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2004年08月31日(火)
夏の終わり・残像/付き合う?

きょうは2つのテーマで書きます。
まずは1つ目

~夏の終わり・残像~
このタイトルで、写真日記に夏にとり溜めたスナップをいくつかUPしました。

小学生が1年で一番忙しい日、8月31日。夏の終わりです。
ふっと、達郎さんの「さよなら夏の日」や森山くんの「夏の終わり~」のメロディーがふっと思い浮かびます。

この夏、みなさんにとってどんな夏でした?
楽しかった?それともつらかったかな?
私は、あまり印象の薄い夏でしたね。ほぼ、広島から出なかったし。忙しさしか思い出ないです。嫌な出来事もいくつもあったし・・・

秋は、大好きな季節、こころが静まり、どこかへ逃避したくなる。人恋しくなる・・・切ない季節です。別れの季節です。感傷的な季節は、自分を見つめなおす絶好の季節。そこから、新たな出会いも生まれるのかもしれません。
ま、いまからトーンダウンしても仕方ないけれど、ただ、夏がつらかった分、秋はひとりで静かに充実させたいです。
当面秋でやりたいことは
美術館めぐり(モネやゴッホは見たいです)自動車ディーラー廻り(ゆっくり新車を見て考えたい)そして、旅(いっしょに行く相手もいないので、ひとり旅です。もし日帰りだったら、尾道あたり行きたい。泊まりなら・・・未定)読書、ファッション、散歩、人との出会い・・・欲求は膨らみます。
どちらにしても、「ひとりの時間」を楽しむということが共通していますね
秋は、本当に素敵な季節です


~付き合う?~
先日、とある女の子と食事へ行ったんです。同僚の紹介で、逢うことになったんですが・・・ま、普通に楽しく過ごしただけです。
ただ、きょう、その同僚と話してて、けちょんけちょんに言われました
「押しがよわいんだよ!」「最近、女性恐怖症にでもなった?」などなど・・・
そもそも、別に全くそんな気はなかったのにな。少々乗り気しないまま、ただ、逢ったのに。

そういえば、先日日記で登場いただいた、女の子にも、「押しが弱いんですよ!」って同じようなことを言われました。

人から映る自分は、こんな感じなんだとよーく判りました。
人と会うと、つい自分を作って、ことに明るく振舞ってしまう。聞き役重視。だからもうひとつの寂しい自分とのギャップで疲れることもしばしば。押しが弱いのは、相手に嫌われたくない!という思考が人より強いのでしょう。相手に気をつかいすぎるのか、ぺースを相手に合わせるからなのか。もっと自分にわがままでもいいのでしょうけど・・・ま、好きという気持ちが強ければ、押しもつよいのでしょうけれど、わたしは、こと好きになっても、付き合うまでが長いタイプなのですよ。


「付き合う」っていう定義が、最近本当によくわからない。
全く初対面でも、すぐその日に「付き合おう!」って言って、付き合う人もいる。早いスピードで恋愛の過程を経て、とりあえず深い関係になって、そこで相手を知って、やっぱりだめならだめと判断して、そこで別れるというかたち。
逆に、何度も逢ったり、長く時間をかけて、思いが最高潮に達して「付き合おう」というタイプ。相手を判断した上で、将来を視野にいれて、責任をもって「付き合う」この人なら大丈夫、信じられると思ってはじめて付き合う。当然、簡単には別れない前提で
「付き合う」の重みが違うのでしょう。前者の方が、その時そのときを恋愛であれこれ楽しむっていう感じにはなりそうだ。とりあえず、ずーっと継続的に付き合うわけだから、場合によっては、いろんな人と恋愛できるから楽しい。でも別れにも強くなくてはいけない。

わたしは、いまは不思議と後者の方なのです。いままでの経験上、付き合うというのは、相手に対して、相手を受け止めるだけの凄く責任なり覚悟っていると思うようになりました。ま、別れに凄く弱いしね。
そういうじれったいところが、きっと「女ごころの判らない」、「押しのよわい」といわれる、コバルトなのでしょう。
最近凄く考えるテーマです。はい。
よかったら、よい答えを・・・


さて、HPの壁紙を秋バージョンに変えます。テーマはなみだあめ。
わたしの心境です(笑)
9月からもよろしくお願いします


2004年08月30日(月)
フ・フ・フ・台風~

ここのところ、嫌な出来事がいろいろ続いて、かなり元気のないコバルトです。眠れないし・・・ふぅ。ほんと、旅にでも出たい心境です。

さて、台風、みなさん大丈夫でした?
風以上に、雨が強かったですよね。電車、バス、アストラムまで止まったみたいだし。
僕は、仕事もこの天気のおかげで、暇で、交通機関も早々に運行見合わせとなったのもあって、はやく帰宅することが決まったのですが、自宅への足もなくて・・・足がつかまるまでずーっと時間が流れてしまったのです。

子どもの頃、台風がくると、なぜかワクワクしたものです。
学校が休みになるかもしれないという期待感、そして、休みを伝える連絡網の電話がかかってきて、次の人に連絡するという、イベント(連絡網って、台風の時か、遠足や運動会が雨で延期のときくらいしかつかわないし)も、このときならでは。
ただ、家にいてても、外にも出れないから、つまらないけれど。
台風のテレビの報道特番って、大事件の時や、選挙特番と比べて、盛り上がるものではないし。
小さな時から、いままで、台風の時の思い出って、意外と鮮明の覚えているものです。僕も台風のおかげでひどい目にあったこともあるし。子どもの頃とは違って、今は、ワクワクより、心配のほうが先に来るようになりました。

さて、台風の目ってあるでしょ。
子どもの頃何度か、台風の目に遭遇したことがあります。少し先は雨で真っ暗なのに、自分の家の周りの地域だけ、晴れ間がさしている。なにかSF映画のようで、子供心にこころが高鳴った思い出があります。もういちど、遭遇してみたい自然現象ですね。

今回の台風も結局、夜には弱まったけれど、結局終日電車は動かずじまい。
みなさん、きょうもおつかれさまでした・・・

台風一過、明日は秋らしい涼しい1日になるような気がしています。
僕が一番好きな秋・・・別れの季節


2004年08月29日(日)
横川の昭和の雰囲気のお店

ここ数日のいろんな出来事で、最高にブルーになっています。ま、日記には書いていないことも多々あるわけで。正直、本当にしんどいです。当分はこの状態でしょうね。眠れないか・・・最低だ!

夕方、横川に出かけてきました。友達の子とお食事の約束をしていたので。
僕がわがままいって、ちょっと気になっていたお店へ。
(写真日記参照)
古い昭和のアンティークっぽいお店。なんでも、モダンな建物の旧・歯医者を改造して作られたお店。店内は、昭和のレトロモダンの品が多数置いてあって、なつかしさが返ってこころ落ち着きます。駄菓子とか、古いポスターや看板など
ジェラートをいただきました。僕はミルク。なんでも、マイナスイオンが入ってるそうです。癒しも、ここまで来たか!って感じしました。おいしかったです!濃厚で!
そのあと、駅の近くの居酒屋さんへ。軽く飲んで、いろいろ話を聞かせてもらいました。いいアドバイスは出来ないけれど、自分の思ったことを、軽く伝えて、少しでも元気になってくれれば・・・って思いです。
僕自身、横川って街で飲むのは久しぶり。たまにはいいものです。

ほんとは僕がいろいろ聞いて欲しいところなんだけどな。ま、いっか。
どうも、私は強がりなのです。どんなときも、いつも明るく相手に接してしまう。条件反射というか、職業病というか。自分の弱い部分を見せたくない。そして、相手のことを考えすぎるのが、相手に伝わるみたい。そう、相手にあわせてしまう。そういうところが、往々にして自分自身損をしてるね。もっと、わがままで、強引でもいいのでしょうね。私は臆病者ですよ、どうせさ!!ふん!! また愚痴になりそうなので、ここでやめとこ。

あすは台風です。今年最高の大きさです。無事に家に帰れるのか不安です。
だから、夜の日記は書けないかもしれないので、とりあえず、先に書いておきました。つづきは、もし書けたらまた今夜。

みなさん、台風にお気をつけを!!


