  
<ささやか温泉の楽しみ>
夜、帰宅して、地元の温泉へ行ってきました。と、いっても、私の地元は温泉地であるわけはなく。街の中にある温泉。でも、温泉地のような風情のある木造の建物で、その温泉地の赴きは十分。寒い1日だったから、余計に温泉で身も心もぽかぽか。(ここへ浸かりにいった日の夜は不思議とよく眠れる)
私は心底温泉好き。温泉地へ行くとなると、数日前からこころがわくわくする。よく、温泉の番組を見るけれど(「新・温泉へ行こう」とか、「いい旅夢気分」とか)どれも、いつかぜひ訪れたいと思ってしまう。ゆかたを着て、下駄履いて、温泉街を散策する。夜も朝も、なんども温泉に入る。ま、そういうのが大好きなんですね。ここ最近は、旅へいけずじまいだけれど、ぜひ、また、温泉の旅はしたいところです。それまでは、地元の温泉を、たまに楽しむこと・・・
この温泉でも、温泉・銭湯らしいものをいくつも見つけることが出来る。暖簾に、牛乳瓶に、マッサージ機。なんだか、ホッとしますよね。
<トト少年の現在に感慨深く>
その温泉から帰ってきて、テレビをつけたとき、ちょうど、「地球街道」という番組がやっていた。今回は、音楽家の千住明さんが、イタリアを車で旅してた(トヨタ提供なので、毎週、旅をする人は、トヨタ車を運転して、世界各地を旅している)
千住さんは、映画「ニューシネマパラダイス」の舞台になった街・パラッツォ・アドリアーノを訪れた。映画のシーンと同じ場所。撮影から19年経ったものの、ほとんど変わりない。あの映画館の前の広場も、映画館は無いものの、そのほかは、ほとんど変わらないまま。変わったのは、走っている車やバスが新しいくらい。
千住さんは、その広場である青年と出会う・・・ そう、主人公の少年「トト」(サルヴァトーレ・カシオ)19年経って、もうりっぱな大人になっていた。あの愛くるしい面影はあるものの、顔がかなりふっくらしていて。(映画の中での、青年になったトトは、丹精でスマートなハンサム青年だったが・・・さすがに映画のようにはならなかったようだ)
いまのトト青年は、スーパーマーケットで店員として働いてるそうだ。あれっ、映画監督の夢は??と、映画のストーリーのようには行かなかったんだなと、思っていたら・・・スーパー店員の仕事の傍ら、映画監督の卵として、映画を撮影している。ふーむ、映画の中でのトトと、同じ道を歩んでいるんですね。なんだか、僕まで感慨深く、そしてうれしくなりました。映画で、トトといつもいっしょだった、映画技師アルフレード。彼を演じた俳優さんは、一昨年だったか亡くなった。映画のストーリーそのままに、天国のアルフレードの遺志をぜひ、引き継いでもらいたいな。
僕は、本当に、この映画「ニューシネマパラダイス」が大好きなのです。 何十回見てるけれど、やっぱりラストで泣いてしまう。
この番組、見れて良かった・・・
きょうも、ありがとうございました。 あしたも、更新していきます。 この1ヶ月、日記にお付き合いくださって、ありがとう。 2月も、みなさんにとって、やさしい時間が流れていきますように・・・
2007 第47回 ACC CM FESTIVAL グランプリを受賞したのが、
「マクセルDVD・ずっとずっと。新留小学校編」
鹿児島県新留小学校 児童はたった3人の小学校。 その小学校が昨年春、131年の歴史をもって、 休校となるまでの、最後の7日間を追った、6本のドキュメントCM。
通常放送された、15秒バージョン×2本ではなく、 広島ではおそらく放送されなかった、完全版(60秒・120秒×6本)のうち、4本が、昨年度の日本のCMの最高の賞を受賞した。
この受賞されたマクセルのCM・全6本を見ることが出来ます。 (きのう、検索して、サイト探しました)
ぜひ、みなさん、6本すべて、順番に見てください。(休校7日前から小学校最後の日・卒業式まで1日ごとが、それぞれ1本ごとのCMになっている。7日前のCMから、順番に。特に、「最後の授業」編は、こころに迫るものがある)
http://www.zutto-zutto.com/report/index.html#1
本当に、泣いてしまいます。私は号泣しました。
作り物ではなく、ドキュメントだからこその、緊張感、そしてこころに響くものがあるのだと思います。生徒と、先生と、地元の方との絆、涙・・・すばらしいCMだと思います。
各CMの最後のエンドシーンに、
「休校まで、あと○日。」
というカウントダウン的なテロップが出る。それが、とても印象的で、こころに迫る緊張感を高める効果を出している。
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おまけに・・・ 2007年のACC CM FESTIVALで、受賞したたくさんの作品の中で、私が選んだCMを、2つあげておきます。こちらも、サイトから視聴できるので。よかったら、見てみてください
UR賃貸住宅のシリーズCM 4本シリーズ http://www.ur-net.go.jp/kanto/tvcm/
集合住宅で、さまざまな人、世代の人と接する・・・不安や成長。それをひとつの家族の視点から、ちょっぴり辛口に伝えている。ちなみに、大森南朋さんと、麿赤児さん、さりげなくこのCMで親子競演してる
リクナビプレミア「山田悠子の就職活動」6本シリーズ http://cm.recruit.jp/video.html?plink=2&search=0&srt=1 http://cm.recruit.jp/video.html?plink=3&search=0&srt=1
笑えるけれど、ついつい、懸命に、すこし天然ボケのまま、就活してる山田さんを、みてるこちらも応援したくなる。
学生のころ、(私はゼミで広告を専攻していた)本当にさまざまなCMや広告を見てきた。映画やドラマとは違い、一瞬で終わるからこそ、映画やドラマにおける起承転結を、15秒や30秒で、たくさんの人のこころに響かせないといけない。そんな、なにもかもが凝縮した世界、ストレートな世界がCM。1秒、1語に妥協を許されない世界・・・そんな世界が、僕は好きだった。だから、学んでいたとき、いろんなCMや広告のコンテストに応募してた。コピーを四六時中考えてた。(ゼミの課題として)あの頃が、僕にとって、1番、クリエイティブな頭をしてた時代だった気がする
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みなさん、こんばんわ。 帰宅途中、突然降り出した雨に濡れまくったコバルトです。きょうも1日おつかれさまでした。みなさん、どんな1日でしたか?
帰宅して、まっくらな部屋に入り、明かりをつける。ふっと張り詰めたものが切れて、こころに痛いことが、差し込んできて、悲しい気持ちになる。まだまだ、どうしてだろうと、自問自答するときが1日になんどかある。
それにしても、今月は本当に泣いて泣いて、泣きまくった1ヶ月だった。もちろん、自分のことでも。悲しいこと、人のことで泣くこと、映画を見てなく、CM見て泣く・・・もう、涙も枯れるほど。普通は泣くことで、こころが軽くなるものだが、私の場合は、ただ、疲れるだけのようだ。無論、ここでいえないこともあったし。あとは、なるようにしかならない。物事は。
ここのところ、仕事のことで、張り詰めた時間を過ごしている気がします
きょうも、ありがとうございました。 あしたも、夜に、3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました
みなさんにとって、よき1日となりますように祈っています。
幸せって何でしょう?の質問に対して・・・
「幸せとは静かなもの。人は幸せな状態になると退屈するの。それで、ずっと後になって、あのときは幸せだったなって気づくんじゃないかしら」
サルコジ大統領との恋でますます注目集める、カーラ・ブルー二の言葉。
先週土曜日の夜、好きなラジオ番組(松下奈緒さんがナビゲーターをしている、J-WAVEの番組)を聴いていて、この言葉が流れてきた。
彼女の生き方は、とても前向きで、どこかフランスらしい考え方。内面が美しい人になりたいからと・・・トップモデルから一転、歌手に転向する潔さも、彼女の大切にしている「前向きさ」が現れている。
彼女は、いま40なのですね。ふーむ。そうなんだ・・・大統領との恋の行く末も、個人的には気になるところです。
幸せとは・・・誰しもが、それを考えながら生きている。 人それぞれかもしれない。でも、彼女の言葉は、ある意味的を得ているなって、思った。
僕にとって、幸せとは・・・その答えを見つけている途中です。でも、時間が経て、過去を振り返ったとき、幸せってどういうものなのか、本当のことがわかることかもしれない

きょうもお疲れさまでした。 けさは、雪化粧した街でしたね。これが、この冬最初で最後の雪化粧になるのだろうか?寂しい気持ちもします。写真は、けさ出かける前の自宅の庭。ビオラもこごえている・・・
私は相変わらず、バタバタとした日々を送っています。 寒さに負けるわけにはいきませんし。もう、風邪はひきたくないので、体調管理だけは十分気をつけています。手洗いうがいの慣行は必修です。
きのう、ソフトバンクが、春の新機種の発表会を行った。僕も、帰宅して、ワールドビジネスサテライトとか、インターネット動画で見ました。ティファニーとコラボレートした「1000万円」携帯も、びっくりだけれど。 (限定10個。会場で出演していた上戸彩ちゃんに、孫社長が1台プレゼントしていた)きっと、叶姉妹あたり、注文してるかも? http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/38211.html
一番気になったのが、インターネットマシーンなる携帯電話。普通の携帯の大きさだけれど、ノートパソコンのように開く。そして、パソコンと同じキーボード。(携帯のテンキーがない)これ、正直ほしいな・・・って思った。ただ、やはり、テンキーも、つけてほしかった気もします。片手でメールが打てないのは、不便かも?ちなみに通話は携帯を開かなくても出来る。 http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/38165.html
私の携帯も、もうすぐ3年。ただいま、メールを数通送信しただけで、電池残量が3から2になるくらい、くたびれてしまっている。突然電源が落ちたりもする。そろそろ変え時かもしれません・・・
年賀状はがきの抽選があったので、新聞に載っている番号と照らし合わせてみた。やはり当たってない・・・切手シートすら。つくづく、自分のものは、くじ運がないものです。他人のモノを当てるときは、結構当てるのにね。(昨年は、母の行きたがっていた演劇のチケットを懸賞で当てた)
きょうもありがとうございました。 あしたも、すてきな1日になりますように。 メトロポリタンカメラも更新しました。 あしたも、日記は、夜に更新します。 おやすみなさい

リンカラン2月号は、「大切なのは伝えること。」というテーマの特集でした。母から娘へ味を伝えること。手紙で伝えること。心を音楽で伝えること・・・いろんな「伝えること」。読んでいてこころあったまりました。
その中で、特に印象的だったのが、山田ズーニーさんと、金城綾乃さんの文章。
山田ズーニーさんは、気持ちを伝えることを、私たちは、教わっていない。だから、本当に言いたいことを自問自答して、1日1回でいいから言葉にして伝えること・・・
「自分の浅い部分の感情を吐き出して、失敗しながらあれこれ考えて、一番根っこにあるきれいな気持ちを言葉にして昇華できる。失敗して傷ついて。でも、それは、関係が深まっているということ。人間関係が切れる危険を冒してでも、憎まれても、当り散らしても、失敗してもいい。いままでトレーニングしなかったのだから、いま、それをするしかない。とにかく気持ちを出して、考える」
同じように、キロロの金城さんも、書かれていて 「コミュニケーションは訓練なんだ」と言っている。ご主人や、キロロの玉城千春さんのように、自分の想いを熱くぶつけるタイプの人がそばにいて、これまで、自分の気持ちを伝えることが苦手だった金城さんが、伝えることの大切さに気づいた。
2人が共通して言っていたのが、「相手に届けたい、伝えたいというのは、その先にすばらしいものがある、いっしょにいい方向に行きたいんだ」っていう、言葉にできなメッセージがあるからだと。
ふーむ。と、考えさせられました。すごく、その言葉が、こころにスーッとはいっていった
いままで、自分の気持ちを伝えてなかったんだな。私は 相手のことを想い、考えたことを、しっかり言葉にして伝えること。その日々の積み重ねなんですよね。きっと。傷づくことを、怖がっていてはいけないのかもしれない。
リンカランには、まだまだ興味深い記事がたくさんありました。そのこと、また機会あったら、書いてみます

こんばんわ。きょうは広島都心は雪でした。 日が暮れて、僕も帰宅ているとき思ったけれど、やはりきょうのような、細雪っぽい雪の方が情緒あるな。あしたはパウダースノーの街に出会える!と思ったけれど、いま窓見ると、雨に変わってしまってた。雪だるまは作れそうにないね。
きょうも、ありがとうございました。 あしたは、おそらく雪化粧となった街に出会えることでしょう。みなさん、あったかくして過ごしてくださいね。おやすみなさい
 
こんばんわ。きょうも寒い1日でしたね! 私は、東広島へ訪れていました。この冬、都心ではまったく雪が降らないでいるのだけれど、やはり東広島へ訪れると・・・写真のように、数日前の雪がまだ、しっかり残っている。プールバール付近も、なんだか寂しげな雰囲気です。カフェは、まだどこも人でいっぱいだったということで、ちょっと散歩することにした。日曜日ということで、広島大学を1周ぐるーりと散歩してみた。広いキャンパスを、こうして、のんびりぐるっと歩くのは初めてかもしれない。おもしろかったのは、キャンパスのあちらこちらに、雪だるまの残りが、たくさん点在していること。あぁ、広大生も、考えることは子供といっしょなんだなぁ(笑)ってね。整備されたウォーキングコースを歩く。出会い通り、フェニックス通りなど、ネーミングもしゃれている。学生はまばらしかいなかったので、静かなキャンパスだった。(キャンパス内のカフェも、やっぱりお休みだった・・・)

カフェエフランにて。 ちょうど1年前訪れたときは、まだここは「珈琲館」だった。店内はさほど変わった印象はないけれど、カフェメニューは一変していた。僕はクリームがトッピングがなされた「チェリーラテ・フルーツゼリー」なる、彩り美しい、女性が選びそうなドリンクをあえて選んでみた。うーん、甘い!クリームの量が半端ではなかった。ウインナー珈琲の仲間ではあるだろうが。(写真では美しさがわからない・・・手渡されたときには、既にクリームが溶けていた)スムージーやラテの種類が豊富で、また、ケーキもいろいろ。ここは無線LANが使えるので、パソコンを開いている大学生が何人もいました。大学近くのカフェらしい光景です。
きょうも、ありがとうございました あしたも、みなさんにとって、よき1日になりますように。
<イルマーレ> リメークされた、キアヌ・リーヴスとサンドラ・ブロックのバージョンではなく・・・元々の、韓国版の方(イ・ジョンジェとチョン・ジヒョン)を見ました。
イルマーレという名前が付けられた、海上に建っている美しい家。1998年、最初に住んでいた建築家志望の若い男と、2000年に住んでいた声優の若い女。2人はこころに悲しい出来事を抱えていた。その二人が、2年の時空を越えて、家の前の郵便受けを介して手紙を交換・文通していく・・・そんな美しい恋愛映画。2年という時間の差がせつない、そんなストーリーも素敵でしたが、そのイルマーレのモダンな建物や海辺の光景の美しさが秀逸。僕も、ぜひイルマーレに住んでみたい。そう思わされた。済州島の美しさも惹かれました。過去と未来を生きる2人の、時間を越えた、ラブストーリー。ラストで、いろんな2人の時差のある関係の相互性がわかってくる
おだやかに、こころに染み渡る、そんな、おすすめの作品だと感じます。
昨年、WOWOWで放送していた、キアヌ・リーヴスとサンドラ・ブロックのバージョンも録画してて、まだ見ていない。今度は、こちらを見て、見比べることにしよう
きょうもありがとうございました あしたも、すてきな1日となりますように・・・ あすも夜更新いたします。きょうも短めの日記に。あすはいろいろ書いていきますね
いま、リンカラン2月号を、ゆっくり読んでいます。 また、そのことは、明日かあさっての日記に書いていきますね!

