ずいずいずっころばし
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子供の頃、母の手のしわをこすったり、のばしたりしてみたことがあった。 両親が歳をとってから産まれた私だったので、友達の若い華やかなお母さんが羨ましかった。 出しゃばったり、自慢げな態度を恥としてきた母は、慎ましく、しかし、凛とした人だった。 母の親指はとても長かった。 それは手先が器用な証拠として裁縫が得意だった母は秘かにその親指の長さを誇りにしているようだった。 朝から晩までコマネズミのように良く家事をこなした母の手は「家事をする手」だった。 父が何かの業績で公に名をなしたことがあった。。 その記念にと母に翡翠の指輪を買った。 ダイヤでなく翡翠にしたのは、その神秘的な瑠璃色が指を美しくみせるからだった。 母は自分の贅沢のために貴金属を買うことはまれだった。 しかし、買うときは必ず記念になる理由をもっていた。 娘3人を持つ母は、それらの宝石をゆくゆくは娘等に譲る時のことを常に考えるのだった。 両親の記念の思い出や、その宝石にまつわる思い出と共にあることが、その宝石が単なる石、単なる宝石でなく、それ以上の付加価値を持つ物として娘等に代々伝わることに意義を見いだしていたのだった。
私にはその思い出の翡翠の指輪が母の遺品として譲渡された。 その翡翠の指輪をつけるたびに母は私に言ったものだった。 「翡翠はね、つけたとたんにどんな手指をも美しくしてくれるのよ」と。 そして少し荒れた手につけた指輪をみせて「ほらね」と言ってほほえむのだった。

しとやかで慎ましい母にその神秘な深い色は似合っていた。 しかし、あの微笑みは指が美しくみえたことへの喜びばかりではなかったような気がする。 父を陰ながらつつましく、ひたむきに支えた母があったからこそ、成し遂げた父の業績記念の指輪だったからではないだろうか?
家事労働に評価などなく、子供たちや夫から感謝の言葉もない報われない日々。 一人で大きくなったような態度で反抗ばかりする私に手こずった母。
そっとその指輪を出して指につけてみた。 まだ私には似合わないけれど、深い瑠璃の色は遠い母のあの日のほほえみをおもいださせてくれた。
宝石は思い出を持つとき、その美しさが冴え冴えと光彩を放つ。
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