Doritoの日記
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2005年04月30日(土)

 友達がどうも最近右寄りになってきているようです。気持ちは分かりますが。
 
 今日は友達の誕生日のサプライズパーチーに行って来ました。色々な人に会って面白かったです。最近やっと「人と会うのが楽しい」と言えるようになって来ました。僕にとっては大きな一歩であります。
 
 その後寮に帰ってきてからその右寄りの友達と日本酒を飲みながらいろいろとりとめのないことについて語ったわけです。夜中の語らいはいつも面白いです。BGMはバンプとブランキーとDerek And Dominosでした。
 
 お別れはBUMP OF CHICKENで“バイバイサンキュー”です。あれから10ヶ月経ちました。


2005年04月29日(金) 真夜中に

 アドレナリンが出まくりです。眠れません。こんな夜はどうすればよいのですか?あなどれないアドレナリンリンです。
 
 荒地に立った千里眼の占い師が「水の死」に気をつけろといいます。彼女の後ろには赤い岩が見えます。もうバーは閉店の時間です。太陽の御者は残酷にも時間を運び、その音が響き渡ります。そして剃刀が彼女の目を切り裂きました。
 
 嗚呼、悲しみは遠く絶望は早いものです。星がひとつ落ちました。そのとき僕達は一体何をすればいいのでしょうか?神様に願いをかけるのでしょうか?
 羊の群れ。黒雲。赤い岩。その上に立っているのは誰でしょうか?
 エリオットはもういません。誰がその世界を詠むのでしょうか?
 
 今夜も酩酊、平和を享受。死の影など微塵も見えぬ。問いが無いのに答えようとする矛盾をひらりとかわし、言葉を羅列しひとときの安心を得る。その繰り返し、繰り返し。
 
 Meaninglessness of life, everywhere. Everything is unreal. Maybe. Maybe not.

 あの時聞いた音楽が頭を離れません。きっとそうです。

 あさきゆめみし、酔ひもせず。寝ずに朝日を見るもをかし。

 
 

 
 


2005年04月26日(火) 胸キュン万歳

 男の人はなぜある人を「可愛い」と思ったり、「可愛くない」と思ったりするのでしょうか?女の人はなぜある人を「かっこいい」と思ったり、「かっこ悪い」と思ったりするのでしょうか?
 
 生物学的に言えばほとんど同じはずなのに、ある人を見ると胸がキュンとしたり、またある人をみても何も感じなかったり。考えてみると妙です。なんで異性に対して平等な感覚を得られないのでしょうか?

 胸キュンが激しく感じられると、それは恋になります。それは本能的なものなのでしょうか?よりよい子孫を残すためにDNAに組み込まれたものなのでしょうか?

 ひとの好みというのは本当に様々です。言い方は悪いですが、供給があれば需要があると言った風です。
 
 やっぱり胸キュンは運命みたいなもんなんですかね。誰に胸キュンするかは運命みたいなもんなんですかね。胸キュンしまくってもいいんですかね。最後に胸キュンする一人は誰なんですかね。この世にいるんですかね。みんなその人が現れるのを待ってるんですかね。

 別にドーデもいいことです。でもたまに人はドーデもいいことを考えるのものです。

 


