻っていてショックだったこと。喫茶店でおしゃべりしているおばさんを見かけて、またまたショックだったこと。1ヵ月半、ガスの供給復興を待ちつづけたこと。

 帰る家があってよかった。前に住んでいたところに行くと、近所の家は傾いていた。小学校の同級生に12年ぶりぐらいに会って、その家族も一時的にどこかへ行くところだった。

 普通の生活に戻っている大阪に「買い出し」の気持ちで買い物に行ってた。電車の線路もところどころ落ちていて、阪急の「夙川(しゅくがわ)」と隣の駅の「西宮北口」間の線路が高架で落ちていたので、復旧するまで半年はかかったが、やっと最後に復旧して、ホッとしたこと。

 思い出すと、きりがない。震災の年にアメリカに来たけど、震災のことは忘れていない。
 



2001年01月16日(火) 近所のトルコ人

 トルコ人のラマザン、フィリズの他にトルコ人が同じアパート群に住んでいる。アタ(男)とエミネ(女)の夫婦だ。エミネはトルコ人からはエモッシュと呼ばれている。エモッシュはアメリカ・ニューハンプシャーに来てもう5年ぐらいになる。私がここに来たのは3年前なので、彼女とは約3年の付き合いだ。

 この3年の間に、ラマザン、フィリズも来たし、トゥーチェちゃんも生まれたし、こっちも梨奈が生まれたりした。アタも、エモッシュも州内ではあるが、今月末にもう少し北に引っ越すことが決まっている。当初の予定では、明日の引っ越しで、変更したのを知らなかったので、夜、ネジャーティが学校の研究室に行くときに、カードとプレゼントをエモッシュのところに持っていってもらった。

 少しして、ネジャーティが帰ってきて、「エモッシュが今、一人だから、遊びに来てほしいって行ってたよ」というので、アパートにお邪魔して1時間ほどいた。
 エモッシュも夏ごろに出産予定で、とうとうエモッシュのところも子供ができた。つわりがないらしいので、これは男の子かな、と予想しているところ。女の子がいいなあ、と思いつつも、みんなが男の子だとつわりがあまりないと言ってるらしいので、本人もそうかもしれないと思っている。

 このアパート群には、たくさんトルコ人がいたが、トルコに帰国したりして、来月にはトルコ人はネジャーティだけになる。他の寮には何人かいる。
 エモッシュが出産するころには、私たちもどこかに引っ越すことになるだろう。



2001年01月15日(月) お帰りなさい

 今日はHさんとMさんが日本から戻ってこられるので、マンチェスターの空港に向かったが、空港の係員に聞くと、次の便になっているということだった。1人だったら近くのモールに寄って次の便を待つこともできたが、梨奈と一緒だったし、夕飯を作っておきたかったので、一旦アパートに戻ることにした。

 戻る時には暗くなってきていたが、反対車線でパトカーがスピード違反の車を捕まえたのを見たし、同じ車線に出てこられるちょっとしたところにパトカーが隠れていたのを見たので、アパートに戻った後、迎えに行くネジャーティに気をつけるように言っておいた。

 夕食を作っていてしばらくして、ネジャーティがHさん、Mさんを直接連れてきた。日本からだと実際に家に着くまで1日がかりだ。お疲れのお二人を引きずり込んで、夕食を共にした。

 明日は親知らずを抜くので、実体験などお聞きし、明日に備えた。



2001年01月14日(日) 最後の日曜日

 近所のトルコ人、ラマザン、フィリズにとって、ここで過ごす最後の日曜日だ。今度の金曜日には、トルコに帰ってしまう。
 今日は、うちで夕食を一緒に食べる。お好み焼きや、鮭など用意した。トルコ人はパンがないと食べた気がしないらしく、ネジャーティが用意。白いご飯も作っておく。
 プレゼントには、ボストンのカレンダーをあげた。もう荷物がたくさんだから、かさばる物はやめとこうと思ってカレンダーにした。

