2000年11月29日(水)
|
てっとり早く「ゆとりと潤いのある生活」がしたい私にとって 斯くも儚き1000万円・・・・ |
うちのHPからもリンクしているクイズサイトの第4回大会もつい先日終わってしまった。1度は優勝が狙えるか・・・・?というところまで迫っていたこともあったのだが、あえなく玉砕。SIDE Aでは総合6位、SIDE Bに至っては総合17位という散々な結果で幕を閉じた。くだらないことかもしれないけれど、こういう現実が私の向学心というか雑学に対する好奇心をさらに掻きたてるのである。
私のクイズ好きには、うちのダーリンもかなり呆れているはずで、たまにしか我が家にやってこないというのに、私はテレホ開始と共にクイズに明け暮れしてしまうこともしばしば・・・・。 最近、NEXONというところのオンラインクイズにはまってしまった私は、連日連夜そこに入り浸り、相当なる経験値と、生きてゆくのには凡そ役に立たなさそうな知識を稼ぎ出した。
ところで・・・・。 バブルがはじけてからというものの、テレビ局もとかくお金を使わなくなった気がする。セット、出演者の顔ぶれなんかにとどまらず、企画そのものにも金をかけなくなってきたなぁ・・・・というのは画面を見ていると、覿面にわかる。
私は、幼い頃からNTV系の「アメリカ横断ウルトラクイズ」に出たくて出たくてたまらなかった。 大学生になれば、夏休みはたくさんあるし、バイトをしてお金もためられる。大学生になればウルトラクイズに出られる~~~~~~♪♪ ・・・・と考えていた愚かな私たちはとっても甘かった。 バブル景気の恩恵など、ほとんど直接受けることなく年を経て、いざ自由だぁ~♪と、憧れていたものに飛びつこうとした途端、それが不景気のせいでフッと消えてしまったのである。 そうなんです。 私が晴れて大学生になったその年に、「アメリカ横断ウルトラクイズ」は打ち切りと相成ったのです。 そ・・・・そんなぁ(T_T) その後、1度だけ復活したウルトラクイズだったが、告知を見逃したうえ、もう学生ではなく休みの取りようがなかった私は、東京ドームの予選へも行けず、テレビ放送だけを眺めながら苦汁に顔を歪めていたのだった。 あの企画、かなりお金がかかってそうだもんなぁ・・・・。 日本の景気が回復して、再び我々をアメリカに連れてってくれる夢の企画、復活するとよいなぁ・・・・。あ・・・・その頃までトメさん(福留 功さん)現役でどうかよろしく♪
さて、今クールから新たに開始した高額賞金配当のクイズ番組が2つある。CX系の「クイズ・ミリオネア」と、テレ朝系の「クイズ・タイムショック」だ。両者とも最高賞金は1000万円だが、前者は本来の挑戦者のサポート的役割として更に4人、後者はもともと5人1組という参加形式なので、実質1人あたりの配当は200万円である。 ミリオネアは、もともとイギリスの超人気番組で、世界各国にその制作権が売られ、聞けばその世界各地で大人気なんだそうだ。だいたいその国の生活水準を元に賞金は決定されているのだが、イギリスでは15問連続正解すると、それこそ宝くじに当たったかのようなとんでもない金額が手に入る。ちなみに日本の番組に比べて問題の難度はかなり高いとのことだ。今の今までその賞金を手にした人はいなかったのであるが、つい先日ようやくその第1号が出たと、この間テレビのニュースで報じられていた。
今、私はこの2つのどちらか(特にミリオネア)にどうしても出たくてたまらないのである。 例え、配当が5分割されても、200万円が手に入るのである♪
実は。 私が大学3年だか4年だかの頃・・・・。 たまたま応募した「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー」(テレ朝系)という番組の「漢字100問 連続正解できたら100万円」というのに出場できることになり、漢検のテキストで1週間ほど猛特訓して局に出向いたことがある。 結果は・・・・56問。 その後の放送で、自分がドロップアウトしてからわかる問題ばかりがズラリ!ということが判明したのだが、ここのネックは「連続正解」なのだ。折り返し地点も無事に通過できたし、最後の10人にも残っていたのだが、100or0なので、56問できても56万円にはならないのである。
ところがミリオネアはそうではない。 自らドロップアウトを宣言すれば、それまでに獲得した賞金をごっそりお持ち帰り♪というのもアリアリなのである。それはタイムショックでも基本的には同じで、適当なところでドロップアウトしてそれまでの賞金のみGETというのも事実上は可能なようだ。
う~ん・・・・出たい♪
が・・・・。 ここで1つ問題があるのである。(ミリオネア版) 例えば、ものすごい競争率の電話応募をクリアしたとしよう。 そのうえ、またえらい難度だと定評のある1問1答予選もクリアしてスタジオ行きが決定したとしよう。 更に、並べ替え問題を1抜けでクリアできたとしようじゃないかっっ!!
はい・・・・。σ( ̄∇ ̄)極度の緊張症なんですわ( ̄∇ ̄;) 前述の「炎チャレ」をご覧になったことのある方はわかると思うのですが、あの番組の連続正解モノって回答者が雛段に座らされるのですよ。最上階はかなり高くって、司会者なんて豆粒程度にしか見えない。私はその中腹くらいの席だったのだけど、それだってかなり高い。初問から心臓バクバクでかなり緊張したのだが、よくもまぁそんな状態で56問までいけたもんだと我ながら驚いていたくらいなのだ。 で、ミリオネアといえば、世の「おじょーさん」たちの娘心をほしいままにしている色黒のオヤジみのもんたとサシでやりあわなくてはならない。これは緊張症のσ( ̄∇ ̄)にとってかなりな難所ではなかろうか。 問題を見ていると、4択とはいえ、それほど頭を抱えなくてもよさそうな難度である。 それでも、どの挑戦者たちもだいたい100万円前後で散っていくのは、あのオヤジが挑戦者たちを、じわじわと、徹底的に、責めるように浴びせかける、魔法のプレッシャーのせいに他ならないだろう。 雑学の知識の他に、あのオヤジに負けない精神力を培っておかないと、1000万円(200万円)はムリなのである。
余分な心配ではあるのだけど、ライフラインの1つ、テレフォンに登場させる人物も厳選したいところだ。 番組を見ていて思うのは・・・・ ①自分が全くわからない問題の時は、テレフォンもあてにはならない。 ②頼りにしすぎるとバカを見る。 ③親類縁者、一族郎等がわりと力になるらしい。(金がかかると結束しやすいから) ④親友だと思っているやつを選ぶと、番組収録後の互いの関係が心配(爆) ⑤回答者自身が焦るのはわかるが、その焦りを電話の向こう側で受け取ってしまう人はモロにNG ・・・・等々、他力本願だからこそ、限界まで自分のわがままを通すために、色々と画策が必要であることが見えてくる。 そういった条件を満たしてくれる人を、例えば親類縁者の中からピックアップすると、1番アテになりそうなのは母方の従兄弟である後藤兄弟だ。 だいたい我が家は、モノを聞けばハッタリばかりでかためる父・タカシに、「あんたのほうがよう知っとるに決まっとるやん( ̄^ ̄)」と逃げる母・サヨコ、「はぁ??」ととぼける弟・リョウヘイ・・・・何しろ、助っ人と呼ぶには頭痛をもよおすメンバー構成なのである( ̄∇ ̄;)。 その点、従兄弟のあの2人は、数学に関してはサル並レベルの私に我慢強く教えた経歴、とんでもなく高速回転する頭脳、それに見合う学歴、妙に冷静なとこ、どれをとっても頼りになるのである。 もし・・・・仮に・・・・万が一、出場するようなことになったら、絶対にお願いしよう(* ̄ー ̄)ニンマリ
とはいえ、人生そんなに甘くないのである。 こうやって日々、クイズばかりをやっている私でさえ、そのレベルはたかが知れているのである。雑学力と勝負強さで稼げるんなら、もう周りには億万長者がゴロゴロしているはずである。 今まで運はよかったけど、これからもって保証はないしなぁ(笑)。 ロト6、買ってるけど、1000円当たったことすらないしなぁ(爆)。
そんなふうだから、一生分の運はすでに使い果たしたと思えるほど、幸運を浪費してきたきらいのある私は、宝くじよりもやっぱりクイズなのである( ̄^ ̄) 今度、マジで応募してみるかなぁ・・・・(-。-) ボソッ
2000年11月28日(火)
|
夕雅流・おミズの花道 |
そもそもうちは、実家が水商売であった。 脱サラした父・タカシは、岐阜市内で1件の喫茶店を経営していたのだが、あれよあれよという間に店は居酒屋になり、またあれよあれよという間にもう1件増えたのである。
あぁ、そうそう♪ そのうちの2号店の騒動の件だが、先日、実家に電話したところ、募集に対してそこそこの人足も集い、質もまぁ悪くないとのこと。父・タカシのワンマンぶりについてゆけるのであれば、願ったり叶ったりではないか♪ ってなわけで、σ( ̄∇ ̄)の強制送還計画も自動的に先送りということになった(* ̄ー ̄)ニンマリ
そんな環境で育った私は、サラリーをもらう仕事には義務教育の頃からてんで興味がなかった。例えば・・・・どんなにすばらしい先生に出会ったとしても、そういう人たちの影響を覿面に受けることはあったとしても、自ら教師になろうという発想にはならなかったし、病院には幼い頃からよくお世話になっていたので、綺麗でやさしい看護婦さんとかにもたくさん出会ってきたけれど、彼女たち個人のことは好きになっても、看護婦という仕事そのものに対する憧れだとか興味だとかはかなり薄かった。
