橋本裕の日記
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プラトンは、「考えるということは、心の中で、もうひとりの自分と、声を出さない対話をすること」だと書いている。つまり、考えるということは、自分の中にもうひとりの自分を作り出し、彼の言葉に耳を傾けることである。
したがって、「考える」ためにはある程度自己を相対化し、対象化することができないなければならない。自己の中にさまざまな意見を持つ他者をかかえこみ、そうした他者の存在を許容する自由で寛容な空間を持たなければならない。
自分の内部にこうした「対話の空間」をもてるかどうか、これはかなり重要なことだと思う。なぜならそうした心の培地がなければ、実りあるゆたかな対話が成り立たないからだ。それはとりもなおさず、彼の人生を偏狭で淋しいものにする。
プラトンは「自己とはもうひとりの友」だと考えていたが、アリストテレスは「ニコマコス倫理学」のなかで、「友は第二の自己である」と書いている。これは道元禅師の「他己」(他人はもう一人の自分)という言葉に近い。自己は他者であり、他者は自己であるという世界こそ、洋の東西を問わず、賢者たちが理想とした世界だった。
自己の中に多くの他者を住まわせることで、自己内対話もまた豊かで、創造的なものになる。そして自己を相手に豊かな対話をなし得る者が、より深く考えることができる者であり、他者との対話を通して、自己の人生をより意義深いものにできるのだろう。
初代の文部大臣森有礼(1847~1889)は、日本語を廃止して英語を日本人の母国語にすべきだと考えていた。その理由は、日本語は思想や哲学や科学をするのに不向きだと考えたからだ。論理的な思考に向いていない、こうした劣等な言語を使っていては、とうてい西洋列強に伍することが出来ないと思ったのだろう。
戦後になって、志賀直哉が「日本語を止めて、フランス語にすべきだ」という主張をしている。「森有礼が考へた事を今こそ実現してはどんなものであらう。森有礼の時代には実現は困難であつたらうが、今ならば、実現出来ない事ではない」と。さらに、森有礼がいうように国語を英語にしていたら、「恐らく今度のような戦争は起つてゐなかつたらうと思つた」と書いている。
簡潔で美しい日本語を創造した国民的な作家であり、「文学の神様」といわれた人の発言だけに、世間の人は驚いたに違いない。その後日本は奇跡の経済復興をはたし、湯川秀樹のような優秀なノーベル賞受学者をだしたこともあって、日本語は論理的思考に不向きな言語であるというコンプレックスもなくなった。
少なくとも、現代の日本語は、数学や物理の論文を書くのに特別不便だということはなさそうである。また、日本語を母国語にしていると再び戦争が起こるということもなさそうである。しかし、森有礼や志賀直哉のような問題意識を持つことは悪いことではない。日本語に限らず、母国語の特性についての健全な懐疑精神はこれからも必要であろう。そのためには、外国語を学び、母国語との発想の違いを知っておくことも大切である。
You will have my saport. (あなたをサポートします) You shortchanged me. (お釣りが足りません) The rain caught me. (雨に降られました)
たとえば、このような英語に出会ったとき、私たちは「おや」と思うはずだ。英訳しろと言われたら、私たち日本人は「私」を主語にした文章を作るだろう。たとえば、「I will saport you.」と書くのではないだろうか。
もちろんこれで間違いではないし、受験英語なら正解(correct English)だろうが、これは英語的発想に立ったgood Englishとは言えない。つまり、ほんとうのところ、あまり上等な英語ではないのである。
英語的発想とは、話者中心にではなく、むしろ相手を中心にして物事を考えるということがある。だから、「I」ではなく、「You」が文頭に来る。そして、「I」でまる場合でも、全体の発想は相手を中心にしている。たとえば、「行きます」という英語の正しい訳は、「I am camming.」であって、決して、「I am going.」ではない。
英語には敬語や謙譲語がないといわれる。平等で対等な横社会のせいだと言われたりするが、しかし、「You will have my saport.」という「相手中心」の英語の構造それ自身に、立派に他者を思いやり、他者を尊重する精神が内蔵されているとみることも出来よう。
こうした英語の発想を知ることで、日本語の特性や限界も見えてくる。それは、日本語が「私」を中心とした自己中心性の強い言語だと言うことだ。べつにそれが悪いという意味ではないが、私たちが日常使う母国語のこうした特性を知っておくことは、決して無意味なことだとは言えない。
私たちが外国語を学ぶのは、国際化の時代を迎えて、実用上外国語を学ぶ必要に迫られていることもあるが、より本質的には、外国語を学ぶことで、母国語そのものに対する理解を深めるためである。ゲーテは「外国語を一つも知らない人間は、母国語についても無知な人間である」と言っているが、たしかに私たちは外国語を知ることで、母国語をはじめて客観的にとらえることができるようになる。
(参考文献) 「英語らしさに迫る」 木村哲也 研究社出版
大江健三郎氏がニュースステーションに登場して、「開かれた個」について語ったということを、北さんが教えてくれた。私は番組を見ていないから、大江さんがこの言葉で何を語ったのか知らない。だから以下に述べることは、まったくの私見である。
私が「開かれた個」という言葉を聞いて考えたことは、個というものは「独自性」と「普遍性」という二つの側面を持つのではないかということだ。これまで「個性」と言えば「独自性」に中心を置いて考えられてきた。しかし、「普遍性」の側面も大切ではないか。
例えば「文章」の場合で考えてみよう。個性的な文章というのは、その人独自の文体や内容をもつ文章をいうのだろう。しかし文章である以上、それは既定のルールに従った社会的普遍性を持っていなければならない。そしてこの普遍性や共同性があるから、文章は文章として流通し、他者に理解可能なものとなる。「普遍性」を砥石にして、「独自性」が磨かれ、文章の個性が深められる。
つまり、普遍性によって独自な個は社会的に開かれた存在となる。同時に、社会的に開かれることによって、個は本当の意味で豊かな独自性を獲得する。なぜなら、独自性と言っても、それは他者との相克や交流の中で確立するものだからだ。
普遍性や共同性から背を向けた個は独善的で閉鎖的になりがちだ。しかしまた、独自性を失い、普遍性に順応しすぎてもいけない。そこに生じるのは個の摩滅であり、個の崩壊であろう。「独自でありかつ普遍的であること」が個が個として生き生きと存在するために必要な要件ということになりそうだ。
「開かれた個」というのは、こうした「独自性」と「普遍性」という二つの矛盾する原理を己の中に持って創造・発展する個であるということができるのではないだろうか。そしてもう一つ付け加えれば、そうした創造的な発展は外へと同時に、内部にも向かっているということだ。つまり、社会へと開かれた個は、同時に自己に対しても開かれた個となることができる。
以上述べた、「開かれた個」についての考え方は、文明と文化の問題を考えるときも参考になるのではないかと思う。国の文化や伝統を考えるとき、それがゆたかに育つ条件として、「独自性」と「普遍性」の矛盾・相克が問題になろう。そこでは自らに対して開かれることと、世界に対して開かれることが必要となる。
「独自性」と「普遍性」の矛盾・相克を自己の問題として生きることで、個人も社会も創造的かつ生産的になり、多様な豊かさを獲得する。「開かれた個」があって、「開かれた社会」がある。これからの日本人に求められるのは、こうした自己創造の原理に基づいて、「自己を社会や世界に開かれた存在にする」努力だと思われる。
昨日の朝日新聞に、いまは北京に住んでいるモンゴルの詩人・ボヤンヒングの「わたしはモンゴル人」という著書が紹介されていた。この本をボヤンヒングは日本語で書いているようだ。
「ひとりの外国人が日本語で書いた文章をよむ。それがいい文章だと、内向きの日本語の壁がパッと取り払われたような解放感がただよう」と、津野海太郎さんが紹介している。
「僕はモンゴル人として生まれたことは悪くないと思うが、しかし別に過剰な誇りなどまったく持っていない。そうする理由もないのだ。僕はいつも個人単位で生きている。・・・個人は世界の中では小さいが、個人の世界はそれほど小さくない」
モンゴルの人には閉所恐怖症が多いと聞いた。彼らは大草原で自由に暮らしている。大空の下の大地がすべて彼らの家である。だから、死んでからも狭い棺に入れられて土葬されるのをきらうのだろう。風葬が行われているのもむべなるかなである。
それにしても、「個人は世界の中では小さいが、個人の世界はそれほど小さくない」という言葉はなかなかよい。カントは「天上界の星星の法則と、わが内なる道徳律」に無限の価値を見た。そして、私的な存在である国家よりも、公的な存在である個人を神聖だと考えた。
そもそも人間存在を霊的なものと考え、魂のうちに永遠なものを発見したのは、ソクラテスだろう。パスカルによれば、人間は考える葦である。宇宙の中では取るに足りない粟粒でしかないが、しかし、私たちは宇宙をも思考する広大な世界を心の中に持っている。
「個人の世界は遙かに広大で、深遠である」 と私ならこう書きたくなるところを、「個人の世界はそれほど小さくない」と書くあたり、ボヤンヒングはやはりほんとうの詩人で、いかにも奥行きがあって、心憎いという感じがする。彼はきっと、心の中にはるばるとした大地を持っているのだろう。
私が昭和天皇を目にしたのは、小学6年生の春だった。天皇が当時私たち一家が住んでいた若狭小浜に行幸され、私たちはご一行が船で港を出られるのを、近くの突堤から、日の丸の旗を振ってお見送りした。
天皇は帽子を持ち上げ、私たちに何度も会釈された。その様子に私はたいへん親しみを覚えた。うらうらとして快い春の日差しを浴びて、天皇を載せた船が遠ざかるのを、私たちはのどかな心で見送った覚えがある。
