目次過去未来


2004年03月28日(日)  三文の徳

開店後すぐのパン屋に行った。
焼き上がったばかりのフランスパンの、パリパリという音。温かな匂い。
安上がりな幸せ。本物の幸せ。


2004年03月27日(土)  イスラエルとパレスチナ / 日記

イスラエルとパレスチナ。
報復の連鎖。

自分があまりにも無知だと気づいて、その反動か、「何かしなければ」と思ってしまった。
けれども、その「何か」がさっぱり思い浮かばないほど、僕はその問題に無関心を通してきた。

こっちの方面への僕の興味は、意外にもまだ衰えていないらしい。
まだ、というのは、平和という言葉が僕に小学校の卒業式を思い出させるからだ。
正確な言葉は覚えていないが、小学校を卒業する僕は、
「世界の平和のために何かできるような人間になりたい」というようなことを体育館のステージ上で宣言した。
冗談なのか本気なのかわからない、と考えれば今の僕となんら変わるところはない。
けれど、違うのだ。あのときの僕は、相当本気だった。小学6年生なりに。

その宣言はいつしか頭の隅に追いやられ、それでも僕は何の因果か‘あの’高校に入った。
高校生活は楽しくて、勉強は難しくて、人前に立つことや仲間の存在が僕にとってはすごく大きかった。
せっかくの恵まれた環境だったのに、僕はそれをフルに活用しなかった。
今になってほんの少しだけ、悔やまれる。

今の日本は、なんだかんだ言っても、平和だ。
自分の家族が自爆テロを起こして死ぬ確率は、自動回転ドアに挟まれて死ぬ確率よりも低い。
だから、自爆テロを起こした娘を持つ母親の気持ちなんて、理解できるとは思えない。

ある女性が死んだ。自爆テロで、「国のために」だ。
その母親のところに、同じ国の男が話を聴きにやってきた。
ビデオカメラを持ったその男は、問う。
娘のしたことを、ひとりの人間としてどう思うか、と。
その男は、何らかの意見を強制しているわけではない。
自爆テロ犯の遺族としての、母親の言葉を聴きたいだけのようだ。
とはいえ、彼が自爆テロを支持しているのでないことは明らかなのである。
こんな場面で無言の母親が何を思っていたか、僕にはわからない。
けれども、そこで自爆テロを批判することは、娘の死に方を否定することだ。
娘が選んで実行した正義を、母親の自分が非難することだ。
事件がおきるまで、娘の思いを母親は知らなかった。娘は、自分の意志で死んだ。
母親が男に、一体何を言えただろう。

けれども、その場の誰が悪いという問題ではない。
朝、家の外でお茶を飲んでいた20代前半の女性に、
その日の内に自爆テロを起こさせるような状況が、絶対的に悪いのだ。
それでも、状況とか社会とか歴史とかいう得体の知れないものを責め続けることは、できない。

報復に次ぐ報復。
僕に、何ができるだろう。

 *
NHKスペシャルへの、正直な感想。殴り書き。

 *
一方で、自分の身の回りのことも満足にできなくて、何が国際平和だと思う。
この考えは変わっていない。
今思うと、ちょっとシュタイナー的かもしれない。




******
前にも書いた気がするが、
過去の自分と今の自分を比べると、人が変わったのかと思う。
実際、変わったのかもしれない。いや、一部は確実に変わっている。

読んでいる人々の顔が思い浮かぶと、つい現実のことを多く書いてしまう。
自己顕示欲が強いから。たぶん。
その上、自分の内に籠っている時間が確実に減っている。
結果、ずいぶんとわかりやすい日記になった。
日記らしくなった、とも言える。

ないものねだりばかりしているところは、変わらない。
2年前に求めていた心境にかなり近づいているのではないかとも思えるが、
今の生活をずっと続けていくわけには行かないし、第一、これではただのダメ人間だ。
心は、空気のように穏やかでいい。一方で、
自分には、自分が納得できる積極的な存在価値を与えたい。

やることやらなきゃ。

***
『ぴあ』を買うと、自分は映画鑑賞で破産するんじゃないかと思う。


2004年03月26日(金)  忘れないうちに/名残

『ルパン三世 カリオストロの城』を見ていた。
ANAのCMが流れた。
あれは、ピタゴラスイッチの‘10本アニメ’だ。

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足袋&草履などという慣れないものを履いた昨日、左足の甲に傷を作った。
もうスニーカーだからと油断していたら、
今日、シフトペダルが直撃することがわかった。痛かった。
足の位置をずらして誤魔化しているが、微妙にタイミングが合わない。
早く治りますように。


2004年03月25日(木)  感慨というほどのものはなくても。

もう一生会うこともないはずの人々の群れ。
いつかまた会いたいと思える友人たち。
心から尊敬できる恩師。

東京から離れた数年間。
牢獄のような部屋を持つ宿舎。
ふたりで住んだ場所。

生活の支えだったドラッグストア。
顔を覚えられたダイニングバー。
愛車と関わるさまざまな風景。

いちばんの想い出なんてものは、無いに等しくて。
快も、不快も、どうでもよかったことも。
ひとりだったり、誰かと一緒だったり、時には大勢でがやがやと。
長かったような、短かったような、中途半端な時間の蓄積。

それでも、僕の中に残った、確実なもの。
言葉にするのが難しい、ぼんやりとしたもの。
すぐに忘れるものもあるだろうし、同様に、決して忘れないものも。

本当に置き忘れてきたものは、何もない。悔いもない。

何もしなかったように見えても、できるだけのことはした。
戻れる場所と、戻れない時間だ。これでよかった。


2004年03月24日(水)  三茶体験・終電帰りコース。

火曜の夜。
三軒茶屋は住み心地の良さそうな街だった。

仕事で疲れた友人に連れられて、焼鳥屋ChickenGeorgeに入った。
僕は「レバーと言ったらレバ刺し派」だが、
火の通った鶏のレバーを美味しく食べさせてくれる店だった。感動のふっくらレバー。
(ミスター味っ子とか美味しんぼのリアクションが出そう、と言えば伝わる人には伝わるかもしれない。)
鶏を堪能できる店。きっとまた行く。誰か一緒に行こ。
というわけで、鶏と酒の好きな人募集。←めちゃめちゃ多そう。

チキンジョージにいる間はずっと焼酎だったが、
その後にカラ館でモスコミュールとライチトニックを飲んでしまった。
それ故に、今朝起きてアルコールが抜けきっていないんだ。と思いたい。
あれくらいで、飲みすぎなわけないんだ、そんなわけないんだー。あるいは、もう若くないんだー。

楽しかった。ほんと。
クラムボン聴くよ。今度会う時こそ真綾CD貸して。


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