先週から、05年度(3月まで)補正予算案の審議が予算委員会で行われている。民主党の与党追及の焦点は、BSE・L(ライブドア)・T(耐震偽装)の3点セット。
今日の予算委員会では、BSEの輸入再開(そして再停止)について、紛糾し、2回、審議が止まった。民主党の川内博史衆議院議員が11月にBSEについて質問趣意書を出し、その政府答弁書に「米国牛肉の輸入を再開する前に、日本政府が担当官を派遣して、米国の対日輸出用牛肉処理施設を現地調査する」という文言が入っていた。政府答弁書は閣議決定されるものであるにもかかわらず、実際には、輸入再開前に調査は行われなかったことについて、松野頼久議員(民主党)が質問したところ、中川昭一農水大臣が「閣議決定通りにしなかった。自らの責任を考える」と言ったものだから、大騒ぎ。いったん4時間の休憩をはさんで再開されると、今度は中川大臣は「閣議決定の文言とは違ったが、食の安全という趣旨に反してはいない」と一転、開き直りの答弁。
さらに、内閣法制局長官(大蔵省OB)が、「閣議決定は政府が従うべき重い決定。内閣として責任を持つ」と言うに留まらず「答弁書の内容変更の手続きが法定されておらず、閉会中で・・・」と法制局長官の立場を超えて、中川大臣のミスを取り繕うような発言した。法制局長官は、法律解釈について答えればいいのであって、それ以上のことに踏み込む(現内閣の言い訳をする)ような法制局長官なら有害無益だ。
もともとは、今日夕方までに予算委員会での審議を終了し、夜の本会議で補正予算案が可決される予定だったが、本会議は翌日に延期。
実務上は、質問趣意書に対する政府答弁書は担当の役所の課長補佐クラスが作成し、それをせいぜい局長がチェックするくらいで、大臣は見てもいないのだろうが、今日の中川大臣や法制局長官の発言は、質問趣意書や閣議決定の意義を軽視するものであり、許されるものではない。
さらに今日、防衛施設庁の談合事件で庁幹部が逮捕された。5年間の小泉政権において大きな談合事件は10件目。「改革!」「官から民へ!」と叫びながら、その裏では、政官業(自民党政治家と官僚と一部業界)の癒着体質は何ら変わっていないことは明らか。
BLTにこの談合事件を加えた4点セットで、自民党への追及を強めていきます。
先週、遅ればせながら「民主号外・田村けんじ特集新年号」が出来上がった。カラーの民主号外を事務所のカラープリンターで印刷して配布したことはあるが、選挙前のリーフレット以外で、印刷会社に大量に印刷してもらったのは始めて。選挙区のほぼ全域で新聞折込も行った。トップページの「Report」のところからご覧下さい。過去の民主号外もあります。
ちなみに、民主号外という形は、特別のときだけ作っていて、通常は一色の「たむけん通信」を事務所で印刷して、街頭などで配布しています。
今朝7時に町田駅北口に。6時から街頭演説をしている新井克尚(よしなお)市議に合流。昨年、私の事務所でインターンをしてくれた学生2人も合流。寒風の中、チラシを配ったり、「町田の現職市議で、一番若いだけでなく、行動力も一番!」と声をからした。
新井君とはもう6年くらいの付き合い。4年前の市議選で、初挑戦ながら断トツのトップ当選(彼が約7000票で2位が約5000票)を果たした。その勢いを維持するどころか、ますますパワーアップさせている。彼に会うたびに、私も刺激を受ける。
みんなで応援しましょう!
