2001年01月28日(日)
私は無力です
 時を忘れてものを書くのに没頭したりする私は、決してプロではないのだけど、きっと同じように、ワープロやら原稿用紙に向かったことのある人なら、1度くらいは「ことばの無力さ」みたいなものを感じたことがあるのではなかろうか、と、最近頓に思うようになった。
 そういうジレンマを越えたところに言霊というものが待っていて、書き手を救うかのような幸せを少しだけ落としていってくれる。

 ところで。
 前にものの本で、こういうくだりを見たことがある。

「自分のことについて文章を書かせたり話をさせたりすると、ある特定のことばが何度も何度もくり返し出てくることがある。それは得てして、そのことばが今、その本人にないことのほうが多い。」

 例えば、口では 「俺は自由だから」 「自由に生きるんだ」 「俺の自由を邪魔しないでくれ」 と言う人に現実、自由はない・・・・という具合。
 まぁ・・・・一理ある。
 で、ついこの間、ある人のHPを見ていた時に、「幸福」とか「幸せ」とかいうことばがふんだんに散りばめられた章を見つけてしまい、少し哀しかった。上記の例を鵜呑みにするわけではないが、それでもその文を読むと、幸せの主張だとかそういうことが書いてあるはずなのに、ひしひしと薄幸感が漂ってきている。ご本人はきっと無為自然に思いを綴られたのだろう。それでもこんな色としてこちらに伝わってしまうというこの現実・・・・不思議なものです。

 舞台の稽古をしていても、ことばの無力さにぶつかることは多い。
 演出家によっては、こちらが発した微妙な音のニュアンスからきっちりと感情を読み取る人もいて、同じシーンで何度も何度も同じダメを出される(当たり前なんだけど(笑))。そういうことを繰り返しているうちに、今自分がどんなことを言わなければならないのかということまで麻痺してきて、何が何だかわからなくなってしまうなんていうのもよくある話(爆)。私だけだったりして( ̄∇ ̄;) 
 文字として書き表してしまえば、確実な1つの意味をもつ。同音異義語なんていうのもあるが、文章になっていれば、前後の流れでだいたいの察しはつく。が、それを音として発すると今度は確実な色がつく。絵の具でいうなら、筆からたった一滴水をたらしたか否かの違いだけで、ことばの印象も随分違ってくるようだ。これもまた不思議。

私なんかは、たった一言「こんにちは」というシーンで、全く違うニュアンスでを20パターンくらい要求され、挙句に「あ・・・・8回目のやつ」などと言われ、混乱してました。・・・・だったら8回目のときに指摘してくれよ、みたいな(爆)。

 そんなこんなでつい最近・・・・。
 まさに「ことばの無力さ」を痛感させられることがあった。何を言おうにも、相手には「音」としか識別できないのだろう、ということに気づいた時の怖さといったらなかった。その時、会話の相手は電話のむこうで、顔も見えなければ側に寄り添っているわけでもない。いくら気持ちをこめようとも、どんな美辞麗句を並べようとも、このときばかりは無意味だと思い、絶句してしまうしかなかった。
 感情はそこに確かにあるのに、音がなくなり、伝えるすべを失ったとき、私は自分の無力さを思った。

 ドラマや映画、小説なんかでも音(ことば)のないシーンというのは沢山でてくる。それを、色んな手法を駆使して、感情の交錯みたいなものを表現するのだ。ことば(音)で表現しきれないと、作り手が認めてしまった結果だ。

 私も、自分のHPをはじめ、数々の手法を用いて、ことばでの表現を続けてきた。あるいは音で、あるいは活字で、あるいは肉筆で。そのたびに評価を下す人が周囲にいて、そのおかげで私も微々たる進歩を続けているわけだ。
 が・・・・・・。
 ことばに魂が宿るなど、そうそう容易に起こり得るものではない。ことば全てに魂が宿ると考えるやり方は、思いあがりなような気もする。響く「音」にするためには、少なくとも真摯さが必要だということかもしれない。
 身を削り、心を削り、少なくともどこかで「痛み」のようなものを感じながら、何かを込めないことには「ことば」として成立しないものだから、必死になる。
 「こんにちは」と一言申し述べるために、2時間かけた演出家のこだわりはここにある。

 私は無力です。
 ことばを並べるだけなら、誰にだってできるのです。
 そのことばが魂をもつ・・・・・なんてことは望んでません。
 ただ、せめて。
 四肢をもち、意志をもつものになればいいなと思うのです。