 彼らは典型的なトルコ人で、今年のラマダンも欠かさず頑張ってたし、トルコ料理以外はあんまり食べないらしい。サラダオイルをよく使うらしく、2週間に1度は買うらしい。
 そんな2人も、昨日の食事は喜んでくれたのでよかった。
 フィリズにも、梨奈を預かってもらったり、お世話になったし、近くに住んでるので、何回も行き来したし、何だか寂しくなるなぁ。



2001年01月13日(土) 世間は狭いなぁ

 日本を離れてアメリカにいても、世間は狭いなぁと感じることがある。

その1
 フロリダにいた時に、九州出身のKちゃんに、「日本の大学はどこ?」って聞かれたので、「静岡にあるN大学の国際関係」というと、同級生が行ったと言う。でも、学年違うから、というと、浪人してるから同じ学年ということがわかり、名前を聞いたら、学科が違ったのではじめはピンと来なかったが、話を進めていくうちに思い出し、「落語家の○○に似てるでしょ?」とか「剣道してたでしょ?」とどんどん盛り上がり、共通の人物を知っているなんて不思議なことがあるもんやなぁ、と驚いた。Kちゃんとは、即、意気投合したが、九州と関西出身の人間がおんなじ人を知ってるなんてことあるかなぁ?

その2
 再びフロリダでの話。図書館で、日本のニュースをインターネットで読んでいたときのこと。コンピューターには日本語のソフトが入ってなくても、ShodoukaというHPを通すと、日本語が読める。隣には、アジア人男性。「日本人かな?」と思いつつも、ニュースを読みつづけていた。そしたら、その男性が「日本人ですか?」と関西弁で話しかけてきた。
 ShodoukaのHPを知らなかったらしいので、教えてあげて、「関西出身なんですね?」と聞いたら、最初「神戸やねん」というので、「私、西宮なんです」といったら、「正確に言うと、俺も西宮やねん」という。「西宮のどこなんですか?」と聞いたら、町内の人やった。同じ町内から、こんな遠いフロリダまで来るかなぁ。でも、そんなことってあるねんなぁ。

その3
 これは、ここニューハンプシャーで今日起きた話。同じアパート群に住んでる、Aさんからメールが来た。Aさんは、去年の秋に他の州から移ってきた人だが、Aさんが私のHPに遊びに来てくれたらしく、それに関しての質問だった。
 「フロリダのゆかいな仲間達1に出てくるY子ちゃん、Hえちゃんて、もしかして、N姉妹ですか?」という内容だった。その通り、N姉妹なのである。えぇっ!!何で知ってるの~? そんなことってあるのかなぁ。
 N姉妹は、フロリダにいた時に、仲良くしてもらった姉妹なのである。AさんとY子ちゃんは中学の同級生で、クラスで出席番号が前後していたとのこと。そしたら、姉妹のY子ちゃんの同級生で語学学校CIESに行っていたY子ちゃんも知ってるかもしれないと思ってたら、やはりその子も知っているとのこと。

 いろんなところで、つながってるんやねぇ。うわー!!世間は狭いなぁ。



2001年01月12日(金) お別れ会

 今日の晩は、トルコ人家族のお別れ会。6人+2人の赤ちゃんという少ない人数だがレストランに行って、一緒に食べるというもの。レストランに行く前に、ショッピングモールに寄る。
 昨日、そのトルコ人にあげるプレゼントを買ったときに、セールをしているお店があって、ほとんどの物が半額で、ほしい物があったが、梨奈がぐずったため、買わなかった。今日ネジャーティといっしょなので、梨奈を見てもらう。かばんと財布で、22ドル50セント(2600円)。定価は、かばんが39ドルと財布が24ドルで、63ドル(7300円)。これだから、セールになるのを待たないと。