2005年04月25日(月) ハウルを斬る

 たった今『ハウルの動く城』を見た。宮崎ワールドはまだまだ深化を続けている。
 この映画のテーマはまず「愛」だろう。宮崎アニメの中でキスシーンがあるのは『もののけ姫』の干し肉の口移しを除いて、(それがキス)と呼べるかどうかは疑問だが)『ハウル』だけである。宮崎アニメでのキスは新鮮だった。愛を叫んで戦争をやめさせるというのは、現代社会に象徴的な意味を投げかけていると言える。
 宮崎アニメを解釈するときに問題となるのがその舞台がどこであるかと言うことである。『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』、『魔女の宅急便』、はどこが舞台であるかは具体的に言うことができない。西洋を基調として、空想がいろどりを添えているのである。『ハウル』の舞台もその例に漏れず、様々な要素が混在しながらそれでいて統一感があり、どこか懐かしさすら感じさせるまさに宮崎ワールドである。
 最近の宮崎アニメの傾向として、「ドロドロ」というのがあると思う。『もののけ姫』のタタリ神やデイダラボッチ、『千と千尋』のオクサレサマやカオナシなど、「ドロドロ」したものが頻出している。『ハウル』でもハウルの髪の毛の色が変わったときのハウルが「ドロドロ」した何かを分泌したり、マダムサリバンの「ドロドロ」した手下どもなど、「ドロドロ」のイメージが随所にみられる。一体この「ドロドロ」は何を意味するのだろうか?ひとつの解釈として、人間の醜い部分を象徴しているのではないだろうか?「ドロドロ」はマイナスのイメージとして使われている。『ハウル』でもそうである。
 もうひとつ気づいたのは、全体として絵の質感が柔らかくなってきているということである。例えば『千と千尋』以来、涙の描写がコミカルになった。千尋がおにぎりをほおばる場面ではまるでぷよぷよのスライムのように大粒の涙が描かれる。『ハウル』でもソフィーが泣くときに同じ千尋とおなじような涙を流す。またキャラクターで言えば『千と千尋』の魔女や、『ハウル』での荒地に住む魔女など、ぶよぶよした印象を与えるキャラクターが増えてきた。『千と千尋』より以前の作品にはこういった極端にディフォルメされたキャラクターはいなかったように思う。
 『ハウル』はとてもファンタジー性が強い。『ナウシカ』や『ラピュタ』の系譜を引いている。しかし『ハウル』は以前のファンタジー作品に比べて密度が凄く高い。ストーリーも複雑で、分かりにくい。簡単な紋切り型の解釈を与えないのである。『ハウル』アニメと言うよりも現代映像芸術と言ったほうが正確かもしれない。作品の解釈は大きく観客にゆだねられている。この映画に限って言えば、物語の背後にある意味を捉えようとするのは、むしろ間違っているのかもしれない。「そのもの」として見るのがいいのである。
 しかし『ハウル』は、他の宮崎アニメがそうであるように、間違いなく心を浄化させるような作用を持っている。描かれている世界が何の障害も受けず、素直に胸に入ってくるのである。そして郷愁ともいえる感覚に支配されるのである。
 
 とにかく、えがったってことです。主人公の声優がキムタクと聞いていたので、「えー」と思ってましたが、全然良かったです。芝居をするときのしゃべり方とは全く違い、ハウルのキャラに合ってました。ひとつだけ疑問に思ったのは、ソフィーの呪いはいつ解けたのかということです。あと最初のソフィーおばあちゃんはかなり醜く書かれているけど、だんだん若返っていくと言うか、場面によって違うというか・・・まあでもアニメはリアリズムじゃないから、細かいことヌキにして本当に良いものを見せてもらいました。ほんとジブリ大好きっす。日本の宝ですわ。ほんといいわー。『ハウル』は結構1、2位を争うくらい好きかも。

 お別れの曲はスマップで「ライオンハート」です。もうキムタク万歳です。 

 
  


2005年04月24日(日) 迷い込んじゃった

 Lost in Translationを見ました(2回目)。この映画は外国人が東京にきて感じる孤独感とかを描いているので、日本人が見てもこの映画を外国の人が見るようには感じづらいかもしれませんが、日本人ならではの見方というのも出来ると思います。外国人が日本をこういう風に見てるんだなっていうのが少し分かります。
 内容は決してエキサイティングとは言えませんが、個人的に映画の雰囲気が好きです。全体としてぼんやりしてて密度が薄くてオシャレな感じです。なんといっても音楽が雰囲気つくりに重要な役割を果たしていると思います。My Bloody ValentineとかJesus Mary Chainsとかぼやけた爆音の感じが都会の孤独感を感じさせます。この辺のいわゆるシューゲイザーサウンドは東京のイメージにあっていると思いました。これは選曲勝ちですな。最後のエンディングテーマが日本の曲っていうのもまたニクイですわ。
 見所はストッキングの売春婦です。藤井隆とかも出てきます。見た後なぜかちょっと日本が恋しくなりました。

 じゃあお別れは映画の中からJesus and Mary Chainsの"Just Like Honey"で。
 
 