2001年01月27日(土)
世紀をまたぐよ♪あさみたん④ ~20歳になるって・・・すごいの?~
2001年1月11日
 成人の日。
(前の日の日記にもあるけど)私はお出かけしていたので、当日の報道はあまり目にしなかったのであるが、あの日を境に続々と「成人式事件」なるものが舞い込んできている。
 やれ知事に「帰れ!!」と罵声を浴びせただとか、やれ祝辞の最中にクラッカーを投げつけただとか、場外乱闘、暴行、式場内での飲酒等々、何だかよくわからないのだけどハメをはずしすぎたお粗末な若者たちの素行が大々的にニュースで取り上げられたりした。そして、たくさんのコメンテイターたちが、あーだこーだとそれに対する意見を述べ合い、
「これでいいのか!?日本!!」
みたいな感じで一連を閉じていた。成人式の是非だとかについても言及していたりして、素行の悪い若者たちを批判する反面、もっと面白い演出をすべきではないかとか、成人式そのもの、もう必要のないものかもしれないだとかいう意見まで飛び出していた。

 え~っと・・・・。

 20歳になる瞬間って、そんなに凄いモノだろうか?
 そりゃあ、私も自分の成人式の時は、振袖を着て大雪の降る中を会場に向かい式に参加したものだが、別に「今日から大人」と特別な意識をしたわけではないし、そもそも式典に参加したのだって、同窓会みたいなノリだったりもして、意識的には今の若者とそんなに変わらない気がした。・・・・そりゃあ、暴れたり罵声を浴びせたりはしなかったけど( ̄∇ ̄;) 
 だいたい、20歳を迎えるっていうのは、基本的に自分の誕生日なわけで、それって個人で全然日が違う。約3ヵ月後に21歳の誕生日を控えていた私なんかは、いうなら成人式の前までに十分すぎるほど20歳を堪能してしまっていた。
 更にいうなら、大学に入った時点で周囲には大人になりたての未熟者が沢山いるわけで、そういう人たちと一緒にいるところではたとえ私が19才だと主張しても、酒だって、タバコだって、男だって何でもアリの無法地帯みたいなものだ。
 全部を20歳以前に味をしめてしまった子達なんかは、逆に厳かに式を迎え、成人式を境に酒もタバコもやめます!と誓言するというのも珍しい話ではなかった。早いうちに色々とやっておくと、大人になる準備も滞りなく整うというのはまんざらウソでもないらしい(笑)。


 私が20歳の誕生日を迎えた日・・・・。

 3週間後に幕をあげる芝居を控え、てんてこまいなスパンで、よせばいいのに劇団内にクーデターを起こしてしまったものだから、心身ともにくったくたになっていた。
 誕生日の夜。
 クーデターの結果、演出家を引き摺り下ろし、本も差し替え。そんなわけで制作さんの家に泊まりこみで本を仕上げる作業をすべく、日がな1日ワープロにむかっていた私は、ふっと緊張の糸が切れ、ワープロを打ちながら泣いていたのである(爆)。
 クーデターなんて起こすべきではなかったんじゃないだろうか・・・・・・とか
 どうしてこんな簡単な仕事でゆきづまっているんだろう・・・・・・とか
 あぁ・・・幕はホントにあがってくれるんだろうか・・・・・・・とか
おおよそおきらくごくらくな学生らしくない苦悩でぐしぐし鼻をならし、それでもまだ指はキーボードを追っていて、また更に泣けてきた・・・・と何だかよくわからない日だった。
 そんな私を、仙台に里帰りしていた劇団員のイセさんは、お土産の笹かまぼこをくわえさせて宥めてくれた。20歳のお祝いはケーキではなく笹かまぼこだったりするところが、私らしいといえば私らしい( ̄∇ ̄;) 

 オトナなら、もっと後先を考えた行動ができてたのかなぁ・・・・当時、そんなことを思ったりもした。

 「オトナ」というものを昔(小中学生)ほど切望しなくなっていたけれど、子供のままでいたいという願望があったわけでもない。それこそ、実家でぬくぬくと暮らしていた高校生までの自分よりも、更にゆらゆらのふらふらであることを自覚させられた感じ・・・・。20歳になったところで、実は何も変われないという空虚な現実と、その日を境に届く選挙の投票権やら年金の払込用紙に責め立てられただけだった(笑)。
 加えて・・・・・
 今だってそんなに変われてないからイヤになるのだ。(まったく・・・もう)
 生活が危ういこととか、本業がモロに休止中だとか、どうしようもない材料が満載でため息が出てしまう。自立した18歳とこのアタシ(自立できない26歳)を比べてどっちがまともかといったら、まがいようなく前者ですもの。

 涙、涙で迎えた20歳の誕生日。
 大雪だった成人式。
 体も心も風化寸前だった26歳の誕生日。
 そして報道が騒ぎまくった今年の成人式。

 色んなことが頭を巡った。



 年末年始、大きな事件が頻発していて、本当ならもっと我が身をいといたいのに(爆)つい他人様のほうへと意識が向いてしまっていた。
 米子の赤ちゃん、無事に戻りました。
 世田谷の一家を殺した人はまだ見つかりません。
 北陵クリニック、大丈夫なの?

