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■ 切手の中の少女
大槻ケンジ『リンウッド・テラスの心霊フィルム』(手に取ったのは角川文庫版、思潮社版が初!?)がいいと聞いて目を通してみた。 文が若いことよなぁと思わせられてしまうものの、きっとこの詩人やあの作家もお好きなのであらせられることよ、と予測させられてしまうものの、 妙に心に残るのでした。 だって、昨今、切ない物語は濫れているものの、狂気と切なさをふたつ並べて書けてしまうなんて! なかなかいらっしゃらないのではないでしょうか? 理性的で醒めている視線が崩れないのに脱帽。 でも、狂った人間を徹底的に醒めた目で傍観しているところが、よけいに切なくて臆がちくちく。 あれあれ、大好きな映画『ベティ・ブルー』のように切ない狂気や狂おしさではないのに!? でも好き。どちらかというと詩より散文が北端の好みでした。 だから、あえて大槻ケンジ作品へ手をのばすのを躊躇っていたり(これって、貶むべき社会性!?)。 ああ、でもこんなこと書いていたら明日は『ステーシー』を買いにいってしまうにちがいありません(嘆息。いままでは本屋で立読のみ)。
処で某様、「何処へでも行ける切手」の歌から綾波レイ=眼帯包帯少女のイメージが造られたという話は本当です!
神様に おまけの一日をもらった少女は 真っ白な包帯を顔中にまいて 結局 部屋から出ることが無かった 神様は憐れに思い 少女を切手にして 彼女がどこへでも行けるようにしてあげた 切手は新興宗教団体のダイレクトメールに貼られ すぐに捨てられ その行方は 誰にももうわからない
(大槻ケンジ「何処へでも行ける切手」『リンウッド・テラスの心霊フィルム』角川文庫、1992より)
2005年09月09日(金)
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