ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

ブルックナーの慟哭 - 2005年02月28日(月)




2月というのは比較的コンサートの少ない時期ですが
(音楽業界もニッパチはヒマなのだ)
今年は結構良いコンサートがたくさんあります。


バレンボイムのピアノ・リサイタルや彼の指揮によるベルリン・シュターツカペレのコンサート、
古楽の指揮者ブリュッヘンが新日本フィルを指揮しに来日したし、
大好きなハーゲン弦楽四重奏団も来日公演中。(でも行けなかった…)

そんな中、私は本命?ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートに行ってきました。

音楽ファンはよくご存知のように、シンフォニー・オーケストラとしては最古の楽団で、
創立250年を超える古豪オケ。



素晴らしかった…。
ドイツ人もだんだん変わってきた、とはいっても
まだ良きドイツの「心」はここに残っていた。
魂からまっすぐに放射される誠実さ、真摯さが私の胸をいっぱいにしてくれました。
涙がでました。


「誠実」、「真摯」という言葉を使いましたが
これは当日買った公演プログラムの中にあったものをそのまま書きました。

というのはこのオーケストラ、
創立以来モットーが「Res Severa Est Verum Gaydium (真摯なことが誠の喜び)」
とされているそうで、これ以上このオーケストラの音、演奏を言い当てる言葉もないだろうと思われました。
(ついでに言うと、このプログラム、細かいところまで丁寧にとてもよくできていた。)


以前聴いた時は、ちょっと古いお寺のようにうっすらホコリをかぶったような渋い音だったのが随分華やいできた気はしますが、
基本的な質は変わらない。
こうした音楽の中の、ある「真実」なものを伝えようとする姿勢。


オーケストラの技量や格からいうと、例えばドレスデン・シュターツカペレやロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団よりはちょっと落ちるかもしれませんが、
それでも充分素晴らしいオーケストラ。
(ところでカーテンコールで、全員がちゃんとバックステージ席に振り返ってお辞儀をしている姿もとても感動的でした)


昨日の公演ではブルックナーの「第7交響曲」が断然素晴らしかった。
前回(2002年?)もブルックナーの「第5交響曲」が、もうただ事ではない素晴らしい演奏で(私はあれ以上のブルックナー演奏を聴いた事がない。チェリビダッケやヴァントの指揮でさえも)
ファンや専門家の間でも語り草になっているので、
今回もブルックナーを楽しみにチケットを買ったのですが、
これはもう期待通り。



しかし今度こうしてブルックナーのこの大曲をじっくり聴いてみて、
変な話ですが、急に遠藤周作の「沈黙」を思い出しました。

もちろん「沈黙」とブルックナーの世界の色合いは随分違う。


でも私は後で考えました。
ブルックナーはなるほど、よく言われるように(解説書などを読んでもそう書いてある通り)信仰厚きカトリックのクリスチャンであったに違いないそういう響きの音楽を書いているけど、
でもこの曲やその後の「第8」「第9」もそうだけど、
「こんなにまで神を賛美し、信じているのにどうしてあなたは自分に応えてくれない?私は一体どうすれば良いのだ?」
といった慟哭と、次第に近づくカタストロフィなものを感じるのは私だけでしょうか?


彼の音楽にはそういう現代的(?)矛盾を
(150年近くも前の時代の人なのに)
聴きとらないわけにはいかない…。






...

雪の日の朝 - 2005年02月25日(金)

朝起きたら、
積もりましたね!雪。
待ってました!(←え?)

一面真っ白。


うわ~、これじゃオフィス行くの大変だな~
と思いきや、都心は全然。

電車の窓から見える家々の屋根を見てもうっすらとしか。


やっぱりウチは田舎なんだなぁ、と得心。



ところで毎日グチやら怒りの日記ばかりで申し訳ない、と思いつつ
今日も怒りです(><)


雪が積もっているので交通機関に多少影響あるだろう、とは理解できるけど
バス亭に待つこと15分。
(いつもはその時間帯、3~4分で来る)

通勤客は並びに並ぶ。
全然バスは来ない。
寒いのなんの。



やっと来たバスは案の定パンパンの満員。
人いきれでくもった窓ガラスの中に、うようよ人影がうごめいてる。

でも仕方ないので乗りました。
後の人々をできるだけ入れられるよう、奥へ奥へとつめていくと
なんと!後ろの窓の外から、さらにバスが2台来るのが見える!