 そんなことより、19日にトルコに帰るこの家族。アメリカで2年間の滞在だったが。早かったなぁ。

 そのトルコ人家族は、ラマザン、フィリズ、トゥーチェちゃんだ。ラマザンは海軍にいるのだが、2年間の予定で、このニューハンプシャーに来て、工学部の修士課程に在籍していた。工学部の学長は、トルコ人の教授で、海軍に知り合いがいて毎年、修士に来たい人を募集しているらしい。ラマザンもその1人で、出願してこの大学に来たのだった。
 フィリズはその奥さんだ。アメリカに来る前の年に結婚したばかりだったので、2人が来た当初は、新婚ほやほや。そして、アパートもすぐ近くだったし、仲良くなるのは時間の問題。去年初めは、私が学校に行ってる間、よく梨奈を預かってくれた。
 そして、トゥーチェちゃんは去年4月に生まれた女の子の赤ちゃん。もう8ヶ月なので、椅子にも座る。今日も、子供用の椅子にちゃんと座ってた。しばらくして、抱かせてもらったが、ほっぺにキスしてきた。かわいい! 梨奈はというと、ネジャーティに抱っこしてもらって、寝てる、、、。

 3人は、ボストンからドイツのフランクフルト経由で、トルコのイスタンブールに飛ぶ。しばらくはフィリズの実家に滞在する。実家は、この前の地震の震源地近くだったが、家は無事で何より。でも、2人が借りてたという倉庫、どうなったのかは2人も知らない。「大丈夫だから」としか言ってくれないらしい。

 ラマザンは海軍に戻るのだが、まだどこに配属かわからない。決まった段階で引っ越し。

 お別れ会は無事終わったが、日曜日はまた、うちに呼んで、お好み焼きをする予定。



2001年01月11日(木) クリントン、ドーバーに来る

 今日、ここの隣町のドーバー市の高校にクリントンが来たそうだ。市役所などで、クリントンを見るためのチケット2000枚が配布(無料か有料かわからないが)されていたらしい。2万6千人の人口に2000枚は少なくないのかな? 私は用事があったし、チケットもないだろうと思ったので、行かなかったが興味はあった。
 ニューハンプシャーは、大統領選では、とても重要な州であり、去年も、ブッシュ、ゴア両人が、ここニューハンプシャー大学で、討論を行っている。そういうわけで、クリントンも大統領になる前にはここに来ているはずである。

 今日は、そのドーバーのクリニックに用事で行って、その後、ポーツマスで、明日のトルコ人のお別れ会で渡すプレゼントを買いに行った。ショッピングモールでは、カレンダーが半額で売っていた。たった10日ほど過ぎただけで、半額になるなんて、それなら10日待って買ったほうが得かなぁ、とせこいことを考えてしまった。他にも買いたい物があったが、梨奈がぐずりだし、帰ることに。それで車の中で寝てしまうんだもの。買い物中に寝ていてくれればいいのに。うまくいかないものだ。



2001年01月08日(月) 予防接種

 今日は梨奈の健診および予防接種がある日。ネジャーティもいつもいっしょに来る。クリニックに向かう車の中では、梨奈ちゃんはお昼寝モード。寝入ってしまいました。
 クリニックに着いて、まず身長、体重、頭囲を測ります。全部脱がないといけないので、そっと脱がせて、大丈夫かなあと思ったら目が覚めて、起こされて泣いてるのか、クリニックとわかって泣いてるのかわからないが、泣き出してしまった。
頭囲計測終了。その次体重。いまどき日本はデジタルなのに、体重計は「はかり」。説明するのが難しい、、、。梨奈を載せて、メモリに分銅みたいな物があって、それを左右に動かしてつり合ったらそれが体重。どんな体重計やねん!それにこっちはポンドとオンスが単位。いまいちわからない。
 次に身長。泣きじゃくる梨奈を横にして、測る。すぐに終了。身長は、インチで言われる。これも、わからないんだよなぁ。今日は鉄分と鉛の計量がある。足の指から血をとって測る。

 別の部屋に移動。さっきまでは看護婦さんのような人だが、健診はドクターが来る。とにかく泣く。ずっと泣く。怖いことないのに、、。ドクター曰く、「普通は15ヶ月から18ヶ月で恐怖心を覚えるんですよ」。梨奈はきっと怖がりである。

 ドクターの検診が終わって、予防接種。2人の看護婦さんが来て注射する。今日は4種類あるので4本。日本だとゆっくりだけど、こっちってブスッ!って射すから怖い。でもすぐ終わってよかった。

