極端なつぶやき
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2007年07月25日(水) |
同じ土俵に乗るか乗らないか選べる |
会社の昼休み 女将先輩が雑誌を見ていた。 ダイエットのためのエクササイズの頁を開いていた。
万年ダイエッターの先輩 運動が嫌いで、運動せず痩せる方法をいつも試している先輩 私が具合が悪くて、痩せて、体重が40㌔㌘ちょっとになって先輩に相談したら 私の体重を聞いた途端、「それって自慢?!」「もう、それ以上聞きたくない。この話は終わり」と言った先輩
ちょっと人と話したい気分だった私。 先輩に「あ、(ダイエットの)研究してる」と言うと 「研究なんかしてないよ。反応しすぎ。」という先輩からの答え 一瞬、ゲッきつーと思ったけど、軽く「冗談ですよ」と返す。
その後、少し引きずった。 前は、先輩のこういうきつい言葉遣いにかなり傷ついていた。 そして、先輩に自分の言葉遣いがきついということをわかってもらいたいし、変わってほしいと思っていた。 かつ、言葉遣いのきつい先輩を責めていた。(直接的ではないけど、心の中や態度で)
私が先輩を言葉にならない形で責める。 先輩は自分を正当化し、守ろうとする。 先輩は私がナイーブ過ぎる、傷つき易すぎると言う。 私は先輩がきついと、心の中で責める。先輩に対して閉じる。
お互い、相手を責め合って、自分を正当化して、反応しあう。 緊張が高まる。 この悪循環の繰り返しだった。
先輩に対して、言葉がきつい人、プライドが高くて自分の言ったことに反論されると、すぐ興奮する人という印象は変わらない。 でも、先輩という人はそれ以外の面も持っている。 すごく人に気を遣う面。 優しい面。 気が弱い面。 私に話を聞いて欲しい、私と共感し合いたいという面。
前は、先輩の言葉のきつい面、プライドが高い面にばかり注目していた。 先輩と相手を責め、自分を正当化するという悪循環に、はまり込んでいた。 相手に変わって欲しい、変わるべきだと思っていた。
でも、今は違う。 一番言いたいのはこのこと。 私は、人の嫌なところを見るのでなく、良いところを見ましょう、という小学校で習う道徳的な浅いことを言いたいんでない。
私が言いたいのは、相手との緊張関係の責任は、半分は自分にあるってこと。 相手を責めれば、緊張関係が生まれる。 怒るなってことが言いたいんじゃない。 怒りたきゃ怒っていい。 (私にとって、怒りは表現が難しい感情だけど)
先輩との距離は私が選べるってこと。 先輩を責めるのは先輩に近づくこと。 先輩の、プライド高いパターンに乗ること。
それはしない。
「研究なんかしてないよ。反応しすぎ。」って先輩に言われて、確かにいい気はしない、嫌な気分。 でも、先輩と同じ土俵に乗らない。 私は先輩に近づかない。 それは、私が選べる。
向き合うこともできるし、ずらすこともできる。 私はどっちもできる。
緊張関係に身を置くことも選べるし、 距離を置くことも選べる。
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