無責任賛歌
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2005年02月10日(木) |
宮崎駿監督、栄誉金獅子賞/映画『きみに読む物語』ほか |
仕事中、しげからしょっちゅう「ダンスのこと聞いてくれた?」とメールが来る。 一応、話を持ちかけて来た同僚に聞いてみたのだが、びっくりして笑われて「わかりません」と言われてしまった。ま、それが当然の反応だろう。 迎えに来たしげにその旨を伝えたのだが、それでも一向に納得しようとしない。それどころか「ダンスの振りつけも考えたのに」なんて言う。だから振り付け考えるのも踊るのもウチの会社の者なんで、お前は無関係なの。なんでそれが理解できないかなあ。
帰宅して休憩したあと、ダイヤモンドシティへ映画を見に行く。 少し早めに出かけて、私は「フタバ図書」で本を物色、しげはゲーセンで「クイズマジックアカデミー」に熱中。 映画が始まる前に軽食でも取ろうとフードコートで待ち合わせをしていたのだが、時間になってもしげが来ない。携帯で連絡入れても来ない。日頃こちらが時間に遅れそうになるとツノ出して怒るくせに、自分がゲームにハマると「まだ途中だから」とか言ってんのである。「約束の時間守れないならゲームなんかするな!」と怒って、しげのために買っておいたタコ焼きを一人で全部食った。守れる約束を守らなけりゃ怒られるとわかっててなぜ破るか、馬鹿に何言ったってムダなのかよ、やっぱり。 そういうわけで、しげには「マジアカ禁止令」出しましたので、カトウ君もよしひとさんも、しげをマジアカに誘うのは遠慮して下さい。ほかにも時間かかるゲームは全て不可です。
ワーナーマイカル福岡ルクルで映画『きみに読む物語』。 原タイトルが「The Notebook」。そのまま日本語に訳せば「帳面」(^_^;)。「きみに読む物語」という邦題は実に見事、と言っていいのではなかろうか。でもいかにも「純愛ブーム」に乗った印象もあって、実はそんなに好きじゃない。 しげがこの手の恋愛ものを見に行きたいと言ったのも珍しいことなのだが、やっぱりアルツハイマーの恋人の記憶を取り戻させようと老人が懸命になってかつての自分たちの物語を語っていくというコンセプトに惹かれたのだろう。 要するにこれまでにも何度となく作られてきた「記憶喪失を取り戻させる」ってパターンの一つの映画で、そこに「アルツハイマー」って設定を持ってきたことがミソなわけで、つまりは基本的に「老人性痴呆は治らない」という前提があり、だからこそそこに「奇跡」を演出する余地があるのである。 けれど、いつぞや下半身不随のクリストファー・リーブが車椅子から立ち上がるCGのCMを流したら、「同じ症状の患者に無用な期待を与える」と非難されたように、「アルツハイマーも治るのだ」と安易な期待を患者さんたちに与える危険性があるということを考えると、この映画、そんなに手放しで誉めるわけにはいかない要素が多分にあるのだ。本当にアルツハイマーという病気と向き合うのなら、「記憶をなくしてしまってもう二度と戻ることのない相手といかに人間として関係を作っていけるのか」というテーゼについて考えざるを得なくなるはずなのだが、その視点がこの映画には全く欠落しているのである。 つまりは全編キレイゴトなわけで、そりゃユメだけ見てたい気持ちも分らないではないけれど、だからと言ってそんなに人間のキタナイ面は見たくないのか、それで人間ドラマなんて作れると思ってんのかよ、ふざけんじゃないと、製作者に説教したい気分にすらさせられてしまったのだ。まあそんなことはしないし、できる機会もないけど。 しかしそういうコンセプトの映画なら、物語のメインは物語を語る老人のほうに傾かなきゃウソなわけで、それが延々だらだらと若いときの回想シーンが殆どを占めるってのは何なんだろうなと思う。お定まりの一目ぼれ、お定まりの親の反対、お定まりの別れ、戦争、お定まりの再会、お定まりのライバル出現などなど、陳腐な展開ばかりが続く。しかもこれがまた実に主人公たちに優しく都合よく展開するんだから、なんてまあ苦労知らずで幸せな人生送ってんだろうなあと鼻白む気分にさせられてしまうのだ。 身分違いの恋を糾弾するヒロインの両親は、娘と口喧嘩はするけれども、殴って言うことを聞かせようとかそんな暴力的な態度は取らない。男に対してはそれこそ何一つ文句を付けないので、差別的なくせに紳士的なのである(^o^)。戦争の描写もおざなりで、男は親友を亡くして、これが男のトラウマになるとか、後の展開に尾を引くのかなと見ていたら何にも触れない。ドラマ展開としては友達死に損なんである。 まー、つまりはこれ、レイティングを気にしてヤバそうなシーンなんて最初から作ってないんだね。製作者が本気で映画作ってないことがようわかりますわ。「こんな映画作りをしちゃいけない」という見本みたいなものだ。昨日の『オペラ座の怪人』もひどかったけれど、これまた輪をかけてひどい。既に今年のワースト映画の筆頭である。 それから後もご都合主義の連続で、いったんは別れた二人、それぞれに愛人や婚約者を作るんだが、再会したとなるといとも簡単に主人公たちのために文句も言わずに身を引いてくれるのである。んなアホウな展開があるかい。でも、主人公たちの愛と別れに涙してる客もやっぱりいるんだよねえ。私もトシ食って涙もろくなってるけどね、さすがにこんなクズ映画で泣けるほど自己陶酔に浸る人生は歩いてきてません。「純愛映画」なんて銘打ったもので出来のいい作品なんて殆どないんだから、そんなん見て妄想に浸って時間を浪費するんだったら、現実に自分自身の恋の道を真剣に考えましょうよ。 老人役のジェームズ・ガーナーとジーナ・ローランズが熱演しているだけに、なんか悔しくすらあるのである。
帰宅して、録画しておいた木曜ドラマ『富豪刑事』第五話「ホテルの富豪刑事」を見る。録画してまで見なきゃならんのかと言われそうだが、もう私は自暴自棄である(^_^;)。 焼畑署管内で長らく対立・抗争を続けている暴力団、竜神会と不知火組。 抗争激化の果てに、ようやく双方が手打ちを行うことになったのだが、何がきっかけで再び危険な事態が勃発しないとも限らない。そこで手打ち式の成功を願う神山署長(西岡徳馬)は、暴力団を担当する四課の課長・大橋警部(大和田伸也)に応援を依頼する。しかし実は、彼と鎌倉警部(山下真司)とは、お互いをライバル視する間柄にあった。 今回の事態になんとしても捜査係だけで対処したいと考える鎌倉警部。しかし、100人近くの暴力団員が宿泊するホテルや立ち寄りそうな場所の全てに部下を配置するには、少なく見積もっても三千人の捜査員が必要となる。捜査係の面々がすっかりお手上げ状態で頭を抱えている中、またまた神戸美和子(深田恭子)がとんでもないアイデアを提案した。 一つの大きなホテルを除いて、管内のホテル・旅館の全てに署員の家族を予め宿泊させ、暴力団員を泊まれなくする。結果として暴力団員たちは残る一つのホテル、美和子の祖父・喜久右衛門(夏八木勲)がオーナーであるエンジェル・ホテルに宿泊せざるを得なくなるが、それなら少ない捜査員でも充分監視ができる。ほんの数億円の支出ですむ、と美和子は微笑む。 いつものように鎌倉警部以下は呆れはてるが、いつものように神山署長のプッシュで美和子の案は採用され、ついに手打ち式の日を迎える。エンジェル・ホテルに現れたのは、不知火組組長・水野(寺田農)たちと、若頭の新谷(ガッツ石松)に付き添われた竜神会会長・福本(細川俊之)たち。しかし、いよいよ手打ち式の直前に、一般客は全てシャットアウトしたはずのホテルに、アメリカの大富豪・ジョーダン(マイケル・ゴインズ)夫妻がやってきてしまった。そして焼畑署署員たちを嘲笑するかのように、二つの殺人事件が起きてしまう……。