 何もバカ騒ぎをした若者や人を殺めたならず者だけが日本をダメにしていくのではない。

 せめて今年中にはまともに暮らせるようになりたいな・・・・と、日本をダメにするだろう予備軍の一角を担う私は、ニュースを眺めながら自戒を繰り返すのだった( ̄∇ ̄;) 



2001年01月26日(金)
世紀をまたぐよ♪あさみたん③ ~人は「葬る」「弔う」生きもの~
2001年1月8日
 全国的に成人の日らしい。
 私たちの頃は、1月15日だった。
 ハッピーマンデーという制度が成人の日には適用されるらしい。ハッピー・・・・?? まぁ、いいか♪

 成人の日・・・・だからというわけではないが、ダーリンと映画を観てきた。成人映画じゃねえよ、ちなみに(笑)。
 公開時、マスコミを騒がせた「バトル・ロワイアル」である。何でも描写の関係でR15という指定がつき、中学生以下は見ちゃいけないんだそうだ。
 それに異議申し立て(とは違うか( ̄∇ ̄;))したビートたけし。・・・・映画を見終わって、私は思った。

 これは子供にこそ見せなければならないのではないか・・・・? と。

 ビートたけしが言っていたことが、何となくわかった気がしたのである。

 原作の小説が出てしばらくして、私の周囲でもちょっとばかし話題になった。バイト先でも話が出たし、電車の中でもすんごい顔をしながら読み耽っている人たちを何人も目撃した。・・・・この作品に一体何があるというのだろう?
 当時は不思議だったが、今は何となく納得している。

付記
映画を観てから数日後、ようやく原作を入手。1月23日、ついに読破。自分でも、久々にあんなぶぁ~っつい本を読んだものだから、ちょっと悦に入っている(爆)。ちなみに容量は1322枚の書き下ろしなだけあって、いくら本を読むのが好きな人でも速読術を身につけていなければ猶に丸1日・・・・いや、それ以上はかかる分量でしょう。

 さて。映画のことだが。
 作品の進行自体はシンプルでスッキリしている。
 演技のことはこの際、どうこう言うまい(笑)。
 エンディングに至っては、原作とはほぼ違うニュアンスで伝わってしまいそうなほどにあっけなく、「バカにすんなよ♪」とほくそえみたくもなったのだが、それでもさすが話題を呼んだだけあって、なかなかの力作だと私は思う。
 そして。
 この作品の中に込められている数々のキーワード(みたいなもの)をR指定をかけた人たちはきちんと分析しきれたのかどうか。これが疑問である。
 描写からいったら、この間おじょ~と一緒に観てきた「カル」の方が心臓にもよろしくないし、よっぽど子供にも悪影響だと思うのは、私の偏見ですかね・・・・?(爆)
 あらすじに少し触れると・・・・。
 B.R.法(バトル・ロワイアル法)という法案が制定され、それに基づき全国の中学3年生から無作為に選出されたとある1クラス(原作では50クラス)が離島へ3日間隔離され、そこで最後の1人になるまで、殺し合いをする。最後の1人だけが島から帰ることができるのであるが、時間切れになって複数人残ってしまった場合は、全員が首につけられたセンサー(みたいなもの)で吹っ飛ばされてしまう・・・・。そんな状況の中での物語。

 さて・・・・。そろそろ本題に入りましょう。

 先日、同じ映画を観たネットの友達のもりぞうさんから、うちのHPの宿帖(掲示板)にこんな書き込みをいただいた。

「友達、殺したことある?」

 あるわきゃないのである。
 本人も言っている。
 あったらそもそも、こんなところで悠々とキーボードなんか打っちゃいないって(笑)。
 私はその書き込みに、こうレスをつけた。

「風葬なら何度かある。」
と。

 作家・山田詠美の名作の中に「風葬の教室」という読み切りの作品がある。
 主人公の女の子(小学生)が、いじめを苦に自殺をしようと思い立ち遺書を書くのだが、その時に、最後に家族の様子を・・・・と階下へ降りた彼女は、自分の母と姉がこんな話をしているのを耳にするのである。
「あなたも小さい頃、よくいじめられたわねぇ。」
「・・・・・・でも私は、全然平気だったわ。いじめっ子連中を一人一人殺していったもの。(中略) 全員が死んだ時には、私、クラスの人気者になってたわね。」(後略)