2004年08月28日(土)
恋愛の価値観で話したこと

友達の女の子とお話をしていて、いろいろと考えさせられた。

彼女は、どこか相手に求めることが主体となっている。経済面を中心に、精神的なものも含めて。そこでずれると、もうだめなのでしょう。
僕は、そういうお話を聞いたとき、ふっと「じゃあ、君は相手に何を与えられるの?なにをしてあげたいの?何を与えてあげたいの?」って聞きました。彼女は言葉なく考え込んでしまった・・・

自己愛っていうものがある。
自分が愛されるってことが最大の関心ごと。それが過度になると、かえって愛から遠ざかっていく。結局また孤独になってしまう。

結婚まで考えるのであれば、もちろん金銭的な部分で、その人の尺度を測るのも仕方のないこと。社会的な責任だもの。結婚って。ただ、それだけでは、それが一番優先というのであれば、先でうまくいかなくなる。むろん、彼女が言うように、「女ってそんな経済的なシビアな面を重視するものなんだから!!」って反論していたけれど。なんかちょっとだけ僕は寂しく感じました。

恋愛でね、何を相手に与えてもらえるか?を考えが先に来てしまうのが、どうなんだろう。結婚まで考えるの過程で、そういう面もあっても当然だとは思うよ。でも、それ以上に、まずはお互いが、相手に対して何ができるか?何をしてあげたいか?相手に対してすることが、必然的に自分の幸せになる・・・そういう形でなければ、恋愛は長続きしないと僕は思うのです。
そのバランスがどちらかに偏ってしまうのはいけない。
お互いが限りなく50・50の対等であるのがベストなんだと思うんだけどな。
たとえ、自分が相手に比べ、力がなくっても、その人だけに対して、ひたむきな気持ちをずっと持ち続けることは、相手になにかを与えることになるように思うのだけど。

なにも経済的なことをいってるのではなく、精神的な依存、やさしさ、、思いやり、愛情、価値観、直接的な触れ合いなどなど、すべてに共通することです。

「究極の愛とは、けっして代償を求めず、与えることが喜びであるような愛である」

昔読んだ本にそんな言葉が書かれていた。別にここまで究極の愛を求めようと躍起になることはないけれど、普段の人間関係の中でのベースとして、この言葉って大切なことのように思う。恋愛の最終的に行き着くことって、この言葉なのかもしれない。

彼女には、めずらしく厳しいこといっちゃったね。いま思うと、そういう価値観って人それぞれだから・・・それに、人間は弱いものだから。僕も偉そうなことはいえませんね。

僕は、もう恋愛はできないのでは?って最近特に思っています。いろんな理由もあるけれどね。ただ、きょう、その女の子と話して、なおさらその思いを強くして、どこか自らを悲しく感じています。
人の何倍も考えすぎるのでしょうし、慎重にゆっくり相手を知って、理解して恋愛をしていきたいと考えるようになったから。恋は、トレンディードラマのような軽いゲームのようなもののように、いまは、割り切れない。出会ってすぐ付き合ったり、すぐ別れたり・・・そういうのは、寂しいことのように思えてる。だからこそ、私の場合は、たびたびあるタイミングも通り過ぎてしまい、誰とも恋まで発展しないのでしょうけれど・・・いい人ではあるが、かけがえのない人にはなりにくいタイプでしょうね。不器用だから。すごく相手に気をつかって、あわせることばかりしてしまう。だから、強引さのない人に思われる。つい強がってしまったりしちゃうし。こういう複雑な人間を理解する人は、いないだろうな。もう、ひとりで生きていく覚悟は少しずつしないといけない。人の恋愛など気にせず、恋愛に苦悩することなく、静かにおだやかに、でも凛とした自分であり続けながら、自分の世界を持って、生きていきたい。

僕も、どこかで恋愛のバランスを崩してしまってるのでしょうか?


2004年08月27日(金)
最近読んだ本から想う、文房具のある生活

「文房具を買いに」片岡義男 著
この本の中に

泥や岩からはじまった文房具は机の上に居場所を獲得し、現在にいたるまでの人間の文明のすべてが、そこから生まれていくこととなった
机の上に増え続ける文房具によって、どこまでも維持される仮設の途上に、ほんの仮のものとしていまかたちを保っているのが、人間の文明であるようだ

という言葉が記されている。

僕は、以前の日記にも書いたように、文房具がとても好きな人です。
ことに、日本の文房具から、フランスやスペインなど欧州のステーショナリーにいたるまで、つい買い集めてしまいます。

この本を読むと、とても文房具が崇高なもののように感じられました。
内容は、海外のデザインにも優れたステーショナリーを写真でたくさん紹介しながら、その一つ一つへの想いを書き綴っている。カラフルな画鋲から、手帖、チョークにいたるまで。その一つ一つの文房具にたいして、とても哲学的な表現をしている、著者のセンスって、僕にはとてもここちよく感じるのです。ファッションよりも身近に、自分だけのセンスが現れるのが、文房具なんじゃ?って想う。そこから、無限大の情報伝達、芸術、文学などなどが、生まれて、人々のこころに響いていくのですから・・・
私のこういうちょっとしたものへの探求は、これからもついえないでしょうね


「ものにまつわる日々のこと」 平澤まりこ著
サブタイトルに「自分サイズのここちよい暮らし」という言葉が付けられている。

イラストレーターでもある、平澤まりこさんの、ほんわかしたイラストや写真で綴る、ここちよい暮らしの本です。
身近な雑貨から文具、料理、旅のアイテムまで、素朴な感覚で書かれていて、とてもほっとさせられます。

この本の中に、「いとしの文具店」というページがあって、
そこで紹介されているペンの中に、僕も愛用している「rotring」のシャープペンが載っていた。著者の高校生のときからの愛用品だそうです。なんだか嬉しいものです。(rotringのTikkyⅡは、色やデザインがとてもいい!・写真日記参照)

著者は、大人になっても大きな文具店に胸の高鳴りを覚えるそうで、やめられない文房具店通いは、小さな道楽だと言い切っています。

「手紙の気遣い」のページもとても共感できるのです。
可愛い切手や素敵な便箋を日々用意していて、オードトワレを吹きかけて・・・というような著者のようなこだわりはないけれど、でも、便箋などは、いつもこだわってしまうし、いつでも出せるよう常備しています。

最近、あの東京・銀座伊東屋の便箋が、広島でも手に入るようになりました。(ダイヤモンドシティのフタバ図書テラにて)かなり値は張るけれど、歴史を感じる重厚さとシンプルさがあいまって、なかなかいいです。伊東屋のロゴも入ってる。(縦書きなので、普段はあまり使わないけれど、でもいつも常備)ちょっとしたこだわりだけどね。

この人の本は、なかなか好きですね。

文房具にこだわる人は、ライフスタイルも、どことなくお洒落で、好奇心旺盛で、まったりした時間が流れてるように思います。


2004年08月26日(木)
べーグル

先日、みえもさんに教えてもらった「ベーグル」のお店に、仕事帰りに立ち寄りって手に入れました。百貨店の地下フロアーの一角にそのお店はありました。
ベーグルって、僕はそう日常、頻繁に食べることはないけれど、気になる食べ物ではあります。丸~いパンといえばそれまでだけど・・・(数年前、ファミリーマートが「べーグル」に凄く力を入れていた時期があって、その時はよく食していた)

詳細は写真日記にて・・・

気になったので、HPで調べてみると
「ベーグルとはニューヨーク発のリング状のパンです。
焼き上げる前に蒸したり、ゆでたりする工程のあるユニークなパンで、今日では アメリカの定番メニューであるだけでなく、世界中で愛されている美味しいパン。その生い立ちは、オーストリアトルコ軍に激しく攻めたてられ、陥落寸前。そこをポーランドが助けて、オーストリアの危機を脱した。オーストリア国王はポーランド王国への感謝の気持ちを表す献上 品として、パン職人にポーランド騎馬隊のシンボル「あぶみ」(馬に乗る際に足を掛ける輪型の馬具)を模したリング状のパンを作 らせた・・・」