昨日、ライブドアの堀江社長が逮捕された。電撃的・衝撃的な検察の家宅捜索からわずか1週間だった。
若者の希望の星が失墜したことは残念だが、偽計取引や粉飾決算をもししていたのなら罪は重い。そのホリエモンを、昨年総選挙のときに「自分の息子だ!」と持ち上げた武部自民党幹事長のセンスが問われる。当時の岡田克也民主党代表は、堀江氏に会って、候補者にふさわしくないと判断したことと対照的。
もう一つ気になるのは、メディア上で、わが意を得たりといった得意顔で「ライブドアは虚業だった」とコメントしている人がいること。それはIT産業自体を否定しているに等しい。M&Aや株の偽計取引などに関わったのは、ライブドアの中でもごく一部で、多くの職員はインターネットにおける様々な「事業」に携わっていたのだ。
耐震偽装も列車脱線も国土交通委員会で、私はそれほど関わっていなかったのだが、ライブドアはまさに財務金融委員会の分野。気合を入れ、金融庁を中心とする政府の失政を追及したい。
20日の小泉首相の所信表明演説を受け、前原誠司代表が本会議で代表質問に登壇した。
この通常国会を「安全国会」と銘打ち、耐震強度偽装問題・BSEを追及するとともに、小泉改革の「光と影」の「影」として、小泉首相の在任中5年間に
① 経済・雇用・生活を破壊。GDPも就業者数も縮小
② 170兆の国債増発で、将来世代に厖大な借金を残した
③ 社会格差を拡大
④ 年金の抜本改革は手つかず、障害者自立支援法はむしろ障害者の自立を阻害するなど、セーフティーネットを破壊
⑤ 未来を担う子どもたちの教育基盤を揺るがした
と指摘、昨年総選挙の圧勝を受けた自民党の議席そのものが「粉飾決算」であると断じた。胸がすく思い。自民党議員からは怒号が飛んだ。
詳しくはこちらをどうぞ。
深澤竜介さんの新年会に参加した。
深澤竜介さんは3年前の富士宮市長選に40才で出馬。落選して以降も、本業の不動産鑑定士と家業の旅館をやりながら、早稲田大学大学院で政治を学びつつ、日頃も街頭演説を続けるなど、幅広く活躍している方。昨年の私の選挙でも、旅館が一番忙しい季節だったにも関わらず、富士宮後援会で中核の一人として応援して下さった。
今日の新年会も大勢の方が集まる中、来年の統一地方選に向けて引き続き頑張っていくと深澤さん。私は「市役所は市民がお客様のサービス業だという市役所職員の意識改革、将来を見据えた行政改革など、課題は山積している。深澤さんは、大学院で学んだばかりでなく、先進的な取り組みをしている市で実際に1週間働くなど、富士宮で市政改革のノウハウを一番知っている人。行動力はもちろん抜群。今の富士宮市政には絶対必要な人」とご挨拶。
ちなみに、深澤竜介さんと最初の出会いは3年前の2月。私が静岡に来て2ヶ月目。長らくの親友であり、私を政治の政界に導いてくれた恩人でもある阿部卓也さん(当時、鈴木康友衆議院秘書。浜北青年会議所)が、青年会議所を通じた知人である深澤竜介さん(富士宮青年会議所・元理事長)を紹介してくれたのがきっかけ。
アベタク(阿部卓也)といえば、つい先日も電話があって「この前、新幹線で片山さつき議員と会ったら『田村謙治君はいい後輩よー。よろしくね』と言ってたよ」とのこと。片山さつき議員は、大学も大蔵省も先輩。大蔵省の先輩に女性は数名しかいないので、私は一方的に知っていたが、昨年まで面識はなく、初めて挨拶を交わしたのは2週間前の新年会。
アベタクは、昨年の選挙では不運にも「片山さつきvs城内実」の戦いの影にかくれてなすすべなく落選。次に向けて頑張っている。
私は早く一緒に国会で仕事がしたいといつも思っている。次の選挙ではしっかり一緒に勝ち上がらないと。
今日からいよいよ通常国会開会。会期は150日で6月下旬まで(大抵延長される)。
午前中に民主党両院議員総会。前原誠司代表の力強い挨拶。幼児殺害・BSE・偽装建築・JR脱線などの事件が相次ぐ中、「こども・たべもの・たてもの・のりもの」の安全確保を目指して国会で徹底論戦する「安全国会」と宣言。続いて、鳩山由紀夫幹事長・野田佳彦国対委員長・松本剛明政調会長も挨拶。その後の質疑応答では、「市民の生活そのもの、あらゆる安全の大前提は雇用」「ライブドア事件を受け、市場の安全も掲げるべき」との意見が出たことを受け、鳩山幹事長が「・・・・・ついでに申し上げると、我々が安全を目指すべきは、こども・たべもの・たてもの・のりもの、そして、はたらきもの・ホリエモン」。
