リュカの日記

2005年09月30日(金)

また内面が不謹慎になりつつある。
不謹慎な妄想に、自己嫌悪無くボーっと浸ってしまったり。
少し前まで、どこからどこまでが最低なのか、その線引きが出来ないから全否定、だったのにまた甘えが出てきたか。そういう子が酷くなるような妄想に、精神面でも満たされてしまう。

おぞましいくらいにありえないものを目の当たりにして、それに対して血の気が引くような感覚と、満たされる高揚感は似てる気がする。
でも、自分の中でそれを「絶望だ」と定めているので(または、定めるようになったので)、その感覚を味わった上じゃ何も希望が無いのだ、という事になるのだろうか。
結果、今現在何にも希望を持てなくなった。
どうなんだろ。そう言い切ってしまうのも極端だ。
男の子にとっての絶望的な状況が、昔の自分にとっては欲だった。
自分の感覚が分からない。そういう子に対し、満たされたり都合が良くなるような状況を、自分に対し全部「最低」と定めている。
あの時点であの子がそんな目に合ってなかったら、そこまで考えずに都合良く受け入れてたりしたんだろうな。
そんな事を考えていて、またモヤモヤと気分が悪くなってきた。
それに、何が最低なのかを考え出すと、今あげたものだけの問題じゃないし。そういう目に合わされた上でどうなのかとか、今まで目にした他のショタコン共の卑怯さとか全部ひっくるめて考えると。
どんな理由であれ、そういう子を求める事は最低の腐った甘え以外の何物でもない、という結論にしかならない。それでいいけど。
求める事が最低になる、という結論に都合の悪さを感じてしまう自分もまた腐ってんな。
というか、本来それに都合の悪さなんて感じようが無かった。
告白されたから「都合が悪い」と、未練が残るようになってるだけで・・
色々嫌な事が多すぎてモヤモヤする・・
ぶっ殺してくれ!って感じだ・・・
結局、自分で自分をいくら最低だと感じたところでたかが知れてる。
だから、そういう存在を求める事に対し、そういう存在自身による否定を求め続けてる。スッキリしたくて。
そういう子が何でゴミ(俺も)を甘やかすのか、理解もしたくない。

本当は、タイプの少年が未成年だからとかの問題じゃない、関係無い。
自分にとってのそういう特殊な存在だから、法で定められてる18歳を超えようが、絶対誰かに手を出される事が許せない。
未成年だろうが成人だろうが、自分自身にも求める事を禁じてる。
そういう存在は、一生ずっと、誰にも触れられずに居続けてほしい。

メッセの子を悪戯したショタコン親父のうちの一人が居た。
幼馴染にそいつを殺す事を勧められた。
幼馴染は幼馴染で、何か自分の利益のためにそいつを殺したいらしかった。共犯という事で、二人でそいつを殺した。
宝塚の山奥に廃墟になったテーマパークのような場所があり、死体はそこに埋める事にした。
俺はその幼馴染と地下にある部屋に住んでいた。
そいつが外出している時に、警察が踏み込んできて俺一人が逮捕された。
一瞬逃げようとも思ったけど、どうせ逃げたところで身元は知られてるんだとか、逃げたところで人生に何の希望があるのだろうとかで、大人しく捕まった。幼馴染の存在は知られておらず、俺一人の犯行という事になっていた。連行されている間、刑事に対して「あんな奴殺して何が悪い」「下衆なんていくらでも殺したって良いんだよ」と、少し必死になっていた。
でも、何でそいつを殺したのかは言えなかった。
結局、物取りのために殺したという事にするしかないのだろうか、とか考えていた。警察署に連れて行かれた。
こういう場合、一度だけ誰かに電話する権利があるのだという事を、以前観た映画で知っていた。刑事に「電話していいか」と聞くと、OKを貰えた。
メッセの子に電話して、「何でそいつを殺したのか動機を言っても良い?」と聞こうと思った。でも、その子の電話番号を忘れてしまっていた事に気づく。そして、あの子は自分がショタコン親父に悪戯されたなんて知られる事に凄い拒絶反応を示していたな・・と、改めて実感した。
結局、自分一人で物取りのために殺した、と本当の事は何も言わない事にした。何年くらい入るのだろう。10年か、それとも死刑か。
もう日記書けないな・・、とか考えていた。
毎日の習慣だったのに。
と、ここら辺で目が覚めた。
午後17時過ぎだった。
何だか、本当にそうなる可能性があるようなリアルな夢を見てしまった。
少し怖かった。

またタイプで年下の男の子を抱きたいような衝動が出てくる。
同時に、自分自身にも持つ事を許せなくなった夢だ、みたいな実感も出る。
衝動が出ても、相殺される感じであまり浸れない。
それでも浸ってしまう事もあるけど。今日はどうだろう。



2005年09月29日(木)

何も考えずに、一日一日を生活していくしかないのか。
自分にとっての許せない事や、それに対する自分自身の意識の変化が意識され、気が滅入ってなかなかまともに生活できない。
許せない事が蔓延している事を知っていて。
少年自身への想い入れは薄れても、そういう存在が汚いものによって~という形が、自分にとって何より不快である事は変わらない。
そして、その事実が変わらず存在し続けている事も知ったまま。

今思い出したけど、昨日見た夢は最悪だった。
舞台はインドみたいな場所だった。
身売りされた少年が、強制売春させられていた。
初仕事との事。
中年男が住む家に行かなければならないらしい。
その家には、中年親父が3人居た。
その中年3人の話の内容によると、売春婦を呼ぶつもりが、手違いで少年専門の売春宿に連絡を入れてしまったらしい。
一番偉そうな中年親父が、他の2人に向かって、「これも後々笑い話として、良いネタになるかもしれない」と言って少年を犯し始める。うちの親父に似ていた。
その子は今までそんな事と関わりがなく過ごしていたのに、手違いなのに犯された。事が終わって、少年は去る。
そして、少年を犯した親父が「あいつ(少年)もいつか大物になるための、良い経験になっただろう」と、正当化し笑っている。
視点だけしか存在していなかったけど、俺はその状況全部を否定し憎んでいた。これはそいつに直接言われた事じゃなかったかもしれない。
こいつならこう言うだろう、という意識から浮かんできただけの台詞かもしれない。俺の否定に対し、「こっちは金を払ってるんだ!手違いだろうが何だろうが俺は金を払ったんだ!」と逆上された。
「金を払ったのにそいつを犯して何が悪い!」と。
こういう主張もうちの親父にそっくりだ。
~さえすれば、それに対して絶対的権利を持ちえるのだ!との主張が。
全部が全部反吐が出る。
たとえそれらが手違いでなくても、だ。
今更補足する必要もないかもしれないが。

今日の授業は4時限目だけだったけど、何かもう行かなかった。
少し後ろめたい。
少しだけだったのに、何でわざわざサボったんだろう・・、と。
今日は午後19時前に目が覚めた。
明日から3連休だ。
夏休みが明けて月曜から学校が始まり、結局一週間まるごとサボっている。

映画「コンタクト」を観ていると、子は子供の頃よりも、大人になって行き詰った時にこそ親に頼りたくなるのだろうか、と感じる。
実際、コンタクトに出てくるのは親ではなく、亡き親の姿を借りたエイリアンみたいなものだったと思うけど。
子が社会的な問題に苛まれても、親は子を大きな目で見ているという感じで。なら、親はこの世の真理というものを全て知り尽くしているのだろうか。現実的に考えれば、それは絶対ありえない。
親も所詮人間だ。
でも、大人として現実問題に行き詰った子は、親の愛情を受けて救われた気になるのだろうか。子供の頃に戻ったような、全てを理解されたような、そんな問題から一時的にでも開放されたような気分になれるのだろうか。
エヴァのラストシーンを観ていて、舞台になる空間がどことなく昔観た「コンタクト」のラストシーンの空間とかぶって見えて、そんな事を考えていた。
俺は自分の親の程度を知って、そんな風にはもう絶対感じられないだろうな・・、と。

その感覚は、社会に出て行く段階で、幼馴染との共同事業が決まった時の感覚にも通じるものがあるかもしれない。それらは人生の一部を感じさせる存在だし。子供馴染みと一緒に社会に出て行くのなら、不安も薄れるというか。



2005年09月28日(水)

現在午前2時52分。
2日も学校に行ってないし、早く眠らないとな。
落ち着きすぎて何も考えられなくなった。

奪われたからには全部終わりだ。
それなのに奪われるなんて信じられない!
だろうか。

理不尽さを痛感してる。
どうあっても許さない。

以前は少年に対して、陰惨で心の沈むものを求めてた気がする。
それが快楽だったり平安だったり。
肉体的にも精神的にも苦しめるような、ありえないほど非人道的な話が好きだった。
その上で、そういう対象に理解されたいと望んでいたような。
当時の俺にとっては、そういうのが救いだった気がする。
ある時期から、実際にメッセの子みたいなタイプの少年と関わるようになっていって、そういう子に対する媚びみたいな感覚が強くなっていったのか。元々対象への想い入れは強かったし。
それで、その子たちが持つような健全な価値観に自分の心も近づけようと試みたのかな。
今じゃ、その子たち以上の潔癖主義みたいな感じで固まって。
今の価値観の発端も、そんな感じだったと思う。

マンションの状態をチェックしに業者が来るとかで、午前9時頃に一度親に起こされた。
目は覚めたけど、凄い絶望感に襲われた。
今までの状態がどういうものなのか浮かんできたり。
学校に行ったところで意味がない、虚しいだけだとなんだか凄く無気力だ。
どうでもよくなって、そのまま再度横になってしまった。
もう、一生眠っている以外したくない。
精神と時の部屋みたいな場所で、10年でも100年でもボーっとしていたいとか浮かんでいた。
午後17時過ぎに目が覚めた。
今日も学校には行かなかった。
このままズルズル、また行かなくなるのかもしれない。
母親に「自立センターみたいなとこ入れば?」と言われた。
「自立センターって何なん?」と聞くと、
「あんたみたいなのが集まって寮生活する場所」との事。
別に学校が怖いから、とかで行かない訳じゃ全然ないのに。
誰とも関わってないから、対人的な問題は何も感じてないし。

浮かんでくるのは、自分の中ですでに答えが出ていて、
尚且つ、考えてもどうする事もできない物事ばかりだ。
それらを繰り返し考えさせられる。
クズばっか。
何で誰も欺瞞に気づかず、「よし」とまかり通らせるのか。
くだらない馴れ合い精神が社会的にも蔓延してて、身近なクズが「自分は正しいのだ」とすればそれを否定できずに黙認するのか。
最低な所業を否定するより、事なかれ主義的思想が重宝される。
「公にさえしなければいいのだ」と社会的にも黙認されてる。犯罪なのに。
言い訳文句に「愛情」という言葉を使いさえすれば、迂闊に否定されなくなるとでも言うのだろうか。事実それで否定されなくなってんだからおめでてーよな。本当腐ってんな世の中全部。

どうすればいいのか、どうしたいのか分からなくてモヤモヤする・・
本当は全部終わってるからどうしようもないのだけれど。
「どうにもならない」でハッキリしてるし、一生絶望し続けている以外無いのだろうか。理想とか全部グチャグチャに壊されて。
これから先どう生きろと・・
結局廃人しかないのか。
何も知らなかった頃のように単純には生きられない。
知った上での人生は絶望で、妥協して受け入れて生きていくなんて耐えられない。何事も無かったかのように。
人生終わってんのにこれ以上何をすれば。
聞かされてきたような物事を、自分の中で「普通の事だ」として生きていくなんて絶対嫌だ。
何も感じなくなる事も、薄れさせていく事も許してない。
なのに、現に色々薄れてしまう。
そういう存在ほど希望を感じるものは無かった、そういう存在以外を希望になんかしたくない、その希望は汚い奴らにグチャグチャにされて。
やっぱり、死ぬか自分を責め続け廃人みたいに生きるしかないじゃないか。俺はもう自殺するような気力も衝動も覚悟も持ち合わせていないので、後者しかない。
そういう存在に対し、自分自身に許しているものなんて何一つ無い。
自分の人生ですべき事なんて何一つ無い。

そういう事に関わっていない少年に対しても、容姿が好みだというだけで本当の希望なんかじゃ全然無くなってしまった。その少年に対し、欲を満たすなんて事をすれば、当時の自分にとってなら希望になっていたような存在を、「今はそうじゃないから」と、自分自身で希望になり得ない存在に汚してしまう。せっかくのそうなり得る存在なのに。
今の自分にとってそうじゃないからと、そうしてしまうなんて悲しいし耐えられない。だから絶対手を出さない。
それ以外にも、道徳的に最低な事だから、という意識も残ってるし。



2005年09月27日(火)

なんか、後ろめたい事ばっかりだな、と思う。
ここに書きとめてる事も、ここに書きとめてない事も含めて全部。

何もかもを分散させて、中途半端に濁らせていく。
もうすぐ学校生活も始まる。
これくらいなら誰と接する訳でもないから良いのだが、
バイトでも始めて対人するのが日常になれば、他人と接し見えてくる自分について、自分が生きて存在している事自体が後ろめたくなるんだろうな。
以前まだ周囲と関わって生活していた頃とか、何故だか自分が存在している事自体が凄い恥に感じられる事が多かった。
今では自分の中での考え方も固まっているし、
そうやって接する他人よりも、自分の道徳観念の方が正しいのだと解っていながら、結局大衆に流されるような感じになるのだろうか。
で、仮にそれらに自信が持てたところで何だというのか。
絶対あって欲しくない事はもう目の当たりにしてしまったし、何が解決したところで絶望なんだ、と自覚しながら考えられなかったのは、今少し落ち着いた状態になっているからだろうか。
相応の苦しみを実感できれば、欝以外で感じるものも無いんだけどな。
時間帯のせいもあるのか、何だか落ち着きすぎている。
実感できないのなら、それに越した事はない、とも思えてしまう。
それがまた中途半端に不安だったり。
また訳の分からない文章になってしまった。

