ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年05月15日(金) 儚い日記

今日も雲一つない晴天。昨日のような雷雨もなく

気温は27℃まで上がり流石に暑さを感じた。


朝の峠道を行けば先日まで沢山咲いていたウマノアシガタが姿を消す。

枯れた風には見えないのでおそらく散り落ちてしまったのだろう。

道端には夏草が生い茂っており猫じゃらしも見える。

日に日に景色が変わるのを見届けるように職場に向かった。

職場の近くには銀杏の木があるが今まさに青葉の季節である。

なんだか夏の間にエネルギーを蓄えているように見えた。


職場に着けば義父の姿があったが今日も種蒔きとのこと。

訊けば昨日は思うように出来なかったらしい。

彼女さんも来てくれており鉄工所のKちゃんの姿もあった。

鉄工所の仕事が暇な時にはよく手伝ってくれるのだ。


お昼に来客あり。例の中古車を購入してくれたお客さんだった。

車代を即金で支払ってくれとても助かった。

新車よりも中古車の方が利益が大きい。

在庫の中古車が完売したらと夢のように思う。


午後は来客もなく退屈でならなかった。

休業が続いており事務仕事も特に在りはしない。

義父に許しを請うこともせず「つれづれノート」を読み始めた。

昨年の8月から今年1月までの日記であったが

全く興味のない内容の日記が続いており8月20日までが限界である。

読み始めからには最後までと思うが途中で挫けてしまいそうだ。


何の変哲もない平凡な日常のことである。

近場の温泉に行ったり畑の胡瓜を千切ったりしていた。

作家でなければただの60代の女性の日記である。

しかし毎日書いていれば本になり出版されるのだった。

既にベストセラーになっているので買い求める読者も多い。

本が売れたらお金になる。暮らしに困ることなど在りはしないのだ。

何と恵まれた境遇だろうと羨望せずにはいられなかった。

それも培って来た実績があってのことである。

若い頃からの努力が実を結んだ結果だろう。

そう云う意味では銀色夏生を尊敬せずにはいられなかった。

共に老いて行くのだろう。やがては最後の日記となる。

その時彼女が何を書き残すのか知りたくてならない。

しかしおそらく私の方が先に死んでしまうだろう。

ネットの海に書き残した日記は遺品になれるのだろうか。

もし消失してしまったら私の存在も「無」になってしまう。

儚いものだなと思う。こんなにも生きているのに何も残らないのだ。


※以下今朝の詩


     プリン

  粗末に見えても
  そこそこに美味しい
  出来損ないのプリンであった

  ぷるんぷるんと立っている
  けれどもすこうし崩れていて
  その傷口にカラメルが浸みる
  決して痛くはないけれど
  なんだか泣いているようだ

  もし叶うならば綺麗になりたい
  そこそこではなく上等になりたい

  繰り返して来た過ちを
  スプーンで掬うと
  とろとろと溶けて行く
  その舌触りが愛しい

  間違いは誰にだってある
  後悔ならいくらでもしよう

  ぷるんぷるんと息をしながら
  「いのち」を確かめている

  もうひとくちで終る
  そんな生き方もあるのだろう









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