だ、そうです。
ふーむ、なるほど、なかなか奥深いものがありそうだ。

どんな食べ物にも、その歴史や由来、メニューの奥深さなどあるものです。一つ一つ調べてたら、いろんな発見があって、面白いものです。

べーグルが昨日と違う意識で、食するようになるもの。
パン好きのコバルトですが、まだまだ未知のパンはたくさんあるのでしょうね。
広島の街のパン屋さんを、あれこれ訪れるのは楽しいけれど、もう少しパンの知識は持ってたほうがより、楽しめそうだわ。

ポコポコ、コーヒーを沸かして、自宅にある、クリームチーズをつけて、美味しくいただきました。


2004年08月25日(水)
槇原敬之「EXPLORER」

槇原敬之のニューアルバム「EXPLORER」がいま、手元にあります。
じっくり聴いてみてね、改めて、いい!って感じましたよ。
マッキーの初期の頃の素朴な詩と音楽に、だんだん戻ってきてるって思います。
「Cicada」の頃の音楽とはかなり違う

マッキーの音楽って、僕が高校の頃に出会いました。
ちょうど、当時所属してた生徒会の部室に、だれかか判らないけれど、ラジカセでエンドレスで「どんなときも」を流していた。自然と、この曲が身体に入っていったのがきっかけですね。当時、生徒副会長をしていて、毎日、放課後遅くまでのこって、忙しく仕事をこなしていた思い出と、この「どんなときも」が凄く重なります。その後付き合った彼女が、彼のファンだったのも拍車をかけて、ファンになったんですよ。

だから、マッキーのファーストアルバムから、ほとんどCDを持ってる状態です。
でも個人的には、最初のころのアルバムが大好きだな~
「冬がはじまるよ」「桜坂」「ひまわり」「THE END OF THE WORLD」・・・大好きな曲は挙げたらきりがありませんね。

アルバム「Cicada」の頃は、かなり彼の中で苦悩してたということが、よくわかるんです。「Hungry Spider」って曲なんかは、それをよくあらわしてる。

影のある部分を秘めていた歌を歌ってた時代に比べ、彼は大きく変わったと思います。でないと、「世界にひとつだけの花」って曲は作れないわけで。みんなを幸せにしたい!って想いを曲にしてる感じですかね。あと、「生活観のある詩」という彼の特徴がそのままだしね。

今回のニューアルバム、「The Fog」って曲が一番好きです。
こんな切ないスローな曲が、最近はしっくりきますね。
別にいまは、苦悩するような切ない恋はしていないんだけどな・・・


2004年08月24日(火)
黙っていてもこころが通じ合う関係

少しずつ、少しずつだけど、秋は着実にやってきてる。そんな季節の移り変わりを敏感に感じられるときは、こころに余裕があるってことなんだろうね。
秋は大好き!美味しい食べ物に出会えるし、旅にもいい季節だし、ファッションを選ぶのも楽しい季節。秋が来るのを日に日に楽しみなのです。

ここのところは、仕事もおかげさまでスムーズに進んでいます。
そして、ひとりの時間も大切に出来てる。
ひとりの時間・・・本を読んだり、美術館へいったり、本屋や図書館を巡ったり、散歩したり、テニスしたり。あと、ぼんやりコーヒー飲みながら考え事したり。地味だけど、自分だけの時間は大切に出来ている。思ったこと、感じたこと、気に入った言葉などをを手帖にメモしたり。ひとりでもけっこう充実してるし、好奇心もどんどん生まれる。そんな時間を過ごすことが出来るから、人とのつきあいも、距離感も冷静に適度に保ててる気がする。

別に誰かと関わるのがキライなのではない。ありがたいことに、友人たちもたくさん居てくれるし、そのつながりは、程よいくらいです。

でも、なんていうか、「黙っていてもこころが通じ合う関係」の人は、なかなかいないものです。暇な時間が出来た時、何時間でも静かに時間が流れていくのを、会話がなくっても、黙って楽しむ・・・そんな時間をともにできる人って、大切な人なんだけどね。恋人とか結婚相手には、そんな面を求めるのは、みんなではと、僕は思います。みなさんには、そんな人っていますか?
私は、そんな人にそのうち出会えるだろうと思って、のんびり生きています(笑)

時にいらいらしたり、悩んだりするときって、一点しか見れなくなる。その状態を打破するのは、「好奇心」だそうです。
悩んでるときは、あせらず、ゆっくりゆっくり少しずつ生きて、身近なところで好奇心を生むことに限る・・・そんなことを、以前読んだ本に書いていたのを思い出します。もし、ともに、同じ目線で、好奇心を共有できる関係を持てる人は、大切にしたいものですよね。

最近、いろんな本を借りたり買ったりして読んでいます。
その本のことは、またいつかに機会に書きますね~


2004年08月23日(月)
相手との距離感に、自己嫌悪

自分は、人との距離感を凄く考えすぎるところがある。
そのバランスが上手くいかないとき、自分は孤独でさみしい人間だっていう思考に陥る。

初対面の人とお話をする機会があって、その相手の人をたくさん知りたいと一生懸命聞き役になる。でも、相手がどれだけ僕に心開いてるか?とか、距離を近づいてくれる人か?というのを凄く考えながら会話する。それを察知しないと、2人の会話や関係はうまくいかない。
限られた時間内に、その人と通じ合う関係になる、そして、素直な自分を知ってもらうことをしたいのだけど、なかなか上手くいかないことが多い。だから、その人とお別れしたあと、とても後悔が残る。もっといろんな相手の話を聞きたかった!とか、ありのままの自分で、もっと接すればよかったとか・・・どうしても、その場では、明るく元気な自分を演じてしまうのは悲しいところ。

やはり、誰だって、緊張するし、自分をよく見せたい。なにより、相手に合わせることを第一に考える。でも、その限られた時間だからこそ、演じてる自分しか伝わらなかったりする。ま、その人をすべて知ることは出来ないけれど
相手と自分の距離を詰める、ある種のディープなお話とかは、どうしても時間が必要です。
相手は、弱い部分を持っている。自分も同じだよ!って伝えたいのに、少ない時間で言葉にするには難しいし、どこまで自分が踏み込んでいいのかっていうことで躊躇することが多い
どちらにしても、時間は必要なのです。
そして、限られた時間しかないのならば、出来るだけ相手を知りたい。ありのままの自分で接したいっていう姿勢で、真摯に向き合いたい。

そのためには、絶対必要なのは、自分の時間を大切にすることだね。
それが出来るからこそ、人との適正な関係が築けると思うのだが・・・

人との接し方に対しての、自己嫌悪も昔ほどではないけれど、やはりあるものです
もっと、相手と仲良くなりたい。深くかかわりたい。そしてもっと甘えてたい

なんか、変な日記になったね。
ま、なかなか友達や恋人を作らない、私のちょっとした愚痴ですよ

そこまで細やかに考えることが出来る人に、一番ソバにいてほしい・・・
静かに相手を見守ることが出来る、目立たないけれど、芯の強い、自分の時間を持ってる人。
もちろんさ、自分も、そうありたいのです。



2004年08月22日(日)
テニスプレーヤーに復活

知人の贈り物を買いに、ファンイズギガモールへちょこっと出かけてきて、帰ったら、地元の友達から電話があって、急遽、テニスに顔を出すことになりました。
(今日の事は写真日記を参照してくださいね!)