ゲストの役者だけは今回かなり豪勢。ホテルの支配人役で小木茂光さんも出演している。よく知らんけど、スピードワゴンというコメディアン二人組もチンピラ役で。でもこのあたりは殆ど使い捨てみたいなチョイ役である。楽しそうに被害者を演じている細川俊之はまだしも、たいした見せ場もない寺田農など、わざわざ有名どころを使わなきゃならなかったのかとアタマの上に疑問符がぽこぽこ浮かんでくる。使うんなら使うんで美味しいシーンとか用意してやるのが役者に対する礼儀ってもんでしょうに。 腹を立てつつも五回続けて見てくると、どうやらスタッフはマトモなミステリーとしてこのドラマを作ろうという気はあまりなくて、コメディとしての面を強調したいのだな、ということは見えてくる。もちろん原作がもともとスラップスティックギャグとミステリーの融合という破天荒な設定なので、ギャグ主体の映像化になるのはアリっちゃアリなのだが、そのギャグセンスが『トリック』なみという実にお寒い状況なのはどうにかならないものか(だから脚本家が『トリック』の人だから)。……筒井康隆、剣山踏んづけて「ギャ〜」とか叫んでないで、脚本チェックくらいしてやれよ。 ガッツ石松を「今」使うなら、どうしても「OK牧場」を言わせたくなるのは気持ちとしては分かる。昔の高瀬実乗の映画を見ていて彼が「あーのね、オッサン、わしゃかーなわんよ」と言わなかったらガックリするようなものだ(譬えが古いがこれくらい適切な譬えもめったにないので、ご了承頂きたい)。けれど『笑の大学』の「猿股失敬」のようなもので、これくらい要らないセリフもない。西村雅彦のセリフをそのままに言えば「これで笑える客の気が知れない」である。フカキョンが「『OK牧場』ってなに?」と首を捻るが、私は脚本家の首をこそ捻りたくなった。 ミステリーとしては活字の場合は生きるトリックも映像にするとこんなにダサダサになるものかと情けなくなった。まあ『ホテルの富豪刑事』は原作短編の中でもちょっと無理があるエピソードなのだが、それにしても美和子の提案の奇抜さが本当に奇抜なものとして視聴者を驚かすというレベルにまで板っていないのは悲しい。エンジェルホテルだけに100人以上空室があるなんて状況があったら、いくらヤクザが馬鹿でも警察の企みに気付かなきゃおかしいよ。「まさかそんな大掛かりなことが警察にできるはずがない」と判断する以上に異常な事態なんだから。警察の存在には気付いてるけど“あえてその計略に乗った”って展開にしたほうがまだドラマチックになろうというもんだ。 短編を一時間持たせるために付け加えたもう一つの殺人事件も馬鹿馬鹿しいくらいのクズトリックで(つか、トリックになってない)、脚本家の頭をこそ打ち抜きたくなったが、メイントリックの方も、犯人役をあの人にやらせちゃダメでしょうよ、としか言えない。それともまさかコイツに犯人役をやらせはしないだろうという意外性を狙ったのつもりなのか? だったら大失敗だよ、それ。 それにしてもいつまで経ってもフカキョンがお嬢さまにも名探偵にも見えてこないのはどうしたらいいんでしょうかねえ。配役交代が無理なのは承知なんで、私ゃもう脳内変換で別の役者想定して見てますよ。でもそういうときに「お嬢さま」を演じられる女優として思い浮かぶのが若いころの原節子とか久我美子とか香川京子とか山本富士子とか桜町弘子とか北沢典子とか、これもまた古くて若い役者を思いつけないのが現代の女優不在を切実に感じさせてしまうのである。
8月に開催される第62回ヴェネチア国際映画祭で、宮崎駿監督が栄誉金獅子賞を受賞することが決まったとか。これで宮崎さんは、ヴェネチア、ベルリン、カンヌの三大映画祭の全てで一応何らかの受賞経験があることになった。 けれども、こういう「栄誉」賞ってのは、本当はもっと早くに受賞させなきゃいけなかったんだけど、時の運であげ損ねたり、もう引退寸前で「功労賞」としてあげる場合が殆どなので、あまり嬉がってもいられないのである。つまりは「これからあんたがなんか映画作ってもコンペには参加させないよ」って意味なんだよね。だから来年以降、宮崎さんが映画祭に参加しても受賞はもうさせないよって言ってるようなものだから、招待作品になるか、特集上映になるかのどちらかしかなくなっちゃったのだ。まあそれだって確かに「栄誉」ではあるんだけれどもね。 それだけ宮崎駿の実力が認められて「脅威」に感じられたってことでもあるから、まあいいか、とも言えるのだが、できればヴェネチアでも“本当の”金獅子賞を取ってほしかったと思う(『ハウル』でではなく次作で)。三大賞のグランプリを取ってる日本人は一人もいないわけで(黒澤明がヴェネチアで『羅生門』、カンヌで『乱』の二冠。ベルリンは惜しいことに『隠し砦の三悪人』で監督賞)、その可能性を持っていたのは宮崎さん一人だと思っていたのだ(北野武は難しかろう)。 確かに最近の宮崎作品のレベルの低下は昔からのファンにとっては悲しいくらいなのだが、それでもなおそのへんのおざなりな作りのアニメに比べればはるかに出来はいいわけで、未だにアニメに対して偏見の強い日本では、アニメの面白さを理解・浸透させるためには、こういう「外国での賞」という権威が「外圧」となって働きかけないと、アニメの製作環境自体が整わないのである。これだけアニメが活況を呈していながら、本当に世界に通用するアニメを作っているスタジオはジブリを始め、数えるほどしかない。宮崎さんにはせめてあと二、三作は「外圧効果」のある映画を作ってほしいと心から願っているのである。
2004年02月10日(火) 入院日記9/お薬の正しい飲み方 2003年02月10日(月) 夢見が悪い日ってあるよね/映画『金髪の草原』/『うさぎとくらたまのホストクラブなび』(中村うさぎ・倉田真由美)ほか 2002年02月10日(日) 男が女に暴力を振るうワケ/『仮面ライダー龍騎』第02話「巨大クモ逆襲」/アニメ『サイボーグ009』第17話「決戦」ほか 2001年02月10日(土) 「html」って、はいぱあ・てくのろじい・まきしまむ・ろぽ……じゃないよな/映画『狗神』ほか
2005年02月09日(水) |
一応、北朝鮮戦について書いておこうか(^_^;)/映画『オペラ座の怪人』 |
朝方っつーか、真夜中に「金龍」にラーメンを食べにいく。 ここんとこ一ヶ月ほどしげがマジメに食事を作っているので、外食は少なく、せいぜいマクドナルドでオニオンリングを買ってきたりするくらいだった。けど、しげの作るメニューは全部鍋煮こみである。手料理はありがたいのだが、さすがに一ヶ月ほとんど同じメニューだと(ちょっとだけ具材は変わるが)、さすがに飽きる。一番飽きてきているのはしげのようなので(だったらメニュー変えればいいのに)、「ラーメン食いたい」と言い出したのである。 もしかしたら1年くらい食べてなかったんじゃないかと思うが、「味噌煮込みカレーラーメン」という新メニューがあったので注文。中丼程度の大きさの鍋に、名前通りのやや汁っぽいビーフカレーラーメン、それに温泉卵と小ご飯が付いて出されてくる。初めに温泉卵をカレーに混ぜて熱さと辛さを和らげてラーメンを食べ、そのあとの残り汁にご飯を入れて雑炊にして食べるという趣向。 麺は、固さは選べるが基本的に縮れ麺。ただし普通の固さを注文しても結構軟らかくて、縮れはそれほどではない。けれどいわゆる博多ラーメンの細麺ではないのは、カレーに絡めるのだから、細麺では味も歯応えもなくなってしまうからだろう。その判断は正しい。カレーに味噌をどの程度混ぜているのかは分からないが、ルーはなかなかコクがあって、ビーフの量はそう多くないけれども、これだけを単体ですすってもほどよい辛さで楽しめる。ある程度をすすって適度な量にしてご飯を混ぜるのが最後まで美味しく食べられる秘訣のようだ。 「替え玉」「雑炊」は博多ラーメンの伝統みたいになっているが、さてルーツはどのあたりなのだろう。松本零士が昭和40年代に「ラーメンライス」をマンガに描いているから、北九州の方が歴史は古いんじゃないかと思うが、これも「とんこつラーメン」同様、久留米の方が早いのかもしれない。どちらにしろ、私の子供時分には博多のラーメン屋には殆ど替え玉制などは見かけなかったし、戦前をそう古くは遡れないと思う。 これまで散々「博多ラーメンは不味い」と言い続けていたが、時々あちこちの店を覗いてみると、こうした新メニューが増えていて、総じて味の工夫がなされている。4、5年前までは巷に溢れていた「とんこつのみ」の臭いだけのラーメンはかなり駆逐されてきた。となると、「あんなもんは博多人の本当に好きなラーメンじゃねえ」と散々文句を付けてきたのだが、肝心のそのムカシの博多ラーメンがいかに不味かったのか、それを証明することがかえってできなくなりつつあるのである。中洲あたりの屋台ラーメンならばまだまだボッタクリみたいに高くて不味い味を保証してくれてるんじゃないかと思うが、わざわざラーメン食べるためだけに行くことはなくなってるし、そこまでの冒険心もないからなあ。誰か勇気のある人、行ってみないか。 他地方のかたで、博多に来られる機会がある方も、ぜひとも「ラーメン食べ歩き」をお試し下さいませ。