これは戦後の話だが、戦前も天皇は各地に行幸されたようだ。たとえばこんなエピソードを昭和天皇の侍従次長だった木下道雄が、「宮中見聞録」のなかで紹介している。
昭和6(1921)年11月19日午後6時半、軍艦榛名は鹿児島湾内をまっすぐに南下していた。熊本での陸軍大演習の後、お帰りになる昭和天皇を鹿児島から横須賀までお送りする航海だった。その船に、木下氏は行幸事務を主管する宮内大臣官房総務課長として乗船していた。
夕食中、木下氏は見送りの船でも来たら済まないと思って、後甲板に出てみた。日は暮れて、月もなく、左舷の大隅半島、右舷の薩摩半島の山々も10余キロの彼方、夕闇の中にほの暗く見えるのみで、灯りのない後甲板は薄暗かった。
誰もいないと思っていたところが、右舷のてすりの所に西を向いて、挙手敬礼をして立っている一人の人の後ろ姿があった。近づいてみると、その人は昭和天皇だったという。
何か見えるのかと、木下氏が近くの望遠鏡を覗いてみると、薩摩半島の海岸線一帯に延々と果てしなく続く赤い紐のようなものが見える。山上にも明かりが見える。薩摩半島の村々の人々が、ちょうちんやたいまつを持って、こぞって陛下をお見送りしているらしい。
陛下はこれを望遠鏡で見つけられ、ただお一人、挙手の礼で沿岸一帯の人々にご挨拶をされていたらしい。木下氏は艦長室に走り、すべての探照灯をつけてもらうよう頼んだ。こうして、6機の探照灯がこうこうと左は大隅半島、右は薩摩半島の山や空や海をくまなく撫で回した。
それから後に木下氏は30年以上もたった昭和39年のある日、指宿にある九州大学の植物園を訪ねた折りに、この話を園長にしたところ、園長自身、その頃、提灯を持って、海岸に立っていたという記憶があるという。
軍艦の姿は見えなかったが、はるかに見える灯火を見送っていたところ、突如、こうこうたる探照灯が照らされ、あちこちの村々から集まってきた数千、数万の群衆は、思わず歓声を上げ、その光の中に互いに手をとり合って歓んだのだという。
1889年に発布された大日本帝国憲法は第1条で「万世一系ノ天皇之を統治ス」と規定している。天皇は「神聖不可侵の主権者」として立法、司法、行政の3権を総攬するほか、陸海軍の大元帥として統帥権を持つ絶対権力だった。
さらに昭和に入って天皇の神格化は進行。天皇は「現人神」とされ、国民は「天皇の赤子(せきし、赤ん坊」と呼ばれた。しかし、天皇制を作り上げた明治の元勲は、天皇を神だとは思っていなかった。ただ、国を統治するための便宜でしかなかったからだ。そのことを一番よく知っていたのは、天皇ご自身だったのだろう。
小学生の私はいつか大人になり、天皇の赤子だった日本の民衆が、どんな野蛮な戦争にかり出され、他国の人々を苦しめ、また己自身も悲惨な死に方をしたかを知った。そうすると、あのうららかな春の日差しのなかに佇んでいた小柄な人のよさそうな老人の姿が、また違った印象で胸に迫ってくる。
(木下氏の話は、私が愛読している伊勢雅臣さんのメールマガジン「国際派日本人養成講座」に掲載された「まごころの通い路」の中に紹介されいる。文章もほとんどそのまま引用させていただいた)
ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」のなかに、「大審問官の話」がでてくる。一度読んだら忘れられないのは、ここに人間社会の恐ろしい真実がえぐり出されているからだろう。先ずはイヴァン・カラマーゾフの語る「大審問官の話」を紹介しておこう。この作中劇の舞台は、16世紀のセビリアということになっている。
大審問官は、町に現れたキリストとおぼしき人物を捕らえて、「人間という哀れな生物は、生まれ落ちるときから授かっている自由の賜を譲り渡すべき人を、少しも早く見つけねばならぬ。この心配ほど人間にとって苦しいものはない」と語りかける。
「われわれが素直に人間の無力を察して、やさしくその重荷を減らしてやり、いくじのない本性を思いやって、われわれの許しを得たうえなら、悪い行いすら大目に見ることにしたのは、はたして人類を愛したことにならぬだろうか?」
「われわれの仲間はおまえ(キリスト)ではなく、きやつ(悪魔)なのだ。これが我々の秘密なのだ。われわれはもうずっと前から、もう八百年の間おまえを捨てて、きやつといっしょになっているのだ。・・・われわれはきやつの手からローマとケーザルの剣を受け取って、われわれのみが地上における唯一の王者だと宣言した」
「全世界とケーザルの緋袍を取ってこそ、はじめて世界的王国を建設して、世界的平和を定めることが出来るのだ。なぜというに、人間の良心を支配し、かつそのパンをもろ手に握っている者でなくて、だれに人間を支配することができよう」
「羊の群をばらばらにして、案内も知らぬ道に別れ別れに追い散らしたのはだれだ。しかし、羊の群もまた再び集められて、こんどこそ永久におとなしくなるであろう。・・・我々は彼らに向かって、おまえたちはいくじのないもので、ほんの哀れな子ども同然だ、そして子どもの幸福ほど甘いものはない、と言ってやる」
「われわれはいっさいを解決してやる。この解決を彼らは喜んで信用するに違いない。なぜと言うに、これによって大きな心配からのがれることもできるし、今のように自分自身で自由に解決するという、恐ろしい苦痛もまぬがれることができるからだ」
「こうして、すべての者は、幾百万というすべての人間は幸福になるであろう。しかし、彼らを統率する幾十万かの者は、それから除外されるのだ。つまり、秘密を保持しているわれわればかりは、不幸に陥らねばならないのだ」
「わしがちょっと手を振ってみせると、われさきにとおまえを焼くべき薪の下に、真っ赤な炭をくべようと殺到するだろう。それは、つまり、おまえがわれわれの邪魔をしに来たからだ。じっさい、もしだれか一番われわれの火刑に価するものがあるとすれば、それは正しくお前なのだ」
大審問官は、この世の中は「何億かの幸福な幼児」である大多数の人間と、「善悪知識の呪いを背負うた大受難者」である一部の選良から出来ていると語る。選良は永遠の天国の報いなどどこにもないとをよく知り抜いている。しかし善知識であるところの彼等は、「この秘密を守って、幼子達の幸福のために、永遠の天国の報いを持って彼等を釣って」行かなければならない。
作中のキリストは、この大審問官の言葉に、何と答えるだろう。読み進んできた読者は思わず息を呑んで、その先を読もうとするだろう。しかしその結末は、いささかあっけないものだ。
作中のキリストはただ黙って大審問官を抱き寄せ、老人の「九十年の星霜をへた血の気のない唇に静かに接吻」する。老人はぎくりとするが、平静を装って彼を闇の巷に解き放つ。それから「かの接吻」は大審問官の胸に燃え続けるが、しかし彼はあえて従来の主張を変えようとはしない。
この部分を読んだひとは、自分がいわゆる「何億かの幸福な幼児」になる訳がないと思うかもしれない。しかし、事態は大審問官の時代からさらに悪化してるのではないだろうか。私たちは科学技術全盛の時代にあってむしろ「幼子の幸福」に安住することにますます不感症になりつつあるように思われるからだ。
あくなき消費活動やブランド信仰、物質的享楽のなかに、体勢に順応し付和雷同する「精神の安楽死」志向を容易に見て取ることが出来よう。 「独立自尊」などと、簡単に言ってみても、何事も自分で独自に考え、判断し、決断するということは大変なことである。
私たちは大審問官がいうように、自由の賜を譲り渡すべき対象を一刻も早く見つけて、自己責任の重圧から逃れようとする。そしてそれが宗教であったり、会社での奴隷労働だったり、もしくは地位や名誉や富や権力であったりするわけだ。
戦前の日本人はまさしく天皇制のなかで精神の隷属状態におかれ、自ら考えることを停止して、「精神の安楽」を謳歌していた。大本営発表の嘘八百を、多くの国民は歓呼して迎えたのである。戦後の日本でも、私たちの多くは自由の重荷を逃れ、真実を直視する勇気を持たず、ただただ安楽に走り、与えられた幻想のなかで、「幸福な幼児」のごとく保護されていたいと願望している。
あるいは「国民主権」を標榜する民主主義でさえも、代議制度の中では、この「自由なき安楽主義」に容易に傾く。私たちはこうした大量に安楽死した精神がもたらす将来の危機に対して、もう少し鋭敏にならなければならない。困ったことにドストエフスキーの「大審問官の話」は、現代にあってますます不気味に魅力的である。
(参考文献) 「カラマーゾフの兄弟」 米川正夫訳 河出書房新社
人間は自然が好きである。自然の精妙な美しさには、誰しも心を惹かれる。そして、宇宙や自然に対する畏敬の念は、現代人の心の奥にも生きているに違いない。未来の世代に残したいものの第一に「自然」をあげることに、だれしも異存はないだろう。
しかし、そうした自然の中で生きる人間という存在の不思議さにも心を惹かれる。人間の内面世界にも、宇宙に勝るとも劣らぬ広大な神秘の領域があるのではないだろうか。私はそうした思いから、文学や哲学に親しむようになった。そして、万葉集こそ、私たち日本人の魂のふるさとだと思うようになった。
しかし、「自然」や「人間」の運命は、私たちが生きている「社会」のありかたに多く依存している。美しい自然を残し、人間の幸せをこの地上に実現するために、私たちは社会の在り方に目を向けなければならない。「自然」「人間」と並んで、「社会」もまた、大きな関心事とならないわけにはいかない。
先月、私は修学旅行の引率で長崎を訪れた。高校2年生の時、修学旅行で訪れて以来、30数年ぶりの長崎だった。30数年をへだてて、私の脳裏にはっきり残っている記憶がある。それは原爆資料館でみた、被爆者の遺品の数々である。
たとえば、頭蓋骨の骨片の癒着した鉄兜がある。高校生の私はその前に立ち、思わず息を呑んだ体験をしたが、51歳の私も、同じ思いで見つめた。どうしてこんなことが起こったのか。高校生の私の頭を襲った疑問が、ふたたび生々しく甦ってきた。
日本国憲法はアメリカによって与えられた憲法だという人がいる。たしかに、この憲法の草案を書いたのは若い理想主義に燃えるアメリカ人たちかもしれない。しかし、戦後の日本人はこの憲法をよろこんで受け入れた。