僕は、夏の間だけは、テニスはしないと決めてるんです。
理由は・・・単に日焼けするのがいやなだけ(女の子みたいな理由)日焼けでやけどするのはいやなので・・・

きょうは、「メンバーが急遽1人足りないから、出て来い!!」ということで、ま、天気も曇りだし、いきましょ!とOKしました

春以来のテニス復活。
ラケットとシューズ、ウェアをクローゼットから出して、いざ!K町の総合公園へ。その公園へ続く道も、工事も終わってすっかり整備されていて、あ、けっこう時間がたったんだなって感じました。
久々のプレーは本当に楽しい。(テニスの仲間と逢うのはひさびさです。いろいろ観客席でお話聞かせてもらったよ)
ここのコートの芝は個人的に好きなので、なおさら気分よく1時間半楽しみました。ハッスルハッスル!意外と久々にプレーする方が、サーブがバンバン決まったり、調子いいものです。ま、そんなに上手ではありませんが。
それにしても、この公園、日曜日はほんとみんなまったりしてる。ふかふかの芝生公園には、ねっころがってる人も多数いるし。ずーっとおくの、おおきな遊具があるエリアには、たくさんの子供と家族が笑顔で遊んでる(ここの滑り台、かなり長い!いつかは滑ってみたいのですよねぇ)

なんか、バケーションしてる!って空気が漂ってて、ほんとリラックスできます。地元でも、こんな場所があるんですよね。うん。

さ、そろそろ、テニス復活!するぞ
でも、本音は、コバルト的な、のんびりしたテニス同好会を作ってみたい気もします。

きょうあった、K町の合併住民投票は、開票結果は、広島市との合併反対が過半数になったそうです。わがK町の合併がなくなってバンザイなり!

もうすぐ、五輪女子マラソンが始まります。もちろん全力応援しますよ!


2004年08月20日(金)
ゆっくり生きましょう

ゆっくり生きること・・・
いまの私が、なるべく心がけてること。

たとえば、「ゆっくり話すこと」
ゆっくり話したり、聞いたりできるってことは、あいずち打ったり、目を見つめたり、質問を考えたり・・・幅が広がるし、あとで、その人との時間を振り返ったときに後悔する点が少なくなる。わずかな時間でも、人と向き合ってる時間は大切だと思えるようになってくるはすだよ

ゆっくり生きるから、ファッションにも現れる。
自分なりの個性を!とか、清潔感とか、最新の流行とか、TPOを考えるとか・・・そういう余裕を持って、自然に自分に反映させることが出来るように思う。

ゆっくり生きるから、人に対して優しく、そして思いやりが持てる。
競争社会だからこそ、人に対して、ゆっくりゆっくりの姿勢でいることは、必要だとおもうな。もちろん、急ぐ時もあるからさ、そのメリハリは付けた上でね。

ある本にこんなことが書いてあった

「い」の一番の考え方より、「り」の豊かな生き方

「速い」「強い」「高い」を求めすぎるのではなくて、
「ゆっくり」「のんびり」「ゆったり」こそ、これから求められてる事ではないかというのである。お互いがいいバランスを保つことが大切。

ファーストフードの対極にあるスローフードが昨今注目を浴びてるのも、そういう考え方の表れでしょうね。「クウネル」を代表とする雑誌がたくさん創刊されているのも、スローライフというものをみんなが考えることをしだしたということですものね。

ゆっくり生きれば、普段見えなかったことまで見えて、興味を持てる。それ以上に、人に優しくなれる・・・

競争社会、殺伐とした世間のスピードにいささかヘ辟易してる私ですが、「人からどう思われたって、私は私のペース、自分らしい生き方をするぞ!」っていう割り切りは、ある種持っていてもいいような気がする。開き直りかの精神かな?

そのくらい、ここちよい、あいまいな生き方をしないと、息詰まってしまうよ


2004年08月19日(木)
秋はおしゃれの季節/井上選手と精神力

朝晩は、かなり涼しくなった気がします。
秋はもう着実に僕等の街にもやってきている。
いつも、朝、起きたら、自分の部屋の出窓を開けて、マイホームタウンを見下ろしながら、ふーっと息を吸い込む。その時の空気の張りや、温度で、季節を感じることをします。とくに、夏のキライな私だから、一日でも秋を感じるものと出会えるとなんだかうれしくなる。

デパートのショーウインドに、秋物の服がマネキンに着せられていたり、ファッションフロアーの某ブランドのコーナーの一角にある、伊東美咲の写真が、コートとマフラー姿になっていたり・・・秋はお洒落の季節だものね。それも楽しみ。
今年はどんなファッションにしようか?
とっても、僕の場合は、黒か白しかもっていないが・・・
今年は、もっと黒を着こなせる渋い男になりたいですな。うん。
黒のパンツを一本欲しい。黒のスタイルは、意外と着こなしは難しいのです。
一方の白は、清潔、純粋な色だから、本人のこころもそうでないと、まったく似合いませんよね。
どちらの色も、その人の感性やセンスが問われる色だと思います。そして、その人の内面も・・・

アテネ五輪・柔道男子の井上康生選手の試合をテレビのハイライトで観戦した。
金メダルに一番近い男と言われ、まったく敵なしと言われていたのに、まさかの敗北。

いかに努力をし、練習を重ねたとしても、もろくも崩れてしまうのが、メンタルな部分なのかもしれない。精神力・・・それは、努力してもどうにもならない領域とも言えるかもしれないね。だからこそ、僕等は、そうしたアスリートの精神力、そして涙に感動したり惹かれながら、五輪中継を食い入るように見ているわけだけど。

井上選手といえば、4年前は、亡きお母さんの遺影を手に表彰台に上がった光景がいまでも思い浮かぶ。あの時、日本中の人々が涙した瞬間だった。
今回のアテネでは、井上選手は、想像以上の重圧やプレッシャーがあったのでしょうね。日本選手団のリーダーだし。

試合を見ていて、なにかそうした重圧があったのだろうか?って思わされました。

スポーツの世界って、本当に厳しいね。
精神的な強さを育てることって、身体鍛えることよりも難しい
たしかに、どちらも、生まれながらの素質もあるだろうけれど。
(柔道って、本当に見る分には面白い競技です)

僕は、長い間テニスをしてきたけれど、やはり孤独な競技ですよ。
いままでの試合を振り返ってみると・・・そういう思いになります。


2004年08月18日(水)
悩む友に何が出来るか?

友達や仲間が悩みを抱えてるとしよう。
僕はなにをしてあげられるだろうかと考える。
でも、僕はその人ではない。
全てを理解することは出来ないし、
「うんうん、よくわかるよ」
だなんて言葉は、あまりにも無責任なひと言だと思うのです。
その人にはその人でしかわからない深い部分というのがあると思う。
それを軽々しく「よくわかる」だなんて、簡単にはいえない。

私が出来るのは、ささやかな優しい、元気つけてあげられる言葉でしかないように思う。あとは、その友達、仲間の言葉を静かに聞いて受け止める事です。

よくね、「人生こう生きろよ!!」「なんでそんな考えしかできんの!」「こんなんだからだめなんだよ!しっかりしろよ」などなど、叱咤激励というかたちで伝える人もいるとおもう。

僕は、のんびりした人間なので、性急にこうだああだと答えを出させる方法はキライなのです。
こういう、叱咤激励のような叱って励ますのは、人によってはかなりのリスクがある。だから、私は、そういう形にならないようにと心がけてる。

人間のおごりというのは、結局自分の首を絞めることになるはずだ。
要注意です

簡単に、「あなたのことはよーくわかる」ということを言う人にはなりたくない。
それよりも、「あなたのことを、少しずつ理解していきたい」と言っていきたい。

人のアドバイスなんて、ほとんどが、その人の経験からきてるわけだし。その人と、悩んでる人とは、性格から何から違うのですしね。結局は、参考程度にしかならない。最終的には自分自身のペースで、自分のやり方を見つけて、前向きに進んでいくしかないもの。
それを、静かに見守って、きっかけだけでも導いてあげられる人というのって、大切だよ。きっとね。




2004年08月17日(火)
アテネオリンピックに夢中

私は、本当に国民的行事が大好きな人で、もちろんオリンピックも、連日深夜は釘付けになっています。おかげで寝不足・・・いや!まだまだ先は長いのです。仕事帰り、こんなに家路に急ぎたいくらい楽しみなのは、久々だわ。

けさ未明から行われた、男子体操団体!もうハラハラもので見ていました。「0.068・・」そんなわずかな点数差での争いのなかで、日本は最後の最後でプレッシャーに打ち勝って、最終競技の鉄棒を完璧演技して逆転の金メダル!!おもわず僕も目がウルウル。あ、起きててよかった!