え~、乗らずに次のに乗ればよかった…。



でもそのバスの運転手、
乗る際、周りの人が口々に
「なんでこんなに遅いんだよ!」
「もう寒くて凍っちゃうわよ!」
なんてことを罵っているにもかかわらず
ロウ人形のような表情で進行方向を向いたまま
「オマタセシマシタァ~、オマタセシマシタァ~」(カタカナの方がその時のニュアンスにふさわしい)
を繰り返すばかり。


次にバスが2台も来てるんだから、そっちにも乗って下さい、
ってインフォメーションしろよ。
他の年配のお客さん、全然それに気づかずどんどん乗ってギューギューじゃねーか。


重そうに走り出したバス、
止まる度、おなじことを繰り返す。
私が乗ってるバスは限界近くなる一方。
片や後ろの2台のバスは相変わらずガラガラ。



そのうち、いつのまにか後ろのバスに追い抜かれていました。



えーい。 意味わからない。



...

無責任な可愛がり - 2005年02月24日(木)




いつだったか部屋で昼寝をしていた時、
ふいに窓の外から近所のお母さんと女の子の会話が聞こえてきた。


「ね~、あたちネコちゃんにエサあげるぅ~。」

「はいはい。もうちゃんと用意してあるからね~。
今日はパンよ。いっぱいあげなさい。」



それを聞いて「そんなにあるならボクにもくれ~」

…という話じゃなくって(><)



ちょっと腹がたった。



ウチの団地には野良ネコがたくさんいる。

白、黒、ミケ、ブチ、
でっかいのちっこいの
かわいいのからブサイクなのまでたくさんいる。

かわいそうに野良だとケンカやら事故やら病気やら色々あるのだろう、
片目しかなかったり、顔がただれてたり、びっこだったり
遠目に見ても不健康そうなのがいっぱいいる。



近所の主婦や子供が
「かわいい、かわいい」と言ってエサをあげている姿をよく見るが
一体どこまでネコたちのことを考えているのだろう?


そりゃ、ネコたちは野良生活をしていればおなかペコペコでかわいそうだし、
エサあげれば喜んで
どこにこんなにいたんだ!?というくらいワラワラよってくる。



でも結果、エサ目当てにネコたちが集まるようになれば
今度は迷惑がって、(飽きて)
実際にゴミあさられたりして被害もでるだろうし、
そうすると今度はネコたちを排斥するようになる。



「ネコちゃん、かわいい。それにかわいそう。私がちゃんと責任持って世話するわ!
エサだってノミとりだって三月に一回の獣医さんでの混合注射だって全部私が引き受けるわ!」

というような気概があって接しなかったら、
結局はかわいそうだろ!
アテにさせるだけさせてさ。



自己満足のためにネコにエサをやるのはやめてくれ。







...

たまには冴えないコンサート - 2005年02月23日(水)




先週末、今年初めてのN響定期に行ってきました。
(先月のアシュケナージは、残念ながら仕事の都合で聴けなかったのだ)


指揮はイタリアの若手、ジャナンドレア・ノセダ。

この人、ゲルギエフの弟子のような言われ方で、
またマリインスキー劇場でも活躍している(?よね)ものだから
何となくロシア人みたいな気がしていました。

全くの勘違い。ファースト・ネームがイタリアの名じゃんか、ねえ。



で、コンサートはまあまあ良かったの・・・かなあ?

かなりの力の持ち主だとは思うし、
イタリアの音楽家特有の「ブリオ」というのか
先日感動したファビオ・ルイージもそうだったが
ある特有の活気、すごい勢いのいい流れ、
そんなものを持っていました。


音楽の速度表記にアレグロ・コン・ブリオとかあるでしょう?
この「ブリオ」。(決してぶり男ではない)

日本語で強いて訳すと「活気」みたいになるんだろうけど
ちょっとニュアンスが違う。
「生命感の躍動」みたいになるのかなあ?
トスカニーニやムーティの指揮するオーケストラの、早い曲の時の
感じを思うとわかってもらえるかな、と思うのですが。
(聞いたことがない人にそれを言うのは無茶か)


でもノセダの指揮、さっきも書いたルイージによく似ていて、
また似ていたせいかな~、ルイージと比べてしまってちょっと物足りなかった。


選曲も凝っていて(私は好きですが)
R.シュトラウスのオペラ「カプリッチョ」と「インテルメッツォ」からの
管弦楽抜粋と
同じ20世紀の作曲家シェックのホルン協奏曲、
そしてブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」という
かなり通向きのプログラミング。


