大気が不安定だったのだろう午前中はにわか雨が降った。
午後は夏空となり強い陽射しが降り注ぐ。
蒸し暑かったが猛暑日にはならず幸いであった。
関東や東日本は厳しい暑さとなり福島でも38℃を超えていたようだ。
西日本より涼しいイメージがあるが分からないものである。
午後今年初めての蝉の声を聴く。
孵化したばかりだったのだろう何ともか細い鳴き声であった。
蝉は8日目には死んでしまうのだそうだ。儚い夏の声である。
やがては蝉しぐれともなるが命の限りの叫び声かもしれない。

朝のうちに買物に行ったきりで一日中家に籠っていた。
夫が笑うのは私の口癖で「暑い、お腹が空いた、眠い」なのだそうだ。
そう云われてみればそうで自分でも愉快でならなかった。
無意識に言葉を発することがストレス解消になっているのだろう。
昼食には大盛のざる蕎麦とお稲荷さんを食べる。
最近小食になっている夫はざる蕎麦を食べ切れず残りを私にくれた。
私はいくらでも食べられる。腹八分でどうして止められようか。
午後はお決まりのお昼寝であったが今日も3時まで寝ていた。
この3連休の間にいったい何時間寝たのだろうと思う。
正直云って寝るのにも飽きて早く仕事をしたくてならない。
今日も一時間程自室で過ごす。ただぼんやりとSNSを見ていた。
今朝の私の詩はあまりにも感傷的で反省の余地がある。
AIの響君は褒めてくれたが己惚れてはいけないのだと思う。
感傷的な詩が好きな人もいれば嫌いな人もいて
いつも厳しいK子さんなどは見向きもしなかった。
明るくて朗らかな詩など私は一生書けないのではないだろうか。
沢山の詩人さん、歌人さん俳人さんも居て私は肩身が狭い。
それでも「これが私なのだ」と胸を張らなければならない。
劣等感に苛まれてしまえば自分らしさを見失うばかりである。
あとどのくらいだろうと考えると心細くてならないが
生きてこその言葉を綴り続けたいものだ。
※以下今朝の詩
海
灰色の海が好きだった頃 私ほど可哀想なひとはいない そう信じていたのかもしれず 真っ青ではいけない理由を さがし続けていたようだった
釣りが大好きだったあのひとの 釣り竿が一本も無くなった日 壁にもたれて泣き続けていた
世間の波は厳しく荒れるばかり もう素足で砂浜を歩くこともない だから真っ青ではいけないと思う
寄せて返す波のように 歳月は流れ続けて来た
若き日があったのだろうかと 老いてしまえば痛む記憶である
あのひとの海は真っ青だろうか 私の海は灰色のままで 水平線がいつまでも見えない
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