自らもいじめられた経験をもつ姉は、心の中で自分をいじめた人間を一人一人静かに抹殺していったのだという。

 私もそれに似たようなことをやったことがあるのを思い出した。昔々の話である。
 ただ自分の心の中で抹殺が完遂し、自分に嵐が降りかからなくなって初めて、日和見主義の「女の子」という集団の本質が見え、そういう人たちは2度と私の中で大した意味を持たなくなった。私が「みんな」という和の中にいて、例えそこでちやほやされても、自分のいる位置というのを深く考えることはあっても、和を構成する一人一人の顔などを深く追求することはなかった。常に1対1を心がけ、1対1になりえない人たちは私から去り、そうでない人が残り、環境が整備されていった。和を構成する中で、1対1になれる人とそうでない人を見分ける目を養うのに、体も心もガリガリと削ってしまった。

 私は、自らを殺さないまでも「痛かった」のだ。

 いくら心の中でだけの「仕事」とはいえ、殺す作業というのは容易いものではない。自分が痛い。色々と削らねばならないものがあるから。

 「風葬の教室」の主人公は、この後、母と姉が会話するのをずっと聞いていた。すると、2人が彼女のためにシュークリームの中身をカスタードにするか生クリームにするかを話し合っているのである。彼女はこれを聞いて自殺を思い止まるのだ。
「こんな素敵な人たちを悲しませちゃいけない。」と。

 小学5年生にして自分の確かな存在を理解する子もいれば、30にもなって人の痛みすらもわからず、ただなんとなく嫌がらせをする人もいる。大人と子供の線引きは実に曖昧で、10歳にして大人になってしまう人もいれば、30歳の子供もいたりする。そして、見た目からはわからない「子供」に翻弄されて、心の中での抹殺を完遂することもできぬまま自分の命を捧げることを選ぶ、心優しい人もいるのだ。・・・・自殺してしまう人は、一様にただ弱いだけではないような気がする。

 かの映画(原作)でも、殺し合いを避け、自ら命を絶った15歳が何人もいた。
 設定が、究極すぎたとはいえ、どうしてこの選択が間違いだといえよう。必ずしも正しい道ではない。だが自殺する人間をただ弱いと判断するには横暴すぎるような気もするのだ。
 生への執着がないといってしまえばそれまでか・・・・。
 が、しかし、他人を殺し、自分の感情をも殺し、その後に待っているものって一体何? そうまでして呼吸を繰り返すことの意義って何なのだろう? 自ら命を絶つことで、他人を殺すという選択肢をあえて選ばなかった人たちは、基本的に正常だと私は思う。決して健康ではないだろうけど。正常であれば、昨日まで明るく笑いあい、普通に口をきいていたトモダチが目の前でバッタバッタと死んでいくのを、静かな気持ちで眺めるなんていうことはとてもできないはずなのだ。
 そしてもう1つ。
 人間と他の動物の大きな違いがある。仲間の死に対して弔いを行なうことである。他の動物は仲間が死んでも、葬りはしない。自然に土に帰るのを待つか、仲間たちや食物連鎖の上のものの栄養になったりする。この作品では、殺された15歳たちはこのプログラムが終了次第、清掃業者が死体を集めにくるなどという設定だった。
 が、私の生きている国では、誰かが死んだら花を手向け、手厚く葬るという習慣がある。そこにはしっかりと「感情」が伴い色々なことが記憶される。
 親しい誰かが死んだら、それに対する感情が自ずと生まれるものである。(それがすなわち葬儀という形になったりもするのだが)が、作品の設定では、他人の死を悼んでいる隙をついて、自分が殺されてしまうかもしれないという危機感が、本来あるべきだった感情さえも殺ぎ落としてしまっていっているのだ。スクリーンを見て、原作を読み、空恐ろしくなってくる。・・・・自然な感情がないというのは怖い。そして、最低限保証された常識の危うさを厭う。人を殺すなんて、してはならないこととわかっていたはずなのに、それでも自分が生き延びるためであるならそうせずにはいられないなんて・・・・ね。
 面白いことにこの作品には、(まず日本ではないと言い切ってしまっていることに加え)法律という大前提のもとに取っ払ってしまったものの中に、大きなテーマが隠されていた。要するに、本来はなければならないものをあえて取り除いた状況での惨劇が、我々に色々なことを警告していてくれるのである。