上手くいけばすばらしいプログラミングだったのでしょうけど
まず「カプリッチョ」でのホルン・ソロがメタメタ
(昔ドレスデン・シュターツカペレがアンコールでやった時の名ホルン、ペーター・ダムの音が懐かしい…)
そしてシェックのホルン協奏曲での松崎さんのホルンもかなりヤバかった。
これかなり技巧的に難しそうな曲でしたしね。


ブラームスだけは良かったけど、あとはノセダのどんどん前に行こうとするテンポ感にオケが乗り損ねていた様子。



まあ、色々行っていればこんな演奏会もあります。



しかし、同じ日に古楽の雄、フランス・ブリュッヘンが新日本フィルを指揮するという期待大のコンサートがあったのに
なんでそっちに行かなかったんだぁ~!というのがホントのところ。
(色んなサイトをのぞきましたが、素晴らしかったみたいですね!)








...

あずちゃんの抵抗 - 2005年02月18日(金)




ドラマ「優しい時間」見てますか?


いいですよねえ。


生きていく中には厳しいことがたくさんあるけど
ゆっくりと歩む時間はとても優しい。

都会に住んでいるとなかなかそういうことは感じられないですが…



ゆっくりゆったりと進むこのドラマも
少し動きがでてきましたね。



ところで、何回目だったか
長澤まさみちゃん演じるあずちゃん(あずさ)が
「森の時計」(コーヒー屋の名前)の閉店後、いつも会計があわなくて
足りないと自分のお金を足し、
多すぎると自分のポケットに入れる、という毎日を繰り返していたのですが、ある日、たまたまポケットに入れているところを
同じ店の姉御肌の店員に見つかり寺尾聡演じるマスターがそれを注意する、というくだりがありました。



あずちゃんの気持ちわかるなぁ~、と思っていて見ていました。

私も昔、ちいさな演奏会をまかされることが多く、
そういう時は1人か2人で現場を担当するので
帰りにチケット代や当日精算分、アルバイトに払う手数料など
計算すると合わないことがごくたまにあったんですよね。

で大抵そういう時は足りないんだ、これが。


ああ、経理に怒られるな~
とちょっと怖くなり、自分のお金を足してつじつまを合わせる、
なんてことが時々ありました。



もちろんいけないことですよ。
今ではよくわかるし、そういうのは正直に申告すればいいのだ。



「優しい時間」の中で、マスターはあずちゃんにそのことを注意してました。
とっても優しい口調で。

でもあずちゃんは逆ギレする。
「どうして。どうしていけないんですか?
マスターは私を泥棒だとおもっているんでしょ。だったら警察にでも何でも言って下さい。
私は悪い事はしていない。今回はたまたま多くなっちゃったからとりあえずポケットにいれただけ。いつもは足りないことが多くてその度に自分のお財布からいくらか出して足していたのに。」
(記憶がだいぶあいまいになっているが、まあこんなことを言っていた)


あずちゃんは過去にいろんなことがあって
心にちっちゃな傷をもっている子で
少し精神的に過敏なところがあるから
こういう風になっちゃうのかな、
だから普通のシチュエーションとは少し違うのかな、
とも思うのだけど。



でも私はその様子を見ていて
痛々しく思った。


今の若い世代(あ~、こういうことを書く自分がイヤだ)
に何か注意したり、
お説教、とまではいかなくても話をしても
なかなか素直に聞かない。


「そうですね。」「あ、確かにそうだ。」「そうかもしれない」と
まずはなかなか考えない。


「自分は間違ってない!」を初めっから主張されてゲンナリすることが多いよなあ~。
特に職場では。



あんまり素直に聞かれるのもナンだけど
でも気持ちを開いて、少し頭も客観的にして、
「今起こっている状況は? じゃ、どうしたらいい?」
ということに向かって話をする体勢にしないとね。



…でもこんなことを書いてるけど
自分も以前はそうだったし、
いや、今でもあまり変わってないのかもしれない。

どうなんだろ?




...

夕暮れの豆腐屋 - 2005年02月17日(木)



昨日、出先から直帰したので
いつもより早い電車に乗り、まだ明るめの駅におりました。

このくらいの時間に帰る、っていいですね~。
まだ買い物帰りの主婦や学生なんかが多くて
全然雰囲気が違う。


そんな中、駅前に豆腐屋さんがいて
ラッパを吹いていました。



ぱぁ~ ぷぅ~ ぱぁ~



お~、ひさしぶりだな~豆腐屋なんて、
とちょっと感慨にふけっていたのですが
あれ?ふとなんか違和感が。


なんだろう? あのラッパ、ちょっと豆腐屋らしくないぞ。



もう2~3度聴いていて、その疑問は晴れました。



「ぱぁ~ぷぅ~ぱぁ~」
の最初の「ぱぁ~」は音階にすると大体Gの音。
つまり「ソ」ですね。


次の「ぷぅ~」の音は、普通私たちが聴きなれている音だと
A-b、「ラ」のフラット(半音さげる)なのだけど
この豆腐屋のラッパはただの「ラ」、フラットしてない「ラ」だったのです。