思い描いていた自分にとっての幸せは、それ以降に形作られた自分自身の道徳観念に反するものだ、という事になってしまった。
道徳観念に反した上での幸せなんてありえない。
破る事に目をつぶるのが耐えられない。
もう、どうしろと。
対象とする子が誰もそういう目に合わず、そういう事とも関わらないで居てくれたなら、別に幸せになれなくても良かった。

毎日漫画やアニメばかり見ているな。
別に、自分がオタクというほど徹底しているとは思わないし、健全な意味で刺激を得る方法として、こういったサブカルチャー的なものの方が心地いいだけなんだろうな、と認識している。
それすら和めなかった時期もあったけど。

眠ろうと横になっている間、バイトしていた頃の事が浮かんできた。
集中できる事があった方が紛らわせる、とアホみたいにスケジュールを詰め込みまくっていた。社員以上に。
でも、結局仕事中もずっと色々浮かんで欝になって、たまの休日には休日で発散できずに欝になって。
早く人生が終わればいいと思っていた。
こうやって全部無駄に終わっていけばな、と考える事が楽だった。
そう感じる事にも抵抗はまるで無かった。
そうなる事で、何かに対する復讐欲も満たされるみたいな意識もあったと思う。何かへのせめてもの抵抗というか。
今現在、何にも希望を見出せないような状況で、早く人生終わればなと考えたくなる。
でも、想ってくれた子が居たのに、人生早く終わればなんて感じてしまう事が悲しくなる。
その子に希望は見出せないのに、「もしかしたら何か道はあったんじゃ」「人生早く終わらせて、それさえ自分で捨てるのか」「考えが足りなかっただけじゃと後で後悔するんじゃないか」と思えてならない。
ありえないのに。
無意味に人生早く終わればいいとか、その子がそういう風に想ってくれたのに全部ないがしろに捨てていくみたいでやりきれなくなる。
本当はそういう目に合わされた時点で全部が全部絶望で、その上で受け入れた幸福なんて許せないのに。そういう意識がどこかしらに残っていて、無為に全部終わればいいと思う事に抵抗が出る。
それさえなければ良い人生だったはずなのに、早く終われなんてあんまりだと耐えられない気持ちになった。
その可能性のあった人生なのに。その可能性が隠れているだけかもしれない人生なのに。隠れてるのに終わらせるのか、とか。
抜け道なんて無いのは頭じゃハッキリしてるけど、それさえ感情の方じゃ納得してない。
本当だったら、幸せな時間なんだと1日1日を慈しんで・・

今日は午後15時前に目が覚めた。
完全に昼夜逆転してしまっている。
「学校に予定だけ見に行くから」と言うと、親に「授業の時間割なんか前期と変わらない。今更行っても意味が無い」と言われた。
結局今日も学校には行かなかった。

自分にとっての幸せも、自分と同じショタコン共によって全部踏みにじられてしまった感じだ。だからショタコン共を憎み続ける。
俺にとってのあの子の存在も、全部ショタコン野郎によって踏みにじられた。
「全部じゃなくて一部じゃないのか、それをまるごと拒絶なんて勿体無い事してるだけじゃ」という意識もあって。
ふざけるな、妥協して受け取りたくない、それが汚されたら全部なんだよ!何も要らない!と感じる。
俺にそう感じさせるようなものを奪ったショタコンの腐れ共を許さない。
それが奪われたら全部終わりなんだと思いたい反面、それが奪われたら全部終わりなんだと思いたくない。
終わりなんだと思いたいのは、それだけのものなのに奪われたくない!という意識と、どうしてくれんだ返せよ!みたいな意識からもあると思うけど、全部はよく分からない。言葉で表しきるのは無理に思う。
大きければ大きいほど、それが奪われた事を認めたくなくなるから、とか。
もどかしい。
奪われたのに全部終わりじゃないなんてふざけるな!←気持ちに直すとこれが一番素直な感覚。何でそうなのかは自分でもよく分からない。



2005年09月26日(月)

メッセの子にも、冷たくなったとよく言われる。
色々薄れて麻痺していって、自分の苦しみさえ解らなくなってるのに、人の痛みを感じる事なんて無理だと思う。
実際、ちゃんと気遣ってあげたりできなくなって、冷たくなってしまってるのも本当だと思う。
これ自体は、今日相手に嫌な思いをさせた発言とは関連無いけど。
やっぱり自分は思いやれなくなってるんだ、とばつが悪い。

自分の薄っぺらさに嫌になる・・
何も強く実感できず、気遣えなくて・・
相手の苦しみを解ろうともしない。
そういう自分が酷いんだという事に、普段自分で蓋をして見る事さえ避けている。

エヴァの続きを観た。
シンジの父親、碇ゲンドウが滑稽すぎてアホに思う。
どれだけ客観的に冷徹になれるかを追求しているようだけど、そのために助かるものも助けない。逆にゲンドウ自身が状況を悪化させているだけじゃないか、と感じる。
私情を挟まない事の証明なのか、逆に親しい人間を自ら不必要に苦しめる事を「よし」としているような低脳だ。
苦しめる道と苦しめずに済む道の2つの選択肢があるとして、得られる成果は同じとする。その状況下で、意図して苦しめる選択をしているようにしか思えない。ウケを狙っているのかと思う。
こういう振る舞いが、周囲から「私情を挟まず何事にも公平な、信用に値する人間」と思わせる事の成功なのか。むしろ身内に対して不公平、と言えるけど。実際こういう人間も居るんだろうな。
キャラ作り乙って感じだ。
でも、被害をこうむるのはそいつ自身じゃない訳だから、そんな言葉じゃ済まないか。そんな下らない自己満足で犠牲にするな、と。
これは別の色々な物事にも当てはめて言える事だな。
例えば、自分の子供の紹介だ。
「いえいえ、うちの馬鹿息子なんか」と謙遜する親。
周りからしたら、何て謙虚な振る舞いだろうとなるのかな。
そういうのが美徳とされる。
人を貶してどこが謙虚な振る舞いだろう。
でも、周りの評価は大げさに言えば「自己犠牲」で立派な行い。
そりゃあんた自身は痛くないわな。貶してるのは自分じゃなくて息子だし。
アホか。

こんな事が浮かんでくるのも痛いのだろうか。
さっきメッセの子に「酷い」と言われた事もショックだったし、それについて考える事を誤魔化すために別の何かを批判する事で紛らわしていたのかもしれない。

ストライクにコックピットを破壊された後、ニコルはアークエンジェルに保護されていたという夢を見た。
「助けていただいてありがとうございます」と言いながら、実は復讐の機会を狙っているという感じだった。
午前11時頃に目が覚めた。
そのまま二度寝してしまった。
第二グラウンドみたいなところで俺は一人、野球の練習をしていた。
たまに、傍にあるプレハブ作りの図書室で、誰かに薦められた小説を読んだり。内容は忘れたけど、場面がその小説の中に移っていった。
大きなグラウンドみたいな場所に居た。
そこで、木造の凶器を手にした全裸の集団がひしめいている。
俺は同じチームだという設定の奴ら10数人と一緒に、そいつらを倒さなければならないらしい。敵は自分たちの人数の100倍は居る。
何とか20人くらい倒す事に成功する。
倒した数はポイントだ。誰かに奪われるような事があってはならない。
俺は自分たちで倒した全裸の人間たちをリアカーに詰め込み、外から見えないようにカバーを掛ける。
第二グラウンドに持っていって隠しておこう、という事になった。
小説の中だったはずなのに、何故かさっきまで野球の練習をしていた場所(第二グラウンド)にリンクしている。リアカーは4台くらいある。1台につき10人前後が詰め込まれている。俺はそのうちの1台を第二グラウンドまで引いて行った。
第二グラウンドに着くと、さっきまでは無人だったはずなのに、俺の中学時代の野球部の奴らが練習していた。
その中には俺が好きだった男の子の姿も見えた。
野球部の一人が「グランドに練習に行かないのか」と聞いてくるので、「いや、いつもここで一人で練習してるから」と返した。
しばらくして、また別の一人がリアカーに気づく。中の捕虜の存在にも気づいたようだ。そいつは性格が悪い。
「この捕虜たち、他のチームの奴らに教えてくるわ。多分奪いに来るやろうな」と走っていった。
俺は、自分の得たポイントが他人のものになるくらいなら、とその全裸の捕虜たちを逃がす事にした。
リアカーから出てきた捕虜の中の一人の女が、俺の好きだった子と楽しそうに話し始めた。凄く嫌な気分になった。
さっき全裸の凶器を持った奴らと戦ったグラウンドに戻った。
すると、野球部の練習風景に代わっていた。顧問まで居る。
ちゃんと部活として機能していたんだな。第二グラウンドで自主練習をしていたのは、サボリという事になるのだろうか。
俺も練習に加わる事になって、ノックを受けた。
すると、後ろから好きだった子が現れ「こうした方が良いですよ」と練習指導してくれた。実際、その子は俺よりずっと野球が凄く上手いのだ。
午後16時前に目が覚めた。
可愛いと思える子が出てくる夢を2つも立て続けに見るなんて初めてだ。
でも、気分はあまり良くなかった。
本当なら、こんな夢を見た後は「凄い夢だ」と幸せに浸れるはずなんだけどな。変な女と楽しそうに話しているシーンもあったし、嫌な気分の方が強かった。切なくなる。
そういえば、俺は以前その野球部の子をメッセの子に重ねていた。
でも、その子はショタコンに悪戯された。
重ねられなくなったから、メッセの子に想い入れを持てなくなったのか。
それとも、重ねてしまうからこそ、実際に好きだった子に対してまで幸福感を持てなくなったのか。多分後者だ。
同じような子がそういう目に頻繁に合わされて、もう絶望的なんだ・・と、何にも希望を持てなくなった。その気持ちに収拾がつかない。

夢に出てきた男の子について、抱きしめても抱きしめ足りないような、収拾のつかない気分になった。でも、どちらにせよ絶望なんだよな。
そういう目に合わされる事を知っているから。

「考える時間があるのは後1日」
そう思うとプレッシャーがかかり、今まで考える事を避けて来たような思念が次々と浮かび始める。
そして、「さらにもう1日、考える時間があればまとまりそう」と思うのだ。
結局、今日は学校には行かなかった。
「さらにもう1日」を得た訳だ。
でも、結局考えたところでどうにも解決する事が出来ないのだ、という事を改めて実感するだけに終わった。いつもこの繰り返しだ。
だからと言って、考えずには居られないのだけれど。

欲求を何度か繰り返し処理し、コーヒーを何杯もガブ飲みして、アニメを見て、自然に気持ちも落ち着いてきた。
いつもこんな感じだろうか。虚しくなる。
人生にも先が無さそうに感じる。

その子が俺を認めてしまうと、その子がショタコン全般を認める事に繋がってしまう。自分自身がショタコン親父に陵辱されたのに。その上で。
それが俺には耐えられない。

ジャンプを読んだ。
「遊戯王」も「シャーマンキング」も終わったので、今や読んでいない作品は一つもない。全部読める。
少年誌らしく毒が少なく、読んでて気分が和んでくれる。
それでも、昔は何かと関連付けて、ジャンプで欝に沈む事も多かったけど。



2005年09月25日(日)

せっかく映画を観たのだからと、mixiで参加しているFFACコミュの掲示板を見に行った。参加登録はしているけど、ネタバレしそうであまり覗く事をしなかったのだ。
「FFACの公式サイトで、FF7からACまでの物語を描いた小説を掲載している」という情報を得た。公式サイトを見に行った。
映画よりも感動した。
物語に出てくる少年の視点で描かれていて、健気というか何と言うか。
悲しい話なのに「感動した」という風に良いものとして受け取ってしまうのも不謹慎かもしれないけど。創作だしいいか、と。

今日は25日だ。
とうとう夏休みも最後の1日になってしまった。

小学生の頃に見た1つ下の学年も、中学3年の頃に見た1つ下の学年も、受ける印象は変わらなかった。
自分が30、40になってから見る1つ下も同じ風に感じるだろうか。
さすがにそれは無理があるような気がするが。
年下の子が持つ特有の内面性が好きだった。
無邪気というか、自分の年代とは違う精神感覚を持っているように感じたり。年齢差は変わらなくても、歳を取るごとにそういう子の内面性も「あの無邪気さは何だったんだろう」と思えるくらいに変わるのだろうか。
何か、あまり実感が沸かない。
それとも、そこまで内面的な変化が無くても、容姿や声が変わってしまってそれが感じられなくなるだけか。多分、半々くらいで両方だろうな。
あの子に例の話を聞いてから、恋愛のけて普通に関わる事さえどうにもならないものに変わった。
あの子と自然に関わる事もできなくなった後であるにも関わらず、あの子は自分の日記で「(リュカが)好きになった少年が大人になってしまっても、変わらず好きでいられると良いな」と書いていた。
あの子と気まずくなったのも、別に少年の年齢が変化するからとかは関係ないのに。別の理由で絶望的になっていて。
どうにもならない事は解っていたのに、何でそれを望むのだろう。
相手が自分じゃなくても、という意味だろうか。
それとも、どうにもならない事があの子の中では「どうにかなる」と思える類の事だったのか。
それもずっと引っかかってる。

自分の田舎でキョンシーの引率みたいな事をしていた。
別の場面では、まだ子供だった頃の従兄弟2人を連れて雪山のペンション付近で遊ばせていた。
今日は午後16時過ぎに目が覚めた。