なぜなら、そこにはこれまで日本人が知らなかった「主権在民」や「平和主義」「基本的人権の保証」「世界貢献」という大切な精神が、瑞々しく漲っていたからである。そこにはフランス革命、アメリカの独立戦争をへて到達した人類の英知が結晶していた。
私たち日本人は、多くのものを世界から学んできた。稲作や製鉄技術、文字や仏教などの精神文化、古代の律令制などもことごとく模倣である。近代に至っては科学技術や哲学や文学、音楽など、ことごとく西洋の技術や文化の移植である。
日本国憲法もまたそうした外来文化の一種だと言えるかも知れない。しかし大切なことは、外来でない文化などこれまで日本に存在しなかったと言うことであり、文化というのは本来そうしたものだという認識であろう。与えられたものをどう生かしていくか、そしてその種を育てて、どんな美しい花を咲かせるか、日本人の独創性がためられるのは、これからだと思う。
この半世紀、日本は平和だった。もし「日本国憲法」がなかったら、この平和の維持はむつかしかっただろう。アメリカはたぶん日本を先兵として、朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争に使いたかったはずである。しかし、さいわい日本には「憲法」があった。
私は、憲法の条文について、必要なら改正してもよいと思う。しかし、憲法の精神は堅持していきたい。なぜなら日本国憲法こそ、世界の未来を開く大切な鍵だと思うからだ。私たちはこの鍵を手にしている。しかし、ただ手にしているだけではいけない。積極的に活用すべきであろう。
日本人として、将来の世代に残したいものの二番目に、「万葉集」をあげたい。1200年以上前に編纂されたこの歌集には、4500首をこえる大小の歌が収められている。天皇や貴族ばかりではない。そこには農民や防人、遊女に至るまで、すべての階層の人々の歌がそろっている。
このような詩歌集は世界でも例がないのではないだろうか。しかも、この歌集は単に古いだけではなく、その内容がこれまたすばらしい。万葉とは「よろずの言の葉」だというが、読んでいると本当に深々とした人生の森に踏み込んだような豊かな生命の息吹を感じる。
あしひきの 山のしづくに 君待つと われ立ちぬれぬ 山のしづくに (巻2-107 大津皇子)
吾を待つと 君がぬれけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを (巻2-108 石川郎女)
磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに (巻2-166 大来皇女)
私が万葉集に出会ったのは、いまから30年近く前の大学生の頃だった。下宿の寺で何げなくラジオを聴いていて、犬養孝さんの「万葉の人々」という番組を知った。そこで解説・朗読された万葉集の歌がすばらしかった。以後、30年間近く私はその魅力にとりつかれ、誰彼となく身近な人にその魅力を語ってきた。この日記帳にも、これまで何度も書いた。
私が万葉集に惹かれるのは、そこに時代を超えた「人の心の原点」があるからである。言うまでもなくそれは「人を愛する喜びと、愛する人と別れる悲しみ」に集約される。しかもそうした人間の営みが、大きな自然のふところのなかで美しく哀切に歌われている。
そうした人生の哀歓を、精一杯歌った古代の人々の心の声が、そのまま現代に生きる私たちの人生への応援歌になっている。決してうわすべりでない、ほんとうに心の芯まで温めてくれる、心の栄養剤であり、心の強壮剤でもある、このかけがえのない歌集は、未来の世代の人々の心にも、爽やかな人生讃歌の灯をともし続けることだろう。
かにかくに 人はいふとも 織りつがむ 我がはたものの 白麻衣 (巻7-1298)
(人はいろいろ噂するかもしれません。でも、私を思って 下さる人のために、まっ白で美しい麻衣を織り続けます)
日本人として、将来の世代に残したいものを3つ上げるとしたら、何だろう。こういう話を北さんやtenseiさんと交わしたことがある。かってこの日記帳にも書いたかも知れないが、改めて考えてみた。
まず、第一に大切にしたいもの、それは「日本の美しい自然」である。このことは先日、紅葉狩りに出かけて、自然のふところに身をおきながら、ますます痛感した。
私の尊敬する良寛さんの歌に、「かたみとて何か残さん春は花夏ほととぎす秋は紅葉葉」というのがある。人間のつくったもの、文化や文明も貴いが、しかし自然の大きな営みの前には色あせる。良寛さんの書や歌がいくらすばらしいと言っても、やはり自然の妙にはかなわない。芭蕉の言葉にもある。
「風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見るところ花にあらずといふことなし。思うところ、月にあらずといふことなし。かたち花にあらざるときは夷荻にひとし。心花にあらざるときは鳥獣に類す。夷荻を出、鳥獣を離れて、造化にしたがい、造化にかえれとなり」(笈の小文)
そもそも人間の存在そのものが、造化の賜である。いくら遺伝子工学が発達しても、人間そのものは作り出せないだろう。人間どころか、鳥獣や花の一本だって、その精妙さをまねるのはむつかしい。「野のユリを見よ」と、聖書にも書かれている通りである。
自然の中でも、とくに大切にしたいのは森林である。日本はフィンランドについで世界二位の森林被服率を誇っている。それは私たちの先祖が自然を崇拝し、これを大切に守ってきたからだろう。この豊かな自然を、そのまま後の世代に財産として残したいものである。
さて、残りの二つの宝はなにか。人によって議論が分かれるところだろうが、私は「万葉集」と「日本国憲法」をあげたい。なぜこれを選ぶのか、そのことについては、明日と、明後日の日記にそれぞれ書いてみたいと思う。
筋肉には二種類あるそうだ。短距離走などに必要な瞬発力を生み出す筋肉と、マラソンなどに必要な持久力を生み出す筋肉である。だから、運動選手はそれぞれの競技種目に見合った筋肉トレーニングをしている。
私の場合は、昔から短距離走が苦手で、運動会で走ったりすると、いつもビリに近かった。反対に持久走はわりあい得意で、校内マラソン大会ではいつも上位に入っていた。マラソンが得意なのに、短距離走が苦手なのは、今から考えると、筋肉の違いによるのだろう。
筋肉力に二種類あるとしたら、思考力にも二種類あるのではないか。自然と連想がそちらに行く。たとえば即興の会話やディベートなどに必要な瞬発的な思考力と、論文や文学作品をじっくり読んだり書いたりするのに必要な持続的な思考力である。
芸人や話芸の達人は瞬発的な思考力が鍛えられているのだろう。いわゆる頭の回転が速く、機転が利くタイプである。これに対して、学者や宗教家などというのは、どちらかというと頭の回転はそれほど必要ではない。むしろ、じっくりと腰を落ち着けて物事を粘り強く熟慮する姿勢が大切である。
ここまで書いてきて、広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩が浮かんできた。「弥勒」というのは「慈悲から生まれたもの」という意味だそうである。釈迦が入滅してから56億7千万年経てば、この弥勒菩薩が仏としてこの世に現れるという。未来に仏になるので、未来仏と呼ばれたりする。
広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩は、半跏思惟の姿で、右手の指先を軽く頬に触れるようにして物静かに夢見るように何事かを思惟している。たぶんいかにして衆生を幸せにすべきか考えているのだろうが、何しろ56億7千万年先のことである。随分気の長い、悠久な思考である。こうした息の長い思考は桁外れの持久力がなければ無理だろう。
これらの半伽思惟像には東洋的な叡智の奥深さと明るさが感じられる。同じ思惟像でも、たとえばロダンの「考える人」などは随分印象が違う。こちらの方は全身筋肉の固まりである。そして今にも立ち上がって走り出しそうな強靱な行動力を感じさせる。西洋を代表する思惟像がたくましい筋肉質の男性なのに対して、東洋の思惟がむしろやさしく女性的な菩薩の姿で表現されているところが面白い。
数学者で京大教授の上野健爾さんの著書「誰が数学嫌いにしたのか」(日本評論社)に、教育者・林竹二(宮城教育大学学長)のことが書いてある。私はこの高名な教育者の著書をほとんど読んだことがない。孫引きになるが、林さんの「教育亡国」(ちくま学芸文庫)から、文章を少し引いておこう。
「私は今、学校は教育の場でなくなったと思っています。それは、学校教育というものが、テストを中心に回転するような体勢・制度になっていることが根本の原因だと思います。何故教師の側からこの体勢と戦いが生まれてこないのか不思議でなりません。これが、日本の学校が教育の場でなくなったということであり、そこで恐るべき環境破壊が行われてしまったということです」
「環境が根本から破壊されれば、人間も狂い死にもする。子どもの自殺はこの狂い死にです。だから非行とか暴力とかのレッテルを世間で貼る狂気の現象はすべて学校が点数信仰や学力万能の迷信による環境破壊を受けて、根底からの環境破壊が起きてしまった、そこからの当然の帰結なのです。このことに一番鈍感なのが、教育行政をはじめ学校教育の当事者です。日本の学校はとっくに教育の場であることをやめてしまっている。そこに非教育あるいは反教育がまかり通っている」
「教育亡国」が出版されたのが1983年で、林さんは二年後の1985年に亡くなっている。「教育亡国」を息をつかずに読んだ上野さんは、この書を林さんの深い思いをこめられた「遺書」ではないかという。そして「責任を持つものは責任をとらなければならない」という一言に、林竹二の生涯が言い尽くされているようだと言う。上野さんの「誰が数学嫌いにしたのか」から引用しておこう。
「私自身、高校の数学の先生とのかかわり合いからも、またあまりにお粗末な現行の学習指導要領ができるのを許してしまった一数学者としての責任からも、数学教育について発言する機会が次第に多くなってきた。その際常に頭に浮かんでくるのは、林竹二である。彼との不思議な出会いがなかったら、私も数学教育に関して、ただ知識をいかに伝えるかの問題に終始して、教育の根本問題に至ることはなかったであろうと思う」
