曇りのち晴れ。山里では朝のうち少しだけ雨が降る。
午後には陽射しがありまた暑さが戻って来た。
猛暑日にこそならなかったが何とも蒸し暑い。
今朝も鉄砲百合に目を奪われながら山道を走る。
「鉄砲」と名付けられたのは茎が長く鉄砲の筒に似ているからだそうだ。
日本古来の百合で鉄砲が伝来した戦国時代からそう呼ばれていたらしい。
それではその前は何と呼ばれていたのだろう。
もしかしたら名の無い花だったのかもしれない。
しかし万葉集には
「夏の野の繁みに咲く百合の花いつしかも人の見つつ偲はむ」
と云う作者不詳の歌があるのだそうだ。
万葉の人の心にもその純白で可憐な花が沁みたことだろう。

朝の小雨で義父の稲刈りはあっけなく延期となった。
何だか出足を挫かれたようにしょんぼりとしていたが
どうやらまだ準備万端ではなかったようだ。
焦りは禁物である。義父もそう思い知った様子であった。
仕事が切れた同僚が手持ち無沙汰にしていたが
義父は一切手伝いを請わない。何だか意地を張っているようにも見えた。
同僚も米作りをしており役に立つこともあっただろうにと思う。
明日からの三連休は生憎の雨になりそうだ。
稲刈りは当初の予定通りお盆になることだろう。
事務仕事も特になく今日も2時半に退社する。
同僚のお給料を支給しなければならなかったが現金が底を尽いていた。
仕方なく預金に手を付けたが例の車代がどんどん少なくなっている。
穴埋めをしなければならずあれこれと頭を悩ませていたが
義父が助け舟を出してくれてお米が売れたら立て替えてくれるそうだ。
まだ稲刈りも済んでいないが私もすっかり「捕らぬ狸の皮算用」となる。
こうなれば何としてもと思う。米価が高いのが不幸中の幸いであった。
4時前に帰宅ししばらく自室で過ごす。
SNSのタイムラインを見ていたら心に響く短歌を見つけた。
思わず直感でフォローしたがお相手の事は何も分からない。
無視される可能性が大きいが私はそれでも良いと思う。
SNSはまるで水族館のように色んな魚が泳いでいる。
私もその一人であるが名などない魚であった。
しかしたとえ雑魚であっても水槽で生かされている。
それは小さな水槽で立ち止まらずに通り過ぎる人が多い。
海ならばもっと自由に泳ぎ回れることだろう。
けれども私は海月にさえなれないと思っている。
波が怖いのだ。海が荒れたら死さえ身近になってしまう。
砂浜に打ち上げられやがて干からびることだろう。
運命とはそう云うことである。身の程とは何と儚いことだろうか。
そろそろ水族館が閉館する時間である。
水槽の中で眠る準備を始めなければいけない。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
兎
父が兎を食べていた 焼いてカリカリになると とても美味しいのだそうだ
そんなことがどうして 信じられようか
野山を駆けていたのだろう 自由気ままにそれは楽しく それを一瞬にして壊した 父が獣のように思えたのだ
長い耳はどうした 紅い瞳はどうした
ナイフで切り裂く父は いったいどんな気持ちだったのか
優しい父が鬼になる それは裏切りにも等しい
兎はやがて骨になった もう耳も瞳も見つからない
私は堪えきれずに泣いた 秋は深まり 少し冷たい風が吹き抜けていた
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