せっかくの夏休み最後の日なのに、昨日親父に言われっぱなしになった悔しさが後を引いてる感じで忌々しかった。
メッセの子と会話した。
その子の考え方について指摘して、「そんな風に受け取るなんて酷いです。今日が最後です。もう絶対話しません」と言われた。
それも、後から撤回してくれたけど。
あまり、何かを考える事が出来なかった。
今日はあまり良い一日じゃなかった。



2005年09月24日(土)

エヴァを5話目まで観たけど、そこまで面白く感じない。
昔はハマったはずなんだけどな。
陰鬱な主人公を見ていて、こちらまで気が滅入って来る。
26日から学校だ。
今日と明日で夏休みも終わってしまう・・・

午後13時過ぎに目が覚めた。
あまり眠れなかった。

また親父と言い合いになった。
「言いたい事があるなら言え!」と叫び散らす癖に、こちらが言うとすぐにはぐらかすような糞親父だ。
どうせ口で言っても数秒後には無かった事にされるのは確実だ。
難しい言葉を使う事もあって文章でまとめた方が効率が良さそうに感じた。
なので、パソコンで奴の言う「言いたいこと(親父への批判だな)」をまとめて送る事にした。口で言葉を喋るのも得意でないし。
母親のPCにメールで送ったのだが、何故か向こうのパソコンだけネットに繋がらなくなっていた。
親父に見せようと向こうのPCを立ち上げている間中、ずっと「そんなに気に食わんなら出て行け!」「学校辞めろ!」などいつになく必死の様子だ。
そんなに批判されるのが怖いのか。メッキ剥げまくりだな。
普段はこっちも口で言うものだから「お前は頭がおかしいのだ」などと言ってくるけど、本当は図星で自分に当てはまる事だと解っているんだろうな。
いつもは自分が正しいと言う癖に、誤魔化し切れないよう文書で批判されそうになった途端、
「どんなに理に叶わなくても飯を食わせてやってるのは俺だ!」と。
ついに開き直ったか。元々こいつの本性なんて知れてたけど。
でも、結局PCが繋がらなかったので批判文書を突きつける事は叶わなかった。

俺もそのうち社会に出て働いて、
仕事に追われるうち、何を考えなければならないのかとか、何を憎み続けるのかとか、今大事にしている価値観とか、全部心の内から追い出して生きていくようになるのかな。嫌気が射す・・
いくら考えたところで取り返せない。
いくら憎んでも形にならない。
それでも、そういうのが自分の内から途切れてしまう事が恐ろしく思う。
悲しいような、切ないような、悔しいような。
完全に疲れた世界の絶望となってしまうのだろうか。
まるで今までの事が無かったかのように、中身もなく薄っぺらく生きていくようになるのだろうか。嫌だ。

「FINAL FANTASY Ⅶ ADVENT CHILDREN」が落ちた。
気分直しもこめて観てみる事にした。
クラウドがかっこよかった。
前作で敵だった神羅のキャラ達が味方っぽく親しく接してくるのも面白く感じた。でも、前半だけでダレてしまった。
最初凄くかっこよく感じたけど、同じテンションで1時間40分も延々と見ているとそれも惰性に変わってしまう。
ずっとクライマックスシーンの連続だった事もあって、疲れてしまったのかもしれない。エンディング曲が余計だった。
後半に差し掛かる頃には、ボーっと考え込んでしまった。
強い苦しみを感じ続けていない限り、何が大切なのかを強く実感できなくなる。俺は苦しむ事さえ放棄してしまっているような感じだ。
以前のように強く感じようと思っても、それも麻痺して薄れてしまう。
無意識的にそうなる事を拒絶したり。
不快になるからショタコン板も避けてるし。
ただ意味もなく、深く何かを感じる事なく人生まっとうしていくんだろうなと、疲れた感じで不安になった。



2005年09月23日(金)

少年が死ぬのが何より悲しいとほざき、
少年が悪戯されたり搾取されたりする事は推奨で、虐待されたり洗脳されたりで同性愛に走ってしまう少年を都合が良いと喜ぶ。
その上でヒューマニズムを気取り、犠牲になった少年に近づき親身な態度で善人のつもりになってる偽善者共がショタコンだ。
犠牲にした奴については、自分自身の都合も悪くなるので一切触れない。
それを悪とも見なしていない。それで自分は"この子を優しく気遣ってるんだ"と思い込んでる。
裏では反吐が出るような欲望のままに子供を犠牲にし、自分は被害者だとのた打ち回る。
マジでこの胸糞悪い汚物共滅びてくんねぇかな。

純粋で優しくて素直な少年というのに凄く惹かれていた。
今は精神的に、求めるに求められないような状態だけど。でも、惹かれるものを感じそうになる時は度々だ。抑止みたいなものが働くけど。
昔の自分自身を思い起こしてみても、純粋な少年であった事も、優しい少年であった事も、素直な少年であった事もまるでない。
まぁ、そうであったならショタコンになる事も、加虐的な嗜好を持つ事も無かったんだろうけど。
おまけに容姿も浮世離れして見えるくらいに綺麗に見えて。
一般的に言われてるように、本当に無いものねだりみたいな感じなんだろうな。どういう精神構造をしているのか理解できないくらいに新鮮な存在に感じられる。優しかったり素直だったりする事は、逆に自分自身を殺しすぎているんだろうなと。
少年が優しかったりする事が惹かれる要素だったはずなのに、そういう存在だからこそ痛々しくも思えてしまう。最初からそういう子の内面性に喜ぶよりも、痛々しさを感じ取るべきだったんだろうな。
それを感じ取る事が出来ない事も自己中だ。
犠牲になった少年を目の当たりにしているなら余計にな。
喜ぶ事そのものが無神経で最低な事なのかもしれない。
相手のために喜ぶんだ、なんて詭弁以外の何ものでもないし。
自分自身に都合が良いから喜んでるだけだ。
本当は、「女は全部が全部汚いから。少年は全てにおいて綺麗な存在だから求めるんだ」と思っている自分自身(達)が、何より汚い存在なのだ。心身共に。
ショタコンと自分自身についてそんな事を考えていたけど、何か言葉がまとまらない。

俺は性欲処理の時にはいつも少年を浮かべているのに、少年に対し精神的に惹かれそうになるとすぐに自分で否定する。
これもなんか矛盾してるな。精神的に否定するより、何よりもまず性欲的にを否定しなければならないのに。ズルズルと甘んじてしまっている。

自分の人生において絶対にありえないと感じていたのに自分を好きだと言ってくれる少年が現れて、それなのに逆にそういう子に惹かれるという感覚を自分で全部否定しなくてはならなくなった事が凄く悲しい・・

今日は午後15時前に目が覚めた。
ガンダムSEEDの「MSV レッドフレーム」と「ミゲル・アイマン×ニコル・アマルフィ ドラマCD」が落ちていた。
あまり眠れなかったようなのでもう一度眠ろうと思った。
寝起きにタバコを吸ってしまったせいか寝付けなくて、そのまま3時間ほど布団の中で感慨に浸るような形になった。

メッセの子とガンダムの話をしていて、ふいにエヴァンゲリオンの話題に移った。何だか久しぶりにエヴァが観たくなってきた。
数年前にダビングしていたので、ビデオで全話持っている。
久しぶりに観てみる事にした。
エヴァンゲリオンがビデオとして発売されたのは俺が中学2年の頃らしい。
テレビで深夜放送されていたのはその1年後だけど。
主人公の設定は中2だから、自分と同学年という事になるのかなと。
物語の中に出てくる街は、疎開者が多いせいかガランとしている。
これだけ大きな街なんだ。
本当ならうるさいだろうに、人っこ一人おらずにシーンとしている。
それが新鮮に感じられて、何だか惹かれるものを感じた。
あとは、主人公が浴槽でボーっとしながら、今日一日の非日常な出来事を思い浮かべているシーンとか。
静寂が好きだ。でも、疲れた雰囲気でもあると思う。
本当に自分は今までの人生を歩んできたのか、と現実感を肌で感じる。
敏感になるというか、強い孤独感を感じてしまう。
それが好きだけど。
関連付けてか、昔の光景が浮かんできた。
俺は田舎に疎開していた。真冬の事だ。
外は完全に真っ暗で、仕事帰りに利用していた駅の待合室にはストーブがある。午後18時過ぎくらいだろうに、その時間にはもう俺以外完全に無人で、そこで暖をとって電車を待ってた。
ジャンプやマガジンを読みながら。
冬の特集とかで、当時のマガジンでは2年越しくらいでスキー物の漫画を読み切り連載していた。俺と同じ16.7歳のスキーが大好きな主人公が、冬のペンションにアルバイトをしに行く感じの内容だった。
俺もスキーは好きだったし、真冬特有の静寂的な雰囲気を寂しくて良いものに感じていた。そういえば、疎開の少し前か少し後にペンションのアルバイトに申し込みをした事を思い出した。時期的に考えれば多分前だろうな。
素人OKで、中学生や高校生へのスキー指導だ。
指導が終わればペンションでの皿洗いとか、そんな内容だったと思う。
当時からショタコンだった俺は、1つ2つ下に可愛い子は居ないかなと期待もあって応募したのだ。採用されなかったけど。
読んで電車を待っている間もシーンとしていて。
ジャンプじゃNARUTOで「白」という少年が出てくる話をやっていたと思う。
駅のホームの天井には大きな蜘蛛の巣が張っていた。
よくそこに火のついたタバコの吸殻を投げつけて、蜘蛛が脚を溶かしながらも必死でフィルターを糸で包んでいく様子を眺めて遊んだな。毎晩やってた。



2005年09月22日(木)

元々少年に対する感情なんて収拾がつかないものだった。
それがさらに拡散していくような感じで、余計にどう想っていくべきなのかが解らなくなる。
そういう子たち自身は、どうしてああも自分の生き方や考え方に後ろ暗さを持たないのだろう。絶対視していた対象だけに参考にもできるだろうか。
ある程度自分自身の持つ打算や虚栄を自覚しながらも、それらを説き伏せて覆い隠せるだけの黒さを持ち合わせているのだろうか。
その上で都合の良いものに喜びを見出し。
それ以外の人間ならば「卑怯な」と認めないところだけど、特別な存在が持ち合わせているなら認められるかもしれない。
と、また俺は自分に都合の良いように考えてしまっているだろうか。
そういえば、何でそういう子自身が持つ内面性にまで「こうでなければならないのだ」とこだわる事になったんだろう。
その子たちが普段スルーしているような社会にはびこる汚いものを、自分自身が受ける可能性まで受け入れているように思えるからか。
それが俺からしたら耐えられなくて。
そんな目にさえ合う事がないなら、どんな考え方を持っていても問題なかったんだよな。

ニコルがレイプされていた。
俺はそれをぼんやり眺めていた。
小学校の校庭で跳び箱の授業を受けた。
俺は体力が無くて台の上で前転する事が出来なかった。
帰りに駅前の自転車置き場に寄ると、自分の自転車の足元に裏返ったジーパンが落ちていた。多分自分のだろうという事で履いて帰った。
夜中になって、電車の通る線路を2ステップで飛び越えていく。
今日は午後16時前に目が覚めた。

数年ぶりに映画「太陽と月に背いて」を観た。
昔は嬉しい映画だったけど、今現在はどうだろうか。
年下に対する意識の持ち方も90度くらい変わってきたし。
ディカプリオに特別な魅力を感じる事が無いので何とも言えない。
MXが使えなくなったそうなのでWinnyの設定をした。
数年前はWinnyだったけど、ルーターを使い始めてから設定がややこしくなって断念した。今日改めて挑戦してみると、割とあっさり成功した。
あとは、昨日見つけたフラッシュサイトを何度も見返したりして過ごした。
http://kenkoudaa.sakura.ne.jp/page123.html

自分にとっての対象全般が、その存在も衝撃も大きすぎて未だに折り合いをつけられずにいる。それほどまでに衝撃を受ける存在が居なかった事を知っているので、ずっと心の内から追い出せない。
また、その意思も持たない。
でも、俺が目にしてしまったその状態は絶望的で破滅的なんだよな。
取り返せないくらいに。
どうすればいい。



2005年09月21日(水)

話を聞かされてから2年目の日も終わってしまった。
24時間の時間帯で考えればまだだけど。
2年前の誕生日にその子にもらったメッセージを読み返し、添えつけられていたmidiをかけてみる。
別におめでたい日でも何でもないのだが、儀式的な感じだろうか。
21歳という年齢がえらく若く思えてしまう。
これを受け取った当時にも、すでにその話を聞いていてどうにもならない絶望感は強かったのに、贈られたものを開いて見てえらく浮世離れした感覚を味わったのを覚えている。
二十歳の誕生日に祝ってくれた人名コテハンもあの子だろうか。
だからどうという事でもないけど。俺には全部踏みにじる事しか出来る事が無いし。

欝っぽくジワジワと、少し胸が苦しくなってきた。
締め付けられる。

今日は午後14時過ぎに目が覚めた。

頭が呆然とし過ぎて何も考えられない。
色々と感じるものはあっても、言葉に直すほどでもない微量な感覚というか。

今日は2chシャア板のなりきりスレみたいな場所で遊んだりして過ごした。



2005年09月20日(火)

今日で、あの子にあの話を聞かされてからちょうど2年か。
薄れている時期の方が殆どだけど、一日たりともそれが浮かばない日は無かったな・・・
晩年になって、「あの時拒否さえしていなければ・・」となるのだろうか。
でも、そうなったとしても、それは事の重さを実感しきれず甘い面だけ見ようとしてるだけのまやかしだ。
間違った選択はしていない。そう思いたい。
そんな目に合っているのに受け入れるのは、自分の性格が許さない。