2005年04月23日(土) 日本チャチャチャ

 今日小泉総理が正式に中国に謝罪したようです。最近歴史の教科書問題などで日中の関係が悪化しているのは悲しいことです。
 確かに日本は悪いことをしました。歴史の当事者達にとっては許されることではないと思います。しかし中国の今の世代の人々にはもう少し寛容になって欲しいものです。ほんの5、6歳くらいの子供がデモで警官隊に罵声を浴びせている写真を見ました。多分あの子は一生日本嫌いとして育っていくのでしょう。
 日本は「臭いものにはフタ」的なところがあるので、確かに中国の人々が怒るのも分かります。また歴史には色々な解釈があるので「これが唯一の真実だ」というものはありません。しかし重要なのは過去よりも今だと思います。デモなどで反日感情を煽っても何の解決にもなりません。
 歴史には過ちがたくさんあります。しかしそれは個人レベルの話ではなくて、国レベルでの話です。どの国にも過ちはあると思います。中国がチベットにしたことを反日デモに参加している人々はどう思っているのでしょうか?基本的に世界は間違ったことの上に成り立っているのです。正しいことなんてありません。
 だからデモとか本当にやめて欲しいです。しかも実際にそれを経験していない人がデモをするのは的外れです。歴史を直視するので、やめてください。小泉総理が中国に謝罪したのは大きな意味があると思います。僕は賛成です。中国との対立をこれ以上深くするのは賢明ではありません。中国の人たちがこの謝罪をしっかりと受け入れてくれて欲しいと思います。
 あとはこの日中問題の大きな原因となっている教科書検定制度を廃止すればいいと思います。このせいで教科書の記述が日本というクニの責任になるわけですから。教科書検定制度が無ければ、中国は日本というクニを攻めることが出来なくなるでしょう。

 と言うことで、今日の一曲は「君が代」です。
 
 


2005年04月22日(金) パソコン

 ホワイティ(愛用のパソコン)の調子がおかしい。すぐフリーズするので強制終了を何回もしてしまった。強制終了する度にハードディスクが「キュン」と悲しげな音を立てる。ごめんよ。でもしょうがないんだよ。ウイルスチェックはもちろん、システムの復元とか、ハードディスクの最適化とかいろいろ手を尽くしたが、一向によくならないホワイティ。早く元気になって欲しい。


2005年04月21日(木) 帰郷

 旅から帰ってきた。疲れたよ。旅日記を少しずつ書いていこうと思います。


2005年04月12日(火) オーストラリア膝栗毛②-ホバート1日目

 ホバートでの一日目。思ったほど寒くない。バックパッカーズに昨日の夜ちぃっくインしたときに会ったカナダ人のおばあちゃんが別なバックパッカーズに移るということで、見送った。昨日の夜取り留めの無いことを結構話した。それだけなのに、名刺までくれた。写真を取って別れた。旅が始まって以来初めてまともに話をした人だった。ありがとう、お元気で。
 その後昨日会った日本人の男の人とホバートの街を見て回ることにした。ホバートの街は小さく、ちょっと地元の町を思い出させた。マーケットの町並みがとても気に入った。日本人観光客らしく、たくさん写真を撮った。
 昼食はお金を節約するためにバックパッカーズで作って食べることにした。材料を二人で折半して、カルボナーラを作った。来る前に寮の先輩から教わった作り方をちょっとアレンジしてみたら、あら、以外にいけるじゃない。チューナを入れてみたのだが、うまかった。
 その後また二人で街に繰り出してぶらぶらし、夕食はまたバックパッカーで肉を焼いた。これまた美味かった。
 彼は食に関して少し変わっていた。こだわりがまったくないのだ。彼はとりあえず栄養さえ取れれば何でもいいと言っていた。ステーキなどの普通の食事よりティムタムが好きだといっていた。そして夜にはサプリメントを食っていた。その割には調味料を持ち歩いて旅行していた。昨日チェックインするときに緑の大きい袋を持っていて、その中には醤油やらみりんやら、果てにはカレー粉まで入っていた。彼は夜に「いつもの習慣」といって頭皮をマッサージしていた。面白いひとだ・・・
 ところでこのバックパッカー、日本人多し。80パーセントは日本人だ。まるでボーイスカウトとかで初めて会った人と合宿に来た見たいな感じだった。
 そんななかで一人、タスマニア出身の青年がいた。話してみると彼はアデレードの大学に行っているらしく、今は休暇中で旅行していると言うことだった。彼は数学を勉強していて、なにやら難解な本を読んでいた。何についての本かとたずねたら、どうやら幾何学の本らしかった。彼はまるで子供のような目をしながら「メビウスの輪」について説明してくれた。それ以外にもなにやら幾何学の話をしてくれたが、細かい内容は忘れてしまった。でも興味深かった。時計を見るともう1時だったので、彼は寝室に帰って行った。彼は明日早くに発つらしい。多分もう会わないだろう。達者で、と彼の後姿につぶやいた。
 とりあえず今日はそんなこんなで終わった。明日は車を借りてちょっと遠出する予定だ。