 他を敬いなさい。
 己を敬いなさい。


 それは元来、大人が子供に体を張って教えていくべきものなのである。
 深作欣二という大人が、高見広春という大人が、自らの作品という媒体を使って、表現を通して、教えようとしてくれている。年数を経ただけの法律的な「大人」が制限をかけてはならない。
 この場に生まれたからには、まずこの場で呼吸する意義を見出すために、大人も子供も痛みの存在を知らなくてはならない。
 それあって故の・・・・・・・生への執着である。


 ・・・・などと。
 支離滅裂な感想文なんか書いちゃいましたけど、この映画を観て思うのは、そんなことよりも何よりも・・・・フィクションよりもノンフィクションで起こることの方が今やこの国では荒々しく、ある種芸術味すら帯びているみたいで。今、本当にヤバいのは、日々全国各地で巻き起こる事件の方で、決して誰かが創造したヴァイオレンス映画や小説なんかじゃないのである。
 映画よりも先に、ニュースにR指定をかけるほうが手っ取り早いのに・・・・と思う今日この頃。犯罪が先か、報道が先か・・・・・ってニワトリとタマゴが頭ん中をグルグルしてます(苦笑)

 
 


2001年01月25日(木)
世紀をまたぐよ♪あさみたん② ~きつね信仰と初詣~
2001年1月3日
 この日記でも以前触れたが、そもそもわが家は、実家からして水商売なのである。そんなわが家はな~んとなくではあるが、初詣となるときつね様(お稲荷様)である。私や弟が受験生だった年なんかは急遽、天神様に手を合わせに行ったりもしたが、ここ数年のことを思い起こすと、やっぱりきつね様に手を合わせに行っていたような気がする。

 何かの縁だろうか、私の東京の住まいの近所にも大きなお稲荷様(お千代保稲荷)があるし、実家から車で30分くらいのところにも、やっぱり大きなきつね様がいらっしゃる。更に足を伸ばすなら、全国的にも有名な豊川稲荷がある。こんな具合で、やっぱり参拝するとなれば商売繁盛を願いたいものだから、環境的にもきつねが1番よろしいかと思われる。
 きつねを祀った稲荷神社は(水)商売の神様であることは一般的によく知られているけれど、同時にドロボーの神様であるというのをご存知だろうか? なるほど・・・・商売人とドロボーが同じ神様に手を合わせることで天下は回ってゆくのだな♪などと、妙に納得させられてしまう。

 うちの近所にあるお千代保稲荷なんかは商売人やドロボーだけにとどまらず、恨み辛みをかかえる呪い希望の人にまで門戸を開いている(爆)。この話は大学時代の人類学(考古学だったかな)の教授が教えてくれたのであるが、それを聞いて好奇心をくすぐられた私は、その後の帰省でお千代保さんを訪ねた。

 そしたらっっ!!
 ありました・・・・ありましたよ( ̄ー ̄)にやり♪
 その御神木とやらが♪

 呪いのルールの1つとして、その御神木に呪いたい人の持ち物を五寸釘で打ち付けるというのがあるらしい。ちらりと覗き見たその太~い御神木には、写真から洋服の切れ端、果てはサンダルまでががっちり!と打ちつけられていて、きつね信仰の凄まじさみたいなものを思い知らされてしまった。そういうのは人目につかないお社の影にあったりする。表向きはおあげさん&ローソクを買い求めてお参りをする多くの参拝者たち・・・・しかしこの中に、夜中、五寸釘持参で恨み満面に呪いにきている人がいるのかと思うと、他人事だからこそ面白いと思うのだけど、やっぱりちょっと怖い( ̄∇ ̄;)


 そんなこんなで、今年の正月。
 昨年の秋頃から、ためこんだ旅行券をひらひらさせながら、
「なあなあ♪ どっか行こうやぁ♪」
と、わくわくしていた母・サヨコ
 当初、立てた予定はシンガポールだった。
それが
「神戸あたりもえぇなぁ♪」
となり
「京都へ日帰りっていうのも捨てがたい・・・・」
となり
「まぁ、伊勢・志摩あたりにしよか・・・・(パルケエスパーニャってまだ行ったことないし)」
というところにまでランクが下がっていったのである(笑)。

 おいおい・・・・ちょっと待てよっっ!!!