意地だけで拒絶した、となるのが耐えられない。
でも、それだけの事があったのに意地どうこうの域は超えてるだろ。
そういう目に合っているから。そういう目に合っている事が。そういう目に合ってなければ。
どう形容していいのか分からない・・
凄く重い事だから、とか。
そういう現実が許せなくて、とか。
認めたくないのだ。
自分でも言葉に直せないこの感覚、誰か理解できる奴いるのか。
自分が言いたい事が上手く表現できなくてもどかしい・・

あって欲しくないのにそれを起こした。
絶対そんな事になって欲しくないと願っていたのにそれを奪った。
不条理なその何かに反発し、憎悪をたぎらせたいという事だろうか。
その"何か"に対し当てつけたい、という気持ちも含んでいたのか。
何より譲れないものを奪われて、
その上で俺がその子を受け入れてしまう事が、さらにその"何か"の思い通りになるようで、それが許せなくて拒絶するのか。
"何か"の流れに逆らう事で、誰を困らせる事が出来る訳でもなく、
いっそう深みにはまってしまうのは俺自身でしかないのだけれど、それでも逆らわずにはいれなかったのかもしれない。

奪ったお前が受け入れろとはどういう事だ!と。
むしろ、奪った上で受け入れさせるのが思惑なのか。
何か、というのは「状況」だろうか。違うかもしれない。
自分でも漠然とし過ぎてよく分からない。
共感されなくてもいいけど理解はされたい。

午後12時半頃に目が覚めた。

結局あの子も、周りの汚く卑しい風潮や人種と同じく、
俺に「最低なものを認め肯定し、中途半端になった上で受け取れ」と押し付ける口なのだろうか。
だったら、俺の価値観壊し反するものでしかない訳だ。
何もかもが合わなかったといえるだろう。

今日は適当にウェブ小説を読んだり、DL途中のAVI動画を観たりしながら過ごした。「黄泉がえり」という映画がテレビでやっていたので、中途半端にそれも観ていた。
なんだか、頭が詰まった感じでまた考えられなくなってしまった。



2005年09月19日(月)

もう心が死んでいる。
アホみたいな言葉だけど、妙にしっくり来る感じだ。
何度も繰り返し過ぎて、麻痺してきたような意識しか浮かばない。
呼吸するのもストレスだ。
得たい物が何も無い。
生きたい理由が浮かばない。
漠然とした疲労感だけだ。
多分、死んだところで変わらないんだろうな。

今日は午前11時頃に目が覚めた。

性癖の事で人生に絶望感しか持てなかった頃もあったが、
その時はその性癖のために思い入れが強かった存在に対し、絶対感を見出す事で希望に出来た。そうなるまでにも3年くらいかかったけど。
今現在は、その存在自体を信じることができない状況なので、
もうこれ以上人生に希望を持ちようが無いのは当然か。
ただ生きてるだけで、もう全部終わってるんだとしか思えない。
事実、自分以外の人間に対し希望を見出すというのは最大の幸福のように言われている。欲望的な意味で魅力は感じ続けているけど、その存在そのものに絶望してるのに、もう何も無いじゃないかと。

自分が何を考えているのか分からなくなる。
漠然とした痛さを実感し続けているだけで、何も考えていないのかもしれない。頭がおかしくなってきたような感じだ。

もしも、そういう子が生きて存在しているだけでも希望なんだ、と思えるようになったらどうだろう。今度は、即刻「そういう少年なのに殺された」とかなるんだろうな。希望に変わった瞬間に。
もっとも、「生きてるだけで~」なんて思えるほど人生悟って生きてないからありえないけど。

生きているだけで~とかが希望になる時点で、ないがしろにしすぎというか不謹慎だが。そういう目に合うのを受け入れる事を前提にした関わり方なんて認めたくない。
街中などでそういう子を目にした時に感じる切なさの理由も変わってきた。
以前は、「自分はどうあってもこういう子に対し満たすことが出来ない」
今は、「一番認めたい存在なのにそういう目に合わされていて、それでも認めなければならないのか・・」「嫌だ・・でも認めたい存在なのに。認めない事は悪いのだろうか。認めたくない。認められない事を恨む」



2005年09月18日(日)

色々な夢を見たと思う。
よく眠った。
今日は午前11時過ぎに目が覚めた。

ボーっと妄想に浸り続けてしまったりした。
何も考える事が出来なかった。
何かを考えようとする意思さえ沸いてこない。

「トニオ、天使の歌声」を上・下巻共に読み終えた。
一生何かを感じ続けていなければならないのだろうか、途方もなく面倒に感じられてしまう。噛み締めて考える事が嫌になる。
放棄のため麻痺させてしまいそうになる。



2005年09月17日(土)

別スレで前世も見てもらえた。
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54 :朔夜 ◆R61No/hCwo :2005/09/17(土) 01:05:04 ID:FTSKpgtC0
日本ではありません。
12歳くらいの男の子のようです。髪は金髪です。
あなたの家の近所に「水色の道」という名前の道があるようです。
なにか、花が関係しているような、道ですね。
道の地面が水色、というわけじゃないようですが…。
その道はとても綺麗で、歩くと元気が出る。
あなたはそう思っているようですね。
特に病気もしない、健康そうな体をもっています。

名前は「チシャ」
略称のようです。本名はもう少し長いようですね。
余計なお世話かもしれませんが、肺に注意してください。
空気の悪いところにいるようですね。ご自愛くださいませ。
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今日は午前11時過ぎに目が覚めた。
寝起きから、どうにもならないような最悪な気分になった。
俺はあの子に対して未練に感じるだけの期待の要素なんて持ち得ないのに、と。
多分、自分の気持ちの方でまだそれを受け止め切れて居ないのだと思う。
どうにもならないという事自体を、ずっと心で否定したがってきたから。

しばらく妄想に浸ったりしていた。

俺だけではなく、あの子も歳を取っていく。
逃げ道なんか一生なかったんだ、という事を知った気がした。
解決策が無いんだ、という事を俺は忘れかけていた。
考え続けていく事で、いつか抜け道が現れてくれるような気になっていた。
でも、そんなものは俺の人生の中で一生無いんだ、と。
どれだけ悩み続けても、「本当はそんな目に合ってなかったんだ」という風にはならないのだという事を忘れていた。

例えるなら、死人に対して嘘だ嘘だと否定し続けていれば、いつか生き返ってくれるような、そんな非現実的な意識が俺の中には無意識的に存在していたんだと思う。頭でどんなにありえない事だと分かっていても。
まぁ、まだ死人の方が現実的か。
魂が存在するなら、いつかそれを感じ取る事も出来るだろうし。



2005年09月16日(金)

小説の続きを読み始めた。
主人公の少年は、自分を手篭めにし続けている老人を気遣っている。
「この人は少年である自分を欲望の対象にしている事で苦しんでいる。彼にとって罪とは自分を罰する事以外に他ならない」と、それを悲しんでいるように見える。
このショタコンジジイはショタコンジジイで、自分の行為を悔いている事を頻繁に口に出す。自己否定している。
俺は、こういう奴の本質を人並み以上に知っている。
少年を性的対象として搾取し、それを自己否定して見せるショタコン。
こういう奴に、もしも外部から批判的な言葉を投げかけてみるとどうなるだろう。たちまち「何が悪い」「私はどうすればいいんだ」と、それまでの自己否定をあっさり覆して見せるだろう。
そして、ねちねちと同情を誘うような口調で自己"肯定"をし始めるのだ。
何が自分自身を罰するだ。
自分で自分に課す罰なんて、せいぜい制限つけた緩い悔恨程度だろ。
それも形だけの。
たとえ手を出す以前に押し留めるような批判意見をどれだけ浴びせられたところで、欲のままに相手に貪りつく癖に。
反吐が出る。

もう、自分はこの人生において幸せになる術なんて無いんだ、と思う。
もしも自分を認めてくれるような少年が現れたところで、それはそう思わせてしまった俺自身が卑怯で最低な甘ったれだという事にしかならない。
ショタコン野郎の分際で、認めさせたり良い風に思わせてしまうなんて最低以外の何者でもないし。
結局、少年に限らず俺を認める人間が居ても、心の奥の奥までは見ていない。
どこかで妥協し(その人間にとっては妥協にもならないのかもしれないけど)、俺の中の卑劣さ(相手には見えてない)が含まれた上で「あなたは幸せになってもいいんだ」とか言うんだろ。
俺にはこの世そのものが合ってないんだ。
この世の延長であるあの世も俺には合っていない。
自分に合う次元なんて存在しない。
そう結論付けるとしっくりときた。
意識もろとも無になりたい。

今日は午後14時頃に目が覚めた。
全部が全部最悪過ぎて嫌になる・・
もう何も希望は無いのだとか。
自分自身が喜びを得る事を許せなかったりとか。
そうさせる状況とか。
俺は潔さみたいなものが皆無だから諦め切れていない状態がダラダラと続き続けて、それでも現状は絶対にどうにもならないのだという事がハッキリしてて。
気分最悪。

オカルト板の生まれた年月で霊能者に鑑定してもらえるスレで依頼を出していたら、返信が来ていた。
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363 :Deqのvoid ◆hL5qQiCZdQ :2005/09/16(金) 14:51:00 ID:z/KHMkuE0
>>100(てんさん)
かなり計算高く立ち回れそうな人らしい。対応する人や場所に応じて巧みに自分をコントロールすることができそう。でも、まだ経験が足りないらしい。それと真っ直ぐすぎる正義感。
もうひとつ、純粋で感受性が実は強い。と言うこと。この三つの点において、キミは未だその能力をうまく使いこなせていないような気もする。要するにもっとタフになってくれれば、
多少なりと変化するだろうな。でも、妙に捻くれてしまうのとは違うから留意して。
得のその真っ直ぐな正義感とかは大切にして欲しいと思う。傷ついても「直に癒えるから」と前向きに歩いていける強さが、もっと育ってくれるといいんじゃないかな。
逆に。目的は常に、より美しいものや純粋なものをより愛す方向でいって欲しいと思う。
最近の悩みは、異性についてと、自分の将来。といったところかな。
自分の将来については、期待と不安と自信が複雑に絡み合いながら。最終的な意見としてはやや自分の自信が勝利している様にも感じる。
おそらく、その方向性を保ちながら謙虚にやって行けたら。周りの人が助け舟を出してくれたりしてくれそうな気がする。でも、やっぱりポイントは「先ず自分が一生懸命やること」なんだけどね。
きっと、キミはうまくやれるだろう。異性については、今までのところはそんなに不満はなさそうだよね。
将来においても、異性関係は大丈夫そうかも。相手には誠意を持って接してあげていてね。
他に感じることは…動物とかにも優しい人なんじゃないかな。そんな気がしました。
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当たっているような当たっていないような。
やっぱり、そういう力を持った能力者でも、俺の心の奥の奥までは見えていない。その中に含まれているような卑劣さを目に留める事もなく、そんなものが無いかのように正義だ純粋だと言う。
ある程度の悪意はスルーされるものなのだろうか。
少年に対してさえ含んでいるのに。
俺は自分を認めていない。
なのに、自分を少年に対して絶対的に正しいんだと思い込もうとしている。
俺以下の薄っぺらな道徳観念しか持ち得ない奴の方が殆どだけど、俺自身そういう子に対して卑劣な感情は持っている。
だから、俺が自分を正しく感じられるのは"絶対的に自分が正しい"じゃなく、"お前らよりは俺が正しい"という意識からだ。そこはハッキリしてる。
それを自分で知っているから余計に。
少年に対してさえも抱いてしまう卑劣な打算。
自覚しながらも、正せないままそれに甘んじてしまっているところが多々あると思う。
それさえ自分で知っている。だからずっとギクシャクしてる。
計算高いから、自覚しやすい癖に正せないでいるのかな。
それもまた卑怯な甘えか。
そういった甘えを心の中心に据えて自覚し続けようとする事で、少年に対し思い入れを持とうとする資格自体を失くしてしまうような気になって、すぐに心の内から追いやってしまっているのが現状だ。



2005年09月15日(木)

今日見た夢はやらしい感じの夢だった。
午前11時半過ぎに目が覚めた。
少年が性的虐待される、という事が浮かぶ時、絶望感が麻痺して欲や悦びが勝ってしまう事も増えてしまった。
何が何だかグチャグチャだ。

このまま欲に任せてそういう気質に流されてしまうと、
軽はずみな俗物共同様、社会に隠れて横行してるそれらの事を、最低にも認めてしまう事になるんじゃないか、と不安になる。
その上で気楽に生きていこう、なんてありえない。

音楽家やら画家やら彫刻家やら、イマジネーションを必要とする職についている人間には長髪が多い。
入学式に吹奏楽の指揮を執っていたうちの大学の音楽教師も、ガンダムSEEDに出てくるイザークのような不自然なオカッパ頭をしている。
以前誰かに聞いた話、芸術関係において長い髪は発想力に多く関係してくるのだと言う。
私見的には、顔全体を覆うような髪形は陰に篭りやすくなるのだと感じる。
昨日の散髪で、全体を覆う感じで顎まで伸びてた、長い前髪を全て切り落とし、何だか精神感覚まで違ってきたような気がする。
何を考えても虚しくなっていくだけなんだ、しばらく恋愛云々について考えるのは辞めておこう、と思えてきた。