2005年04月11日(月) オーストラリア膝栗毛①

 4月10日、6時のバスに乗るために朝5時半に起床、キッチンに行くと見知らぬ女性が一人朝食をとっていた。奮発して卵を二つ落とした即席ラーメンをそそくさとすすりあげると、僕は向こうのテーブルに座っていたその女性に心の中で「行てきまぁーす」とタラちゃん風につぶやきバスターミナルに向かった。孤独な出発であった。
 一人旅というのは初めてだった。とりあえず飛行機のチケットを予約している以外は全く計画を立てていなかった。本当に行き当たりばったりで行きたかった。そして出来るだけ安くあげたかった。
 最初の街はシドニーである。シドニーに1日滞在し、その後タスマニアに向かう予定だった。シドニーには何回か来たことがあったので、特にこれが見たいというのは無かった。とりあえず日本語の本が欲しかったのでキノクニヤを探すことにした。以前来たときにでかい看板を街中で見た覚えがあったので、すぐ見つかるだろうと思ったらなかなか見つからない。なので日本人らしい人に声をかけて聞いてみることにした。目の前からアジア人っぽい女の人が歩いてきたので、早速「エクスキューズミー」と聞いてみると、ものの見事に無視された。そのとき僕は死神のサングラスのようなサングラス(拾い物)をしていたので怪しい人に見られたのだろう。その悲しみにもめげず僕はサングラスをはずして信号待ちをしている女の人に声をかけた。日本人だった。今度はきちんと答えてくれた。でも結局彼女もキノクニヤの場所を知らなかった。あとから分かったことだが、結局キノクニヤはその人に尋ねた交差点に隣接したビルの2階にあった。つまりキノクニヤの目の前でキノクニヤがどこにあるかを聞いていたわけである。
 どうにかキノクニヤにたどり着くとすぐに探していた文庫本を見つけた。日本で買う定価の約2倍だったが、どうしても読みたかったので買うことにした。2時間くらい『死の壁』を丸々立ち読みし、文庫本とペーパーバックを一冊買って外に出た。そのせいで死について少し考えてみたりもした。一人でいるといろんなことを考える。でも何か考えているようで実は何も考えていなかったりする。
 その後公園に行って買った本を読んだ。それからキングスクロスまで歩いて本を読み、オペラハウスの近くに行って本を読み、というのを繰り返した。歩いていると夕方突如街中にプールを見つけた。歩く以外に何もすることが無かったし、暑かったので入ることにした。プールはとりあえずレーンがいくつもあって、マグロみたいにひたすら泳いでいる人がいっぱいいた。僕は一番遅いレーンでコンタクトをしているため水上に顔を出して限りなく犬かきに近い平泳ぎをしていた。どちらかというと本格派スイマーが多かったのでちょっと萎えた。
 プールを出ると相当疲れてしまっていた。噴水がある公園のベンチで水着を乾かしつつ座っていると、いつの間にか寝てしまった。するとおじさんが近寄って来て「あっちの教会で食べものを配給しているよ。」と教えてくれた。そう、僕はホームレスだと思われたのだった。
 キリスト教でもないのに教会のお恵みはうけられねえと思い、しょうがなくまた歩き出した。腹が減ったので、寮の先輩に聞いていたラーメン屋「コンドル」に行くことにした。先輩は「まあまあだった」といっていたが、本当にまあまあだった。醤油ラーメンを頼んだのだが、値段の割にパンチがなかった。もちろんスープの最後の一滴まで完食はした。
 その夜人生初めての野宿に挑戦した。セントラル駅の大きな公園のベンチで、眼鏡をかけたまま寝袋に入って寝た。寒くは無かった。たまに歩行者の視線が気になった。もう僕は本当のホームレスだった。
 結論、シドニーは一人だとあまり面白くない。今日は誰とも出会わずホームレスな気分だった。

 4月11日、朝起きると空に飛行機雲が見えた。タスマニア行きの飛行機が夜8時だったのでそれまですることが無かった。とりあえずマンリービーチに行こうと思い、サーキュラーキーからフェリーに乗った。片道12ドルはちょっと高いと思う。
 マンリービーチで3時間くらい昼寝をした。前日の野宿のせいで疲れていた。日本の友達の夢を見た。ちょっと日本が恋しくなった。
 その後夕方くらいにシドニーの中心街に戻り、ずっとぶらぶらしていた。現代美術館はケッコー面白かった。考えてみるとマンリーで昼寝をするためだけに往復24ドルも使ったことを激しく後悔した。
 飛行機の時間が近づいたので空港へと向かい、タスマニアに向けて飛んだのだった。