この違いは大きい。
字だけで書いているとどう違うんだ!?
って感じですが、うーん、聴けば一目(聴)瞭然。
どうしようかな…



…例えば
「さいた、さいた」の歌を歌うとしますね、
あれはご存知の通り「ドレミ~、ドレミ~」という音階ですよね。


その「ミ」の音だけを半音さげて歌って見てください。


ほ~ら、あの朗らかなメロディーが
急にワビシく、お葬式みたいな雰囲気に早変わり。
(これが「短調」)



つまりお豆腐屋さんのラッパって夕方、いつも寂しげに響いている記憶があるのに
駅前のお兄ちゃんのラッパは明るく爽やかに鳴っていた、というワケ。
(こっちは「長調」ね)





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予知夢?? - 2005年02月16日(水)




関東地方の方々、今朝5時くらいの地震、怖かったですね。


不思議なのですが、揺れだす2~3分前に
急に目が覚めていたんですよね。

「あれ?まだ夜中だよな?」なんて思ってたら
急に揺れだした。
ちょっと今回はエネルギー強そうだ、やばい!
とちょっと焦りましたが、まあ何事もなかった。


でも隣の部屋ではドシーンと何か倒れる音がしたし、
あちこち扉や窓を開ける音がしたから
やっぱみなさん焦っていたんだろうなぁ。


グーグー寝てたマイハニーだって飛び起きてた。
さすがにちょっと怖かったから
おさまってからも2人で抱き合ってましたよ。


でも寸前に目が覚めてた、ってのは錯覚かな?
いつも夜中の地震の時はそんな気がする。



ただね、もっと不思議だったのは
私、目覚める前に大地震にあった夢見てたんですよ。


震度6強、なんて地震で
机の下にかくれて、周りがどんどん倒壊するのを
恐怖でおののきながら見るしかなかった夢。


お~!これって予知夢?





・・・でも朝、また起きてから思いました。

そういえば昨日寝る寸前に
「救命病棟24時」見てたんだっけ(><)
(今回のシリーズは東京大地震編)



...

親父の誕生日 - 2005年02月15日(火)




昨日2月14日はバレンタイン・デー♪

…なんだけど、私の家では親父の誕生日。
そう、あの時々登場する天然親父です。
誕生日までおめでたい男。


昨日は平日なので、日曜日に実家で誕生祝いをやりました。
っていっても夕食をいつもよりちょっと豪勢に
そしてケーキを買ってきただけだけど。


私たち夫婦も昼過ぎから実家に行きまして、
そしてケーキを買うのは私たちの役目。



今年の親父はとっても嬉しそうでしたね。
もともと女の子みたいによくしゃべる親父ですが(天然ボケを随所に交えながら)
その日は本当に嬉しそうで、絶えず満面の笑みで
そしていつまでも話していたくて仕方がない感じでした。


それはなんといっても、
初めて嫁、というか自分の娘みたいな女性が家族になり
去年と違った心持で祝ってもらえることが
新鮮だったし、嬉しかったんでしょうね。


親父の顔を見てて、それはわかりやすいくらいわかりました。



私もそう。


結婚して、家にもたまにしか行かなくなった、という以上に
親とはグッと距離を置くことができるようになり
(「距離」なんて言っちゃうと冷たく聞こえてしまうけど、そういうことじゃなくて、ね。)
前よりもずっと良い関係でいられている気がする。



それとたまたま私のやっている今の業務が
親父のやっていた仕事と共通するところがあって
アドヴァイスをもらったり、自分の考えをぶつけてみたり
今までになく対等な話ができるようになった。


私もそれが気持ちよいし、親父も同じように嬉しいらしい。


ケーキも美味しかったし(私の家の近くにとっても良い店があるのです!)
いい誕生祝いのひとときでした。




ところでバレンタイン、
いつものことだけど会社や仕事まわりでは一個ももらえなかったなぁ~。残念(><)


で~も、もちろんマイハニーにはもらったよ(^^)
それで充分。






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「ルル」。って言ってもカゼ薬じゃないよ - 2005年02月14日(月)