どんより、のち晴れの1日。 冬らしい空の変化を織りなしていたように感じた。午後から、いろいろ回らなくてはならなくて、都心を歩いていた。きょうも、気忙しい1日でした。これも、いろいろな準備のため。
矢井田瞳さんが、3月に発売されるアルバム『colorhythm』に、昨年末、クリスマスの約束で小田さんとコラボレートした曲「恋バス」を収録するそうです。小田さんがバックコーラス。いままで考えられなかったことのように感じる。いや、ほんといい曲だったけれどね。ヤイコらしい・・・

こちら、私の部屋のスナップの1枚。いちおう・・・地デジ対応となっています。(ただし、テレビ自体は古いので、ハイビジョンで見れない)DVDは、勝手に好みの番組を録画する機能のため、もう既に、ハードディスクは満杯状態。時間があれば、すべて消化したいところだが、なかなか・・・ビデオデッキも、いまだ現役くんです。

この冬は、日本酒を飲むようにしている。いままで苦手なお酒だったのですが、昨年、西条の酒まつりへ訪れたとき、「来年は大好きになって、また訪れたい」と思うようになった。この写真のお酒は頂き物なのだが、京都伏見の造り酒屋さんの大吟醸酒。本当においしい。甘いけれど、口当たりがよく、すーっと身体に入っていく。いままで飲んでいた日本酒はなんだったのか?と思って。きちんと、いいお酒を飲めば、日本酒っておいしいことを実感させられた。とはいえ、量は多く飲めない。コップ3分の1で、充分。

ぴーさんから、私の大好きなフリーペーパー「ブリッジ」や、写真のような温泉の入浴剤など送っていただきました。ありがとう!
きょうも、ありがとうございました。 あしたも、みなさんにとって、こころは、あったかい1日になりますよう に。寒い毎日ですが、あったかくして、休日を過ごしてくださいね。 メトロポリタンカメラ更新しました あしたも、3つくらい、文章を書いていきます。夜に更新します きょうは、小さい文章をいくつか書いてみました。たまにはいいでしょ?

粉雪が舞う1日。都心も、どんよりとした空でした。思わず「こな~ゆき~♪」って、レミオロメンのように歌いたくなる。きょうは、病院にも行ってきた。少しずつ、心身とも落ち着いてきている気がするのだが
こころに、大きな穴が開いたような日々が続く。自分が生きる、大きな支えだったものがなくなって。どうなのだろう?たしかに涙も枯れた。これがいつまで続くか、本当にわからない。これもまた人生です。ただ、目の前にあることを、仕事や、これからの自分の準備のことで、1日が終わる。そんな感じだ。人と接しているときが、何も考えないでいいので、一番楽かもしれない。

夜、疲れた身体に、甘いものをと思っている。今夜は、モンブランケーキ。ささやかな贅沢。ぼんやりひとり、部屋で音楽聞きながら、いただく。こと、モンブランが好き。先週だったか、テレビで、ナイナイの矢部さんが、ケーキ店でみかんモンブランや白桃モンブランを作って、売っていた。たしかにおいしいだろうけれど、モンブランといえば・・・やはり栗ですよね
ちょっと前、ある友達に会う機会があった。 彼は、僕より2つ年下。結婚してしばらく経って、一人お子さんがいらっしゃる。逢うと、いつも持ち歩いている、かわいらしいお子さんの写真や家族の写真を見せてくれる。とてもほほえましい光景です。彼にも、結婚を勧められた。もちろん、大変なこともあるけれど、こうしてささやかでも家族を持ってみて、初めて、自分のしっかりとした生きがいが出来たと、彼は時々口にする。
私は、このまま独身でいるかもしれない。でも、もし、そうならば、きっといずれそれは、後悔することもあるかもしれない。けどね、誰かといっしょに生きていくことって、あったかい家族を持つことは、決して悪いことじゃないと思う。人生は長いようで短い。ならば、これから、人生の終わりまで、だれかといっしょに生きてゆくことも、いずれ、大きな幸せだと感じることになるような気がする。生きることって、現実は大変です。だからこそ、ならば、ひとりよりも・・・と思うのは、ごく自然のこと。
結婚観について、いろいろ思うことはあります。ただ、「細く長く」でありたいとの想いは強いのです。きっと、どんな愛情も、相手への想いも、結婚したとしても、そのうち冷めていく。少しずつ。それは仕方ないから。ならば、細く長く。その過程でいろんなことはあっても、離れることは、ないように。焦らないように。信じて待って、許せるように。僕はそう思ってきた。
「自分をしっかり生きる」「愛した人を幸せにする」 その強い意思がぶれないこと。僕は、それだけはぶれない人間で、これからもありたい。本当に。どう、人から批判されても。それだけは。
彼のように、かわいらしい子供を持ったとき、人って、変わるのかもしれない。こころから、彼やご家族の幸せを願いたい。自分も、本当にこうありたいと、ずっとずっと強く思ってきたのだけれど。なぜだが、なかなか上手くいかないものですね。
私の知人で、結婚して7、8年経つけれど、ずっと新婚のまま、ラブラブなご夫婦もいる。子供はまだいない。自分がお休みのときは、奥さんの会社まで車で迎えに行く。誕生日や結婚記念日には、旅したり、食事したり。この人とお話していると、こちらまで幸せな気持ちにさせられる。ほんと、理想的ですよね!(とはいえ、お互いいろいろあって、でも、信じあえてたから、いまも、あったかい関係でいられるそうだが)
生きること その答えは、いずれ自分の人生を思い返したとき、本当のことがわかるような気がした。
きょうも、ありがとうございました あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れる1日となりますように。あすも、夜更新していきます。 きょうは、おまけの日記はありません。 メール、ありがとうございました。お返事させてもらいますね!! さ、笑顔であすも1日、過ごしていかないとね
追記 都合により あすの日記は、土曜日の朝、更新します
 
冷たい雨がそれでも続いた1日。 都心のけさの寒暖計は6℃。真冬を感じさせます。アポイントの時間まで少し余裕があったので、ちょっとその時間、都心の街を歩いてみた。雨がしとしと。僕は雨の日って好きなので、むしろこころが静かになる感覚に陥る。ひとりでいると、いろんなことの思いにふける、そんな状態だから、きょうのような街は、なんだかすこしここちいい。さ、もうひと頑張り!
みなさん、こんにちは。きょうも1日、おつかれさまでした。どんな1日でしたか?ゆるやかに時間が過ごせたら、それがひとつの幸せだと感じていけたらいいですね・・・
あたたかなこころは、忘れないように。誰かの想いを、しっかり受け止め、先に繋いでいくようにって思います。あたたかなこころで、誰かを幸せにするために。
きょうも、ありがとうございました あしたも、笑顔の多い1日になりますように! あすは、3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。きょうは、この日記、都合により、短めです。ごめんなさい。 この後は、おまけの日記です。よかったら、お読みください↓
<黄金比率プリン>
ついに買ってみました。森永が世に出した、究極のプリン「生クリームと卵黄の黄金比率プリン」昨年、夜のニュース「ワールドビジネスサテライト」で、このプリン開発のニュースを見て、気になっていたのです。なんでも、全国のおいしいプリンが集合した「プリン博覧会」で、もっとも人気だったプリン6種類を、徹底的に研究所で分析を重ねた。機械で、6種類のプリンの固さを計り、もっともおいしいとされる固さのデーターを出したりなどなど・・・。そうした結果、弾き出された黄金比率で作られた、究極のプリンだそうです。データで実証された、最もおいしいプリン。食べてみた感想は・・・ちょっぴり硬め、でも、しっかりとした濃厚な味。スーパーで買うプリンとは、違う味。まさに、黄金比率を実感できる気がします。ちょっぴり高いけれどね。
大阪で、強盗の末に殺害された乳児のお母さんが、自ら命を絶たれた。このニュース、先ほど知って、正直ショックでした。大切な人を失うことの大きさ。お母さんを、だれも責められない。こころから、ご冥福を祈りたい・・・
日経平均が1万3000円を割り込んだ世界同時株安の1日。私もけっこう驚きました。トレーダーの方、大変ですね・・・私は株をやろうなんて想わないけれど、常々おもってる「株はギャンブル」こういうニュースがあるたびに、改めて思います。サブプライム問題が終息したら、たぶん状況は変わるでしょうけれど、まだまだ当分は・・・(今回の株安は、中国にその問題が飛び火したのが発端との見方が強いそうだが)

きょうもおつかれさまでした。冷たい雨の1日。こころまで冷たくなってませんか?あったかくして、今夜も休んでくださいね
<ロハスとはいうが・・・>
「しあわせロハス」という番組で、自由が丘を紹介していた。司会をしているモデルのSHIHOさんと、ゲストの田中律子さんが、ぶらり自由が丘を歩いてて。そこで、モデルの雅姫さんのお店にも訪れていた。1階は、シンプルな服や雑貨、2階は子供服。まさにロハス的な佇まい。自然な空気が流れていた。季節ごとに、美しい花柄の包み紙をオリジナルで作って、それを、商品を入れるラッピングボックスにも使っている。花柄のやさしいハコが、白いアンティークな医療棚にたくさん綺麗に並んでいた。雅姫さんいわく、「箱から商品を出した後も、ずっと箱を使ってもらえるように・・・」そんな心配りが、このショップの人気を支えているのでしょうね。「自分の家に招く感じで、片意地はらないで訪れてもらえるお店」をテーマにしているそうだ。だから、自宅で使っているアンティークでシンプルな雑貨や、花などが、店内にレイアウトされていた。雅姫さんの、ここちいい生活が、そのままストレートに感じられる場所ですね・・・(その後訪れた、フェアトレードのお店、その理念に同感してしまいました。最後に訪れた和カフェも、行ってみたい!)
僕は、「ソトコト」って雑誌を、時々買うのだが、実をいうと、その雑誌くらい、「エコ」「環境」「ロハス」にやさしい生活をしなさい!活動しなさい!と力いれてやることはないと想っている。僕が出来るのは、そんな理念じゃなく、ただただ、シンプルで、着飾らず、やさしい生活。服も、食事も、インテリアも、雑貨も、そしてなにより、生き方も、シンプルで無駄なく、それでいて凛としている。誰もがここちよい生活。だから、わたしの部屋も、白い壁、フローリングの茶。植物の緑。本とテレビとテーブルがおいてある。そんなものです。観葉植物を季節で植え替えて、花も季節によって変えて。(写真は私の部屋のスナップ。こんな感じ)
自由が丘って、雑貨や、輸入文具や、家具の街というイメージだったが、ほんと、ロハスな街にも、なってるんですね。一度いって見なくちゃね。
番組の内容はこちらで http://www.bs-asahi.co.jp/lohas/lohas.html
<相手の立場に立って>
「あなたは結局、愛しているのではなくて、自分を愛してほしい。そのために相手を愛す。見つめる。信じる」 「あなたは、小学生の作文や日記に対する、先生の感想みたいなことしか言わない」
最近、そんなことを言われて、なるほどなと、想ったりした。ただね、私は人を傷つけること、悲しませることを言いたくないだけです。だから、すごくすごく言葉にするとき、考えて、選んでいる。だから、怒ることもないし、優等生っぽいことしか言わない人に思われるし。それにね、そのときの状況や現実問題を考えて、本当は言いたい!伝えたい!こうしたい!怒りたい!って想うことを、抑えてきたこともたくさんあるんです。その判断、選んだことは、相手からしたら間違いと批判されても、自分なりに、長い目でみて、この判断は正しかったと思う。問題は、そのとき、お互いがきちんと信頼してるか、相手をしっかり見ているかでしょ?裏に隠されたことってあるものだし。そこを思いやれるかやれないか、相手の本質が見えるか?が、本当の関係のように思うのだが、違う??間違ってる??(やっぱり間違ってるかな・・・)そういうことって、時間が経ってみて、初めてわかることもあるしね。これは私の経験から言えることです。
「相手の立場に立って、考えられるように」 相手の立場に立って、相手のこころの痛みがわかるように、思いやれるように・・・
時に、静かに黙っていたり、うまく伝えられなくて、誤解受けたりするけれど、芯の部分は変わらない、ぶれないから、そのとき、どう思われても、いずれそのことが理解してもらえると信じる。相手の立場に立って考えるってことは、「信じて、待って、許す」ことが出来る人のようにも思います。でも、この言葉を、結局は相手のためじゃなくて、「自分を守りたい」ということの理由付けにしてしまいがち。これは私自身、気をつけないと・・・
もっと、言いたいことを言えばいいのだろうか?そのときそのとき、思うことを、そのままで!でいいのだろうか?これからの自分を考えたとき、悩みます。結局は、自分が愛されたいからという、エゴに基づく自分本位な生き方をしているのだろうかな。僕は。
きょうもありがとうございました あしたも、みなさんにとって、すてきな1日になりますように!まだまだ寒いから、身体には気をつけてね♪笑顔で過ごしていきましょう この後は、おまけの日記です↓
<篤姫>
第3話まで終わりました。少しずつ、面白くなってきました。 前作「風林火山」は、とにかく男臭く、重厚な、戦いのドラマ。それに比べると、あまりに若々しく明るいストーリーで、最初は戸惑った。でもね、宮崎あおいさんの熱演は光ります。
さて、その中でもっとも注目のキャラといえば・・・徳川第13代将軍家定。うつけもの、まさに子供みたいな奇行ばかり。おもちゃで遊んでたり、庭でにわとり追い回したり・・・そんなわがままな子供のような大人を演じてるのが、堺雅人さん。そのバカ殿ぷりが妙にはまっている。ただし、斎彬(高橋英樹)に、耳元でひとこと鋭いことを言ったり。もしかしたら、その子供みたいな振る舞いは、演じているのでは?と、斎彬だけは、その家定を見抜きつつあった。主人公の於一=篤姫は、のちに、この家定の正室となる。
この時代(江戸末期)の歴史については、まったく詳しくないので、ちょっと勉強の意味も込めて、見続けようかなって思います。私ね、2つ前の大河ドラマ「功名が辻」に出演してたロンブーの赤い方が、どうしてもしっくりこなくて。(もともと好きなタレントではないし、演技もお世辞にも上手じゃなかった)大河にお笑いの人は出さないほうがいいのに・・・ってすごく想ったんです。「篤姫」には、ネプチューンの原田泰造さんが大久保利通役で出演してるけど、さすがにドラマ慣れしてるだけあるなと思いました。これならしっくりくる。

