ユキマークブック。...ゆき

 

 

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ひとり。 - 2001年09月27日(木)

こうやって
予定のない休日を
部屋で1人過ごしていると、
わけもなく涙が出てきたりする。

ふたりの気持ちとは
まったく関係のないことが原因で
結局、いっしょには居られなくなってしまった。
会わない日のなかった2年間
遠くなっても楽しくって幸せだった3年半
もらった愛情とやさしさを
コップに溜めていったら何杯分になったろうか。

ずっと一緒に居るんだと思っていたし
ずっと一緒に居ようと思ってくれていた。

3週間前の、最後の電話で
私にはどうしても
彼が言ってほしいと思っている言葉が言えなかった。
「頑張って」と。

もうあの人の、甘い声を聴くことはない。
背の高いあの人の、隣に並んで歩くこともない。
あの人と一緒にゲームをすることも
あの人の服を洗濯することも
あの人のためにおみやげを探すことも
一緒にできたなにもかものことが、もう出来ない。もう二度と。

一緒にしていないことなんて
もう何もないくらいの日々を過ごして、
だから何をしても今はあの人を思い出して。

このつらさから逃げるために、
何もなかったことにして
ふたりとも見るべきものから目をそらして
過ごしていくことも出来るかもしれない。
でも、それってやっちゃだめだよねえ?
そして行き詰まる気持ち。

自分で決めたことに
意外にもしっかりしてることに驚いていたら
2週間たったころ、初めて泣いた。

夜の間ずっと泣いて、泣いて泣いて泣いて、
明け方、友達にメールして
翌朝返事をもらってまた泣いた。

『夜中のユキコのメールを読んで
 色々思い出しながらゴロゴロしてるよ。
 うん。かなり愛されてたよ。
 周りから見ても。うらやましかったさー。』

涙が止まるのは、一体いつのこと?




...

とっておきを見せてやる! - 2001年09月26日(水)

いい言葉でしょう?
とっておき。
すごく、好きな言葉なんです。

ちなみにタイトルに持ってきたのは
FFⅩのティーダくんのセリフなんですが、
初めてこのセリフを言ってくれた時には
すごーく楽しい気持ちになって、
以来、戦闘時にこのセリフが飛び出すのを楽しみに
雑魚敵もさくさく斬ってます。
「とーっておきを見せてやるぅー」と復唱しながら。(←やばい)

あんまりね、
“とっておき”って、
なかなか日常口にする機会がなくて、
だからこそ
そのちょっと甘い響きとか
小さなヒミツを明かすようなどきどきとか
大好きな人を想うかすかな痛みとか
そういうビーズみたいな感情のかけらが
くっついたままでいてくれるコトバなような気がします。

そんなことを思っていたら
先日“とっておき”がつくタイトルの素敵な本を見つけまして
読んでいるうちに駅を乗り過ごしまして
いかんいかんと反対側のホームで乗り換えて
はっと気付いたらまた会社よりの駅まで戻りすぎていて
非常に無駄な20分を過ごしてしまいました。

いずれ、書庫に入る予定。私の、とっておきの、書庫。


...

見知らぬ駅へ。 - 2001年09月22日(土)

20時に閉まるPC館へ
電脳界と私を結ぶ魔法のケーブルを買いに
19時24分の急行に飛びのって
自分の住む駅を通り過ぎる

あとひと駅で目的地
周りをみれば老いも若きも
みな一様に疲れた顔で
暗い窓に映る自分の顔を
思わず確認してしまう

ぎゅうぎゅう詰めの急行に乗るくせに
さほど急いでいる様子もなく家路につく彼らに混ざって
クールな電車から吐き出されてみたり

なんだか前と違う感じ
改札を抜けてからそこは
目的地の手前の駅だと気が付いた
疲れた顔にひきずられちゃったのかなあ?
ここに私の
帰るべき家はないのに

ホームに引き返して先発の各停で
残り4駅の旅の続き
がらがらの車内、行儀が悪いけど
口紅を取り出してぎゅっとひく

閉店5分前
魔法のケーブルは5m
素敵な出会いや
私の言葉
やさしいメールに
愛する音楽
おしあいへしあい流れる通路は
薄緑色の485円

帰りは自分が住む駅へ
各停に乗ってゆっくり帰ろう




...

