毎年恒例の学級懇談会=「役員決め」の日。 事前に希望を先生に出してある。 あたしは定員1名の「図書委員」に丸をつけてその下に「1、2年と学級委員をしましたので、今年は別の委員でお手伝いさせていただきたいと思います」と書き足しておいた。
懇談会に集った保護者は20人くらいと意外と多かった。 図書委員は6人希望があった。 そして、学級委員はやっぱりゼロ。 先生は、今日中にまず学級委員だけは決めて下さいと執行部のほうから言われています、とおっしゃる。 「どなたか・・・・」 誰も顔をあげない。シーンとしている。 先生も今年他校から転任してきた先生なので、「○○さん、どうですか?」ということも言えない。
は〜・・・・・・。この雰囲気が嫌いなんだよ。 やめろやめろ、やめとけ〜っ!無視でやりすごせ〜って思う自分の声が負けて、「はい、やります」と結局手を挙げてしまった。 続いてもう1人、韓国から結婚して日本に来たという方が「私にできるでしょうか?」と手を挙げてくれた。 もうひとり・・・。学級委員の定員は3人。 幼稚園から一緒だった友人が「私、やろうか・・・?本当は上(6年生のお兄ちゃん)でやろうと思ってたんだけど」と声をかけてくれた。 彼女は、幼稚園でも執行部だったのだ。 そこに、下の子の方が終わって遅れて参加したkimkimがやってきて、あたしが学級委員になってるのをみて「やっぱりね〜」と苦笑した後、「はい、やります」と手を挙げた。
kankanは別のクラスだけど、やっぱり今年も学級委員。 メンツをリサーチすると、やっぱり誰もが経験者。 結局やった人は何度もやる。やらない人は一度もやらないって事になっちゃうんだよな。 でも、逆にやった人が何度もやるってことは、そんなに大変じゃないって事だとも思うんだけど。 確かに自分の時間を提供しなくてはならないけれど、逆に得るものもたくさんある。あたしのように、遠くから嫁に来た人間は、知り合いを増やすためと思えば、絶対にやったほうが良いのだ。
それになにより、あたしにはあの役員決めの雰囲気が耐えられない。 この「役員決めが恐怖」というイメージが蔓延してるのが、耐えられない。 これは、だいたいが役員を引き受けてしまうお母さんに共通する気持ちだと思う。 どうして目をそらすのか。どうして役員になりたくないがために懇談会を欠席するのか。 「他人のために率先して働きましょう」「人がいやがることを進んでしましょう」そう、子供に教えるべき立場ではないのか、母親は。 誰だって事情がある。仕事をしている人、小さな子がいる人、親の介護をしている人。 それでも、全員が出来ることを少しずつやっていく機構でないといけないと思う。PTAってもんは。 特定の人に多大な負担がかかり、その他の人は「ラッキー♪」ってなるのではおかしいよ。 それならいっそのこと、役員には思い切って日当払うとか。 ひとつひとつの行事ごとに名簿順で手伝う人を決めるとか、とにかく今のやり方じゃ不公平感がありすぎる。
なんだかんだ言って、あたしは楽しいから結局は引き受けてしまうのだが、何が一番腹立つって、役員決めの時には貝のように口を閉ざす人が、その同じ口で我が子のことになると先生に延々要望を述べることだ。 「習い事があるので帰りの会を他のクラスのようにもっと早く終わって欲しい」とか「よそのお宅はいくら位お小遣いをあげてるんでしょうか」とか「行事の時の準備物のプリントはもっと早くくれ」だの、そんなの連絡帳で個人的に聞けよって思うようなことを、まぁ饒舌にしゃべるしゃべる。 授業参観だってなんだって、小さな子の手を引いてやってきて一番前でビデオ撮り。 そのくせ、「バザーの手伝いを募ってるんだけど」と言うと「小さい子がいて手が離せないので〜」と言う。
息子が進学する予定の中学校では、入学式の後に体育館を締め切って保護者を残し、そこで役員決めをするようにしていたらしいが、役員になりたくないゆえに、入学式に出席しない保護者が最近いるらしい。 そんなの絶対おかしい、何か間違ってるよ。 誰だってもちろん自分の子が一番かわいい。 でも自分の子だけよければいいってもんじゃない。 みんなが出来ることを少しずつやって、学校や地域が良くなっていって、結果的に自分の子のために良い環境になればいいって考え方を、あたしはしていきたい。 幼稚園から役員をずっとやっていて良かったと思うのは、よく息子が代表で発表する係りになるのだが、 「先生が誰かやって下さい・・・って言っても誰もやらないから僕が手をあげたよ。誰もやらなきゃ先生困るもんね」と言ってくれることだ。
学校の役員でも、お年寄りに席を譲るのでも、宴会芸でその場を盛り上げるのでも、でしゃばってやりたくはないが、その場の空気をよく読んで「誰もいないのなら私がやります」というスタンスであたしは生きていきたい。
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