 岐阜県在住のモンが、旅行で伊勢っつうのは淋しくないかぃ???
 そんなわけで、もう1ランク上げてもらって、京都に日帰り初詣バスツアーに行きましょう♪というところで落ち着いた。

う~ん♪ 京都(* ̄ー ̄)ニンマリ

 うちから微妙な距離にあるこの古都は、見てまわるにもネタに困らないし、ちょいと出かけるわりにはイベント性も高くなっていいし、その割に近いので、大変オイシイのである。
 今回のこの日帰り初詣バスツアーは、北野天満宮から嵐山、そしてラストは伏見稲荷というコースで、オプションとして昼食に湯ドーフがつく。

 ここらに住んでた、だいたいσ( ̄∇ ̄)らくらいの年代は、小学校の修学旅行でとりあえずそのオイシさというのを知り初める。
 その後、うちの母校(高校)なんかは、2年生たちが修学旅行で広島方面へ出かけている間に、1、3年はそれぞれ別ルートで京都へ遠足に出かける。嵐山・嵯峨野を1年生が巡れば、3年は哲学の道やら銀閣周辺、その他寺社巡りをするのである。
 小学生の頃なんかは学校で習う歴史にも限界があって、古都を訪ねても感動の深さもたかが知れているのだけど、高校生以上になってくると、例えば教科書でしか見ない文化遺産だの仏像だのを目にした時の
「ほほぉ~♪」
の度合いが違うのである。

ちなみに、小学校の修学旅行で京都を訪れた時、金閣・銀閣揃って封鎖されており、その絢爛豪華な佇まいを拝めなかったのである

 うちの高校の日本史教師は、もはやマニアと呼ぶに相応しい徹底ぶりで、自称受験日本史のプロ、趣味は仏像を見ることなどとのたまう飄々とした男、O氏が教鞭をとっていた。その許で日本史の表から裏まで学んできた経歴がモノをいい、当時なかなか思うように点数が取れなかったクセに、どうでもいいような歴史エピソードだけはきっちりと頭にちゃんと残っているらしいことがこのツアー中に判明した。
 ガイドが京都の街をバスの中から案内してくれるのであるが、どうにもツメが甘く、揚げ足をとりたくなってしまうのである(こらこら)。
 ガイドが美しい声で説明を繰り広げてくれている間中、私は小声でひそひそと母に本当のことを告げてやる。彼女はなぜか大ウケである。
 とはいえ、日本史でも落ちこぼれていた私である。
 うちの元クラスメートにはO氏の教えをそのまま受け継ぐ勢いのヤツらもいたから、京都を散策する際にはそういうのと一緒に行くと、2倍も3倍も楽しめることはうけあいだ(例えば、この日記でも登場したスーパーガールサナエなんかは適任♪)。

 さて。
 天神様には、さしてお願いすることもない年頃なので、さっさと手を合わせ、向かうは嵐山。ここで湯ドーフ(あんまりおいしいものではなかった)をつついた後、いよいよ散策である。
 さあ、ひばり館に行こうか、オルゴール館はどうだ??などと地図を片手に思案しているところへ1人の威勢のいいお兄ちゃんが声をかけてきた。なりは法被に地下足袋。私と同じ年くらい・・・・?いや、ひょっとしたらもっと若いかも・・・・。

お姐さんたち!! 人力車乗りませんか??」

ここら一帯で人力車を引いてガイドをするえびす屋のお兄ちゃんである。
 私がおねえさんと呼ばれることはさして珍しくないが、母・サヨコともなれば、魚市場のオヤジかみのもんたくらいしかそう呼んでくれなさそうな年端になってしまい、この若い兄ちゃんがそう呼んでくれるとなれば、もう有頂天でうかれモードである(爆)。人力車なんて、そう乗る機会もないだろうってことで、さっそく30分コースでお願いしてみることにした。

 さすが・・・・・・・。

 現地人のガイド(しかもプロ♪)はむちゃくちゃ確かである。
 源氏物語の登場人物、六条御息所ゆかりの地である野宮神社から、小倉百人一首が作られたとされる小倉山、そいつを背景にとる落柿舎(芭蕉の草庵ですな)の説明たるや、立て板に水♪ 拍手モノである。
 私たちは2人して
「へぇ~~~~♪」
「すご~~~~~い♪♪」

を連発し、あっという間の30分をしっかりと堪能した。

↑俥夫の近藤さんと♪(初公開♪ 母・サヨコ(爆))


 この後、伏見稲荷へと移動したのであるが、正月3日の人出たるや、いやはや凄まじい。1番しっかりと手を合わさねばならぬだろうきつね様の前で、くっちゃくちゃに押されまくって、まさに命からがらの参拝となってしまった。
 気を取り直しておみくじを引く。

