2003年06月05日(木) |
「サム あたたかな奇跡」 |
本のご紹介
「サム あたたかな奇跡」

「患者(サム)は顔の左側面と頚部にリンパ静脈性の形成異常が見られる。 これは胎児期に発祥したものである。 気道を巻き込んでいたため、気管切開を要した。 嚥下困難のため栄養補給用のチューブを要する。 形成異常は成長を続け、眼窩異所症を起こす段階まできている・・・。 少年には頑痛があり、ものを食べることができない。 点滴でモルヒネ投与、臨床的な鬱状態と診断される」

サムがこれまでの十四年間 どんな人生を送ってきたかは想像を絶する サムは痛みに苦しみ、完全に希望を失ってしまった子どもの目をしていた。 この年齢で希望を捨てるのは、担当医師に言わせれば、早すぎた。 サムをよく知っている医師は、もともと闘志家だったサムに世間から身を隠すような人生を送って欲しくないと思っていた。

サムの両親は、医学の力だけでなく、サムの力を信じなければならない、 息子の意思を尊重すべきだと思っていた。
四歳のとき、整形外科手術を受けさせて何週間も出血が止まらず、 強力な薬で血液凝固を起こさせる手段に出る一歩手前までいった。 両親は医学的に必要な手術以外はいっさい認めないと決意した。
神経を一本でも切ってしまえば体を動かす機能が失われてしまうリスクの高い手術である。 サムは死ぬかもしれない。 サムはそのまま植物状態に陥って、残りの人生を送ることになるかもしれない サムは回復しても神経損傷により、人間らしい感情をすべてもったままで、目以外の身体を動かすことができなくなってしまうかもしれない (それは死よりも残酷な運命)。
両親はサムの心臓が止まったら蘇生させたほうがいいかと訊かれて「はい」と答えてから、 それは本当にサムが望んでいることなのかと思った。

結束の堅い医学会から聞こえてくる陰口 (医師は家族に偽りの希望を抱かせており、誠実になるべきだ ・サムはもう二週間も昏睡状態のままであり、脳に致命的な問題を抱えているだろうしよくなるはずがない ・医師の無責任なふるまいのせいでサムの一家は精神的な打撃を受けることだろう ・もうあの子を逝かせてあげるべきであり、家族にも自分達の生活を送らせてあげるべきだ ・家族に治療の中止に同意してもらうよう説得すべきだ) にも対処していかねばならなかった。
医師は四面楚歌の状況 (自分はサムの悲劇をぐずぐずと先延ばししているだけなのかもしれない ・よい結果を出したい一心でありもしないことを想像しているだけなのでは ・完全に打ちのめされた子どもをつくりだすのに手を貸しているだけなのでは) の中で、ゆるぎない自分自身の信念を持つことを要求された。

人の生命には奇跡的な回復能力が備わっている事例からも、最後まで希望を捨ててはいけないという「選択肢」と、 家族の意思を尊重し延命措置を停止して患者を死にゆだねる決定をすることが、場合によっては一番慈悲深い行為だということもあるという「選択肢」が交差。

十一歳になった時、サムは「この顔をなおしてもらいたい、完璧な顔を求めるわけではなく、もう少し普通の顔になりたい」と自分から望むようになっていたことと、 サムの希望は、“みんなが顔以外の部分を見てくれるようになること”だったこととが決め手になり、
サムのご両親、サムの医師、サムの看護士の場合、“人の生命には奇跡的な回復能力が備わっている”という「奇跡」に賭けることになる。
「サム あたたかな奇跡」(トム・ホールマン・ジュニア/学研)は、きららさんからご紹介を受けました。みなさんもいい本があったら、ぜひご紹介くださいね。

              
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