
夕方、雨上がりの散歩に繰り出した。 瀬野川の河川敷に。
さすがに、誰もいないだろうと想っていたら、 たとえ夕暮れ時であっても、雨が止んだとともに、ウォーキングやランニングの人がたくさん。これはちとびっくりしました。それだけ、この河川敷遊歩道が、愛されてるってことかもしれない。ただ、さすがにスケートボード場だけは誰もいなくて閑散としてた。
空は、厚い重たい雲。その中で、うっすら青い空が見える感じ。 ただ、夕暮れの赤い光はまったくなく。ただ、空気が澄んで、不安げな暗い空のまま。
ゆっくり、カメラを持って、歩いてみた。 遠く、遠く、その先まで。 たくさんの人が、行き来していたので、さみしくはないよ。
いろんなもの、いろんなことを、発見してカメラにおさめてみました。
  
ひまわりの壁画も、きょうばかりは冷たい雰囲気。カモ、いやアビかな?仲良くゆるりと水面をスイスイ漂っていた。
  
各橋に、こうしたウォーキングの標語がかかれてる。途中でやめないように、いや、応援してるってことかな。これを見ると、もっと先まで歩こうと頑張りたくなるよね。
 
雨上がりって、僕は水溜りを探してしまいます。ほら、水溜りの水面って、「鏡」に変身するでしょ?水溜りにもうひとつの世界が生まれるから。そっちの世界へ行ってみたいって錯覚をしてしまう。きょうは、茜空ではなかったけれど、深く暗い空が、映し出されてた。
  
車での帰り道、ふっと黄金山へ。
ここ数日、気持ちが沈んでいた。そんなとき、きまって訪れる場所。
山頂の展望台で、ぼんやりと、都心を見渡しながら、物思いにふける。
暖かな陽射しがやさしく身体を包んでくれる。
過去・現在・未来
悲しいことも、楽しいことも、辛いことも、泣いたことも、笑ったことも
すべてこの山頂から見渡せる街の中で毎日起きていること。
この小さな街の中には、いつもそばにいてくれる仲間もいる。
でも、もう二度と逢いたくない人もいる。
同じ街にいるはずなのに、何十年も逢えないでいる、旧友もいるはず。
これから出会うであろう人も存在する。
この見渡すだけの狭い範囲で、僕の人生のほぼすべてが廻り続け、すべてが、ストーリーが展開されていて、毎日が動いていると想うと、
なんて小さい範囲で物事を見てるのだろうということに気がつく。
いま想い続けていることも、ほんとうはとても小さいことなのだろう。
ここに身をおくことは、自分の存在のスケールを、再確認するための場所のように想います。
また、あしたから、この小さな街の中に、入っていって、ささやかでも幸せを重ねてゆきたい。誰かの幸せになれるように。
時間は容赦なく、進んでいって、あらゆること、あらゆる人、あらゆる絆を過去のものにするけれど。でも、きっと、
未来は変えられる。想い出は乗り越えられる・・・
ここから、眺める光景は、数え切れない記憶を思い出させる、記憶のアルバムでもある。この小さい都心の街、どこを見ても、さまざまな想い出があるからね。
  
  
  
黄金山という場所のイメージって、みなさんはどんなだろう? 僕は、小さいときから、お花見で訪れる場所の印象が強かった。 高校の時、テニス部の恒例トレーニングとして、海田町にある母校~バイパス~黄金山山頂まで往復マラソンをたびたびした、苦しい思い出も。
その後は、夜景を見に行ったりもたびたびしたけれど どうも、自分が行き詰まったとき、ふっと訪れてしまう場所としての存在に変わってしまった気がします。
東京には、東京タワーとか、東京シティビューなどなど 都心を一望する展望台は数多いですが、広島でとなると、一番ピッタリなのが黄金山になるのだと想います。(もっと都心に近い比治山では、高層ビルの高さと同じくらいだから、遠くまで見渡す感じではない) 広島シティビュー・・・そう命名したくなる。
きょうは、日焼けするのでは?と想うほど 陽射しがあたたか。 山頂のベンチでは、女子大生のグループが、ずっとまったり過ごしていたくらい。お孫さんを背負ったおじさんが、ほほえましかった(車で降りるとき、背負ったまま、歩いて降りている姿をみました。ご苦労様です)きょうばかりは、一足速く、黄金山は春の光景になっていました。ネコちゃんも、のーんびり。ちなみに、写真に映っているのは、わたしです。
春は、容赦なくこの街にも訪れています。 僕のなかの春は、まだ先かな?
仁保までの黄金山通りを走ってみたけれど、広島高速がほぼ出来上がっていた。道もひろびろ、綺麗になっていて走りやすい。ただ、この工事のために休業となった「y’s cafe」は、まだ再開していないようだった。ここからの東洋大橋や広島ベイブリッジの美しい景色が、広島高速の橋げたで失われてしまうのは、なんだか残念です。
ここ最近、訪れたカフェについて、また機会があったら、まとめて書き加えますね。
きょうもありがとうございました。 あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れる1日になりますように
槇原敬之「Personal Soundtracs」~マッキーの思い出/月明かりの夜に何を想う
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槇原敬之「Personal Soundtracs」 昨年末から、槇原さんのCDを、たくさん聴いていると想います。家にあるたくさんのCDを。その中で、オリジナルアルバムとして、新しいこの作品、歌詞をじっくり読んでいることが多々あるんです。
マッキーの曲や詩というのは、なんだろうなぁ。あたりまえの日常、あたりまえの光景のなかで、純粋に人を好きになって、純粋に失恋して。等身大の歌詞が、すーっと引き込まれるのです。だから、単純に詩だけ読んでも、こころが痛くなるようなこともあったりします。
もう高校生のころからずーっと聞き続けてる。コンサートも何度も行った。 3年前くらい前のコンサートも、涙止まらなくて。
自分の青春期から歩んできた歴史と、マッキーのデビューから現在までとが、密接にリンクしている感覚
「Taking The Central Course」 「Firefly」
このアルバムに入ってる中でも、この2曲は、単純に詩だけ読んだとき、特にこころが痛い。ふーっと、過去のことがフラッシュバックしてしまったり、現在のことを想ったり。
槇原さんのこれまでの楽曲は、過去と現在と未来を、自由自在に行き来させられてしまう不思議な曲なんですね。僕にとって。
そのスタートは、「どんなときも」になります。高校の生徒会室(当時生徒会副会長をしてた)で、リピートでなんども流れていた記憶が非常に強いんです。そこがはじまりなのですね。
マッキーの歌で、泣いたり、笑ったり、語り合ったり。こころの傷を癒したり。 それぞれの歌に、それぞれの時代の思い出ってあるんです。 語りだしたら、本当にきりが無い。
これからの新しい曲、楽しみだし、どんな思い出の曲に変化していくのか・・・
次回の、コンサート、行きたいな。

きょうの夜の駅前。満月に近い感じで、月明かりが眩しいくらい明るかった。月明かりに照らされた、自分の影を追いながら、家路に急ぐ。 夜の月でも、こころが癒されるものです。 孤独に打ちひしがれそうになるけれど、なんとか綱渡りしながら生きていけるのは、こうしたささやかな日常にあふれる美しいもの、やさしいものを、感じられる、やさしい繊細なこころを、持てることができてるからだと、再確認してしまいます。
人がどう僕も想っても、僕はさらっと、美しく、ひとり生きていく。