「彼の苦闘の記録、それは子供たちの深いところにしまわれている魂を引き出し、その美しさに彼自身が魅せられて学んでいった記録に他ならない。・・・責任を果たすために戦うことは、また学ぶことでもある。教えることは学ぶことでもあるという自覚が多くの教師に生まれれば、この教育の荒廃を救う道が開けよう。林竹二の戦いは私たちに多くの勇気を与えてくれる。しかし、残された時間は少ない」
林竹二は「教育の根底にあるもの」の中で、「教育がなくて調教だけが教育の名においてまかり通っている。そして、もっと恐ろしいことは、教師たちがそのいいようもない無惨な荒廃に直面しながら、それを異常と感じていないことである」と書いている。異常を異常と感じること、私たち教師に求めれているのは、こうしたまっとうな感性であり、自ら自身の荒廃と戦う勇気なのだろう。
先日、学校主宰の「国際理解講演会」で、日本在住で国際交流の仕事をしているパワーさんの講演を聴いた。彼はオーストリア生まれで、アメリカの高校、大学で学んだということで、海外の教育事情について、いろいろ話を聞くことが出来た。
夏休みが3ヶ月もあること、教科別の入学試験がないこと、学費が安くて、学生は自分でアルバイトをしたりして学費や生活費をまかなっていること。いずれも本で読んで知っていたので、ことさら耳新しいことではなかったが、実際聞いてみて、やはりうらやましいなと思った。
ほとんどの大学で教科別の入学試験がないので、もちろん塾などもない。したがってアメリカやオーストラリアの高校生は、日本の受験生のような詰め込みの勉強はしない。むしろアルバイトをしたり、ボランティア活動や旅行、そしてスポーツや男女交際など、他にすることがたくさんある。
日本の高校生が受験勉強に忙しいときに、彼らは青春を思い切り楽しみ、そしてまあ、単位を落とさない程度に、そこそこ勉強をする。とうぜん、平均的な学力はそれほど高いとは言えないだろう。
しかし、大学に進学した後は、かなり精力的に勉強するようだ。この点、大学に合格したとたん、学習意欲を失う一般的な日本の大学生とは対照的である。要は大学にはいる前に勉強するか、入ってからやるかという違いだが、さて、どちらが望ましいかということになると、軍配はあきらかだろう。
2005年度からセンター入試の方式がかわって、5教科7科目になるようである。これまで医学部の学生なのに、生物を選択しないで入学してきた学生がいたりして問題になっていた。こうしたことをなくすために、受験科目を増やして、受験生にさらに幅広い科目を履修させようというねらいのようだ。
今の学生は、受験に関係がない教科は勉強しないし、高校でも進学の実績をあげるために、受験に有利になるようにカリキュラムを組んでいる。したがって学力に偏りが出来て、大学生になってからの教育が大変である。こうした弊害をなくすために、受験科目を増やすしかないと教育科学省や大学関係者は考えたのだろう。
しかし、私はこれに反対である。その理由は、受験のための勉強をこれ以上生徒に強要すべきではないと考えるからだ。むしろ、アメリカやオーストラリアなど、他の先進国並に、入学試験の受験科目から一切の教科をなくすことを提案したい。国語と数学だけは全国統一の大学入試資格試験を受けさせるが、これも基本的問題にしぼって出題することにする。
そんなことをしたら、ますます生徒は勉強しなくなるという声があちこちから聞こえてきそうである。しかし、本当にそうであろうか。「受験科目でないと勉強しない」というのは現在の体制が作り出した現実ではないか。
学ぶことは本来楽しいものである。「強制されなければ勉強しない」と考えるのは、教師自身が受験体制の中で強制されて勉強してきたからだろう。そうした思いこみから私たちはもっと自由になる必要がある。
受験体制から解放されるのは、生徒ばかりではない。学校や教師もそうである。あたらしい体制のもとで、ほんとうに教育の名にあたいする創意と工夫に満ちた魅力的な営みが始まるのではないか。教育を蘇生させるためにも、受験中心の日本の教育体制を打破したいものだ。
「おもいでぽろぽろ」という映画を見ていたら、主人公の少女が分数の割り算ができなくって、数学が嫌いになるエピソードが出てきた。たとえば「2/3割る1/4はいくらか」という問題がある。主人公の少女は、この問題の意味がどうしても分からない。
そこで、年上の姉に聞くわけだが、優等生の姉は「分数の割り算は、ひっくり返してかければいい」と教えてくれる。だから、「九九さえ出来れば分数の割り算は簡単だ」と言う。
ところが、主人公の少女はどうしても問題の意味にこだわってしまう。そこで、「そもそも2/3を1/4で割るということはどういうことか」と姉に訊くわけだが、優等生の姉もこの問いには答えることができない。ただ機械的に、その手口を暗記していただけだからだ。
映画ではこのあと主人公の少女は数学が嫌いになった代わりに、作文や演劇などで才能を発揮して、家族にも存在を認められることになる。一般的に言えば、「彼女は数学には向いていない。文化系の資質がある」ということになるのだろう。
しかし、よく考えてみれば、この少女の方が優等生の姉よりもよっぽど真剣に問題を自分の頭で考えていた、つまり「ほんとうの数学」をしていたのである。彼女はたしかに文化系の才能があるが、それ以上に数学の才能もあるのだと言わなければならない。
映画を見ながら、この分数のエピソードに共感を覚えた人が結構いるのではないだろうか。そして中には、この少女のように自分の数学的才能を自覚しないまま、数学嫌いに転落していった人もいるのだろう。
私はどちらかというと、「分数の割り算は、ひっくり返してかければいい」と単純に考えていた口だった。おかげで、小学校、中学校と数学で挫折感を味わわなくてすんだ訳だが、いまごろになって、「これは一体どういうことだ」と頭を抱えなければいけなくなった。数学の教師として恥ずかしい限りである。
さて、分数の割り算についてだが、私はこれを小学校で教える必要性があるのか疑っている。こうした意味不明の、現実と遊離した難問奇問は、数学の教育にとって何の益ももたらさない。
天下り式に計算の規則を暗記させるやりかたは、自分の頭で考えることが好きで、数学的才能に恵まれた人間を、かえって数学嫌いにするだけかもしれない。数学だけではなく、日本の受験式教育は勉強嫌いを大量生産しているだけのような気がする。
昨日「英語の正しい学習法」という話をしたので、今日は本職の話をしよう。題して「数学の学習法」である。もっとも、私がここで言う数学は受験数学のことではない。だから、中学や高校の試験の成績をあげたり、大学に合格するためにどれだけ役にたつか、保証の限りではない。だから、「正しい学習法」とは書かなかった。
ただ、私自身こうした学習法で、なんとか大学には合格できたし、その後大学、大学院と進んで、数学が苦手だと感じたことはない。そして、今もこうして高校で数学を教えている。できれば今後「ガロアの理論」や「相対性理論」を研究して、「たのしい数学」といった入門書を書きたいという夢も持っている。そのくらい数学が好きになれたのだから、私自身は「正しい学習法」ではないかと思っている。
さて、私が実践してきた「数学の勉強法」だが、それはただ、「自分の頭で考える」という一事につきる。高校時代、私はあまり受験問題を解かなかった。そのかわり、私はイギリスの数学者で哲学者であるバートランド・ラッセルの「数理哲学序説」といった本を読んで、いろいろと自分の頭で考えた。
ラッセルの本は簡単にいえば「何故1+2=3が成り立つのか」ということを厳密に考察した本である。こうした本をいくら読んでも、計算力はつかない。だから私の高校時代の数学の成績はぱっとしなかった。ただ、ものごとを本質的に精密に考える習慣がやしなわれるから、大学へ入って、カルチャーショックに見舞われることはなかった。
高校の授業よりも、大学の授業の方がよくわかるのである。おかげで、高校の受験数学の発想から抜け出せない級友たちを尻目に、大学の最初の数学の試験で最高点をいただいた。「大学の数学とは何というありがたいものか」としみじみ思ったものだ。
数学には「公理」や「定理」があり、「証明」がある。しかしそれらを暗記することが「数学の勉強」ではない。私たちが数学を学ぶ目的は、あくまでも「物事を論理的に考える力」を養成することである。高校時代の私は、そんな理屈は知らないものの、知らず知らずに思考力を鍛えるために有効な学習法を実践していたようだ。
最近、生徒の計算力が落ちているという話を聞く。たとえば、「分数ができない大学生」という本を読むと、分数計算のできない大学生がかなりいることがわかる。しかし私は「大学生が分数計算などできなくてもよいのではないか」と思っている。
こまごまとした分数計算など実生活で役にたたないし、だいいち、こうしたことは、数学的能力とはあまり関係がない。分数や小数の面倒な計算問題で数学力をテストするのは無意味だろう。小学生の段階ではそれもいいが、少なくとも大学生の数学力をこうしたもので測るべきではない。
数学は数や図形といった単純で抽象的な素材を対象にする。そしてそうしたシンプルな素材を相手にして、いろいろとその性質や関係性を研究するなかで、「論理的思考力」を鍛える。そうして獲得された体系的な思考力は、数や図形といった抽象的な世界を離れて、はるかに複雑な現実世界を理解するときに、大いに真価を発揮する。
数学を単に数や図形の学問だと考えてはいけない。本当に有能な政治家や経営者や弁護士は、このことを知っている。だからリンカーンやガンジーやチャーチルの愛読書が「ユークリッドの原論」であったりしたわけだ。ギリシャ人の書いた数学の教科書が聖書につぐベストセラーであり続け、この2000年間、まっとうにものを考えようとする人にとっての必読書だったわけだ。
本当の数学力は、論理的に筋の通った文章が書けるかどうか、そして自分で独自に主題を構想する力があるかないかで測られる。だから、数学は言語力の一部とみなしたほうがよい。数学はもっとも根源的な言語力であり、したがってそれは文化的な社会を築くうえで、もっとも尊重されるべき教養だということができる。