 この前は、1人で健診に来たが、その時も梨奈は泣いて、ベッドに寝かそうとしても、泣きながら両手両足しがみついて、なかなか寝ようとしなかった。もっと大きくなったら、どうなるんだろう? 泣くのが激しくなるのか、事がわかって大人しくなるのか、、、。
 



2001年01月07日(日) ローテーション

 うちのリビングにはソファーがある。アパートから引っ越していく人から買い取ったものだが、ソファーを倒せばベッドになるし、両親が来たときも、とても役立った。
 梨奈が生まれてからというもの、ネジャーティはリビングのソファーベッドで寝ることが多くなった。ネジャーティはベッドにせず、そのままソファーとして寝てる。
 両親が来てからというもの、私はベッドにして横になるのが好きで、横になってテレビを見て、そのまま梨奈と寝ることもある。おとといは、梨奈が私より先に寝てしまい、ネジャーティも眠いといって、2人で寝室で寝たので、「久しぶりに」梨奈から解放され、私1人で、リビングのソファーベッドで寝た。昨日は、ネジャーティが寝室で、私と梨奈はソファーベッド。寝るところを変えると、小さいアパートでも、とても新鮮である。



2001年01月06日(土) 痛いよ~ byりな

今日も雪が降っていて、どうも低血圧気味。しばらく眠気が取れない。それに、咳が出るとすぐには止まってくれないので、苦しい。

Iさん家族をバスターミナルまでお迎えに行った以外はとくに何もない1日。

夜、梨奈がウ○チをしたが、どうも硬かったらしく、し終えた後泣く。昨日も痛かったらしい。ウ○チをする時は、何かを支えに立って「ウ~ン」と気張る。昨日は唸る時間が長かったし、いつもより水分が足りなかったのかな? 
「痛いよ~!」byりな

PS お食事中の方、大変失礼しました。



2001年01月05日(金) 探し物はなんですか/お雑煮

<探し物はなんですか>
 梨奈がその辺にあるものを持ってどこかに入れるので、行方不明のものがある。いまだ見つかっていないのはMacy'sカード。Macy'sで買い物をするときに使うと、10%引いてくれるというものだが、梨奈が財布から取り出した後、どこかに置いた(隠した?)のでいくら探してもない。
 
 おとといも、かごの中に置いていた耳かきがなくなっていた。そしたら昨日、どこで見つけたのか、梨奈が手に持っている。最近は「ちょうだい」といって、物をもらうことにしているが、その時は物々交換で、耳かきをもらう。
 今日は、テーブルの上に置いていたペンを見つけて、遊んでいたのは知っていたのだが、その後、私が見つけた場所は台所の引出しの中。ペンを握り締めたまま台所に行って、引き出しに入れたらしい。こうなるとMacy'sカードも思わぬところから出てくるかも。それか、ごみ箱を開けて入れたとか、、、。言葉が通じれば聞けるのだが。

<お雑煮>
 ある方のHPの掲示板で、各地のお雑煮の話で盛り上がったが、今日も、日本から戻ってきた人と、お雑煮の話になって、実家のお雑煮とは違ったので、いろんなお雑煮があるなあと驚き。神奈川に住んでる人の実家では2種類のお雑煮。1つは関東のお雑煮で、おすましに鶏肉(関西では「かしわ」)、ほうれん草と焼餅。もう1つは、ご両親が鳥取出身なので、小豆のお雑煮。お餅に小豆がのっているもの。
 うちは関西なので、(白)味噌に丸餅。白味噌を用意するのが面倒くさい実家では、普通の味噌を使っています。お互いに「変!考えられない」と言い合うのでした。



2001年01月04日(木) 日本からの年賀状

 ここでもお正月はいまいち盛り上がりの欠けたお正月だが、その中でうれしいのが、年賀状。最近はインターネットがはやりだから、アニメーションのついたカードを受け取ることもある。いずれにしても、日本にいる友人に思いを馳せながら、「やっぱりお正月だなぁ」とうれしくなる。

 まず、友人から。インターネット上のカードを受け取る。あっ!文字化けして読めないものある~!これは、ここにいる日本人にお願いしようかな。今日届いた年賀状。中学時代からの友人。去年結婚して、新婚旅行でオーストラリアに行ったのかぁ。写真入りで、とても楽しそう。お幸せに~!
 高校のクラスメートからも。去年赤ちゃんが生まれたので、3人の写真入り。どっち似かなぁ?