みなさん、こんばんわ。 きょうも1日、おつかれさまでした。どんな1日でしたか? 笑顔がひとつでも多い1日だったらいいのだけれど。
朝、通勤で広島駅を降りると、まず一番最初にするのが、空を見上げること。冬の透き通るような青い空を見ると、こころが浄化されるように、風が吹き抜ける。さぁ、きょうも新しい自分、あたらしい時間が始まるということを、確認するのです。
私はずっと独身ですし、家族を守るということも、残念ながら、課せられていない。独身なのも、こころの問題も大きくて、恋愛が臆病になって、もうかなりの年月となりますが。
ただ、日々出会う人たち、友人、仲間を、大切に想うこと。 みんなの幸せを、純粋に喜んでいられる人でありたい。
それが、いまの生きる支えになってる一つなんです。
誰しも、「人は、幸せになるために生まれてきた」わけですから。
周りの環境や、いろんな出来事、そしてなにより、人との縁・・・ それによって、人生は招き選びしながら、さまざまに変化していきます。
その限りない分岐点の末にある変化の形が、いまの自分。
なかには、結婚して幸せな家族を持っている人生かもしれないし、悲しみに打ちひしがれている人生かもしれない、強く前へ前へ進んでいる人生かもしれない。
過去に時間を戻すことは許されない。 だけれど、逃れられない過去がある。
孤独というのは、なにより怖いし、なにより辛いこと。 だけれど、けっして望まないのに、結果的に、そう向わざるを得なくなった人生っていうのも、あるわけですし。
何かをあきらめ、なにか大切なものを手放すことでしか、 先に進めないこともあります。
僕は、大切に想えば想うほと、急に消え去ってしまう。 そういう経験は本当に辛い。死ぬほどつらい。
自分にとっての限界点は、そこなんろう。 愛する人を大切にする。あたりまえのこととわかっているのに、その幸せは、突然手元から消えてしまう。
人は変わってしまうし、いろんな状況がそれを許さないこともあるし。 だから、すべてを信じられなくなる。
別れが怖いから、いつかくる別れを想うから、本当の意味で恋ができなくなってしまう。人を深く愛することが怖い・・・
世界の誰よりも一番、自分に近い、身体のぬくもりさえ感じられる、誰よりも理解し許しあえる存在だった人が、 ある地点を境にして、二度と逢うことが許されなくなる。誰よりももっとも遠い、存在・世界の中で、もっとも遠い「他人」になる。
むしろ、もともと友人関係だったほうが、長い付き合いになったりします。
恋というのは、そういう残酷なリスクもある。 私は、それがすごく怖い。
自分って、特異な人間なのかな?って想ったりします。 時間を越えて、ずっと愛されるような人間ではないってことなのかな(笑)って、ある時点で、人から教わったきがするんですよね。
ただ、孤独だけは、本当に怖い・・・
恋愛だって、結婚だって、家族を持つことだって、子どもがいることだって、 すばらしいことって、僕はだれより思っている。 慈しむ愛は、かけがえのないもの。それが人として、一番の幸せ。 ずっと変わらず、想い続ける、この人のために
ただ、僕のこころのどこかに、それが許されないような、なにか消えないものが残り続けてしまう。悲しいことだけれど、これも自分が歩んできた人生の結果ですもの
あのときの、こころの痛みを忘れない。 自らの過ちは、決して繰り返さない。 1日1日、ひとつひとつ、しっかりきちんと生きていく。 それが、課せられたおおきなこと。大切なこと。ずっとずっと、これからも
話が、それてしまいました。
人前では、いつもの自分なので、ご心配なく。相変わらず、バカなこと言って、笑わせることが楽しみだったり。ここちよい時間を作れればそれで・・・
あしたも、よい1日になりますように やさしい時間が流れてゆきますように。

こんばんわ。きょうも1日、恙無く過ごせましたか? 都心も、ゆるやかに春をやってきてる、そんなあたたかさが続いています。
仕事でも、プライベートでも、 頭の中を、整理して、会話を組み立てて行いたい。 気持ちを、もっとも相手に伝えられるか そのためには、無駄な言葉をそぎ落として。短い言葉にして。 まずは、相手の気持ちになって、 そうした言葉を重ねることって大切なのではって想います。 相槌を打って、時に眼を見て。ユーモアも交えながら。
逆に、仕事での指示や伝達事項については、 暗唱すること、わからないことはきちんと質問すること、ありがとうございました、お待たせしました・・・という言葉が自然に出ることとか。
そう難しく考えて、人と対峙しているわけではありませんが 自然に、ごく自然に・・・
それは、いままでの自分、いろんな失敗も含めて経験してきた上での、ひとつの自分への答えのように想うのです。とはいえ、まだまだ、失敗もするし、これはいけないなって想うことも多々あって。
自分の気持ちを伝えることは、まだまだ苦手かな? 相手の言葉を引き出そうとすることに、集中しちゃうところがあって。
ただ、その会話の線上の先に、笑いがあったら、いいとは想います。
本当に、自分を想ってくれる存在がいたら、もっともっと、生きた会話が交わせるはずで。なかなか、相手に気兼ねなくゆだねることができるような存在って、いるようでいなかったり。
僕の友人や周りでも、結婚されてご夫婦仲良くやっている人もたくさんいらっしゃいますが、だれもが、こころをお互いゆだねられていることが、よーくわかります。「いっしょに」が基本というか。
考えれば、あたりまえのことなのですが、 僕には、その当たり前のことが、なぜだか縁がなくて(笑) こころから、ゆだねられるという感覚って、どうなのでしょうね。
言葉を交わさないと、絆も繋がりも、強いものにならないでしょう。 言葉を交わして、分かり合える存在になったからこそ、沈黙の時間もここちよいものになるもの。言葉を交わさないでも通じ合えるというか。 もちろん、相手の立場にたって、思いやるこころがべースでね。
日ごろ、言葉の積み重ね、ひとつひとつ、本当に大切にしなくちゃいけない。それが大きく人生を変えることにも繋がるとおもうんです。
「ありがとう」「ごめんなさい」
それだけが、きちんと言える人になれれば、なんとか生きていけます。
そう語った人がいましたが、ほんと、それはごもっとものことですね。

みなさん、こんばんわ。きょうも1日おつかれさまでした。 こちら、広島は日中は比較的あったかくて。1日の寒暖差が激しい日が続いています。
透き通った空を見ると、こころまで透き通るようで この季節の空って、特に大好きです。
みなさんも、いろいろ忙しい時間、そして新しいことをはじめたり、余裕のない感じだったり、そして時間の流れ方がとても早かったり。
いろんな変化が自分の中、そして周りにあふれてくるのが、これから春までの間。年度末に向って、なにか新しいことをスタートさせる、その大切な準備の時間でもありますよね。
僕も、その時間の流れに乗り遅れないように。 しっかり1日1日、先の自分のために、決断したり、努力したりして、いろんなことを吹っ切りながら、進んでいかなくちゃって、あらためて想います。
桜の季節、笑顔でいられるように。
それではみなさん、またあした。 おやすみなさい。 あしたも、すてきな1日になりますように・・・

きょうの天気 くもり、ときどき、雨、のち晴。
お天気フルコースな1日。
でも、なんだかここちよい寒さというか、夜、都心を歩いていても、凍えるほど寒いのではなくて、歩いてて、ほどよい寒さだった気がします。
冬が大好きな私にとっては、冬の終わりを告げられると、気持ちが沈んでしまいます。冬よ、まだいかないで・・・
職場の人が、スノボへ行ったのはいいのだけれど、それを境に体調を崩してしまった。普段、都心にずっといる私にとって、県の北部の雪深さは、想像できませんが、やはり相当寒い。ことしも、都心はドカ雪もなく、銀世界をみないで、春を迎えるのかなぁ。
寒いと、腰を痛めやすい。 20歳代前半のころ、仕事で重たい荷物を持ち上げたとき、ぎっくり腰をやって、それ以来、腰を痛めることが、年に1度くらいあったりします。重たいものだけじゃなくて、軽くかがんだときとか。逆に、ランニングしてたり、テニスしてたりしても、そういうことはないものです。だから、そこだけは油断できない。冬の間はね。
今夜はカフェへ立ち寄るのはやめました。いろいろ買物もあったので。時間がなく・・・少し時間に余裕が出てくるので、また、カフェめぐりを再会していきたいなって、想っています。
昨年から、新店が都心を中心にたくさんオープンしました。 なかなか個性豊か。情報をきちんとまとめて、順番に行って見ましょう。 はたして、どれだけ行けるかな?
特上カバチ!! 初回と、第2回、どちらも見ました。どうなんでしょう。デコレーションされたテロップをつけたり、突然、桜井くんと、堀北真希ちゃんのコント風になったり、クイズになったり、番組の最後は視聴者クイズの当選者に、堀北真希ちゃんが生電話する生放送になったり。あれこれやりすぎだなぁ。ただ、難しい法律を、若い人にもわかりやすくっていう演出なんだろうけれどねぇ。
吉田栄作演じる青果店の店主さんと、田口さん演じる、同級生との借金のトラブル。結局、そうなるんだろうなぁっていう感じで解決しちゃったけれど。ただ、現実的なストーリーとリアリティ性が基本にないと、こういうドラマって難しい気がします。
原作がいっしょの「カバチタレ!!」の方が、やはりシンプルに、まっとうに作られてるように想います。(ただ、カバチタレ!!のほうが、原作からかなり設定を変えているけれどね。)
原作からみたら、カバチタレの深津さんと、極上カバチの高橋克実さんが、同一人物になるんですよね。たしか。(役名もいっしょのはず) 広い意味でいえば、常盤貴子さんと桜井くんが、これも同じ役になる。陣内さんと、中村雅俊さんも、同じ役名。
原作と、ドラマ化された2作との関係性が複雑ですよねぇ。 まぁ、できたら、きちんと原作どおり、広島が舞台だったらよかったのに。
孤独を選ぶのは簡単だけれど・・・/ソレイユとブルワリー
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人は、ひとりでは生きていけない。 だから、人は、愛する人が必要だし、やさしさも、大切です。
僕は、これからどういう人と出会って、どう人生が変わるか、それはわかりません、これから結婚するかどうかもわかりませんが、ひとりぼっちというのは、とても寂しいこと。だから、しなやかに人と対峙して、やさしくありたいって想うのです
よく、「わたしはひとりがいい」とか、「たくさんの友達なんかいらない」っていう人もいます。それも、対人関係が苦手な人だっているはずだし。それはそれだけれど、それだけじゃ、後できっと寂しくなるはずです。いまはよくてもね。
自分にとって、すてきな人と出会うには、いろんな人との出会うことが大切だということが基本なんだと想います。そこからひとつひとつのいい出逢いを見つけること。悪い出会いもあるかもしれないけれど、やりすごせるものはやりすごして、ある一定のしんどいラインを越える位になったら、手放す勇気だって必要なこともあるはずです。思いやりのない人も、人を簡単に傷つける人も、自分のことしか考えない人も、もちろん、合わない人だって、たくさんいらっしゃいますから。
孤独を選ぶのは簡単だけれど、ひとりにならないこと、いい人間関係を築くことって、簡単じゃないし。
人生って想ったほど長くないから。 少しでも、愛する人、仲間や家族と囲まれる時間でありたいな。なるべくなら。
いろいろ、人間関係には想うところがあります。 僕には、足りないものも多いですが、どうしたって生きていかなくちゃいけないのだから、ならば、ここちよく生きたい。人とも、ここちよい関係でありたいって想う。難しいことは考えないでね。
たくさんの人との出逢いで、学ぶことって多いし、自らをきっと成長させるはずですから。
さて、きょうの日記・・・
  