行ってきました、何かと話題の
新国立劇場「ルル」。


何が話題なのか知らない方のために簡単に説明を。

新国立劇場(以下新国)で今月上演される、アルバン・ベルク作曲の「ルル」というオペラがあるのですが、上演のつい2週間くらい前?
劇場から
「2004/2005シーズン・オペラ「ルル」(2005年2月8日初日)につきましては、本日まで劇場の音楽スタッフが全力で音楽稽古を行って参りましたが、非常に高度な芸術的レベルが要求される作品であり、新国立劇場といたしましては高い水準を維持した公演を聴衆の皆様に観劇いただくため、本公演を3幕版から2幕版に変更して公演することとし、アルヴァ役永田峰雄が降板、代役として高橋淳が同役で公演することといたしました。」
という異例の声明がでたのです。


これについて、永田氏ではなく主役の佐藤しのぶがちゃんと歌えないのだ、とか
いや主役だけでなくやっぱり全員歌えないのだ、とか
オケが演奏しきれてないのだ、とか
演出に問題があったのだ、とか
様々な憶測が飛び交い、上演が開始した今も某有名掲示板をはじめ、
様々なサイトでケンケンガクガク、ちょっとした騒ぎになっている。


しかしそれらの憶測、どれも信憑性がある、というか
なにしろ「ルル」は演奏の難易度がハンパでなく、
いくら日本人の演奏レベルが上がった、といっても
いやもちろんそれだから上演しようとしたのだろうが
外国の超一流劇場でも、そうおいそれと舞台にかけられる作品ではない。

だから日本で「ルル」が初めて上演されたのは
たった2年前なのですよ。
(日生劇場のプロダクション。天羽明恵さんが主役を歌い、沼尻竜典さんが指揮した。)


昨年、松本のサイトウ・キネン・フェスティバルで同じベルクの「ヴォツェック」の見事な公演があったが、小澤さん以下、超強力な演奏陣があってのこと。

残念ながら新国にはそこまでの歌手、オーケストラは起用できないし、
だから心配だったわけです。



でも私が観にいった日(2月11日。2日目の公演)では
自分が「こんな状況じゃかなりヤバイんじゃ」とドキドキしながら行ったせいかもしれませんが、「なんだ、結構イイじゃないか。」


なにしろ調性はないし、音は複雑多岐に縦横にはりめぐらせられていて
聴覚的には私でもおいそれと全部を聞き取れるような音楽じゃないですから
(それでも偶然会った作曲家の友人に聞いたら「ヴォツェック」よりは音が少なく整理されているそうだ。)
細かいこと、至らないことを挙げていったらキリがないのでしょうけど
ルル、という世紀末的な「ファム・ファタール(運命の女)」の物語として
佐藤しのぶは歌として、声として必死だったにしても、華もあり存在感のある芝居をしていたし
(掲示板などの書き込みをどこまで信じていいかわからないけど、ゲネプロや初日は歌の入りがうまくでれなかったり、とまったり、忘れたりかなりヤバかったらしい。)
オケがシュテファン・アントン・レックという指揮者のもと、時々はあぶなかったにしても、かなり音が整理されて、激烈さ、そして20世紀初頭のウィーン特有の退廃的な官能、あやしい色香を音楽から漂わせていた。

それだけでも聴いた甲斐があったし、ベルクの音楽があれほど複雑なのに
こんなにも心をうつ音楽でもある、ということに改めて感心。


でも話はやりきれないくらい凄惨だ。
(もっとも最近は昼の連ドラでも見慣れてりゃ…)



ただ、新国さん。

あんな声明をだして観客を動揺させたのだから
当日もキチンとした掲示をしてくれなきゃ。(テノールの変更だけは貼り紙してあったけど)
プログラムにも何事もなかったかのように
オペラ「ルル」全2幕、ってそれはないでしょう。


もっとも、お客さん、
大半が佐藤しのぶがでるオペラ、ってことで観にきていたみたいで
(しかもご年配がかなり)
そういう出来事には関心もなく、
「ルル」そのものにも「なんだろうね、この音楽は。」って
パラパラと気のないさめた拍手をする人ばっかりだったけど。



...

カーゲルの「フィナーレ」 - 2005年02月10日(木)




皆さん、昨日の「トリビアの泉」見ました?