もうひとつ自由で平和な社会を築くために本質的なことを書いておきたい。民主主義は自立した個人の意志によって支えられる。それではこの個人の「独立自尊」は何によって支えられるのだろうか。それは付和雷同することなく、何が真実であるか自分の頭で考えること、つまり「思考の自立」によってもたらされる。民主主義の原点が「自分自身の頭で考えること」にあるのだとすると、それは「数学が民主主義の原点」だということに他ならない。
自転車をマスターする秘訣は、最初はペダルを漕ぐことはしないで、ハンドル操作に専念することだという。ハンドル操作でバランスを取ることを覚えてから、ペダル漕ぐことを始めればよい。
ハンドルとペダルといった、お互いに異なった技術を同時にマスターしようとするから、それぞれの学習が干渉しあって、習得がむつかしくなる。これはなにも自転車乗りだけではなく、一般的に成り立つ学習理論である。
語学の学習の場合で言えば、「話すこと」と「書くこと」がこれにあてはまるだろう。母国語を習得する場合は、まず「話すこと」からはじめ、やがて「書くこと」に進む。これが自然な過程である。
ところが、私たちが学校で英語を習う場合は、「話すこと」と「書くこと」が同時進行である。これはつまり、ハンドルとペダルを同時に覚えようとしているのと同じで、効率の悪いやりかただと言わなければならない。
どうしてこんなことになるのかというと、学習の効果を「書くこと」によって測ろうとするからである。本来は「話すこと」が大切なのに、それではペーパーテストが出来ないので、どうしても「書くこと」中心の学習になる。
小学校では来年度から新指導要領の「総合的な学習の時間」が本格的に実施されるようになる。これにともない、多くの小学校で「英語の時間」が始まるようだ。とうぜん、ここでは「話す英語」が中心にならなければならない。
「小学生のわが子を英語好きにする本」(中経出版)の著者で東京外国語大学教授の田島信元さんは、「小学校英語は、英語を道具として位置づけている点と、教師が評価をしない点がポイント」と話す。
「幼い子供が言葉を覚え始める時は、間違っていても耳で入ったことを口に出し、繰り返し使うことで正しい言葉遣いを身に着けていく。英語も同じだ」と言う。
小学生の「英語の時間」に限らず、中学、高校の英語も本来はコミュニケーションが目的でなければならない。英語を勉強するのではなく、英語で様々なことを楽しむ経験が大切だ。小学校の英語が、「書くこと」に偏った中学や高校の「試験のための英語」の先取りであっては意味がない。
自転車と英語、実はこの両者はよく似ている。いずれも、私たちの生活に役立つ道具であり、また生活を楽しむための手段だと言うことだ。自転車についての専門的な知識を身につけても自転車が乗れるわけではない。同様に英語についていくら研究しても、英語が使えるわけではない。
西洋民主主義には二つの源流がある。一つはギリシャに始まる科学的合理的思想で、もう一つは「キリスト教」に代表される一神教の信仰である。ヘレニズムとヘブライズムといってもよい。
もっとも、中世初期のキリスト教は国家権力と癒着し、反動的で権威主義的だった。古代キリスト教の最大の思想家のアウグスティヌス(354~430)は、「人間は聖書以外でどんな知識を得ただろうか。有益なものはすべて聖書に含まれている」と書いている。
プラトンやアリストテレス、ユークリッドやアルキメデスなどのギリシャの学問は完全に無視されている。すべては聖書であり、しかもその聖書の解釈権は教会に属するわけで、個人的な解釈や研究は許されない。
しかし、時代が下り、スコラ哲学を完成したトマス・アクイナス(1225~1274)になると、学問としての神学が許される。彼自身は「神学大全」でアリストテレスの哲学を受け入れ、ユークリッドも認めた。古代キリスト教に比べると随分柔軟になった。哲学は宗教と矛盾しないと述べて、いちおう人間の思惟の価値を認めている。
やがてルネッサンスが訪れ、ギリシャ的な人間中心主義が復活した。エラスムスが「愚神礼賛」を書いて教会の権威主義を批判し、さらにルターやカルヴァンが出て、信仰は神と個人の神聖な関係であるという「宗教における個人主義」が芽生える。「人は神の前で平等であり、だれもが司祭である」という立場だ。
さらに合理主義者デカルトがこの戦いに加わった。彼の「我思う、ゆえに我あり」というのは、個人の思惟こそ絶対だという立場だ。デカルトは教会からさまざまな迫害を受けることになったが、彼の考えはその後の世界の歴史を変えた。啓蒙思想が起こり、王権や王権と癒着したカソリックは守勢に立たされる。
近代民主主義はしたがって、プロテスタントと科学的啓蒙主義という二つの流れがあるといえる。しかし、この二つのものは決して別々のものではない。個人主義という立場で同じであるばかりではなく、内面的にも深くつながっている。それは教会に反発した科学者が必ずしも無神論者ではなく、むしろ熱烈なキリスト者であったことにもうかがえる。
教会をあてにしないという意味で、プロテスタントの立場は独立自尊の自力主義にちかい。それはまた民主主義の精神にも資本主義の精神にも通底している。
今日の日記は私も登録している「日記サイト」の中の看護婦の「かおる」さんの日記の引用である。いい文章なので、全文引用させていただいた。
ーーーーーー「普通の看護婦 かおるの日記 11/13」よりーーーーー
夜勤明けの朝、その人の病室に行ったときに訊かれた。 「ほんとは、あたし、死ぬんでしょ?」と。 卵巣ガンの末期。すでに全身に転移していて、腹水も溜まっている。 先日、某病院から転院して来た人だった。
もう、その病院で出来る限りの治療をして来たので、あとはうちで看取られる運命を背負っている。新人の頃は、こんな事を問いかけられる度に慌てるばかりだったけど、最近では、患者がその質問をする前に雰囲気を読めるようになった。例えば、あ、この表情は、病状について訊いて来るぞ、てな具合に、心の準備が出来るようになった。
だから、即答した。 「具合が悪いと気持ちが弱って、みなさん、そう言うんですよね。でも、答えはハズレです。そんな事考える余裕があったら、きちんと食事を摂って、お薬も飲んでくださいね。ほら、また朝の薬飲んでないでしょ!」 彼女の表情が明るくなって、微笑みながら薬の袋を開けていた。 私は大嘘つきが出来るようになった。
それで、今日の最終ラウンドで、また、その人の部屋に行った。管から出た尿量をチェックするための訪室だった。私がベッドサイドにかがんでメモリを見ていると、頭上からその人が言った。 「ねえ、ねえ、天使って、ほんとにいると思う?」
え?いませんよ。そんなものは。白衣の天使って言うのも、あれは嘘です。言っときますけどね。私を見ればわかるでしょ? 「でも、この間読んだ短編集に、”その日の天使”って言うのが書かれてあったよ。」 その日の天使?
「そう。その日の天使。天使は、毎日、その人の前に現われる。だけど、毎日姿を変えて現われるので、多くの人は気づきにくい。ある時それは、気持ちがふさぎこんでいる時にかかって来る友からの電話だったり、恋人のキスだったり、あるいは、生まれてすぐに死んでいった子犬だったり、優しい雨の音だったり。とにかく、姿、形を変えては、その日、その人を救ってくれる。」
・・・・・・・・・。へえ・・・。素敵な一節ですね。 「そうでしょ?そこの花を見て。一昨日、主人が持って来てくれたの。綺麗でしょ?だから、その花は、私にとって、一昨日の天使。」 あ、ほんとだ、一昨日の天使さん、綺麗ですねえ。(笑)
「でも、昨日の天使は、珍しく、ほんとに天使の姿をしていたよ。」 それは、どんな天使? 「天使は、夜勤明けだったみたい。不安な患者に困った質問をされて、上手に嘘をついてくれた。」
自分でも表情がこわばるのがわかった。 あとから思えば、平然と何かリアクションすれば良かった。 でも、私は固まってしまった。 きっと、瞳孔が開いていた。尿量をチェックする手も止まってしまった。
そして、不覚にも沈黙してしまい、涙で鼻がツ~ンとして来た。でも、零れないように頑張った。だけど、どうして良いのか解らなくて、かがみ込んだまま、もう見終ったはずの尿の袋をいじるふりをしていた。
「そして、私のために、涙こらえている人は、今日の天使。・・・・・・。どうも、ありがとうね。」 もう、かがみ込んだまま、下向いて、床に涙がぼたぼた落ちてしまった。取り返しがつかない。何てことだ。
「でも、家族には、私が知っているって事、内緒にしておいてね。あとは、う~ん、そうね。看護婦さんたちやお医者さんたちにも。せっかくみんな気を使ってくれているんだから。」
なんだよ、それ。 敬語を使う余裕も無くなって、そうつぶやいてしまった。 もう、無様ついでに、かがんだまま下向いて後ろ向きに部屋を出て来た。(つくづく、人間離れした姿だった。(--;)) せめて、この顏を見せないように。
それでも、追いかけるようにして、声をかけて来る。 「明日も来てね!ふてくされた天使さん!」
休憩室で、ほんとに、ふてくされながら泣いた。 私がもしも、あと何日も生きられないとしたら、もっともっと、自分勝手に生きていた。 それなのに、あの人は。 だけど、あの人はきっと、私にとって、その日の天使。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「かおる」さんの日記を読んでいると、看護婦というのはほんとうに大変な職業だなと思う。同時に、すばらしい職業だなと思う。毎回心を打つ話が連載されているので、楽しみである。大学の看護科に籍をおいている長女にも読ませてやりたい。(かおるさん、無断引用して、すみません)
(参考サイト) 「普通の看護婦 かおるの日記」http://www1.u-netsurf.ne.jp/~moon-k/haikei/back/beangel.htm
南太平洋に浮かぶ珊瑚礁の国ツバルは地球温暖化で真っ先に消滅する国の一つだと言われている。すでに家が並ぶ海岸線が浸食され、地下水の塩水化が進み、生活が困難な環境になりつつあるようだ。
政府は「海面上昇は心配で、数十年後に我が国がどのような国になっているかはわからない。離島は国民一人一人の判断になるが、準備をしておくのが政府の役割だ」として、ニュージーランドやオーストリアに移民の受け入れを要請している。ニュージーランドは今後10年間で1500人の移民受け入れに同意したという。(昨日の朝日新聞夕刊)