イオンモールソレイユ、買物するのには、いまはちと困る時期。 大幅なリニューアル中なので、閉店してるショップがとても多い。なかには、僕がよく利用してたお店が、なくなっちゃってるケースもあって。ただ、4月には、どうテナント構成が変わっているのか、楽しみでもあります。きょうは、洋服を買いに来たわけでないのですが。
先週、キリン広島ブルワリーの8月末での閉鎖が発表されました。なんだか寂しいですね。かつて、キリン広島工場があったころの光景は覚えていますが、あの古い要塞のような建物。その時の広島産キリンビールの歴史が、ことしとうとうついえるわけですよね。
タンクに描かれた歴代のキリンラガービールのラベルの絵、いままでじっくり見たことなくて。きょう、案内板とともに、じっくり見てみました。広島産だからこそ、ビールの味も美味しく感じたし、愛着を持っていたように想います。「キリン広島じゃけん」なんていう、地域限定ビールもありましたよね
キリン広島ブルワリー閉鎖後は、イオンモールソレイユが増床される。どう新しい建物作るんだろう?アルパーク北棟みたいに、離れ離れにするのか、イオンモールの、モール部分を延ばすのか。これから気になるところですね。
みなさん、いい週末を過ごしましたか? 私は、きょうだけお休みでした。 あしたから、また新しい1週間のスタートです。まっさらな気持ちで、いいスタートを切っていきましょうね。
それでは、みなさん、またあした。
下の3つのシリーズCM(テレビ埼玉の局CM)もし時間あれば、みなさん見てみてくださいな。広島では放送されていないので。
非常に不可解でシュールなCM。 なんかはまってしまう、妙な不思議な面白さがあって。
ちなみに、2009年のACC CMフェスティバルでブロンズと、ジャーナリスト賞を受賞している
チャンネルはそのままで そのオチも、映像からは洒落になっていないような気がしますが。 3つのうち、2つは、完全にNHKのパロディーだし。
もし、埼玉県・東京都に住んでいたら、このCMみてしまうと、ずっと「テレビ埼玉」見続けてしまうだろうな。もちろん、CMのようなことは、決してしないけれどさ(笑)でも、ひとりくらい、同じことやって、テレビ埼玉しか映らなくしてしまったひと、いそうな、いなさそうな・・・
みなさん、おつかれさまでした。1週間、スマイルで過ごせましたか? こちら、広島は、ここ3日くらい、春のような陽気で、ずいぶん過ごしやすかったです。とはいえ、やはり通勤にはコートを着て、マフラーして・・・は変わらず。ただ、空気が気持ちいい!遠くのビルや山まで、クリアに見えているので。電車に朝乗っていても、それが楽しい。
さて、きょうのお話は、文房具のお話。
まずは、こちら。

一昨年から、爆発的に売れた、文房具界の大ヒット商品のひとつである、三菱鉛筆の「クルトガ」みなさんも、この商品名聴いたことある人も多いのでは?
いまの中高生は、誰しも持っているくらい、シャープペンシルに革命をもたらしたヒット商品。
筆圧による、芯の上下運動の度(1画)に、芯が約9度回転。40画で1周する。だから、芯の偏減りがなくなり、どんだけ書いても、均一な太さで文字が書ける。
自動芯回転機構「クルトガエンジン」という名前のメカが搭載されていて、3つのギアが動くのです。クルトガのグリップ部分が透明になっているので、そのメカニズムを見ることができ、マークによって、どれだけ廻ったかも、確認できる(こういう演出もうまい!)
というペンシルなんですよね。
私、いままで買おうかな?と想いつつ買わずじまいでしたが、ちょっと前、買ってみました。ただし、私が買ったのは、0.3ミリのもの。このペンの利点を活かすのは、むしろ細いシャープのような気がして。これで、手帳などで小さな文字をどれだけ書いても、細い文字が綺麗に書ける。そして、0.3ミリのシャープペンシルに付き物の、「芯が折れやすい」「紙を引っかく感じの違和感ある書き味」が解消されたことが、なにより気に入りました。
いま、ほぼ日手帳のバタフライストッパーに差していますが (これで、ぺんてるのマルチ8オートマチックペン、三菱のマルチ5とともに3本ささっている)
ただ、仕事で使う小さい手帳も、このクルトガを使いだしました。

続いての、文房具のお話
文房具の足し算 和田哲哉著
文具サイト「ステーショナリ^プログラム」主催であり、「信頼文具舗」の店主である、和田哲哉氏の著書。 ど真ん中の文房具エッセイ。 文房具の使い方に着目したベーシックな、生きたカタログ集。
各ページ、文房具を足し算している。
「封筒」+「ラベル」 「文房具」+「カラー」 「文房具」+「喫茶店」 「カッター」+「カッターマット」 「ペン」+「ペンケース」 「万年筆」+「インク消しペン」 「透明ふせん」+「クリップボード」 「書類」+「ソーター」 「ケータイ」+「ストラップ系文房具」
などなど、
文房具を中心に、シチュエーションやそのほかのツールなどと足し算したらどうなるか どう世界が広がるかを、写真と文章で綴っている
文房具に愛を注いでいるというか、文房具に対してのあたたかいマナザシが感じられる文章。
きっと、文房具が好きになる。 もっともっと、文房具の世界が、広くなる一冊だと想います。
「万年筆」+「手ぬぐい」などは、万年筆が和モノが似合うという理論で、ピンクの淡い手ぬぐいをロールペンケースのようにして、大切に持ち歩く。折り方も工夫して。目からうろこです。
「透明定規」+「不透明定規」にしても、それぞれのメリットを語っている。 定規のエッジ部分の形状と仕上げのよさ。それによって、引かれる線も違いが出てくる そこまで考えて定規を選ぶと、楽しいですよね。
また、クリップボードや、スケッチブックにも着目。 クリップボードが意外と、役に立つ文房具で、もっと持ち歩いたりしてもいいのに・・・という文章を読んで、なるほどと感じました。その場で机の代わりにもなるわけですし。スケッチブックほど、鉛筆との相性のよいものはないからこそ、もっと生活に取り入れたらいいのに。
まぁ、一番共感したのが、やはり「文房具」+「喫茶店」 喫茶店って、僕の第二の書斎でもある。 ノートを開いて、考えごとをする。 それを書き入れる ときには、手紙を書いたり、便箋をカスタマイズしたり
ただ、この本では、お店の迷惑にならないように、シャープペンシルの芯が折れないよう、0.7~0.9ミリのものを使う。そうしたら、テーブルの上が散らからない。なーるほど。
あとは、お店を出るとき忘れ物をしないこと
たしかにね。
帰り際、じっくり席を見直すクセはつけなくちゃ。
なかなかおもしろ本ですよ。
最近は、ロフトではなく、東急ハンズへ訪れることが多い。ここでしか手に入らないものもあるので。(新しいほぼ日手帳が発売されることは、ロフトへ行くことが多い)ハンズの場合、自分でなにか作るとかアレンジするというとき、その材料や道具を買う場合が多いです。
それとは別に、雑貨店やステーショナリーショップへ向うことも。ほら、マスキングテープとか、便箋やポストカードなんかは、ここのショップじゃないと!というものが多いから。広島も、すてきなショップがけっこう増えましたしね!
文房具を楽しむ環境、広島でも少しずつ整ってきた気がします。 なにより、普段から、ステーショナリーマガジンのような雑誌や、雑貨・ステーショナリーをテーマにした本を読んだりして、こういうのが欲しい!というものを積み重ねることって大切。それがあってこそ、イメージできるわけですもの。
このペンケースに、その色の、どのペンを入れようとか。 引き出しに、このはさみやこの定規を入れておこうかとか。 そういうコーディネートをするのって、楽しいものです。
街を歩いて、気に入ったお店に出会ったら、そこに、広島では手に入らないだろうと想っていた雑貨や文房具に出会えてたら、なかなか幸せなことですもの。
東急ハンズやロフトって、自分の文房具箱のなかの一つって感覚なんですよね。
ただ、新商品もたくさんで続けるし、あれこれ見てしまうときりがないのが悩ましい。使わずに、どんどん増えてしまう文房具・ステーショナリーのことを想うと、慎重に(ただ、輸入ステーショナリーのお店などは、一点ものだったりするから、慎重になれないこともありますが)
これから、買い揃えたいものも、あれこれ 人に手紙やモノを送るためのものは、すぐなくなるので、幅広く買い揃えておきたいものです。
みなさん、いい週末をお過ごしくださいね。おやすみなさい。