父・タカシはよくこう言った。 「こういう仕事はやった分だけもらえるからな・・・・。」 彼はこの理念を貫徹するが如く、そりゃぁもう馬車馬のようによく働いた。1日の売上というのは、その日によって大幅に違ってくるものなのだが、最悪の時も最高の時も、アホみたいに働いていた。 1度、そうやって汗水流して稼いだ金を強奪されてしまったなんてこともあった( ̄∇ ̄;) 我が家はてんやわんやの大騒ぎになったのであるが、そういうときですら、彼はいつもの倍の勢いで働いていた。 こまっしゃくれて、物事に対する感動に薄い子供だったσ( ̄∇ ̄)ですら、こういうオヤジはとにかくすんごい!!と思っていた。 思い起こせば、父・タカシの情けない場面など見たことがないような気がする。そりゃあ、お酒に酔えばモロ泥酔だし、基本的にとんでもない勢いのエロ親父だし、ヤなところは挙げればキリがない。だけど権力に屈するところだけには未だお目にかかったことがないのだ。とりあえず、店の経営者だから社長・・・・すなわち常にトップの位置にいる。だから上司に相当する人間にペコペコと頭を下げたり、媚びへつらう必要性などない。そうかと思えば、神様であろう客に対してだって好き放題。気に入らないヤツがいようものなら、 「代金はいらん。出てけ( ̄^ ̄)」 と一蹴する。背負ってる代紋が菱だろうが桜だろうが、そんなこともおかまいなしに対応する(爆)。自分中心に世界は在る!!とお思いのお人だから・・・・(爆)。何せ怖いモノなんかないのだ。 が、こういう濃いキャラの父を慕って集まってくる物好きな客たちが、我が家の家計を支えているのである。あぁ・・・・ありがたい・・・・(なむなむ)
こういう父・タカシを日々、眺めている母・サヨコ。 そういう母・サヨコにつもりつもった愚痴をとりあえず電話でうかがう娘のσ( ̄∇ ̄)。 うまくできている。我が家の家族機構は・・・・(爆)。
そんな私も、気づけば水商売の世界にいた。 バイトも本業も、立派な水商売なのである。 スナックホステスのことをこう呼ぶことは知っていても、役者もそうだというのは知らない人も案外多いんではなかろうか。
先日・・・・。 「自分の仕事も、ある意味では水商売かもしれないなぁ・・・・。」 と、私に話してくれた、某大手に勤める証券マンがいた。 う~ん・・・・。 確かにそうかも・・・・。 会社でサラリーをもらっていはいるけれど、営業となれば、モロ水商売である。私は妙に納得してしまった。だいたい扱う品に確固たる保証がない上、証券会社というところは、色んな企業のブランド性や人気そのものを売り物(商品)にしているようなものだ。何て儚い仕事なんでしょ・・・・。 それを思うと、そういう他の企業の人気の上下のために、予告なく全国各地へ出向させられて、ちゃんと仕事をしてしまう彼らって、ホントすごいと思う。
そして思う・・・・。 確かに給料を保証されているか否かという点では厳密に言うと違うのかもしれないが、第3次産業と呼ばれるものは、ほとんどが水商売と呼ばれる要素を持っている気がする。 人を相手に、相場が次々と変動するものを媒介に扱いつつ、延々と続くと思われる攻防戦(笑顔の数だとか、饒舌さとか・・・・)を上手に勝ち抜いていく。・・・・水商売の基本だ。
サラリーマンの中で、営業を担当されてる方々・・・・ あなたたち、水商売人です!!! これを機に、ちょっと自覚しつつ仕事をしてみると、楽しいかと思います♪(とはいえ、もう多くの方々が気づいている事実ではあるんでしょうけど)
小さい頃から、金というのはそうした攻防戦の中で稼ぎ出すものだと、こまっしゃくれた私はどこかでそう思い込んでいた。 そのせいか、当時から変に狡賢く、自分の秀でた部分を逸早く認識し、必ず有利な立場に持ち込んでからじっくりと競争に持ち込む・・・・なんてことが好きだという、実にやりにくい子供なのだった。
でも・・・・。 本当は、競争なんか、嫌い。 足並みそろえるのも嫌い。 σ( ̄∇ ̄)は大人になっても、そういう同じ価値観の中でどっぷりと浸食されるのを避けるためだけに、こういう世界を選んでしまった、大人になりきれない大バカ野郎だったのです・・・・というオチでいかがでしょう?(爆)
三省堂 新明解国語辞典(第4版)より 【水商売】 料飲業・タクシーの運転手・芸人など、客の人気、都合次第で収入が左右される不安定な職業。接客業。
三省堂 大辞林より 【第3次産業】 C・クラークによる産業分類の1つ。商業・運輸・通信・金融・公務・サービス業などをいう。日本の統計では電気・ガス・水道業も含める。
2000年11月25日(土)
|
新しい作品・・・・まだできへんのかよ(おい) |
役者稼業が、完全休業中の今、一体お前、普段は何をしてるんだ???といった感じではある今日この頃なのだが、HPに新しい連載を始めたいと思いつつ、新しい作品(小説)のプロットを考えている真っ最中なのである。
だったらお前、本業を物書きにしたらよかったやん! といった感じではある今日この頃・・・・確かに道を誤ったかのようなきらいがなくはないけど、これはこれでよかったことにしようじゃないの(呟)。
前回の連載で、少なからずとも反響があったことに気を良くし、次に気負いがあるのは私じゃなくてもわかると思うが、色々と立ち上げているうちに、色んなものが頭を巡り、ついにごちゃごちゃになってしまっているのだ。こんな状況で早3ヶ月・・・・。本業だったら、完全に干されている。(今も干されてるだろ・・・お前)
さわやかで甘く切ない恋愛小説なんかは書けないけれど、ちょいと血の匂いのする人間ドラマでも書ければなぁと思っている。 リクエスト、励まし、ご機嫌うかがい、その他、作品の批評などなど、さびしがり屋のσ( ̄∇ ̄)にメールくれたりすると、仕事するかもしれないので、こんな私を助けると思って、何か一言くれる人募集中♪ ついでに、うちの新・みそひともじBBSに参加してくれる人も募集中♪
刺激がほしくてたまらない、今日この頃なのである。
2000年11月24日(金)
|
釣書に本当に書いてみたいこと |
私はまだお見合いというものをしたことがないのだが、、周囲の大人たちの話を聞いたりしていると、アレはアレでけっこう面倒なルールがあるらしい。
うちの地元では、よくドラマなんかにもなったりしていたけれど、結婚式といえばド派手なほうで、今でもやっぱり仲人(なこうどだとか、おちゅうにんさんとかいったりするやつ)を立てたりする。それでも、当世若者事情をちょいと覗き見てみると、実家でのお支度やご近所への挨拶回り、菓子まきをやるという家も年々少なくなっているようだ。あぁいう派手な趣向は今の若者には得てして向かない。それでも親が見栄と体裁の為に頑として「やるっっ!!( ̄^ ̄)」と言った場合は、しっかりと行われるようだ。 こうやって結婚した夫婦の離婚率がかなり低いことをご存知だろうか。 統計をとると、今でもド派手結婚の名残がある東海地方(殊に愛知県)は、全国的に見ても離婚率は低い。何故かというと、体裁が悪いからだ(笑)。親にしてみても本人にしてみても、あれだけ派手なことをしてしまうと、なかなか離婚に踏み切れないらしい。少々のことであれば、辛抱もきいてしまう(爆)。挙式のモトを取るまでは別れるに別れられないといった具合なのだろう。
私がまだ幼かった頃なんかは、近所からお嫁さんが出たり、もしくは来たりしていた。今では結婚式そのものがわりとひっそりと行われるため、そういう動きはなかなか明るみに出てこないのだが、当時はご近所ネットワークみたいなものがとっても発達していて、そこから情報が次々と舞い込んできた。 「今度の日曜に○○さんとこからお嫁さんが出るみたいやで、ちょっと見にいってこよまい♪」 という感じで、当日はその家に近所の野次馬たちが続々と集結するのである。どうしてたかがお嫁さんが出発するだけでそんなにも人が集まってしまうかというと、お嫁さんがハイヤーで嫁ぎ先(もしくは式場)へ出た後に菓子まきが行われるからである。もともとは、屋根の上から見物人にむかって、袋詰にした菓子や祝い餅をばらまいたらしいが、私の物心がついた頃にはちょっと高級な箱入りの菓子(だいたい300~500円相当)が次々に手渡しで配られた。この菓子を目当てに、近所のオバサンや子供らが集まってくるのである。本当に綺麗かどうかはさておき、菓子をもらった見物人たちは口々に 「ほんとに綺麗なお嫁さんやったわねぇ♪」 だの 「えぇ奥さんになるやろうねぇ♪」 だの、通り一遍の誉め言葉を祝いとして残し、菓子が全て配り終えた頃にはぞろぞろと立ち去って行くのである。
そろそろ話を本題に移そう。 お見合いをする時には、それ用に撮ったお見合い写真と一緒に釣書というものも添えられるらしい。お見合い用履歴書みたいなもんらしい。学歴だとか、今の仕事や年収だとか、家族構成だとか、そういうのが書かれているらしいのだが、その他に、今の詳細な健康状態であるとか何だかよくわからない項目もあるらしい。そういうのを保証するのにちゃんと医者にいって検査をして証明書みたいなものも付けてしまうのだという。お見合いというのは、そもそも結婚を目的に若い(今は若いとは限らないようだが)男女が顔を合わせて、出会いのきっかけを作るものなのだと思っていたのだが、本気で結婚をしようとなると、相手の体の中身までちゃんと知っておかなければならないという、こういった事情のことを聞くと一気に興ざめしてしまいそうだ(笑)。最近では、婚前交渉なんて珍しくも何ともなくて、むしろない方がおぞましい印象を受けたりもするけれど、婚前交渉など言語道断という昔々の名残として、今でもそんなことを釣書に書くこの習しは、面白すぎて笑ってしまう。聞けば、健康診断証明の一環としてDNA鑑定みたいなことまでする人もいるんだそうだ。確かにいい遺伝子をもっているに越したことはないだろうが、初対面の人の遺伝子情報までつかんでしまうとときめきも何もなくなってしまう気がするのは私だけだろうか・・・・?
