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2002年01月24日(木) やぱしらぶ

 どこぞの日記で見かけたプチ可愛いフレーズ!
 「やぱしらぶ」


 お互いに、付き合い始めて数年は向かい合って、見詰め合って、囁きあって、語りあって、喧嘩しあって、愛し合って。

 そしてそのまま夫婦となって数年過ぎた頃からは、向かい合った状態から段々とソッポを向くのでなく、同じ方向を見つめ進むのが宜しいような。
 いつでも見ている方向が一緒なら向かい合う時間が少なくとも寄り添えるのかもしれない。

 そんな時に想うのかな。

 やぱしらぶ。


 なんてことを想ってしまいました。




 ったく、先ずは 春よ恋!


2002年01月23日(水) 無駄に長文

 以前はちゃんとした前歯(上)だったのに、治療して隙っ歯にすることってあるんですか?
 や、マドンナがね。
 最近のマドンナの笑顔を見る度に思うのですが、彼女隙っ歯になってやしませんか?


 以前のサイトから、何も気にせずに「テキスト庵」「日記才人」等の、登録制のモノに参加していた。それはまだ、文を垂流すのにヒッソリとしてるよりは誰かとの接触欲しさに見てーんってな感じだと思う。そして同じような人がそのリストの中に居るかも知れないと、そんな簡単な気持ちからだった。
 もちろん、今でもそんな単純な気持ちは変わってはいないのだが。なので他サイトリンクに飛ぶ時も心して飛んだことも無い。ある程度の決まりごとに反れたからと言って、このサイトは登録の資格云々も思いつかなかった。例え、気付いたとしても「だから?」が正直な気持ちである。

 昨晩、近頃楽しみでもある彼女のチャットにお邪魔した。
 そこに参加された方の発言を読んでいくと、雑文や日記を日々更新することに対してわたしよりもずっと真剣なことが判った。思いを込めた文をアップするにも産みの苦しみだったりすることもあるそうな。そして、上記の自己参加型の登録に関してもそれぞれの感じ方があり、中には敷居が高く感じて登録を躊躇するモノもあったのだそうだ。

 わたしと言えば、リストに登録するにあたって、そこの持つ雰囲気すら掴めないまま安易に登録し現在に至っている。真面目に取り組んでいる方達から思えば、なんとフシダラなことだろう。
 だったら外せば良いと少し思った。それすら面倒なのか?
 そこをツテで飛んで来てくださる方が居るかもしれないと、僅かな望みで進行形。言い換えればアクセスアップなのか?と訊かれると違うとも言い切れないが、当サイトにはカウンタは無い。「わーい!今日の総アクセス数が二桁行ったよー!」ってな目安は無い。縦横無尽に絡み合う触手に何かのキッカケで触れられたらと思うだけ。

 今迄、駄文(作文?)の垂流しなので産みの苦しみも、地団太を踏んだ事も、そういった思いを込めて捻り出した経験がないので、もしや何かもキッカケで飛んできてくださった方には「チッ!」っと思わせているのかも知れないと少し思ったが、やっぱり少しだけなので、このままGO!
 どう足掻いても、全登録者の文を読みきれるものでもないし、ましてや最近はお気に入りフォルダに相当数登録されているにも関わらず、日参しているサイト数は12、3だ。
 そんな感じで飛んできて下さった貴方に気に入られたら嬉しいとは思っている。(気に入ってもらえる秘訣やら、掴まえておくための秘儀や、飛び道具は無いのですが)
 なんせ、キャッチコピーが「ネカマ」だし。もう少し、爽やかなインパクトは研究せねば、だからとて「汁」はいやん。


 先日、念願のDVDを購入した。プレステ2との脳内戦争によって見事に勝ち抜いたDVDは、さほどの大きさではないが一緒に購入したスピーカー5本が妙に場所を取っている気がする。狭い部屋でのサラウンドは、銃撃戦モノの映画を見ていると思わず伏せたくなるし、恐怖映画はコレデモカ!ってなぐらい怖い。イヒヒ!
 もとからラブロマンス系の映画は、瞼を閉じて観る癖があるのでわたしの好きな映画のジャンルからは外されている。