鏡割りをしたお餅を、ぜんざいにしていただきました。 甘いものが大好きな僕にとっては至福の時。 普段、洋菓子をいただく機会が多い私にとって、この時期は和の甘味をいただく機会が比較的多い気がします。もちろん、お餅をいただくことも多いし。こうしてぜんざいも、抹茶と美しい和菓子とか、甘酒とかね。 意外と、和の甘味というのは、身体にいい、太らないというイメージもあるのですよね。
僕の地元のかくれた銘菓っていうのも、近いうちご紹介しましょうかな。
きょうもおつかれさまでした。 夜、ある友達と待ち合わせして、カフェで1時間くらいだろうか、お話の相手をしていました。(いろいろお話聞いて欲しいことがあったみたいで)仕事のことは、僕とは業種違いというのもあって、アドバイスなんてできるものではないんですが、相手のいいたいことは、ふむふむと、理解できるものではあって。言葉にして、吐き出すことで、少しでも楽になればいいだけれど。ま、これくらいならおやすい御用です。
直木賞と芥川賞が、先週決まりました。 ただ、芥川賞が、11年ぶりに該当作なしに・・・ これは、寂しいんですよね。私の仕事的にも。 直木賞が、佐々木譲さんと、白石一文さんの2人が選ばれたからいいものの。
芥川賞、けっこう候補作の作者、話題性のある方がいらっしゃったので、なおさら残念ですね。松尾スズキさんとか、候補初の兄弟の競作となる大森兄弟とか。
白石一文さんの「ほかならぬ人へ」は、ぜひ読んでみたいな。どことなく主人公に近いものを感じたりしそうだから。

きょうは、あいにくの天気でしたね。 広島都心は、午後からパラパラと雨粒が・・・ そのせいか、この季節とは思えない暖かさ だからって、もう春だ!って油断はしちゃいけないよね。
都道府県対抗男子駅伝の看板を、発着点となる平和公園前に見かけた。バナーは毎日のように見かけるのだけれど、この看板を見ると、号砲も近いってことを感じます。 もう、そういう季節なんですよね。僕は、仕事の途中で見に行ったことはあるんだけれど、お休みの時、わざわざ駅伝応援にいったことは、いままでないような気がします。でも、機会があったら、旗を振って応援してみたいなぁって想いますが。
おそらく、この日記を読んでる読者の方で、西区や佐伯区、廿日市市の、駅伝コース沿道沿いに住んでいる方にとっては、恒例行事であたりまえのように応援に繰り出すのでしょうね。
僕も、小さいときは、かつての「中国駅伝」の応援に毎年行ってたけれど。西条とか、海田とかとか、その沿道沿いに住んでいたので。
この駅伝が終わると、春へのスピードが増していく感覚になるものです。
きょうは短い日記です。 みなさん、あしたもステキな1日になりますように。 やさしい時間が流れてゆきますように・・・
おまけの日記 「シルシルミシル」のAD堀くん、ついにお初の店のグルメ本を出版! どこまで、堀くんの旋風が吹きまくるのだろうか? 広島でも、おそらく売れるでしょう
仕事の昼休み、食堂で遅い昼食を食べていて、 ふっと、流れていたテレビに目をやると、 ちょうど、漫画家の紫門ふみさんが出演してた。
街頭の女性からの恋愛相談の中で、 「どうしたら、男性から好かれるのか?」との問いに、柴門さんは・・・
「聞き上手になること」
もうひとつは、
「わー!、すごい!、すてき!」
みたいなこと言っていれば、
誰だって男性にもてます!!
と、明快に答えていた。
まぁ、後者は実際どうなのか、なんともいえないけど、 (きちんと相槌を打つということ、褒め上手になることという意味ではそうかもしれないけれどね)
前者は、たしかにいえること。 聞き上手であることは、ほんとうに大切なことだもの。
僕が思うにね ただ「聞き上手」じゃだめで。 やはり、お互いがここちよい時間となるために 相手のことを知りたい、興味を持つ・・・ そういう姿勢が、ちょっとでもあるべきですし。 自然とそういう要素に向うためには、 自分自身が、こころに奥行きがあって、引き出しがあって 好奇心旺盛な、いい生き方をしていることが、必要かなって想います。
「聞き上手に見える相手が、本当に自分に興味があるのか、社交辞令で言っているのか、どうなのか」って、意外とわかるものですし。
恋愛となると、とくにお互いがそういう姿勢で対峙することって、大切だと想うのです。少なくとも、人を好きになると、相手のことをひとつひとつ知りたいって想うのが自然の流れですものね。ゆっくり、お互いが相手のお話をしっかり聞いて、2人で共感して、相手に近づきたいって思ったり。 そうやって、こころが通じ合える関係になればこそ、逆に沈黙の時間も、お互いにとって、ここちよい、満たされる時間に変わるものですが。
お仕事をしていて、たとえば、お客さんや取引先さんと会話するとき まずは、自分が聞き役になることを心がけている。 とにかく、相手のふところに入ること。相手がなにを望んでいるのか、相手の言葉の裏にある想いとかを、自分がきちんと受け取ることができなくちゃいけない気がします。ワンサイドミラーにならないようにね。それを踏まえてうえで、自分の想い、考えを、簡潔・的確に伝えていく
人と対峙すること、言葉を交わすことってね、 緩・急っていうのが必要だとも想います。
聞き役に徹するだけじゃいけなくて、 ときには、自分はこういう人ということを、言葉にして伝えなくちゃ。考えを伝えなくちゃ。要は、緩・急のバランス。
ピッチャーだって、剛速球だけじゃだめでしょ?ときには、緩い球で相手のタイミングをずらしたり、変化球を投げたり。
会話だって同じこといえるはず。
基本は、聞き役であるべきですが、 自分のこと、たとえば、自分の失敗談のような、緩いことを語ったり、相手がドキッとするような、相手の心にぐさっと刺さるような、変化球のようなことを言ってみたり。
緩・急は、必要ですよね。きっと。
相手の立場に立って、相手のことを思いやる余裕をもてるか。 自分から、しなやかな言葉を簡潔に伝えられるか・・・
話はちょっとそれるけれど、 柴門ふみさんのこれまでの作品も、テレビで振り返っていたけれど、 やっぱり、一番印象的なのは、「東京ラブストーリー」でね。
このドラマ見てた人ってね、 「リカ」「さとみ」どちらがタイプ?なんて会話、してた人多いのでは?
阪神淡路大震災15年特集ドラマ その街のこども
きのう、震災から15年。 その夜、NHKで放送されたドラマ。
非常に実験的なドラマ。 フィクションとノンフィクションの境界線上にある、リアリティの空気がピーンと張り詰めて、それ以外のものは、排除された作品になっていた。
1月16日の夜、勇治(森山未來)は、広島への出張の途中、かつて住んでいた新神戸へ下車する。そこで、美夏(佐藤江梨子)と知り合う。ともに被災者であり、震災が原因でずっと心の傷を負っている。2人は、いままで避けていた、震災の辛い記憶を語り合いながら、夜の神戸の街を歩く。目的地は、美夏が行こうとしていた、早朝の神戸・三宮の東遊園地で行われる「1・17のつどい」の会場。一晩中、神戸の街を歩きながら、こころの傷を吐露し、想いがあふれ出し涙する。過去の想い出の地を歩きめぐることは、一夜のロードムービーといえるかもしれない。2人が、震災というテーマで対峙した末のラストシーン、東遊園地の前で、2人は抱き合い、そして別れる。
実際、森山くんも、サトエリも、震災を経験している。 だから、たとえば、居酒屋での長い会話のシーンは、本当に2人の震災の思い出を語り合っているのではという感覚に陥る。演じている2人にも、それぞれの震災の想いを込めて、素で演じている部分があるのだろう。会話があまりにリアル。
「焼き芋を2000円で売ってたねん。ありえんやろ。だから、石ぶつけてやったんや」
(震災直後、お金を何倍もふっかけて商売していた店があった)
美夏を演じるサトエリの、そんなセリフが、一番リアリティがあった。
それを「ふっかけるのも、あたりまえ」と、クールに返す勇治。勇治の父も、当時屋根職人として、おなじようにふっかけて商売して、なんとか生きようとしていたが、勇治はこれが原因でいじめに逢い、その後東京へ)
そんな2人のリアリティある言葉のやりとりが、こころに痛く、そして、だんだん涙を誘ってしまう
非常にリアリティがある。 でも、まったく演出的に装飾されていない。 まさに、ドキュメンタリー的なドラマ。
ラストの1・17のつどいのシーンは、実際のきのう朝、撮影されて、すぐにドラマに使われたそうです。そのことも、リアリティがある理由かもしれない。
斬新な手法で、震災のドラマを制作したNHK、この作品は秀作だと想います。
僕の周りで、震災のあった日を覚えている人が少ないことに驚いたりした。僕は、時間まで覚えている。
15年前の、この日のことは、日記でその都度書いているので、ここでは書きませんが、これから先も忘れることはないでしょう。
神戸市の人口にしめる、震災以降に生まれの人が1割を越えた。 これから、この震災を語り継ぐ、継承が大切になってくるでしょうね。きのうは、震災の番組をたびたび見ながら、涙ぐんだり、考えさせられたり。
人を救うのは人しかいない。最後には。 人との絆って、どんなに大切かということ。 日ごろ、私も、そのことは意識して、生きていかないといけません。
 