こうした中で、この10日に、モロッコのマラケシュで、「京都議定書」の運用ルール(マラケシュ合意)が採択された。しかし、最大の環境破壊国アメリカがこの採択に参加していない。日本も採択に賛成したが、このあと国会で批准される見通しは立っていない。業界の意向に反してこれを批准するだけの見識と指導力を小泉首相がもっているかどうかである。
ところで、この1年間でアメリカの温室効果ガスの排出量は前年比で2.5パーセント増で、これは過去10年で最大の増加率だという。アメリカや日本など、先進国の経済的繁栄が、多くの国や地域の犠牲によって成り立っていることを、私たちはもっと真剣に考えなければならない。GNP№1の大国アメリカと、№2の日本の責任はとくに大きい。
今月の5日、国連で日本が提案した核廃絶決議案に、アメリカはインドとともに反対した。包括的核拡散防止条約(CTBT)への署名・批准を呼びかけているところが気に入らなかったらしい。この決議は賛成120、棄権20、反対2という圧倒的多数で採択されたが、アメリカは大国としての責任を回避して、ひたすら自国の都合を優先させた。
国際社会ではこれまでアメリカの庇護を受け、追随してきた日本だが、京都議定書や核廃絶議決案ではアメリカと違った立場に立った。これからも、アメリカとは友好関係を保ちながら、追随ではない独自の判断に立った外交を押し進めていく必要がある。日本も先進国としての義務と責任を果たすことで、国際貢献の実をあげたいものだ。
一昨日、岐阜県の板取村まで行ってきた。天気は曇りがちだったが、時折日差しが差してきて、日差しに輝いた川浦渓谷の紅葉がすばらしかった。山道の落ち葉を踏みながら、妻と二人で平和な日本の秋を満喫した。
「緑とオアシスの森」というところによって、昼食をとった。山菜御飯と豚汁の定食は500円だったが、量がたっぷりあって満腹になった。途中の喫茶店で飲んだコーヒーと水もおいしかった。
豊かな自然の中に身を置いていると、心身がいやされる。この状態こそ人間の理想的な状態ではないかと思われる。いそがしい社会生活のあいまに、こうして自然に身を任せてみることも大切だろう。
私の場合は毎朝通勤途中に木曽川の堤に車を止めて、あたりの景色を眺めながらオカリナを吹くことにしている。もう、1年以上続いているが、こうした早朝の10分間を持つことで、心がリフレッシュされて活力が湧いてくる。
テニスなどスポーツで大切なのは「基本姿勢」である。相手の動きに的確に反応するためには、基本姿勢ができていなければならない。そして反応した後は、ふたたび基本姿勢にもどる。基本姿勢は基本的な構えで、これが出来ているとあらゆる状況に対応できる。
仏教では「諸法無我」とか「無の境地」というが、要するに雑念や偏見に満たされていては、物事の正しい姿は見えてこないし、何が真実かということもわからないということである。基本的な構えが必要なのは、スポーツに限ったことではない。人生もそうだろう。迷いが生じてきたら、「原点は何かにか」という問いに立ち返ることが必要だ。
基本姿勢とは、つまり心の原点だということもできる。原点を持たない人の心は、座標軸の中心がないので、外界の状況に流されて動いていくことになる。自己が確立されないまま回りの情勢に振り回され、受動的にしか生きられないことになる。 何かに囚われて自然体で生きることが出来ずに、いつも緊張していて情緒が安定しないことになる。ものごとを公平に見ることが出来ないので行動や思考に偏りが出来て、対人関係でも仕事の上でも成果をあげられない。
人き方の正しい原点を見出せば、それを足場にして、自分の人生に自信を持つことが出来る。人生や社会を公平に眺め、その本質を的確に掴んで対応が出来るので、あまりつまらない枝葉末節に煩わされないし、こせこせしないでおおらかに生きることが出来る。
私たちはともすると、こうした「生き方の原点」を持つことの大切さをわすれ、右往左往して心身を消耗させている。だからたまには都会を離れて自然のふところの中に身を置いてみることも必要だろう。人生に行き詰まりを感じたら、すべてをリセットして、生き方の原点に帰ることが大切だ。
千葉大では98年度の入試から「飛び入学制度」が実施された。当初数学科と物理科で予定されていたが、結局数学科では導入が見送られている。試験という形式にこだわる限り、数学的才能を判定することが出来ないという現場の声が大きいからだそうである。
問題が与えられると、それを迅速に正確に処理することが得意な人を、数学者の世界では「プロブレムソルバー」と呼ぶ。そして「プロブレムソルバーは伸びない」という定説があるらしい。
たとえば、十数年前、イギリスに史上最大の天才と騒がれたルイス・ロイスという少女がいた。彼女は12歳でケンブリッジ大学の数学科を首席で卒業し、そのまま大学院へ進学して、15歳で博士課程を修了した。しかし、その後彼女が何か特別な数学的業績を上げたという話は聞かない。つまり、彼女は単なるプロブレムソルバーであって、優秀な数学者とはいえないわけだ。
長年塾で受験指導をやってきて、著書も多い渡部由輝さんによると、試験で測定できるのは数学的才能のたかだか10パーセントくらいで、中学や高校での試験成績は数学者として優秀かどうかにほとんど関係しないという。たしかにこうした事実があるので、日本以外の先進国では個別の大学入試で数学を課さないのだろう。
「受験数学」などという言葉が存在すること自体、数学にとって自己矛盾だといえる。 ところが日本では大学別に、数学の試験を実施し、これによって受験生を選別している。「受験数学」の勝者でなければ数学者にも科学者にもなれないというおかしな制度が出来上がっているのだ。
アメリカではSTA(入学資格試験)で数学を課しているが、教科書の基本問題のレベルなので、特別な受験勉強が必要なわけではない。むしろ中学生や高校生はアルバイトやスポーツ、ボランティア活動などを通して、社会性を身につけ、友人や家族との個人生活を楽しむ。こうした中で、人生に対する認識を深め、将来に向けての展望を切り開くのである。
これに対して、日本では「受験」がすべてに優先される。なぜなら、上位の大学に合格するには、入試問題というおよそ馬鹿げた難問奇問をきわめて短時間に正確に解答するという信じられないような神業が要求されるからである。
今かりにSTAの数学の試験に合格するために必要な学習時間の必要量を1とする。そうすると、日本のセンター入試で約3倍の学習量が必要だという。東大や京大といった一流校に入るには、10数倍の学習をしないとこの特異な能力は身に着かない。
問題はこの特異な能力が、その後の学習に対して、マイナスにしかならないという点である。過酷な受験勉強は人間的にもかたよった特異なプロブレムソルバーをつくりだしているだけで、実のところこうした人々はその後ほとんど伸びることはない。なぜなら彼らは単なる架空な人工世界に適応したプロブレムソルバーに過ぎず、豊かな構想力や自由な発想を尊ぶ本当の学問の世界とは無縁の住人たちでしかないからだ。
いま、日本の大学の研究室のほとんどは、この灰色の人種で占領されているのではないだろうか。高校や中学の数学教師もまたこの灰色の思考に汚染されている。さらに巨大な受験産業がこれをあおっている。こうしてみると、日本の数学教育の未来はまことに暗いと言わなければならない。いうまでもなく、このことはとりもなおさず、日本の将来が暗いということである。
「日本の文学者には数学嫌いが、というより数学嫌いを誇りとするような人が多いようだ」と、数学者の遠山啓さんが書いている。たしかにそのとおりで、文学者の中には数学が出来なくて進学を断念したり、学校を中退した者が多い。
曽我綾子は私がもっとも嫌いな作家のひとりだが、「私は2次方程式もろくにできないけれども、65歳になる今日まで全然不自由しなかった」と公言しているようである。
三浦朱門氏は教育課程審議会長のころ、雑誌記事『教育、今後の方向』の中で、この曽我綾子の言葉を紹介した後、「教科のエゴをなくすために、たとえば数学では曾野綾子のような数学嫌いの委員を半数以上含めて数学の教科内容の厳選を行う必要がある」と公言している。
そして、この発言から1年2ヶ月ほどたって教課審の審議のまとめが出され、2次方程式の解の公式は中学数学から姿を消すことになった。京都大学の上野健爾さんはこのことについて、次のように述べている。
「この発言が2次方程式でなくてたとえば『私は理科が大嫌いで、地動説は日常生活で必要としなかったから教える必要はない』という発言であったらどうであったろうか。この三浦朱門氏の発言にマスコミはおろか数学教育関係者までだれ一人として公的に反論した話を聞かないのは、わが国の数学が置かれている立場を語って余りある事実であろう」 日本の文学者のなかで、最も数学的センスを感じさせるのは誰だろうか。宮沢賢治はその最右翼ではないだろうか。再び遠山さんの文章をひいておこう。遠山さんは宮沢賢治はすぐれた数学者にさえなれる人だったと書いた後、こう続けている。
「その理由をあげると、まず第一に彼の作品のすみずみまで漲っている宇宙的といってよいほどのスケールの大きな想像力である。それは数学という学問の核心となっている構想力に近いものである。
第二は並外れた集中力である。あのような作品を創り出すには、炭素をダイヤモンドへ結晶させるときの高圧に匹敵するほどの精神的集中力が働いているにちがいない。
その集中力も数学者にとって欠くことのできないものである。もし、彼がアインシュタインの壮麗な宇宙論を知ったとしたら、あの宇宙詩「銀河鉄道の夜」よりもっとすばらしい作品を残してくれたかも知れない」
それにしても日本という国は不思議な国である。数学にまるで理解のない人たちが、あたかも文化人の代表として優遇され、しかも数学の教育内容を決定する権利を有している。こういう国に未来があるとは思えない。
2001年11月09日(金) |
数学軽視がもたらすもの |
かってプラトンは自らの学校の門に「幾何学を解せざるもの入るべからず」という標語をかかげた。当時数学と言えば幾何学だったから、この言葉は数学が学問の基本であることを宣言しているわけだ。