 買ったら即観たい!近くのレンタルショップに行って「ハンニバル」を借りてきた。
 本「羊たちの沈黙」のレクター博士にメロメロになり、「レッドドラゴン」で恋しい人に昇進し「ハンニバル」で道行きしそうに惚れていた。
 羊たちの沈黙が映画になって、あの「ハムレット(だったっけ?)」のアンソニー・ホプキンス?と、観る前はシックリいかなかったのに、もうすっかり顔である。
 医学博士の肩書きを持つ連続猟奇殺人鬼、天才的な頭脳と豊かな教養、服装から食事、音楽などの芸術にいたるまで、超一流の趣味を極めた現代のバンパイアだと。

 ---ここから先は、映画(+本)の感想になるのでネタバレです、いやんな方はどうぞ進まないように---

 前回、行方を眩ませた博士は、イタリアのフィレンツェで、ダンテ研究の専門家として司書の座に就いているという、あまりにもラシイ登場の仕方であった。
 彼の平穏な日々を壊そうと仕掛けるのが恨みを抱く大富豪メイスン・ヴァージャーである。
 バージャーは若いころ幼児レイプで逮捕されたが、莫大な財産のおかげで刑務所入りを免れた。彼が必要としているのは心理療法、ところが治療に携わったのはレクター博士だった。醜悪なものや、尊敬の念を抱かない者へのレクター博士の「治療」は、その時のバージャーにとってはまさに密の味であり、その結果、バージャーは片手以外は全身麻痺の状態で人工呼吸装置につながれる身となった。
 表向きは、レクター博士に恨みを抱いているように見せているが、自分を理解し解き放ったってくれたと勘違いした彼は、レクターに惚れ込んでいたようにも感じる。例え薬による麻痺状態だったのしても、自ら顔の皮を剥いで犬に食わせた陶酔感を再び味わいたい、レクター自身にもそれを分けたいと、本人も気づかないところで思っていたのかもしれない。脳内では恐ろしい訓練を受けたペットにレクター博士を時間をかけて食わせる妄想に支配されながら。究極の美食家に対する究極の屈辱となる報復だと思いついた時点で終っているとも知らずに。

 ところがクラリスとの関わりは、なんともはややっぱりの純愛路線を行ってしまっているし、第一、冷酷な横顔すら出さないままで歩み寄るような感じさえ受けた。レクター博士も、やっぱり理解者には甘えてしまうのか?
 映画であの結末に無理矢理してしまった内容では、ジョディ・フォスターが降板したのも、残念だけど頷ける。

 「今も羊たちの悲鳴が聞こえるか…?」

 以前に観た「レッドドラゴン」のレクター博士は、アンソニー・ホプキンスではなかった。ところがアンソニー・ホプキンスでの「レッドドラゴン」があるそうな。どれどれ、探してみるかな。




2002年01月21日(月) やさしく使ってね


 あれほど文字だけでは気持ちは伝わり難いと言っておきながら、Web関連から頂いた郵便(eメールでなく)の年賀状に一枚もお返事を出していない事実。これは、気持ちを伝える云々以前の問題でケシカラン!な。
 さりとて、これだけの日が経ってしまった後では寒中見舞いなのか。思いついただけで、果たしてちゃんと出すのか。

 年賀状のお返事を出さなくとも「ああ、そんな奴だから。」と微笑ましく思ってくれるだろうなんて、勝手に良い方に解釈するはどっか間違ってるよね、きっと。

 メールで思い出したけど、
 受信トレイに、送信者別のフォルダを作って受けています。
 フォルダ名は、判れば良いんだからと適当ですが。なかには、仕事付き合いな人でありながらも「お茶目さん」と名が付けられたフォルダに振り分けられている人も居ます。本人は、そんなつもりはないのだろうけれど、カタイ文であればあるほどに、そのギャップで少しは紛らわしている変な趣味です。

 ひとつのフォルダにESSEがあります、これはいわゆる「無料・毎日の夕食レシピをメールでお届けします!」な生活の豆知識風、雑誌抜粋のようなものです。受信されたメールは昇進順に設定してあります。深夜の12時過ぎに受信することが殆どなのですが、昨晩の受信メールが一番下に見当たらないのです。それでもフォルダ名は太文字で表示され(1)と一通受信されたことを示しています。
 うーん、どこにあるんだろう?
 上の方に一覧をスクロールさせると、なんと受信日時が2001年1月20日8:11になっています。
 その他のメールは通常に受信されているので、対処法が分かりません。とうとうPCがボケましたか。

 トロメールが普通に送られてきていれば、それで良いです。世の中安泰です。

 更新をサボっている間に、幾通かの催促のメールありがとうございました。宛先がここに表示しているAddressではなく、以前のサイトに掲載していたAddressだったので長いお付き合いをして頂いてる方からでしょう。と、言うのは、送信者である貴方様がどなたか存じ上げないので、小心者のわたしは返信するにビビル性分です。(だから、ありがとうは敢えてここで)