普段は、体操競技なんてまったく興味ないのに、あたかも、いままで体操を見続けてきた人のように、声をだして応援してしまう。
オリンピックという、独特の雰囲気がそうさせる。世界の祭典だからね。
多分、その華やかなムードが、僕は好きなのでしょう。

なんでもそうだけど、いつまでもその時代の記憶に残るような大きな国民的行事というのは、なんでも参加せねば!って脅迫観念に駆られるところがあるみたい。
単なるミーハーといえば、それまでだけどね。うん。

最高のプレッシャーの中で、戦うプレーヤーの姿、そして、メダルを獲得した時のすがすがしい表情や涙・・・筋書きのない、時に残酷なストーリー。
いいですよね。本当に。いつまでも、そういう場面を記憶に残したいものです。

日本は金が現時点で6つ。素晴らしい!!

ちょうど10年前、広島でアジア大会ってあったでしょ。
僕は、学生ボランティア(強制的に参加)で連日会場(ビックアーチ)へ行って、選手のお世話をしていました。こういう華やかなスポーツの祭典の中に参加できたことは、一生の思い出になっています。だから、アテネの現場で、生で見たい!っていう人々の気持ちは、よくわかるなぁ・・・

どこか、歴史の目撃者になりたい!って願望は、多くの人にあると思うし。


2004年08月15日(日)
新婚さ~ん、こんにちは

会社の同僚のお宅へお招きされ、山を越した郊外のY町へ行きました。
新婚さんのお宅へ訪問されるのも、ちょっと気をつかうけれどね。
でも、この2人は、本当に仲がいいし、明るい!僕らも全然普通にもてなしていただきました。ありがとうございます。

結婚式へ出席したり、このように、新婚さんと接したりすると、「結婚はいいなぁ!」ってすごく凄く感じる。この2人のように、友達も多くて、気軽に人を招いたり、お互いの家族(両親や兄弟)とどこか出かけたり、もちろん、自分達もしょっちゅう旅行行ったり。二人の根本的な価値観が合致してるからこそ、お互いがいい時間をともに出来てるのでしょうね。結婚までには、いろんな過程ってあって、その都度、大変だったようだけど、こんなやさしい2人だからこそ、越えていけたんだろうね。

ある本に
「愛は、与えてもらうものでなくて、与えるものである」
っていう記述があった。
結婚もそういうことのように思う。相手に与えてもらうことじゃなくて、与えることで幸せを感じる。お互いが同じぐらい、そういう気持ちでいる関係ってベストでしょうね。
そのバランスが崩れて一方的になったとき、愛も結婚もだめになる・・・無論、与えることって、物質的なことだけじゃないけれど、代償を求めないで、与えることで喜びを得ることを大切に出来ることがベストですよ。きっと。

このお盆の間、僕はいろんな人と会ったので、自分ひとりの時間があまりありませんでしたね。旅や遠出くらいはしたかったのですが。まぁ、こんな時じゃないと、広島に戻ってこない友人もいるからね・・・ひとりで宮島花火大会見に行くのも寂しいしなぁ~


2004年08月14日(土)
茶道の先生からのお葉書

茶道の先生から、毎年暑中見舞いと年賀状をいただきます。もちろん今年も・・・

僕が学生の頃、ひょんなことから、茶道を習うことになりました。
自分が、なにか惹かれるものがあって・・・門をたたいたのです。
先生とは、その時からの付き合い。
(当時は、茶道・テニス部、そして赤十字の学生ボランティア、デパートのバイト・・・いろんなことを同時にこなしていた。いま思っても、すざましい学生だったわ)

先生は、初老の女性ですが、まさに外見も内面も「凛とした人」で、ある種の尊敬している恩師でもあるんです。
2年間毎週、茶道を習っていましたが、その時間というのは、ピーンと張りつめた雰囲気のなか、背筋をびしっとして、精神的にもとても心地よい時間でした。
何より、人間としてのいろんなことを学んだように思うのです。
「一期一会」の精神も、その一つ。人に対するさりげない心遣いとか、礼儀とか。それを含めて、どんな人との出会いも、その時その時を大切にするココロっていうのは、よく先生は、言われていました。もともと、茶道って、人をもてなすということだものね。

2年間、しっかり習って、きちんと茶会でお手前をするくらいにはなりました。
さすがにいま、お茶会へ出向くことは少なくなったけれど、一生、何らかの形で、茶道は続けたい気持ちなのです。

今年も、暑中見舞いをいただきました。
先生は、とてもお元気で、よくお弟子さんたちと山登りをされる。
それもあってか、今年も「立山・黒部アルペン」の絵葉書でいただきました。

先生の字は、まさに草書なので、僕のような若輩者にはすんなり読むことはできませんが、でも、先生特有の書体の文字を見るだけで、なにかこころがほっとするののは不思議です。ただのはがき一つで、ここまでその人の「凛とした」ものが伝わるのも、先生だからでしょう。

「いろいろとお話したいことがたくさんたまっています。一度ゆっくりいらしてください・・・」本当に嬉しい言葉です。

もう当分、お会いしていないのですが、いつか、先生の教室にお邪魔して、「いいお知らせ」を届けに行きたいものです。


最後に話し変わって・・・
アテネ五輪、きちんと朝2時半に起きて、開会式を生で見ました。素晴らしい演出でしたよ。やはり僕は、開会式は夜のほうが好きだなぁ。光と水の美しさと、歴史を振り返る人間美に感激です!!これから2週間、寝不足が続くのです。


2004年08月13日(金)
モンキッキー

昨今、いろんなニュースが報じられてて、僕自身気になるもの多いのですが・・・その中で、なぜか気になるニュース。それが

タレントのおさるが、「モンキッキー」に改名したこと。

先般、この日記でも、細木数子のことを書いた記憶があるけれど、あのおばちゃんが、番組で、おさるに、改名を宣告した!それが「モンキッキ」誰もが大爆笑だったのは言うまでもない。

でも、あれだけ宣告されて、おさるが、本当に改名しようか悩んでいたとは・・・
結局、あっさり改名してしまった。
モンキー+金木(金のなる木)ま、理にかなった名前といえば、そうだけど。

いま、細木ブームが最高潮だし、このブームに便乗するだけでも、改名のメリットがあるかな?って判断したんだろうね。おさるにとっては、今のタイミングが最高においしいお話となるってことだろう。

僕もうすうす「改名するんだろな?」って思ってはいたけれど。
おさるが、そこまでタレントとして伸び悩んでいたとは思えなかったけど、ま、これで、メインを張れるタレントになれば、細木数子はすごい人だったんだ!って僕は認めてあげましょう。
(ま、素人のウッチャンが、思いつきで「くりぃむしちゅ~」「さまぁ~ず」とつけたら、大人気になったわけだし。こんなのは、運みたいなもの)

ところで、改名、僕の周りでもされた人が数人いるんですよ。
と、いっても、名前の読みは同じで、漢字だけ変えた人は、けっこういるものです。あとは、仕事とプライベートで名前を変える人も。仕事とかでは、自分の名前って、けっこう影響するポイントだったりするようだ。一度聞いたら覚えやすい名前にするとか、占いで判断してもらった名前にしたとか。

僕は、名前のほうが、約5割の割合で、間違えた読み方をされる。
漢字だけで受け止めると、どちらの読み方ともとれるみたいです。ま、多少不便を感じることも以前はあったけれど、改名などはする気はありません。
(ただし、養子になったら、苗字が代わる可能性もあるけれど)

名前というのは、命名するまでが、すごく大変。意外と、人生に大きな影響を与える場合があるからなぁ。
みなさんはどう思います?出来ることなら、今の名前を変えたい!って思ったりするのかな?