ADSLいよいよ導入。 - 2001年09月16日(日)

ひゃっほーい!
やっと、ADSL繋がりました。
今日、頼んでいた接続の人がやってきて
ちょちょいとモデムを繋いでくれて
(どっちかっていうとやってほしいのは 
 PCのセットアップだったりしましたが
 まあ、ただなので多くは言うまい。)
自分で小1時間かけてセットアップして。

しかし、私もLANカードとやらが要る、ということを
先日教えてもらって自覚したので、
今日、モデムチェックの人が帰ってから買いに行きました。

最初に向かったお店にはなかったので、
置いてある店舗への道を聞いて、
そっちへ移動する途中に思わず服を買ってしまい、
いかんいかん、試着してる間に店が閉まっちゃう~、と、
ちょっと焦ってお店へ。

大体こういう場合、
私に声をかけられた店員さんは
非常に痛い目をみることになるのですが、
本日も然り。

てこてこ入っていって、「LANカード下さい」。
いきなり声を掛けられて、え、俺?みたいな感じのお兄さんが
ちっちゃい箱がいっぱい並んだ棚まで案内してくれます。

店員さん(以下、店)「10ppsですか、100ppsですか?」
ゆき(以下、ゆ)  「どう違うんですか」
店「・・・何にお使いになりますか?」
ゆ「ADSLにしたいんです」
店「じゃあ、10ppsで充分ですね」
ゆ「はい。じゃ、それで」
店「カードでいいですか。L字型とフラットなのがありますが」
ゆ「どう違うんですか」
店「形ですね・・・。スロットル、あるんですよね?」
ゆ「スロットル?」
店「カード差し込むとこです」
ゆ「カード?」
店「・・・お使いのPCの機種、わかりますか」
ゆ「富士通の、デスクパワーですが、型は分かりません」
店「・・・いつお買いになりましたか、なんて分かりませんよね・・・(←諦め)」
ゆ「3年・・・いや、2年半前くらいかな(←嘘。良く考えたら3年半前だ)」
店「・・・あの、ちょっとこちらへ(といってPC展示コーナーへ)」
ゆ「すみませんねー」
店「こういうやつです(スロットルを見せてくれる)」
ゆ「あ、ありませんね。見たことないです(きっぱり)」
店「そうですか・・・じゃあ、つけるしかないですね」
ゆ「何を?」
店「ハードに直接くっつけるんです」
ゆ「ハードに?」
店「後ろに、こういうスペースありますか?(拡張スペースを示す)」
ゆ「あったような気はします」
店「・・・あれば大丈夫なんですが」
ゆ「多分ありました」
店「それなら、本体開けて、これを差し込めば大丈夫ですよ」
ゆ「(さっきのカード型ならともかく、今回出されたのはめっちゃ端子そのもの)
  蓋を開けて、これを差し込むんですか?」
店「はい」
ゆ「蓋開けたことないんですけど」
店「開け方はマニュアルに書いてますから」
ゆ「・・・そうですか・・・(がっかり)」

私のあまりのがっかりさ加減と
ここまでの間抜けなやり取りに費やした時間に心を打たれたらしく、
店「ぼく、付けに行ってもいいんですけどね」
ゆ「え」
店「プライベートになるんでお店には内緒で、行ってもいいですけど
  今日は、これから泊りがけで遊びに行くんで・・・」
ゆ「そうですか・・・」
店「あとは、本体をお店に持ってきてくれれば
  手数料かかっちゃうんですけど、つけることも出来ます。
  水曜とか、木曜とか、僕が来てる日に持ってきてくれれば
  内緒でタダで付けてあげられるんですけど・・・」
ゆ「本体、重いです・・・」
店「そうですよね・・・」
ゆ「頑張ってみて、駄目だったら、やりかけで持ってきてもいいですか」
店「あ、いいですよ。無理矢理やると折れたりするんで」

はーい。
お兄さんありがとう。頑張ってみるよ。
帰りがけ、「水曜とかぼく休憩でいなくても
誰かに名前言って呼んでくれれば来ますから」と言ってくれて
なんていい人なんだ。これなら失敗しても安心だわ。

で、家に戻って小1時間。
やって見ると意外と簡単。マニュアル通りにやればいいのだ。
いつもはマニュアルなんて見ないけど
今回ばかりはマニュアルと首っ引き。

初めて、本体の蓋開けましたよー。
いやー、端子きらきらしてて
改めて、少しの金属とプラスチックと銅線で
こんな楽しいものが出来るのか不思議。

ドライバのインストールをはじめ
もろもろの設定変更のたびに
再起動を繰り返し、
最後の立ち上げの前に
シャワーに入ってさっぱりして
それから立ち上げて
ネットへの接続方法を変更して、接続確認。
わー、素晴らしい。

これで私も常時接続。
これまでも、常時繋いでいたようなものだったけど
なんか、とっても嬉しいです。
タイムプラスの時間とか
ああ、いま、お金かかってるんだなあ、なんて
思わなくてもいいんだもの。
次の休みは
1日中繋げっぱなしで遊んでやるのだ。


...