今年は、和服で挑む。和服はレンタル。着付けの方が議員会館まで来て下さった。実は生まれて初めての和服。なかなか気も引き締まり、いい感じだ。衆議院では、480人中、和服の男性は40人位。着物の女性議員は10名程度。本会議場を見渡すと、得に民主党の2期生(私の同期)に多かった。
開会式前、天皇を議事堂正門でお迎え。そして開会式。開会式終了後、和装議連のメンバーが、議事堂前で記念撮影。
さぁ、久しぶりの国会での戦いだ。
今年は戌年。毎年、様々な新年会・賀詞交換会での主催者・来賓の挨拶では、干支にひっかけた発言がある。
昨年、酉(とり)年では「今年は飛翔の年に」「ケッコーな一年となるように」など色々な発言があったが、犬はどうも引っ掛けが難しい。せいぜい「『ワン』ダフルな年となるように」くらいで、うけていたのは「昨年は酉年。立つ鳥後を濁さず、と言いますが、台風や雪害など災害が相次ぎ、大いに後を濁していきました」と、やはり鳥にひっかけたものだった。
私も、支援者の方が、「たむけん」にひっかけた「たむ犬」の折り紙を作って下さったので、そのことを紹介したうえで「皆さまに『たむけん』と呼ばれれば、『ワン!』とすぐに駆けつけるようなフットワークのいい議員を目指します」とお話ししたことがあるが、うけはイマイチ・・・
昨日は清水、そして今日は富士宮の出初式に出席した。清水の方は式典のみしか参加できなかったが、富士宮ではポンプの放水や建物からの救出訓練、はしご隊などを見ることができた。
私の一番好きな映画が「バックドラフト」。ちょうど大蔵省に入った平成3年にロードショーされていて、上司に勧められて見て以来、ビデオでも何度も見ている。消防士の兄弟を中心としたドラマで、体をはって人の命を守ろうとする使命感、兄弟間の確執と愛、仲間同士の友情・結束。監督は「アポロ13」「ビューティフル・マインド」など多くのヒット作品をつくったロン・ハワード。
出初式の来賓挨拶では、バックドラフトが大好きで消防の仕事にあこがれを持っていることをお話しした。
消防署の消防士さんはもちろんだが、ボランティアで日々訓練し、火事となればすぐに出動する、各地域の消防団の方々は本当に尊敬している。そういう人たちの尽力で、私たちの生活は守られているのだ。
私が住んでいる清水区飯田地区の成人式に来賓として出させて頂いた。
成人式の参加は生まれて初めて。私自身の成人式のときは、式典などには参加せず、友人数人と祝杯をあげていた。住んでいた東京都練馬区の成人式は豊島園(フリーパス付き)という魅力的なものだったが、中学校から地元練馬ではなかった私は、実家の回りに友人がいるわけでもなく、断念してしまったのだ。
飯田地区の成人式は飯田中学校の体育館で。女性は振袖で華やか。私が祝辞のために前に立つと「たむけーん」と何人かから声援で、嬉しい気分になった。
「ぜひ政治に少しでも関心を持って欲しい。高校を卒業してすぐから社会に出て働いている人も沢山いる。成人の年齢を18才にして選挙権も18才以上にすることを私も民主党も主張している。それも政治。これから、高齢者がどんどん増えて、高齢者への年金や医療でとてもお金がかかる。皆さんがいずれ結婚した後、2人目や3人目の子供を産もうと思っても金銭的に厳しくてあきらめなければいけないかもしれない。子育て支援にもっとお金を回して欲しいというのは、若い世代が声をあげないといけない」といったことをお話しした。
若い世代に対し、少しでも政治に関心を持ってもらうよう、頑張らねば。
母方の祖母が亡くなった。94歳。つい1ヶ月前まで、趣味の俳句の会など活発に出かけていたそうだが、バスから降りる際に転んで足を骨折し、その手術がきっかけで、持病のぜんそくが悪化、心不全での急死。
まだまだ元気と聞いていたので、今年にでも挨拶に行こうと思っていた。結局、私が議員になってから会えなかったのがとても悔いに残る。
通夜と葬式のため、千葉へ。母はもともと大阪府堺市出身だが、母の兄弟(母を含め5人)は皆、関東(東京・千葉・神奈川)に出てきてしまい、祖母も祖父が亡くなった後、千葉に引っ越していた。
母方の親戚の皆と久しぶりの再会。いとこ(私の4人兄弟を含めるとなんと17人!)の中には15年位ぶりの人も。私の記憶の中では中学生の子が、30才、私よりはるかに大きいのは驚きでもあった。私が小学生だった頃、いとこが集まって遊んでいた日々が懐かしい。