「金の脳」をとったネタ、
「クラシック音楽には指揮者が倒れるように、と楽譜に書かれた曲がある」(だっけな?)
というヤツ。


ドイツのマウリツィオ・カーゲルという作曲家の『フィナーレ』という曲なのですが、
(この名からいって、イタリアか南米か、どこかラテン系の国から帰化したのだと思う。まだ存命です。)
楽譜に、音楽の進行とともに結構詳細に指示が書かれているんです。まるで芝居のト書きだ。

「指揮者、指揮台をつかむ。」
「胸をおさえて苦しそうに。」
「右手をあげて。」
「頭を聴衆にむけて倒れる。」
(↑おおよそこんな感じ)


いや~、さすがの私もこういう曲があるとは初めて知りました。
カーゲルのことは電子音響を積極的に使う前衛的な作曲家、ってことで名は知っていましたけどね、う~ん、まだまだ知らない事はたくさんあるんだなあ。



「トリビア」の中ではそのカーゲルの「フィナーレ」の実演映像として、
若手の実力派、飯森範親(いいもり・のりちか)さんの指揮、
山形交響楽団がアンコールで演奏する、という設定でオンエアされました。


お客さんには内容を知らせずに、ということだったのですが、
飯森さん、なかなか役者で結構迫真の演技を見せる見せる。


で、お客さんの様子がところどころアップででました。
さあ、みんなどんな顔してるか?


…まあ、おじさんおばさんで何人かは「えーっ!どうしたの?」って顔をしてましたけど
ある若い男性は「…」別にふ~ん、って感じだし
倒れた飯森さんの目の前に座っている女子高生も「どったの?」って顔でしらーっとしているし、
おいおい、そんな状況だったら誰か「どうしたんだ!!おい、医者よべ!」くらい叫ばないものなのかな?


もっとも指揮者が倒れてもコンサートマスターが指示出して演奏続けてたから
心配ない、って空気になってたんでしょうかね?


おまけに演奏終わったら「これで終演です。ありがとうございました。」ってアナウンス流れてお客さん帰っちゃうし、
(飯森さんは倒れたまま)
これでいいのか!?






...

男は・・・ - 2005年02月09日(水)




昨日「あやまる」という話を書きましたが、
そういえば先日こんなことがありました。


…いや、これはヨタ話ですから…



私がほとんど毎日昼休みに通っているコーヒー・ショップ。

ちょっと隠れ家的なところにあって、同僚もまず来ないので
私は落ち着いて読書ができる。

隠れ家的、という割には中は広々としていて天井も高く、
白が基調の内装でとってもオープンな雰囲気。

そしてコーヒー代が安い、というのが肝心なトコ(^^)



私はコーヒーも飲み終わり、本も(今は森鴎外の「雁」を読んでいます。)ひと段落、
さあ帰ろう、とすると
レジ・カウンターで若い女の子が3人、ハタチそこそこくらいかな?
とっても楽しそうにはしゃいでる。
よっぽどオフィスで愉快な、笑えることがあったんだろうな~、
と想像できるくらい盛り上がっていました。


そこへスーッと自動ドアが開き、と~~ってもシブくてダンディな感じの
そう、40代半ばくらいの男性が入ってきました。

彼はロングコートのポケットに手を突っ込み、
レジの前で彼に気づかず、通路をふさいで盛り上がる3人の女の子の後ろを
さらりと何気なく(私はナゼかじっくり観察していたのですが、その仕草がとても大人な男でした。)通ろうとした瞬間。


「そんでさぁ~あ、ヤ~ダ!」みたいな言葉を発し、体を折り曲げた女の子の
おしりが、そのダンディ男を軽く突き飛ばしてしまったのです。


女の子「ごめんなさい、ごめんなさい。ホントにすみません!」
男「いや、たいしたことないです。いいよいいよ。」


またその何事もなかったかのような受け答えの様子がシブイ。声もシブイ。


女の子たちは「うわ~、はずかしい~。やっばーい。」と真っ赤になってました。


それからダンディ男はそのまま席をとりに、私のいるあたりへと直進してきたのですが、
あっ、そのシブイ顔がみるみるニヤケていく

CGでメタモルフォーゼする如く別人のように崩れ、
さっきまでのシブイ顔が跡形もなく、鼻の下がノビたその表情。


私も思わず笑いましたね。
いやいや、それでこそ男(?)

『フィガロの結婚』のアルマヴィーヴァ伯爵を引き合いに出すまでもなく、
「男はみんなこうしたもの」(><)




...

「フィガロの結婚」を見て - 2005年02月08日(火)



昨日もなんだか書いてるうちに気分が暗くなってきて
(まさに月曜だから??)
あんなことを書いてしまいましたが、
ところで日曜日にNHK教育「芸術劇場」で
モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』をやっていましたね。


見ました?


