柊小説

2006年02月28日(火) アカイヌクモリ  ―――Ⅵ-1――

 インターホンの鳴り響く音と共に、来た!と叫びながら、母親はスプリンターのように玄関へ向かった。
 十月七日の晩、まるで自分の同級生と話しているかのように、そのスプリンターは四人へ面会を許可する連絡をしていた。精神状態が気にかかるヒトミには、毎日学校で会っている四人が様子を窺いながら少しずつ僕の状況を話し、最終的には対面させる、というのが母親の狙いだったらしい。また、母親曰く四人は思いのほか冷静で、今すぐ行きます、という様子ではなかったという。その中でもシンジは、
「四ヶ月以上、一目だけでも会いたいと思い続けていながらも実際その時が来るとやっぱり恐いっていうか、不安な気持ちが出てきてしまいます。これは僕だけじゃなくて、みんなが感じていることだと思います。シドは僕らを一緒にいた時の気持ちのまま受け入れてくれるでしょうか?」
そう不安そうに言っていたという。けど、それは僕にもわからないことだった。シンジの言う通り、四人を受け入れることができるのか、四人に会うことで自分はどんな気持ちを抱くのか、見当もつかなかった。低速のメトロノームのように心が揺れ動いている状態の中、僕は微かに、いや、確実にあの一癖も二癖もある連中に何かを期待していた。そして、その〝何か〟という答えが絞り出せないまま、十月八日──再会の日を迎えた。

 リビングと玄関は壁一枚挿んでいただけだったため、話し声はほとんど筒抜けだった。
「久ぶりー、待ってたよ。──あれっ、でも二人?てゆーか、痩せちゃったね」
「……はい」
シンジ──。四ヶ月ぶりに聞くその声は魂が抜けてしまったような、掠れた小さな声だった。シンジといるもう一人はパターンからしてリョーキだろう、と僕は壁の向こうで話しをしている三人の姿を想像しながら聞き耳を立てていた。二人が訪れたのは、一日のうちで一番家の前の道が下校する生徒の話し声や笑い声で賑やかになる十七時過ぎだった。
 二、三分経って戻ってきた母親は自分を急かすように、僕をロッキングチェァから車椅子に乗せて部屋へ移動させた。そして、部屋から出る前、扉に手を当てて首を傾げながら言った。
「今、シンちゃんとリョーキくんが来てる。当然かもしれないけど、二人……全然元気がない。とりあえず呼んでくるから──ね」
 部屋の扉がゆっくりと開いた。扉の正面に座っている僕の目に飛び込んできたのは、入り口を潜るように首を曲げて入ってくるリョーキと、その後ろで俯いたまま口元を押さえているシンジの姿だった。リョーキは相変らず巨大というか、厳つさは健在だった。顔つきは前と変わりはなかったけど、母親の言う通り元気がなさそうだった。そんなリョーキに対してシンジは、目を覆いたくなるほど酷かった。誰よりも生き生きとしていた顔は重病人のように血色が悪く、何かにとりつかれているようだった。また、筋肉質でガッチリしていた体も、以前に比べると小さくなっていた。
 二人はゆっくり歩み寄ってから、同時に僕の顔に目を向けてきた。そして──顔だけではなく、全身が硬直していく二人を僕は見逃さなかった。
 十分以上見つめ合っていただろうか、二人は硬直したまま表情を変えなかった。──というより、変えることも目を逸らすこともできないという感じだった。そんな二人の姿を初めて見る僕も、硬直している気分だった。自分は今、どんな顔をしているのだろう。やっぱり無表情なのか?
そんなことを考えていると、突然シンジが跪くように膝と頭を床につけて大声で泣き出した。その声はリビングにいる母親だけでなく、近所にまで響いていただろう。クールな涙とはほど遠いシンジの涙は何もかも失ってしまったような、どうにもならないといった姿だった。そんな彼の姿を見た瞬間、僕の心は驚きといたたまれない気持ちでいっぱいになった。
〝──シンジ、帰ってくれ……。リョーキも連れて。頼むから……!〟
僕はシンジの涙に耐えることができなかった──。初めて見るシンジの涙。仲間の中で一番感情的なのはシンジ、ということは一目瞭然だったけど、まさかこんなに〝悲〟を露にするとは考えてもいなかった。──僕を想うシンジの嘆き。それは痛いほど伝わってきたけど、その重圧を僕は受け入れようとはしなかった。それは〝生きる〟という道に乗ってしまうこと、そう思ったからだ。泣き続けるシンジを起き上がらせようと、リョーキが肩を持っても激しく体を揺らしてシンジはそれを拒否した。リョーキも無駄だとわかったのか、深い溜息を吐いてからあの〝ちょっとした勉強会〟以来、僕の前で口を開いた。
「……久ぶりだな。何か、サジとヒロトは後で来るって言ってた。それより悪かった、あの日の夜──ドライブ行けなくて。実は婆さんの調子が悪くてな、ずっと入院してたんだ。あの日も帰ってからすぐ病院行って──」
シンジの姿から目を背けたい気持ちとは裏腹に、身内といえどもリョーキに人の身体を気遣う気持ちがあったのか、と意外性を感じずにはいられなかった。

 二人が来て一時間が経とうとしていた。リョーキは何かを喋るわけでもなく、ただ黙って僕を見たり、跪いて尚も泣き続けているシンジの背中を叩いたりしていた。
 それからまたしばらくすると、リョーキは再びシンジを抱え上げ、また来る、と静かに言った。今度はシンジも抵抗しなかった。真っ赤になったクシャクシャの顔を手で押さえて、しゃくり上げながら真上を向いていた。結局この日、シンジは泣き声を上げるだけで僕には一言も話しかけてこなかった。部屋を出る直前、リョーキに凭れるようにしていたシンジは、立ち止まり、ほんの二、三秒、歯を食い縛りながら僕の顔を見ていた──何かを伝えたそうに。僕はリョウコのことだと直感した。気にしなくてはいけないことだったけど、この時の僕はただ、シンジの慟哭する姿を何度も思い返すだけでリョウコのことは頭のどこか隅の方に匿っていた。そんな協力性のない気持ちを悟られてしまったのか、シンジは顔を背けた──。そして、二人が部屋から出て行ったのと同時に僕の中で、泣き続けたシンジを慰めることひとつできない怒りと、仲間という大きな存在がこうなってしまったことで薄れていくような、そんなやるせなさが生まれた。


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柊大地 [MAIL]

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