 大吉♪♪

 きつね様よ・・・・ありがとなぃ♪

 京都はこの日、日中はとても暖かく、気合いをいれて厚着していったが身が縮むほどの寒さではなく、まさに初詣日和だった。が、帰りの道中、長浜辺りから猛吹雪・・・・。大垣にも雪が舞い、えらい天気となってしまった( ̄∇ ̄;) 

 はぁ・・・・・。この雪が昨年の邪気を持っていってくれるとよいのだが・・・・・どこぞのじじばばみたいな念を天に送りつつ、私の2001年はこうして明けたのだった。





2001年01月23日(火)
世紀をまたぐよ♪あさみたん① ~わが家のCD-RW戦争~
 え~・・・・・先日の日記は実は実家から書いたのですが、何にせよ、慣れないパソの上、今さらバージョンアップできなくなったATOK仕様、もう、打ちにくいったらありゃしない(爆) そんなわけで、いつも携帯しているノートにネタが見つかり次第日記の下書きをしていたりした。そのネタがいくつかあるので、これからしばらくは、時差があるのは承知の上でそのことを書きつけとこうかなと思っています。乞うご期待(・・・・って、何ら珍しいことは書きはしないのだけど)


2000年12月26日
 ついに! ついにっ!! ついにっっ!!!
 やってまいりました♪ CD-RW
 無宗教なσ( ̄∇ ̄)ではあるけれど、クリスマスプレゼントとして頂いちゃいました┐( ̄∇ ̄)┌オホホ

 欲しい物は何だ? と問われ、そりゃあんた今1番欲しいもんっちゃあCD-RWじゃん( ̄^ ̄)と答えたことが見事に好転(おいおい)。こうしてわが家に本当にCD-RWがやってきたのである。

 ところが・・・・。
 わが家のパソにはSCSIがついてない。買おうとしているのはSCSI接続のCD-RW。
う~~~~~~~~~~ん・・・・・
店の兄ちゃん曰く
「これからSCSI接続の製品が主流になってきますし、取り付けもカンタンだから下げ止まりの今ですよぉ♪」
ちょい不安になりつつも、ドライバと一緒に買って帰る。

 さて。
 このパソを購入して1年と4ヶ月。
 タワーのふたなど1度だって開けたことがない( ̄^ ̄)
 外付けのUSBの機器は色々と増えていったが、中身は買った当時のままなのである。

・・・・・・・・・。

 店の兄ちゃんは、開けてネジとめるだけだって言ってたけど・・・・。ホントにσ( ̄∇ ̄)みたいなやつが触っても壊れやしないだろうか・・・・(ド緊張)?? とはいえ、梱包をとかないことには何も始まらないものだから、不安満面で私の挑戦は始まったのである。
 フタを開けると、案外ガランとしていて、ちょいと拍子抜け。ふむふむ・・・・ここにはめ込めばよいのか。

 えい。

 か・・・・固い。
 これではまったことになっとるんだろうか?
 う~ん・・・・・・・。
 ま、いっか♪
 とりあえず、フタを閉じて起動。

?????

 認識されてないんちゃう? コレ。
 必死こいて開け閉めしたタワーのフタを再びこじあける。といっても、相手は精密機器じゃん? いつもの調子で
うりゃっ!
とやるわけにもいかず、おっかなびっくりこわごわやっているのが、却っていけなかったらしい(勝手な解釈)。

 もう知らん( ̄^ ̄)。はまらん方が悪い( ̄^ ̄)。

うりゃ! うりゃっ!! うりゃあっっっ!!!

 (* ̄ー ̄)ニンマリ はまった♪
 コレでOK♪(なはず) 今度こそ大丈夫♪(と思う)
 さっそく起動をかける。

う~ん・・・・・・・・
 本当にこれでよいの?
 謎。なぞ。ナゾ。
 それにしたって、インストールがうまくいかんというのはどういうことだ?

(* ̄ー ̄)ニンマリ♪
 いつもネットでお世話になり、なおかつご近所に住んでらっしゃるN氏に救援要請を出す。色々と説明を聞き、再挑戦・・・・・・・。

 ところで・・・・。
 私ってさぁ、脳みそ文系のクセして、何でか自分のこととなると、こういうネジまわし系・接続系にも手を出したがるのよ。パソがわが家に来た時だって、あまりの大規模な梱包にびびったりもしたけど、結局は全部自分でセットアップして、その日の夜にはネットに参入してチャットも始めてしまっていたし、ビデオがやってきた日も側にダーリンがいたけど、とりあえず一通り全部自分でやった。
 まあね。ネジまわし・接続系くらいならまだしも、家の中のことならガテン系だっていけるっつうことにも16、7才くらいの頃に気づいた(爆)。

