雨上がりの晴天だったが強風が吹き荒れ肌寒い一日となる。
蒸し暑さが無かったので運動会には最適だったようだ。
生憎昨日の大雨で校庭がぬかるんでおり一時間遅れで開催される。
予定した競技も3競技程省かれたが十分に楽しめた。
何よりも子供たちの元気な姿に感動を覚える。
全校生徒80人足らずの小さな小学校であった。
マンモス校だと孫の姿も見つけられないことが多いが
めいちゃんは直ぐに見つかり終始目が離せない。
普段はめったに履かない紅い靴下がよく目立っていた。
競技は百メートル走から始まり何とめいちゃんは一番であった。
男の子も一緒に走っていたのに凄い頑張りようである。
嬉しくてならず千切れんばかりに拍手をした。
ふと自分が子供の頃を思い出す。かけっこはいつも一番だった。
今では考えられないことだが郡の陸上大会で優勝したこともある。
その貴重なDNAが遺伝しているのかもしれないと思った。
足が不自由になり歩くこともままならなくなった今だからこそである。
こんな私にも駆け抜けた子供の頃があったのだと懐かしくてならない。
毎年恒例の「一輪車パレード」「よさこいソーラン踊り」もあり
昨年よりもいっそうと成長した姿も感動的であった。
もうそれも来年で最後になるのかと思うと感慨深い。
ずっとずっと小学生で居てくれたらなと思う程だった。
隣の応援席にあやちゃんの同級生が二人来ていて
すっかりイケメンの中学生になっているのに驚く。
弟や妹の応援に来ていたのだろう。何とも懐かしい顔であった。
あやちゃんは今日もお留守番を申し出て「行ってらっしゃい」と
皆を送り出してくれたのだった。「一緒に行かんかね」と告げれば
「なんか今日は体調が悪いけん」と笑い飛ばしていた。
本当は行きたかったのかもしれないと老婆心は思う。
けれども娘に云わせればそれは余計なことなのだそうだ。
触れてはいけないことが多過ぎてまた疼き始める老婆心であった。
「余計なこと」と云われるのが一番辛く「どうして、どうして」と思う。
思い遣るこころはそうして行き場を失ってしまうのだった。
この日記を書き始めた時には茜色の夕焼け空だったが
一時間もすればもう真っ暗闇である。
明日の朝は気温が下がり少し肌寒くなるのだそうだ。
春の名残はそうして夏とせめぎ合っているのだろう。
私はいったい何とせめぎ合っているのかと思う。
もしかしたら私の中にもう一人の「わたし」がいるのかもしれない。
※以下今朝の詩
野辺
野辺の片隅である 降り続いていた雨がやみ 爽やかな風が心地よい
項垂れてはいられず 真っ直ぐに空を仰ぐ 濡れた体に相応しい 優しい風であった
「雑草」と云う名の草はなく 草であることを誇りにおもう
たったひとりのひとでいい 私の名を呼んでくれまいか
ずいぶんと生き永らえてきた 野辺に咲けばいのちがにおう
どこまでも続く空である わたし以外の誰が わたしになれようか
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