 それから、親戚からも。去年の夏お邪魔した、母のいとこの方から。一通は年賀状。御自身が巳年にちなんだデザイン。書道の先生なので達筆なのは言うまでもない。実は、毎年母に送られる年賀状を毎年楽しみに拝見しているのであるが、今年自分当てにいただけたので、とても喜んでいる。もう一通いただいたのだが、お手紙といっしょに、お邪魔したときに撮って頂いた写真も入っていた。よく写っているなぁ、とネジャーティと感激。これは、ホームページに載せないと。また、これは2月以降の課題にしよう。
 今度はネジャーティといっしょにお邪魔したいです。

 ネジャーティに、横長に縦書きに書かれた手紙を見せて、「日本ではすごく達筆なんだよ」と渡すと、手紙を縦に持って横に見る。違うの。縦書きなの。やっぱりそういうところが、わかってないんだよなぁ。

 以上、年賀状でした。クリスマスカードを送ってくれた友人、知り合いの方も含めて、皆さん、改めて、本年もよろしくお願いします。



2001年01月03日(水) ネリー / オレンジボール

<ネリー>
ネリーから電話がかかってきた。ネリーと話すのは2年ぶりかなぁ。ネリーは台湾出身で、フロリダの語学学校でいっしょだった。だからネジャーティもネリーを知っている。語学学校が終わって私はそのままフロリダに、彼女はミシガンへと別々になったのだが、98年にフロリダに戻ってきた。98年は私は最後の学期ということもあって、特に忙しく、話す機会はほとんどないまま、私はニューハンプシャーとまた別になってしまったのである。そして、唯一の連絡手段である電話番号をなくしてしまっていた。

先月、台湾にいたネリーから実家当てにカードが来て、カードに書いてあるメールにやっと最近送り、今日の電話となったのである。
話したいことは山ほどあるけど、とりあえず、近況を話して、今日は終わり。彼女はフロリダのジャクソンビルにいるので、いつか遊びに行きたい。

<オレンジボール>
オレンジボールは、アメリカの大学フットボールのチャンピオンを決める試合である。今年はオクラホマと我が母校(となってしまった)フロリダ州立大学(FSU)との決戦である。去年はFSUがチャンピオンになったが、今年はオクラホマに軍配が上がり、FSUは惜敗。残念!



2001年01月02日(火) 除雪

 朝、Iさん家族をポーツマスのバス停にお送りして、寒くはあるが、気持ちのよい朝を迎えた。戻る途中スクールバスを見かけたので、こっちの小学校は2日から学校なのか、と驚く。正月3日ぐらいゆっくりしたいというのが正直な気持ち。TVもただでさえおもしろい番組がないのに、お正月だからといって特にスペシャル番組があるわけでなく、普通の日のよう。

ケーブルTVにはインターナショナル・チャンネルがあって、日本のFテレビのニュースが朝1時間、プロ野球ニュースが夜30分入るが、今週は珍プレー・好プレーをやっているので、ちょっと楽しみである。

30日に降った雪の除雪を学校がしてくれるので(大学のアパートのため)、駐車場の車を一時的に除けなければならず、ネジャーティがしてくれる。現在夜中の12時40分。他の駐車場で除雪しているのが聞こえる。



2001年01月01日(月) Multu Yeni YILLAR!

 初日の出を見ようと思ったけど、起きられなかった。昨日から、喉が痛かったが、それは治まり、その代わり、頭がいたい、、、。
と言うわけで、ごろ寝のお正月となってしまった。

 梨奈は相変わらずの元気さで、最近は人差し指で触ることを覚え、テレビのスイッチを押したり、鼻に入れかけたりと、いろんなことを学んでいる。

 本年もよろしくお願いします。


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