で・・・・。 この釣書が、せっかくうまくいきそうな縁談をぶち壊しかねないという事実もきっちりと存在する。
みなさんは、同和地区問題というのがこの日本で未だに根強く残っているということをご存知だろうか。 はるか昔・・・・江戸時代。 士農工商という身分制度があったということくらいは、小学校の社会科の時間でも習うのでご存知のことと思う。その下にえた・非人という階級があったことも思い出していただきたい。同和地区問題というのは、江戸時代の階級制度の名残のせいで、当時生きていたはずもない人たちのことを差別する問題のことをいうのである。要するに、先祖がこのえた・非人であったというだけで、現在生きている人たちが差別されてしまっているのだ。まあ、自由恋愛になった現在では、結婚するのに際してこの問題もさほど表面化しなくなったらしいが、お見合いをしてそれで結婚をしようとなると、釣書に家族構成や出身地みたいなものも書かなくてはならなくなる。絶対にわかるはずなんてないのに、どこで調べてくるのか、相手の血統を事細かにリサーチするじいさん・ばあさんたち。もう、消えてなくなってしまったように見えるこの同和地区問題が原因で、せっかくの縁談が寸でのところで破談になってしまった話がわりと身近にあったりしたので、私はびっくりするのを通り越して呆れてしまった。 「貴様ら・・・・さかのぼれば、全員サルじゃっっ!!( ̄^ ̄)」
釣書というのは、そういうことをリサーチするためにあるものなのだろうか・・・・? 家柄とか、血統とか、そんなものがそんなに大事なのだろうか・・・・? 大財閥同士や皇族さんたちの結婚ならまだしも、一般庶民同士の他愛のない縁談である。さっきのDNA鑑定の流れにしたって、そんなに非凡な子がほしけりゃ女のほうが精子バンクに行って、いい種を探してこればいいだけのことじゃないのか?? 血統なんて関係なかろう? いいかげんにしてほしいもんだ。
私は今のところお見合いをする予定などないが、こういう古いしきたりが未だに脈々と息づいていることに恐れみたいなものを感じる。私たちの両親くらいの世代になれば、無論こういったくだらない問題で縁談を破談にしてしまうような無粋な真似なんかしないだろうが、それでも悪しき慣習の根をしっかりと絶やさずに守ろうとしている人がいるというのもまた現実。背筋が凍る。
そんな私が釣書に何かを書くとすれば・・・・。 一応、これでも大学は出ている。 が・・・・。 たいした職は持っていない。 五体満足・・・・かどうかは不安だ(笑)きっと通院歴で蹴られる(爆)<前々日の日記をみてくれい♪ 血統なんて、何だかもう わけがわからない(爆)
バカ正直に釣書を書けば、きっとお見合い結婚できないだろうなぁ・・・・と痛感しつつも、大ウソを書く勇気もなくて、じゃあ、見合いなんかしなけりゃいいんじゃん♪と思う反面、でも面白そうだから、1度くらいは経験してみたいもんだ♪とわくわくしたりしている、今日この頃なのでありました。( ̄∇ ̄;)
2000年11月22日(水)
|
サンタはペリカンに乗ってやってくる・・・・ |
つい先日、ネットの友人ききあから、お豆腐が届いた。うちにダーリンがきていて、「鍋でもするかぁ?」みたいなことを口走ったことが発端で、豆腐屋で身を粉にして働く彼女から、貢ぎモノとしてわが家に届いたのだ。 この豆腐・・・・とっても美味なのである。 この夏、私がへばって実家で静養中のところへも届いたのであるが、何しろ、食欲がまったくなくても、つるりつるりといくらでもいけちゃうのである。特に青竹の中に入ったよせどうふは、もうデザート感覚で、まさにとろけるようなうまさなのである。豆腐にはちとうるさい、うちの父・タカシもこの豆腐には唸り、一緒に入っていたごま豆腐やら揚げやらも、ぺろりと平らげてしまったのだ。水の美味い所では、美味い豆腐ができるというのは本当らしい。
そんな曰くつきの豆腐が、再び、今度は東京のわが家に届いた。 小躍りして喜ぶσ( ̄∇ ̄) 青竹のと、ごま豆腐と、絹ごしと、厚揚げ・・・・ (* ̄ー ̄)ニンマリ 肉豆腐チゲでしょう♪ そんなこんなで、この日の夕飯はσ( ̄∇ ̄)の目論見どおり、肉豆腐チゲになったのでありました。
さて・・・・。 前回は、うちの地元の銘菓水まんじゅうをお礼として送ったのだが、今回はこの夏の銘菓も取り寄せるわけにはいかないし、さてどうしたもんだかなぁ・・・・と頭をひねった。何か、東京でしか手に入らない、おいしいお菓子でもあるなら別だが、そういうのもなかなか思い当たらなくて、また頭をひねった。 どうしたもんだろう?(゚_。)?(。_゚)? と、ダーリンと相談していたのであるが埒があかず、とりあえず、甘いモノが食べたいと駄々をこねる私の機嫌をとるべく、隣町の駅前にあるミスドへ出かけることにする(笑) 甘いモノが食べたかったはずの私も、ミスドに入ると、何となく誘惑に負けて、肉まんにも手を・・・・(爆) だっておいしいんだもん・・・・(負)
ちょいと話はそれるが・・・・。 うちのもよりの駅と、隣の駅とでは差別としか言いようがないほどの差があるのである。 数年前までは、急行が止まるか否かくらいの差しかなかったのであるが、つい最近、隣の駅は、駅前がすっかり整備されて、とっても綺麗に様変わりしてしまったのである。それまで隣の駅には急行が止まるというのに自動改札すらなかったというのに、今ではちゃんとそれぞれのホームにエスカレーターとエレベーターも整備されてしまった。駅ビルの中には、ちょっとした飲食店や花屋、雑貨屋などなどが入り、駅前にはもともとあったショッピングビルのほかにもう1つ大きなビルができて、品揃えも不自由ない程度に揃っている。道路そのものも整備されて、ちゃんと片側1車線以上をとった道路がまっすぐに通るようになった。それまでは、その駅前通りにとってもおいしい漬物屋とか、小さなパン屋さんとかが軒を並べていて、私としては、そっちの方が好きだったりしたのだけど・・・・。
その新しいほうのビルに入って、しばし物色・・・・。 もう、街はクリスマスモードになってしまっている。 そっかぁ♪ クリスマスかぁ♪
あ 「ねえねえ、食べ物じゃなくてこういうのにしようよ♪」 ダ 「あ♪ いいかもねぇ♪」 あ 「(●⌒∇⌒●)」
こうして、私たちは、マフラーと手袋を購入したのでありました♪ レジのお姉ちゃんは、こっちがプレゼントにしてくれと頼むと、きちんとクリスマス用の包装紙で包んでくれて、ちょいと早いような気もしたが、これはまさにクリスマスプレゼントになってしまったのである。
これはこれでよいのでわないかい?(♪)
翌日、それをしっかり梱包して、近所のペリカン便にお願いしてきた。 お届けにあがるのは、トナカイでもサンタでもコウノトリでもないけど、ペリカンだってかわいいじゃん♪などと、わけのわからないいいわけだとか、都合のいい解釈だとかで自己満足を完遂させる(笑)。
後日ききあから、泣きながらお礼の電話が入る。・・・・うんうん、こっちこそごめんよぉ・・・・安物なのにぃ(苦笑)。それに、私はダーリンとかに「プレゼント、何がほしい??」と聞かれても、色気のあるものなんか一切ねだらず、 「CD-RWがほしいっっ♪♪(魅)」と答える、何ら面白味のない子なので、彼にとっても、こういうプレゼントをするっていうのはけっこう良いものだったのではなかろうか? などとまたもや自分勝手に ┐( ̄∇ ̄)┌オホホ・・・・。