ドーナツが好き。 物心ついたときから、ドーナツを食べ続けてる。 みなさんも、パン屋さん(トングを使ってプレートに載せるような)で、ふとドーナツを買ってしまう人って多いでしょ?
そこで、みなさんは、どちらを選びます? ドーナツ(リング)か?ツイストか?
私はやはり穴の開いた方を選んでしまいます。だって、その方が幸せになりそうだし。丸い穴から幸せが見える?(忍者ハットリくんの獅子丸のちくわの歌と同レベルの発想)見たいな感じで。ドーナツの方が、カラフルにしてもかわいいしね。だから、ツイストを選ぶときは、ドーナツがないとき。どうして同じなのにカタチの違う2つが世の中に出てるのかな?っていうのが長年の疑問で。知ってる人います??ドーナツでいいじゃない?ツイストの方が作るの難しそうだし
とはいえ、おいしいですよね。私のドーナツの原点である、アンデルセンの、シンプルに砂糖がまぶしてあるだけのドーナツが、やはりいい。ミスドも、もちろんおいしい。あげてるところを見ながら買う、クリスピー・クリーム・ドーナツも、首都圏で大ブームを起こしている。日本人ってドーナツ好きだと思います。
でも、やはり「ドーナツ」がいいのです。「ツイスト」じゃぁ・・・
ミスタードーナツだから、かわいらしく、おいしそうでいいのであって、ミスターツイストじゃ、世良公則さんが、渋~くドーナツ売ってそうだし(笑)

昨年、部屋の書棚を整理したと書きましたが、写真が、その書棚。ローボードが2つ。その上には、システムコンポだけが鎮座している。けっこう乱雑に本が入ってるって想われるかな?これでもかなり捨てたおかげで、新たな本を入れることが出来るので、今年にはいって、新刊本を買うペースが速い。書棚も、やはり時には大胆に入れ替えてやらないと、私の生活も、脳も活性化しない。古本屋で購入した昭和30年ころ発刊された「太宰治全集」なんて本も、いちおう大切に残している蔵書の1つ。最近は、カメラや、スローライフの雑誌が多くなってきてる。あと仕事で使う本がまだたくさん占めてるな。さすがに捨てるわけにはいかず・・・

けさ、雪が積もってるかなと、部屋の出窓を開け放ったけれど、期待通りにならず。まぁ、出かけるのにはよいのだが、この冬1回くらいは、この街にも雪が積もらないと、ますます地球温暖化を心配してしまいます。
毎朝、僕は起きて、まずカーテンを空けて、窓を開けて、空を見ながら深呼吸。新聞を取って、キッチンでドリンクを作って、顔を洗って。食事して。準備して。パソコンをチェックして、出かける前に、神棚にある近所の神社の御札にきちんと拝んで。それを、ずっと繰り返している。朝って気持ちいいから、どんなことも、ぴしゃっと気が引き締まる。ある本に、朝起きたら、まず窓を開けて、洗い立ての空気や、はじまりの空や、まぶしい日の光を浴びることが、健康な1日をスタートさせるはじまりと書いてあった。だから、それをずっと実践しているのです。
きょうもおつかれさまでした 私は、まだ病み上がりということで、本調子ではないけれど、あとは食欲と頭痛さえ元に戻れば・・・という感じです。まだ寒い日が続くから、気をつけないとね
あしたは、3つの文章で書いていきます。ひとつは、大河ドラマの感想でも。メトロポリタンカメラも更新しました。(hanaさんから、コメントいただき、ほんと恐縮です!)
きょうも、読んでくださりありがとうございました あすも、みなさんにとって、やさしい1日になりますように。そして、寒いから、風邪には気をつけて・・・
では、おまけの日記はこちら↓
悲しいこと、やるせないこと、納得いかないこと・・・まぁ、いろいろあるわけですが、そのしんどいトンネルは、いつかは抜ける。大切なのは、しっかり自分の信念は大切にし続けること。しっかり待って、あきらめないで、ゆっくり考えて、焦らないことかなと思います。とりあえず、笑顔を絶やさないように。ね。
真冬の寒い一日。 雪は降らず、一安心ですが、どんよりとした空、みぞれ交じりで強く打ち付ける雨・・・なんだか寂しい1日だった気がします。
私は、体調が思わしくなく、ここのところ、きちんとご飯を食べた記憶がない感じです。風邪というより、ストレスもあるのかもしれないな。
<時間> 時間って、功と罪があると想うのです。
「時間はやさしい」と、日ごろ、人には言うのです。悲しいことも、辛いことも、時間がゆっくりと忘れさせてくれる。こころにできた深い傷も、時間というお薬が、ゆっくりと癒してくれる、こころにとって、一番の薬は時間だと。ゆるやかに流れる時間は、きっと何かを、何が大切かを気づかせてくれる・・・だから、焦らないようにと。
でも、「時間は残酷」。人の想いや、愛情や、こころや、約束などは、時間によって、風化してしまう。人が変わっていくように、時間によって、記憶は風化されていく。悲しいけれど、時間は残酷な面も持ち合わせている
(そういえば、先日、13年目を迎えた、阪神淡路大震災。その被災者だった方たちが、口をそろえて言っていたのが、「記憶の風化」だった)
時間を越えて、つながりあう関係、つながりあうものが、本当の絆なのかもしれない。
だから、あきらめたり、逃げたりしてはいけない
どんなに時が経っても、変わらないものがあると、信じたい
信頼関係や、本当の愛情を築くのって、簡単ではなくて、きっと時間は必要だから。でも、そうした時間の功罪って、あることは頭に入れて。
きょうは、短めの日記にさせてください。ほんとにごめんなさい。 早めに休むことにします。 いただいたメールについては、早急にお返事させてもらいますね♪
きょうもありがとうございました あしたも、みなさんにとって、元気で笑顔のあふれる1日になりますように。あすも、2つくらいの文章を書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。(毎日更新するようにしています) おまけの日記はこちら↓
夕食をシチューにしてみました。みかんさんのmixi日記を読んでいて、同じように作ってみました。シチューなら、身体に優しいと想って
午後、区文化センターで定期的に行われているコンサートへ行ってきました。 第1部では、ギターを弾かれていたのですが。そのギター、被爆ギターなのです。昭和13年製の19世紀ギター(現在のギターよりひと回り小さい)南区で被爆したのだが、ケースに入ってたため、なんとか被爆から免れたものの、数年前まで、音の出る状態ではなかった。ギター専門店が出来て、そこのオーナーさんが、このギターを音の出るように再生したのだそう。
「禁じられた遊び」を演奏された。確かに、普通のギターより、音は枯れていて、お世辞にもいい音ではなかった。ただ、このギターの音色は、歴史を伝える。貴重な音色だと想うのです。
「広島にも戦時中、こういうギターを弾く、かっこいいおやじがいたってことですよね」きょう、演奏されていた川本さんは、語っていた。いま、このギターの兄弟を探しているそうだ。どこかに、広島の戦中生き延びたギターが、眠っていることを願いたい。
1本のギターが、時代を繋ぐ。 きょうは、貴重な時間を過ごすことができた気がしました
みなさん、こんにちは。 きょうは、日曜日の朝書いています。夜、帰宅したとたん、調子がとても悪くて・・・風邪なのだろうけれど。気分悪くて、すぐ寝込んでいました。今年の風邪は長引くな。本当に。と、いうことで、更新遅れました。きょう日曜日の日記は、今夜、更新しますね。
雪が降ってる。みなさん、気をつけて、お過ごしくださいね

「らくたび文庫・№001 恋する京都」 コトコト刊 476円
このらくたび文庫、手に取ったことある方もいらっしゃるのでは?ポケットサイズの文庫なのですが、とてもおしゃれで、すてきな写真と文章で構成されている、京都の街を案内する本です。他にも「お豆腐」「嵐山電車ぶらり」「紙遊び」「庭NAVI」など、京都を楽しむ、やさしいシリーズなのです。
この写真の「恋する京都」編も、迷わず買ってしまったのですが。ほら、私がぜひ行ってみたい「喫茶ソワレ」も載っていたけれど、そのほかにも、春夏秋冬に分けて、すてきなかわいいスポットを、すてきな写真で紹介されている。そうだなぁ、「沼田元気」さんの本のような世界なんですよね。
この「恋する京都」を読んでいて、ふと見つけたページ。そこは「直指庵」という場所・・・その名前を目にして、忘れていた記憶がよみがえった。そう、私が高校生ころに、一度訪れている。ひとりで。(場所は北嵯峨北ノ段町・たしか大覚寺から、田園地帯をけっこう歩いた記憶がある)
当時、進路のこと、恋愛のこと、家族のこと、いろんなことに迷い、悩んでいた時期。ひとりで、京都へ旅に出た。夏の暑い京都を、ひとりひたすら歩いて、あらゆる京都を回ったのだが。直指庵は、こころが癒される、迷える人が訪れる庵ということを、なにかの本で読んだのだろう。つい足を運んでしまった。ここには、。本堂に「想い出草ノート」というものが置いてある。訪れた人が、恋愛などのいろんな想いや悩みを書き綴る。(この本によると、昭和38年からはじまったそうで、現在5000冊以上に!)ふーむ。そうなんだ。そこに、ありし日の自分も、当時の想いを書き綴っているはずだ。そして、ぼんやり、美しい庭を眺めて、ぼんやりしていたの覚えている。本堂には、若い女性が何人か訪れていたのを覚えている。きっといろんな迷いがあったのでしょう。
あれから、数え切れないほど京都に行ってるにも関わらず、この直指庵のこと、忘れたままだった!この本で、想い出させてもらった気がして。もしかして、いま再び訪れて、想い出草ノートに綴りなさいということなのかもしれませんね。
いってみたいカフェ、買って帰りたいスーベニア、ぜひ行かなくちゃの「地主神社」など、なかなかいいセレクトされている1冊。京都を楽しみたい人におすすめの本です。
京都・・・また、行かなくちゃ行けない時期に来てるのかもしれないな。
旅は、一人よりも二人、二人よりも三人・・・って気もする。ただ、いまは一人で行くことなのかな。でも旅はたくさんするべきです。私も生きているうちに、可能な限り、旅をする人生を送るつもり。旅も、私の生きた証になると想うから(そのために貯金してきたのもあるんだけれどね)この前の日記じゃないけれど、旅の楽しさも2人でわかちあったほうが、何倍も楽しいはず?ま、本当に気の知れた人や恋人とであればね。
旅は、人生の縮図。
旅は、自分の存在に気づくためにするもの。
私はそう想う。
旅は・・・
あなたにとっての旅は?
みなさん、こんばんわ。きょうも1日おつかれさまでした どんな1日でしたか?ちょっとだけ寒かったね♪
私の方は、風邪はだいぶよくなりました。ただ、まだおかゆ食のまま。薬のんでなんとかぴんぴんしてる感じかな。じっともしてられないのもまた事実。なんだかんだいって、バタバタしてる1日でした
<芥川賞>
あらら、川上さん、本当に取っちゃった(笑) いや、すごいすごい。でも、彼女の生き方とか、雰囲気って、僕は意外と好きで。よくお酒飲んでて、すごく自然体なんだけど、どこか凛としてて。椎名林檎さんと似た雰囲気を持っている。おそらく、彼女の(まったく売れなかった)CDも、再発売されるだろうな。うん。本業の歌手としても、再評価されるのではないでしょうか?この人みたいに、ブログで文章書き始めて、それが評判になって、結果、芥川賞に・・・っていうのも、これからありなのかもしれないね。そういう時代なのかな。
あしたも、3つの文章で書いていきます。 なんとか、元気取り戻さないとね。みなさんも、どうか風邪には気をつけてください。私は風邪のため、禁・珈琲3日目。全快してたら、あす飲みに行きたいな。 メトロポリタンカメラも更新しました。いっしょにごらんくださいね。そして、日記ともども、感想大歓迎です。
<ありがとう>
ぴーさん、ありがとうございました。きょう届きました。すごくうれしかったです!江田島、ぜひ遊びに行きますね。御礼は、また改めて・・・
では、おやすみなさい あしたも、みなさんにとって、ニコニコの幸せな1日になりますように♪
こんばんわ。きょうも1日おつかれさまでした
かなり体調が悪い。風邪真っ只中です。悪寒と頭痛が続く1日でした。いままでの心身の疲れがどっと出てしまったのだろう。とてもしんどい。弱音を吐くひとも、いないし、こればかりは、自分でどうにかしなくちゃいけない
昨夜、眠っていても、時々眼が覚めて。薬を飲んでいても。その都度、いろんなことが頭をよぎる。無論、いままでのこと、これからのこと。自分を見つめなおすのには、十分な時間を与えられているいま。ただただ、「いままでの自分な何だったのか?」という、自分の情けなさを、痛切に想うわけです。
<言葉にできない>
深い思いやりがあるほど、言葉にはできないものです。励ましたいとか、こころを慰めたいとか。相手のしんどさ、苦しさがわかればわかるほど、必要な距離にいて、必要なときに声をかけてあげられる。それが、本当のやさしさのように想っている。こころが追いつかない言葉って、意味がないから。だから、僕も、そういうとき、言葉にしないことが、やさしさだと。そして、見守って、見守って、時間かかってもいいから・・・そう想ってきた。そう信じてきた。深い思いがあればこそ。言いたいことを、ぐっとこらえることって、大切なように想う。いつか、そのことは伝わるはずだから
言葉にしなくちゃいけないときがある。言葉にできないときもある。 人との信頼関係や、どれだけお互いが、相手と向き合っているか。その深さで、言葉にできなかったとしても、絆が強くなったりするでしょうし、言葉にしなかったから、関係が冷めてしまったりというように、左右されるのかもしれない。正直、難しいことでもある。
<嘘>
嘘は、ついてほしくない。私はそう想う。 よくね、「あなたのためを想って、嘘をついた」という人がいる。でも、その多くの割合が、結局、「自分が傷つきたくなかった、自分を守りたかった」ということに行き着くと想うんです。 たとえばね、恋人に好きな人ができたりとか、浮気をしたとしましょう。きっと私のように勘のいい人は、目をみれば、嘘ついてるかどうかわかることが多いはずです。そのとき、嘘ついていることがわかっていても、わからないふりをするのが、相手へのやさしさかな?と想ったりもする。ただ、わからないふりをするのも、意外と大変なものです。
自分も、正直に生きてゆきたい。最近こと、そう強く想うようになった。それは、嘘をつかれるのが、本当に悲しいことだから、自分だけは、そうしないようにと想うからだと。
きょうも、ありがとうございました。 あしたも、やさしい時間が流れる1日になりますように。みなさんは、元気で笑顔でね♪ あしたも、3つくらい文章書いていきます。本と旅のお話でもしましょうかな?メトロポリタンカメラも更新しました。
おまけの日記はこちら↓