小説の続きを読んでいた。
ショタコンの老人が出てきて、主人公を手篭めにする。
搾取する気満々の癖「私は神に背く」など、くっさいくっさい自己否定を"演じて"見せる。
主人公がタイプの少年ではないので、欲を差し挟む事なく、ただただ怒りだけを覚えた。
どれだけ汚いんだ、どれだけ卑怯で腐っているんだ。
本当に気分が悪くなって叫びだしたくなった。
気分転換に、自分のサイトで絵を描いた。
描き終えるまで1時間半ほどかかった。
別のところに神経使い続けてたおかげか、いつの間にか気分は落ち着いていたと思う。
その後、オカルト板で色々なスレを観覧していた。
そのスレに変質者と思しき人間が居るのを目にしたので批判した。
周りの人間は、調和やらキャラ作りやらを優先し逆に俺の事を攻撃する。
変質者は自作自演などをして、必死で非難を逃れようとする。
IDが変わっていなかったのですぐに分かった。
俺が自作自演を指摘すると、そいつは今更のようにIDを変え「何の事でしょう?」とシラを切る。その前のレスでIDが残っているにも関わらず。
やっぱり卑怯な嘘つきだ。変質者だけあって、自分を繕う事に余念がない。
さらに、その変質者を擁護する周りに対し、周囲に対して自分の憎しみを主張する事の価値の無さを改めて実感した。
>>343から
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1125655129/301-400
本当に軽はずみでくだらない人間しか居ないんだ・・、と見下げ果てた気持ちになった。
そいつが嘘をついているという事も、一目瞭然に分かるはずなのに。
悔しい・・
当たり障り無く、なんて風潮なんか糞くらえだ。
そんな軽はずみなその場限りの調和のために意見が封殺されるんじゃ、ネットで意見を交わす意味が無い。
道徳的に考えても、むしろ犯罪者を黙認しようとするお前らが下衆じゃないのか、といつも感じる。人間全般に対して嘆かわしくなった。



2005年09月14日(水)

デスノートのLが再登場してきて、
ライトをキラとして逮捕した後、「自分はあと6ヶ月は生きられるはずだったから」と告げる。
Lは実は女で妊娠していた。
そして、出産した後死亡する。
そこでデスノート最終回となった。
いきなり最終回か。じゃあ9巻で終わるんだな、と思った。
今日は午前6時前に目が覚めた。
何も知らなければ、自分自身を不謹慎に感じる事なんて無かったんだろうな。
どこまで求めれば心の平安が得られるのかとか、何も知らずに喜びを求めたところで、昨日考えたように途方もない事に感じられてしまうのか。
だから、欲を求めず満たされる事を考えた。
「そういう目にさえ合わないでいてくれたら納得できる」と。
結局、そんな道徳的にもよしと出来る当たり前の納得さえも得られなかった。
なんかもう、価値観全部グチャグチャだ・・
恋愛どうこうに夢を馳せたりする事自体、若い頃特有の特権みたいなもので、自分はそろそろそこから離れていかなければならないんじゃ、とも感じてしまう。

卑しく腐った汚い汚いショタコン共が、汚い欲で綺麗な少年を汚す事を死んでも絶対認めたくない。
そのためには、俺自身も少年を得る事を禁じなければならなかった。
別に俺が得ないところで、下衆野郎共がてめえに都合の良いように身勝手な屁理屈こねて少年搾取を続ける事は変わらないけど。
だからって、俺が求めて良い事にはならないし。
また、求める事が認める事に繋がりそうで、認めないために求めない。

俺が受け入れないものだから、そのうちあの子も他の誰かのものになるんだろうな。
もう、すでになっているのかもしれない。
まだなってなかったとしても、いつかはそういう事になるんだろうな。
あんなに好きになってくれていたのに。
もしもならずに居続けてくれても、それに対して「わぁ、嬉しい」とはなれないだろう。もうすでにそういう目に合わされていて手遅れだし。
あの子を悪戯したショタコンジジイは、独り占めできたとさぞかし嬉しく思うんだろうな。やったもん勝ち、みたいにこの世の摂理はゴミ屑に都合良く出来てるもんだ。
それも、一時の欲望を満たすため、なんて軽い理由で汚されて。
一生残るのに。
「どんな辛い事も自分の強さとして取り入れていけるようになりました」とか明るい感じで言われたけど、それが俺にとって何になるというんだろう。
された後で、その子が苦しもうがそうでなかろうが、俺にとってはそんなに大した違いはないし。
そういう目に合わされたのに、色々な事を喜びにしていて痛々しい、と表面上は喜んで見せ内面的に辛く感じ続けていればいいとでも言うのだろうか。
糞糞糞糞。

そういう目に合わされてるのに、何で告白なんかしてきたのか。
向こうからしたら、俺の方の気持ち一つであの子は幸せになったり喜ぶことが出来たりするんだという事になるんだろうが、
俺からしたら、すでに相手は取り返しのつかない状態だ。
乗り越えるなんてありえなくらいに絶対的に全部潰れた状態だ。
それなのに、一体何を期待されていたんだろう。
条件が違い過ぎてあまりにも不平等だな。
向こうはこっちに対して救われる可能性を見る事が出来るのに、俺はそれを相手に対して見る事が出来ない。
もしもあのまま関わり続けていたところで、心底喜ぶなんてありえずに廃人みたいにギクシャクしていただけだろうな。
その事実があった以上、
俺の方では、その子の喜びが自分の喜び、にさえもなり得ないのに。
結局こんな状態じゃ、「こんなの好きになるんじゃなかった」という風に、相手に後悔させる事しか俺に出来る事はないんじゃないのか。
受け入れたところで喜べないのは確実だから。
喜びたくてたまらなかったから未練が残る。
本来喜べたはずなのに、と。

散髪しに行って来た。



2005年09月13日(火)

西部劇に出てくるような町に居た。
遠くの方にはビル等も見えるので、数百年前にタイムスリップしてしまった、という訳ではなさそうだ。町の特色というか。
地面には、雑草がところどころに生えている。
俺は交差点のような場所に立っていた。
定期的に馬車が通り過ぎていく。
その馬車は、荷車を引いているのが馬ではない。
全長3~5メートルほどの、黒い馬の体を持った生き物だ。
頭だけが、白い虎になっている。
実際、こんな生き物を目の当たりにしたら、奇妙な違和感を感じてしまうんだろうが、CGなどで再現されたような不自然さを感じさせない姿に見えた。
そういう技術が精巧になってくると、どうしても想像力が、人工的に加工されたようなものを思い浮かべるようになってしまうのだろうか。
どういう形が一番綺麗に見えるのか、を追求したような姿なので、神話的とも言えるのか。
虎頭の生物が襲ってくるような事はなさそうだった。
その馬車はたくさんの果物を積んでいて、カラフルだった。
同じものが定期的に1台ずつ通り過ぎて行くのだ。
逢魔が刻というやつなのか、空が紅紫に染まっていて幻想的な感じだった。
次に、別の夢に移った。
寝る前にニコルの事を浮かべていた事もあるのか、夢の中にそのキャラが出てきた。夢の中に居る時は、「喜びにしてはいけない」という意識がなくて、その姿を目にするだけで信じられないような喜びを感じる事が出来た。
今日は午前7時頃に目が覚めた。

数百年前の西洋を題材にしたような物語には、同性愛的な要素が含まれている事が何故だか多い。
子供の頃から本を読む事は多かったので、俺はそれらを同性愛とは受け取らず、男が男に対して慈しみを持つ事は、アメリカ文化が家族や友人に対してやたらと「愛」という言葉を使っているのと同じくらい、この時代この国では当然のものとされている文化なのだ、と受け取っていた。
俺が今読んでいる「トニオ、天使の歌声」という小説にもそういった同性愛的な要素が多く含まれていると思う。
読みながら、色々な事を考えていた。
自分のような少年を求める嗜好は古い時代から存在していた。
でも、昔はそれらが禁じられる事もなく、異性愛と同じくらい当たり前の情欲として認められまかりとおっていた。
今の時代にもそういった嗜好を持った人間は変わらず多く存在している。
でも、法律はそれを禁じる。
俺は、自分が歳を取っていくごとに少年と関わる権利が薄れていくのだと感じている部分がある。(もっとも、どんな年齢だろうが人間だろうが、そういう意味で少年と関わって良い権利なんて誰にも与えられてはいないと思うけど)
どんどん歳を取っていく。
自分は、少年に対して一生特別な関わりを持つ事なく過ごしていく事になるんだろうなと、閉塞的な気分になってしまった。自己中にも。
また、もしも自分が対象にするような少年を得られる機会があったとして。
どこまでいけば、自分は満足するのだろう、と。
付き合う事が出来たところで、その子を得られた事になるのだろうか。
性的な関わりを持ったところで、その子を得られた事になるのだろうか。
結局、その子はその子自身のものであって、いくら俺が求めたところで自分のものにはなり得ないのだ、と。
真に自分のものになったと満足するにはどうすればいいのか、途方もない事のように思えてしまう。
それら全部を含め、苦痛に感じることなど卑怯で腐った甘え以外の何者でもないというのに。最低だな。
俺みたいな人間の欲や都合なんて弾圧されて当然だ。
むしろそうなる事は喜ばしい事じゃなかったのか、と。
結局、どうあっても自分は理想の少年を手に入れる事など出来ないのだ、と。
たまにそれらを息苦しく感じてしまう事あがるのだが、それを辛いと捉える事はいけない事だ。
考えないようにしなければならない。
なんか、最近文章がおかしくなった。
今までも自分の中でどういった文体を使うのか、というのはハッキリ固まっていた訳じゃないけど、小説とかを読んでいると調子が狂うというか影響が出てしまっているように思う。

自己嫌悪で厭になる。



2005年09月12日(月)

緑と茶色が混じったような色の海みたいな場所に行っていた。
プールかもしれない。
深さは1メートルから2メートルくらいだ。
泳いでいると、前方から20メートルくらいの波がやってきた。
何故か後方からも波が来て、板ばさみの状態で上空に打ち上げられた。
18メートルは飛んだだろうか。
そのまま海面に叩きつけられたが、何とか無傷だった。
次にネットをしている場面があった。
あるページを開いた。
そしたら、急に体調が苦しくてたまらなくなった。
曰く憑きのページというやつだろうか。
午前0時前に一度目が覚めた。
目が覚めると、現実に腹が異常に痛んでいてトイレに行った。
それでも痛みに耐えられず、ベッドに仰向けに突っ伏していた。
かなり状態がおかしかった。
呼吸困難っぽくゼーハーゼーハーとなっているのに、呼吸が出来ない事自体はそこまで苦にならなかった。
どんどん体温が引いていくのが分かった。
顔から血の気が引いていって、どんどん冷たくなっていく。
何故こんな状態になっているのか分からなかったが、俺は数年前に何度か同じような状態になった事があった。
自殺しようと、ピースとかいうキツいタバコをひたすら口の中に詰め込んで、飲み込んで。その時も、今と同じようにどんどん体温が下がっていくのが実感されてた。だんだん呼吸が弱くなって、このまま死ぬのかという意識が芽生えてくる。
何かの病気なのだろうか、それとも盲腸とやらなのだろうか、とか思っていた。
顔に触れてみると、もう人間の体温とは言えないくらいに冷たくなってた。
洗面所に行き、鏡を見てみると、まさに顔面蒼白という感じになっていた。
ベッドに戻り、しばらく突っ伏しているとだんだん状態が落ち着いてきた。
ここまでは現実だ。
そのうちにまた眠ってしまったようで、今度は俺が何かの映画の編集をしている場面になった。
映像、音声、字幕を組み合わせようとしている。
だけど、機械の調子がおかしくて、結局上手くいかなかった。
次に目が覚めたのは午前5時前になってからだ。
そういえば、あの子は何をされたんだろう。
ショタコンジジイにされた後、「親に病院に行かされた」と言われていた。
何をされたのか大体の想像がついてしまう。
そこまで酷い事はされていない、と俺に対しては言っていたけど、
一般的に、性的な行動の中で最大の事をされたんだろう、と。
言葉どうりのレイプというか。
俺にとっては、最大だろうが触れられただけだろうが、度合いに関わらず受けるショックはそんなに大して変わらない。
「されたんだ・・」と一くくりの事として同じ事のように思えてしまう。
ただ、そのショックは一般人が恋人がレイプされて受けるものより遥かに強いものだと思っている。
最近薄れがちになって、どこか実感できなくなってきていたのだが、
された様子が生々しく浮かんできて、「そんな事をされてるのに、言葉を交わす事もありえない。絶対に嫌だ・・」という気持ちが強くなった。
その子は俺にとっての希望になんて絶対になり得ないのだ、という意識が強くなった。最初から声なんてかけないで欲しかった。
俺自身が「絶対に嫌だ」と認めたくないから受け入れないのだ。
それ以外の何者でもない。
もちろん、同じ状況でそれを受けいれるような奴らも許せないけど。
そんな目に合わされているのに、好きになられてもしょうがない。その上で声をかけてきた事自体、俺に対する裏切り行為以外の何者でもない。
俺はあの子自身に対しても憎しみを感じているのだと思う。

普通に人生送っていく事が、まるでそれらの状況全てを許しているように感じられて厭だ・・

息苦しいイライラする。
生活全部にうんざりしてる。

好きな対象について、何でもかんでも知りたがるのは自然な欲求なのだと思う。以前は俺もそうだった。
どんな趣味を持っているのか、どんな事を喜びにするのか、どんな食べ物が好きなのか、どんな漫画が好きなのか、どんな映画が好きなのか、どんな子供だったのか、どんな人生を望んでいるのか。
その子に関する事ならば、どんな些細な事でも衝撃だ、と。色々な事に対して感動を覚えていたと思う。
でも、今はもうそうじゃない。
対象になる相手が変な事と関わった経験を持っていたなら、たちまちそんな気持ちも沸かなくなるのだ、という事を知っている。そして、対象がそれを持っている可能性は極めて高い。
なので、好きな対象について何かを知ろうと思う事自体が馬鹿らしくなってしまうのだ。知りたがったところで、もしもその子がそんな目に合わされていたらどうするんだ?そこからその子の全てを全否定だ。みたいな意識で。
だから、もう最初からそんな気持ちも沸かなくなった。
俺は自分自身に対して何も認めていないのだと思う。
社会や人生を良いものとする事も、学生生活を謳歌するような事も、癒しを求め様々な風景に浸り楽しむ事も、何かに励み功績を収めようとする事も、生活の変化を期待し色々なものと触れ合おうとする事も、自分自身に許していない。
憎むべきもの、またはどうでもいいもの、と思い続けなければならないように感じる。もっとも、そんな意識を持つ以前から、それらの事に興味が沸いて来るような事は殆どなかったのだけれど。
でも、以前なら絶対視していた対象を通す事で、それらに喜びを見出す可能性を見てたと思う。周りの人間がそれらを喜びとしているように、自分もそうなれればいいなという意識も強かった。
色々な事を知ってしまった今となっては、興味を持つ持たない以前に自分自身に禁じているような状態だ。
それらを許してしまう事が、まるで少年を傷つけてきたような物事を、間接的に認めてしまう事に繋がるように感じられてしまうのだ。
一般的な物事を何も受け入れる事が出来ず、ストレスばかりが募っていく。
閉塞感だ。だから人生にうんざりしている。
少年云々を除外して考えたところで、人生喜ぶなんてありえない。
何もかもを自分自身に禁じてる。よしとする事を禁じてる。
息苦しい。毎日が辛い。
ガツンと来るものでなく、常にジワジワ漂っている。

