37.2℃の微熱
北端あおい



 斎藤和雄遺作展

夕方、斎藤和雄遺作展を見に行く。
渋谷の古い古いビルの一角にあるギャラリーに、そのひとの絵は展示されていた。

小さな一枚絵に近づいて、目を凝らす。
点描と極細線で創りあげられた、ひとつの世界。
人の気配も欲望も、みじんも漂わせない、その虚構世界の美しさ。
樹木や人物が、いったんこのひとの手にかかると
鉱物さながらの冷たく硬い美の結晶に変容したよう。

大気や波の泡立ちさえ、細胞のようにこまかくこまかく分解されていく。
ふつうなら、線で書かれるものをこのひとは無数の小さい小さい円で描き出すのでした。線で閉じられるはずの世界に対して、この数多の円の中には、それぞれ入れ子構造の世界が内包されているにちがいありません。

それにしても、このひとが描く闇は単調な暗闇ではないのでした。
幾層もの、極細線の重なりから生れてくる深い闇。
一本の線をひいただけでは、闇なんて生れない。
でも、無数の線が集まれば、それはなによりも深く暗い闇になる。
その世界の玄妙と巧緻に身震いします。
その一瞬、床が崩れて、ぽっかりと底なしにあいた深淵を見てしまったような気になります(渋谷のギャラリーの一隅にいるはずなのに! だから、きっとこれは貧血、眩暈、)。

感動しているのに、いまはその言葉すら騒音に聞こえてしまうので、
静謐なものだけ、もって帰る。

帰りにたまたま入った饂飩屋さんはとても美味しくて、
冷え切ったからだが芯からあたたまります。

あたたまって帰ったはずなのに、おうちでまぶたをとじれば、
静かな闇はまだそこに見えるのでした(目をつむっているのに、また眩暈、眩暈)。





2005年11月12日(土)
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