いよいよ今日から新年会シーズンが始まった。自治会や各種団体の新年会が毎日いくつかずつ。
毎年恒例の静岡新聞・SBS主催新年賀詞会。県内の全国会議員がインタビューを受ける。持ち時間は各1分。フリップを渡され今年のテーマを記入して、インタビューを受けている間、前に掲げる。
私は今年は「ターニングポイント」とした。
2006年は大きな転換点(ターニングポイント)。1つ目は人口減少時代に突入したこと。2つ目は5年間の小泉劇場政治が終幕すること。
人口減少と急激な高齢化。高齢者の急増に伴い社会保障(年金・医療・福祉)にかかる費用は当然増える一方、労働人口すなわち納税者は減少するから、財政はますます厳しくなる。従来の発想を引きずって、財政赤字を将来にツケ回していれば、財政は破綻し、日本の経済と国民の生活は悲惨なものになる。皆が発想を転換して、財政再建に取り組まねばならない。限られた予算は、高齢者への社会保障や子育て支援や教育に振り向け、現役世代はお互いに力を出し合う、新しい社会を築かねばならない。
小泉劇場政治においては、市民は単なる観客であり、舞台の上では与党議員が一部業界や官僚と癒着して、好き放題していた。市民が主役の政治を実現せねばならない。
私も、そのために全力を尽くします。
といったことをお話ししたが、マイクを向けられるインタビューはまだ慣れておらず(今まで選挙のときだけ)、随分と緊張してしまった。
嫁さんからは「ターニングポイントっていう言葉は、年配の方は知らないんじゃない?」と指摘された。実際に、支援者の方からも同じ指摘を受けた。奇をてらいすぎた、と反省。
ご覧になった方のご感想をお待ちしてます。
政治活動を始めて丸3年。かねての懸案事項だったメールマガジン、ようやく開始しました。第1号も「TamukenTIMES」のページから見ることができます。
ぜひ皆さまご登録下さい!
朝9時から三保海岸で新春健康マラソン。昨年は様子を見に行っただけだったので、今年初参加。秘書の小原と友人の杉山さんも一緒に、軽く3キロをジョギング。3キロという距離でさえ、走るのは久しぶり。マイペースで走るとなかなか気分がよく楽しかった。走った後の豚汁がおいしい!
来年、ご一緒して頂ける方、ぜひ!今のうちにご連絡頂ければ、直前に改めてお誘いさせて頂きます。
明けましておめでとうございます。
私は2002年12月31日に清水に引っ越してきて、2003年1月1日から選挙に向けた政治活動を始めました。今日、政治活動4年目に突入しました。今まで支えてきて下さった方々に心より感謝申し上げます。
9月には小泉首相の任期が終わります。5年間続いた小泉劇場が終わるのです。それを機に、私は、市民の皆さまが、単なる観客ではなく主役となる政治を目指します。すなわち、政権与党の議員が、「目先の」自らの利権や支援業界・地元への利益誘導のことを第一に考る政治を、市民の生活、そして日本と国民の未来を真剣に考える政治に変えるという、古くて新しい課題です。
昨年も様々な公共事業の談合が明らかになり、耐震強度偽装問題も一部業界と政権与党議員の癒着を示唆しています。まだまだ、「市民が主役」の政治の実現にまでは長い道のりがあり、多くの困難が伴うと思いますが、皆様と力をあわせて道を切り開くべく、日々全力を尽くしてまいります。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
さて、大晦日から元旦にかけては、もう恒例となった富士宮の村山浅間神社での「禊」(みそぎ)。今回が3回目。昨年は静岡新聞に事前告知の記事が出ただけだったが、今回は、NHKラジオが生中継、SBSテレビも撮るとのこと。
私の事務所からは、私自身に加え、秘書2ヶ月の小原洋樹と秘書1年の津島裕子の2人が初挑戦。津島は昨年も希望したのだが、女性はダメと断られ、今回が念願の参加。世の中「物好き」がいるものだ(笑)。
画像については昨年の日記を参照して頂きたいが、昨年にくらべ、気温も低く、かぶる湧き水の量も増え、ますます気合が入った。一瞬、別世界にいるようなあの感覚、そして、終えた後は本当に気が引き締まる。
帰宅したのは午前3時。1時間だけ仮眠してすぐに始動。早朝の元旦集会にはじまり、サッカー少年団の初蹴りにも参加。そして、日が暮れるまで挨拶回り。
さぁ、今年もがんばるぞ!