俺が何かを集中して考えようとしていると、いつも決まって何かに邪魔され途切れてしまう。タイミング良く。
賽の河原でせっせと積み上げている小石を、完成間近で逐一崩しにしにやって来る鬼みたいだ。

パソコンの電源さえ切らせてもらえば、
寝起きであのまま死んでもよかった。



2005年09月11日(日)

神戸の高校から千葉の高校に転入する夢を見た。
転入したのは自分じゃなくて、第三者を自分の分身として見ていたのかもしれない。
転入先の高校は、女子生徒たちによる陰湿な嫌がらせが横行している。
訳の分からないまま陰口を叩かれて陥れられたり。
そして、廊下で首を吊った。
首を吊っていたのは他人で、俺はそれの発見者だっただけかもしれない。
そこで一度目が覚めた。午前0時頃だったろうか。
頭の中に「死ぬほど」という言葉が浮かぶ。
そしたら、急に体が重くなって、これは禁句だったのかもしれないと思い始める。変なものが反応して集まってくるような言葉なのか。
金縛りの前兆だ。
体外から体内に向けて、金縛りの感覚が迫ってきているような気がした。
でも、金縛りにまで至らなかった。それもまた夢だったのかもしれない。
そこまで恐怖を感じる事なく、次の夢に移ったからだ。
広いグラウンドで探し物をしていた。
誰かがシャーペンの消しゴムを落としたとかで、俺も消しゴム探しを手伝わされていたのだ。こんなグラウンドで小石ほどの物を見つける事なんて出来るのだろうか。時間が経って口に含んだソフトキャンディーみたいにネバネバになった普通の消しゴムはいくつか見つけた。気持ち悪い。
別の場面。
弟の部屋に寝そべってテレビを見ていた。
笑福亭笑平と桂小枝を足して割ったような芸人が出てきた。
ホモキャラだ。その芸人の奇行を見続けていた。
弟が部屋に戻ってきた。でも、何故か俺を追い出す事をしなかった。
午前3時過ぎに目が覚めた。
少し寝起きの不安感も感じたけど、寝起きなんて普通はこんなものかもしれない、と陰鬱に沈みそうなのを打ち消した。
先週見逃していた、ガンダムSEED DESTINYの46話が落ちていた。
ちょうどMXの接続時間が24時を迎えたところだった。

自分の中で、タイプの少年がそういう目に合わされるのは当たり前、となってしまえば、「なら、その心が自分に向いてくれた事こそが奇跡であり喜びなんだ、凄い事だ、素晴らしい事だ」となるのだろうか。そんな目に合わされるのが当たり前である程の魅力を持った少年の心が自分だけに、と。
襲った奴には絶対に向き得なかった心が自分には、とか。
そうなりたくないな。そんなので解決にしてしまいたくない。
なる訳にはいかない、かもしれない。
その反面、そうなりたい部分もあるかもしれない。
世間的に考えれば、そうなる訳には"いく"のかもしれない。
それでも否定し続けているのは、やっぱり俺はそうなりたくないのかもしれない。ごちゃごちゃで分かり難くなってくる・・
道徳的には許されるのか。
なら、俺は何に対して自分がそうなる事を許さないのか。
そこら辺が、もう解らなくなってきている。
道徳以上の道徳を、少年に対してだけは求めているのか。
それを表す言葉は無いけど。
でも、やっぱり、自分の理想に対して譲れないものがあるのだと思う。
そうなってしまっている事自体を否定したい、強い意識が根付いているのか。そういう目に合わされている以上、それが許される社会そのものが許せなかったり。
そんな、俺みたいな受け手に都合の良いような事が認められる社会が。
都合どうこうで言えば、タイプの少年がそういう目に合わされる事が俺にとっての何よりの不都合だ。そして、その"何よりの不都合"がこの社会では当たり前にされている。
その最大の不都合を与えた上で、悪戯された上での少年を受け入れる事を推奨するような好都合がまかり通るようになっているのが、さらにこの社会での"当たり前"だ。

何だそれ・・・・

何から何まで糞くらえだ。



2005年09月10日(土)

今日は午前6時前後に目が覚めた。
昨日色々加工した文章などが浮かんだせいもあってか、内面が極度に軽はずみになってしまったような気がする。
鬱陶しい意識が浮かんだり消えたり。
詩なんて書くものじゃないなと少し恥じる。
俺にとっては、以前からのイメージ通りの言葉遊びの類だったのかもしれない。

恋愛物の話を読んでいても、相手がどんな目にも合わされずにそんな風に叶ってしまっている事自体がありえない事のように感じる。
むしろ、そっちの方が当たり前で、俺の陥った状況の方が稀なのかもしれないが。
俺の場合対象が対象だけに、競争率が高いとかで相手がどんな目にも合わされずに居るなんてありえないのだろうか。ふざけるな!と。
どうにもならない考えで、気持ちのやり場がなくなってしまう。
どうにもならない、目を逸らして良い出来事じゃない。
未練が残りまくっているのに、
こうなっている以上俺が受け入れる事はありえない。
多分、一生引きずっていく。

昨日辺りから、恋愛物のウェブ小説を読むようになった。
自分が好きなキャラの中でニコルという男の子が居るのだが、
この子は年下年下している感じで可愛く見える。
その上、年齢にしては小さいという訳でもなく(15歳で165cmなので、当時の俺より高いくらいだ)、自分がタイプの少年として定義付けている存在には当てはまらないので、割りと抵抗なくその子をヒロインとした小説を読む事が出来る。
なので、俺がそういうのを読む時は、ガンダムSEED関連を選ぶ事が多い。
今読みかけている小説の中で、少し自分の状況と重なるものがあった。
主人公自身がヒロインを強引に自分のものにしようとするのはあってはならない事だけど、そこの部分は相手が定義してるタイプの子じゃないから、作り話だからとスルーした。
他の人間にヒロインが汚され、それが許せなくて認められない、とか。
その時の気持ちに凄く共感できた。悔しさが凄く分かる。
でも、その認めたくない出来事を前に、主人公は俺なら絶対に選ばないような選択をする。まだ15編までしか読んでいなので、この先どうなっていくのかは分からないが。幸せになりたくても、俺ならそれを幸せとする事をよしとはしない。相手を受け入れる選択をした主人公は確かに幸せそうだし、自分が同じ選択を選んだとしても、認めたくない事を忘れ喜びを感じる事もあるかもしれない。それでも、自分自身の道徳感情に背いた上での幸せなんて、やっぱり絶対認めたくないのだ。
それにより、
自分自身が、性的に搾取されてきた少年にとって、不快感しか与えられない存在になってしまったのも明らかだった。

色々と考えたいのに、選挙カーからしつこいほどに聞えてくる、オバハンの張り上げる汚い声が煩わしくてしょうがない。

現実的に考えれば、例えそんな目に合わされていなかったところで、
俺みたいに気色悪い奴目の当たりにした時点で、すぐに嫌悪感持たれて避けられるようになっていたのは明白だ。
「熱に浮かされていたんだ、僕はどうかしてたんだ」と。
あの子が自分の日記で「凄く嬉しいものを手に入れた」と上機嫌っぽく書いていたのも、俺からしたら無理に喜ぼうとしているようにしか見えなくて、ずっと引っかかっていた。
そういうのを考えると、こうやって未練を持って振り返ったりしている事自体、凄く痛い事のように思えてくる。
そういう目に合わされていて、
それ以前のところでどうにもならなく断絶状態になってしまったから、夢を見せられた状態で「それさえなければ」と引きずり続けているだけで。



2005年09月09日(金)

ある少年と仲良くなった。
その少年には彼女が出来た。
少年だと思い込んでいたのは、実は少年ではなかった。
途中で、テニプリの壇君と摩り替わっていた。
壇君がリアルの少年に見えていたのだろうか。
訳の分からない夢を見た。
今日は午前3時前に目が覚めた。

夢の中に出てきたというのもあって、以前落としたアニメ「テニプリ」の壇君が出てくる話を見てみた。
こういう後輩が居たら凄い可愛いだろうなぁ、と。
本当に夢のような存在に感じられた。
中学1年生という事もあり、未来への可能性やら自由やらが感じられそうな年齢だから、そういうのも含めて余計に魅力的に見えるのだろうか。

最近、オカルト板の霊視関係のスレで、偽霊能者を演じる事にハマってきた。「視てください」と依頼してくる相手に、
「おおお・・恐ろしい・・。あなたには魔が憑いています」
「なんと禍々しい・・・、すぐにお払いする事を進めます」とか。
なんだか一人でウケてしまう。
しかも、他の霊能者たちは俺のレスにツッコミを入れてくる事も、嘘ですよと否定してくる事も全くない。他も皆偽霊能者で、下手な事を言うとボロが出るから、とかなのだろうか。

今日も小説の続きを読んでいるだけで、あまり考える事をしなかった。
というか、ここ数日ずっと自発的に考える事を止めてる感じだ。
不安感を抑えるために飲み続けているコーヒーの摂取量が過剰になりすぎたのか、少し吐き気がする。

読書で文章力がついた事もあるのか、
眠りにつこうとボーっとしているうち、色々と小説風に加工されたような文章が思い浮かんで、生まれて初めて詩のようなものを書いてみた。
知り合いが感想をくれたので、文章内容から悲しい気持ちは伝わるようだ。
俺は自分の気持ちを詩に表す事自体、色々な辛いものを軽く扱っているようで不謹慎になると感じていて、それに対しあの子が「詩は気持ちが伝わりやすくなる」と言っていたのを思い出していた。

『二年の憂鬱』
愛情だとか温もりだとか
それが自分に及ぶだなんて思いもしないで日々を過ごした
自分だけには関係ない、と
それが私にとっての当たり前

拠り所になろうとしてくれた君
私と同じ奴に穢されていた
拠り所にできなかった私

君は凄く崇高だから
大事に大事に触れずにおこう
誰の自己満足をも、関わらせるのが忍びなく
手遅れかもしれないが、もうこれ以上はと突き放す
そいつと同じ、私を慕う君が痛くて
愛さなくていいんだよ
慈しまなくていいんだよ
不要な優しさ殺してあげたい
誰にも私にも穢されない場所にいてくれと
そして君は居なくなった

拠るものなんて、最初から存在し得なかった
でも、多分大丈夫と言えるだろう
今までと何ら変わらず、私にとっての当たり前
怨み憎しみ、絶やさぬ事だけ考えよう
当たり前でいれたらよかった



2005年09月08日(木)

しばらく、以前買ったきりになっていた「トニオ、天使の歌声」という小説を読んでいた。
18世紀か19世紀のイタリアの話だ。
主人公の幼年期の部分を読んでいて、叔父、叔母、従兄弟等、親戚たちとの交流の様子などが書かれていた。
血縁関係がなければ、親としてはやはり他人と同じような感覚で接したりしてるんだろうな、と思った。やたら体面を気にしたりする場面が多かった。
主人公は賢くて良い子なので、特に恥になるような事もないのだが。
そこから連想されたのか、自分の幼年期や、それと関わる親戚たちを思い出した。その頃の自分は、他人の目にはどう映っていたのだろう、と。
俺は親戚連中から、あまり良く思われていない。
親戚たちと普通に接しているつもりでも、親戚たちが帰った後で母親によって「あんたの事ボロクソやで」と愚痴られる事が未だにある。
俺は幼少時から、両親から「歪んでいる」と言われてきた。
当然、子供の頃は体面というものを気にする事がないので、親戚連中の前でもありのままの行動を起こす。
そういった時の態度が、他の従兄弟たちと比べてもどこかおかしかったらしい。
母親はかなり陰湿でヒステリーな部分を俺に向けてくる事が多かったのだが、外面は良い。他人には、母親の歪んだ部分は目に見えない。
俺がおかしければおかしいほど、「何でこんな風に育ったのか」という事になってくる。
親戚に限らず、俺が母親に連れられて誰かの家に行った後、
自宅に帰ってくるなり、母親から「もう、恥ずかしいわ!」と何度もビンタを食らわせられる、という事が多かった。
「親の知人に会い、帰った(向こうが帰る、またはうちが帰る)後は殴られる」と、当時の俺の中ではすでにそういうイメージが固まっていた。
そんな事を思い返し、
両親にとって、俺は存在そのものが恥だったのだ。
俺の存在が、両親の恥を周囲に撒き散らす事に繋がっていたんだ、と思うと可笑しくなった。
そう意図した訳ではなかったのだが、両親に疑いの目が向く事で、親の歪みを恥として露呈させてやってたんだ、または復讐欲が満たされた、みたいな感覚になる。
そういった事が愉快に感じられてしまう事が、俺が持つ歪みという事になるのかな。