きょうの1枚。快晴の1日だったということ。気持ちよい日和ですが、空気はさすがに冷たかったな。かなり身体はふらふらでしたが、気力で1日乗り切りました(笑)こう天気がいいと、もっとあれこれやりたいな。楽しいことをしなくちゃなって想う。やりたいことは無限大。目の前にある課題を、きちんとクリアしなくちゃな。うん。
 
きょうの夕食。おかゆと、チヂミを作りました。チヂミは、意外と簡単に作れるのです。にらとたまねぎを入れて、オタフクのチヂミセットの生地に混ぜて焼く・・・明日には、風邪を全快したい。
とても体調が悪い。おそらく風邪なのだろうが、ここのところの心労も重なって、きょうは午後からとてもしんどい。さきほど風邪薬を飲みました。はやく直ることを願うのだが・・・
みなさん、こんばんわ。きょうも1日おつかれさまでした。私のように風邪なんかひいていません?笑顔でニコニコの1日になりました?
<ずっとずっと>
私は、ずっと、自分のこころの奥になる「孤独」「人間不信」というものを 抱えています。とはいえ、それは覆い隠し、常に、人の話をしっかり聞いて、やさしく、包み込めるように・・・と想い生きてきました。もちろん、信じられる人もいますが、それも永遠ではないわけですし
その結果、人は、そうした自らのこころの満たされない部分を私に求める。(私と同じように、孤独で人を信じられなくなっている)私は、懸命に向き合います。そして、その人への想いは変わらないように。でも、時間が経ち、人はこころが満たされると、私から離れていく。次のステップに移ってしまう、他の人の元へと行ってしまう。いつもそうなんですね。私はそれを、ただただ、見送るしかない。
人のこころは、離れてしまえば、変わってしまえば、もうどうにもなりません。私は、簡単に、過去の人になってしまいます。いままでの言葉も、約束も、無意味です。人を愛することって何なのでしょう?よくわからなくなります。ただ、私は、変わらないで、ずっとずっと思い続け、のちのち、この人のために生きることだと信じてきました。
本当の自分を見せることよりも、まず相手のすべてを受け止め、やさしい時間、楽しい時間を与えてあげることを一番に優先することが、愛することのように想っていましたが、どうも、そうじゃないようです。
ある人は、私に「プライドが高すぎるんだよ」と言った。その言葉は、たしかにそうだなと。人を傷づけたくないから、無理をしたり、自分の言葉で伝えられなかったり。もっと怒ったり、わがまま言ったり、本音を言ったり、素直に好きになればいいんだよと。
見送るだけじゃなく、ずっとずっと、いっしょにいてくれる。 それを望むのは、酷なのでしょうか? 私の場合は。教えてほしいな。
<あるドラマでの言葉>
自分のことしか考えない
自分さえよければいい
自分の為だけには、がんばれる
そんな人生、無意味だ
本当に無意味だ
それを教えてくれたのが、雫。
これは、先日放送された、「薔薇のない花屋」での1場面でのセリフ。主人公の英治(香取慎吾)が、一人娘の雫ちゃんに語った言葉。
妙に、この言葉が、印象的でした
自分さえよければいい。 自分のことしか考えない。
そんなことしていたら、悲しいもの。 人を悲しませてまで、幸せになっても仕方ない 本当にそう思います。
ドラマについて・・・ 野島作品って、久々ですよね。たいてい1~3月に野島ドラマって放送されるのだが。(「この世の果て」「高校教師」は、私は当時とてもハマって見た。名作だと想ってる)最近、野島さんの作品って、精彩欠いてるドラマ(とくにTBSのドラマ)が多かったから、このドラマ、どうでしょう?もちろん、簡単にストーリーが進んでいくとは思えない(初回でかなりネタをばらしていたが。竹内結子は、本当は眼が見えるとか・・・大丈夫かな?)
きょうもありがとうございました あしたも、みなさんにとって、よい1日になりますように。 私も、ゆっくり休んで、しんどい体調を戻すようにします。この冬は、ほんとよく風邪をひくなぁ(笑)
さて、あしたも、3つくらいの文章でゆっくり書いていきます。 メトロポリタンカメラも、更新しました。
それでは・・・おやすみ♪ この後は、おまけの日記↓

<ささやかな>
春らしい光景・・・和室の出窓に置かれた花。小さい菊とせんりょう。どれも、庭で摘んだもの。凛とした光景が、部屋にあるものです。これから、春がやってくると、花を飾りたくなる。ささやかなことでも、ささやかなものでも、こころが豊かになる。そういう生活を忘れてしまうと、きっと先で、しんどいことになりそうな気がします。
hanaの東京ご近所写真散歩 (エイ文庫・680円)
私のフォトログ「メトロポリタンカメラ」を長年ご覧いただいてる方ならば、ご存知の方もいるのでは?人気フォトブロガーhanaさんのブログ「hanaの東京散歩」が、1冊の本になって、今月出版されました。私が長年見続けていたフォトログですので、もちろん買っちゃいました。この表紙を見ただけで、やわらかい世界が詰まってること、おわかりですよね。hanaさんが撮る場所は、阿佐ヶ谷の自宅から半径1キロ圏内。徒歩15分内。しかし、その限られたエリアを日々生活しながら、四季を感じながら、シャッターを切る。それが、行きなれている公園であったり、アパートの廊下であったり、お祭りであったり、古い電気店のショーウインドーだったり、自室の扇風機だったり。。。hanaさんの写真は、どこか「自由」だ。何気ない日常をみつめてみつめて。そこから喜びや生きていることを感じさせる。そして、街を好きになる。不思議な写真なのです。街は被写体にあふれてる。カメラを持てば、生活も、街も、違った角度で、もっともっと楽しめる・・・それを再認識させられる
1年を春夏秋冬に分けて、写真とhanaさんのやさしくも凛としたエッセイを交互に構成している。街を好きになること、カメラを好きになること。あたたかい気持ちにさせられる、そんな文章です。小さい娘さんとのことも、書かれていたり
散歩好きな人は、きっと散歩をもっと楽しむヒントになると想うし、カメラ好きな方は、ほんと、難しく考えないで、自分の生活にあふれている風景をそのままシャッターに収めることの大切さに気がつくと思います。みなさんも、のんびり散歩してみましょう。カメラを持って。ゆっくりと、歩くこと。それは、人生も同じような気がします
まずは、ブログを見てみましょう!ホームページから
hanaの東京散歩(ホームページ) http://hana-photography.com/
本をすごく読んでいる。近年にないくらいのペースで。年末、大きな書棚を整理し、大量処分したため、新しい本を購入できるようになったから。時間が出来たら、本屋へ行く。買って読む本といえば、・・・こころにやさしい本や、堅い本や、小説など、いろいろ。その中から紹介しようかな?と想っていたのだが、今回は、やわらかい気持ちになれる本をご紹介しました。
私も、散歩が大好きで、昨日のように、ふっと思いつきで太田川へ行ってみたり。カメラを片手に、感性のおもむくまま、シャッターを切る。いろんな幸せ、いろんな好奇心に出会えるから。ほら、仲良く過ごしてる親子とか、川で休んでいる鳥たちとか・・・それだけでも、幸せのおすそわけのような感じするもの。この日記、そしてフォトログ「メトロポリタンカメラ」で、少しでも、私の広島生活の写真であったかい気持ちになっていただけたらうれしいし。写真は、私の生きた証ですから
きょうもありがとうございました あしたも、みなさんにとって、あたたかい、やさしい時間が流れていきますように、願っています。とにかく、生きてください。笑顔を忘れないでください。それだけで、大丈夫だから。
あすの日記は、いま、私のこころの中で想う、私のことを、素直に書いてみます。そしてドラマの中での言葉について。それともう1つ文章を書いていきます。3つの文章で・・・ なるべく、22時くらいに更新します
ここ最近、とても落ち込むこともあるし、いろいろ波はあるけれど。なんとか生きています。焦らずに、待ってみたり、考えてみたり。いまは、そういう時間なのでしょう。人生の中で
目に見えないもの 誰かの想いとか
光とか 風とか
亡くなった人の面影もそうだし
私たちは そういう風なものに
心の支えを見つけたときに
ちゃんと たったひとりでも立っていられる
そんな生き物だと思います
この言葉は、昨年、カンヌ映画祭で審査員特別大賞を受賞した、河瀬直美監督が、受賞式で語った言葉です。私は、当時その記者会見を見て、監督が語っていたこの言葉がずっと頭から離れなかった。(つい、メモしてしまった)強いしなやかな言葉だと感じた。誰しも、こころの支えを見つける。そのとき、初めて、強く生きられるような気がする。彼女のインタビューを、いくつかの番組や誌面で目にすることがあったが、彼女は、いのちというもの、命は連鎖していくということに対して、一貫した姿勢を貫いていた。いのちと死。そのテーマに対峙するために、映画を撮り続けるがごとく。
今夜、そのカンヌ国際映画祭・審査員特別大賞「グランプリ」を受賞した「殯の森」が放送された。私は初めてみたのだが、とてもとても、ひきこまれ、こころおだやかにさせられる映像だった。セリフが少なく、キャストも、一般の方が大半だったのもあって、ほぼ、ドキュメンタリー映画のようだった。だが、セリフが少ない分、監督が突き詰めた、奈良の森や、茶畑などの映像が、なによりも、言葉として語っていたように想う。認知症の男性と、息子を失い、こころを喪失していた若い女性介護士とのふれあい。森にさまよっていくうちに、悲しいものを抱えているお互いが心を開き、打ち溶け合っていく。認知症の男性は、33年前に失った妻を、ひたむきに想い続けている。その面影を探して、森へ・・・認知症というテーマ、死というテーマを、ただひたむきに突き詰めた映画。そして、見終わった後、考えさせられた。
奈良の森は、監督がストイックなまでに時間かけて探しつくして、選んだそうだ。その監督独自の映像の美しさ、緑、光、影・・・主人公の2人をやさしく包み込む・・・
この日記の最初の、監督の言葉が、きっとこの映画を物語っているのだろうな。きっと。(河瀬監督自身も、認知症のおばあちゃんといっしょに暮らし、介護している)
  
私の地元では、いつのまにかとんどという行事が行われなくなった。でも、やはりしめ縄など、きちんととんどで・・・ということで、きょう午後行われた、新球場建設地での大きなとんど祭りに出向いた。たくさんの人が来ていた。その中には、カープのブラウン監督や、松田オーナーも来られていた。とにかく、そのおおきな「とんど」には圧倒されました。さっそく、自宅から持ってきたしめ縄や御札を火の中に。そして、町内会の方が炊き出していたぜんざいをいただきました。ここで行われてきたとんど、今年が最後だそうです。そう、1年後には、ここに新球場が出来ているのだから。
  