こうした数学重視の伝統は西洋社会に受け継がれている。たとえばアメリカには約2000校の大学があるが、そのなかの4分の3にあたる1500校が数学科をもっている。
これに対して、日本は600校ほどある大学のなかで、数学科を持っているのはたった60校、全体の10分の1である。日本の大学でいかに数学が冷遇されているかわかる。
また、当然ながら、日本の大学生は大学でほとんど数学を履修しない。しかし、西欧の大学では一般教養の数学はかなり充実しており、文化系の学生でも自らのレベルにあった幅広い数学の授業を履修している。
もちろんアメリカの学校で履修される数学は「受験数学」ではない。これと対極にある「教養としての数学、文化としての数学」である。それは人がまっとうに物を考えようとすれば避けて通れない論証の技術であり、人間の知性の偉大さを実感できるもっとも誇らしい教養である。日本に欠けているのは、こうした文化としての数学を尊重する精神であろう。
京都大学の宇敷教授は「分数ができない大学生」のなかで、「京都大学では、教養部解体とともに、新しい大学院や学部が創設された。学生数は増加したが、数学を担当する専任教官の数は二割程減少した。文部省や大学当局が、科学・技術の底辺を支える数学をないがしろにするのはなぜなのか理解に苦しむが、現実は数学に関しては教育崩壊の方向に向かっているといわざるをえない」と書いている。
アメリカでは1980年代に教育の見直しの機運が高まり、全米科学アカデミーが「数学的問題解決の方法を学ばなければ将来、世界から取り残される」という危機意識を全面に出した報告書をまとめている。これを受けてブッシュ大統領は一般教書の中で数学教育の充実を約束し最優先で実施した。
日本の官僚や政治家にこの危機感はない。それは中央教育審議会に数学の専門家をひとりも採用しなかったことでもわかる。諸科学と文化の父である数学を軽視して、国の繁栄や発展があり得ないことはわかりそうなものだが、数学に疎い日本の官僚や政治家にはこうした自明の理さえわからない。これも、彼らが「受験数学」に毒されたことの後遺症かも知れない。
高校時代数学が得意でも、大学にはいると、まるで数学がわからなくなり、挫折するケースが一般的である。その理由は高校で習うのは「受験数学」で、本物の数学ではないからだ。受験数学に習熟することで、かえって数学的才能が損なわれているのである。
「受験数学」の特徴を上げると、①問題が与えられていて、②必ず解答があり、③決められた短い時間内に解け、④解き方が指定されている、ということだろう。「受験数学」が対象としているのは、限られた人工的な架空の世界であり、必ずしも混沌とした多様な現実世界を対象としていない。
こうした「受験数学」が日本では幅を利かせているのは恐ろしいことである。なぜなら、こうした「受験生の選別のため」という人間の勝手な都合で作られた特殊に人工的なな世界に適応しすぎると、本当の豊かな現実世界への適応力をうしなうことになるからだ。今日本で起こっているエリート層の地滑り的知的崩壊を、このように読み解くことができる。
実際の数学では、まず①問題を発見することが重要であり、さらに②解があるのかないのか洞察することも重要になる。③問題が解けるとして、それに要する時間はかなり長時間になるかも知れない。また、④問題を解くために自らその方法も開発しなければならない。
受験数学の達人は受験に出題される、ただ煩瑣なだけのおよそ趣味の悪いこうした人工的な問題は解けても、現実の多様な現象を前にして、ほとんど無力でしかない。数学に必要な創造的能力は、決して「受験数学」に習熟することでは得られない。
現在世界で大学入試に数学を課しているのは先進国では日本だけである。たとえばアメリカの場合、大学入学資格試験として数学を課しているが、大学が個別に数学の試験を実施することはしない。また、入学資格試験として出題される数学の問題は教科書の基礎的なレベルの問題である。
つまり、「受験数学」などという、ただ大学の選抜のためにだけ有用で、しかも学問的にはほとんど価値のないまがいものが存在しているのは、日本くらいのものである。大学生の学力崩壊を防ぐためには、大学入試から数学を追放することが必要だと言える。
このことは物理や化学でも同じである。受験に物理や化学を課すことで、高校生に物理や化学のあやまった概念を植え付け、その学問的受容生を著しく阻害している。ノーベル化学賞を受賞した福井謙一京大教授も「大学の入試制度で理科を課すのは無意味である。センター入試でさえ必要性は全くないからやめたほうがよい」と主張している。
「受験英語」や「受験国語」や「受験社会」なども同様だろう。tenseiさんも書いていたが、国語の問題演習などを解いて身に着く国語力など、本来の国語力のほんの一部であろう。模擬試験で測ることが出来る国語力を、本当の国語力だと教師も生徒も錯覚しているのではないだろうか。
受験国語が幅を利かすことで、本当に必要な国語力はむしろ片隅においやられることになる。ちなみに私が考える国語力とは、「問題を発見し、深く考え、明晰かつ豊かに表現する言語力」をいう。こうした力はいくら受験参考書を読んでも身に着くことはない。ますます視野狭窄で頭の固い、出来合いの鋳型や枠にこだわる欠陥知性をつくりだすだけである。
さらにいえば、「学問」そのものもこうした視野狭窄の構造を本来もっているのだと考えられる。こうした特殊な世界に親しんでいると、あたかもそれが世界のすべてであるように錯覚して、本当の世界への適応力を失うことになる。最近ノーベル化学賞を受賞した野依さんも、創造力の原点として、「小さな頃野山で思い切り遊んだ体験」を上げていたが、まったく同感である。
2001年11月07日(水) |
崩壊する大学生の学力 |
大学の入試問題が年々むつかしくなっているという。数学でも難問が多く出されていて、中には大学の数学科の教授でさえ解けない問題が多々あるらしい。まして、なまくら数学教師の私などまったくお手上げである。
ところが一方では、入学後の大学生の学力が、恐ろしく崩壊しているという報告があいついでいる。たとえば東大理Ⅰ類の2年生を対象とした数学のテストの平均点は83年から94年までの11年間に20パーセント以上も低下しているという。
宇敷京大教授は「私は工学部の1,2年生に統計学を教えているんですが、昨年度は120人ほどの受講生のうち、単位を取得できた生徒は0でした。10年ほど前は同じレベルの内容でも3分の学生に単位を出せていたのに・・・」と語っている。
京大理学部の数学の授業ではついに出席をとることをやめたという。出席をとると、そのためだけに顔を出す学生が出てくる。こうしたやる気のない学生が過半数を占めると、講義がやりにくくなる。
日本の頂点に立つ大学でこのありさまである。小、中、高校でも学力崩壊が深刻化しているが、それは底辺か、底辺に近い層での話である。日本のエリート層での学力崩壊ははるかに深刻な影響を社会に及ぼす。
それは日本の学術や技術の衰退を意味するからだ。たとえば2000億円以上の膨大な国家予算をつぎ込んだ第五世代コンピューター開発計画が失敗したのも、その背景に日本の第一線の科学者、技術者のレベルが予想外に低かったからだという分析がある。
宇宙ロケットの開発においても、このところ不具合が目立ってきた。コンピュータ技術や宇宙開発といった先進分野での停滞は、我が国の総合的な技術開発力が衰退していることを如実に示している。
それではこうしたエリート大学生の学力崩壊や技術力の停滞はどうして起こったのだろうか。その有力な原因の一つとして、戦後日本の教育制度の欠陥が指摘されている。私も日本の大学入試制度の在り方に大きな問題があるのではないかと考える。
入試の成績ではかれるのは、あくまで受験技術の優秀さである。したがって、受験の天才がかならずしも、優秀な研究者になれるとはかぎらない。むしろその逆の場合が多いのである。この点について、明日の日記でもう少し分析してみよう。
(参考) 「崩壊する日本の数学」 渡部由輝 桐書院 2000年刊 「算数軽視が学力を崩壊させる」 和田秀樹他 講談社 1999年刊 「分数が出来ない大学生」 西村和雄 東洋経済新報社 1999年刊
昨日の朝日新聞の「きょういくTODAY」に、49歳の主婦の方が、「50歳からは新天地で」と題して、なかなか時宜を得た提案をしている。全文引用しておこう。
「50歳代に入ると小学生に真正面からかかわることは気力、体力から無理が来ると思う。私は49歳。小学生の子どもがいる。もう子どもと一緒の目線では動けない。教師は50歳を超えたら、行政の出向制度で地域センター、スポーツ教室などの活動にあたるようにしたらどうか」
もちろん50歳を過ぎても、教育者として情熱を失わずに、立派に活動している教師もいる。しかし、一般に50歳を過ぎて、なお子どもたちと同じ目線で動ける教師はそう多くはない。
したがってこうした出向制度は子どものためばかりではなく、教師にとってもありがたいのではないだろうか。ちなみに今かりにこうした出向制度があるとしたら、51歳の私はすぐにでも応募するだろう。
生徒の少子化が進むにともない、教師の高齢化が進んでいる。これが日本の教育から活力を奪う一因になっている。若くて生きのいい、そして体力、知力とも充実した教師が次々と補充されていれば、教育現場の雰囲気も随分かわるのではないかと思う。
さらにもう一言、本質的なことを付け加えよう。これまでは「何々一筋」という生き方が立派なことだと考えられてきた。しかし、本来は人生二毛作、三毛作が理想である。50歳あたりを節目にして、全く新しい生き方を選択するのも面白い。
2001年11月05日(月) |
平和憲法の精神を実践しよう |
憲法は前文で「平和と世界貢献」をうたっている。そして、第九条で戦争の放棄をうたっている。小泉首相は国会答弁で、憲法前文と九条の間には「すきま」があると発言した。そしてこの「すきま」を埋めるために、自衛隊をインド洋に派遣するのだという。
例によって、小泉首相の発言がよくわからない。なぜなら、そこに論理的脈絡がつかないからだ。断定的な命題を歯切れよく並べるのが彼のスタイルで、なかなかかっこよく見えたりするのだが、こうした対話を拒む独善的なスタイルは、政治家としてはなはだ危険な資質だと思う。