おさるさんの、これからの動向は気になりますなぁ。

さて、いよいよアテネオリンピックが開幕!!
もういまからぞくぞくわくわくですよ。開会式、絶対起きてみますよ~!

夜23時に追記
ナベツネ、オーナー辞任、バンザイ!!ほとんどの国民がこの日を待ってたよ。
巨人がどれだけアクドイことをしていたのか、証明されたことになるね。
巨人偏重主義の人たちのコメントを聞きたいものです。たとえば、日曜朝の番組に出てる解説者の張本氏とか・・・
ただ、あのドラフト注目の投手、巨人のさらしものにされてしまって、ちょっと気の毒。どこも取りたがらないだろうな。ドラフトで


2004年08月12日(木)
呉に行ってきましたよん

呉へ行ってきました。年に数回はこの街に行くのですが、呉駅から呉港までの風景がいっぺんしていましたね。ゆめタウン、もうすぐオープンするそうだけど、人の流れが変わるのかな?ってちょっと首を傾げてしまう。ともあれ、もう建物も完成していて、あとは開店を待つのみではありました。(スターバックスも入るそうです。呉も都会の仲間入り?)

びっくりしたのが、広島よりかなり涼しく感じたこと。
海風が吹くからだろうか、広島より南のあるのだから、暑い!という解釈は、夏は当てはまらないようだ。

造船所の見える海だけは、呉で唯一好きな風景。時間があったら、宮原~警固屋あたりをドライブしたい気分(潜水艦の基地の前に、おしゃれなレストランがあるそうだけど、そこは前々から気になっていた)

今回は、足を伸ばせなかったけれど、ま、もともと用がないと、絶対行かない街だし。これくらいの思いいれしかありません。(よく船旅をするので、ここから船を乗ることが多い。最近では旅の通過点ですね。ただし、正確には僕は呉で生まれたのだけど・・・

夜、呉駅前に到着したとき、ちょうど、そごうと、クレストの間で、ストリートミュージシャンが歌ってた。
2人組み。「19」の地元なんだから、彼等のような歌を歌うのかと思えば、まったくの「ゆず」。ひとりがタンバリンをたたいてたし。いまだ、ストリートの代名詞って「ゆず」のイメージなのでしょうか?



2004年08月11日(水)
自分の過去の深い話・その2 

朝晩は、幾分だけ涼しく感じるようになりましたね。
さすが、立秋を過ぎただけのことはあるな。うん。

ここちよい季節、ここちよい風と接すると、なんだかふっとこころまで落ち着くものですね。そんな季節(秋)がもうそこまで・・・と思うと、嬉しくなる。
旅をしたい。ひとりたび。そんな旅情を掻き立てられるのも秋ならでは。そろそろ準備もしないとね!!


ふーっと、深呼吸してみる。こころも身体もまっさらになる。
でも、人には悩みとかストレスとか抱えてるものって多いわけです。
かくいう、僕も、人前では明るく笑顔で接してるんだけど、やはり悩みとかストレスはあるわけで。そのはけ口として、いろんな趣味、人間関係があると思うのです。

うつというものが、本当に身近に感じられる時代だと、最近よく思います。
CMや、番組などでもよく取り上げられる。
人には、大なり小なり、そういう部分は持ち合わせてるからね。
僕も、以前、うつになりかけたことがあります。(と、いうよりなっていた)
長い間、好きだった人との突然の別れ、職場やまわりの人間関係の行き詰まり、そして、友人の死。それが、同時期にやってきたからです。

言葉で、説明するのは難しいけれど、その時の自分へのやるせなさとか、交錯した感情やこころとか・・・最終的には、強烈な孤独感に追いやられてしまう。好きだった人が戻るわけではないが、こころによりどころだったから、かなり複雑な過程を踏んだ上で別れた後の、そのこころに空いた穴は、簡単に塞がるものではないしね。

確かに、まわりには、心配してくれる友人もたくさんいてくれた。だけど、時間に、時間をかけて、自らを見つめなおす作業は、思いのほかつらかった。
(うつになったらね、人に甘える勇気を持つことが、必要だとおもうな)
ドクターにかかっていても、常にある不安感は拭いきれなかった。

その時間は、非常に苦しかったけれど、逆に、自分のこれからの生き方への指針になることを、ひとつひとつ得ることは出来たかな。少なくとも、人に対して、とても優しくなれたと思うし、大切にしなくちゃって、とても思うようになった。その反面、人や愛には、限界点があるんだということを悟った気がする。だからこそ、いい意味での「いい加減さ」なり、「適度な距離感」を大切にしたいものです。
ただ、愛する人とは、深い部分で繋がりたいけれど

ゆっくり生きていく。ほどほどのところで生きていく
そうすれば、自分にも優しく、人にも優しくなれそうだわ。
きっとね、黙っていてもこころが通じ合う人とも出会えそうな気がするよ。

人って、やはり弱いと思うから・・・

この続きは、また後日、その3で。




2004年08月10日(火)
自分の過去の深い話・その1

僕はあまり会話で自らの強引な人生論とか、自分の過去などを一方的に長々話すのは好きではないのです。相手にとってプラスになることは皆無だもの。退屈なだけ。
それよりも、相手の話を聞いて、いっしょに考えて、さりげないひと言を添えてあげることのほうが、相手にはプラスになるとおもう。ま、自分なんてたいそうな人間じゃないから、人を批評したり、この人はこうだと決め付けたり、「きみはこうう生きるべきだ!」みたいなことをいうこと自体がナンセンスですけどね(笑)

この場ならばということで、ちょっとだけ、勝手な過去のひとりごとを何回かに分けて書いてみようかと思っています。

僕の人生を変えたひと・・・

僕には、幸いにも、そういう人が存在します。まずは、その人のことを・・・
僕が、某デパートで働いてる時代、その同じセクションで、3ヶ月いっしょになった女性がいました。20代半ばくらい。とても美人な人だった。とある学校に通いながら、パートとし働いていてこのセクションに配属になったのです。

そのセクションのチームのなかで、彼女は突出していた。
それは、いままでの自分が出会ったことない価値観や人間性を持った人。
職場の老若男女、誰とでもすぐ仲良くなって、つねに笑顔でものすごく明るい。そして、やさしい・・・どんな年配の人でも、若い子でも、下ネタまじりの冗談を交えながら、大きな目を開いて、真剣にお話を聴いている姿が今でも印象深い。ここまで人間的な魅力に惹かれる人は後にも先にもいないのでは?って思うのです。当時、とても仲良くさせてもらいました。

ときに、仕事が終わった夜、もうひとりの仲間とともに、よくドライブに連れて行ってもらった。彼女は、女性には似合わない大きな車を運転し、そしてタバコをふかしていた。

彼女の人間性や魅力はどこからきてるのだろう?なんて、個人的に興味を持つようになって・・・あるとき、彼女は自らの過去を話してくれた。

彼女は、その数年前、大きな交通事故に遭った。その時、再起不能とまで言わる重傷。自分の姿が元に戻らない・・・その大きな悲しみの中で、当時付き合っていた彼が、ずーっと支えてくれたのだそうです。何があっても、僕はいっしょだからと・・・(その後、その彼と結婚された)
いろんなことがあり、そして奇跡的に、彼女は前の姿に戻ることができた。また、再び生きることの時計が回り始めた。そこから、彼女のその人間性も動き出した

僕は、彼女のそのお話を聞いて、思わず泣いてしまった記憶がある。と、同時に、自分の中のなにかが変わった。

僕が、人へのメールや手紙はがきを出すことをすごく大切に思ったり、長い文章になりがち・・・そのルーツは、この人の影響でしょうね。彼女は、当時、年賀状を200枚も書くのだと言っていた。それだけ彼女には人が集まる魅力があるともいえるし、出会った人を大切にしていたということでしょう。つい数年前まで、僕とも年賀状のやりとりがあったけれど、終始、彼女のはがきは、びっしり文章がかかれてる。手紙のようなはがき。子育てのことから、僕に対しての気遣いの言葉まで。一枚のはがきにこめる気持ちがストレートに伝わるはがき。彼女だからこそですね。