もうすぐ、本格的な冬・・・・。 今年はあなたのところにも、ペリカンとか黒猫とか赤フンの飛脚とかカンガルーとかが、サンタのかわりに何かをもって現れるかもしれませんね♪
2000年11月20日(月)
|
私をとりまくイヤなものたち |
最近、またでるんです。 でるといっても、お化け・幽霊・その他の類ではありません。 そういうものはたまにしか出ません。( ̄∇ ̄;)
2~3年前なんかは、そういったモノたちの来訪ピークで、しましまのTシャツを着たおかっぱ頭の女の子が腕をつかんでぐいぐい引っ張ってきたり、身の丈少年ほどの坊さん(←大人)が陰鬱な面持ちで足元にずっしりと坐っていたり、目で確認しただけだと例はあんまり多くないのだけど、「ヤなかんじ」という微妙なものまでカウントに入れると、けっこうな頻度でわが家にはそういう人々が訪れていたことになる。 このおかっぱ頭や坊さんが出る度、私は脂汗と金縛りで苦しめられ、随分悩まされたものだ。こいつらのせいで、マジでげっそりとしてしまい、不眠症にまでなる始末・・・・。 そういえば最近、お目にかかってないなぁ・・・・(爆)。 一応、大家さんが心配するといけないので参考程度に言及しておくと、こういった類のモノは、この土地・建物、またこの部屋に元来くっついていたものではなくて、どうやら私にくっついてきてしまったものであるということまではわかった。よかったね♪ 大家さん♪
さて・・・・。 話を戻しますが。
何が出るかというと、発作が出るのである。 ここ数日、寝る前になると必ず出やがって、私の睡眠導入をあからさまに妨げるのである。 何の発作かというと、パニック発作にくくられる過呼吸で、私はこの夏、こいつのせいで、新しく始めた派遣のバイトは追われるわ、今いる店にも行けなくなるわ、電車には乗れなくなるわ、食えねえ、寝れねえ・・・・等々、まさに散々な目に遭ったのである。(詳細は私のHP「龍胆の間」に掲載中の「2000年の夏シリーズ」にて。読めない人は連絡ちょーだい♪ 読めるようにいたします♪) もはや私にとっては「夏の風物詩」にすらなりつつあった過呼吸なのだが、どうも今年は様子が違っていて、医師と薬に泣きつかないことには収拾がつかなくなってしまった。
要するに、病状が前よりも明らかに悪化して、荒れ始めたのである。
そんなこんなで、秋口まで(9月頃)は、薬もちゃんと飲んで、ちょこっとずつではあったが外出とかにも慣らして、社会生活への復帰もほぼ完璧に成し遂げたはずだったのだが、夏の熱波も落ち着き、今年の波もようやく治まったかと思われた今頃になって、また連日の発作なのである。
これねぇ・・・・マジで自己嫌悪の嵐なのよね・・・・(ため息)
酸素のいきわたりすぎでボンヤリした頭で、呼吸が落ち着くのを待って、ようやくまともに息ができるようになると、さっきまでの有様が情けなくて涙が出てくるのである。これはまだマシで、今年の夏には記憶の混乱やら、薬の副作用やらで、さらに凄まじかったのである。
最初、医者にかかるにあたって、不安な点が山積みだった。アメリカではメンタルクリニックなんて、歯医者に行くようなものだというくらいに日常的なんだけど、閉鎖的なこの国では変人扱いされてしまうこともしばしばだからだ。ほら・・・・最近のニュースでは犯罪が起きるたびに「容疑者は、精神科への通院経験があり・・・・」とか言ってるくらいだもん。 だから何じゃっちゅうんじゃっっ!!( ̄^ ̄) 実際、クリニックの門戸を叩いてみれば、アメリカでの通説に程近く、歯医者みたいなものなのである。クリニックの先生曰く、最近ではこのパニック障害とやらは日本でもだんだん増えてきていて、実際私の周囲にも何人か同じ病気を抱えている人がいるのである。その人たちみんなが変人だとしたら、日本は、かなりヤバイ国ということになってしまうのである(笑)。ここで、数種類の薬を処方してもらい、「変人なんかじゃないのよ♪」みたいな慰めもいっしょにもらい(爆)、私の夏は終わったはずだった。
が・・・・。 どうやら、それはかなり甘かったようである。 いつもなら、夏が終われば、確実にその病状も安定してくるはずだったのだが、今年はどうやらそんなくくりは通用しなくなってきているらしいのだ。薬を体の中に入れると、また頭が必要以上にボンヤリしてしまったり、アッパー系とダウナー系の両方を飲まなければいけなくなるせいでか、どうにも調子がおかしくなってしまうのである。夏と違って、食欲も旺盛で十分な睡眠も摂れるので、この間の薬ではちょっと都合が悪いのである。あの薬たちは、まさに、発作を止めるためだけのものだから・・・・。 そうなると、また病院通いをしなければならなくなるのか・・・・? 病院に行くのはイヤじゃないが、何しろ、国民健康保険料すらも滞納し始めてしまっている私にとって、医療費はバカにならない出費になるのである。
( ̄□ ̄;)!! そろそろ滞納期限が近づいている・・・・。 差押さえするぞぉ~と、この間、脅し文書(爆)が届いたんだった・・・・。( ̄∇ ̄;) このまま放っておくと、病院通いすらままならなくなるので、まずは、督促状どおり、今月末までにためた保険料を支払わなければならない。
発作を止めるために、こんなことから始めなければならないとは・・・・私の生活も、随分荒んだものだなぁ・・・・とため息ばかりが出る今日この頃なのである。
つい先日、母・サヨコに救援金をお願いした。 何とか乗り切れそうである。 今月中のバイトのシフトが1日増えた。 何とか乗り切れそうである。 基本的に、運はいいらしい(こらこら)。
あとは、来月頭のオフ会参加費を何とかうまいことやりくりして、捻出するだけである・・・・ (ここまでしてオフ会にだけは行こうとする、σ( ̄∇ ̄)はネットジャンキー)
2000年11月17日(金)
|
ディスプレイモニタ 御乱心の巻 |
私の家にPCがやってきたのは昨年の夏。某ウシのマークでおなじみのメーカーで購入した。狭い我が家の配置事情をまったく省みずに、勢いonlyでえいっっ!!と買ってしまったものだから、納品された日、私はそのあまりに膨大な量のダンボールに文字通り唖然としてしまった。タワーを選択したのは間違いだったな・・・・とか、やっぱディスプレイは液晶にすべきだったか?・・・・とか、後悔の嵐だったのは言うまでもないが、それでも気色悪いくらいに親切なショップの店員さんだとか、メンテナンス関係の人々だとかは気に入っていたので、部屋は狭くなったものの快適なネットライフを始められたのである。
そんなこんなでやっと1周年。 自分でHPの開設をしたり、チャットで色々な人と出会ったり、オンラインゲームにはまったり、画像の加工に手を出したり・・・・PCのおかげで随分と世界が広がり、ホント、頬擦りしちゃいたいくらいに感謝しているのである(すりすりすりすりすりすり~~~~~~~)
ところが・・・・。 つい先日、ヒマつぶしがてら「上海」をして遊んでいたときのことである。 静電気みたいに「ぱちっ!」っとなって画面が揺らぐのである。この症状は半年くらい前から時々出ていたのだが特に問題なく動いていたので、ほったらかしにしておいたのだ。で、今回もそのままにしておいたら・・・・ 「ばちっっ!!!!」と、いつもよりも派手な音・・・・。 と共に、画面が真っ暗になってしまったのである。
( ̄□ ̄;)!!