2005年04月10日(日) 明日出発

 前々から気になっていたタイ映画の"Ong Bak"(だっけ?)を見た。仏像の頭を盗まれることから物語が始まるんですが、主人公のアクションは相当凄かった。スタントなし、ワイヤーなしであそこまで・・・足がしなったゴムみたいに上がるし、飛んじゃうし敵の足折っちゃうし、肘で頭のてっぺんを思いっきり打ち落とすし、びっくりでした。一緒にみたイギリス出身のナイスガイは興奮しっぱなしでした。イギリス人はああいう一般的に格闘技系が嫌いなのかなーと思ってたけど、やっぱり好きな人は好きみたいです。個人的には三輪タクシーでのカーチェイスのシーンが好きでした。
 明日とうとう一人旅に出発します。ドキドキです。家に帰るまでが遠足です。帰ってきたらまた日記を更新します。


2005年04月09日(土) タイとポープとサイレント映画

 午後七時半に急に電話があり、出るなりいきなり先輩(日本人)「飯に行くぞ」と言われたので「はい」と答え、夕飯を食べに行くことになりました。
 男6人(日本人4人、イギリス人1人、イタリア人1人)タイレストランに行き、僕はダックの肉が入ったラーメンらしきものを注文しました。そしたら麺が太いよ。太いのなんのって、幅4センチくらいありました。それまで僕の頭にあった麺という概念を打ち砕かれてしまいました。といっても実際はそんなに驚きませんでした。「へえ~」って言うくらいでした。
 その後MOUSE HEADというクラブに行きました。ダンスムジークが大音量で流れる中、そこにはでっかいスクリーンが二つあって、ひとつではモーターバイクのアクロバットのビデオを、もうひとつではポープの葬儀の様子を映していました。クラブにポープはないだろ、と突っ込みたくなるのを我慢してポープに追悼の意を表して腰を使ってアクロバチックに踊ってやったさ。
 疲れたので椅子に座っているとポープとアクロバットが終わって、二つのスクリーンは二つの違った映画を映し出しました。ひとつはBent it Like Beckhamとかいうサッカー少女の映画で、もうひとつはどうやら音楽をやっている女性の映画らしいようでした。もちろん音声は鳴っている音楽にかき消されて聞こえません。しばらく見ていたのですが、画像だけからストーリーをつかむのは無理でした。サイレント映画の時代は画像だけからストーリーを判断しなければならないから、役者は本当に言葉以外の演技を求められたんだろうなーとか考えてみていました。でも僕にとって音声なしの映画はまるでご飯のない焼肉でした。

 まあそんなこんなでまた一日が過ぎた・・・早いよほんと。

 お別れはLed Zeppelinで"Bron-Yr-Aur"です。


2005年04月08日(金) さぼりまくって胸キュン

 今日は案の定朝10時半に起きて授業をさぼることから一日が始まった。午後2時からの授業に出て、その後3時からもう2つ授業があったのだが、それもさぼって街に行くことにしたのさ。と言うのも、今週の日曜日から10日ほど旅に出るので、それに必要なものを買いに行ったのでした。
 ということでバックパックと洗剤、その他小物を少々買い、家に戻る途中に洗剤を落として自転車で轢いてしまうというハプニングに見舞われながらもなんとか家に帰ってきました。洗剤の箱は悲しそうにつぶれてしまっていました。
 また旅行に出ると日記の更新が滞ってしまうけれども、別に誰も読んでないと思うからいいでしょう。そのうち帰ってきたら旅行の様子とかも書くかもしれません。
 夜に『耳をすませば』をみて、キュンとした。
 その後いろいろな友達と3時間くらい話して、終わりの無い混沌に迷い込んだ。最近人と話すのが楽しい。いいことだともいます。でもそんなこんなで今日も今5時18分ですわ。俺大丈夫かな。明日は最後の授業とちゅーとリアルがあるので気を引き締めていこうと思う。