僕は、こころのなかで、彼女のような人間になりたいと思い、いままで、頑張ってきたのかもしれない。たった2,3ヶ月の付き合いだったけれど、この出会いがなかったら、今の自分はなかったと思う。
彼女が、仕事場を離れ、なにかが変わった自分は、その数ヵ月後、専門学校に入学していたのです・・・そして、たくさんの友を得ることとなりました。

それでも、まだまだ今の僕は彼女には及ばない。
ひとつひとつ、自分と冷静に向き合って、葛藤しながら、進んでいくしかありません。

長い深い付き合いをしようと意気込んで、人と付き合うことではなく、その時、その一瞬の出会いだとしても、人のこころに、ずっと残るような人になれればいい。それくらい謙虚でもいいのでは?って思うよ。


2004年08月09日(月)
いとこの子どもと過ごしました

関西から親戚がやってきました。墓参りの帰りにね。
この親戚のいとこの子供が、びっくりするくらい元気なんですよ~
関西弁交じりで突っ込みいれるので、まさに「吉本新喜劇」の芸人さんみてるようなんです。
上の女の子が幼稚園の年長さん、下の女の子が2歳。まぁ、かわいいですよ~!!
(写真日記参照)
いつものことながら、僕への懐きようはすごい。僕を見つけると、手を離してくれないし、ずーっと話しかけてくる。ま、僕が子供に甘い(?)から、せがまれたら、お馬さんから、肩車までなんでもいっしょに遊んだのですが、もし、1日いっしょに過ごしたら、ヘトヘトになりそうだわ。この元気さ、明るさは、いとこ夫婦をそのまま受け継いでるね。(昨年、宮島へいっしょにいったのだけど、もう手を引っ張られてあちこち連れて行かれてヘトヘトになった)
今回も、この子にいろいろ遊びも教えてもらったし。でも、一番喜んでた遊びは、相変わらず、じゃんけん競争だね(じゃんけんで勝ったら、階段を5段進む)
いろんなお話もして、ますますなつかれてしまった・・・
学生の頃の経験で、子供への接し方ってけっこう慣れたつもりだけど、最後には、体力勝負だなって思うよね。

追記
翌日、別れるときには、この子にすごく泣かれてしまった
また、広島においでね!


2004年08月08日(日)
ウルウル・・・セカチュー

「世界の中心で、愛をさけぶ」を朝ビデオで見ました
何度もこの日記で書いてて、またかと思うけれど、ほんとうに号泣です。
朔太郎とアキの父との緊迫したやり取り・・・「きみになにができるんだ!」
白血病という十字架を背負ったアキを取り巻く人々の葛藤が描かれてた。
僕にとって、このドラマですごく印象に残る登場人物が、朔太郎の父と母。
とくに、写真館を継いだ、朔太郎のおとうさん。不器用で小心者だけど、やさしく、本当に静かに影から朔太郎を見守る姿がすごくジーンときます。(高橋克美さんが演じてるから、なおさらなのかな)あんなおとうさんになりたいものです。

緒方直人演ずる現在の朔太郎が、アキの遺骨の灰を持って、海に入水自殺しようとする場面で終わってしまった。
朔太郎が純粋すぎたゆえ、17年前の悲しい記憶から逃れられず、苦悩し続ける。
「アキの変わりに死ねといわれたら、喜んで死んでると本気で(17年前は)思っていた」
人を愛することへの究極の愛情って、この人の変わりに死ねるものなら死んでもいい・・・
ということにたどりつくのでしょうね。そこまでの深い愛情をお互いが持てたとしたら、その2人は、本当の意味での永遠の愛なのだと思う。
現在の朔太郎の心理、こころが痛いです。
大切な人を失ったという事実から、17年間逃れられないでいる・・・

僕は、ある時点から、「サヨナラダケガジンセイダ」という言葉をこころに持つようになった。昔、熟読していた寺山修司の本の中にたびたび出てくる言葉。寺山自身が、おまじないとしていつも口にしてた言葉(正確には逆さ言葉で読んでいた)。寺山の全ての作品・こわれそうなくらい繊細な文体をあらわしてる言葉です。
僕は、大切な人との深い別れを経験したとき、身にしみて、その言葉の本当の意味を知ることとなったのです

朔太郎のような生き方、寺山修司のような生き方、どちらも、普通の感覚からすれば、苦しい生き方だと思うだろうね。でも、そこには、人間として純粋すぎたからこその苦しさなのだという気がする。だれにも責められない・・・

僕は、必ず、救いは訪れると思うのです。そう信じたいです。
それは、朔太郎にも、僕の周りの、苦悩してる仲間にも、僕自身にも、信じたいです。うん。

そうした純粋な生き方、純粋な愛には「悪」の要素は全くないわけだから・・・


2004年08月07日(土)
オフ会ありがとう!

オフ会へいってきました。(三越のビアガーデン)みなさん、本当にありがとうございました。
いい時間が過ごせました。こういう会ができたのも、すべてみなさんのおかげですよ~
ことに、山口から時間を作って参加してくれたみえもさん、仕事の合間を縫ってきてくれたなかひーさんには、多謝!!


2004年08月06日(金)
59回目の夏

また、この日を迎えました。
広島にとって、特別な日。平和への祈りを捧げる日。
僕は、この日は1日、こころのなかで祈るし、なにか沈んだ気持ちで過ごすのです。

僕のお爺ちゃんは、被爆しました。
当時、南区にいたのですが、軍の建物の中にいたため、助かった。
お盆に田舎へ訪れると、健在だったお爺ちゃんが、僕に被爆体験や戦争の体験を長く話してくれました。

正確には、僕は被爆3世となるわけですね。

8月6日を迎えると、子どもの頃のその、お爺ちゃんとの思いでが脳裏をよぎります。そのお爺ちゃんが亡くなって、もう15年経ちました。でも、僕の中では、そういう思いだけは消えることはありません。

毎年、6日には、原爆慰霊碑を訪れ、灯篭流しを静かに見守ることはしてきました。残念ながら、今年は、仕事の関係で、訪れることが出来なかったけれど、僕が出来ることは、自分なりに平和に対して、考えていくことです。


2004年08月05日(木)
誰かと食事する幸せ

ここのとこと、付き合いというかたちで、仕事関係の人と食事する機会が続きました。いっしょに食事する相手は、様々な人がいるわけですが、その時々で、相手にあわせて接していく。
人はいろんな価値観、雰囲気、考え方があるし、自分の接し方が、全ての人にベストだとは限らない。その人のそういったものを、なるべく早く察知して、ある程度自分があわせていこうとします。

お店で食事をともにする、その時間、その場所、なるべくここちよいものにしたいのは誰でもそう。そこには、ちょっとした心がけや、さりげないことというのが、必要となってくると思う。
お店を選ぶこともそう。どの席にしようかということもそう。店の雰囲気とか、窓から見える景色とか、もちろん料理についても。話題についても。臨機応変といったら語弊があるかもしれないけれど、ここちよい時間を「演出」するっていう想いは常に持ちたいです。
僕は決してそういう知識に長けてるわけではないけれど、地味でいいから、ゆったり時間が流れていく、そんなピーンとした張りのある雰囲気だけは、いろんな要素でこころがけたいものですよね。

