かたほうだけのパンプス
敦子



 あれから二年東日本大震災

二年前の今日は、金曜日だった。
忘れもしない。

うちの揺れは緩やかで被害はほとんどなかった。
でも揺れは長かったのでニ階の高い所に置いておいた本がぱらぱらと落ちてきた。

そのとき、小林克也のパーソナリティーのファンフラ(ファンキーフライデー)を聞いていた。

当日の被害は何もなかった。テレビのない我が家はラジオが伝える情報がだんだん危機迫るものになっていき、

度々起こる余震に不安になり実家に携帯メールを送信しても届かず。

あせった。しばらくたって母から、娘からパラパラとメールがやって来た。

群馬は、当日被害は少なかった。というよりも我が家はセーフだった。

一部では大停電になり携帯からラジオ番組にメールが投稿されパーソナリティーはリアルな状況を伝えてくれた。

ただ、群馬では当日よりもその後、店頭に並ぶ加工食品が少なく、その後数日たって計画停電があった。

被災地に比べれば幸せなのだろうが、二次被害的なことでそれまでの日常とちがった日々を過ごすことになった。

その後、放射能により農家は被害が拡大してきた。

一年後、友達になった農業を営んでいる人から、生活がたいへんになっていく現実を聞いた。

彼女の家は、主にシイタケなどのきのこ類をJAに納めていた。

だが、きのこ類は放射能の汚染の影響をもろに受けてしまいJAに納めた放射線量で基準値を超えるものに関しては、

返金されることになっていて農業生産者にとって悲惨だと聞かされた。

震災当日、その後数カ月の被災地、被災者の保護が最優先課題。

でも二次的被害、ほんとうの意味の復興支援は深く広がっている。


2013年03月11日(月)
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