 変な汁が出て妙な具合になっていた手の傷も、大勢のnetの母達(占い師・新宿の母のような表現だなあ)に尻を叩かれながら病院に行ったので、おかげさまで、汁どころか傷はどこ?ってな具合になりました。
 本当に病院に行ったかどうかを電話でチェックするよと警告を受けたので、翌日に慌てて病院に行ったのに残念ながら翌日には電話はかかってこなかったので、安堵しながらも感謝してました。
 ところが、嵐は突然襲ってくるもので。
 すっかりその事も忘れた翌々日に電話がかかってきました。
 普段から、寝起きの声とか、ダルそうな(オカマ)声とか良く言われます。
 何をすることが無い日でも、朝の7時には起き「おじゃる丸」を観つつ朝食を済ませている生活を送っているので決して寝起きではありません。まして、気分が優れない時は電話には出ませんので出たと言うだけで気分は最高な状態なんです。
 アレでも。

 と、ここでツベコベヌカしているのは、これから先色々な関わりで、メールの返信が来ないよ!とか電話でダル声を聞かせてしまうかも知れない貴方に向かっての、取扱説明書ってことで。よろしくお願いします。


2002年01月16日(水) 伐採


 ちょいとした仕事の打ち合わせを兼ねて、昼間の新宿に出ました。
 話はそれほどの時間がかからなかったので、あっけなく解放。

 2時・・・か。

 3時過ぎなきゃ、仕込みにママは来ないだろうし。
 などと考えながらも、久々にオカマのパラダイス2丁目の店に足は向いていました。
 店が始まる前にちょっと新年の挨拶でもしてこようかと。
 (それは体の良い考えで。本当は、マッタリと珈琲が飲みたかったのと、ママに会いたかったの単純な思惑から)

 雑居ビルの2階。
 外階段を、久々のヒールでカンカンと音をたてて登っていきました。
 他の店ではビールケースが雑に並んでいるのに、2階のフロアーだけはキレイに重ねてありました。

 あー、几帳面なママらしい。(のではなく、単に力が有り余ってるせいだろう)

 ドアノブを回したけど、鍵が掛かってる。
 やっぱり早すぎたか・・・。

 ビールケースに腰をおろして煙草に火をつけると、夜とは違った顔の新宿の雑踏が遠くに聞こえました。雑居ビル(しかも飲み屋だらけ)の昼間は、恐ろしい程に静かです。

 二本目の煙草を消す頃に、厚い外階段に通じるドア越しから浜崎あゆみの「M」の歌声が地響きのように聞こえてきました。
 あ、ママだ!

 店の扉の鍵を開ける彼女の野太い声に負けないように、ドアをドンドンと叩くと
 「ああん?だれ?(巻き舌レロレロで)」「ドンドン叩くな、じゃかーしー!」と。

 久々に来ても、何も変わってないわん。

 外階段のドアを勢い良く開けてもらって(危なかった!)中に入ることができました。


 店の仕込みの傍らで、美味い珈琲を入れてもらってご満悦。


 「それ、飲んだら手伝いなさいよ。」そう言われたのですが、この手を見せるとあっけなく却下してくれました。その代わり、戦時中の軍医がするような治療を受けましたが。

 水バンソウコウなるものを初めて見ました。聞いたことがあってもどんなものかがちょっと想像出来なかったので。
 あれは、まるでセメダインです透明ボンドです。切り傷をくっ付けておくには充分過ぎるほどの接着剤です。
 「ちょっと、シミルわよ。」と言われたので、やや治りかけの指から試してみました。

 激シミです。痛いです。
 ちょっとどころではありません。しかも、見た目どころか香りもヤヴァイ匂いです。間違ってアロンアルファとかじゃないよね?と、パッケージを何度も見てしまうほどに。最初はドロッとした水バンソウコウは、時間と共に乾燥してカピカピの透明な膜になりました。
 「さ、これで水仕事もOKよ!じゃ、次ね♪」
 治りかけの指でさえこんなに激痛なのに冗談じゃないよ。丁寧に辞退させていただくと、渋々違うものをもってきました。傷に付かないシートと薄手の防水テープ。「ぬ?ちゃんとあるんじゃないの!」サクサクと手際良く治療をしてもらいました。
 「いくら防水だからって、水仕事は我慢しなさいよ。」そう言われてバシッと叩かれました。

 オニッ!