その人と過ごす時間、その人と過ごす場所。
その時その時って、大切だから。


2004年08月04日(水)
冬のソナタに想う

冬のソナタが、ここまで大きな影響を与えるとは思わなかった。
僕は、日本で最初に冬ソナが放送された昨年春、NHKの衛星で初回から見ていた(全話を完全には見ていないんだけどね)のですが、たしかに、昔の古きよき日本のドラマっぽいストーリーだな!って印象は強かったです。でもここまで、受け入れられるとは・・・
いま、電器屋さんへ行くと、ぺ・ヨンジュンの大きな立看板、ドラッグストアへ行くと、またしてもぺ・ヨンジュンの大きな立看板。ヨン様が街のいたるところで見かけられるようになってきてる。ロッテのガムのCMももうすぐ始まる。
日本の僕らのこころの根底には、こうした純愛をしたい!っていうピュアなこころがあるんですよね。きっと、あこがれなんですよ。恋愛の基本は、時代を経ても変わらない。(セカチューも同じ事が言える)
ミニョンと、ユジンの純愛。せつないこころの葛藤。それを長い時間(日本の連続ドラマの2倍の話数)で描いてるからこそ、じんわりと引き込まれていってしまうんだろうね。(僕はサンヒョクがかわいそうっていう気持ちの方が強かったけれど)あと、ロケ地の美しさや素朴さには惹かれたけれど。

おばさまたちが、その韓流ブームを支えてると思うので、いまの僕等の世代が、どこまで冬のソナタ、そして、そういう恋愛や、韓国のスターを支持してるのかは、わからないけれど。
(僕の妹は、冬ソナはほどほど好きだけど、ヨン様は好きじゃないらしい。母は、お盆にそごうで開催される韓流写真展でヨン様の等身大写真と写真を撮るのを楽しみにしてるそう。その差でしょう)

電通が先日発表したことし上半期ヒット商品ランキングでヨン様は4位になった。(きっと、年末の日経トレンディーのヒット商品番付でも、大関くらいになるんだろうな)ま、納得できるよね。ポラリスネックレスからはじまって、ヨン様かつら、冬ソナツアーまで・・・社会現象になったことは、やはり驚かされけど、こうした純愛からはじまるブームならば、どこかほっとする部分も大きいです。


2004年08月03日(火)
人を好きになることは難しい?

人を好きになるのって、僕にとっては難しくなってしまったよ。
もう何年、きちんとした恋愛はしていないです。
なぜだろう・・・いろんないろんな葛藤をこころのなかでするからでしょう。
昔の苦い恋、その傷は、僕の場合は時間が経ても癒えるものではないのかもしれない。根底には、人間不信があるのかもしれないですね。
今の自分は、一時の感情や寂しさで、恋をしたり、求めたりというのは、のちのちにつながらないということは、悟ったって思うよ。

自分というテリトリーをきちんと持ちたい。まずは自分。そこから始まる。

僕は、たしかに日々、人を好きになるよ。人一倍、惚れ性なのかもね??そんな時でも、自分から伝えることはあまりなくなった。
裏切りも、深く傷つくのも、もういやだし。恋をするとその人に一途になってしまう自分をよくわかってるからね~
このまま、恋をしないで時間が進んでいくのかもわからない。
日々、いろいろきっかけって、あるのにね。とてももったいないことだわ!!
でも、人を好きになること、愛することの限界を、知ってしまったからこそ、僕はしっかりした裏打ちをもって、その人すべてを好きになりたいです。ずっとその人を静かに見続けられるように
ま、あまり考えすぎないようにしましょう(笑)


永遠に治らない愛の病が

涙と孤独と幸せを運びあたしを大人にさせました

その世界が汚れたものでも、あなたの笑顔さえあればなんだってやれる気がするから

あしたあなたがいなくなって、あさってこころがわりして、いつか嫌いになれたら?

あたしのいま言ったことばがまちがっていたとしたら

あたしのいま思うことが正しかったとしたら

その都度あなたには、すぐ叱ってほしい

すぐに抱きしめてほしい

                         「愛の病」~aiko

ふっと今、この曲が思い浮かんでしまいました・・・

暑中見舞いのはがきを書き終えました。
毎年、夏の恒例行事となっています。お世話になった先生、茶道の先生、そして、遠く離れた友人・・・手書きのお便り、はがきをおくるということは、いつまでも大切にしたい。メールや携帯もいいけれど、ここは、スローライフのよさだと思って、書き続けています。


2004年08月02日(月)
ファイヤーキング

ファイヤーキングという言葉、聴いたことありますか?
これは、食器の名前なのです。
アメリカのアンカーホッキング社が90年代まで製造していた、耐熱食器のブランド名です。ミルクガラスの独特の色合いであるこのファイヤーキングが、いますごく気になってるんですよ。
中区の「コレクト」という60年代・ミッドセンチュリーの家具や雑貨を販売してるショップがあるだけど、そこにファイヤーキングのマグがたくさんおいてある。
単色のものから、企業のノベルティデザインのものまで。マクドナルドや、エッソモービルのタイガーなど、アメリカの企業のポップなイラストやマークの入ったマグは、単色のものより約2倍の価格がする。でも、どうせ買うなら、そちらのほうがいいな・・・
とにかく、ミルクガラスの美しさがこころに惹かれてしまいました。最近、このコレクトや、郊外の個人経営の雑貨店などで、取り扱われるようになりました。ひそかなブームになってる。(個人的には、スウォッチブームとよく似てるって思ってる。色合いとかデザインがどことなく似てる)

この前、ジュンク堂を散策していたら、ファイヤーキングの専門書なるものを見つけて、読みふけってしまった。もう生産は中止されてる。だから希少価値のようです。(復刻版はときに発売されるようだけど)

ぜったい、近いうちに買い揃えたい。
でも・・・マグカップ一つに5000円。かなりの贅沢だわ。


2004年08月01日(日)
明和電機ナンセンスマシーンズ展

現代美術館できのうからはじまった「明和電機ナンセンスマシーンズ展」へ行ってきました。現代美術館大好きな僕にしてはめずらしく、半年の時間を置いて、ひさびさに訪れました。(なかなか美術館をいっしょに付き合ってくれるひとがいないからたいていひとりで通います)
朝からの大雨で、比治山もひっそりとしていたけれど、現代美術館の中は、たくさんの人が来場してた・・・
明和電機の全作品は見ごたえありますよ~子供とか連れて行ったら喜ぶだろうな。
魚器、ツクバ、エーデルワイス。この3シリーズが、展示室ごとの分けて展示されてた。ま、展示が中心で、実際動いてる製品は少なかったけれどね。「パチモク」は、ボタンで動かすことが出来て、木魚の音が館内に響きまくってた。
明和電機社報が展示されてて、94年7月号には、「広島で製品発表会」という記事を見つけた。僕は、ちょうどこの日、WIZワンダーランド前で公開放送のデモンストレーションを見てた。こんなに昔だったんだなぁ。きのうのような感じがしてたけれど。

明和電機の会社の歴代制服も展示されてて、展示室にいる係員も着ていた。来場客にも試着を勧めてたけれど、着る人はさすがにおらず・・・

僕は、そのメカニズムのことよりも、その工業デザインにすごく惹かれました。
すごく美しい!!何をする製品なのか一見わからないからこそ、想像するのが楽しかった。で、デザインの細部までほんとに美しい!とくにエーデルワイスシリーズ。
「僕の英知と美しいメスを結晶化した白い世界」というだけあって、女性的な柔らかなデザイン。一番印象的だったのは、「末京銃」150種類の化粧品の入った試験管を発射する製品。大きいメカだけど、デザインに惹かれました。

ホールに戻ると、ちょうど、土佐社長のサイン会が開かれてた。
長蛇の列を見てると、ほとんどが若い女性!けっこうモテモテの人気なんだね。(社長は、笑顔一つもなく、ほんとにまじめな感じで一人ひとりにサインを書いていました)売店に製品やTシャツ、そして制服まで販売されてて、ここも人がたくさん。僕は、エンピツを購入。

ずいぶん長くゆっくり見てたんだけど、雨はやっぱり止まず。
ひとり、静かに美術館を後にして、知人のお見舞いで病院に向かいました。
(まんが図書館に立ち寄って、ブラックジャックを1冊借りたけれどね)

さ、つぎは、県立の「モネ展」見に行かないと!



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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