P.P.Produceの日記リンク、全員とは言わないまでも参加者が増えて活況を呈しつつある。カトウ君の恋バナも面白かったが、ちょうどこちらが『キスイヤ』にかけて恋バナ書いた直後に読んだら、「浮気は許せん!」とか似たようなことを書いてたので、何をシンクロしてやがんだ、とちょっと照れ臭くなった(^_^;)。カトウ君も『キスイヤ』見たことあるのかな? 「愛人を、自分のマンションの部屋の、なんと真ん前の部屋に住まわせて、しかも妻にも愛人にも気付かせずに暮していた男」なんて話を聞いたら、その男に対して殺意を抱くのではなかろうか(^o^)。 ……でも、いい男ですよ、カトウ君は。確かに説教臭い分、軽〜い感じの女の子が付き合うには重いかもしれないけど、浮気の心配はないでしょう。これ、女性にとっては結構ポイント高いと思うんだけどねえ。本人は「おっぱい星人」だと公言してますが、なに、つるぺたでもずんどーでも幼児体形でも、いったん付き合い始めたらそんなこと気にしないであなたを愛してくれますでしょう。ただ、オタクな趣味は結婚してもやめないと思うから、そこは我慢しましょう。これはもう、オタクと結婚する際の業だから。 え? オタクは嫌いだから、ほかの男を探す? 冗談言っちゃいけない。今の日本の男で、オタク以外の男はみな全て「浮気します」よ。「浮気をしない」ことがオタクであることの逆証明みたいなものなんだから、そんな「オタクでなくて私だけに優しいセレブな男」なんてユメを見てちゃいけませんて。いや、それは既に「妄想」です。 ……杉田かおると結婚した鮎川さん、きっと「杉田かおる」オタクだったんだろうなあ。たまに「チイ坊」とか呼んでたりして(^o^)。
しげがついにバレンタインチョコを完成させてカトウ君や其ノ他君に送ったのだけれども、結局現物を私は見ずじまいである。そのあたりのこともカトウ君の日記を参照して頂けると今回はまたどういうネタに走ったか、お分かり頂けると思う。こんなふうにここの日記とメンバーの日記もシンクロしたりリンクすることもあるので、こちらだけ覗いていらっしゃる方もごヒイキにして頂けると嬉しい。カトウ君、自分の日記がほかの人の日記の「お気に入り」に入れられるのをとても喜んでおりますので。かわいいなあ。
できれば其ノ他君や鴉丸嬢も日記書いてくれると嬉しいんだけど、カツカツの生活してるからなかなかネットにも繋げないらしいからなあ(本人たちの責任じゃない部分も大きいんだけどさ)。 なんでもないこと、書いたって意味がなさそうなことの方が実は面白いんで、せめて掲示板とかに書き込みしてくれると会えないときでも情報交換できるんだけどね。
私は本名のほうでも芝居関係に近い仕事もしているのだけれども、そちらの内容はいろいろ差し障りがあって、こちらの日記に詳しいことは書けない。 P.P.Produceの芝居のほうはあまりお客さんに受けないんだが(^_^;)、本職の方では顰蹙買うくらいに受けているのである(←私の本職知ってる方は、このあたりの微妙な言い回しに注意してね)。 ……で、近々、ちょっとばかし舞台に立たなきゃならなくなったのだが、これがまあ、「ダンス」があるんですね(^_^;)。 「どんなダンスなんですか?」と担当に聞いたら、「『オースティン・パワーズ』のような」と仰る。『オースティン』と聞いて私が真っ先に思い出すのは第3作『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』オープニングでの「バック転するスティーブン・スピルバーグ」である(^o^)。思わず「バック転もあるんですか?」と聞いてしまったが、それはないとのこと。けれど、かなり激しい踊りにはなるようで、体力的に踊れるかどうか心配ではあったのだが、断わるに断われない事情があってウラに徹するというわけにもいかなかった。スケジュール的に東京行きと重なってんだけど、大丈夫か、オレ。 というような経緯をしげに話したら、急にしげが「オレも踊りたい! オレも踊る!」と言い出した。 「踊るって……お前、オレの仕事とは何の関係もないやんか」 「家族やん!」 「そんなん理由になるか! だいたい何で参加したいんだよ!」 「だって踊るっちゃろ!?」 「ダンスだから踊るよ」 「ね!?」 「何が『ね!?』だよ! 意味わから〜ん!」 ともかく練習の見学だけでもさせてくれ、とあまりにしつこく懇願されたので、一応担当に話を通じてみるとは言ったのだが、この常識のなさは何なのかね。私がしげを甘やかしてると見る向きもあろうが、そういう方はいっぺんしげと実際に会話してみるとよろしい。「ダメなものはダメ」が通じないイカレたアタマの人間も世の中にはいるのだ。実際に「どうしてもダメ」という形が出ないことには、しげは絶対に納得をしないのである。
レディースデイなので、女性は千円均一。私も駐車場割引が効くし、あと一回映画を見るとポイントが溜まって招待券が手に入るので、仕事が引けてからすぐにキャナルシティに向かう。 先に「ラーメンスタジアム」の「日向拉麺 一心不乱」で、しげと「黒のこくとんこつ」と「白の塩とんこつ」を分けて食べる。 店員さんに「麺は太麺と細麺、どちらがいいですか?」と聞かれたので、太麺を注文。とんこつとは言っていても、これも「国内産豚骨を24時間煮込んだスープ」と「昆布・醤油・魚醤等16種類もの材料をミックスした秘伝の元ダレ」によるもので、臭みはないがかなり濃い。太麺だからよかったものの、細麺ではそのスープに「負けて」しまうだろう。黒の方がやや辛味がある感じなので、白をしげに回して、主にこちらの方を私が食べる。開店当時の混雑はもうないので、待たずに食べられるようになったのもよかった。今日はラーメン尽くしである。
映画は昼間じゃなきゃ見る気になれない長〜い映画、『オペラ座の怪人』。 ロン・チャニイ主演のゴシック・ホラーの傑作『オペラの怪人』(映画紹介本でもDVDでも『オペラ座の怪人』と勝手に改題されているものが多いが、「座」がないのが正式な邦題である)をこよなく愛する身にすれば、「ミュージカル化」の時点で「ふざけんな」って感じる部分もあるのだけれど、まあ、『デビルマン』見たあとだと、心が宇宙よりも広くなってるから(こればっか)。 絶賛してらっしゃる方もいらっしゃるようですから、まあそんなに文句はつけませんよ。ええええ、傑作で泣けるんじゃないですか、バカップルには。 アンドリュー・ロイド=ウェーバーには作曲とプロデュースの才能はあるかもしれないが、ドラマ作りと映画の才能はまるでない。それは「『シカゴ』の成功を見て、『オペラ座の怪人』の映画製作を決めた」なんて発言していることでも分かる。あれはねえ、ミュージカルが嫌いな人、「何で普通の芝居をしていたのがいきなり歌って踊り出すんだ」って拒否反応を起こす人たちにも違和感なく見てもらうために、映像化する際に「ダンスシーンは殆ど妄想」って設定を付け加えてるの。そういう「映像化に関するアレンジ」が何もされてないではないの(構成の変更とかは効果的な改変のうちには入らない)。 映像化に当たって危惧をしていたのは、「オペラ座」をリアルに造形すれば造形するほど、その舞台に立っている役者たちがなぜか「英語」を喋り、「現代音楽」を歌って踊る違和感が弥増すことである。舞台は「見立て」の芸術だからそこがあまり気にならないんだけど、映画だとそれは「ヘン」にしか映らないから。外国映画で、日系人が純粋な「日本人」を演じたときのカタコトのおかしさを想起していただければおわかりでしょう。 危惧は当たったどころか、ロイド=ウェーバーが大馬鹿だということを露呈しているほどにひどかった。役者たちは「英語」を喋るどころか、「フランス語訛りの英語」を話しているのである。ムリヤリ日本語に訳せば鼻声巻き舌で「コ゜ーキケ゜ン、イッカーカ゜デースカァ、マドモアゼール?」なんて喋ってるようなものである。……お笑いにしか聞こえねえよ。しかも歌になった途端に訛りみんな消えるし(^_^;)。 まあ、そこいらあたりは英語もフランス語も気にならない人にはどうでもいいんだろうが、ドラマも全体的に間延びがしていて、もうしつこいくらいに主題曲ほか同じ曲が繰り返し流れるものだから、飽きてくるのである。「ここぞというときだけ歌う」って緩急がどうしてできないのかねえ? 役者に魅力が殆どないのも痛い。ヒロイン、クリスティーヌを演じたエミー・ロッサム(『ミスティック・リバー』の死体役(^o^))が、始終トロンとした目で口は半開きで馬鹿にしか見えないのも痛いが(まあ、こういうのが「イイ」って趣味の男もいるんだろうけれど、映画としては説得力ねえやな)、ファントムのジェラルド・バトラーにしろ、ラウルのパトリック・ウィルソンにしろ、一人の女を取り合う男の熱情を表現しきれたとは言い難い。つかやっぱ、地下で憎しみ合う二人が歌いながらのツーショットって、笑えはしても、感動はしにくいと思うんですけどねえ。 一番「見られた」のはマスカレードのシーンだけれども、これとてもやはりダンスが現代風なための違和感は拭えないし、カメラがやたらアングルに凝ってカット割りもやたら細かいのがかえってオペラ座自体を狭く見せてしまっていて、空間的な広がりが感じられない。言っちゃなんだが、ロイド=ウェーバーの舞台を一部特撮を加えただけで映像化した『キャッツ』のほうがよっぽど舞台の躍動感を伝えていて面白い。それどころか、歌唱力、ダンスともにレベルが低い劇団四季の舞台版のほうが、総体としては面白いくらいなのだ。……ダメダメじゃん、映画版。