 
みなさんは、とんど祭りへ参加されました? 先週末と今週末、県内でも各地で行われている、小正月の行事
僕はね、いまのいままで、この「とんど」という行事は、こちらの地方特有の行事だと思ってた。神楽とか、お盆の灯篭のようにね。
でも、いまウィキペディアで調べてみると、全国でとんどって行われてるんですね。知らなかった・・・全国がとんどって呼ばれるのではないみたい。各地で、呼び方がことなるけれど、とんどって呼ぶ地域が一番多い。
とんどで焼いたお餅(鏡割りしたお餅)を焼くと、病気にならないとか、お習字を焼いて、それが空高く舞えば字が上手になるとか。いろいろな諸説あるわけですが。物心ついたときから、あたりまえのような行事になってて。でも、僕の町内では、きっときょうのこのとんど祭りだけなのだろうな。
やはり、とんどを作る、父兄が多いこと、とんどの作り方を知っている人がいること、材料を集めることができること、燃やしても大丈夫な場所があること・・・いろんな条件が必要になるものね。
大きなとんどが2つ作られていた。お正月の飾り物や注連飾りなどがたくさん集められて。お餅やお神酒が振舞われていた。僕は、豚汁を、ハフハフしながらいただきましたよ。
きょうは、寒いかと思ったけれど、ことし初めて、陽射しがあったかいって感じました。春の訪れ、ちょっぴりみーつけた。
 
疲れたとき、考えが行き詰まったとき、気分転換スポットとして、 地元の瀬野川をふらり歩いたりするのが好き。
もちろん、ウォーキングコースとしても整備されている、河岸緑地も、ひろびろしてていいのですが、この瀬野川にたくさんかかっている橋も、ひとつひとつよーく見てみると面白い。人が一人通れるほどで、ほんわかした色合いの欄干がある、かわいい橋もあったり。かたちも、アーチ型だったり、直線型だったり。意識してみるとおもしろい
橋から、河岸緑地帯を見下ろすと、自分の影が映し出されて、もうひとつの自分をみて、ふっと客観的に捉えることができたりして。
この瀬野川ね、意外と、誰かと訪れたってことがないんです。 もちろん、僕が通っていた高校は、瀬野川の河口近くにあったので、誰かとたくさん訪れてるけれど、河口近くは工場地帯の雰囲気なので、今回のエリアとはかなり異なる。
芝生に座って、語り合うとか、バトミントンのような、なにかスポーツするとか、四季折々に行われるお祭りとかフリマに誰かと参加するとか、お花見するとか、そういうのがないんですよね。犬なども飼っていないので、愛犬と散歩という経験もないし。すごく意外です。
自分だけの、陣地というか、自分ひとりがふっときたくなる場所とでもいうか。理由はよくわからないけれど、ホッとするんですよね。
東京・東広島方面から、国道を走ったり、電車に乗っていて、瀬野川の河川敷を目にすると、いよいよ地元に帰ってきたなと、安堵してしまうものです。
風邪が、まだ全快とはいかず。 ずいぶん長引くなぁ。 今週は、PCをゆっくり開く時間もなくて。週末は、なにも考えない時間にしたかったのです。
 
自分へのごほうび・・・ いや、単なる冬バーゲンの戦利品の一部です。 いいものを、長く大切につかいたい。 そう想う部分も持ちつつ。 年が明けてから、賢くバーゲンでお買物したような気がします。
でも、身の回りのものは、妥協はあまりしませんよ。 自分はこれっ!っていうものを大切にしたい。
左はウォーキングシューズ。右はマフラー(ベネトン) どちらも、こういうのが欲しかった!っていうのがあって。 マフラーは、ここ数年、単色系ばかりだったので、今回はストライプに。でも、どの洋服にも合わせやすいし、アカルイ印象になるものです。
 
本当に寒い1日でした。 仕事自体は、室内なので、外気を日中感じ取ることは、時々しかないのですが、でも、たとえ室内でも寒いものは寒い。
一番、寒さを感じるのが、帰宅途中。 広島駅で、ちと買物のため、南口から、新幹線口へ向う。 地下の自由通路を歩くだけでも、かなり寒くて足速になってしまうもの。
南口とは違って、新幹線口(北口)へ行くと 新幹線や高速バスがメインというのもあって、「遠くへ行きたい」モード全開になってしまうものです。駅の壁面の巨大看板も、新幹線を使う旅のものだったりしますし、コンコースも、出張や旅行だとすぐわかる、おおきなカバンを持った人が多い。買物エリアも、みやげものとか、広島名物の食べ物の店がメインとなる。(タブレットのような鉄道マニアの店もあるけれど)
新幹線口を出ると、若草町の再開発事業が大詰めで、高層の建物がいくつも出現している。写真のホテルが開業すると、ますます、北口はビジネスマンや旅行者の比率が高くなりそうです。
うーん、旅に出たい。 パンフレットを2、3部手にとって、電車で読むことが多い。きょうもそういう日になりました。
冬に行きたい旅といえば・・・みなさんはどこかな? 僕は、本音はどこか静かな温泉地であったかほっかほかしたいですが 映画とかサスペンスドラマなどは、よく冬の北陸や東北が描かれていたりします。一度、寒風吹きまくる日本海側の断崖絶壁で、コートの襟を立てて、かもめを見つめながら、ひとり歩いてみたい。そんなシーンを体験してみたいものです。
そんなこと考える前に、まずは風邪治さないと・・・
ルビコンの決断「前代未聞の商店街再生 20年間の軌跡」
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ルビコンの決断「~前代未聞の商店街再生 20年間の軌跡~」を興味深く見ました。
以前より、なにかの番組で(ワールドビジネスサテライトだったかな?)高松市にある高松丸亀町商店街が、全国でも画期的な方法で、商店街を再生したというニュースを見たのですが。その再生の過程については、詳しく知らなかったので、今回、ドラマ形式で詳しく知ることができた。
バブル崩壊に加え、大型店の進出・・・ このままじゃ、商店街がシャッター街になってしまう。その危機感を覚えた、靴屋の店主さんが、東京から乗り込んだ都市計画の専門家の女性とともに、商店街を新しく作りなおすという計画を立てた。しかし、商店街の店主のほとんどが、反対し、激しく対立する・・・しかし、その後の不況やたくさんの大型店進出で、シャッターを閉じる店は増えるし、商店街の構成も、どんどん衣服テナントや銀行ばかりになってきた。だんだん、他の店主たちにも、危機感が
いろんな苦労の過程があって、商店街会社が、すべての土地を一括に借り上げて、店を再配置する。そんなリスクを背負ってでも、再開発を進め、商店街の建物をすべて新しいビルに建て直し、商店街をひとつの大きなショッピングモールと考えて、美しいモールのような商店街が、20年かけて作られた。広場やベンチなども設けられ、イベントも開催され。また、街区ごとに、それぞれの業態を集めて、整理し、買物しやくすした。この商店街だけしかあじわえないうどん店や、スゥイーツの店など、商店街全体のいいバランスを作るため、業態変換するお店も。(発案した靴屋さんも、自分がまず率先してやらなくては!ということで、うどんやさんに業態変換した)再開発ビルの上階はマンションになり、商店街に住む住人の数も飛躍的に増え、買物客がまた増えていく。
都市計画を、街全体、商店街全体で考えて、作り変えることで、衰退を食い止めるということ。なかなかできることじゃないけれど、成功した例もあるんですよね。
大型店ができたから、不況だからダメと、あきらめることは簡単だけれど、みなの意識を180℃変え、商店街を無くさないという情熱さえあれば、充分対抗し、魅力ある商店街を作り直すことができるものなのですよね。
商店街・・・ 広島の街って、商店街って意外と多いのですが、すごく盛り上がっている商店街って少ないな。本通や金座街を見ていても、老舗は少なくなって、衣料品やドラッグストアがたくさん。商店街としての業態のバランスがあまりよくない気はしますね。
今秋からのNHK連続テレビ小説は、尾道と大阪が舞台
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今秋からのNHK連続テレビ小説
尾道と大阪が舞台の「てっぱん」に決まったそうです。
広島県が舞台になるのは、32年ぶりだそうとか
お好み焼き店を開業したヒロインが、さまざまな経験をしながら成長していくという物語・・・
尾道って、大林映画の尾道三部作・新尾道三部作がの映画が公開されるたびに、にわかに注目されてきたわけですが、
今回の連続テレビ小説で、再び、全国的にブームになるかな? 観光客が増えるかな? 広島風お好み焼きも、大ブーム!! と、なればいいけど。
ただね、お好み焼きのお話ならば、やはり舞台は広島市内じゃないと。
尾道とお好み焼き、どうしても結びつかん!! どちらかといえば、府中焼きに近いのでは?
僕も、尾道でお好み焼きなんて、食べたこと無いよ
  
