37.2℃の微熱
北端あおい



 ある物語に

◆その3
自分自身の感情をコントロールできなくなってしまう。
自分の感情をコントロールできるのは自分しかいないのに、自分しかいないのに。
そういうときには心からモノでありたい。
中途半端に人間として扱わないでください。
感情回路が既に壊れているのですから。
回路が暴走するのを制禦できないのですから。
ちゃんとできない。
だったら、完璧なモノでありたい。オブジェでありたい。
もちろん飽きたら、うち捨てられるリスクとともに。
それはマゾヒストなのではなくて、最大のそして最低最期の自己防衛(でも、なんのための? 守るほどの自己なんてないのに? 本能なら唾棄しなさい)。

◆その2
まさか気づかないだろう、大丈夫、と思ったのにしっかりわたしのことを見ていた人がいた。
驚きと畏れと喜びと。
やっぱり畏れ。

◆その1
長い間秘密にされていたある物語の出生の秘密を知った。
それが、どのような気持ちで編まれたのか。
本になった「ある物語」は、世界中の人に読まれている。
それを生んだ、もうひとつの物語を知る人はそれよりもずっとずっと少ない。
でもそれは、「ある物語」よりもっと激しく強い情熱と思いに支えられた物語で、むしろそちらのほうを忘れたくないと思ったりするのでした。

「闇の中であなたが愛する人に話しかけるように、書いている。
あまりにも長い間、抑えていた愛の言葉が、ついに溢れ出てきた。
人生で初めて、ためらうことなく、とどまることもなく、
書き続け、書き直し、書き棄てる。
人が息をするように、夢を見るように書き続ける。
車の絶えまない騒音はしだいに弱まり、
ドアの開け閉めする音も聞こえない。
パリは沈黙に包まれる。
夜明けまぢかに、清掃車が来る頃にも、まだ、書いていた。
第一夜は完全に夢遊病者なみに過ごした。
自分自身からもがき逃れるように、あるいは、
ひょっとして自分自身に戻るように」

「ある物語」の作者は自分自身に問いかける。
自らを、その「ある物語」に連れ去るものはなにか、ということを。

「よく耽る夢想、眠りに落ちる直前のゆっくりとした思いが導くのかと。
その中で、もっとも純粋で荒々しい愛が常にもっとも怖ろしい服従を
容認する、というよりは常に要求する。
そして、鎖と鞭という子供じみたイメージが束縛の象徴を強いるために
加えられる。私に分ることはそういったものが恵み深く、そっとわたしを守ってくれるということくらいである」

この「ある物語」は作者にとって生命そのものだったのだ、とジョア(※)は書く。憶測などではなく、「ある物語」の作者にとっても
真実にまちがいないとの確信をこめて。

……例えば、そうしなければ死んでしまうという恐怖。
そうせずにはいられないような衝動。
駆り立てられずにはおれない焦躁。
苦しいのだけれど、そうであらねば自分が自分でなくなってしまう重力。
そういうもので魂がきりきりと悲鳴をあげて轢んでいるのがきこえます。
でも、速度をあげればあげるほど世界は美しい
(そう信じている、信じる、ことにする)。
重たいものほどそのもの自体の重さで、遠くまでいくことができる。
遠心力が働くのです。

重力に耐えきれなくなってばらばらになってしまうその直前、
飛び立ち得た魂が見る世界は如何なるものなのでしょうか。

まだ、わたしはその片鱗すら見ることができない。
ただ、その未知の世界の美しさに憬れて畏れているだけ。

※「」内、すべてジョン・ディ・セイント・ジョア、青木日出夫訳『オリンピア・プレス物語』河出書房新社、2001から引用。

2005年11月30日(水)
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