帰宅したら、サッカー北朝鮮戦、日本の辛勝とのニュース。 サッカーにそもそも興味がないんだけど、ここんとこのマスコミ報道の状況には興味があった。「報道ステーション」なんかはやたら北朝鮮の選手をクローズアップして好印象を与えようとしていたし、テレビ朝日ほどではなくても、「お互いの国家間の事情を越えてスポーツでの交流を」というキレイゴトを垂れ流してる局も多い。 けれど、スポーツはそもそも「代理戦争」としての意味で始められたもので、その「事実」は現在も少しも変わっちゃいない。「そんなことはない」と仰る方は自分にウソをついているか偽善者かただ鈍感なだけのあほんだらだ。 「日本勝った」って、喜んでる自分は何? 国によって人種によって、その喜び方にも差がないか? 差別や偏見もなく、ただ純粋にスポーツの勝敗だけに一喜一憂してる? ありえるかい、そんなこと。勝負は「勝つこと」を目的にしてるんだろうが。「勝った」と嬉しく感じる感情がある時点で、それは自国に対する「戦争協力」なんだよ。国家間の文化交流はありえても、スポーツでの交流なんて出来ませんて。既に北朝鮮の選手、「リベンジ(復讐)」とか言ってるじゃんか。 だからと言って、サッカーで日本を応援するな、なんて言いたいわけじゃない。「日本人は平和主義だ」なんて虚妄を口にしてんじゃないよ、と言いたいだけなんである。素直に「北朝鮮倒せて嬉しい」と言ったらどうかね。私だって嬉しいか嬉しくないかどっちかと言われりゃ嬉しいよ。根拠もなく自分たちのほうが「兄」だと思ってる糞ったれな連中が苦虫ツブシてるだろうと思えば小気味いいわい(もちろんそんな国民ばかりじゃなかろうが、少数だろうね)。テレビ局が“本当に”日本のテレビ局で、日本人向けにデンパ流してるんなら、もちっと堂々と日本人のホンネを伝える努力をしたらどうかね。それじゃ国家間に亀裂が走ると及び腰な人も多かろうが、今はもうそういうことを言っていられる段階かね? 「拉致犯罪者国家に一矢報いたざまを見ろ」くらい言ったっていいんじゃないの? その程度でギクシャクするくらいならとうの昔に戦争になってるわな。日本人の謙譲の美徳を「なにか企んでる」としか受け取れない文化の国に生まれ育ってる連中なんだから、これまでもウソと脅しで駆け引きして来たんだろうが。「戦争する気はないが、あんたたちは人間的に嫌いだから交流なんかしたくねえ。在日の人たちは差別を受けない程度には保護する。だからお前らもさっさと拉致被害者返せ。でなきゃ経済制裁だけにとどまらねえぞボケ」って主張はもっとしてよかろうよ。あっちの国じゃ最初からそれやってるでしょうが。 一度こじれた感情は百年や二百年では消えないのだ。差別心や、偏見のない人間なんていない。お互いに憎んで憎んで、憎み疲れて、そしてそれでも相手と付き合わなきゃならない事実を受け容れなきゃならなくなったときにようやく差別を越えて全てを「水に流せる」可能性が開けるのだ。だからこそ「戦争と平和」は紙一重なんである。本気で平和を考えるんだったら、「憎しみあったギリギリのところでそれでもなお戦争だけは回避する」高度な判断力と政治力を持つ必要があるんじゃないか? なのに、それを学ぶ機会を日本人は「話しあいましょう」のキレイゴトと、「臭いものにフタ」でずっと奪われてきたんとちゃうか。 そういう「なあなあの歴史」を一切隠匿したままで報道しようとしない偽善的なマスコミを私は嫌ってるだけなんである。つか、そういう「なあなあ」を演出して、ウラで北朝鮮と繋がってるところが気に入らないんだけどな。……ああ、また小林よしのりの主張と似てきた(^_^;)。 本気で「平和的交流」なんてことを考えてるなら、「徹底して相手を憎む」か、政治オンチな人なら、そもそも「スポーツ自体に何の期待も持たない」か、両極端などちらかの姿勢を取るしかないんじゃないかね。ただ何も考えずに「日本バンザイ」と唱えていたら、逆に思想の脆弱さにつけこまれて誰ぞに折伏されちゃうぞ(^o^)。 戦争か平和のどっちに転ぶのかの道は、そこから生まれるのである。悲しい事実ではあるが、平和は戦争の可能性を“具体的に”覚悟した上でなければ模索できない。口だけ「平和」と唱えていて、何がどう好転するというのか。 というわけで私はこれからもサッカーの試合を見る気はないし、スポーツの話題も殆ど書かんでしょう。繰り返すけれど、誰がどんなに否定しようと、「国家間のスポーツは全て政治であり、戦争です」。ああ、サポーターがみーんなドロシー・カタロニアに見える(『ガンダムW』ね)。
2004年02月09日(月) 入院日記8/エニシング・ゴーズ 2003年02月09日(日) 見た、読んだ、食った、太った(^_^;)/映画『今宵ひと夜を』/『仮面ライダーSPIRITS』4巻(石ノ森章太郎・村枝賢一)ほか 2002年02月09日(土) ほーりつも人が作るもの/映画『まあだだよ』/『仄暗い水の底から』(鈴木光司・MEIMU)ほか 2001年02月09日(金) お姫様を探せ!/アニメ『タッチ・CROSS ROAD 風のゆくえ』ほか
2005年02月08日(火) |
でかるちゃー!/『鬼平犯科帳スペシャル 山吹屋お勝』ほか |
仕事は午前中までで、午後から医者へ。 職場までしげに車で迎えに来てもらうのはいつものことだが、時間が昼過ぎなので、来れるかどうか朝の段階で予め聞いていたのだが、しげの返事は「間に合わんかもしれん」。 てっきり「昼間は寝てるから」という意味かと思ったらそうではなくて、午前中、「ダイヤモンドシティに行くから」とのこと。 「何か買い物?」 「うんにゃ。カルチャーセンターに通いたいと」 思わずズッコケそうになったが、そう言えばこないだからどんな講座があって、これとこれとかやってみたいとか話してたのを思い出した。なんでズッコケそうになったかと言うと、しげの顔と「カルチャー」という言葉の間に、ギンヌンガガップほどの溝があるように感じたからである。 このところのしげは、劇団の方がひと段落ついて、プレッシャーから解放されてホッとしている面もあるのだけれど、同時に「さて、これから何をしたらいいのだろう?」と途方に暮れたような精神状態に陥って、いささか心のバランスを崩してしまったような言動もないではなかったのである。だから、何かやりたいことがあるんだったら、そりゃええこっちゃと思って、「やればあ?」と甚だテキトーに返事していたのであった。 そういう次第なので、何の講座を受講するのかも今朝まで覚えていなかったのだが、「で、何を習うの?」と聞いてみたら、「太極拳」と答えた。 今度は聞いてもズッコケはしなかったが(とりあえず見学だけだと言うし)、「なんでまたいきなりそんなのを」と聞き正してみてもあまりはかばかしい返事は返ってきそうになかったので、ともかく、「終わって間に合うようだったら迎えに来てね」と答えておいた。 ところが、迎えに来た車に乗り込んだ途端、しげは「入会、申しこんだけえ」。 「……早いな。じゃあ、これから毎週通うのか」 「うん、毎週火曜日。参加する人の都合で変わるときもあるらしいけど」 「何人ぐらいおるん?」 「3人」 「……そりゃまた、えらい少ないな」 「一ヶ月受けたらやめてく人も多いみたいよ。今残ってるのはずっと続けてる人みたい。家族だったら割り引きも効くって」 「平日の昼間だってのに、オレが通えるわけないじゃん」 「夜開いてる講座もあるけどね」 しげはどうやら私にも何か一緒に通ってほしそうな様子である。かと言って、どんな講座があるのか、どれくらい時間を取られるのか、費用はいくらか、そんなことが一切分からない状態では何も返事のしようがない。 「あと、舞台美術の講座があって、こっちはボインちゃん(細川嬢)誘ってみようと思うんだ。忙しくてムリかもしれないけど」 細川嬢なら確かに興味を示しそうではあるが、なんだかしげ一人が興奮して突っ走ろうとしているように見えなくもない。ほかにもどんどん「巻き添え」が出なけりゃいいがねえ。