想ってくれている子が居るのに、未練を完全にどうにもならないモノにするため、とかで結婚に走る。
取り返しのつかない状況を自ら作る。
それが悲しいのに、わざとそうする。
眠りにつこうと横になっているうち、
なんとなくそんな場面が頭に浮かんだ。
さも、自分ならやりかねないなと。
例えば、俺の中に今浮かんだような状況を自ら作り出した人間が居たとして、自分で「ああああああああああああ」となるんだろうな。
でも、後の祭り。
もう取り返しがつかない、自ら全部終わらせた。
それが分かっていて終わらせた。
そこからどんどんお互いの心境など、想像が広がってきて、
勝手に浮かべた妄想なのに、何だか凄く心にクル。
どうしようもない悲しい気分になってきた。
自分が普通に結婚してるのが当たり前の年齢になったら嫌だな、
と、そんな考えからこんな妄想にまで行き着いた。
心底好きになれそうな相手で、機会もあったのに自ら拒絶しなくてはならない悲しさ、に重なるものがあったのだろうか。



2005年09月07日(水)

あと何分以内にマンションを出なければ、怪物が出現する。
油断してたら子蜘蛛やら蟻やらが背中からウヨウヨと沸いて来る。
そんな感じの夢を見た。
午前0時20分頃に目が覚めた。
今日は寝起きから割りと楽な感じで、そのまま4.50分ボーっとしていた。

目の前に山が見えた。
ふもとから頂上にかけ、キョンシーの行列が並んでいるのが見える。
頂上には墓場と田舎のテーマパークのようなものがあった。
どうやら、キョンシーの行列も全て劇か何かの出し物のようだ。
他にも、吸血鬼の格好をした人間を何人も見かけた。
講堂のような部屋の中に場面は移る。
俺は座っていた。
前の席に吸血鬼の格好をした人間が数人座っている。
よく見ると中学生くらいだ。子供まで演劇に参加してるんだな、と思った。
母親が中学生に「今までで一番面白かった出し物は?」みたいな質問をする。
中学生は、「くねくねが来た事がある」と答えた。
その時の場面が浮かぶ。
正確には「くねくね」を見た人間なのかもしれない。
高校生くらいだろうか。「ぼ、、ぼく、、はぁぁ」と完全に目がイっている。しかも顔面蒼白だ。
自分は「膿泥児(ウンディゴ)だ」と名乗っている。
くねくね=膿泥児という事になるのだろうか。
そこで、本来のくねくねが連想された。
案山子のようにくねくねと動きながら、片足は切断されている。
切断面から血を引き出しながら、物凄い形相で目を見開いて踊っている。
頭が、何故か腹の辺りにまで下がって位置している。
そんな元人間が連想された。
それを見てしまった人間は、他の人間に「何が見えたの?」と聞かれると、「知らナいホうがいィ・・・」「見ナい方がイい・・」と、呟き狂っていくそうだ。
午後19時過ぎに目が覚めた。
今日はずっと眠っていた。
「くねくねは田舎特有のドロドロとしたヤバさを感じる」
そんな、誰かの感想が思い出されて、自分も「なるほどな」と感じた。
オカルト板にも専用スレが立っていて、ふざけた感じで
「ミツメテハ・・イクナイ」「ミツメタラ・・テラヤバス」などと書かれている。
目が覚めてもしばらく夢の中と意識が混同されていて、
なんだか、そのふざけ具合も生々しく感じられた。



2005年09月06日(火)

午前2時過ぎに目が覚めた。
考え続けるのがしんどくなる。
寝る前に、死後の世界に関するサイトを見ていた。
自殺だとしても、憎悪や苦しみに捉われていなければ、死後自分が送られる領域は違ってくるとか。
死ぬ瞬間、たった一瞬の心のあり方一つだとか。
だから、別に自殺したから~という事は特別な条件を発生させるものでもなく、それ以外の死と同条件だ。
ただ、自殺は死の瞬間の精神状態が負に捉われていやすいというだけの違いで。
自殺だろうがそれ以外の死だろうが、
その瞬間、神に慈悲を乞わなければ永遠に苦痛を味わい続けるとか。
そのたった一瞬の精神状態が永遠に継続される。
言い換えれば、どんなに納得が行かなかろうが、その瞬間に精神状態を切り替えなければ開放されない。切り替えたその一瞬の精神状態が永久に継続される。永久に自分の浮ついた軽はずみ状態に苛まれる。
納得も行かないのに。
しかも、それをしなければ永遠の苦しみだ。
どっちにしても最悪だ。
俺が人生に対して納得なんて出来るはずもないのに、
それを押し殺したものを継続させる、又は苦しみ続けるのどちらかしかない。どちらにしても許せない。あの世もこの世も自分には合わない。
どんなに全てが許せなかろうが神に媚びてろ、みたいな。
独裁だな。しかも、それがこの世以外の全ての領域にまで及ぶから最強だ。
モヤモヤする。
納得いかなさを言葉で表しきれない。
この概念が厭だとか許せないとか納得できないとか最悪だとか、息苦しいものを受ける。ストレスだ。
人を傷つける事なく生涯を全うし、弱い物を傷つける最低の奴らを憎み続けたところで、最終的に送られる場所は同じ地獄だ。
そんな最低な奴らに対してさえも、「人を憎むな」的な押し付けに反吐が出る思いだ。

タイプの少年の事とか、考えるとキリがなくなってくる・・
そういう子を対象にする奴らが多すぎて、本当に溢れ過ぎてる感じだ・・・
対象に思われるだけに留まらず、実際に対象にする奴らによってタイプの少年は肉体的に何らかの行為を受けてるんだもんな・・

もう、全部が厭でしんどくなる。
考える事もストレスで、早く終わってくれないか、と。
「これでもか」と認めたくない事ばかり目の当たりにされてきて。
心の内がグッタリしてる。
そういう子に対して、色々な悔しさや悲しさが沸いてきて収拾がつかなくなってしまう。

「人間なんて別にそんなに珍しいものでもないし、普通にそこらに存在してる」「人間なんだし、そんなに特別なものだったっけ?特に思い入れる必要もないんじゃないか」と考えてみた。
普段はこんな考え方に納得したりする事はできないのだが、このムズムズ感が延々と続いていくのか・・と、あまりに収拾がつかなくなってきたので、とりあえず程度にこう考えてみる事にした。
今回、割とこの考えに意識が付いていってくれてる気がする。
確かに、昔はこういう意識の持ち方だったな、と。
少し楽になってきた感じだ。
自由にものを考えられる、自由に我を持つ事が許される、というか。
少しホッとした状態になった。普段なら眠りにつく時間だから、というのもあるかもしれないが。現在午前11時半。
かといって、これからもこの意識を継続させていくつもりは無いのだが。
休憩みたいな感じで。
今だけ少し楽になれたし、以前買ったままになっていた小説でも読んでみるか。割と抵抗なく、内容を取り入れる事が出来るかもしれない。

というか、思い入れるほどの対象じゃない、とでも思わなければもうやっていけないような感じになる。
少し気楽になれた気がしたけど、しばらくするとジワリジワリと普段以上に意識され、胸に刺さるというか何だか息苦しくなってきた。



2005年09月05日(月)

セスタスが出てくる夢を見た。
後半、中学時代の同級生が出てくる場面があった。
都合の良い時だけ利用してくるような奴で、俺はそいつを恨んでいた。
馴れ馴れしく友達みたいな事を言ってきたので、ふざけるなと否定した。
そしたら逆ギレされて、1つ上の学年の奴を出してきた。
現実に、俺はその2人にある程度臆している部分があったので、夢の中でもプレッシャーを感じていた。
自分が正しいのが分かっているので、勇気を出してそいつらに向かっていった。そこで目が覚めた。
漫画とかでよくありそうな夢だった。
起きた時は午前4時少し前だった。
どうにもならない現実に戻ってしまったと、気分が沈む。

俺の価値観が極端過ぎて、自ら幸せを手放してしまっているんだとは考えたくない。余計絶望感に沈んでしまう。
無神経で都合の良い部分しか捉えようとしないような、自己中でご都合主義的な奴らは、年下の男の子相手に信じられないような高揚する、ワクワクとした夢のような喜びを得る事が出来るんだろうな。
まだ内面に多く不謹慎を含んでいた、数年前の自分のように。
あんなに特殊な対象だ。それが叶って夢の感覚を得られない訳がない。
俺と同じ状況で、それを都合良く幸せと捉える奴らが憎い。
また、それを幸せとする世の中の概念が許せない。
じゃあ、俺は何なんだ・・・・、と。
俺は納得したくないから拒絶する。
俺はその状況に引っかかるものを感じるから、それを幸せとはしたくない。
そういう目に合わされてる時点で終わりなんだ。
俺が自分のこだわりのために手放したんじゃないだろ・・・
そういう目にさえ合われていなければ喜んで受け入れたんだ。



2005年09月04日(日)

今日は午前0時40分頃に目が覚めた。
寝る前までのジワジワしたものが和らいでいた。
和らいだところで何になるのか、どうせ何も変わってない・・と、少し沈む。

もしも俺自身が同じ状況なら、その話に出てくる主人公と同じように喜びそうになってしまうんだろうな。
でも、それは今まで自分が悩んできたような事を、自分自身で全否定してしまう事に繋がる。
それらが幸せとしてまかり通ってしまう事を、俺自身が認めてしまう事になるだろう。そうなりたくない。
どうにもならなくても、拒絶するしかなくなってしまう。
その先なんて存在しない。
自分自身がそれを喜びにしてしまいそうな事を認めたくない。
犠牲に合った事は変えられない。認めないために拒絶し続ける事しか、自分に出来る事は無くなってしまう。
認めてしまいそうになる事自体、まるでそいつらの都合に埋まってしまうようで許せなくなる。世間はこういうものなのだと、少年が犠牲になった上での喜びとやらを認めてしまう。絶対に厭だ。
そうなった時点で全部終わりなのだとしなくちゃいけない。
というか、それ以前に汚い親父にそんな事をされるなんてありえなかった・・
どんでもない事なのに・・
「厭だ」という強い意識が離れず、ずっとモヤモヤしっぱなしだ。

知り合いに相談してみた。
ショタコンではあるけど、一応俺と同じような価値観を持っている相手なので、参考くらいにはなるだろうと。
俺が見てきた話について、「もう、そこまでショックを受けられなくなった。『またか』と足された気分にしかなれない」と言われた。
少し落ち着いてきていたという事もあり、
そんなものなのだろうかと、何だかこっちまで冷めてしまった。見合ったショックを受け続けねばと、薄れだしてもずっと苦しもうとしてきたのに。
こっちの受け取り方が変わったところで、出来事の酷さが変わる訳じゃないというのに。そんな風に薄れさせてしまった良い訳がないのだ。
受け取り方が冷めてしまって、凄く不謹慎な事に感じる。
どうにもならない出来事が起きた。
後は、それに対して苦しみ続けるしかないように思う。
だから、それをした奴らは死んでも許されるべきじゃない。
許されない、という事しか受けないそいつらが憎い。
しかも、被害者は自分を軽くみてそいつらを許してしまったり・・
さぞご都合がよろしい事だろうな!
全部が全部最低だ。
本当に、適当で軽い言葉でまとめるしかできない。

別に俺がそれらについて痛々しく感じたところで、何がどうなるという訳でもないんだけど。された事が撤回される訳でも、誰かが喜ぶ訳でも全然ない。
でも、どれだけ酷い事なのかは感じた事があるのに、それらについて鈍感になってしまうのは不謹慎かなと。
俺にとっては何より許せない事だった。
だから、あくまで自分を納得させるための自己満足的な意識の持ち方でしかないのかもしれない。
許せないから許さないままで居続けるのだ、と。
別に、それが被害者にとってプラスになったりする訳じゃ全然ない。
ただ、俺がそれらを認めたくないから、許したくないから憎み続けるのだ。
だからといって、そいつら(加害者)が下衆である事に違いはない。
(文章の流れ的に「考え方の相違であって、別に奴らが悪いという訳ではない」と受け取られそうだったから補足しとく。もっとも、そんな風に受け取ろうとするのは自分の都合の良いように解釈しようとする腐ったショタゴミ共だけだろうけど)
俺がこれだけ憎み続けているのだって、そいつらが心底最低な糞共だから。

数日前に母親に薦められ読み始めた「光の帝国」という小説を読み終えた。一月ほど前に読んでいた「蒲公英草子」の前編だそうで、常野という不思議な力を持った一族の話だ。
本を読んでいると、出てくる単語やらから全然無関係な事を連想してしまい、しばらく考え込んでしまう事が多いと思う。
内容として、俺的に特に心に響くような部分はなかった。
そういえば、本を読んでいて何かを教えられる、という事が無くなってきたな。一時的に文章力は上がるような気はするけど、すでに自分の中で答えが固まっているものばかりだ。
そんな風に締めくくれねーよ、と一瞥に伏してしまう。
「こんな考え方もあるんだ」と、新鮮な気持ちで自分の中に取り入れていけたのも、せいぜい5年ほど昔までだな。
作者の考え方に素直に従えていたというか。
今はそれらの考えに、疑いを持つ事が増えたと思う。

昨日耳にした話が意識され、納得できなさが纏わり憑いて離れなくなった。
それも中途半端に・・
なんか、毎日同じ事書いてるな。
毎日同じ感覚を味わっている。

何故か右上の奥歯の一部が削れてしまったようで、内側にかけて少し溝のようなものが出来ている。さっき気づいた。
舌触りもザラザラでやたら気になる。
溝の底が多分歯茎まで通じているのだろう。スナック菓子などを食べていると、それが溝に挟まって歯茎が痛む。ムズムズする。
耳掻きやら爪楊枝で、ずっとガリガリやっている。
刺激に麻痺しやすい部分なのか、楊枝で刺してもどこからが歯茎で、どこからが歯の底辺なのか区別が出来ない。
いじってるうち、砂粒ほどの欠片が削れて、ガリっと噛み潰してしまった。