 1人でタンス動かします♪
 1人でベッド動かします♪
 1人で粗大ゴミ運び出します♪

 ただ・・・・。今は家にちょくちょくダーリンも来るので、あんまり自分ではやらない。わが家でヤツが唯一活躍できる分野にσ( ̄∇ ̄)がわざわざ踏み込んでいくことはないもん(鬼笑)。そうはいっても、前回来た時と棚の配置が変わっていることに気づいたダーリンは、σ( ̄∇ ̄)にそんな力がないとでも思っていたのだろうか、なんかむちゃくちゃ感心してた(爆)。
 そういうことは、ヤツがいる時にやればいいものを・・・・なまじっか力があるっつうのも考え物である( ̄∇ ̄;)
 今回のSCSIにしたって、前回ビデオが壊れたときにしたって、こうして1人で淡々と作業をしてしまう・・・・そして思うのだ。こんな時に、絶妙なタイミングで
「ねえねえ(甘)わかんないからやってぇ~♪」
と猫なで声の1つでも出して甘えることができると、可愛いのかもしれない、と。

 ホント、基本的に私はかわいくない女なのである。
 とりあえず何でも、わからなくなるところまではやりたがるのである。
 だって、自分が使うもののセッティングを他人に任せて、もし1人でいる時にモノがぶっ壊れでもしようものなら、途方に暮れるしかないことは明白である。そういうのが1番困ってしまうことを数年間の独り暮らしで思い知っているので、なるべくなら頼みたくないのである。
 んで、基本的にダーリンにお願い申し上げるのは、誰がやっても変わりない作業で、私がやりたくない&面倒なことである(卑)。

「燃えないゴミ、だしてきてぇ~♪(甘)」
「タバコ買ってきてぇ~♪(激甘)」
「お風呂、掃除してぇ~♪♪(極甘)」


これだって、当初はおこがましくてお願い申し上げるなんて事は絶対にしなかったのだが、自他ともに認める激甘ダーリンのおかげで、ここまでは甘えられるようになったのだから随分な進歩なのである(爆)。

 さて、話が横道にそれたが、なんだかんだ言っているうちにどうやらソフトの認識もしたらしく、ちゃんと起動してくれているようだ。
 購入道中に借りてきたCDを試しに焼いてみる。

うは♪

 やけてる♪ いい具合♪
 うっれし~なぁ♪♪ヽ( ̄ ̄∇ ̄ ̄)ノ ランラン♪ 

 これから、デジカメやその他の画像を焼き付けたり、HPの素材をまとめたりもしなきゃ♪
 あは。
 あはははははははははははははは♪

 そんなこんなで、大奮闘したせいでかすっかり愛着を募らせて、見事使えるようになったCD-RWをなめるように眺めまわし、私のPC&ネット生活は脈々とつづいてゆくのでくあります♪


2001年01月02日(火)
年の始めは・・・・食う( ̄^ ̄)
あけましておめでとうございます。
本年も「夕暮荘・本館」ともども、この日記のこともどうぞよろしくお願い申し上げます・・・・。

などと挨拶するも・・・・年始っつうのは食うね。
気が狂ったように食うね。

牛肉。すき焼きにしてたらふく・・・・。
かに。焼きがににして・・・・。
お寿司・・・・。
甘栗。
母・サヨコ渾身の作であるケーキ・・・・。
数の子(なぜか数の子だけで腹がいっぱいになるほど)。

このほかに、父・タカシが市場で購入してきた、箱何万するらしい極上キムチやら、店に出入りしている豆腐屋から買ったがんもどきやら、とにかく、ご飯のおかずにはもってこいの食材が今わがやにはうじゃうじゃあったりして、私は朝起きてから夜寝るまで、お腹がすいた状態というのをまるで経験しないままなのである。しかも、こっちは水がうまいから、炊きたてのご飯やら、コーヒーやら、お茶やらが、東京にいるときとは比べ物にならないほどにおいしく感じるので、ついつい・・・・。
去年の夏に激やせした分があっという間に戻るかと思われるほどの勢い。
正月というのは、恐いものである・・・・。

それにしても、いつも自分が使っているパソと勝手が違うので、この日記もなんだか書きにくいわ。顔文字いれようにも、うちのネット環境はバージョンアップに乗り遅れたせいで、対応の顔文字辞書がない始末(笑)。
無愛想だけど、これもご愛敬だわね♪
明日からは、もう少し食うぶんに見合う量の運動をしないとだめかもしれん(苦笑)・・・・こんな生活が、今年はあと20日続くと思われる(恐怖)。

あさみ


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あなたの毎日にずぅむいん・・・・

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