診断の結果はポリープも良性で危険はないとのこと。 ホッと一息はついたが、医者からは「年に1度は腸検診を受けることをお勧めします」と釘を刺される。ポリープができやすい体質ではあるから、という理由らしい。 「ポリープが一つ見つかると、確実にほかの場所にもありますから」。……なんて言われちゃったけど、なんだかゴキブリが腸の中で繁殖しているみたいで、気分はあまりよくないのである。
夜、7時からTNCで『鬼平犯科帳スペシャル 山吹屋お勝』。 父親の墓参の帰り道に刺客・相川彦蔵(嶋田久作)に襲われた火盗改めの長谷川平蔵(中村吉右衛門)。平蔵の気迫に気圧された彦蔵はいったん姿をくらますが、それは平蔵に恨みを抱く盗賊、霧の七郎(平泉成)に雇われた男だった。 三ヵ月後、従兄の三沢仙右衛門(橋爪功)と息子・初造(金田明夫)が、平蔵の役宅を訪れる。今度、仙右衛門が山吹屋という茶屋で働いている女中のお勝(床嶋佳子)を嫁に貰うというので、その品定めをしてほしいというのだ。平蔵は、同心・木村忠吾(尾美としのり)を連れて山吹屋を訪れるが、現れたお勝に忠吾も太鼓判を押す。 なにか腑に落ちぬ心持ちの平蔵は、密偵の五郎蔵(綿引勝彦)に、お勝の素性を調べるよう命じた。五郎蔵は配下の関宿の利八(吉田栄作)を大店の主人に仕立てて山吹屋に差し向けるが、お勝の正体はかつて盗賊だった利八の連れ合いだったおしのだった。おしのは復讐の念に凝り固まった霧の七郎が仙右衛門の命と金蔵を狙うために放った「引き込み」だったのである……。
スペシャルでの復活だけれど、池波正太郎の原作は使い切ってしまっているので、今回は以前映像化されたもののリメイク。それでいいなら、これからも人気の原作をリメイクしていけば、現在「テレビ時代劇唯一の良心」であるこのシリーズ、まだまだ続けて行けるだろう。 何度か日記にも書いているが、正直な話、池波正太郎を私は時代劇作家としてはそれほど高くは評価していない。と言っても比較対象としているのが岡本綺堂の『半七捕物帳』だから、こりゃハナから太刀打ちできるものではないのだが。言っちゃなんだが池波さんの作るドラマって、ハラハラドキドキする要素がほんとに希薄で、手垢がついたような人情話が多いんだよね。山本周五郎と比較しても骨格の甘さが目立つんである。そのあたりの弱さをカバーしてるのが「料理ウンチク」なんだけれど、それだけで作品評価をするのもどうかと思うしねえ。 けれどキャラクター造形は念入りに練られていて、血肉が通った味のあるキャラクターを多く生み出している。全然面白くないというほどではないのだ。池波さんは、自作の映像化に際して時代考証にかなり拘っていた、という話も聞いているし、実際、出来上がった映像を見ていると、凡百のエセ時代劇にはない「江戸」の魅力がやはり横溢はしているのである。最近の時代劇じゃあ、町中を歩く物売りの声すら流さない作品が増えたが、私も「石見銀山、ねこいらず」なんて声が聞こえてくると嬉しくなってしまうのである。 刺客に襲われた平蔵が、草履を脱いで、腰を落として股割りになるのもいい。これだけで他の時代激とは出来が違うことが一発で分かる。そういうディテールに拘っている「絵」が次から次へと繰り出されるのだから、確かに感激しないではいられないのだ。 にもかかわらず、どうしても違和感を拭えないのは、やはり脇やゲストでどうにも「時代劇っぽくない」役者が増えてきていることである。尾美としのりが出てなきゃ、私ゃこのシリーズもっと熱心に見てると思うんである。吉田栄作もどうにもヅラと顔が似合わなくってよ。多少地味でも構わないから、次作があるなら、江戸の雰囲気を演じられる人にゲストに来てもらいたいと思う。
しげの火曜日の日程は、あと「ぽんプラザホール『火曜劇場』」の観劇である。 「学校や会社帰りに気軽に見にいける平日公演を定着し、実験的な新しい演劇等を試演する機会を提供するため、火曜日を中心に有料公演をする」というコンセプトのもので、ほぼ毎週、地元の複数の劇団が交代で公演を打っているのである。先週見た「制作集団アントンクルー」の芝居もこの「火曜劇場」の企画。ウチの芝居を手伝ってくれた富田嬢、堤嬢の「改・FREE’ズ+」も名を連ねている。 ひと公演の料金はそれぞれ千円から二千円前後だが、各団体の公演を1回ずつ見られる通しチケット「ファイヤーパス」なるものもあって、これをしげは購入しているのである(「『火曜』だから『ファイヤーパス』なんだね」と私が言ったら、しげは「おお、そうだったのか!」と目を丸くしていた。相変わらずマヌケである)。 芝居によっては帰りの時間がかなり遅くなるようなものもあったので、私はファイヤーパスは購入しなかった。今回の芝居もタイトルだけを聞くと面白そうではあったのだが、今月は見たい映画も多いので、先立つもののことを考えて控えることにした。 すると帰宅してしげが、今日の芝居はこうだったああだったとうるさいこと。こちらが何かしていてもしょっちゅうを声をかけてくるのだから閉口する。こんなことならしげに付いていって、自分も見ればよかったかもしれない、とちょっと後悔する。
2004年02月08日(日) 入院日記7/お散歩の日 2003年02月08日(土) 敬三の乗る船/映画『シミキンの無敵競輪王』/『ワンピース』27巻(尾田栄一郎) 2002年02月08日(金) サルでもわかる『ハリポタ』/『パワーパフガールズ』2巻(クレイグ・マクラッケン原作)ほか 2001年02月08日(木) ザッツ・エンタテインメント!/2000年度キネマ旬報ベスト・テン
2005年02月07日(月) |
金ならないっ!/『ルパン三世officialマガジン』VOL.3 |
昨年の被害総額がン百億とか言われております「振り込め詐欺」、いっぺんウチにも来たら面白いなあとか不謹慎なことを思ってたのだけれど、いや、冗談でもそういうこと思うもんじゃないですね。 ……と言っても、私が被害にあったってことじゃなくて、ウチの職場の同僚の話。こないだは親父んちの近所(ハカセんちの近所でもある)の公園で空港勤務の女性が殺害されたりしたし、身近に事件が起こることもあるのである。 事件の内容はこれまで報道されてきた手口と全く同じである。ちょっとだけ違うのは、同僚の自宅に電話をかけてきた相手が、通常の「警察官」ではなくて、ウチの「支社長」を名乗ったってことだ。 「ご主人が女性社員にセクハラをして、被害を受けた社員は『訴える』と言って困っている。何とか表沙汰にしないようにしたいから、金を振り込んでくれないか」。 当然、その「セクハラした夫」は「泣きじゃくっていて電話口には出られない」というのである。あまりにも「典型的」なので、電話を受けた奥さんは騙されずにうまく撃退したそうなのだが、「交通事故」のほかにもこういう「セクハラ」ネタも「振り込め詐欺」の一パターンとして流行っているようである。 社員一同の前で苦笑いしながら事件の報告をしてたのが、当の名前を騙られた支社長なんだが、笑い話ですましちゃっていいものかね。言っちゃ悪いが、こういう「何とか事件を表沙汰にしないように」と動きそうな、ちょっと気弱な感じの風貌してんだよ、ウチの支社長(^_^;)。つか、別のことでいろいろカクシゴトしてないかねえ。 その点でささやかなリアリティはあるんで、こういう事件が連続したら、うっかり引っかかっちゃう社員のお宅もあったかもしれない。もう同じ犯人はターゲットとしてウチを狙ってくることはなかろうが、「騙せそうな人間が集まってる職場だ」と犯人にナメられたことに関しては、自省も必要ではないかと思うのである。 でも、前にも日記に書いたと思うが、ウチの場合、この詐欺に引っかかる心配だけはない。なんたって「振りこむだけの金がない」(^_^;)。仮にしげが電話を受けたとしても、次のような会話がやり取りされるだけだ。 犯人「お宅のご主人が、セクハラしたんで、示談金100万円を振りこんで下さい」 しげ「そんな大金、うちにはないです」 犯人「ご主人が困ったことになってもいいんですか?」 しげ「はい、構いません」 犯人「それでも奥さんですか?」 しげ「セクハラするようなやつは旦那でも何でもないです。さっさと警察にぶちこんで下さい」 犯人「……せめて10万円くらい払えませんか?」 しげ「そんな大金、うちにはないです」 犯人「5万では?」 しげ「あなたが100万、ウチの口座に振りこんでくれるんなら、私が亭主を訴えてあげてもいいです」 しげは金にはとてつもなくイギタナクて、逆に金をせびられる可能性もあるので、詐欺を考えてる人は気をつけましょう。もっともしげはコミュニケーション不全なので、知り合い以外の電話にはそもそも一切出ないんですが。
