鮎見時子の日記
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2004年11月11日(木) 幸せを感じるって実は難しいかも

今日の日記の中身はかなりを思いつきで書いているんで
意味不明多いのかも・・

ってこの数日日記復活させたのは
これじゃだめだろうと
もらったまま溜め込んでいた婦人科の漢方薬飲んだら
一種類目はひたすら眠くてだるくて
そうか気持がすさむというより体の不調だったのか
私こんな調子悪かったのかと思い・・
今飲んでるのは眠くならない。物片付けるチャンネルのつながりの
改善には向いてないけど
いらいらもういいや〜みたいな自虐気分は落ち着く。
体の手足の血流はよくなる感じがする。

でやっとまとめてものを考える感覚の復活・・

幸せって実際何かといえば
単調な刺激穏やかでささやかで、
だから、脳が幸せを感知するのって
ほんとに少しの伝達物質の違いを理解できないと
無理で、
恐怖や絶望で子ども体験するとストレス
つまり大量な情報物質で脳をいつも動かすと
ささやかで細かい違いで感じる幸せ認知は結構
難しいし
慣れてしまった刺激をいつも欲しくなる。
認知のゆがみと簡単に言うけど
脳という物理的肉体の問題でもあるから直せる可能性は常にあるにしても
そんな単純じゃないだろうし
実際、
人口内耳で音がわかるようになっても
3才、可逆としてちょっと可能性あるのが7歳まで
それまでに言語として音を聞いたたことがなければ
言語として音は聞こえない。
鳥のなく声と区別できてもただそれだけ。
三つ子の魂100までって科学としては根拠があるようで

幸せがちゃんとわかって大切にする能力も
体験の臨界ってあるんじゃないのかなーって思う。

あるいは、私もその傾向あるけど
嫌な記憶を蒸し返す癖の強い脳の個性ってのも
きっとあって、
その場合は、自己肯定自分を大事にってそればっかりでなくて
蒸し返しを止める精神科薬とか忘れるというか
それから気をそらして
現実だけを認知しなおす訓練だったり
具体的な行動の方法論だったり

いまさら取り戻せない今の自分の実際からしか
生きようがない感じがする。

折れてしまった新芽はまっすぐな勢いのある大木にはなれないわけで。
其れを受け入れて肯定してかわいく生きる
それも再生。命のたくましさなんだと思うけど
こんなじゃなかったらあった筈の大木になった可能性って
想像の向う側だけの幻だから光り輝いてみえてしまって
なんでこんな〜って憤りをやたら思い起させるし。
あるがままを受け入れるってかなり難しいです


鮎見時子 |MAIL

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