 
2年前、カフェを特集したテレビ局の番組で、私が企画・出演した際、 取材先で訪れ、お世話になったカフェの一つへ、再び訪れました。
安佐南区の「モンシュシュ」
森の中のカフェ、手作りや、フランスの雑貨、カフェボール、元釣り堀、やさしい店主さん、ハッピーになれる料理やスゥイーツ、やさしい時間がゆったり流れる・・・
私のカフェ案内のページや、その番組をご覧になった方は、上に書いた言葉の感じだということは、ご存知だと想います。
雪がまだ残るお庭から、そのカフェのドアを開くと、 僕の顔を見た、店主さんは、すごく喜んでくださって、思わず握手! (お店には、お客さんがたくさんいらっしゃったから、さぞかし驚かれたでしょうね)
2年前の、こちらを取材したときの想い出話と、冬のモンシュシュの様子など、たくさんお話伺いました。
野菜は地元戸山の農家さんの有機野菜。これが本当においしい。 店主さんは、この野菜にほれ込んで、カフェというより、むしろごはんやさんとして、いまはこのカフェを続けてらっしゃる。
あの笑顔と、かわいい、やさしい語り口は変わらない。
「あの放送、見られました?」と聞いたところ、
「はずかしくて・・・ワンセグ携帯と遠くから見るので精一杯でした」と語られてました。
実際、あの番組、そしてわたしのホームページを見て来ました!というお客さんがいまも多いそうです。そのお話を伺って、本当にこころからうれしかった。
店主さんは、「縁ってすごいですね」とおっしゃっていましたが、私も、こうしてたくさんの人々を結びつける、そうした役割を、ささやかでもできたことが、幸せに想っています。
私は、冬のブランチセットをいただきました。 その美味しい野菜を使ったホットサンドと、クラムチャウダー、ミニデザート、サラダ、紅茶。星型に切り抜かれた野菜はとてもかわいい。食器も、もちろんフランスのカフェのよう。
そして、手作りの「ヤマイモのコロッケ」を、ご馳走になりました。いま新しいメニューとして人気なのだそう。ヤマイモの食感だけど、とってもおいしかったです!
2年前より、雑貨が格段に増えた。 店内だけでなく、外のデッキにも、フランスのカフェボールやカップがたくさん、古いナチュラルなテーブルなどの上に、アンティークなタイプライターなどとともにディスプレィされていて、とてもすてきでした。
2時間くらい、過ごさせていただき、こころもおなかもいっぱいになりました。

帰り際、店主さんが、ご家族にどうぞ・・・と、 「ロールケーキ」をプレゼントしてくださいました。いちごたっぷりのふわふわロールケーキ。もちろん、モンシュシュではおなじみの、エッフェル塔の描かれた手作りの旗が立っていて。 もう、感謝感謝です。ありがとうございました。 美味しくいただきます。
  
風邪もまだ治りかけだというのに・・・ 早朝、私、走りました。町内マラソン大会に。(駅伝の後、行われた)
「○○くん、ぜひ走りなさい!」
と言われ、参加することになっていたのですが、風邪を理由に辞退するつもりでした。でも、断れない性格というか、好奇心に負けたというか、せっかくだからと、最後まで断りきれず。意を決して走ることにしました。けさは、体調も比較的良かったので。
久々に、長い距離を走ったけれど、やっぱりしんどいわ。 以前なら、むしろ楽しく走れたのに・・・ 普段、トレーニングをしていないと、すぐにこうなるものです。 中学生なんかに抜かれたりすると、やっぱりくやしいもの。
コースは、町内をぐるっと1周する。けっこう坂を登ったり下ったり。沿道からは「ガンバレー!」の声援。でも、余裕はまったくなく。なんとかゴールをきったけれど、そのまま倒れこんでしまった。箱根駅伝の選手のしんどさが、よくわかる(笑)
普段から、きちんと運動しなくちゃな。またやらなくちゃな。 マラソンの後は、炊き出しのうどんやジュースをいただきました。
きょうの午後の出来事についての日記は、 またあしたの日記に書きます。
続く・・・
  
広島駅。 きょうも、夜、ここを利用していて。 ふと、最近思うことを、つらつら書いてみましょう。
通勤で利用する、この広島駅ですが。 夜、ゆっくりカフェでお茶したり、食事をするという街としては、物足りない気がしています。
おしゃれなカフェができにくい街。 メジャーなカフェチェーンにしても、シアトル系は、駅ビルアッセのスターバックスコーヒーのみというのは、大都市の駅ターミナルにしては、寂しい。(珈琲館とか、サンマルクとか、ドトールはあるし、エールエール内にも、イノダとか尾道浪漫珈琲はある。ただ、どれも分散していて、一体感はない。)
どちらかといえば、カフェではなく、喫茶店文化がずっと引き継がれている。
純喫茶パールをはじめ、昭和30~40年代のままの佇まいの喫茶店・カフェが残っているのも、広島駅南口である。ただ、夜遅くまで営業しているわけではないので、日が暮れてから訪れるというわけにはいかない。
また、駅ビルアッセには、風車といった、広島の喫茶店をリードしてきた代表店がいまも営業されている。
若い人が気軽に入れる、若い人がお店をはじめる、いや、夜遅く、せめて終電近くまでされているカフェは、ほとんど皆無に近いのではないでしょうか。
居酒屋さんにしてもそうで、誰でも知ってる大手チェーン店か、愛友市場の立ち飲み・大衆酒場という、極端な2つのジャンルが存在していて。若い女性が好むようなお店は、少ない。夜遅くとなると、かなり限られてしまう。

たしかに、デパートもあって、ターミナルもそこそこ立派で。 でも、なにかが足りない・・・全体的に街のイメージが散漫で、バラバラで、いまいちコレッ!っていう長けたものがないからかもしれませんね。
京橋川沿いの河岸緑地にに、おしゃれなカフェやレストランが、屋台のように並んで、人気を集めているけれど、それこそ、駅前大橋のそばに同じようなものを作ったらいいのにって、日ごろ思っています。
学生のころ、広島駅南口で、毎日行われていた、テレビ(広テレのテレビ宣言)の中継に、出演したこともあります。もちろん告知のフリップを持つ係りで。毎日、いろんな人がテレビに出演してたわけですし。
エールエールがまだできる前、路地に毎晩出ていた屋台へ。 学生だった僕たちは、ここで、ビジネスで広島にやってきた人たちや、会社帰りの人たちと肩をならべて、美味しいラーメンやおでんをいただいてた。そうした人と会話したりして。庶民的な、若い人も県外の人も、気軽に触れ合える。そんな人情のある街
いま、再開発も停滞していて、 街の方向性が、洗練されたものに振るか、昔ながらの街のままに降るか。 どっちつかずのままになっている。ちょっぴりもったいないなぁって。感じます