残業で帰宅は7時半。『ブラック・ジャック』は見損ねたけど、『名探偵コナン』に間に合った(貶してるわりにちょこちょこ見てるのな)。チャンネルはそのまま、漫然と『世界まる見え!テレビ特捜部』『キスだけじゃイヤッ!』と続けて見る。いちいち日記に書いてないけど、実は毎週月曜日はこの流れで『サルヂエ』あたりまで見てるのである。 しげから「なんでそんなに熱心に見てるの?」とバカにされてしまっているのが『キスイヤ』なのだが、別に熱中してるわけではないが、気がついたら毎週見てるんである。なんだかねえ、出てくるカップル、みんなバカばっかなんだが、「彼が浮気しててえ」なんて女性が涙ぐんでるのを見ると、つい画面に向かって「そんなヤツとなんか別れちまえ!」とか突っ込んでしまうのである。ああ、オヤジだ(+_+)。 今日出ていた男がまた、女を三股、ほかにキープも十人いるというプレイボーイで、同棲してる女性にそのことをなじられても「オレ、人を好きになるってことが分かんないから」とか「オレの好きとお前の好きは多分違うんだよ」とか開き直って言ってやがるんである。そりゃ「ぼくたちラブラブで〜す」なんてベタベタしてるバカップル見てると確かに「こいつらの好きって犬と変わらんな」なんて思っちゃうし、人間心理を突き詰めて考えて行けば「好きとは何か?」に対する答えなんて簡単に出せないことは納得できるんだが、それを三股の言い訳にすることとは次元が違う。個々人の恋愛観は違っていて当然だから、そこで相手との間の「すり合わせ」が必要になってくるわけだが、それを根本的に否定しているわけで、そんなカップルがうまく行くわきゃない。 ところがいったんはその男と「分れる」と言っていた女性、自分が妊娠していることを知ってヨリを戻しちゃうんである。「彼もほかの女と別れたから」とか言ってまた頬染めたりしてるんだが“そんなの男のウソに決まってるではないか”。 まあ、番組の性質上、ヤラセもかなりあるんじゃないかとは思うけれども、それにしてもどうしてこう浮気して悪びれない男がこうも多いのか、そこんとこがよくわかんないのである。いや、そりゃ私だって女房が鬱陶しくなったときに偶然きれーでやさしーねーちゃんに会ったりしたら、ついグラッと心が揺れ動いたりする心理は分かんないわけでもない。でもねえ、だからと言ってそういう女性とどうこうなりたいとまでは思わないのよ。たとえ向こうから迫られたとしてもそんな気には全然なれない。いやさ、道徳がどうのこうの言う以前によ、浮気がバレたあとの修羅場とか後始末とか慰謝料とか、リスクを考えたら浮気してトクすることなんて何もないってこと、バカにも分かるリクツだから。何だかんだヘリクツこねたってよ、結局浮気する男ってただの妄想野郎で女性や世の中ナメてるだけなんじゃないのか? そう言えば、「浮気は文化だ」とか嘯いてた某タレントさんも離婚の原因になった愛人から振られちゃいましたね。まあ、自己正当化することしか考えてない男の末路なんてそんなもんでしょうよ。
『モンキー・パンチpresents ルパン三世officialマガジン』VOL.3。 またまたマンガ家を交代させて続けているコミック版『ルパン三世』だけれど、今度の深山雪男版の単行本タイトルは『ルパン三世M』になっていた。これでようやく気付いたんだけれど、先代の山上正月版が『ルパン三世Y』だったのはつまりマンガ家さんのイニシャルだったんだね。今後も時々マンガ家を代えて存続して行くのなら、同じイニシャルのマンガ家さんになったらどうするんだろうとか考えちゃうけど、そういうのは余計なお世話かな。 でも深山版のルパン、あまり長く続かないんじゃないかなあ。線固いし。 付録に旧ルパン三世のアバンタイトルだけを集めたDVDが付いているけれども、これが「お宝アニメ」なんて表紙で紹介されてるのな。もうこの第1シリーズを見たこともない若い人もたくさんいるってことなんだろう。でも1971、1972年当時、この視聴率が一ケタだったという旧『ルパン三世』をリアルタイムで1話も見逃さずに食い入るように見ていた身にしてみれば、『ルパン』と言えばこの第1シリーズの前半、「大隅正秋演出ルパン」以外にはないのである。 視聴率低迷で監督交代、打ち切りに至った旧ルパンにまつわるエピソードの数々は、ファンの間では有名なものも多いけれど、前号から始まった当時の文芸(シリーズ構成)担当の飯岡順一氏のインタビューには、これまで語られていなかったこともかなり含まれていてマニアなら必読である。監督変更後、「Aプロダクション演出グループ」の名称で高畑勲と宮崎駿が演出にあたったことはもはや周知の事実だが(これが宮崎駿の初監督作品である)、飯岡さんの話によれば、実際の演出の打ち合わせは殆ど高畑さんとの間で行われていたそうで、「宮崎さんは脚本の打ち合わせには参加したことがありません」ということである。名作とされるエピソード『にせ札つくりを狙え!』『7番目の橋が落ちるとき』『ジャジャ馬娘を助け出せ!』などは『カリオストロの城』の原型になったと言われているが、実は基本アイデアはあくまで脚本家であるさわき・とおる、宮田雪、松岡清治諸氏の手になるもので、宮崎さんは演出上のアイデアを付け加えたに過ぎなかったということになる。もちろんこのことで『カリオストロ』の名作としての評価が低くなるわけではないが、『カリオストロ』製作当時、宮崎さんがしきりに「アニメは数多くの人の手になるものだから監督だけがクローズアップされるのは不本意だ」と発言していたことの意味はこのあたリにも理由があったのではなかろうかとも思える。『カリオストロ』の基本アイデアに宮崎さん独自のものは意外に少ないのだ。 飯岡さんが高く評価していたアイデアマンが小山峻一郎という人で、旧ルパンの立ち上げから飯岡さんの片腕となり、脚本も何本か担当していたのだが、路線変更のために全てお蔵入りになってしまった。せめて少しでもということで一本だけ担当したのがルパンの宿敵、ガリマール警部(脚本段階ではガニマール)三代目との対決を描いた『どっちが勝つか三代目!』。あのラストの「ニセモノ大集合」のナンセンスシーンは、高畑・宮崎路線のコミカルなルパンに対して「暴力と狂気、ナンセンスとセックスの毒が全くなくなった」と反発していたという小山さんのせめてものレジスタンスだったのかもしれない。「もうホンモノのルパンはいなくなってしまった」という意味で。
2004年02月07日(土) 入院日記6/けーかほーこく 2003年02月07日(金) ベスト?/『赤ちゃんをさがせ』(青井夏海)/『じつは、わたくしこういうものです』(クラフトエヴィング商會)/映画『白夫人の妖恋』 2002年02月07日(木) びっくりにびっくり/アニメ『七人のナナ』第5話/『なんだかコワレ丸』1巻(矢也晶久)ほか 2001年02月07日(水) ♪それ行け、不倫不倫不倫、どこまでも♪/『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』ほか
2005年02月06日(日) |
特撮と絵画展と映画と美術展とアニメとドラマと/映画『ベルヴィル・ランデブー』ほか |
しげのチョコ作りが佳境。 なのはいいけれど、台所の排水溝がチョコカスで詰まってるんだかなんだか、水が流れなくなってて汚水がたぷたぷ溜まってんだけど。いい加減、掃除しろよ(-_-;)。