カメラを持って、あたたかな日差しと雲ひとつない青空の中、太田川をゆっくり散歩してみた。ひさびさに、つり橋「こうへい橋」も渡った。春は目の前のような感覚に陥る。川の水面がキラキラしていて。河岸のランニングコースには、たくさんの人が思い思いにジョギング。若いお父さんと娘さんが、階段に腰掛けて、川をぼんやり眺めている・・・そんな休日の午後。ふと、ここに来たくなって、ひとり来ていたのです。
きょうも、ありがとうございました。 あしたも、きょうの天気のように、みなさんにとって、あたたかく、おだやかな、そんな1日になりますように祈っています
あすは、本のお話と、あと2つくらい文章を書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。
きょうは、おまけの日記はありません。
やさしさと、その先にある未来
いままでの人生の中で、しんどいとき、生死の境目に立たされたとき、別れのとき、いろいろな分岐点がありました。
そんなとき、そばに、誰かがいてくれたおかげで、乗り越えることができた。その先にある未来へ、強い言葉とやさしさで、そっと導いてくれた。そのときの、その出逢いや言葉によって、僕の人生は大きく舵を切ったことが、なんどかある。その積み重ねが、いまの自分となっています。
過去のことをあれこれ考えても、答えの見つからないことならばどうにもならない。それもそうです。でもね、過去を忘れることは決していけないと想っている。過去の辛いこと、悲しいこと、失った人たちの想いがあるからこそ、しっかり未来を生きていかなくちゃって想う。人を大切に想わないといけないこと、やさしくないといけないことに気がつくと想うのです。
やさしさと、その先にある未来。 きっと、つながっていると思います
きょうは、またいろいろ語り合う時間。本当にいろいろなことを語り合った。本当に長い時間。そこで、僕も救われたし、自分という人間を、第3者からの視点から、見つめなおすことが、少し出来たような気がした。的確に、私という人間を言い当てる・・・そういう稀少な人がいるということも、改めて認識した気がする
午後(と、いっても14時過ぎ)、昼食で訪れた都心のとあるカフェ。のんびり食事をしていると、向こう側の席に、結婚式帰りの人たちが席に座った。よーく見ると・・・某民放局のアナウンサーさんと、とてもおなじみの在広のタレント・レポーターの方々!こうしていつもテレビで見慣れてる人たちが、ずらっとそろっていると、とても華があっていいなと思いました
きょうも、ありがとうございました あしたは、私にとって、ある心に残る言葉について すてきな本の紹介は、火曜日にしますね。 あすは、所用が終わって、時間出来たら、一人またカフェでまったり、そして本探しかな?天気よければ、カメラもって散歩するのもいいかも。
みなさんにとって、よいお休みになりますように 成人の日、20歳のよき思い出がのこる1日になりますように
先日購入した、スローライフ雑誌「自休自足」 最新号は、「旅の途中のカフェ」本当にすばらしい、旅の途中の、田舎のカフェがたくさん、素敵な文章と写真とともに紹介されている。その中で・・・私の感性にぴったりはまったのが、おとなり岡山県井原市にある「三村珈琲店」昭和5年に建てられた、西洋風建築の古い郵便局だった建物に、若い夫婦が2人移り住んで始めた珈琲店。その佇まい、空気、ご夫婦のひたむきさ、純粋さ、レトロな世界は、読んでいて魅了されました。奥さまは、パディシエをされてたそうで、手作りのケーキがご自慢だそうだ。お二人の、カフェに対する想い、ゆったりとした生き方に、非常に興味を覚えました。ぜひぜひ、書店でお手にとって見てもらいたい!
「自休自足」公式サイト内の、三村珈琲店紹介ページ http://www.yumeinaka.net/jikyu/20preview04.htm
三村珈琲店のホームページ http://mimuracoffee.com/
ことし、機会作って、行って見たい。 ひとりのんびり過ごしてみたいと想わされた。本当に・・・
スローライフというものを、もっと意識した生き方が出来れば、幸せなのだが。夫婦も、家族も、自然体で。着飾らず、シンプルに。本質を見極め、おだやかな時間を好み、人を愛し、街を愛し、自然を愛し・・・生きることを見つめなおすと、いきつくものがある。スローライフという概念って、まさにそこに近いのかもしれない。この三村珈琲店のお二人も、そこに行き着いたのかもしれないですね。
<話すということ>
きょう、夕方前、三越前のタリーズで、親しい方と待ち合わせる。限られた時間だったが、お互いいろんな胸の中にあるものを、お話した。僕も、このときだけは、胸の中の一部を話し、少し楽になった。ささやかでも甘えさせてもらいました。もちろん、相手の愚痴も聞かせてもらって。人から元気つけられたことって、最近なかったなぁと感じた。反対の立場ばかりで。人を元気つけることばかり、人を想うばかりだったもの・・・いままで、本当に自分の心を割って、話すということが、まったくなかったんだなということに、改めて気がついた。いったいこの数年、私は本当になにをしていたのだろう・・・私が私でなかったのか?私を許してくれる人がいなかったのか?
<ソレイユへ> もう7時過ぎになったが、どうしても手に入れたい本と食べ物があったので、ソレイユへ立ち寄った。アバンセ前の広場に、マツダ車がたくさん展示されていた。たくさんの人が乗ったり触ったり。マツダの車って、ほんと若々しくなりましたよね。カラフルで。こと、新型デミオのカラーバリエーションって、なかなかいいとおもう。マツダ車は、赤が似合う。RX-8から、デミオまで。それは、かつてのファミリアからの伝統のような気がした。土曜日の、まったりした夜のソレイユ、意外と好きな時間帯です。人々の幸せそうな姿をみているのもいいし。適度に人がたくさんいて、寂しくないし。ソレイユは、私の一番身近な珈琲をいただくスポット。だから、また珈琲を!と想ったが、きょうはやめておいた。
きょうも、ありがとうございました。 メトロポリタンカメラも更新しました あしたも、みなさんにとって、笑顔の多い、すてきな日曜日となりますように、願っています。 あすも、3つの文章で日記を書いていきます。1つは、すてきな本の紹介でもしましょね。
さ、この後は、おまけの日記です。よかったらどうぞ↓
<私という私>
私は、自分という人間をよくわかっている。思い詰めるくらい、いつも考えて、本当に傷つきやすくて、一途すぎて、相手を想う余り、いいたいことを、胸に収めがちで、人をしっかりと本質を見すぎる・・・私は、本当に悪いところばかり。きっと、人はそんな私を見つけたときに、見切ってしまうのだろう。そして、私はひとり取り残される。私という人間は、常に慎重にブロックを積み重ねていく。しかし、思いもよらぬカタチで、その積み重ねたブロックのひとつを引き抜かれると、もろくもすべて崩れてしまう・・・だから、絶対引き抜くようなことをしない人と、深く付き合おうとする。でも、やはり引き抜かれ、もろくも崩れ去る。そしてまた長い時間をかけて、ひとつひとつ積み重ねていく・・・その作業が繰り返される。
きっと、人はそういう私を知らない。 私は、おおらかで、人を傷つけるようなことを決していわない、まじめで、笑顔で、いい人だと想っているのだろう。でも、実際は、違うのです。最初出逢ってから、人は勝手に創り上げた先入観があるのかもしれない。そこで判断されることは、本当に辛いのだ。そんなに私は完璧じゃないといけない?なぜ、私の本質、私のこころのおくに秘めている強いものを見ようとしない?なぜ、私を信じない?なぜ、裏側にあるものに気がつかない?なぜ、私の弱さを出すことを許してくれない?そう、叫びたいときがときどきある。私は、人のことをしっかり聞いて、きちんと待って、相手がどういうときでも、ずっと変わらないで、どんなこと言われても、信じている・・・と想うのは、自分勝手な言い分だ。自分だって、人のことをすべてわかるわけではないから。それを求めるのは、酷かもしれない。人と人が、本当に分かり合えるのは、難しい。(だから、信じ、待ち、許すことが必要なのだろう)
君は、私の何を見てきたのか?たくさんの人に、そう言いたい。 それは、やはり贅沢なのか?
私の悲しい ただただ、せつない毎日は、 まだまだ続くみたいだ
とはいえ、あしたはやってくる。またもうひとつの、自分で。笑顔の元気な自分で・・・だって、人を悲しませたりしたくないもの。以上、愚痴ってみました。
雨の1日。でも、笑顔は忘れずに・・・ みなさん、こんばんわ。コバルトです。きょうはどんな1日でしたか?いろんなことを想いながら、過ごしている私ですが、きょうのようなシトシトとやわらかい雨が降る日、都心の街は、とても好きなのです。喧騒を、上品な雨音が静かに消し去るから・・・私のせつない気持ちにはちょうどいいのです
きょうも3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。みなさん、どうぞお付き合いください♪
<切に生きる>
「吾れ、常に、ここにおいて切なり」 先日の日記で、私の座右の銘のお話しましたが、この言葉は、作家・瀬戸内寂聴さんの座右の銘。切っても切れないもの=しているものになりきること・・・食べることも切、眠ることも切、愛することも切、学ぶことも切、今日生きることも切、すべて一瞬一瞬、切に生きなさい。そうすれば、やがてくる、死や、やがて来る別れに取り越し苦労する間がない。切に生き切れば、死に襲われても悔いがないのではないかということだそうです。ふーむ。私は博学ではないので、こうして本を読むことで、深く考える機会を与えられるのだが・・・切に生きることか、何ごとも。人生は長いようで短い。ならば、切に生きるべきなのかもしれない。悔いのないように。きのうの日記ではないが、大切なのは、「愛する」「生きる」ではなく、「愛しきる」「生ききる」ことなのかもしれませんね。みなさんは、どう考えますか?
私は、いつ死がくるかわからないのが人生だと思っています。だから、人に対しても、好きな人に対しても、真剣に想い、きちんと想いを言葉にして伝えなくちゃいけないと想ってる。ひたむきに愛さないととおもう。たとえ、別れてしまっても、自分がこの世からいなくなっても、その言葉、想いのひとつひとつが、やさしい想い出のひとつひとつが、ずっと人のこころの中に生きてくれれば、自分は悔いはないような気がするのです。愛してるなら、懸命に愛したいと想う。ひたむきに何かに傾けるのならば、ひたむきに
生きることって、案外大変で、難しいことでもある。悲しいことも、不条理なこともある。それでも生きなくちゃいけないから。いろんな現実を直視しなくちゃいけないし、そのためには、強さが必要だと思います。強くあるためには、「なにかを守るため」というものがあるかないかが、重要な気がします。生きる以上は、切に生きたいものです。私はまだまだ未熟者ですが、そうあるように、切に生きてきたつもりなのだが・・・難しいお話になったので、この辺で。
<その街の片隅で我何想う> 買い物をするので、帰りに基町クレドに立ち寄った。ひとつひとつ、品を選ぶ。バーゲンも、もう終わりに近いので、そういうものをあえて狙わず、いいものを買いました。ファッションに、妥協はしません(笑)パセーラの様子を写真に。新年の雰囲気がよーく伝わりますよね。買い物は、一人で行くことがほとんど。独身者だから、当たり前か(笑)ただ、ときどき、気分一新したいと想って、ガラっと姿をイメージチェンジすることがある。まさにいまがそうみたいだ。おかげで、財布が軽くなりました。
私のこれからの自分の方向性はきまっている。 あとは無心にやるのみです。
きょうもありがとうございました。 あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れるように。こころから願っています。 あすも、もう少し早い時間に日記をUPできたら。3つの文章で書きます では、この後はおまけの日記。よかったらお読みください↓
<斉藤さん>
水曜22時。日本テレビ系。たまたま見たら、これがとても痛快で面白かった。幼稚園の母親たちから嫌われている、同じ幼稚園の保護者である一人の母親が主人公。観月ありさが演じている。なぜ嫌われているかというと・・・曲がったことが大嫌いな母親だから。カフェで子供が駆け回っていると、子供と母親を厳しくしかりつける。街で、男の歩きタバコが、ミムラ演じる母親の息子の顔にぶつかったときには、その男を叱り飛ばし、喧嘩になって、男にケガさせられる、自転車マナーの悪い高校生も厳しくしかりつける・・・などなど。でも、正義感が強く、融通は利かない女性かもしれないけれど、社会的に間違っていないし、最後には、それは正しくて。奥に秘めたやさしさもちょっとだけ垣間見せて・・・というように彼女の魅力として描かれていく。ミムラさんは、唯一彼女を理解しだすけれど、他のお母さんたち(高島礼子や浜田マリら)からは、いつも嫌われ、煙たがられている。まぁ、そういうわかりやすいストーリー。ほら、昔は街に、ひとりくらい、他人の子供の悪さを、厳しく叱るおじさんっていたでしょ?藤子アニメに出てくる「神成さん」みたいな。あれを、いまの若い母親に当てはめた感じでしょう。こういう人って、案外ひとりくらいいたほうがいいかもしれない。(私も、曲がったことが大嫌いなので、似てるかも)
みなさん、こんばんわ。きょうも1日、おつかれさまでした。昨日スタートしたドラマ「斉藤さん」が妙にハマったコバルトです。みなさん、見ました?おすすめです!
昨年12月後半の日記・13日分、遅くなりましたがUPしました。お暇であれば、気楽にお読みくださいな。テレビネタ満載ですよん。さ、きょうも日記にお付き合いください。4つの文章でまとめました。
<やさしい恋をしましょう>
私は、いままでの恋で、自分から相手を振ったことは一度もない。ずっと好きなまま。本当に。だからすべての恋は、相手から去ったか、周りの状況から仕方なく別れに至るか。つくづく、私は一途な人間なんだと改めて思います。「さよなら」のない恋をしようと想うけれど、いつしか「さよならまでの恋」と考えるようになってる気がします(笑)。人のこころも、恋も、どうしても変わってしまう、はかないものだから。泣いても嘆いても、人のこころは、どうにもならない。だから、渇愛に陥るのです。まぁ、それはともかく、どうしてそういうかというと・・・
昨年の12月、私はある知人の相談に乗ることと相成りました。それは「離婚」という問題。かなり深刻です。私は、愛とはなにかという問題に、精神的に、相当参っていた当人といっしょに、すごく考えさせられました。とはいえ、いっしょにゆっくり話を聞いてあげて、いっしょに泣いてあげることしか、出来なかったわけですが。こうしなさいというアドバイスは出来ません。(結婚相手の方も、私が知っている人なので余計に)本当に愛し合っていたのにどうして別れることになったのか?僕も非常にショックで悩みました。ただ、どうにもならないこともありますよね。人のこころも、愛も。どうにもならないことってあるわけですよね・・・昨年12月は、仕事の忙しさとともに、いろいろなことで、私も悩んでいたわけです
先日読んだ、聖路加国際病院の日野原重明先生の著書の中で、先生は、こうしたことを言われている
「喜びや楽しみは、人と分かち合った分だけ大きくなると信じている。愛することを心の習慣にしなさい」
愛することの意味が、この言葉に凝縮されているのかもしれないですね。大きな意味のある言葉のように思えた。
話はちょっと変わるけれど、年末に結婚会見したオダギリジョーさんと香椎由宇さん。記者の「お互いのどこに惹かれたのですか?」との問いに、オダギリくんは「彼女のひたむきな生き方を尊敬したから」香椎さんは「話を静かにしっかり聞いてくれる」。僕は、この会見、この言葉を聴いて、直感でこの2人はいい結婚生活を送るのでは?って思いました。お互いを尊敬できる。しっかり話を聴く。なかなか出来ないこと。とくに「尊敬」って言葉は、夫婦の間でなかなか言えないことだもの。私もいつか結婚するとき、相手と尊敬しあい、話を聞きあえる関係でなくちゃって想ったもの。(2人の誕生日がいっしょとの指摘で、2人とも「キムジョンイル」とも同じですと言って、会場を笑わせていましたよね)私の知人の2人も、もっと2人にとって、基本的でシンプルなことに気がついて、それをきちんと見つめていれば・・・と、ちょっぴり想った。1度歯車が合わなくなると・・・
やさしい恋をしましょう。お互いを尊重しあって、思いやって。時に謙虚に、時に強く。2人がいっしょにいることで、お互いが向上しあえる。やっぱり、2人でいる時間が、おだやかで、やさしい時間であることが一番ですから。やさしい恋は、シンプルなものです(現実的なこともあるにはあるが)
<人生の歯車>
人には、人生の歯車というものがあると思います。その一番の素になる歯車を動かさない限り、すべての歯車が動かないものです。逆にいえば、それを回すことが一番大切。一度歯車が狂うと、すべてが動かなくなる。あなたの一番の素になっている歯車ってなんでしょう??仕事かな?恋人かな?家族かな?それさえまわせば、そのほかの歯車も順調に回りだすのです。恋も、趣味も、健康も、夢も、生活も。人生は、案外シンプルな機構で動いているって、僕は思います。そう想ったほうが、幸せに生きれるはずだから。ただし、まわすには、ときに潤滑油が必要です。それは、周りの人のやさしさであり、笑うことであり。自分にとっての楽しみであり。それも忘れないように。かくいう私も、素の歯車がぎしぎし音を立てていたのです。(おそらく仕事かな?)だからいったん止めて、メンテナンスして、再びフル回転しなくちゃって想うのです。
きょうも、ありがとうございました あすは、雨が降るみたいです。傘を忘れずにね。 あすの日記も3テーマで。1つは、こころについて、生きることについて。あとの2つは、またなにかを書きます。22時前後にUPできたら この後は、おまけの日記。よろしかったら、お読みください↓
<友人と親友>
私は、親友と呼べる人は、数少ない。どうも、ながく関係を保つことが上手くない人間のようだ。小さい頃から、転勤の連続で、1~2年で小学校も変わっていた。1から、人間関係を築いていく必要になんども迫られた。だからか、幼馴染というものがまったく存在しない。
そうしたひずみが、高校生ころに大きく出てしまった。私の高校生時代は、親友といえるものははほとんどいなかった。ひとりでいることがここちよかったから。本ばかり読んでいた。(部活や生徒会は懸命だったけれど、いつも一匹狼でした)
でも、友人は、大切にするべきです。 出逢いは大切にすべきだけれど 親友は、たくさんいなくてもいい。 ただ、困ったときには、助け、 離れていても、静かに見守る なんでも言い合えて 許しあえて、思う存分泣かせてくれる
ただ、いい関係を持続するのには、自らの人間性が問われる。私は、やはりどこか不適合なところがあるのかもしれない。それでも、常に志を高く、人にたいしても、いくつかの心がけというか、こうありたいという部分がある。そこには、つねに、「去るものは追わず」という部分と同居しているわけです。 自分は、どうも対人関係が苦手なタイプのようだ。けっこう懸命に向き合っているんだけれど、どこかに問題があるのでしょうね。
友人関係、恋愛関係、人間関係、どれも、ちょっとしたことで、もろくも崩れていくものです。いままで積み重ねた信頼や時間なんてほとんど無意味で、いっぺんにもろくも崩れてしまう。崩れたら、元には戻らない。たとえば、言葉ひとつでも簡単に崩れるもの。いまの私は本当に肝に銘じないといけませんね。反対に、人に対して、寛容で、許せるくらいのこころの大きさって、必要かもしれないし、それが出来て、初めて、本当の関係になれるような気がします
ホームページで、数多くオフ会をやりますが、そこには、「自分が、いい友人と出会って、楽しくやりたい」という考えではなく、「人と人をつなごう」「みなの出逢いのきっかけになれば」との想いのほうが断然つよいのです。
そういう役割が出来ることが、私にとって、一番の幸せなのです
こんばんわ。きょうも本当にポカポカの陽気でした。昼食を買いに、出かけたとき、都心中心部は春?って勘違いしてしまったもの。ビル群は黄砂のようにかすんでいたけれど。この暖かさ、あしたまでですよ。ハンドボールの五輪アジア予選のやり直し拒否する中東の国々に、喝!を入れたいコバルトです。きょうも3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。どうぞお付き合いくださいませ・・・♪
<いつも笑顔でニコニコで>
自分がニコニコの笑顔じゃないと、幸せは来ません!これ、私の持論。 だから、できるだけ自分は笑顔で過ごすことを意識しています。もちろん!出会う人を笑顔に出来るようにって、必ず思うのだけれどね。ささやかなことでも。たとえば、定食屋のおやじさんには、「おいしかったです」レジの人にも「ありがとう」、バスの運転手さんにも「ありがとう」と、スマイル!こういう小さいことも、しっかり心がけていたいと、思うんですよ。もちん、家族、同僚、友人は当たり前で・・・いつも笑顔で、おだやかに。ありがとうという言葉を添えて。そうしたら、「自分はみんなによって生かされている」ってことを、その都度感じることが出来るから。
「ありがとうを多くいうと、ストレスが少なくなる」 これは、斉藤茂太先生の著書の中の言葉。本当にそうですよね。まずは感謝の気持ちを表すことは、自分を守ることになるってことです。みなさんも、そう思いません??
笑顔でいれば、自然といい顔になっていく。美人になったり、やさしい顔になったりするものだもの。うん。一番の美顔術は「ニコニコ」でいることです。でも、悲しいときは、思い切り泣けばいいんです。愚痴も言えばいいんです。要は「自分に無理しないように」いつも人に言う言葉だけど、いまは自分に言い聞かせているんですね。うん。まずは、こころが健康でなくては、なにもはじまりません。
みなさんも、笑顔、忘れてませんか? 笑顔ってね、意外ととすぐ消えてしまう。だから笑顔は絶やさないほうがいい。愛しい人の笑顔は、ずっと消えず、自らのこころを、どんなときでも温めてくれるはずですもの。
<七草がゆをおなかいっぱい>
ここ、調子が悪いのもあって、数日間、七草粥ばかり食べている。胃に本当にやさしいもの。お正月だからといって、特段豪華なものをたくさん食べたわけでもないので、胃もたれもないのだが(笑)ドクターコパさんの本を読んでいると、日本の恒例行事を、きちんと行うことが、運気を大幅に上げる。生活の、当たり前のことをきちんとすることなんですよね。やはり。その意見、同感。私も行事好きな人なので特に。そういえば、モノを捨てることも、風水ではよく言われるけれど、これも当たり前のこと。昨年末、自室のいらないものは捨てに捨て、無駄なものがなくなった。その代わり、干支の置物をきちんと東側においてたりしてる。七草粥も、そういう、運気をUPさせる意識でも食べています(風水ってそこまで信じているわけではないけれど、やらないよりはいいだろうくらいの意識)
明日も3つの文書を書いていきます(なるべく夜9時に間に合わせます。来週は食事とかいくつか予定があったりしますので、遅くなるかも)あすの内容は、やさしさと恋について、友人について、そしてもう1テーマ。おだやかに明るく書いていきますぜ♪この日記への感想がありましたら、お気軽にどうぞ。
きょうも、ありがとうございました あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れていきますように・・・ こころから、願っています。 さて、この後は、おまけの日記です。 よかったらどうぞ↓
<家族へ>
私は、父や母を、どちらかとえいば好きではない。 ひとりの人間として捕らえたとき、もし親でなかったら、きっと付き合わない人間のような気がする(笑)と書くと、とんでもない人のように想うが、そうではなくて・・・
小さいときはなついていた。ただ、いろんな面を見て、子供心に影響を受けた面もあるし。とにかく、父も母も、人の話はあまり聞かないし、こと子供のことを理解しようという姿勢は、そこまでない人だった だから、家族旅行などほとんどなく、一家で食事することもまったくなく。でも、どこか慎ましく、派手なことが嫌いで。 社会のルールに反することに対しては、本当に厳しかった。ただ、どういう人であっても、親であることは変わりない 言葉はきちんと交わさないけれど、本当は、感謝の念をとても感じている。
幼い頃から、引越しすること10回以上。短いときは1週間、長くて2年。 そのたび、荷造りし、友達と別れ、知らない土地へ行く。そのストレスは、多感な子供のころだからこそ、計り知れなかった。(父は治安を守る職種の公務員だったので、転勤は日常茶飯事だった)いまの自分を形成するのに、悪い部分で、多分に影響したことは間違いない。幼なじみというものも存在しないし。寂しがりやなのも、そこから来ているのかもしれない。その引越しのことを、母は、いまでも私に詫びることがある。本当にすまなかったと。 そのとき、感じるのは、その苦労は、父も母も、相当しているに違いない。だから責められないのです
生きた言葉を日ごろ、交わすことがない家族であっても、その裏では、各々いろんなものが存在する。感謝の気持ち、わびる気持ち、後悔の気持ち。きっといつか、それらを、たくさん言葉として出るときが、いずれやってくるでしょう。
私は、両親のような親にはなりたくない。とくに、父は、父親としての尊敬は残念ながらしていない。ただ、仕事に対しての、ひたむきさに関しては、誰よりも尊敬しているのです。これも言葉にすること、この先あるかもしれないけれど
家族を顧みず、仕事に打ち込む。こと、自分勝手で、短気で。人間としては、どうなのかと疑うところはある。僕が小さいときから、「この人」のようになってはいけないと、堅く誓ったものです。だからって、父には、感謝の念も強いのです。
両親も、もう年老いて、人間が丸くなってしまった。あんなにも厳しかった父も、私には、何も言わなくなった。私が仕事疲れで、帰宅してすぐソファーで寝ていても、父はなにも言わない。(「これから先、おまえに面倒を見てもらおうと思わん、だからお前はひとりしっかりやれ」」が、最近の唯一の口癖)何もいわないのが、せめてもの、家族への償いなのかもしれない。
そして、親に苦労かけさせ、心配させた、親不孝モノの僕は、これから先、何かの形で、この父と母に、お返ししなくてはならない。
時間は、あっという間に過ぎていく 人生も、あっという間なのです。
ならば、本当に愛し合った伴侶と子供に囲まれて、ささやかでも家族を築いて、穏やかに、当たり前のことを生きたいと、心から思う。要は、そういう相手が、いそうでいないということだけどね(笑) ただ、いますぐでも、ホントそうしたいものです
でも、正直なところ、私は、結婚しないかもしれません。それならそれが、宿命だと想うのです。人生は、自然な流れというのもあるから。 でも、両親の感謝の気持ちは、忘れずにいたい。こうした感謝の気持ちをもてないと、たとえ、仮に自分が親になったとして、同じように子供や妻に感謝されない父親に、そして家族になりそうな気がするから。それはやはり、悲しい。
一度、離れてしまったこころや絆は、元に戻すことは難しいのだから
以上、おまけの日記でした(おまけの方が長い!)
みなさん、こんばんわ。3月のようなすがすがしい暖かい1日でしたね。笑顔で1日を過ごしましたか?おつかれさまでした!
きょうは、3つのテーマで、大切なことを書きます。 なお、この日記は、今年から、その日の夜(9時~11時前後)に更新しています。1つの日記に、多いときは3つの文章を書いていくつもり。だから、1日分がすごい文章量になるかもしれません。お願いですので、最後まで読んでくださいね。元気になれる、笑える、あったかいものを伝えれたらって想うので。
<穏やかに生きる>
人間は、絶対に「おだやか」でなくてはいけない。 人に決して怒ったり、冷たかったり、悪口や酷い言葉を言ったりしてはいけないと常日頃思っている。もちろん、裏切ったり、嘘をついたしてはいけない。こと、自分にとって大切な人、身近な人に対してはなおさら。笑顔で、やさしく、おだやかに生きること。それを、けっして否定されたくない。一度、言葉に出してしまったことは、もう消すことは出来ないことを、肝に銘じて。一度、人を裏切ったら、その何倍の裏切りを、きっといつか自分は受けるようになるから。後で後悔しても遅い。日ごろから、何事にも穏やかに生きる努力しないと。そして穏やかに生きると、周りの人のやさしさ、暖かさなど、本質がしっかり見えてくるはずだから。おだやかに生きること、それは、「誰かといっしょに」が出来る人でもある。夫婦でも、仲間でも、仕事でも、「いっしょに」が基本の人が理想だと僕は思います。喜びも、悲しみも、いっしょに。 いっしょにというのは、やはり「おだやか」じゃないと、そうはいかないもの。
そうできるとね・・・ささかやか日常のありがたさを、毎日ひしと感じながら生きていけるはずですから。
穏やかに生きる。それは、自分に素直なこころで、ゆっくり生きるということ。
<強く生きる>
強く生きるということは、大切な、誰かを守るということ。誰かのために生きるという使命を持つと、何倍も強く生きられると想う。決して、いまだけをみてしまわないようように、楽な方、安易な方へ逃げないように、一歩前へ進んで、殻から飛び出して。これからを見て。いま、見えていないかもしれない、本当に大切なことに、いつか気がつくということ。愛する人をしっかり信じて、その人の為に生きるようにと。決して、人を見捨てたりしないことも、ひとつの強さでもあるとおもう。難しいけれどね。強く生きるというのは、決して、人を押しのけたり、勝ったりする強さじゃない。私は、人と競ったりするのは本当に苦手です。人を悲しませたり、裏切ったりしてまで幸せになろうとは想わない。そして、人を許すことができること。それだって、強く生きることになるのではないかと、想うのです。 辛いとき、悲しいとき、負けないように。まだまだしんどいところはあるけれど、強く!
強く生きる。それは、自分を信じて、志を高く生きるということ 誰かのために生きるということ
<自分を生きる>
自分を生きるということは、自分のぶれない信念を持って生きること。本当の自分を、見つけられたとき、自分を生きることの大切さに気がつく。
私は、仕事に区切りをつけようと思います 自分を生きるため。
素直なこころを、はじめて大切に、生きてみようと想う。すこし、自分を見つめなおす時間をつくって、こころゆっくりとさせて。本当の自分を生きたい。本当に、本当に・・・
この11月末から、私は情緒不安定でした。眠れないし。しんどくて。それは、仕事が多忙で、もうストレスも限界でした。私はこのままでいいのか?悩みに悩んだ。また、友人のことなど、そのほかのいろんな大きな出来事が、次々私にやってきて、自分が、正常な判断や行動が出来てなった気がします。ただね、自分のこころの支えにしてきた「大切なもの」があったからこそ、なんとかやってこれた。そういう状態の中で、多くの人に迷惑をかけてしまった。本当に、申し訳ありませんでした。こころから、謝りたい。本当にごめんなさい
前に進まないといけないから。私は、大切なものを守らなくてはいけない。守れるような人間にならなくてはいけない!
人を愛して、信じて。ずっとずっと、人を幸せにしたいという変わらない想い、何があっても自分だけは絶対に変わらない一途な想いは、けっして恥じることはないと想うのです。間違っていない。私は、たとえ、自分の想いや行動が、人から見えないこと、理解されないことであっても、それを信じて、懸命でありたい。そして、いつか、私がやってきた、伝えてきた本当の意味に、人々が気がついてくれるときが必ずくればいいなと。それだけを望む(私という人間は、なかなかそのときに、理解してもらえる人ではないことは、よくわかっているから。時を経て、人に「あのとき、あなたにいわれたことの意味が、いま本当にわかった」といわれることがけっこう多いのです。ぶれない想いがあるから、先のことをしっかり考えて伝えよう、あわてず行動しよう、大切なこと、本質を見定めようと、いつもしている自負があるから)とはいえ、それがすべてではないですけれどね。無論、自分が間違ってることなんて、たくさんあるし。引くときは引くことも大切です)
自分の想い、それを、こころからわかってくれる人は、どこかになからずいると信じたいのです。
自分を生きる。それは、後悔しないこと。
私は、これから自分をしっかり生きていく。 そう誓いたい。 自分を律して。反省して。 本当の笑顔に戻れるように
石田ゆり子さんは、著書のなかで、 「澱まないように」「止まらないように」
と書かれています。その言葉は、ずっと僕は忘れないようにしてきたつもりです。彼女のいうとおりだと想うから
きょう、会社をちょっと早めに退社して、所用を済ませ、時間があったので、またいつものタリーズへ。1時間くらいか、いつもの席でのんびり本を読んだ。その後、書店で本を漁る。
ふっと、文庫新刊台のひな壇手前にあった、ある文庫に手が伸びた。それは、「禅」の言葉を集めたもの。でね、ふっと開いたページが、なんと偶然にも、私が専門学校の学生のころ、座右の銘にしていた言葉だったので、びっくりしたのです。(書道サークルで、この言葉を書いて、発表会に出品した)
それは、
「行雲流水」
空に漂う雲、果てしない空、流れる水のように、自然に身をゆだねるようにおだやかに生きる。人のこころ、自らのこころが、小さなことでわだかまったりしないように。物事に執着せず、淡々と生きていくということ
もっと、こころおだやかに、人にもおだやかに、生きてゆきたい。 たとえ、これから、困難なことや、悲しいことがあっても、裏切られたりしても、自分だけは、しっかり強く、おだやかに、自分を生きたいとこころから想う。この本で偶然みつけた、懐かしい言葉。なんだか初心に帰れといわんばかりの出来事だった。
あしたは、3つのうち、1つは、「家族」について書くつもりです。あと2つは、あしたまた。
きょうも、ありがとうございました あしたも、みなさんにとって、すてきな1日になることを祈っています。
ゆっくりと、待ってみることにしよう。 こころはそのままで。見守りつつ そう、想うようになった。
その人、その物事、その未来・・・
どう、これから、どう変わるか変わらない この世の中だって。
ただ、自らの素直な気持ちだけは、大切にしておきたいと想う 時間が経て、なにかが変わり、なにかが見えてくるかもしれない
きょう、いくつか、小さな幸せな出来事があった。 昨年末、心配していた知人から、丁寧にお手紙をいただいた。少しずつ、よい方向に向いつつあるようだ。思わず、涙ぐんでしまった。謙虚に書かれたその文面は、かなり印象的だ
探していた本が見つかった。即買ってしまった 注文しないと手に入らないかと想ったから。年末、自室の書棚の本を大量処分したので、かなり空きスペースが出来た。今年は、久々に読書をする1年にするつもりだ。自室の書棚も、新しい本が、再び並ぶだろう
昨日、泣きつかれて、眼が腫れている いろんな出来事を振り返り、そのひとつひとつを想う ただ、そこまでしてでも、自分を追い込まないと、何かを整理し、答えを出せないから。私には、こうしたストイックな面がある。泣いた後は、不思議と穏やかなのだ。
これからのことはわからない だから、待ってみる
「美の巨人たち」 この番組が本当に大好き。土曜日に1時間スペシャルも放送されていた。スペシャルでは、西洋絵画の歴史をわかりやすく伝えていた。印象派について特に。 毎回、1つのアート作品に焦点を当てて、30分、その絵やオブジェなどに秘められたドラマ、作者の葛藤や人生を、わかりやすく、ドラマ風に、伝えている。(日本の作品と西洋の作品を、1回づつ交互に)美術を紹介する番組でいえば同じ、NHK新日曜美術館は、いささか堅苦しいが、美の巨人たちは、その点見やすい なにより、ナレーターの俳優・小林薫さんの、やさしい語り口が、秀逸である。番組中流れるキリンのCMも、普段見れないロングバージョンのCMだったりして。番組の独特の雰囲気を壊さない。紹介される作品の奥に潜むもの、そして作者の苦悩やストイックさを、いつも感じてしまう。
次回は、ピカソのゲルニカ。大変楽しみ
「篤姫」 初回を見ました。とてもフレッシュな感じがしたのは、やはり主役の宮崎あおいさんの、聡明で明るい主人公・於一(篤姫)なせばこそ。見続けるかどうかは、わからないけれど。
「情熱大陸」 昨年の大河ドラマで、信玄を演じていた 市川亀治郎さんだった。こと、無口で、いつも、スタッフの質問に対して「わからない」を繰り返す人だった。毎回、歌舞伎に対して、無心で演じていることが、よくわかる。この人、私より年下だったんだね。驚きでした
日曜日に見た、番組のことについて
きょうも、ありがとうございました あしたも、みなさんが、笑顔のいっぱいの、すてきな1日となりますように・・・
私は、時間作って、コーヒーのみにいきたい気持ちでいっぱいです さ、きょうも元気だして♪
想いは、リレーする
幸せを願う想い、 愛する想い、 いとしい想い 励ましの想い
それらの想いは、バトンのごとく、 人から人へリレーされる
それは、親から子へかもしれない それは、愛する人から愛される人へかもしれない それは、仲間から仲間かもしれない
その「想い」のバトンは、 しっかり、受け取られ、 それは、また人へとリレーされる
人は、つながっている 生きている以上 たくさんの人とつながっている
これから出会う人たち、 これから出会う愛する人に、 僕らは、バトンを、しっかりと渡していかなくてはいけない
それが、絆となって 人と人がつながっていく
そのバトンは、どこかで途切れるかもしれない 悲しいけれど
でも、君はひとりじゃない
決して、リレーすることをやめてはいけない いつか、そのバトンは、再び、自分にリレーされるから。
親から子へならば、親孝行というカタチで、親から子、子から孫へと 愛する人から愛される人ならば、結婚という永遠の愛というカタチで 時を越えて、その想いはリレーされるのです
リレーは、終わることがない 終わらしてはいけないと、僕は思う
人は、人を想い、生きていくのだから
人とつながって、生きていくのだから
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本当に久しぶりに、図書館で過ごした気がします。ゆっくりと、ページをめくり、文字に目をやる。すーっと文字がこころに入っていく感覚は、非常にここちいい。
仕事柄、書店や取次ぎ所を回ることが多いのだが、意外とゆっくり本を読むことはないから。
上の文章、ふっと思い浮かんだ言葉。 本当にそう想うのです 人は、ひとりじゃ生きていけないですもの。
僕は、なんどとなく、人の言葉ややさしさですくわれました いまでも、その言葉や、その想い、そのやさしさは、決して忘れない それを胸に、今度は、人にそのバトンを渡していこうって 想うんです。いつも
人を傷つける言葉、人のこころを思いやれない、冷たいこころは、 けっしてバトンを渡してはいけません。 渡してしまうと、それは、必ず自分に戻ってくる。絶対に
涙というバトンを渡していくと・・・いつかそのバトンは、希望というバトンへと変化していく
私がよく読んでいる雑誌「リンカラン」の最新号に、 最近結婚された、女優の麻生久美子さんのインタビューが載っていました。その彼女の言葉は、私にやさしかった
「何をするにも素直が一番」「何をするにもストレスが一番の敵」
そう!!まさにそのとおり。 そのとおりなのよ。うん。よく言った!! 彼女はいい生きかたをしていると感じました。無論、いままでのいろんな人生経験が、彼女からそう言わせていることは、僕もわかるのだが。
午前、ある仕事つながりの知人の女性と、用事を兼ねて食事しました。彼女は年下なのだが、まぁ、私とタメ口で会話する。僕は普段、とても近い友人とでも、タメ口でしゃべることはない。本当は敬語で話されるのは、しっくりこないのだが...不思議と、彼女とは、タメ口で話し合える、ごくめずらしい知人なのだ。(彼女は関西人というのもあるのだろう)お願いしたいことがあって、書類など渡したのだが。まぁ、漫才のような会話です(笑)ただ、素直が一番にならった会話かもしれない。
その後、病院へ。病院にいっていることは、昨年日記には書いてこなかったが。こと眠れなくてなど・・・という感じなので。最近もまた。

