さよなら、パンテオン  hoge 2003年06月30日(月)

先日、マトリックスリローデッドを観た。
40年以上渋谷の街にありつづけた丸天井、東急文化会館が今日で閉館ということで、
渋谷パンテオンで。
最近映画といえば、マイカル横浜などで観る事が多かったせいか、
やはり古さを感じずにいられなかった。

けれど小さい頃、映画といえば、パンテオンか横浜だったと思う。
姉が小学生の頃、アニオタだったせいか、そのお供だった私も
よく宇宙戦艦ヤマトや銀が鉄道999とか観にいった。
今では飲み物を置く場所もなく不便だと感じるあの椅子も
当時の小さな私には広くふかふかに感じ、
(てか、さすがに1回くらいは椅子かわってるか?)
パンフレットやチラシを読みながら、わくわくして始まるのをまったもんだ。
そいえば、文化会館内に、アニメショップ(名前忘れた〜)があって、
スリーナイン永久フリーパスとか買ったよ。あれ、どこいったんだろうな。

あと、宇宙系アニオタだった姉がせがんだのか、
上にあるプラネタリウムにもちょこちょこいったような気がする。
あの頃はきっと今よりずっと夜は暗くて、星もそこそこみれただろうに、
なぜかプラネタリウムでの星空とか日が暮れていく様、
日が昇る様が幻想的に感じたんだったよ。
帰りにフルーツパーラーでプリンアラモードを食べるのが楽しみだったり。
で、家に帰ってきて姉と星の本でその日観た星の復習したりした。

その後、角川映画ブームの頃も、ここでみたんぢゃなかったっけなぁ?横浜だったかな?
夏休みとか友達数名とわくわくしていったよ。
そいえば、この頃くらいまでは私も、なんの抵抗もなくメジャー映画というか
大型映画(?)とか 観に行ってたんだな。
角川映画ってあの頃は、結構人はいってた気がする。
当時は入れ替え制の映画館なんてなくて、時間より早くはいって、
次の回で座れる様、端の方でスタンバッて。


思えばあの頃、東横の駅と文化会館、それをつなぐ連絡通路が
私の渋谷の全てだったんだな。

東横の駅から連絡通路で直結。
そんなだから、わりかしちいさい頃から親も子供だけで
映画観に行かせたりしたんだろうし。


中学生になって、コンサートのために、あっち側(ハチ公側)に行く様になり始めるまで
あっち側があるなんて思いもしなかったような覚えがある。
あっち側に行き始めれば、文化会館側にはめったにいかなくなっちゃったな。
たまに映画観に行ったり、待ち合わせに早すぎた時とかいってみても、人はいないし、
微妙にじじばばくさい。 今なら、その雰囲気もまたいいと思えるんだけどさ。
109、西武、東急本店などの他のデパートにくらべれば、
どうみても一昔前の建物となってしまって、人がこないのも無理もないのかな。
そう思えば、いままでもったのが不思議なくらいなのかもしれないけど。
たぶん、いかないけれど、そこにあって欲しいと思ってた人は多かったし、
そんな意味合いであそこにありつづけたのかなぁなんて思う。
いかないけど、なくなってしまうのは、寂しい。
私より上の年代の人はなおさらそうなんぢゃないかなぁ。

そいえば、3年くらい前に映画カレーオフしたのもここだったんだな。
懐かしいなぁ。
ほんと、あの頃は今、自分がこうしてるなんて、思いもよらなかった。
この3年思いの外いろいろあり、私自身もいろいろ変わってしまってるんだろうから、
世の中もいろいろ変わっていき、あの場所もそういった流れを受け入れるのは
当たり前なんだろうけど。

なくなるとなると、いろいろなことが思い出されてきて。
人との別れもそうだけど、後で思い出すとなると楽しい事ばかりで
その場所がなくなるのは思い出までもなくなるようで寂しい事だけれども、
その後もまた出会いがあって、七転八倒しながら、
また楽しい思い出つくっていくのかもしれないから、
今はとりあえずバイバイするよりないんだろうな。

さよならパンテオン。
楽しい子供時代をありがとう。


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