とりあえず、強制終了である。再起動をかけたはいいけれど、やっぱり画面は真っ黒け。起動音が聞こえるところを見ると、ハードはいかれてはいないようである。
う~ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とりあえず、この荒れた部屋のどこかに保証書があったはず(捨ててないから)。 【たな】ヾ(-_ーヽ)ごそごそ あった♪♪ 早速電話を入れる。
あ 「あのう・・・・モニターが壊れちゃったみたいんですけどぉ・・・・」 G 「それではですねぇ・・・・(説明)・・・・こうしてみてください。」 (実行中) あ 「できましたぁ♪」 G 「何か(モニタに)文字が出てきませんか?」 あ 「( ̄∇ ̄;) でません」 G 「そうですかぁ。それではその商品は、こちらの欠陥商品ということですので、新しいものとお取替えいたします。」
まじっっ??(♪)
G 「ご住所のほうは変更ありませんか?」 あ 「はい♪ ありません♪」 G 「それでは、今週中にはお届けできると思いますので。」 あ 「は~い♪ ありがとうございまぁ~す♪」
おぉ・・・・契約時、ケチらずに3年間の無料保証をつけといてよかった。まさか、買って1年ちょっとでこんな目に遭おうとは予想だにしなかったことではあるが、こういうこと、あるんだもんねぇ・・・・。
とはいえ・・・・。 だいたいうちのPCってば、業務用でもないのに、ちと働かせすぎだったかもしれない。 毎日のようにほぼ数時間は動きづめで、ヘタすると週数回の割りで24時間連続稼動なんてこともあった。今回のご乱心は当然といえば当然なのかもしれない。 しかし・・・・。 あきらめ早いよなぁ・・・・先方さん。 ぶっ壊れていると思ったら、すぐに全とっかえだもんなぁ。 で、しかも、先方さんの早かったのはあきらめだけではなくて、その対応もかなりの早さであった。こちらからメンテをお願いしたのは日曜の夕方だったのに、水曜の午後には新しいものが届いてしまったのである。さすが・・・・24時間、メンテナンスを受け付けているのをウリの1つにしているだけあって、日曜の受付も、しっかりその日のうちに処理をしているようだ。これにはMacユーザーのうちのダーリンもびっくり・・・・今度、ネット専用機でWinを買おうとして物色中だったのもあって、早速この会社のHPをじっくりと閲覧。 「今度、ショップに行こう♪」 という運びにまで転じた。 今回のこの対応・・・・いや、ユーザーとしてはありがたいんだけど、ぶっ壊れるごとにこんなことばかりしていて地球にやさしいのか?これは?と、ちょっとした罪悪感に苛まれたりする。今回ぶっ壊れたブツは後日、配送会社がちゃんと回収に参上してくれるそうだから、何かに再利用されることを祈ろうと思う。
先日、ご乱心だった携帯電話といい、ビデオデッキといい、今回のモニタといい、最近我が家では、電化製品たちが次々と謀反を起こしていておおわらわである。どれもこれもゴミとしではなく、ちゃんと業者さんたちに引き取っていただいたのだけれど、生産と消費をことごとく繰り返してしまっているなぁ・・・としみじみ思う。 モノを大事に使いたいと思っていても、言うことを聞かない文明の利器たち・・・・新しいタイプのモノたちが次々にあふれてきても(経済的理由と元来の出不精で)すぐには飛びつかない私には、こういった物持ちの悪さは頭の痛い悩みでもあるのだ。
この次に謀反を起こしそうなテレビちゃん・・・・8年選手のキミは本当によく働いていてくれるけど、頼むから、せめてあと半年はもっておくれよ・・・・そうしないと、我が家の経済事情はたちまち破綻をきたすのだ。 こんなことにびくびく怯えながら、私は今日も文明の利器たちに囲まれた生活を送りつづけているのである。
2000年11月08日(水)
|
ヒット曲は歴史を語る |
この日、21:00過ぎまでお茶引きであったうちの店・・・・。こんな日は、みんなでテレビをみてボーっとしていたり、最近おねえたちが次々とパソを買ったので、ネット環境やゲームの話をしていたり、σ( ̄∇ ̄)に至ってはすぐに自分だけの世界に入ってものを書いていたりする。こういう日でも時間分のお給料がもらえてしまう・・・・水商売ならではだなぁと思う(苦笑)。
さて・・・・。 今日は歌番組を見ていた。 新旧のトップテンを次々に発表していく「あれ」だ。 昭和50年11月のトップテンと今週のトップテン。昭和50年といえば、σ( ̄∇ ̄)などまだ生まれて1年経った頃、物覚えどころか、当時の記憶など当然ない。ところがこの日いたおねえはこの頃もう小学生で、勿論、当時のことと共に歌のこともよく覚えている。いっしょに働いているとあまり気にはならないのだが、こういう番組を前にすると時代性みたいなものが歴然とし、改めてこの人たちとの世代の差みたいなものを思い知らされる。・・・・普段、彼女たちがいかに若々しいかということまで(笑)
次々に発表される曲と、それを歌っている面々を見ていると、丁度、西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎ら御三家、山口百恵・桜田淳子・森昌子ら花の中3トリオ、その他に今は毒舌主婦になってしまった(笑)が当時は本当に可愛らしい林寛子やら、「17才」を唄っていた頃とはまた少しイメージの違う南沙織、σ( ̄∇ ̄)たちの年代はとんねるずの歌の中に出てきたことくらいでしか知らないリリーズといったかんじ。この人たちが溌剌とデビューした頃のことを勿論σ( ̄∇ ̄)は知らないのであるが、バイト先の環境が環境なので、この頃の歌もまったく知らないというわけではない(笑)。自分の記憶のみに頼るのであれば、うっすらと覚えているところから引っ張り出して、キャンディーズの解散、ピンクレディーのデビュー・・・・ここらが限界だったりする(爆)。
おねえは番組を見ながら、「あ♪このレコード、持ってたわ♪」とかタイトルだけではピンと来なくてもいざ曲が始まればちゃんと覚えていて一緒に歌えたりとか、抜群の記憶力を発揮してくれた。当然かもしれない。この曲たちがヒットしていた時、おねえの脳みそはスポンジのようになんでも吸収する時期だったのだ。前述したアイドルたちの存在のことは知っていても、代表されるヒット曲以外の曲となるとさっぱりのσ( ̄∇ ̄)たちとは些か状況が違うのであった。
σ( ̄∇ ̄)たちが小学校の時代(高学年くらい)といえば、丁度、素人と芸能人の線引きが危うくなりだした初期の時代である。夕方枠のお化け番組夕やけニャンニャンから生まれたおニャンコクラブがその代表格かもしれない。男性アイドル生産所・ジャニーズ事務所からは少年隊が、南野陽子やら浅香唯なんかも売れていた。ここらの時期から丁度音楽というものを聞き始めたりするので、よく覚えているのである。そしてだいたい高校を卒業するくらいまでのことを、当時のヒット曲と共に鮮明に覚えているのである。
ところが・・・・。 大学に入って、σ( ̄∇ ̄)が(柄にもなく)アルバイトで塾講師をしていたときのことである。中学2年生の英語を担当していて、そのクラスには同じ学校の女の子たちばかり4人が集い、常にアイドルの話をしていたのである。彼女たちはどの時代の女の子たちにも見られるジャニーズ熱狂にしっかりと侵されていて、話題はいつもそれである。
生徒A 「TOKIOの長瀬くん、かっこいい~♪」 生徒B 「松岡くんのほうがかっこいいよ~♪」 生徒A 「ねえねえ、先生は誰がいいと思う?」 あ 「えっっ・・・・先生はTOKIOの中に誰がいるか知らないんだけど( ̄∇ ̄;)」 生徒A・B 「えぇ~~~~~っっ?????」
・・・・・。 今でこそたくさんの冠番組を持っていて、σ( ̄∇ ̄)ですら顔と名前の一致するTOKIOの面々であるが、当時はまだ駆け出しの新進アイドルである。現在未だに「嵐」のメンバー全員の名前と顔がわからないのと同様、当時まだデビューして間もなかったTOKIOのみなさんの顔と名前など、当時は知るはずもないのだ。まるでオバサンを見るかのような生徒たちの視線(爆)。
あ 「先生があなたたちくらいの頃は、そうねぇ・・・・光GENJIがはやってたよ♪」 生徒全員 「????????????」 あ 「(やばい・・・・これはもしかして、最もやばい展開かも・・・・)」 生徒B 「光GENJIって、だれ?????」
だぁ~~~~~~!!( ̄□ ̄;)!! や・・・・やっぱり(爆)。 たった6~7歳しか離れてないはずなのに、アイドルの話をすると、もう会話が成り立たないのである。もちろん彼女たちは「STAR LIGHT」も「ガラスの10代」も知らない。ジャニーズにちっともはまらなかったσ( ̄∇ ̄)ですらそのくらいはよく知っているのに、まったく異世界の話をしているかのような目で見られてしまうのだ。
そいで、もっと最悪なのが今のヒット曲事情である。 サイクルが早すぎて、まったくついていけないのである(爆)。 うちの店の中ではまだまだ若手のくくりの中にいられるσ( ̄∇ ̄)は、時々お客さんに 「アユの曲、何か歌って♪」 などと催促されるのである。 実はうちの店にいる女の子たちは、アユの曲は全滅なのである(爆)。だいたい、彼女のリリースのペースといったらもう目がまわるくらいに早いのである。あ・・・覚えようかな♪と思ったら、もう巷には次の曲が流れているといった具合に全然ついていけないのだ。 話を元に戻すと、今週のトップテンの第1位にアユの歌が入っていたのであるが、つい先日σ( ̄∇ ̄)が聞いた曲とは全然違うので「??????」と思い、同年代であるもう1人に聞いてみると 「あぁ・・・・今、1ヶ月に1枚くらいのペースで出してるみたいですよ。」 ときたもんだ( ̄∇ ̄;)。そんな曲が、堂々と1位になってしまうのである。もっというなら、ランク外の30~11位の曲たちを見ていて、知らない曲があるのはまぁ当然としても、知らない人がいるのであるっっ!!(苦爆笑) ここまでくると、もう時代の流れについていけない。鬼束ちひろも矢井田瞳もちゃんと知っているが、それ以外にどんどん新しい人たちがとんでもなく非凡な才能を引っさげて音楽界に進出しているのだ。