夕方、ソレイユへ。4日だから、駐車場も空いてるとおもったのが間違いだった。車は大行列。考えが甘かったぁ!20分くらい駐車するのに時間がかかった。今年の初カフェは、いつものタリーズ!!。一人ぼんやり、やさしい日差しが差し込むテーブルで、書き物したり、本を読んだり。
となりの席に、小さい男の子とご夫婦が座った。 本当に睦ましい、いい光景 ただ・・・すごく自分の立場を考えると、寂しい気持ちになって、 胸が痛かったのも事実。こういう経験、何度すればいいのだろうか。 その後、フタバ図書で本を探す探す探す!ソレイユはバーゲンですごい人だった。ドッターフィッシュの体験会やってて、気になったが
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「ずっとずっと続く一途な気持ちって、 結局は、何があっても、相手を悲しませるようなことはしない、 という強い気持ち、相手を思いやる気持ちがあるのかどうか」
そこをぶれさせることは、 決して許されないという強いものを持っていました。 僕は、その人のその言葉だけは、ずっと忘れることはなかった。 どうしても、忘れることができないのです。
私は、ずいぶん前、大きな裏切りを受けました。 その傷は深く、ずっと癒えぬまま、人を信じられず、人を愛せず。もう決して私を愛してくれる人はいないと想っていました。何年も。本当にしんどかった。
きっと、そのことが、ある地点まで、影を落としていたのかと感じます。
人を信じられない。だから、本当に慎重になる。そんな私でも懸命に信じてくれた人、信じられるようにと頑張ってくれた人に対し、少しずつ少しずつ、僕は信じようとする。この人はずっといっしょにいてくれるのだろうか?、変わらないだろうか。恐る恐る。そしてやっと信じられたとき、この人を何があっても悲しませない。一途な気持ちでずっとずっと・・・という強い想いを持つ。静かに、慎重に懸命に、相手を失わないようにと想う。でも、そのときはもう遅い。時間が経てば、いろんなことが変わってしまう。人も、成長するために変わっていく、去っていく。
やはり冷静に考えると、自分が間違っている しっかりしたもので、繋ぐことができないから 想いは、言葉にして、行動にし、カタチにしないと ダメなのです。絶対。
そういう自分が嫌いなのです やはり、こんな自分は、もうしょうがないんだと、 割り切るようになったんです。こればかりは。
自分のおろかさは、まさに「そこ」なんです。
もともと、私は一途過ぎる。 それを相手に悟られると、重たく感じさせるのがいやだから、気持ちを、愛を引っ込める。すると、気持ちはわかりにくくなる。それもよくないのかもしれない。
結果的に、また、人を信じられなくなる。人が変わることを恐れる。たとえ、自分は変わることがなくても。それならば、もう人を信じるのをよそう。人を愛することをよそう。どんな言葉も、信じることをよそう。そうすれば、誰かを巻き込むこともない。そして、自分が楽になるのです。誰よりも怖がっている「別れ」「心変わり」・・・そういったものが、先に待っていないからね
だからといって、人を大切にしないのではない。 こころから、人の幸せを喜べる人でありたい。 自分は強く生きて、その人の幸せを、こころから願えること 人を元気つけられる、笑顔にしてあげられる人になりたい。 傷ついたこころを、少しでも癒してあげられる人になりたい いつも、自分が笑顔でいるのは、 そうでないと、人を幸せにできないもの だから、人前では笑顔を絶やさない そうしていけば、自分にも、恋とか結婚とかとは、また違う、 別のカタチで幸せは訪れると
ささやかな幸せ。それは、結婚して家族を持つこと 子供といっしょに、伴侶といっしょに。 どんなことがあっても、その人を幸せにすること。 でも、自分の弱さがある限り、それは無理なのだろうと、いまは思います いま、できることは、しっかりいまの仕事して、しっかり自分自身考えながら、人との出逢いは、できる限り大切にして、ひたむきに、静かに自分の生きる道を歩んでいくこと。地味かもしれないけれど。人から恥じられない生き方をしてかないと、先で、かならず後悔する。本当に孤独になってしまう。そして、ずっとひたむきに思い続けること・・・人は、人を想うから。
よく最近、人から相談を受けて アドバイスすることがある そのとき、よく言うのが
過去をさらっと忘れるのが一番だよ。 過去にとらわれると、本当よくない・・・と。 (ついこの前も、そういうことを言ったなぁ。友達に)
ただし、です 自分に対しては、こう付け加えている
そのもっとも辛かったときの、 あの日の自分を忘れてはいけない あの日の、あのときの、言葉を忘れてはいけない 自分が人を傷づけたとき、 裏切ったときの苦い後悔の念を忘れてはいけない 裏切られたとき、別れるときの、 その言葉を、やるせなさを忘れてはいけない 自分が過ちを犯したときのこころの痛さ それらを忘れてはいけない
人のやさしさ、想ってくれていた人たちの気持ち、 あのときの、あの人の強いやさしい言葉も、忘れてはいけない 初めの頃の自分、初めの頃のこころ、言葉を決して忘れてはいけない その人たちの、そのたくさんの想いを 決して無にしないようにと。胸に刻み込む
それを忘れたら、きっと自分は、 同じ過ちを起こしてしまうと想うから 本当の意味で、人のこころの痛みをわからない 人間になってしまうから。 人の本当のやさしさに気がつかないままになってしまうから 人を、ほんとうの意味で愛せなくなる、愛されなくなる 人に、やさしくなれなくなるから
ま、そういうことです。何事についてもいえる。 シンプルにいうと(笑) 最後は熱くなったけれど。間違っていないと思っている
(最近、ちと堅い話が多いね)
きょうも、ありがとうございました。 1日、充実した時間でした。 いつもの人前では明るい私と、この日記での私。2重人格ですよね、きっと
みなさんにとって、「やさしい時間が流れる明日」となりますように 願ってます お正月疲れをきちんと癒さないとだめだよ! ゆっくりとね