私はひさしぶりに『フィガロ』を見て
(ハイライトでしたが。私は膨大な数のオペラの中でも『フィガロの結婚』が一番好きだ。)
改めて感動しました。


『フィガロの結婚』っていうのは、
昔のセヴィリアが舞台、「初夜権」という、
誰かが結婚する際、花嫁の初夜はまず仕えている領主に権利がある、という
トンデモない(!)慣習があった時代、
アルマヴィーヴァ伯爵という人はそれをいったん廃止したのだけど
フィガロがスザンナという小間使いと結婚することになった際、
伯爵はスザンナ可愛さになんとか「初夜権」を復活させたくてたまらない、
それをめぐってフィガロ、スザンナを始め、たくさんの登場人物のドタバタが巻き起こされる一日を描いた喜劇オペラ。(オペラ・ブッファとよばれます。)


でもこんなに「人間」の素敵なところ、わるいところ、
イッサイガッサイが笑い飛ばされながら、いとおしく、軽々と描かれる。


その1シーン1シーンに笑い泣きするのですが、
私が感動するのは、いつも最後の場面。


伯爵はフィガロたちの計略にはまって、伯爵夫人に自分の不貞ぶりを
現行犯で見つかってしまうことになる大詰め。


その時伯爵はどうしたか?


「許してくれ、奥方よ。自分が悪かった。」と深々と頭をさげ、ひざまづいて謝り、
伯爵夫人は「そういってあなたが謝るのだから、どうして許さないわけにいかないでしょう。」と許す。
そしてその歌詞についた音楽!
コラール(賛美歌)的な、こんな美しい音楽がこの世にあろうか、という音楽が今までのドタバタが嘘のように厳かに響き渡るんですよ。



これは映画「アマデウス」を観た方なら覚えていると思います。
サリエリがモーツァルトの部屋に忍び込んで見た楽譜の数々。
その中にこのシーンの音楽を見つけ、音楽がすべてに勝利し、
神が自分ではなく、モーツァルトを選んだのだと知る場面。

そしてサリエリは神への復讐を誓い、その愛するモーツァルトを破滅させようと誓ったキッカケとなったのがその『フィガロ』の最後の場面なのです。



人間だけが、謝ることができ、そして許すことができる。



私はいつも『フィガロ』を観るたびに、それに感動しないわけにはいかないし、
それがどんどんできなくなっていく社会が恐ろしくなっていく。。。





あれ…?
また深刻になってしまった。イカンイカン(><)





またこの指揮するルネ・ヤーコプスとコンチェルト・ケルンが
なんとも素晴らしいエネルギーと美しい音で演奏していましたね。
それにも大感動っす!

全曲はBSなんかでオンエアしてくれないのだろうか?






...

憂鬱な月曜 - 2005年02月07日(月)




最近だいぶ少なくなったな~、と思っていた“シャッカー”
(*過去日記に書いたが、ウォークマンをすごくでっかいボリュームで聴いている人のこと。シャカシャカうるさいから私が勝手にそう名づけた。)
が今朝久しぶりに電車の中で私の前に立っていました。


「うるさいな~」と思いながら我慢しつつ数分。


「あれ?この曲ナンダ?聞いたことあるぞ。」と思ったら
これクラシックじゃん。

「うるさいな」から一転、よく耳をすますと
ベルリオーズの『幻想交響曲』のフィナーレでした。


普通のサラリーマン風のおじさんで、特に変わったことのない人でしたが、
こんなにガンガンなボリュームでクラシックをウォークマンで聴く、
ということ自体が珍しい気がする。



さて電車の中で別の方向へ目を移すと、
雑誌の吊広告に「月曜の朝が危ない」という一文が。


最近、そのテの話、あちこちにでてますね。
自殺率が月曜が一番高いとか、月曜になると休むサラリーマンが多いとか。


でもそれはよーくわかる。
てか、別に今に始まったことじゃないでしょう。


人間誰しも、子供の頃からそうじゃないですかね?

月曜になって学校に行くのがヤダ。会社に行くのがヤダ。
いわゆるブルーマンデーってやつ。

わたしなんか慢性的にそうですよ。それもかなりひどい。


ただ、自殺率が高い、とかなってくるとちょっと深刻ですよね。

その雑誌の小見出しにも、「日曜夜にジワジワしのびよるストレス…」とか書いてあったけど、確かに社会全体にストレスは多くなっていると思う。
すごく実感する。


ウチの母なんかには「みんなストレス、ストレスっていうけど、流行みたいに言ってるだけでしょ!」なんて言い飛ばされてしまうけど、
それは違うぜかーちゃん。


でもそれは何が原因で、どんなものかはうまく説明できない。
でもいつも私が会社のイヤ~な雰囲気を書くように
確実にどこでもストレスの「もと」は増えている。

結果をださなきゃいけない、とか
もっと収入をあげなければ、とか
それ以前に仕事がない、仕事に就かなければ、とか。


色んな要素がゴチャゴチャ混じり合って、
バブルがはじけた頃、「複合不況」という言葉が流行したが、
今は「複合ストレス」だ。



こんな中、どんどん人間のダークサイド、闇の部分がじわじわと
私たちを覆ってきているような気がする。




...