オジサンやオバサンが最近のヒット曲を聞いて 「どの曲も同じに聞こえる」 という現象が、ついに我が身にも降りかかろうとしているらしい・・・・。 ちょっと前までは、どんなによく似たバンドや歌手が出てこようとも、その曲や個性の違いを明らかに説明できたというのに、あぁ・・・・ついに・・・・である(笑)。こういう経緯をたどって、「時代」や「歴史」みたいなものの中に自分を位置付けていくのかもしれない。
数年前にσ( ̄∇ ̄)をオバサン扱いした中学生たちも、いずれ言われるのか・・・・? 「えっっ?? そんな人しらな~~~い♪」
そういえば・・・・。 平成のおニャンコを作るべく、再び立ち上がったあのプロデューサーが排出したチェキッ娘ってどこいっちゃったの?? ( ̄~ ̄;)ウーン・・・・時代の流れというものは斯くも早きものなり・・・・か。ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ・・・・・
2000年11月07日(火)
|
いいオンナ② サナエの場合 |
以前、この日記にもヒサエが結婚するぞ~♪というくだりで登場したが、今日はσ( ̄∇ ̄)を取り巻くいいオンナの中で、とりわけ異才を放つ彼女・・・・サナエ(仮名)について語ろうと思う。
彼女との出会いは、高校入学後、居場所をお互いに演劇部に選んだことから始まる。これもまた、以前日記に登場したがトキとも同期、狭い部室から広い舞台までを遠慮なく一緒にはしゃぎ尽くした、野ザル軍団の一味である。まぁ、サナエのことを果たして「いいオンナ」と呼べるかどうかはさておき、かなりいいキャラをした逸材であることは、ヤツと全く別のヤードで動くようになって久しい今でも痛切に感じるのである。 1、2年生の頃はクラスも別々だったが、放課後となれば、ほとんど毎日顔を合わせていたので、そこらのクラスメートよりもよっぽど一緒に過ごす時間が長かった。それでいざ3年になって部のほうも引退せねば・・・・なんて時が来たかと思ったら、今度は同じクラスになってしまったのである( ̄∇ ̄;) とかく、コイツとは何らかの縁があるのだろう。
サナエは、絵が巧い。 というか、創造性があるのである。 こいつのせいで、うちの部室には彼女が生み出したオリジナルキャラクターがいつでもうじゃうじゃしていた。その残骸が今でもあの汚い部室に残っているかどうかは定かではないのだが、σ( ̄∇ ̄)たちが残した台本やら記録やらにはいつでもわけのわからない生物(らしきもの)がのさばっていたことは、今でもよく覚えている。
サナエは手厳しい。 面白いほどに手厳しい。 後輩に説教をたれるのは当たり前。ほっとけば同期はおろか、先輩たちですら、その毒牙の対象になってしまうのである。σ( ̄∇ ̄)をはじめとする同期たちは、その毒舌に立ち向かう術を得ることに成功し、賢い後輩たちは媚びへつらうことを覚えた。 が・・・・サナエを手なづけることに失敗した1つ年上の先輩なんかは、潰されるように消えていかなければならなかったなどという経緯もあった(気がする)(爆)。 ちなみに入学して半年ちょっとたった時点で、σ( ̄∇ ̄)が部長(サル山のボス)を務め、彼女が副部長であったのだが、その就任に際しても、余計な口を出した先輩にσ( ̄∇ ̄)と彼女は完璧にキレて(キレんなよ)(爆)2人で結託して完膚なきまでにその先輩を糾弾し、σ( ̄∇ ̄)が責任をとって、彼女より手厳しくならねばならなくなってしまったという結果すら生んでしまったのである。 2人して後輩に説教をすることは滅多になかったが、いざ説教するとなると、サナエにお小言のほとんどを任せて、σ( ̄∇ ̄)はオイシイとこだけをかっさらっていくという、絶妙なコンビネーションさえも完遂できるほどに・・・・・(爆)。まぁ、彼女のおかげで、σ( ̄∇ ̄)はあのサル山の中で、確固たる威厳を手に入れることができたのであるが(爆)。
そんなサナエも、やっぱりオンナである。 ほどなく、演劇部の同期の男とつきあいだし、仲睦まじくやっていたのはよいが、その男を2つ年下の後輩に寝取られるという茶番を演じてくれた( ̄∇ ̄;) これによって、しばしサル山が泥沼になったことはいうまでもない。 いつだったかも、もう部室へは週に数度顔を出す程度になってしまったために、教室でお昼を食べているときにこんな会話になった。
サ 「もういややぁ・・・・なんであんな女に盗られないかんのぉ~!!」 あ 「そんなにいやなら、盗り返しにいけばいいやん。」 サ 「うぅ~・・・・そんなんできへんもん~」 あ 「やったら、ごちゃごちゃ言うなや。」 サ 「でもいややぁ~」 あ 「あぁっっ!! もうっっ!! あんたがそんなふうやで、寝取られるんだわっっ!! 勝手にせ~やっっ!!」
声を荒げたσ( ̄∇ ̄)と、それでもお構いなしにぎゃーぎゃー嘆くサナエを、クラスメートたちはギョッとした顔で見たのである。おぉ・・・( ̄∇ ̄;) うちらにしてみれば、いつも部室でやっていたことをたまたま教室でやってしまったというだけの、いわば日常なのであるが、みんなで仲良くヽ( ̄ ̄∇ ̄ ̄)ノ ランラン♪ といった風潮を大事にする女子クラスの面々には明らかに非日常であったようだ。 「どうしたのぉ? だいじょうぶぅ~?」 と心配そうに声をかける、あまりうちらと人種が一緒でない女の子たちをいつもの口先三寸で遠ざけ、とりあえずは平静を取り戻したふりをする(笑)。 しかしごはんを食べ終わる頃には、平静を装っていたふりが本当に落ち着ききってしまっていて、またいつものように、「きゃはは」と笑いながら、まったく別の話で盛り上がったりするのである。その辺が、クラスメートたちには不可解であったようだ。まぁ、σ( ̄∇ ̄)とサナエにとっては、こんなものはケンカでもないのである。
そうは言うけど、このオンナ、実はやたらと仕事をする。オトコ以上に仕事をする。 その片鱗は、高校時代から垣間見せてはいた。部内の雑事にとどまらず、地区大会や外部公演の時となると、まるで水を得た魚のようにくるくるとよく働いた。 地元の大学を卒業したサナエは某大手カルチャースクールで電話営業という仕事に就いたのだが、その成績が新人部門でいきなり全国1位になり表彰されたのだ。新人の枠を取っ払っても全国2位という快挙で、その事実にはさすがのσ( ̄∇ ̄)も唸らせた。まったく分野外のσ( ̄∇ ̄)でもその会社の名前はよく知っているからだ。 で、当の本人はというと 「昇進の話が出とるんやけど、な~んか面倒くさい。」 だの 「やめよっかな。」 だの、まったく自分のキャリアに執着がない(爆)。どんな状況であれ自分の仕事だけはしっかり全うする、なんというか、根はまじめなだけなのである。そうかと思えば、意外にも向上心があるようで、就職して1年目だか2年目だかのうちに色彩検定までとってしまい、 「これで名刺にカラーコーディネーターって肩書きがつくようになったわぁ♪」 などと言ってはしゃいでいたのである。
妙にパワーが有り余っているオンナなのだが、仕事だけでなく恋にもちゃんと従事していて、ちゃんとバランスが取れている。手厳しいけれど人間的には信頼できるから、いろんな意味で「いいオンナ」なのである。
同じ古巣をあとにして、σ( ̄∇ ̄)はそのまま自由業へと突入し、サナエは会社勤めをするようになったのであるが、σ( ̄∇ ̄)は今でも思うことがある。 かつての仕事のこなしようから、やっぱり1番信用できるのは彼女である。 もしσ( ̄∇ ̄)が企画をあげたとしたら、運営・指揮は彼女に任せたい。制作業務をさせたら、彼女のフットワークは大変大きな強みになる。
コイツともう1回、芝居を通して仕事がしたいと切望してやまない今日この頃なのである・・・・。 (相もかわらず、私の干され人生は続くのであるが( ̄∇ ̄;))
2000年11月06日(月)
|
ことばの色 ~身も心も日本人~ |
もはや記憶の奥底に追いやられてしまったことではあるが、今でもうっすらと覚えていることがある。 両親が文字を教えてくれたことである。 思い出そうとすると、まるでドラマか映画の回想シーンのように、うっすらと白い靄がかかっている記憶なのだが、そんな記憶と一緒に私の中には日本語の50音が組み込まれていったのだ。 今では大々的に脱サラを果たし、すっかり職人然としてきた父だが、当時はとある家具会社に勤めていて、そこで余った木っ端を真四角の同じ大きさに切って家に持って帰り、それを使って積み木を作ってくれたりしていた。そして母がその積み木に、50音を書き込み、それで私は文字を覚えた。 それから少したって、友達の家に遊びにいったりすると、やっぱり文字や絵の入ったカラフルな積み木やブロックがおもちゃ箱の中に入っていたりしたのだが、幼い私にとって、そういう味気ないものよりも、ずっしり・しっくりと手になじむあの手作りの積み木が当然の如く、高価なもののように思えた。
そんなところから始まり、私が初めて文章らしきものを書き始めたのは6つの頃だった。まだ小学校に上がる前だったが、とかく本を読んだり文字を書いたりすることが好きだった私は、そんなことはお構いなしにどんどん自分の世界を構築し始めてしまう妙な子供だった。
小学校に上がったら上がったで、算数だの理科だのは人並み以上に苦手なクセして、国語・・・・とかく作文になると私はその本領を発揮してきた。そういう私の傾向を逸早く見出してくれた先生たちは私にどんどんものを書かせ、どんどん評価し、どんどんあおった(爆)。