前文と九条のあいだにどんな「すきま」があるというのだろう。前文は平和的な方法で世界貢献することをうたっている。戦力の放棄と矛盾しないし、「すきま」などどこにも見当たらないのである。むしろ見事に整合している。
むしろ世界貢献といえば、軍事的な方法しか浮かばないという視野狭窄が問題である。たしかにODAを主体とした資金援助による世界貢献にはさまざまな限界があり、人的援助を主体にした援助が大切なことはいうまでもない。しかし、そのために自衛隊を派遣するというのでは、あまりに発想が貧困だといわなければならない。
これからの国際援助は、NGOを主体とした市民レベルのものがのぞましい。政府はこれらの組織を資金面で援助し、さらにこうした活動に参加かしやすい社会的条件を整備することに専念すべきだろう。
そのお手本はオランダである。国民の大半が何らかのNGOに参加し、国際貢献度ナンバーワンというこの小さな大国をもっと見習いたいものだ。平和憲法はそのための大きなよりどころになるだろう。
北さん、徳さん、eichan、ひらさん、私の5人で、恒例1泊2日の「万葉の旅」にでかけた。初日は琵琶湖湖畔にある高月町を訪れ、渡岸寺と立石寺の十一面観音さまを拝んだ。
渡岸寺の観音さま(国宝)は気品がただよい、匂うような美しさだった。立石寺の観音さま(重文)は唇がほのかに赤くて、いかにも庶民的でほのぼのしている。対照的な美しさを持つ二体の観音さまを間近に拝めて、ほんとうに満ち足りた思いで、雨の高月町をあとにした。
6時頃、京都のホテルに荷物を置いて、夕食をとるために鴨川のほとりの中華料理店にはいった。大正時代に建てられた由緒ある建物で、エレベーターなども旧式で格式を感じさせる。しかし食べて飲んで、ひとり2千数百円は安かった。味も良かったので大満足である。
そこを出て、先斗町を散策した。北さんの思い出の店でコーヒーを飲もうと言うことになったが、あいにく店が変わっていたので、別も店に入った。そこでダッチ・コーヒーを飲んでいると、着飾った舞子さんが数人入ってきた。十一面観音さまもいいが、生身の美女も悪くはない。ラッキーな一日だった。
今日の午前中は、嵐山界隈の寺をめぐり、紅葉狩りを楽しんだ。まだ幾分紅葉の季節には早かったが、それでもところどころ紅葉している木を見つけて、季節の美しさを味わった。そして、昼食をすましたあと、広隆寺へ。
広隆寺の弥勒菩薩半伽思惟像は国宝第1号だけあって、ほれぼれする美しさだった。残念なことは、堂内が薄暗く、そのうえ拝観席から少し遠いので、せっかくの有名な微笑もはっきりとは見えない。ただ全体に凛としてしかも匂うような美しい気品を感じた。
広隆寺にはもう一体、国宝の弥勒菩薩半伽思惟像がある。俗に「泣き菩薩」といわれる小柄な仏像で、こちらの方が好きだという人もいる。しかし、やはり表情まではわからない。ただ全体に漂う美しさを少し離れたところから観照するだけである。もうすこし間近から拝みたかった。
車を運転してくれたのは、いつものことながら、徳さんである。京都を後にして、しばらくした頃、「このあたりが、蒲生野ですね」という。額田王と大海皇子の相聞歌で有名な地である。最後になって、ほんの少しだけ「万葉の旅」らしくなった。
2001年11月03日(土) |
ひとり立つことの勇気 |
昨日の夕刊に米軍のアフガン攻撃に心を痛めた少女が、反戦クラブを作ろうとして、3日間の停学処分を受けたという記事が載っている。校長は「この難局下に反政府主義を標榜するのは、真珠湾攻撃の直後の米国で日の丸をふりかざすようなものだ」との強硬意見らしい。
tenseiさんが「アメリカが戦前の日本みたいになっちゃってるなぁ」と掲示板に感想を書いているが、私も同じ感想を持った。自由と民主主義の国アメリカという幻想がまたひとつ崩れたという感じである。
ところで、サンフランシスコのすぐ東にあるバークレーの市議会で10月16日に「アメリカ政府に対して、アフガニスタン空爆をすみやかに終決することを求める決議」が採択されたという。
決議には「テロリストを公正な国際機構の判決にゆだねる」ことや、「貧困、食料難、抑圧、従属など、テロ行為を生む絶望的な原因をつきとめて、克服する」こと、「石油依存から持続可能なエネルギー資源への転換をめざす」ことも付記されているという。
これに対し全米から非難が殺到しているらしい。バークリーにある業者からはものを買わないという経済的圧力や、市長を殺すという脅迫など、いろいろあるようだ。アメリカ人の92パーセントが空爆に賛成するなかで、反対の声を上げることはかなり勇気のいることだ。
ちなみに連邦議会がブッシュ氏に開戦の権限を認めようとした時、ただ一人反対したバーバラ・リー議員は、バークリーならびに隣りのオークランドという選挙区の出身だという。
1964年のベトナム戦争では、二人の議員が戦争に反対した。今振り返ってみて、ベトナム戦争はアメリカの大きな負の遺産になっている。アフガニスタンへの空爆は後世にどう評価されことになるのだろう。
(今日から1拍2日の予定で、琵琶湖と京都へ出かけます。渡岸寺の十一面観音や広隆寺の弥勒菩薩を拝んできます。旅の報告は明日の日記に書くつもりですが、更新は深夜になりそうです)
2001年11月02日(金) |
今こそワークシェアリング |
総務省の発表によると、9月の完全失業率は5・3%で、これは史上最悪だそうである。前月より一挙に0・3ポイント悪化したのも1967年以来のことだそうだ。
電機メーカー大手が大幅な人減らしに踏み切るなど、製造業の雇用が減り続けている。この先不良債権処理を含めた構造改革が進めば、さらなる失業増は避けられない。同時多発テロや狂牛病による影響もやがて出てくるだろう。
さらにアメリカの経済成長率がマイナスに転じたという報告があり、今後この影響が日本の輸出産業の不振となって跳ね返ってきそうである。このままではこれからますます失業率は悪化しそうである。
こうした中で、10月18日に日経連と連合が「雇用に関する社会合意推進宣言」を共同でまとめた。ワークシェアリングや賃上げ自粛により、全体のコストや雇用を生み出していこうというわけだ。正社員にこだわらず、パート労働を容認し、しかもパートにも正社員に準じた給料や待遇を保証する制度は、すでにオランダで成功している方式である。
これまで労働時間短縮と引き替えに賃金がカットされることや、パート労働の増大に抵抗を示していた労組側がようやく作戦をかえて、賃上げやパート労働に柔軟に対応する姿勢をみせはじめたのは大きな前進だといってもよい。
73年秋の石油危機時にはパートなどを解雇し、正社員の雇用を守ったが、今回の不況では、正社員を減らし、パートや派遣などの非正社員を雇う現象が起きている。たとえばこの5年間に正社員は約200万人減り、パートや臨時雇いは200万人以上増えた。
ここで問題なのは、パートなど非正社員の働く条件が正社員に比べ悪いことである。パートと正社員との賃金格差は6年前まで30%程度だったのが、現在は34%にまで広がっているという。この格差を縮めることで、実質的なワークシェアリングが実現できる。
正社員だけが、責任のある仕事をし、長時間労働をする時代ではない。正社員とパートなどの非正社員との境目を低くし、雇用や賃金を分け合うことが雇用悪化を食い止める大きな手だてになる。
オランダの場合は労使に加えて、政府が同意に加わり、3者の合意で一気にワークシェアリングが実現した。12パーセントもあった失業率が、十数年間で3パーセント台にまで下がっている。日本の場合も政府がこの合意に加わることで、早期にこの合意を実現させたいものだ。
高失業という逆風を、むしろ奇貨とすることでワークシェアリングが実現できれば、私たちは余暇重視型のあたらしい生活スタイルへ脱皮することもできる。そうすれば私たちは今よりは格段にしあわせな、実りある人生を楽しむことが出来るだろう。
ニューヨーク市保健当局は30日、眼科・耳鼻咽喉科病院職員の女性(61)が肺炭疽を発症していることが確認されたと発表した。危篤状態に陥っており、感染源などを尋ねることもできないという。
ニューヨーク市内での肺炭疽患者の確認は初めてで、感染経路が確認できないため市民に不安が広がっているようだ。報道機関や郵便局と無関係の一般市民では2人目の発症で、これで全米の発症者は計16人になった。うち3人が肺炭疽で死亡している。
米捜査機関は、世界各地に拠点を置くアルカイダの傘下組織が、アフガニスタン国内に潜伏するビンラディン氏からの指示なしに、米国へのテロ攻撃を行う恐れもあるとみて警戒を強めている。今後1週間以内に、さらなるテロが実行される可能性が強いという。
これをうけて、アシュクロフト米司法長官が29日に「テロ警報」を発した。レベル9から10の厳戒態勢を敷いているといいながら、炭疸菌の被害は沈静化する様子を見せない。これからまだ被害が拡大しそうな不気味な様相を見せている。
そもそも、ダシュル民主党上院院内総務あてに送りつけられた封書に入っていた炭疽菌胞子は、茶さじ1杯分(2グラム)程度である。ところがこれだけで、約200万人に肺炭疽を発症させられるのだという。
旧ソ連で長年、生物兵器研究に携わったケン・アリベック氏によれば、「細かい粒子になっていれば、理論的には約2000万人の致死量に相当」するのだという。これだと茶さじ10杯もあれば、日本人は全滅だと言うことになる。生物兵器が「貧者の核弾頭」といわれるのも、もっともだ。
問題は、こうした生物兵器を使ったテロに対して、私たちはほとんど対抗する手段をもたないということだ。私たちは科学技術の高度に進歩した社会にすんでいる。しかし、私たち自身の中身はそれに見合う進歩をしているとは限らない。社会のシステムも、いまだに不合理な原始状態に取り残されている。
科学技術の高度な進歩と、社会や人間の進歩を同調させる必要がある。そうしないと、私たちの文明はますます脆弱なものとなり、人類の未来ははかなく、ものわびしいものになるだろう。
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