8時ピッタリに目が覚めたおかげで、オープニングだけ録画し損ねちまったけれど、今週もしっかりと見た『仮面ライダー響鬼』第2話。ヒーロー対怪人じゃなくて、鬼対妖怪という印象がかなり強くなっていて、多分これでまた「こんなの仮面ライダーじゃねえ」って怒りの声はチマタに溢れたことだろうが、さて本当にそうか。 翻って、最初期の旧仮面ライダー1号を思い返して頂きたい。モデルはバッタと言うが、そのマスクやスーツのカラーは緑と言うよりは黒に近く、およそ従来の「正義のヒーロー」とは全くイメージが違っていて恐ろしげですらあった。 仮面ライダーとは本来その「異形」さこそが原点にあるので、それは石森章太郎自身がライダーの「原作」マンガを手がけた『仮面ライダー』『仮面ライダーアマゾン』『仮面ライダーBLACK』の三作に共通するモチーフである。さらに原型となった復讐のヒーロー『スカルマン』のデザインを考えれば、ライダーが「みんなのヒーロー」でもなんでもない、ダークな存在だってことは論を待たない。その意味で、今回の響鬼はハッキリこの「原点」の系譜に連なっているのだ。 だいたい「こんなの仮面ライダーじゃねえ」って声は、平成仮面ライダーどころか、既に2号ライダーのころから出てんだ。「変身!」って掛け声だって、ポーズだって、旧1号ライダーはやってなかったってのはムカシのファンにとってはトリビアでも何でもない「常識」。島本和彦じゃないが、「ライダーは旧1号のみ」という思いがある人間は、かえってほかの全てのライダーは「許す」しかなくなるのである。……あのね、“少年ライダー隊”やら“ライダーマン”やら、“電波人間タックル”だってかつてのファンは“許して”来たんだよ? ライダーがアタッチメント使うのはオッケーで、カード使ったりディスク使ったりしちゃダメって、そりゃスジが通らんでしょうよ。 だからライダーが未だにバイクに乗ってないとか、敵さん(でっかい土蜘蛛)の背中にまたがって、バチで太鼓叩いてその振動で爆発させて倒したとか、そんなの別にどうってこたあねーんだって。そもそも「ライダーキック」だって充分馬鹿馬鹿しかったんだから。……第2話を見てない人は何のことだかよくわかんないでしょうけど、そういうシーンがホントにあったんですよ。信じてもらえないかもしれませんが(^_^;)。 だから、阿部川キネコのマンガ『辣韮の皮』に出てくるライダーオタクのジャスティスなんて、旧ライダーのコスプレして「平成ライダー許せん」なんて言ってるけど、あんなのはライダーファンとして見た場合は単に自分のシュミに拘泥してるだけで、石森章太郎テイストなんて何も理解しちゃいない痛いオタクに過ぎないのである。……キミもそうなってはいないかね。 昭和ライダーを神格化して『クウガ』以降を全否定する連中は、やっぱりその時代をナマじゃ知らない世代か、知ってても本気でライダーファンじゃなかった知ったかぶりのスノッブだろう。今度の第2話でますます日本中のライダーファンは震撼したと思われるが、もうあそこまでぶっ飛んでくれてりゃあさ、旧ライダーがどうのこうの言わないで、広い意味で石森テイストのダークヒーローものと思って見てこうかって私みたいなロートルは思うんですよ。前回のミュージカル風演出にはヘタレたけれど、今回は演出、編集のテンポもよくて、役者のヘボ演技もさほど気にならない。少なくとも出だしの時点では平成ライダーシリーズ中一番面白いと言っていいと思う。 ……なんだか『ゴジラ』と同じような擁護の仕方をしてるが、もしかしたら『響鬼』が平成ライダーシリーズの「ファイナル・ウォーズ」になるんじゃないかという予感もしないでもない今日この頃なのでした。まる。
続けて『ふたりはプリキュア マックスハート』第1話。オープニングが「マックスハート」って合いの手が入るだけってのはなんだかなあ。レギュラーが3人になるならタイトル変更したらどうなんだ。内容については敵さんがまた復活とかで先週までの戦いはなんだったんだって思うけど、番組改変になんてこんなもんだから怒ったって仕方ないやね。でも、ああいうロリータファッションのヒロインのブームって、まだ続いてるんかね。さすがに街中でゴスロリ少女を見かけることも福岡じゃ最近はなくなってきてるけど。
まだ寝惚けてウワゴトを言ってるしげを叩き起こして、天神三越へ。 あるツテから招待券をもらったので、9階ギャラリーの「池田あきこ展」を見に行く。しげは以前、ダヤンのシールを車の窓に貼っていて、てっきり池田さんのファンなのだろうと思って誘ったのである。ところが、しげはグッズコーナーばかり見ていて、展示されてる原画はろくろく見ようとしない。 「ファンじゃなかったの?」と聞いたら、「キャラクターが好きなだけで、原画や話には興味がない」とのこと。会場をさっさと出て、グッズをいろいろ物色し始めたので、私の方はポツンと取り残されてしまった。結局たいしてほしいモノはなかったようで、わざわざ誘うほどのこともなかったようである。 しげと一緒に出かけて一番ペースが違うのがこの手の美術展で、私は気に入った絵に出会ったらその絵の前でじっくり鑑賞するとか、そういうことも好きなのだが、堪え性がないと言うか、そもそも絵心がないと言うか、しげにはそれがまるでできないのである。買い物するときにはこちらの予定も考えずに急いでる最中でもウインドウの前で立ち止まって長っ尻するくせによう。そもそも舞台をやってて美術を鑑賞する目がないというのはどういうわけだ。こういうところがしげの努力不足なところなんである。 結局、美術展に行った時にはじっくり見るヒマがないことが多いんで、図録を買わざるをえなくなるのだが、原画のペンタッチまでは図録じゃわかんねえし、足を運ぶ意味があまりないのである。一応、大学じゃ児童読物とかの研究を専攻してたから、絵本とかこういうのをオレはじっくり見たかったんだよ。 作者の池田さんもサイン会のために来られていたのだが、時間の余裕があるにも関わらず、せっつくしげに追い立てられて会場をあとにした。
シネテリエ天神でアニメ映画『ベルヴィル・ランデブー』。 昨年、広島国際アニメーションフェスティバルで見たシルヴァン・ショメ監督の大傑作だけれど、福岡での公開はようやく今週から。東京では昨年末に公開されているが、地方では年越し、これでは『キネ旬』とかの投票にも間に合わない。ロードショー公開は数ヶ月に渡ることも多いので、アンケートのシメキリを1月そうそうに設定するのはやめてほしいんだよなあ。偶然広島で見てなきゃ、とても「これはいいぞ!」と昨年のうちにお勧めなんかできないのである。まあいくらお勧めしても、誰も見てくれないけどな(~_~メ)。 こういうアート系の映画はなかなかTVでも流さないしDVDにもなりにくい。なっても初回売り切りですぐ絶版、小さなレンタル屋だと置きもしない。すぐに「幻の映画」扱いになっちゃうんで、公開中に足を運ぶしかないんだけれど、テレビアニメしかアニメとして認識してない似非アニメファンや、日本のアニメが世界一だなんて錯覚してるアニメナショナリストは、ホントに全然興味示さないのな。自分たちがどれだけゴーマンな見方しかしてないか自覚してないんである。 あのね、本気で面白い作品を見たいって気があるんだったらさ、部屋に閉じこもってないでもっとカラタを動かせよと言いたいのよ。なんで毎週毎週、キャラ萌えだけで中身はスカスカのたるい某テレビアニメばかり見てられるのか疑問なんだよ、オジサンはさ。 しげは『ベルヴィル』を見て、「セリフないけど、ちゃんと表情で何考えてるのか分かるね」と言っていた。そういう「表現力」がそもそも某アニメ(具体例はたくさんあるので特にどれ一つとは挙げない)にはないのである。まあ比較すること自体が『ベルヴィル』に対して失礼なのだが。