節分 - 2005年02月04日(金)




皆さんは昨日、豆まきしました?


私は結婚して初めての節分。

マイハニーはやったことがない、という。
(いつも豆だけ買って一家で食べてたそうな。。。)


私は今の団地に引っ越して5年、
実家は一軒家だったので、毎年しっかり豆をまいてたのですが
(親父がいつも「いててて~」とか三文芝居をやりながら鬼になってました。)
さすがに団地ではどうかな~、と節分は実家に帰ってました。


さて、今年はせっかく結婚して家庭を築いたのに
団地だから、と節分の行事を怠るのはいかがなものかと悩みましたね。

でもやっぱりこういう季節の風習はやらなきゃ。



で、結局やりました。
小さい小さい声で「鬼は~そと、福は~うち」(「福」のところだけ若干ボリューム上げて)と。

そして今年の豆をまく方向は西南西だそうで、
それは(せまいせまい)バルコニー側。

仕方なく、なるべく外に落っこちないように、
そしてなるべく投げた部屋が特定できないように
素早くやりました(;;)



あ~あ、情けない節分っ!
これじゃ鬼が出てかないだろうな~。





...

憂いの義経 - 2005年02月02日(水)



色々問題を連発するNHKがやたら力を入れている
大河ドラマ「義経」も放映開始からはや一ヶ月。


…のっけからイヤミっぽく書いてしまいましたが、
だってNHK、エビさん問題もそうだけど
受信料の集金人、いつもワケわかんない時間(朝早くとか晩御飯食べている時とか)にピンポンならして「どなたですか?」って聞いても名乗らず
ドア開けると初めて「NHKの集金です。」と名乗る。

すげー卑怯な気がするのですが、
そうしろといういうマニュアルがあるんですかね?



それはともかく「義経」。

はっきり言って面白くないです。。。(><)
去年の三谷さんの「新撰組」がメチャ面白かったから
どうしても比較してしまうんですよね。

なんといっても脚本が凡庸すぎ。
宮尾登美子さんの原作を読んだことはないけど、
ベテラン脚本家の金子さん(だっけ?)が書いているという割には
あれじゃ歴史(史実)をなぞってとりあえずつじつま合わせをしてるだけな感じだし、
脇の人間も、とりあえず「いる」ってだけな意味あいしか感じられないし。

もっと一人一人の人生を掘り下げて見せてくれんものかな~?と
フラストレーションがたまる一方。
みんな表面的に流れていってしまう。

例えば義経が、子供時代に育ての親と慕っていた平清盛が実は敵であったと聞かされてもよくわかんなくて、成長してから急に疑問に思えてそれを確かめたくなった、なんて
なんだかドラマの都合としか思えないじゃないですか。


そういうの安易なドラマ創りはキライです。

初回見た時は「ああ、大河ってもともとこんな感じだったなぁ・・・」って
なんだか懐かしい気がしたのですが。

私が昔好きだったのはなんといっても
「黄金の日々」と「独眼流正宗」。
偶然、両方とも音楽が池辺晋一郎さん。


音楽といえば「義経」の音楽、
テーマ音楽そのものはあまり魅力ないが、
アシュケナージが指揮しているN響の、特に弦楽器の音が
艶っぽくしなやかでいいな、と思いました。

それから挿入音楽を東京都交響楽団がやっていることに驚きましたよ。
そんなところにまでフル・オーケストラを使うなんて
すごい予算の使い方!



色々書きましたが、それでもこれからも当分見ようかな?と思うのは、
やっぱりこの時代の歴史、
鎌倉幕府設立のストーリーが面白いから。

タッキーがやっぱり男の目から見てもカッコよく映るから。

そして黛りんたろうの演出した、ワンシーンワンシーンが実に絵になる、
美しい映像で見せてくれるから。
(CGはともかく、時々ため息のでるような素晴らしい色使いや構図の画面が見れる。)



でもそれでいつまで飽きずに見れるんだろうな~?






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