中学になればなったで、夏休みの自由研究に国語科では「小説創作」などという専攻があったので、喜び勇んで飛びついた。何せ、量を書くことについては全然苦ではなかったので、これが夏休みの宿題になるのであれば軽いものだ♪♪と張り切りまくり、規定20枚以上を遥かに上回る量で作品を仕上げた。3年生になる頃には、ワープロも苦なく使えるようになれたので、手書き原稿をまた更に上回る量の作品になってしまったことは言うまでもない。
高校に進学し、書くことよりも芝居が面白くなってきてしまったわけだが、それでも書くことはやめなかった。もうやめられなくなってしまったのである。(←中毒??) わからないことばがあるとくやしいので(爆)躍起になって辞書で調べ、とっとと理解して自分で使いたがる。ことばを覚えるというのは知ったかぶりすることなんだ♪と勘違いな理屈とアウェアネスが生まれたのもちょうどこの頃だ。
大学生になって上京を果たすと、面白い刺激が高校時代とは比べ物にならない勢いで次々に私を突っつく。都会には大きな本屋さんもあるから、自分の欲しかった資料も好きなように揃えられる・・・・はぁ~♪ 幸せ・・・・♪ こうしてますます書くことをやめられないまま、今に至るというわけなのである。
ついこの間、クローゼットの中を片付けていて、昔書いた原稿の束を見つけた。まぁ、いわば色んなところに出そうとして、自ら排斥したボツ作品の数々なのだが、それを読み返してみて、ふとあることに気づいたのである。 ん・・・・? 使う語彙が違うっっ!!もう、全然色が違うのである。 中学の頃に書いた作品を、高校生になって読み返した途端に違和感を感じたり、そんな高校時代に書いた作品を大学生になってから読み返して違和感を感じたり・・・・なんてことを今まで繰り返してきたわけだが、今回、またその違和感に遭遇したわけなのである。そのくせ、大学を卒業してから書いた作品群に対しては、例え3年前のものであっても未だに違和感を感じないのだ。環境が変わってしまうと、つい1年前に書いたものですらおかしな違和感を感じるというのに・・・・。 おかしなものである。
だから、自分のHPでも短歌を扱っているコンテンツではとかくことばにこだわってみた。音、文字のもつ意味、リズム、等々・・・・。それによって、昔・・・・私が初めて文字を覚え始めた頃のことも思い出したのである。 1文字1音が保証されている、日本の50音。積み木をかちゃかちゃいわせながら覚えた文字の形と音に、今さらながらではあるけれど、もう1度戻ってみようかなぁ・・・・などとノスタルジックな気分になった。使わないとどんどん忘れていく語彙の数々・・・・その中から、自分の色と音を形作るものをチョイスしていかなければならない時期にきたのかもしれない。
こんなことばかりをしているので、甲斐性のない、うだつの上がらない、どうしようもない大人になってしまったのだな( ̄∇ ̄;) おとーさん、おかーさん・・・・感謝してますよ♪ つまんないことばを吐く人間にならないようにこれからもがんばるから、今月分の家賃、何とか都合つけてもらえないだろうか(-。-)ぼそり・・・・ あぁ・・・・本当にどうしようもない娘だな( ̄∇ ̄;)
2000年11月04日(土)
|
営業されちゃいましょう♪ はい、毎日のように(爆) |
昨日、あんな日記を書いたせいではない(と思いたい)。今日も昼頃に、今度はジュエリーの問屋と思われる会社の営業の兄ちゃんから電話がかかってきた。
かねがね思っていたのだが、やはりしょっぱなに会社の名前を名乗るとがちゃりっ!とやられてしまうのだろう・・・・ヤツらは必ず自分の名前だけを名乗り、あたかも「知り合いです♪」みたいな素振りで話し始めるのである。σ( ̄∇ ̄)は1人で暮らしているのであるが、実家にいた頃にもこのような電話はよくかかってきていて、その辺を心得ている母サヨコはσ( ̄∇ ̄)よりも面白い攻防戦を繰り広げているようだった。 いつだったか、同級生を装って営業の電話をかけてきた兄ちゃん相手にこんなやりとりをしたという。
営 「あのぅ・・・・高校時代の同級生なんですけど・・・・」 母 「何年生のときのお友達でしょう?」 営 「え~っと、3年です。」 母 「うちの娘、3年の時は女子クラスだったんですよっっ!?」 営 「・・・・・・。」
きっと、彼が手にしていたのは高校時代の名簿ではないのだろう。まぁ・・・・高校時代の名簿がたとえ手元にあったとしても、σ( ̄∇ ̄)が通っていたのは正真正銘、普通科の共学だったし、まさか女子クラスなんてものがあるだなんて、先方はご存知なかったのだろう。こんなふうにして飽くなき攻防戦は続いていくのであるが、先方もまんざらバカではないらしく、この「同級生作戦」もやがては下火になっていったようだ。応用例として「会社の同期作戦」みたいなものもあったみたいだが、σ( ̄∇ ̄)は勤めに出たことがないので、こんな作戦を出した途端に怪しまれてしまうことはうけあいだ(爆)。また、ちょっぴりお茶目な母サヨコはこんなやりとりをして営業さんらをケムにまいている。
営 「夕雅さんはいらっしゃいますか?」 母 「いえ、東京に行っているので・・・・」 営 「では、いつ頃お帰りですか?」 母 「さぁ・・・・出てったきりなもので。いつ帰ってくるのか、さっぱりですわ♪ おほほほほほほほほほ・・・・・」 営 「はあ?????」
最後まで、上京してそっちで暮らしているとは言わないまま電話を切るつわもの・・・・( ̄∇ ̄;)。やっぱりσ( ̄∇ ̄)はあんたの子なのね、おかあたま(爆)。
今日、電話をよこしたのは2つばかし年下の元気のいいお兄ちゃんだった。やっぱり最初は自分の名前だけを名乗った。心あたりのない名前であるのと、やたらハキハキしているのと、電話の向こう側が賑やかなのとで、すぐにそれが営業の電話だとわかる。 宝石を扱う業者の営業さんというのは、えてして必要以上に元気がいいものである。加えて世間話が好きである(爆)。σ( ̄∇ ̄)もまんざらバカではないので、こういう営業さんたちの勢いに押されまいと、言いくるめられないだけの知識を身につけた。まだ、そんな電話がガンガンかかってこなかった頃、たまたま初めてかけてきた営業さんとすごく仲良しになってしまい、その人の会社が主催するイベントにも冷やかしで出かけていき、どんなことがそこでなされるのかということまでしっかりと見てきた。宝石の良し悪しについてはあまりよくわからないが、粗悪品をつかまされるようなヘマはしないようにと、それをきっかけに少しは勉強した。勿論、σ( ̄∇ ̄)は基本的に貧乏人なのでうっかり買ってしまうなんてことはないのだが、そうやって自己防衛のために身に付けた知識も今になってちょっとは役に立っているようだ。
営業さんたちのマニュアルにもあるのであろう手口の1つとして友達になるというのがある。きっと相手に警戒心を抱かせないようにと、本来の営業とは関係のない話をすることで心理的に相手を油断(もしくは安心)させ、本来の目的を提示したときに断わりにくくさせてしまうという、基本的な作戦なのであろう。 名前を出すと誰もがわかるSという会社から営業でかけてきたお兄ちゃんから聞いたのだが、個人的にお友達になったという意味で携帯電話の番号を交換することがあるのだが、その番号は会社でリストとなって残され、後々の営業に再活用されるのだという。この話をしてくれた時点で彼はこの会社を辞める決心をしていて、σ( ̄∇ ̄)にも「ごめんなぁ、ごめんなぁ」としきりに謝っていた。後々、同じ会社からまた営業の電話があって「あ・・・・このあいだAさんから電話いただきました。」と言うと、「あいつ、どこにいったか知りませんかっっ?」ときたもんだ(爆)。どうやら辞表だけを叩きつけて、受理されるかされないかも決まらないうちにどこかへ消えていったらしい。この会社からは月に4~5回くらいの勢いで、全く別の人から電話がかかってくる。会社の名前を聞くと「あぁ・・・・またか」といった感じである。面白いので、電話をかけてきた人の名前をいちいち控えておいて、「この人と、この人と、この人と、この人から電話をいただいてますけどぉ♪」なんて言っていちいち相手をからかうのが、今、攻防戦の中で一番楽しい(爆)。
今日かけてきた兄ちゃんは、σ( ̄∇ ̄)がいつものように言いくるめられない相手だと悟ったのか、適当なところで切り上げる方向へ逃げた(爆)。けっこう和気藹々と世間話をしてしまったのだが、そういう中で脈なし!というのをしっかりとアピールする必要があり、それは絶対にはずせない( ̄^ ̄) 兄ちゃんは、「今日の夜、家にいるんだったら、またかけていいかなぁ?」とのたまった。おう( ̄^ ̄)のぞむところだ(爆)。「こうやって話せたのも何かの縁だし、また話したいよ。」と言う彼の言葉は決して真実ではない。
ただ今、21時50分。 宝石屋の営業は、けっこう夜遅くまで仕事をしているものだというのは先刻承知であるが、果たして彼が今日中に本当に電話をかけてくるかどうか、大変見ものである(爆笑)。
2000年11月03日(金)
|
貧乏人はSOHOで稼ぐがよい |