力で捩じ伏せると言うこと。 - 2001年09月11日(火)

週半ばの朝、始業早々に
一瞬でものすごくたくさんの命が刈り取られた。

そのことについては、
胸が痛むし、辛い。
いなくなった人のことも
愛する人を失った人のことも
どちらもどんなにか辛いだろうと。

でも、今回の事件、
私は当事者ではないので
だから言えることかもしれないけれど。

そんなにまで憎まれているアメリカという国。

今回も
ものすごく早く
報復宣言が出た。

報復・・・念のため、辞書を引くと
「国際間で、一国の不当な行為に対して、
 他国が同様な不当な行為で報いること」
アメリカという国の考え方
私は昔から大嫌いなんだけど、
このことにも、アメリカらしいとため息が出る。

どんな理由があれ
今回のテロ行為は許されることではない。
しかし、だ。
何千人の命と、経済と、建造物が破壊されたから、
そのやり方が酷かったから、
「犯人の国は攻撃しても良い」という思想。間違ってる。

この国は、いつもそうだ。
結局、平和という概念、解釈が違うんだと思う。
他国を押さえつけて
気に入らなければ武力で黙らせる。
殆どの戦争に介入しているのに
本土決戦の経験が無い国。

ベトナムを焦土と化し、土地を汚染し、
湾岸戦争で市街地にミサイルを撃ち込み、
一般市民、女性、子供までを巻き込んでおきながら、
その時、アメリカではチェリーパイを焼きながら
息子の帰りを待つ母親の安全は保障されていた。

犠牲になった人の命は尊い。
だからといって、アメリカの報復を支援するのはどうか。
例えば、血液が足りないから献血の協力、
人手が足りないからレスキュー隊の派遣、
犠牲者の支援は最大限協力すべきだが、
被害国の支援となると慎重になってもらいたいものだ。

こうやって国を上げての惨事が起こると
割と多くの人が
「アメリカが大変な事に」という事実から
漠然と「アメリカ」という国全体に同情してしまったような
大雑把な感傷に支配されることが多いように思う。
悼むべきはアメリカという国でなく
犠牲となったひとりひとりなのに。

どんなに、胸が痛んだとしても
どんなに、涙が溢れたとしても
命を奪われた本人や
家族・友人を失った人の悲しみ、苦しみに比べれば
その痛みは雲泥の差で。

自分が誰を悼み
誰に責任があると判断するのか
きちんと自覚せずにただ悲しむくらいなら、
別にずっとTVなんか見ていなくっていい。
妙に楽しそうな軍事評論家や
耳障りな金切り声で叫ぶ特派員の映像を
繰り返し繰り返し見た挙句に、
「アメリカは可哀想、
 ラディンはひどいやつ」なんて結論に達するとしたら
まだ、「アメリカでなんかあったの?」って言ってるほうがまし。

この事件の報道を見て
手を叩いて喜ぶ人々の姿には
私もひどくショックを受けたし
アメリカはヒドイ国だから
これくらいの目に遭っても当然、と言ってる訳でもない。
アメリカ人が嫌いなのかというと
それも違う。
でもね。

米軍は着々と、兵と軍事設備を整えているという。
それに対して、
「アメリカの報復に協力したら
 協力した国にも報復する」などという声明も発表されて
結局、このやり方では
圧倒的な軍事力で持って
より多くの国民を殺し
より多くの街を焼き
生活できないようにしたほうが勝ちで、
それまでは、殺し合いの繰り返し。

その上で得た終焉を平和と呼ぶなんて、できない。


...

扁桃腺持ち。 - 2001年09月08日(土)

扁桃腺持ちなので
私は結構よく熱を出す。
それでも
学生の頃に比べれば
まだ社会人になって気が張っている分
熱を出すことも少なくなったんだけど。

学生の頃は
月イチくらいで寝込んでいて
ともだちが看病がてら
お布団の傍で呑み会してて、
ざわざわした感じが嬉しくて安心で、
しんどくてもよく眠れたものだった。

どんなにうるさくても
誰かがそばにいてくれるから、
喉が渇いて目を覚ましても
「どうした?」って誰かが声を掛けてくれる。
暑くてお布団を除けようとしても、
「あかんって!」って叱ってくれる。
おかゆが嫌いな私のために
おうどんを煮込んでくれて、
数珠繋ぎになった葱をのっけてくれる。
「お前、それ俺のほうが上手いわ…」って
男の子の突っ込みに凹む友人の姿を見て笑ったり。

私はとってもわがままなので
熱を出した時はやさしくしてほしい。
いつもは1人で勝手なことをしてるのに
具合が悪い時はかまってほしい、たちの悪いタイプ。

今回は、前回の発熱から
なんと5ヶ月も無事に過ごしてきたのに、
とうとう熱を出してしまった。

38度を超えると
ぐらぐらするのに不思議な感じ。
しんどさはどこかへ消えてしまって
10cmくらい浮いたところから
自分の脳の中をみているみたい。

抗生物質のアレルギーを持っているので
熱さまシートと
やわらかアイス枕と
ビニール袋に入れる氷を使って
地道に冷やしていくしかない。
氷を取り替えてくれる手のないこと、
大阪を離れて辛いことのひとつ。






...

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