 その後、仕込みの手伝いが出来ないのなら歌を聴きなさいと強制的に、浜崎あゆみを聞かされ続けました。
 サビの部分しかないような「M」ばかりを。エンドレス・・・。
 MARIA愛すべき人がいて時に深く深いキズを負い、だけど愛すべきあの人に結局何もかも癒されてる、MARIA誰もが皆泣いているだけど信じていたいだから祈っているよこれが最後の恋であるように(これが最期の歌であるように)

 そこへ、ママのお友達がやってきて賑わってきたのでコッソリと退散してきました。

 帰りしな、傷だらけの手を労わってくれたのお友達の暖かいお言葉、忘れません。

 「ワタシも一昨年の年末に伐採したところが、なかなか治らなくてね。やっぱり日陰だと生育状況が悪いみたい。かといって陽なたぼっこさせるのもアレだし。傷は乾かした方が良いのよー!お大事にね。」


 貴女の伐採と、わたしの手の傷は一緒ですか。


2002年01月15日(火) 切っちゃった。


 あー、また切りました。
 股を切ったのではなく。

 久しく連絡の取れなかった人と、連絡が取れて嬉しい日だったのになあ。


 先日、包丁で切ってしまった中指はちょいと力を入れて作業をすると、パクッとくちが開いてしまうのでカットバンは必須でした。
 2日ぐらいは血が滲む程度だったのですが、もうすっかり良いだろうと思ってた頃から変な液が出始めていました。
 傷口には、台所仕事は辛いです。
 カットバンで傷口が開かないようにして、その上から薄手のビニール手袋をはめて炊事をしていました。

 そろそろ痛さも無くなり変な液も出なくなった今日、「今夜風呂に入ったらもう大袈裟な治療は止めるぞ。」と、思ってた矢先のことです。
 気の緩みと言ったらそれまでですが、すべるビニール手袋が太い大根を押えきれずにズルッと。
 そこに手が落ちたら・・・。

 子供でもこんな怪我はしませんて。

 手の平の外側切りました。自転車に乗る時に、一番ハンドルが当たるところです。
 手をパッと広げると、パクッとしてます。
 血はそれほど出てません。むしろ中身がシローッ。
 寿司ネタの大トロって感じの手の平。

 傷口が痛いよりも、なんとも言えない歯が浮くような感じが気持ち悪いです。

 もう、随分と長いこと自炊してたけど、包丁で切ったのは思い出せないぐらい無いのに。
 ここんと、こどうしたんでしょう。 
 何かトリツイテますか?それとも、誰かに怨まれて藁人形されてますか?なんて思ってしまう程にスパスパと切りすぎです。

 あ、早く嫁さんもらえってことですか?!

 (片手でキーボードを打つなんて、オリベッティのバレンタインの頃を思い出します。あの頃は英文タイプを打つだけで英語が出来もしないのに、カッコいい女になれるかも?なんて、思い込んでました。まるで、バイエルのような指使い。懐かしい)


2002年01月14日(月) 言葉を発する動物です

 ネットでの絡みは言葉(文字)でしかなくて、絵(一枚の絵から感情を読み取ることの出来る絵というのも凄いと思っているし、そして、その場の逃げで使用するのではない、いわゆる面文字も含めて。)を追加してでも思ったことを表現しきるにはあまりにも物足り無い。

 会って話しをするのではない部分が尚更、言葉を選ぶことになって、結局は伝えきれぬまま本当に伝えたかった言葉を呑むことも多い。
 その場にそぐわないトンチンカンな内容であっても「コンタクトを取りたかったのね。」と思ってもらえる程、甘えても良い訳はないし。
 自分が思うことすら言葉で表現出来ないなんて。

 中り障りの無い言葉だけで繋がるだけじゃ物足りない人に対して、そうゆう感情を伝えられない歯痒さには参った。

 そして、なによりもわたしは言葉を知らなさ過ぎると、何度もその度に実感する。


2002年01月13日(日) 嫁と義母さま


極楽町一丁目(ごくらくまちいっちょうめ)

--新潮文庫のWeb新潮の中の1コンテンツ。


悩み相談に必ず出そうな内容のパロ。

嫁と姑の確執を漫画にしたものです。
見た目とは裏腹に強い姑が素敵です。
嫁姑問題で悩んでる人が見たら、マズイのか?
みのもんたさんよ。
でも、反対にスーッとするかもね。

パワフルな姑が好きです。


香月七虹 |HomePage