うちにはよく、見知らぬ人から電話がかかってくる。 ジュエリー、エステ、化粧品、英会話・・・・このへんはどなたにもおなじみ、かつメジャーな販売勧誘だが、時々、布団のクリーニング、浄水器、「新しいお部屋についてお考えではないですか?」などという不動産屋などからもかかってくる。前者たちは営業の口調もかなりハキハキしていて、面白いお兄ちゃん、お姉ちゃんであることが多いので、ヒマなときだと結局30分くらい世間話をしながら相手をからかって遊んだりもする。前なんかは何かのキャンペーンだったのだろう。営業の電話を受けているところへキャッチが入ったのでそれに出てみると、まったく同じ会社の同じフロアから電話をかけてきていたなんてこともあり、あちら側で「おい!! 俺の邪魔すんなよ!!」などとケンカまがいなことが始まってしまったことまであった(爆)。後者の場合は「奥様ですか?」などと聞いてきやがる場合が多いので面倒。「おかあさんは、今いません♪」というアホみたいな演技をかまして10秒程度で相手に不快な思いをさせずに電話を切るという技術も習得した(決していばれる話ではない(爆))。むこうも仕事で電話をしているのだし、お互いに不快な思いをするのは損だ。そんなこんなで、営業さんと仲良くなってしまったりするものだから、個人的に電話をしてくるお兄ちゃんもいたほどである(爆)。内緒で名簿の出どころを教えてくれた人もいたし、わざわざσ( ̄∇ ̄)の公演に足を運んでくれちゃったりしたマメな人もいたし、挙句には電話をしているうちに営業さんのほうの人生相談になってしまって、σ( ̄∇ ̄)と電話したのが原因で会社を辞めて転身した人も数名いた。うちに電話をしてしまったために、人生を狂わされてしまったのである(爆)。
さて・・・・。 本日も、そんなことなどつゆ知らず私のところに電話をかけてきた1人の営業さんがいた。初めてうちにSOHO関係の電話がかかってきた。 しかし、この営業さん・・・・く・・・・暗い!声だけでその人の印象というものはかなり伝わってしまうものだけど、うちにかかってきた営業の電話の中でむちゃくちゃハイレベルに暗くて、要領を得ない最悪の電話だった。 はじめ、そんな電話が珍しかったものだからσ( ̄∇ ̄)は適当にいなすタイミングを失い、その会社(団体)の有り様だとか営業目的だとかを全部聞くハメになってしまったのである。かいつまんで要約すると・・・・ 「最近、摘発された会社で勧誘販売その他によってお買い物をされたリストの中に、日野さんの名前が挙がってきまして、不本意なお買い物によってお支払いの負担が大きいのではないかと思いまして・・・・そこで今回、無料でSOHOのご紹介をすることによってその収益を返済に充てていただこうということでお電話をさしあげました。」 ここまで聞くと、こちらが気になるのは2つである。 ①SOHOの斡旋を本当に無料でしてくれるのだろうか? ②摘発された会社というのは一体どこなんだ!? ここ(エンピツ)に投稿できるということは、お家にPCその他があるということである。HPも何とか運営しつづけていられるし、Wordもかなり使えるようにはなった。そういう状況に至るには色々と苦労もあったわけだが、SOHOをやるには色々とトラブルも多いと聞くので手が出せないでいた。この営業さんのおっしゃるとおり、σ( ̄∇ ̄)には(不本意ではないにしても)未だ払い切れていないローンが月に2万ほど継続して残っているのである。・・・・そうかぁ、SOHOかぁ。もともと興味があったσ( ̄∇ ̄)は、もっとつっこんで話を聞きたいと思い、質問攻撃に出ることにした。それにしても相手は本当に要領を得なくて、この時点でかなりイライラしていたのだけれど、それも我慢してこの会社のサポート状況を聞き出すほうを取ったのである。
あ 「本当にSOHOの斡旋をしていただけるのですか?」 営 「斡旋するといったわけではなくて・・・・こちらが日野さんのサポートをするといった形でして・・・・」 あ 「ですから、そのサポート内容を聞きたいのですけど。」 営 「はぁ・・・・あのぅ・・・・(説明)・・・・といった感じなのですけれど・・・・日野さんが前向きに取り組んで頂けるのでしたら、収益は必ず上がりますので・・・・」 あ 「でしたら、資料を請求したら送ってくださるのですか?」 営 「それはですね・・・・こちらで段階を踏みまして書類を作成したところで・・・・え~、ここまでで何かわからないことがありますでしょうか?」
わからないことだらけである( ̄∇ ̄;)。書いたものを読んでいるようなマニュアル営業には興味も関心もないもんね( ̄^ ̄)。 先方は決して営利目的ではないと言い張るのだが、それだって妙な話である。おまけに無料でノートPCも提供するというのである。こんな巧い話があるわけがない。σ( ̄∇ ̄)の家にはもう既にどでかいPCが我が物顔で場所を占拠していて、2台目など例えノート型でも必要ないのである。
あ 「こちらにはもうPCもありますし、無料で提供するといわれましても・・・・それを辞退してそちらに登録するということはできるのですか?」 営 「えー・・・・それは・・・・」
要するにこの営業さん、肝心なところを隠したまま話を進めようと必死だったわけである。ますますσ( ̄∇ ̄)は猜疑心でいっぱいである。
あ 「ところで、摘発された業者から名前が挙がったとおっしゃってましたけど、その業者って一体どこなんですか? 罪状とか色々あるでしょう?」 営 「え!!??」 あ 「教えてもらえないんでしょうか?」 営 「し、少々お待ちください。」
おーおー、とうとう上司に助け舟かよ(爆)。まぁいい。コイツでは話にならない( ̄^ ̄)。大体、営利目的ではないとか言いつつこちらの不安をあおるような材料をかざして登録させようなど言語道断である。今まで営業で電話をかけてきた連中に本来の目的である営業なんかさせずに世間話ばかりをしてきて、先方の戦略その他の数々を見てきたσ( ̄∇ ̄)にそのような手は通用しないのら( ̄^ ̄)。少し待つと、上司らしき人間が電話口に出た。こちらは営業歴も長いのかハキハキとした口調でとりあえずこちらの言っていることをわかってもらえそうである(爆)。
上 「お電話かわりました。摘発された会社のことをお知りになりたいということでしたが・・・・?」
あは♪ 本来そんなことなどどうでもいいのである。大体、カード会社を経由して送られてきた名簿を見て電話してることくらいだし先刻承知だし、σ( ̄∇ ̄)が買い物したその会社が摘発されるのであれば、大々的に新聞やTVで報道される。そのくらい大きくて名の知れたところだったから、摘発なんて真っ赤なウソなのである。たとえどんな罪状であれこちらがひるむべきポイントではないのである。
あ 「いえ・・・・そんなことはどうでもよくて、σ( ̄∇ ̄)もSOHOには少しばかり興味がありますので、そちらのサポート状況を詳しく知りたいと思いまして。」 上 「あぁ♪ そうでしたかぁ♪ ・・・・(説明)・・・・といった感じでして。全国でも10万人以上の方に参加していただいているんです。」
ほ~ら♪ この人のほうが説明、上手じゃん(爆)。先ほどは闇に葬られていたポイントがこれで見えてきたぞぉ。無料でPCやらを提供するとはいえ、例えばHPの作成やら原稿の打ち込みやらの技術サポートはCD-ROMなんかでやるらしく、その代金というのが86万円もするというのである。むこうの言い分では、SOHOを始めるにしてもPCやら何やらの先行投資がかかるものであり、技術サポートやらPC本体やらひっくるめての提供価格が86万円なら安いものだというのである。その支払いは、SOHOで得た収益の中から月々2万円ずつ落とされるというシステムらしかった。確かにむこうの言っていることは正しいが、それはこれからPCを買って始めるという人たちに限られてくる。PCが手元にあり、独学である程度の技術を取得して、不自由のない程度に使えるようになってしまったσ( ̄∇ ̄)にはその月々2万円の負担というのは、まったくもって本末転倒な話なのである。もしSOHOを始めるのであれば、自分でその紹介サイトを探したほうが早いからである。
あ 「でもそのPCやら教材のCD-ROMを買わないことにはそちらに登録できないということですよね?」 上 「えぇ。そういうことになってしまいますねぇ・・・・。」 あ 「そうですよねぇ?」 上 「もし、SOHOに興味がおありでしたら、○○という雑誌を見てみたらどうでしょうか? トラブルを抱えない優良サイトばかりが紹介されているので、ご参考になると思いますよ♪」
この営業(上司)は、それからもノートPCのほうがSOHOには有利だとか色んなことを言ってくれたが、むこうもσ( ̄∇ ̄)の状況に関して言うならば自分たちの営業範囲には適さないと悟ったのか、大人しく身を引く方向を選択しようとしていた(爆)。σ( ̄∇ ̄)の方もわざわざ同じ説明をわかりやすく説明しなおしてくれた上司の人に敬意を表し(笑)
あ 「でも、SOHOには興味がありましたから。色々とありがとうございました♪」
といって電話を切ったのである。 まぁ、要領を得ない電話が発端であったとはいえ、こちらにもなかなかいい情報が提供されたのは言うまでもない。こういう会社が営業を存続しているということ、σ( ̄∇ ̄)の知らなかったSOHOの専門誌の名前を教えてもらったこと等々。 σ( ̄∇ ̄)もなまじっか収入が少ないのでSOHOに手を出そうとしていた矢先である。これを機会に自力で始めてみるかなぁ・・・・と思い始めていたのであった。(近日中に本屋に走るだろう(笑))
しかし・・・・。 途中で電話を上司に譲ったあの兄ちゃん、きっとあの後叱られたんだろうなぁ(爆)。営業の電話をする第一条件として、相手に言いくるめられないだけの語気と話術くらいは習得しとくべきだったのだ。 お前こそ、自宅にこもってSOHOで稼いだほうがストレス少なくていいんじゃないか? などと、余計なお世話的なことまで考えてしまうσ( ̄∇ ̄)なのであった。 どうせなら、説教のひとつでもかまして、彼の人生を狂わせてやるのも一興だったかもしれんな(* ̄ー ̄)ニンマリ
そんなこんなでσ( ̄∇ ̄)は、各会社の営業さんたちとこれからも飽くなき攻防戦を繰り広げていくのであろう・・・・
|