それから大濠まで足を伸ばして、福岡市美術館へ。今日一日は予定があれこれあって大忙しである。 目当ては、前回、ウチの劇団公演の美術を担当してくれた細川嬢の大学卒展。さっき書いたようにしげが美術に興味示してくれないから、なかなかこういう展覧会にも来れない。ここの美術館に来たのも10年ぶりくらいじゃないか。前来たのは確か「手塚治虫展」の時だ。 美術系の大学で有名どころと言えば、福岡では数えるほどしかないので、逆に言えば福岡で本気で美術関係に進もうという人間は1ヶ所に集中することになる。市民ギャラリー室二つ、特別展示室二つを借り切り、絵画、写真、ポスター、絵本、装飾、調度、陶芸、建築モデル、アニメなどなど、何百人もの作品がひしめき合っているのだが、これが見ていて実に面白い。中にはもちろん「なんだかなあ」って感じの凡庸なもの、一人よがりなものもあるが、総じて若さのエネルギーで魅せているのである。才能の息吹が感じられる作品も実に多く、この中から頭ひとつ抜き出て世に羽ばたいて行こうとするには並々ならない根気と努力が必要だろうというのがヒシヒシと感じる。言っちゃなんだが、同人オタクの腐女子のレベルは全体としてはかなり低いよ。技術の面だけでなく、「人に魅せる」ことに関して、志に差がありすぎるんである。自己充足に陥っていて、他人との間に壁を作っといて、それでいてモノを売ろうってのはベクトル歪んでないか。 ……まあ、それはそれとして、この何百点の作品の中から細川嬢の作品を探さねばならないわけだが、これがまたひと苦労でした。こういうときの常として、探しモノは必ず最後に見つかるものであるが、会場を四つ回って、細川嬢の作品が展示してあったのは、最後に回った特別展示室でした。もっとも、そのおかげでほかの人の作品もじっくり見られたのだが。 細川嬢の作品は土管を模した鉄製の椅子が二つ。色は黒っぽいのと茶色っぽいの(色弱の言うことなのでアテにしないように)、シックでいい感じで、インテリアとしては洋間ならばどういう部屋でも汎用が効きそうである。肌触りもよくて頑丈、黒い方には両端に互い違いに取っ手が付いている。機能とデザインのバランスを取ることはなかなか難しいと思うが、部屋にこの椅子を置くことを考えたとき、取っ手が互い違いになっているということはつまり、これはどちらからも座れて足を取っ手のない方に伸ばせる仕組みになっているわけだ。ちょっとした工夫だけれども、よく考えられている。作品のタイトルを見てみると、「のびやかであること」。なるほどその通り(^o^)。管の中は物置にもなるかな。 私は職人の家系に生まれているので、道具や調度というものは「使えなけりゃあ意味がない」と思っている。使うのがもったいなくて飾る場合もあろうが、初めからデザインだけが先行していて、床の間に飾ることが目的になっているようなモノは好まない。細川さんの作品、ウチじゃあ狭くて置けないが、広いリビングのある家なら、充分「使えて」しっくり来るのではなかろうか。 写真集も隣に置いてあったのだが、こちらは舞台美術を撮影したもの。布を切り取って空間を演出し、照明に工夫を凝らし、幻想的なイメージを作り出しているものが多い。写真だけではよく分からないが、実際にそこに人を立たせたとき、布の隙間から光が当たって、役者の表情が能舞台のように揺らめく効果も出せるのではないかと思わせる。そこ間で計算しているとすればたいしたものである。浅倉摂さんの舞台にこういうのがあったので、影響もあるのだろうかと想像する。
細川嬢に会えることは期待していなかったのだが、ちょうど作品を見ている最中に細川嬢が見える。食事か何かで外出していて、今し方帰ってきたところだとか。しげが「ボイんちゃ〜ん!」と仇名で呼びかけるが、場所柄をわきまえてないのが痛い(~_~;)。細川嬢があまり気にしてないから有り難いのだが。……だから人に勝手に仇名付けまくる癖、直せって。 「お世辞は好きじゃないから」と前置きをして、しげと二人で作品を誉める。細川嬢、「嬉い」を連発する。私もしげもつまらないと感じたら知り合いのものでも遠慮なく貶してしまうので(でないと「批評」として信用されないでしょう)、素直に受け取ってもらえるのがこちらこそ有り難い。摂さんの名前を出したら、案の定、「大好きなんです」と仰る。 細川嬢、初めはインテリアデザインの方に進むつもりだったのだが、今は舞台美術の方に目が向いているとか。来年は上京して大学院を受験したいと考えているとのこと。根気と貧乏に耐える(^_^;)努力は必要だが、才能はあるし、細川嬢ならやれるんじゃなかろうか。ほかの人の作品の影響を受けても、そこからオリジナルなものを積み重ねていければ、決してモノにならないことはないと思う。つか、なってほしい。 「上京する前に一つ舞台公演打って、美術を頼もうか」なんて話まで飛び出てきて、細川嬢も「喜んで」と言ってくださる。それはそれであり難いのだが、いささか先走りの感すらある。だって、そうなると私ゃ、あと半年以内にまた一本脚本を上げなきゃならないわけなんだわな。全くどこが「劇団休眠中」なのか。
あちこちハシゴしたのでいささか疲労。 夕方4時ごろに帰宅して、7時までは遅目の昼寝。 7時半からNHKでアニメ『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』第25話「プリマス行き急行列車 前編」。 パディントン駅を出発したプリマス行き列車の一等客室の座席の下から、女性の刺殺体が発見される。その女性、フロッシー・キャリントンは、アメリカの鉄鋼王ハリデイの娘だった。ポワロと旧交のあったハリデイは、彼を屋敷に呼び、事件の調査を依頼する。ヘイスティングスとメイベルは、犯人はフロッシーの夫、キャリントン卿ではないかと推理するが…… この短編は原作もドラマも未見。だもんで、どんなオハナシかいなと思って見てみたんだが、「クリスティーは短編はヘタ」の評判通り、前編見ただけで話も犯人もトリックもバレバレ。いや、ホントに当たってるかと思って、ドラマ版の方も見てみたら想像していた通りだった。なんかもう、『名探偵コナン』レベルのつまんなさだねえ。ただ、これは原作がチャチだって、それだけの罪じゃないんだわ。そりゃ罪はもう監督以下スタッフにあるのは間違いない。 これはもう、声を大にして言いたいんだが、ミステリーのノウハウを知らないスタッフにミステリーアニメを作らせるんじゃない。「キャラデザインを見ただけで犯人の見当がつく」作品がミステリーと言えるかって〜の。 まあ、これでも第1回のころに比べればそうとうマシな出来になったということであるが、五十歩百歩ではなかろうかね。……でも映画『デビルマン』見たあとだと、もうなんだって許しちゃう気分だからこれもまーいっか(^o^)。いいよもうなんだって。メイベル萌え〜のひとも世の中にはたくさんいるんだろうし、みんなどんどん萌えちゃってくだしゃんせ。「ポワロ×ヘイスティングス」もオッケーだ。
続けて大河ドラマ『義経』第五回「五条大橋」。 オープニングが前半のクライマックスになんなきゃいけないはずの義経(遮那王)と弁慶の出会い。三百行くらい悪態つきたくなるのを抑えてヒトコトで言えば、「月だの桜だの、そんな演出で殺陣ができねえのゴマカシてんじゃねえ」。 タッキーとマツケンに殺陣を期待しちゃいけないのは分かってるけど、それにしても、もう少し何とかならなかったものか。弁慶の攻めを義経がヒョイヒョイ跳んでよけるのをデジタル合成で見せるのは仕方ないとしても、それがワイヤーワークよりしょぼいってのはどういうことよ。欄干に上ってるときふらついてんだぞ、合成なのに。 そもそも義経と弁慶、二人のキャラクターが軟弱なので迫力も緊迫感も生じないのだ。義経はもっと涼やかな魅力があってこそだし、弁慶はもっと豪放磊落じゃないとコントラストは生まれない。チャンバラ“ゴッコ”が見たい視聴者はあまりいないと思うけどねえ。それとも軟弱なキャラに設定したほうが腐女子は「弁慶×義経」が想像できて楽しいのか。 総じて今回の大河、女優陣が弱い。上戸彩と石原さとみの初々しい魅力に、松坂慶子以下の臭い演技が全然太刀打ちできていない。いや、石原さとみだって静御前がまだまだ板に付いてないんだけど、松坂慶子、無意味なタメが多すぎて鬱陶しいんである。時子なんて重要な役になんでこんな大根使うかなあ。 今回、一番見られたシーンがやつぱり渡哲也清盛と、丹波哲郎源三位頼政の髭切りの太刀を巡るやり取りだったというのは、これから先のドラマの出来を暗示してるようで苦笑せざるをえないのである。この二人、史実では源平合戦の前に早々と「退場」しちゃうものねえ。見所がどんどん減っていくぞ。
2004年02月06日(金) 入院日記5/こわれた女 2003年02月06日(木) 新聞がみんな同じに見えるのは気のせいですか(~_~;)/DVD『明智小五郎対怪人二十面相』/『D坂の殺人事件』(江戸川乱歩) 2002年02月06日(水) なんかもー、下血とともに生きる毎日ね/『幻竜苑事件』(太田忠司・大塚あきら)/『よみきり▽もの』1巻(竹本泉)ほか 2001年02月06日(火) 文化はやはり相対的なもの/『NOVEL21 少年の時間』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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