夕方、所用で出かける途中、ふっと空をみて、「天使の梯子」がかかっているのに気がついた。とても綺麗で。ふっと、自分の身体がその先の空へ導かれていきそうな錯覚に陥った。2008年、おだやかでやさしい時間が流れていくのでは?って想ったりした。
こと、1日笑顔を絶やさない私ですが、昨年末までは、本当に、仕事と、人の為に奔走しすぎて、疲れていたところがありました。だからお正月になって、静かになって、やっと自分のことが考えられる余裕が出てきました。少しずつ、やりたいことをやっていきたいものだわ
「恋は盲目」という言葉があります。出会って、恋をすると、誰しも相手のことを好きな気持ちでいっぱいになって、「盲目」になってしまうというもの。ただ、「恋は盲目」の状態も、いずれは冷めていく。ここからが、本当に大切なのだと。本当の愛というものを意識すること。
上に書いたことは、ずいぶん前、瀬戸内寂聴さんの著書で書かれていて、すごーく納得してしまったんです
付き合うと、結婚を意識するのは当然。こと、女性は、結婚というゴールがあるから付き合うわけですし。男性は、それを果たす大きな責任がある。ひとつひとつ問題をクリアして、もっともいい状態で2人は結ばれ、愛する人を守っていかなくてはいけません。おそらく付き合って1~2年くらい。それを越えてしまうと、やはり難しい面も出てくるでしょうし
私も、きっと結婚願望は強いタイプでしょう。だから、はやる気持ちも出てくるけれど、でもはやる気持ちだけじゃいけないって、年を重ねるにつれ、想うようになったんです。問題は、恋は盲目を過ぎて、本質的なところを見て、相手を愛して、結婚すること。
寂聴さんの本や、出演された番組などで、ときどきおっしゃる「慈愛」という言葉。尊い言葉であり大きな意味なのだと想うのです。できれば、それを持ってして、その人を愛して、結婚して、ずっと生きてゆきたい。
いまだけを見ないで、ずーっと長い目でみたとき、長いスパンでみて、結果的に、この人で良かった、これでよかったと思えるようでありたいと思うのです。
結婚したことないからわからないけれど、 僕がひとつ思うことは、その人を愛すること、夫婦という枠を尊重することと同時に、結婚した相手の両親や、兄弟や、おおくの人と、仲良くして、自分が認められるようでありたいと。それも、自分がその人を愛する気持ちのひとつって想うんです。
ま、あーんまり難しく考えることもないけれどね。 物事は、結局のところ、シンプルなものなのですから
ミクシィで、昨年末、クリスマス特番で流れていたナショナルのCMを見て、僕がココロ打たれて号泣したことを書いた際、友達からは大反響で。3本のドラマCMのうち、特に、下にリンクしている「母と定年退職編」
http://ch.panasonic.co.jp/contents/00960/viral.html
何度見ても、泣いてしまうのです。 自分も、こういう夫婦になりたいな。こうありたいなと、思いました
私は、自戒の念が、このお正月、すごくあって。自分の弱さ、おろかさを、目の当たりにして。人を信じることを、あきらめた方が、自分が楽になれるのでは?と想うのです
こころ静かに、やさしく、人に迷惑かけないよう、ひとりで。 そう生きていくことが、せめてもの生き方かもしれませんね