新年がはじまると、新しくするものがある。
この、クロネコヤマトのカレンダーもそのひとつ。
ことしは、縦型の形にモデルチェンジしたけれど、
なかなかかわいくて、使いかってもいいのです
(昨年は、3冊くらい、仕事場において帰ってくれたのですが、ことしは、まったくいただけず。ヤマトの人に、「もしよかったら、くださいな」と言ったら、ことしになって、1冊もってきてくださった。ありがとうございます)
それといっしょで、家の台所の冷蔵庫には、毎年、「ヤクルト」のカレンダーが固定席のように、マグネットで取り付けてる。このヤクルトのカレンダーって、たしか世界で一番数が出回る、発行部数のおおいカレンダーとしてギネスに認定されてたんでしたよね。
この不況で、企業のカレンダー頒布も、少なくなってるのかもしれないけれど、ずっと使い続けて、毎年楽しみにしている人もいるわけで。
続けていってもらいたいものですね。 意外と、広告効果ってあるとおもうんだけれどなぁ
  
きのうの夜は、都心も雪がちらついていて、とても寒かった。 1月って、本当に時間の進み方が早く感じます。暦の上では、すでに春ですし、お正月が終わるっても、次々と行事が行われていく。たとえば、とんどとか、鏡開き、広島であれば、これから各地で牡蛎祭りも催される。雪もこれから降る日があるだろうけれど、違う時間の進み方で考えれは、春が着実に進んでいる。
もっともっと、冬を楽しみたい。冬が大好きな僕は、 ちょっぴり焦ったりしてしまいます。 雪だって、どうせなら、かまくらができるくらいの雪が、積もってほしいな。1日くらいは。
きょうは、七草粥を食べる日。 お正月、たくさん食べたわけではないので、胃を労わることも必要ないとしても、年中の恒例行事、季節感を大切にする暮らしの中では、七草粥をいただくのも、当然のこと。僕は、わりと塩の利いた味が好き。すーっとお粥って身体に入っていく食べ物ですね。
この時期は、どこもバーゲンセールで盛り上がっている。 私も、あれこれ身の回りのものをバーゲンを利用して買いました。ウォーキングシューズとか、シャツとか。
イオンモールソレイユへ、夜ちょっとだけ立ち寄ったのですが、びっくりするくらい、「えっ、このショップも閉店!?」っていうのが多くて。4月になったら、イオンモールのショップも様変わりするのかな。
ナフコ21スタイルとか、アンデルセンとか。 僕にとって、すごくなじみあるお店が、なくなっちゃうんですね。 あと、フレッシュネスバーガー まだ、1度も行ったことないや。閉店までに、1度くらい、食べにいってみなくちゃなぁ。
手帳とか、カレンダーに、ちょっとした歳時記が載っている 1年も、スタートしたばかりですが、こうした歳時記を、ふっと目にしながら過ごしていくと、普段暮らしの中で、目にする光景だけで、季節を感じるのではなく、昔ながらの人々の知恵とか風習とかによる、「季節」を感じることができる。そこで、何かをやってみよう。鏡餅をとんどで焼こうとか、うなぎを食べようとか、菖蒲湯に入ろうとか・・・
ちょっとしたことだけれど、それを意識したほうが、より、やさしい時間を作ることができる気がします。
以前、僕は茶道を習っていたことがありましたが、 凛とした時間が流れる「初釜」からはじまる、年中のお茶会、季節ごとの美しい菓子、軸、茶碗などから、季節をしなやかに感じ取る。なんだかすごく贅沢な時間だったということに、いま強く感じます。
手紙を書いていても、季語というか、季節の挨拶というか そういう言葉だけでも、記すことで、相手と「現在」という時間のなかでやりとりしている意識にさせられるものです。
季節を感じるには、いろんな要素がありますが 常に、こころに余裕を持たせていて、そこに、情報などを感じ取るアンテナを持って、その要素から受け止めることは、していけたら、1年の日々の暮らしも、もっとやさしいものになっていくのでしょうね。
  
  
  
  
そごう広島店の屋上プレイランド。
そごう開業以来、30年以上営業し続けてきた、屋上遊園地が、 11日で営業終了となる。
これで、広島市内にある7つのデパートで、 屋上遊園地は、すべて消滅してしまうことになりました。
僕は、幼い頃、ここで遊んだという記憶はないけれど そごうへ、よそ行きの服を着せられ、時々買物に訪れたとき ファミリーレストランで食事した後、屋上の様子を見て楽しんでいた。
昔は、ここのステージで、有名人がショーをしていたり いろいろなデパートの催し物も、この屋上でいろいろとされていた記憶があります。
もう、この時代、屋上遊園地では、デパートにとっての「噴水効果」が期待できないってことだろうね。
僕の中では、学生のころ、遊んだり買物した後、ふっと一休みするために、自然とここへ訪れて、ぼんやりしてた思い出のほうが強い。あと、サークルのコンパで、ビアガーデンに何度か訪れたとか。そのビアガーデンも、すでに数年前から営業をやめている
いまでも、昭和の匂いのする遊具、アトラクション、ゲーム機が数多くならんでいて。楽しそうなのだけれど。人はまばら・・・
広島都心で、こういうちょっとノスタルジックな世界を感じられるスペースは貴重だったような気がします。 たとえ人が少なくても、その光景だけで、あったかななつかしい気持ちにさせられるわけですから。
コースターや、メリーゴーランド、ゴーカード、ミニ鉄道、動物の乗り物、そして数え切れないほど設置されているゲーム機・・・これ、やっぱり撤去されるんだろうな。なんだか寂しい。古いままのスマートボールやインベーダーゲームなんて、広島都心でここ以外においてる場所は無いだろうな。昭和のゲーム機を楽しめる貴重な場所だったってことだろうね。
それにしても・・・
ナタリー、呉ポートピアランド、デパートの屋上遊園地、チチヤス 広島で遊園地と呼ばれてきた場所は、ことごとく閉鎖・終了されてた。 もう、遊園地と呼べる施設は・・・比較的新しい「マリーナホップ」の中の小さな遊園地くらいになりましたね。
広島人は、遊園地に飽きるのも、早いということなのだろうか。 遊園地にそれほど愛着を持たない地域性ってあるのかもしれないな なければ、なくてもいいよ!みたいな。
大河ドラマ「龍馬伝」
大河ドラマって、なかなか第1回見ただけで、作品は評価できないものです。おもしろそうだなぁって思ったものが、最終回まで見終えると、「うーん」という作品だったり、まったく期待せずに見続けていたら、最終回まで深くハマってしまったり。
龍馬伝の第1回を見ました。
強く感じたのは、やはり
「ドラマは、テンポが大切なんだなぁ」
ってこと。
龍馬伝、すごくテンポよくストーリーが進んで、スピード感があって、あっという間に1時間15分が終わってしまった。
前作「天地人」と、この点は、まったく逆です。雲泥の差です。
龍馬の子どものころを、たった30分しか描かなかったのも、正解のような気がします。このドラマは、とにかく福山雅治という注目が生命線なのだから。前作「天地人」は、子供のころを描きすぎてたなぁ。まぁ、そのことで、清四郎くんが注目浴びたのだけれど。
土佐藩の上士と下士、その差別について、明快に描かれていた。 龍馬は、争いを好まず、「いつか、国は変わる。上士と下士の差もなくなる」という立場。 おだやかで、かっこよい、女性が惚れるというキャラクターが明確になっていた。 まぁ、とにかく、テンポがよくわかりやすいストーリー展開。 なかなか上手いと想いました。
オープニングも、近年になく、手の込んだ映像ですよね。 なかなかいいのでは? オープニングに、主人公がそのまま出演する例は少ないけれど、その中でも、篤姫と並んで、大河史上、もっとも、主人公が大々的にオープニングに登場した例ですね。福山さん目当ての視聴者がたくさんいることを意識してるんだろうな
そりゃ、かっこいいわな(笑)
あとは、その福山雅治さんの演技力次第でしょうねぇ。 他の役者さんに、埋没しちゃわなければいいけれど。
大河ドラマでは、初のプログレッシブカメラでの撮影のため、 映像が、他の大河ドラマとはかなり異なる。色彩豊かで、スタジオセットでの撮影でも、それを感じさせないクオリティーのある映像になっている。
篤姫のように、ことしの年末、龍馬伝は果たして「大化け」するだろうかな?
毎週日曜の19時前・・・
サザエさんのエンディングテーマソングを耳にすると、急に憂鬱になってしまう
そういう人を「サザエさん症候群(シンドローム)」というらしい。 (ちゃんとした病名として)
ならば、
箱根駅伝の復路が終了して、駅伝のシーンの映像が映し出されるとともに、箱根駅伝のエンディングテーマが(やがて映像は、東京湾岸~都心~東京タワーの空撮映像とエンドロールに続く)流れてくると、
「あぁ、お正月も終わりなんだなぁ・・・」って
しみじみ思うのが、毎年のこと。
(昨年、新しく作られた久石譲作曲の中継公式テーマソングもいいけれど、3年前まで、長い間エンディングでつかわれていた「I Must Go!」の方が、やっぱりいいな・・・)
歓喜のゴールシーンに感動して、 繰上げスタートで途絶えた襷に悔し涙する選手に、こちらまでウルウルして。 城西大のように、初のシード権獲得とか、青山学院大学のように、約40年ぶりのシード権獲得で、よろこぶ選手をみて、よかったねぇと感傷的になったりとか。 昨年、途中棄権して、襷を途絶えさせてしまった選手が、ことし、再び走り、見事、襷を繋いで、出迎えた仲間に「ありがとう」といいながら号泣してる選手の姿をみて、またウルウルして。
そんな箱根駅伝を堪能して、番組が終わっちゃうと、一抹の寂しさ、憂鬱な気分を 感じてしまいますね。
わたしは、「箱根駅伝症候群」ってことなんだろうかな
 