2005年09月03日(土)

昨日メッセの子が寝ている時に金縛りに合い、物理的な物音も引っ切り無しに聞えてきて怖かった、との事だった。
話を聞いた後、少し前にその子に落としてもらった「海外版呪怨」を一緒に見た。まぁまぁ面白かった。

いつの間にか眠ってしまって、午前3時過ぎに目が覚めた。

色々耳に入ってくるのに、もう惰性みたいな感じでちゃんと考える事もできなくなってる。
しかも、俺が絶対認めたくない!としていたようなタイプの子に関する物事が溢れすぎてて・・
「あんなに綺麗な存在に対し、どういう道理でお前みたいな汚いものがずうずうしくも手を出したり出来るんだ?」と。納得できない事が溢れすぎてる。
結局、納得なんてものは自分に都合良く解釈して薄れさせるとか、そういうものでしかないと思う。
絶対認めたくないような事とか、本当に納得できないし、納得して良いものでもないというのに。本当に言葉を失くすほど酷いような出来事なのに、それらに対して何かを納得したり薄れさせたりして過ごす事になったとしても、その当時の出来事の凄惨さ?が和らいだりする訳じゃ全然ない。
それらを受ける人間の心に変化ができるだけで、本当は出来事自体の悲惨さは何も変わらない。身を裂かれるくらい酷い事に感じていたのに。
その出来事自体が持つ意味は変わらない。
誤魔化しでしかない。
どうにもならないほど最低な出来事なのに、本当の意味でそれらを拭うなんてありえない。
そういう出来事が発生した時点で、もう全て終わりだ。
気持ち的に薄れても、俺自身の解釈とは別の、それ自身が持つ絶望は変わらない。どれだけ酷い事なのか。
どうにもならない。だから全部終わりだ、と。
納得いく人生なんてのはありえない。どうにもできない。
それが起こった事は変えられない。だからもう全部絶望だ。
それ以外ない。
自分にとって、一番あって欲しくない部分で納得できないモノを抱えて生きていくのが厭で厭でたまらなかったけど、起きた以上どうにもならない。人生終わった。不満は解消されたりしない。

何であれだけ信仰心のようなものを持てたのだろう、と思う。
少年に対して肉体的な綺麗さは感じても、もうあれだけ絶対視する事なんて不可能になってる。
本当に、人間以上の絶対的存在に見えたのに、今になるとどうやってそんな風に思えていたのだろう、と分からなくなる。
自分にとっての全てに思えていたのに、今はそう感じられなくなっている。
どうやったらそんな風に全てに思い込んだりできるのだろう、と。
タイプの男の子の存在は自分にとっての全てだったから、そんな子がそういう目に合わされて、もう自分の人生も終わったんだ、と。
ショックが薄れた今になっても、そういう風に認識してる。
結局、絶対にあって欲しくない痛みの裏側にしか幸せなんて存在しないのだろうか。あってはならない痛みをスルーする事が幸せ発生の条件なのか。
「された事がある上で」とか。
それらを通り過ぎた上でしか、ワクワクするような信じられないような高揚するような幸せな気分は味わえないのか。
偽者じゃないか、と。
よく耳にする話に共通して、痴漢に襲われてる少年が居て、しばらく襲われ続けた後に、その少年を誰かが助ける。
「自分はされたけど、あなたに助けられてよかった」と。
それを恋とか言って、まるで良い話のように仕立て上げられている。
助けた奴は助けた奴で、こんな可愛い子に想われて嬉しいと幸せに浸る。
男の子は男の子で、酷い目に合わされたのに、そいつとの出会いみたいなものを優先して、そのきっかけが自分が酷い目に合わされた事なのに喜んだりして。
それが不満だ。痛々しい話に思える。
そんなものが幸せとしてまかり通っている世間が厭だ。
それを幸せとして受け取らなければならないのだろうか。絶対厭だ。
もう全部グダグダだ。
意識されてる事を言葉にまとめる事自体しんどく思える。
あれだけ思い入れていたのに、手のひら返したようにダルくなったり薄れたりしている自分が厭だ。

ゲイサイトみたいなところで耳にしてしまった話が、さっきからずっと頭から離れない・・
自分から興味をかきたてられて、萌えたいという意識もあって見に行ってしまった事もあるのだけれど、この離れなさが辛い感覚なのかな、とも思える。
さっき上に書いた類のやりきれない話を耳にした。
頭の中でグルグルと渦巻いていて離れない・・
例によって「こんな子なのに・・」と、衝撃的だっただけに。
コーヒーも今で4杯目くらいだけど、落ち着くどころかずっと憑き纏い続けている・・
現在午前8時04分。
サイトを見たのは、多分午前4時頃だ。
圧迫されるというより、ずっと纏わりついて離れない。
厭だ厭だという意識、認めたくないという意識でひしめいている。
萌え感覚もあるから余計離れなくなったのか。こんなオッサンにあんな子がと、とにかく色んな意味で衝撃だ。

話に出てきたショタコンジジイを殺してやりたい。

もしもあの子が悪戯される事なく、それでも変わらず同じように告白してくれていたとして。
俺が今日耳にした話について相談したとする。
話に出てくる少年は、自分が酷い目に合わされていたにも関わらず、悲願(本来の意味とは違うかもしれないが)として喜んでいる。
希望の始まりというか、良い話にされている。
それについて、俺があの子に「酷い話だ」「認めたくない」「あんまりだ」と相談する。
自分自身は酷い目に合わされた事が無いながらも、おそらく話に出てくる少年と同じ感覚を持っているであろうあの子は、どんな風に受け取りどのように答えるのだろうと気になった。
自分自身がされてないなら、それに対して受け取り方も違うと思う。
(現にされた上でショタコンの俺に告白してきたその子は、その話を良しとしそうな雰囲気だから。されてなかった場合どうなんだろうと)
悲しくやりきれない話と受け取り、その痛みを感じるのだろうか。
それとも、希望に満ちた喜びの話として受け取るのか。



2005年09月02日(金)

未だに、業者が来る前まであった漫画2冊が見つからない。
もしも盗まれているなら、見つかる可能性はないじゃないか。
自分の気に入ってる漫画だという事もあり、2冊ともタイプの少年が出てくる漫画だという事もあり、それらが無くなって凄く気持ち悪くなる。出てこないのだ。
いくら探したところで、盗られているなら出てくる訳ない。
それだったら出てこないかもしれない、という可能性が頭に浮かび続ける。
自然と口から「ふざけんなよ!」と出てきて、半ギレ状態になる。

あまりに気持ちが悪かったので、少し部屋を掃除する事にした。
散らかっているゴミを全てまとめて、食器を片付け、雑誌や単行本を本棚代わりに使っているクローゼットに押し込もうとした時、
奥の暗がりっぽい場所に、背表紙が見えない反対向きになって、無くなったと思っていたはずの単行本2冊が収まっていた。
ずっと気になっていたので、見つかった~、とホッとした気分になった。
俺の早とちりだったようだ。

メッセの子からメールが来た。
「もしかしたら、春から寮生活しなくて済むかもしれません」との事だった。
就職の内定?が決まったとかで、もうすでに勉強しなくても将来は保障されているとか。
これで、春でお別れしなくても良くなったんだな。

久しぶりに風呂に入った。ついでにヒゲも剃った。
サッパリしたと思う。
入浴中含め、息苦しい事がずっと意識され続けた。
普段から意識されてる考えだけど、グチャグチャと繰り返されて本当に疲れる。考えは、世の中や社会規模の事にまで及んだ。
グッタリする。それをここに書き留める事さえしんどく思える。
一言でまとめると「厭」という事だ。

母親が、俺に「あんたの日記見てる」「ここで教えてもらった」と、2chスレを見せてくる夢を見た。
なんか、俺の大学専用のスレらしかった。
スレ主は柔道部の部長とかで、「あいつ(俺)ムカつく」とか書かれていた。母親に、俺が悩んでる内容とか全部知られたんだな、と思った。
午後20時過ぎ頃に、メッセの子からの着信で目が覚めた。



2005年09月01日(木)

最高の存在だとか、なんて綺麗な肉なんだとか、男の子に対する欲望でずっとムラムラしっぱなしだ。
その肉を触りたいとか舐めたいとか好きにしたいとか、ずっとそんな事が浮かび続ける。タイプの男の子の体全部が綺麗過ぎてたまらなくなる。
欲望に思考を任せすぎてるというか、自堕落な状態になっている。
苦しみが伴い難くなったから、想いも薄れて欲望優先みたいな感じになってしまうのかな。
下心の方が強すぎて、大して思いやれなくなりそうだ。

何だか、最近全然深く考える事ができなくなったな・・
これで良いとも思えないから、いつも不安というか気持ち悪さを引きずっている。

何かに取り組んだり喜んだりする事に、少なからず抵抗感を持っている。
といっても、昨日のFlash作りのように、気まぐれや衝動で何かに没頭してしまう事は多いのだけれど。
なんと言うか、浮ついたものに感じる。
自分を単純化してしまっている、というか。
仕事や作業を淡々とこなしていく事に気持ちよさを覚えたり、表面的で軽くて単純な話題で他人と意気投合して盛り上がってみたり。
そういうものが生き方だったり人生だったりするのだろうけど、それらは深いものから目を逸らした浮ついた感覚でしかないような気がする。
それを普通にはしたくないのだ。
自分の本質から離れてしまう。
知った以上は陰惨な感覚を受け続け、もっと悩まなければいけない事がたくさんあるのに・・、と。抵抗が出る。
だから、自分はそういった浮ついた感覚を日常にしてはいけないのだ。
何だか、俺にはそういった、義務感にも似たような、脅迫的な観念があると思う。欝持つ以前は抵抗なんて無かったんだけどな。
何かに没頭してしまう事を振り返り、いつも後ろめたさがつきまとう。
それも中途半端に。
それが余計にモヤモヤだったり。
それでも、現状俺は深く考える事をしないまま、周りの人間が取り組んでいるような物事にも関わらず、結局どちらからも逃げてるような状態なんだろうな。厭になる。
ありきたりな言い方をするなら、欝と正面から向き合っていた頃は、まだあるべき自分でいれたような気がする。
別に男の子の不幸を求めてる訳じゃない。
酷い話も、以前と同じように耳には入ってきてるのに、あまりに自分が感じなすぎるのだ。俺の、逸らして受け取ろうとする逃げ根性のせいだけど。

昔は辛くて苦しくて、いくら吐き出しても書き足りないという感じだった。
でも、今は自分自身に「証」が欲しくて、形になるよう長文書いて、「考えてるんだ」と自分を納得させようとしてる部分もあるのかな、と思えてしまう事がたまにある。
日課の日記の文章量が少ないと、どうしても自分が考える事を放棄してる部分が強いような不安な気持ちになってしまう。
形容違いかもしれないが、手段と目的が逆転してしまったような。
まぁ、半分は活字中毒ですけど。
昔の、吐き出せないと不安で不安でたまらない、という意識が未だ根付いてる部分もあるんだろうが。
オカルト板で霊視スレがあるので、また鑑定してもらおうか。
多分、俺からして「浮つけ」みたいな答えが返ってきそうな気がするけど。
定石だな。

消防点検とかで、家に業者が来た。
各部屋をチェックするのだ。
廊下でのすれ違いざま、俺の事を嫌~な目でジロリと見てくる。
部屋が汚いというのもあるし、俺の風貌が浮浪者みたいな事もあるのか。
この業者は歳がいくつなのか。
24.5くらいで、自分と歳の近そうな俺が、見るからに引きこもり丸出しの容貌なので軽蔑したのか。そんな印象を受けた。
で、その業者が別の部屋を点検している間に俺はリビングに移った。
しばらくし、業者がリビングを点検しに来る。
その時もまた、俺の事をあからさまに嫌な目で見てきたのだ。
敵意みたいなものが感じられる。
何だか胸糞悪くなった。
自己中心的に少年を悪戯し、脅迫し傷つける。
この業者はそういう奴らと同じ類の人種なのかと思えた。
たとえショタコンじゃなかったとしても、強姦魔とかそういう奴に見られそうな自己中で腐った印象が感じられた。
点検が終わり、業者が帰った後で母親に「今の業者って何歳くらいやろな」と言った。
すると、母親は「普段はもっと愛想良い人来るんやけどね。今の人、目も合わせようとせぇへんかった」と言う。
「そうなん?俺は嫌~な目で見られたわ」
「部屋汚いからちゃう?」と言われた。
「今の業者何歳くらいやと思う?」ともう一度聞いた。
「28.9から30くらいかな」と言われた。
俺は自分自身がオッサンに見えるから、自分を基準に24.5歳くらいの奴だと思っていた。
28.9歳と言えば、俺の知ってる子達を悪戯したショタコン親父共に共通した年齢じゃないのか。さらに気分が悪くなった。
そいつ自身の印象と年齢から、男の子を悪戯した奴らに凄くかぶって見えてしまう。
脅迫してビデオ撮ってとか、まるでそいつ自身がしてきた事のように感じられた。胸糞悪い。

部屋に出しっぱなしになっていたセスタスの9巻と神to戦国生徒会の2巻が無くなっていた。業者に盗まれたのか、とか思えてくる。
業者が居る時、わざわざ俺の部屋だけドアが閉められてたし。
ふざけんなよ・・

午後22時前に目が覚めた。
告白されたのに喜んではいけないんだとか、むしろあの子には憎まれるべき立場なんだとか、普通なら幸せになったりするパターンなのに何も期待してはいけないんだとか。
寝起きから色々振り返り気分が悪くなった。


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リュカ

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