今日は本名陽子さんの"カントリー・ロード"でお別れですぞ。


2005年04月07日(木) The Dish

 今日は考えてみるといろいろあった日だった。まずショー後にフランス語のテストがあり、一緒にテストを受けた音楽友達にブルースのCDを借り、部屋で一人"Police Story"を中国語字幕で少し見た後、前々からメールで頼まれていた言語学のアンケートがあったのを思い出して自慢のチャリンコでべーぺーべーに行き、分厚い質問の冊子に答え、ベーアンドジェーに帰ってきて日本語を勉強しているイギリス出身のナイスガイとキッチンでいつものようにテーを楽しみ、昨日の残りのカレーをうどんと一緒に食べ、その後部屋に戻って借りたブルースのCDを聞いていると電話にメッセージが届いていることに気づいたので聞いてみると、オージーの友達が日本語のプレゼンテーションのスクリプトを見てくれということだったのでそれを添削し、腹がへったのでまたカレーを食べ、ビールを一杯飲み、今日アマゾンから届いたC言語の本を読み、休日の旅行のためのバスと飛行機のチケットを予約して、それをプリントアウトしにいったら日本人の友達にあってだべり、その後また小腹が空いたのでカレーを食べ、部屋に戻ってきたら午前2時だった。。。
 そしてさらに最近眠れない僕は一日の締めくくりとしてまた映画を見たのでした。ところで最近映画を100本見ようというアホらしい目標を立てていて、只今53本、着々と本数を重ねております。一日3本見たりしてます。さて、今日の映画は"The Dish"で決まりです。
 タイトルからして料理人の話か?とか思いましたが、全然違いました。アポロ11号の話です。1969年7月21日、人類が始めて月に着陸しました。その映像は人類の科学発展の金字塔として今も人々の心に残っているのではないか、と僕は思います。まあリアルタイムで経験していないので分かりませんが。。
 その映像を受信したのが、なんとここオーストラリアにある巨大パラボラアンテナ、通称"The Dish"だということです。事実に基づいてはいるようですが、多少事実とは違ったところはあるとは思います。しかしこの映画はえがったよ。キャラクターがみんなアミブルなんだもの。実際の着陸の映像とか見たときは思わず泣いてしまうくらい心を動かす何かがありました。それは一体なんだったのか、いまだに分かりません。とにかく感動しました。映像の中にも着陸シーンを目の当たりにして涙ぐむ人々の姿がありました。
 多分その瞬間は、人類全て、といってはいいすぎですが、世界中の人が人間の英知についての喜びを享受していたのだと思います。そのときは確かに世界が一つになったのではないかと思います。実際それでアメリカの自負心に火をつけたことには間違いないですが。
 うーん、アメリカ。やっぱり結局アメリカか。

 しかし、僕が言いたいのは、こういう人類全てが一つになれる瞬間ってなかなかないんじゃないでしょうか、ということです?科学が人類をひとつにした例といえると思います。しかし科学はマイナスの面も含んでいます。科学発展のせいで核兵器ができたわけですから。
 僕の意見では、世界がuniteするためには音楽か、スポーツくらいしかないと思います。大きく言えば芸術です。芸術は世界を平和にする唯一の手段だと思います。

 話があらぬ方向に行ってしまいましたが、結局僕が言いたいのは、"The Dish"にでてた娘がとてもキャわいかったということです。その娘を口下手な青年の金曜の夜にどこかに行こうという誘いを受け入れるシーンは、かなりやられました。

 現在午前5時17分。こんな生活を続けていて大丈夫だろうか。。。今日の一曲は借りたCDの中から、Tuck&Patiで"Time After Time"です。おやすみなさい。

 


2005年04月06日(水) 復活

 書いては消し、書いては消しを3回ほど繰り返していましたが、4度目の正直と言うことでもう一回日記を書いてみようと急に思い立ったのは、現在午前5時22分です。最近眠れないんです。そして明日(今日)はフランス語のテストがあります。

 日記を続けるって言うのは、本当に大変です。毎日つけている人は、本当に凄いと思います。僕はたまに「書きてー」という欲求がドクドク出てきて張り切って書くのですが、それは3日くらいで消えてしまいます。多分何も無いところから無理やり引っ張り出そうとヒーコラしていたから続かなかったんだとおもいます。「凄いことを書いてやるぜベイベー」とか思っていたのが間違いだったのです。これからはもうちょっと力を抜いて、素の自分を書こうと思います。
 
 くどいですが、僕は日記を毎日つけている人を心から凄いとおもいます。そうなりたいと必死だったのですが、如何せんなれませんでした。
  
 最近やっと過去の暗闇から抜け出たので、今回は続いて欲しいと思っています。暗闇のなかにいると本当に何もやる気が起きないもんですからね。このごろいろんな意味でやる気がムンムン出てきたんです。でもどうかなー。続くかなー。乞うご期待。

 日記再開の一曲はLa Marseillaiseにしておきましょう。


Dorito

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