朝、となりまちの公園へ散歩に出かけた際の写真 小学生のころ、この公園でよーく遊びました。そのころの自分に出会えるきがしたり。さすがにだーれもいませんでした。

お雑煮を作ってみました。おいしそうでしょ? お正月らしさを、味わう瞬間。幸せだわ!!
箱根駅伝、きょうも2チームが、途中棄権しました。大東文化大と東海大。東海大の選手は最終10区で、線路に足を取られて靭帯を痛めた。ゴール近かったのに・・・駅伝って、過酷ですよね。本当に
きょうもありがとうございました みなさん、あしたも、よい1日になりますように・・・

空は、きょうもくもりない青だった。 むなしい気持ちと、すがすがしい気持ち きょう1日、複雑な心境で過ごした。無論、笑顔は絶やさずでね。
朝、年賀状を出しに、となりまちの郵便局にいく。はやく届けてもらいたいから、集配局へ持っていくのです。(←だったら、昨年投函しろ)きょうも、10枚近く届いた。せっせとお返事を!その後、電話で職場の上司と至急の打ち合わせ。引継ぎやら、今後のことを話し合う。職場になるべく迷惑かけないようにしなくちゃならない。夕方、友人から電話があった。いつものように、ゆっくり聞き役で。なにかこころに溜め込んだことを、すっきりできたのなら、僕もとてもうれしい。(相手は、恋愛のことで、いろいろ悩んでいた。ファイト!きっと大丈夫だから。)
「箱根駅伝」を見る 最後の往路ゴール近くで、順大の小野選手が、足にケイレンを起こし、ふらふらになって、倒れてしまった。仲村監督が車から飛び降り駆け寄る。選手に触れたら、その時点で棄権になる。監督は見守るしかない、小野選手は倒れたら立ち上がり、ふらふらになって、また倒れるを繰り返した。ゴールは目の前なのに・・・そして、監督は小野選手に手をかける。ここで、順大は棄権となってしまった。見ている僕までが、この数分間の出来事に、つい泣いてしまった。選手のひたむきさ、無念さ、こころが痛い。仲間の想いがこもった襷が、ゴール目前でつながらなかった。ゴールで待っていた他の順大選手も号泣していた。駅伝の過酷さの一面を見せ付けられた思いです。私は箱根駅伝、毎年見続けている。大好きです。いつも心打たれる場面は訪れる・・・

夜、夕食の食材を買いにスーパーへ。そこで、この風水招き猫を見つけて、つい買ってしまった。かわいいですよね!1個しか残っていなかったから。なにか縁のようなものを感じて。幸運をもたらしてくれるかな??
ちなみに、コパ先生による、今年の風水のキーワードは 「許しあい」「助け合い」「睦(むつ)みあう」
こころを大切に豊かに暮らすことだそうです。風水にならって、この招き猫、きまっている方角に置くことにします ことしのラッキーカラーは、「シルバー」「ゴールド」「赤」「白」みなさん、ちょっぴりなにかに取り入れてみたら?
ひたむきに、一途に想うこころは、美しい。 私は、ひたむきに一途に想いすぎるところがあって、ときどき想い詰めるところがあります(笑)
僕らは、常に何かを選び、それを信じ、ひたむきに想う。 大切なものを、大切な人を大切にすることで、幸せを得るのだと想うのです。ひたむきに一途に想う姿は、私から見ても、美しいと感じます
人から信頼されるには、時間がすごくかかる。 でもその信頼を失うのは、あっという間です。
だから、ずっとずっと、時間をかけて、ひたむきに向き合いながら、関係を築き、相手を大切にしていかなくちゃ、堅い信頼って作れないと思います。もちろん、考えすぎることはない。なにげないことを大切にできたらそれでいい。そこからはじまるのだから。それと、相手に100パーセントもとめてはいけない。8割くらいで許してあげないといけないって思います(と、電話の相手にもやさしく言ったんだけれどね。100パーセントのうち8割くらいもとめられたら、よしとしようというのは、「モタ先生」の言葉)

昨年買ったシクラメン。美しく咲いています。ちょっとだけこころにやさしさを与えてくれる
ここ最近の私 昔のしんどい、悪い出来事を、四六時中、ダブってしまう感覚に陥る。なにをしていも。そういう自分がすごく嫌です。どこかで怖がっているのでしょう。いかんいかん。
人の気持ちを理解して、相手の立場にたって、物事をみることが必要だわ。焦らず、ゆっくりと。
ずっとずっと自問自答している。答えはなかなかでない。時間が解決してくれることに頼るしかありません
あすも、よい1日になりますように。 そう、願いながら・・・
みなさん、あけましておめでとうございます。
なにげない、1年のはじめの日をすごしました
静かです。
こころが、静かです。 おだやかで、年末にいろんな出来事があり、悲しんでいる人の為にたくさん泣いたりしたことが、まるで嘘のことのように、
生きていることを実感した、 そんな1日の始まりでした。
空気は澄み、 冷たい空気が身を引き締める。 身体が清浄される、 あたらしい自分がはじまる。 そんな感覚をちょっとだけ覚えた
 
昨夜、母と妹と、3人で、近くの神社へ初詣へ行きました。毎年同じ。まったく変わらない。だから、ついこの前、初詣へいったのにという感覚に陥ってしまう。1年でもっとも、1年の短さを実感する瞬間です。
朝、自宅に届いた年賀状を整理する。妹は40枚近く。私は20枚近く。さまざまな人から、幸せな報告を送ってくださることが、私にとって、なにより幸せなことです。学生の仲間たち、大切なひとたち。こうして、忘れずにあたたかい便りを送ってくれること。本当にこころから感謝しなくてはいけません。わが子の写真が印刷されたたくさんのはがき。おかあさんに似てきたなぁ~。おとおさんそっくりだね!・・・なんて、口ずさむ。僕の顔も、つい緩んでしまうものです
みなさんに最初にお詫びを・・・ 年末は忙しく、こと、連日の二日酔いの為、今年は、来た年賀状を見て、お返事差し上げています。おそらく私の年賀状は3日以降にお届けです。ごめんなさい
 

昼、となりまちの大きな神社へ。御札を購入し、おみくじを引く。これも毎年恒例。私独自の決まりとして、昨夜の神社では普通のおみくじ、こちらの神社では恋みくじ。2つ引いている。おみくじは、持ち帰り手帳に偲ばせ。12月31日に、1年を振り返る際に、おみくじの内容と照らし合わせる。これも、私独自のしきたり。今年は、前者は「吉」後者は「大吉」。ちなみに、妹はその間逆(前者が大吉、後者が吉)似たもの兄弟です(笑)
ショッピングセンターで春財布を買いました。おまけに、招き猫の風水お守りをもらった。 自宅に戻り、神棚を新しく設置して、御札とお神酒などを飾る。まっさらな気持ちにさせられる一連の行事のように思います。
夕方、一人で地元の街を歩く。お店も閉まっていて、とても静かだ。 大きなかばんやおみやげをもった若い夫婦と小さな女の子を見つけた。すぐ、家の庭へ入っていったので、きっと、遠くから帰省された家族なのでしょう。なんだかほほえましい。きっとおじいちゃん、おばあちゃんも喜んだでしょうね。あったかい光景です。
 
手帳を新しくした 昨年、プレゼントしていただいたほぼ日手帳。私の生きた証、いろんな想い、わたしのすべて・・・それがたくさん詰まった手帳本体をカバーから外し、ネットで買った新しい手帳に差し替える。
 
分厚かった手帳が、2分の1の厚さにスマートになった。1年をスタートさせる大切な儀式である。そして、私にとって大切な手帳。
また、新しい1ページを書き込んでいく
こうして、おだやかに、笑顔で1日を過ごす。 幸せなことだと、実感しました。 しかし、これから1年、また、悩んだり、泣いたり、衝突したり。でも、どの自分も、負けないように、強く。目の前の、与えられた1日1日を、無心で、大切に過ごしてゆきたい。
2008年、私は、ここに書く文章も大きく変えます 私が考え、想う人生観、生きるということ、なにげない日常のしあわせ、生きた言葉、魂の言葉を、ありのままに、強く書き綴っていく。自分を律するために。強くある続けるために。それが、なにか、人のこころに響けば、みなさんのこころに、そっとやさしさをお届けできれば、それで十分です。
私の生活も、ありのままに、書いていきます。 メトロポリタンブログの、私の新しい写真でもわかるように、私は私。私を偽らず、隠さず、ありのままの姿の自分で、伝えたいことをそのとき、その瞬間に、書いていくつもりです。
トップページも、3年ぶりに変更しました。(手が込んでいると想われるかもしれませんが、ほんとおもいつきで、1時間以内で完成した)
3年前、トップページを変更した際も、失望に打ちひしがれていた。しかしまもなく、かけがえのない人と出会ったり。思い入れのあるトップページでした。どちらも、深い青の空。まっさらな気持ちで、嘘偽りなく、純粋に生きることを誓って。みんなをやさしく包みこむような場所を願って。なにより、暗い影を負った自分を、まっさらにしたかったという理由もあった
私は強く生きなくてはならないと思います。 どんな現実がこれから待っていようと、
かけがえのない人、大切に想ってくれている人を、しっかりずっとずっと守れる人間にならなくてはいけない ひとりで生きる宿命を受け入れ、孤独を受け入れる人間にならなくてはいけない 私の大きな命題です。
こんな、弱くてどうしようもない人間ですが、 よかったら、これからもお付き合いください
みなさんの、2008年が、幸多き、いや、幸せに満ち溢れる1年となりますように・・・私はこころから祈っています
「やさしい時間が流れる空間」 ここは、そういう場所なのですから
いつでも、またおいでください。
私は、ある大きな「賭け」をしました
人を信じられなくなった私の 最後の、最後の賭けとして 自分にとって、慎重に、懸命に、ひとつひとつ丁寧に選択しながら、ときに待ちながら信じつづけた。 大切なものを守るため、これからのために
ただ、その賭けは、 自分の想うようにはならない結果となりました
人のこころは移ろいやすい 人のこころは変わるもの
ひとつの側面でしか、人のこころが見えなかったら たとえ真実はどうであっても そこで終わってしまうのが現実です
とくに、愛とか、恋とか、 人の心を、本当に信じれなくなった 永遠なんて、存在しない。 人間は不確かなものです。
そうおもうようになった私は、
そんな、寂しい人間になってしまった
だから、せめて、私と関わる人たちとの、ささやかな時間は、 相手を幸せにできるように。みんなを笑わせて、元気にしてあげられるようにと 想うようになった。 いつも、おどけて、いつも聞き役で。 いつも、人には、「泣いてもいいんだよ」「大丈夫だよ」って。できる限り気持ちを思いやって そう、まったく別の自分がそこにはある
でも、結局は、自分が一番泣いている。でも、誰一人、泣かせてくれる人がいなかったということ
恋をして、愛して、本当ならば、こころゆだねられるはずなのです。 しかし、私は、こころをゆだねることまでは、出来なくなった いつも、こころを開くことはなかった。どんなに愛してくれた人にも。 だから、最後には、「あなたはいつも構えている」「こころを開いてくれない」といいのこし、去っていく。
ただ、私は相手のこころを開かせることで 自分を安心させている面があったということ 自分は、その人にとっての、かけがえのない人になりたい。 こころからつながりたいと想うのだ。そうしないと、私からこころは開けない
でも、自分は・・・
こういう人間には、 人を愛する資格はない。 ないのです。 それを昨年、教わった気がします
もう、人を巻き込んではいけない すごく罪悪感を感じる。 私は、おなじことを繰り返し、 おなじように、人は去っていく
私は、どんなに非力で、人を幸せにできない、 どんなに、愚かな人間か、つくづく思い知らされた 確実に証明された
私は、「慈愛」という言葉が好きです いつくしむ愛。 ずっとずっとその人を変わらず愛するこころ 無償の愛 きっと、結婚して、子供が生まれると 愛する伴侶と、子供を、慈愛を持って、 愛していけるとおもう。 そういう、ささやかでも家庭を作ることを望んでいた 自分を犠牲にしても、守るべきものがいるということ この言葉を、どんなに否定されても、けなされても 私は大切にしたいのです
ただ、この世の中、結婚しても、離婚する人もいるわけだし それがすべて正しいということはない そういうのは、意外と難しいかもしれません
人のこころは、どうにもなりません 何を持ってしても、 人は変わってしまうものは変わってしまう そうなったら、なにも伝わらない。 とても簡単に、相手のことは他人事となってしまうもの 私も、ずいぶん前にも、経験したこと。 死を覚悟するくらいしんどかったこと
賭けは終わりました
だから、これからの自分は・・・
もう、静かに、ひとりで生きてゆこう もう、私の中から、別れや、裏切りや、心変わりや、嘘・・・ そういう存在を、消し去りたいと想います
だから、これからの自分は・・・
そう、この文章のタイトルのとおりです
賭けをするときに、自分自身に誓ったこと
この1年、わたしは、
「無」
すべてを無にし、ただひたすら無心に生きていきたい 私の存在は、できる限り消し去り、人の記憶から遠ざけて、 とにかく人を、裏切ったり、傷つけたり、悲しませたり、もう絶対してはならないと堅く誓う。かけがえのない人を、当たり前のように、ずっと大切にして、相手の立場になっておもいやること。そんなシンプルなことが、出来ない人間になってはいけないとおもうから
ことしの抱負って、ありません。なにをしたいとか、どこいきたいとか、そういうのは、まったくありません。ただ、小田さんのライブだけは、ずいぶん前から行こうと約束していたので、ひとりでも行くつもりですが。そのほかは、なにも考えられない
目の前にある仕事、生活を、「無心」になって懸命に取り組んで、人と関わることも無理せず、絶えず自分を見つめていきたい。大切にする人は、たくさんいなくていいと思う 再び、闇に堕ちることは、もう怖くはない。ただ、陽を見ようと思わなくなっただけ。元に戻っただけ。守るものがなくなっただけ。もし、私の命が尽きることがあっても、そのときは、ひとりで、潔くと想うのです
わたしは、昨年までのわたしを否定する
もう、昨年までの、まったく無意味で、すべて間違っていたであろう自分を 自戒しなくてはならない。そうしないと、私にとって、これから生きていくすべがないような気がするのです
自分を生きていく。 無になって。
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