朝日新聞の夕刊に孤独のレッスンというコラムがあった。 僕も若かった頃、一瞬新聞記者にあこがれた。 単に文章力に惹かれただけだったので、すぐに気の迷い で過ぎ去ったものだが、内容もさることながら、こんな 記事をどのように取材したのだろうか、そんな興味を 誘った記事だった。 高校の学級通信のことが書かれているのだが。 高校で学級通信が、ということではなく、どうして取材 をしたのか、どうして知り得たのかということだ。 この高校の卒業生だったのか、この教師の友人だったのか。 誰かに、こんなことしているやつがいるというたれ込みが あったのか。 新聞記事でさえも、うらをとらずに周囲からの情報だとか、 他社の追随記事が多く、取材や調査に手を抜く時代だ。 情報が氾濫し、どこからきたのか、だれの情報なのか判別 がつかない。まことしやかに自分のオリジナルを主張する、 あるいはそう思わせるものもある。 さて、どうなのかは知らないが、読みものというものは、 自分で、直接取材して、独自の切り込みのあるものが、 読者を楽しませるものなのだと実感した。
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