夜、地元の温泉「さがの」へ行ってきました。
正月3ヶ日は、いろいろイベントをされていた。
その一つが、酒風呂。
実際、そのお風呂(「祝い酒風呂」と書かれていた)に入ると
酒のほどよいにおいがして、酒好きにはたまらないだろうなぁって思った。
(ただ、おそらく一升瓶の酒をそのままドブドブ入れたのではいだろう。湯の色も黄金色していたから、そういう酒の成分の入った特殊な入浴剤があるのかもしれないね・・・いや、酒粕を混ぜたのかな?)
たしかに、肌がツルツル。
お正月だけあって、お客さん多かったなぁ サウナに入ったら、広いサウナにほとんど人が座っていた。 テレビで、猛獣ハンターのいもとさんが、オーストラリアで猛獣と絡んでいたのをみて、サウナ中に笑いが巻き起こってました。
みんな、お正月はゆっくりお湯に浸かりたい・・・ でも、遠くの温泉地へは行かないけれど
その気持ちはわかりますね。
(さがのは、特に温泉宿みたいに落ち着いた雰囲気だからかな。温泉宿の料亭みたいなレストランも、にぎわってたみたいだったし)
  
正月といえば、
「しめ縄」「雑煮」「おせち」
雑煮は、しょうゆベースの濃厚な味。おもちと牛肉とねぎ。おせちは、簡単に。僕の大好きなかずのこは欠かせない。
お正月は、お正月らしく過ごすこと。 そもそも、僕は元日営業のショッピングセンターの意味がいまいちわからなくて。そこまでやらなくても・・・と本音では想いますが、内情を知っているいまの身としては、それでも売り上げが欲しいというのもわかるのです。お正月くらい、ゆっくり休みましょうよ!故郷に帰りましょうよ。みんなで。そのほうが、きっと景気も回復しますよ。スーパーも強制的におやすみにして。エコです。そのほうが。そしてそのほうが、「おせち」の本来の意味を成すというものです。
以前、ある、地元のスーパーチェーンの社長の記事が、地元経済誌にのっていて、その社長はこう語っていた
「まずは社員が家族を大切にできないと、社員の仕事も成果があがりません。だから、うちのスーパーは、正月3が日は全店休んで、家族といっしょに過ごしてもらうのです」
それくらいの余裕があったほうが、社員の士気も逆に上がるような気がします。(このスーパー、社内行事ということで、全店お休みになることも年に1回ある。社員と家族がどこか社内旅行するのだろうね)
せめて元日と、勤労感謝の日くらいは、原則仕事はお休みという法律でもつくればいいのに・・・なんてね。
お正月、みなさんはどうお過ごしですか? 私は、大の箱根駅伝好きなので、やっぱりきょうはテレビの前で駅伝観戦です。
柏原くんの、山登りの快走は、すごいのひとこと。 史上初の3年連続、区間新記録更新も、夢じゃないだろうね。すでに来年が楽しみです。
たこあげしてるこども、もう絶滅しちゃったのだろうな。 ほんと見かけなくなった。 もし、そういう光景を発見したら、通報・・・いや、保護しなくちゃね。
○紅白歌合戦の流儀
ずいぶん新しい形にしたいと、この3年で、いい意味で、しっかり改良が加えられたような気がします。
もちろん、構成や演出でね。
こども紅白、紅白のテーマソング、そして、サプライズ。 過去にあった、応援合戦のような、時代にあわない無駄なものごとを、排除して、歌の力を全面に押し出したことが、成功していると想います。
すくなくとも、紅白の質は、向上していると想います。
ただし・・・
出場歌手の選考は、もうすこし考えたらいいのに。
あの、メンバーが仲間割れしてる「東方なんとか」、礼すらせず、さっさと引き上げたメンバーもいて、ものすごく態度悪かったですよね。ああいう人を選ぶべきじゃないし、本人たちも辞退すべきでした。
どうしてこの人が選ばれるのか・・・ わからないアーティストが多すぎる気がしましたよ。
矢沢のエイちゃんが登場しましたね。 僕の予想通りでした。
2曲を歌って、気持ちいいコメントを残し、颯爽と去っていきました。 ふと、この人の登場をみて、昔、紅白に長渕剛が出演して、他の歌手の3倍以上の時間をつかって、延々と歌い続けて、他の歌手が痛烈に批判してたことがありました。それがちと頭をよぎったけれど、やはり矢沢さんは矢沢さん。そういうことがなくて、見てて気持ちよかったですよね。こういう大物ゲストにありがちな、他の場所で歌うのではなく、きちんとNHKホールで歌っていたし。きちんと紅白歌合戦に敬意を表したコメントも良かった気がします。
それにしても、そりゃ、白組強いですよ。 エイちゃんに、今年の大河ドラマの主役、清四郎くん・・・ ちと、連敗がつづく、赤組の司会・仲間さんが気の毒です。
録画していた、紅白の裏番組の、「絶対に笑ってはいけないホテルマン24時」を、これから見るのが楽しみです。
○年越しの流儀
  
  
紅白が終了して、「ゆく年くる年」がはじまる。 ふっと、チャンネルを、テレ東の「東急ジルベスターコンサート」に変えて、 1月1日の0時0分ピッタリに、 交響曲「ジュピター」の曲が終わるよう、オーケストラが演奏する。 その正確さに、感動して。
家を出て、小雪が舞う中、歩いて数分の、街でもっとも大きな神社へ歩いていく。地元の友人と出会うと、新年の挨拶を交わして。
境内では、大きな焚き火に、人々が集い、今年初めて行われた「竹酒」と、毎年恒例の「甘酒」をいただき、並んで御参り。ただ、今年は、行列がほとんどなかった。これはびっくり、異常です。いつもは、10分くらい並ばないと、御参りできなかったのに。寒いからか、不景気だからか。参拝客が異常に少なかった。
帰りに、こんどは街でもっとも大きなお寺へ。 並んで除夜の鐘を鳴らし、本殿に入って、再び参拝。 ここも、大きな焚き火があって。人々があたっていた。
家には、すでにしめ縄を取り付けて、鏡餅も用意された。
帰宅して、またテレビをうだうだみて、そのまま眠ってしまった。
そんな年越しの夜。 毎年、変わることのない風景であり、行事。
これからも、おそらく変わらないんだろうな。
ただ、この2009年は、とても長かった気がする。 やっと大晦日がきたなぁってね。
さ、2010年もスタート、いろいろ抱負や目標があります。 それは、また書いていきますね
○初詣の流儀
  
 
元日の昼、 「出雲大社広島分詞」へ初詣に訪れました。
正直、ここへ行くのが初めて。 (車で、たかだか20分以内にいける場所なのにね。普段ほとんど通ることの無いエリアだから)近くに、こんな大きな神社があったなんて、びっくりでした。
それがね、すごーーーーい人! 駐車場(近くの運動公園の広い駐車場)も車が満車で、止めるのも車の列、けっこう待たされた。
思った以上に大きい。 そう、島根県出雲市の出雲大社の分詞だから、よく似ていますしね。本殿の建物も。
それがあってか、若い女性がけっこう多かった。 縁結びのご利益があると思っているのでしょうね。きっと。
もちろん、テントの御茶屋や、抽選会、破魔矢や、お守り売り場も広くて。木製の鳥居が、みょうにでかい!!びっくりした
参拝するコースが決められていて、本殿とお祓いする大きな建物の周りを歩かなくてはならない。
おみくじ引きました。 出雲大社のおみくじは、吉とか凶だとかいった表記がまったくない。 各項目が、叶うか、叶わないかっていうのを明快に記されている。かなり潔いおみくじなんです。
でね、僕が引いたのが! すべての項目が、「叶う」「よい」 ここまでパーフェクトのおみくじ引くのは、はじめてかも?
総評の欄にも、願い事がすべて叶うと書かれていた。
なんだかここまでパーフェクトだと、かえって気持ち悪い 来年、2011年は、運を使い果たした末、生きてないかも?
この出雲大社付近から、広島の都心が一望できて、なかなかでしたよ
いつも、元日は、となりまちのいつもの神社へ行っていたのですが ことしは、気分をかえてみたくて。 なにかをすべて替えて、気分一新です。
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