やまねこの日記
週末食べ物日記

2005年06月28日(火)

日記がたまってしまった。
もはやナンだかわからなくなってきたけれど、思い出して書こうっと。

今日の晩御飯
トリ胸肉ロースト
インゲンお浸し
胡瓜と青紫蘇の和え物
冷奴+茄子味噌で田楽風

今日のお弁当
焼肉(ご飯にのせる)
カレービーフン(インスタント。アジア何とかという)
ころころポテト
ミニトマト(いつもだ。)
インゲン(これもだ。)

明日のお弁当
照り焼きハンバーグ(シイタケも一緒に照り焼きにする。)
結び白滝と紫蘇入り竹輪の煮物
ミニトマト+インゲン(ほーら、やっぱり。)
ご飯にはシバ漬け
(息子はシバ漬け大好き男である。)

仕事の帰り雷雨にあう。
買い物をしていたらスーパーの中で停電。
POSが使えなくなり行列に並んでいたら、母から携帯に電話。
雷であぶないから、もう少しスーパーにいるようにという。
いつまでも過保護な親である。
私は鉄の女なのに。(鉄は金属だから雷はマズイかも)

どうにかお金を払い外に出たら、
これがまた「バケツをひっくりかえした」というような雨。
傘といえば日傘しかなく、もったいないがえいっとさす。
今日に限って長いスカートをはいている。
歩いているうちに、水を吸った生地が重くなりかつ足に絡まる。
時々ピシッと光る。
そのときだけ周りが良く見えるが
それ以外は閉じ込められてような雨で周りが見えない。
地面に雨がたたきつけられて、跳ね返っている。
なんだかおかしくなって笑ってしまう。
こんな時に豆腐やかまぼこなんか持って一人で歩いているのって
すごくマヌケである。

ご飯を食べて外に出たら雨があがっていた。
歩きに行く。
電車のダイヤが混乱しているみたいなのでちょっと遠くまで
車で夫を迎えにいく。





2005年06月26日(日)

(6/28に書く。これまた忘れている。)

夫でかける。
お弁当疲れて作れず。
ごめんにゃ、である。

朝ごはんは思い出せない。

夫がいないのでシーツやらふとんカバーやらを洗濯する。
その後一人で菜園へ。
(父を誘ったら今日は吐き気なので、無理とのこと)
もう収穫は終わりで今日は、雑草を抜く。
だんだんこつがわかって、根っこからきっちり抜けると大変気分がいい。
2時間近く作業をしてかえる。
今日も大汗。
シャワーをあびて病院におむつを買いにいく。
パンツタイプではなく、開けるタイプもあったほうがよさそうなので。
父は大変やせているのでSサイズじゃないとだめで
これが病院(大学病院の方)にしか売っていないのである

お昼は冷やし中華。

一雨ほしいところなので昼寝をしないでみる。
ダメ押しで勉強もしてレポートを提出する。
(ネットで出せるのである。)
でも雨降らず。
雨どころか、大嵐になったっていいくらいだ。

夕方父の吐き気がおさまったので
息子父の散発をする。
その後母を手伝って父のシャワー。

晩御飯
じゃがいもきんぴらしか思い出せない。
メインおかずはなんだったんだろう?
あ、思い出した、鯖の塩焼きである。
後は不明。

夫「あーおもしろかった。」と9時半過ぎ帰宅。
ちょびっとビールも飲んできた(本当にちょびっとかは不明)らしいが
ゆっくり晩御飯を食べて、私は話を聞いて笑ったりしていた。



2005年06月25日(土)

(6/28に書く。よく覚えていない・・)

朝ごはん
梅ジャム入り蒸しパン
トマト(かな?)
後わからず。
多分ヨーグルトとか牛乳で何か。

朝ごはんの後母と梅を拾いに行く。
シメシメ大収穫である。

一旦家に帰り、父に痛み止めを飲ませ、父母私で菜園に行く。
ジャガイモ、タマネギ収穫。
またまた大収穫である。
父喜ぶ。
一緒に掘りたかったという。(父は見ているだけ)
母と私は車椅子の操縦(押したり引っ張ったり)が上手になった。

大汗をかいたので父のシャワーの手伝い。
車掃除。(泥だらけだ)
自分もシャワーを浴びて何か食べて(忘れた)夫と森へ行く。
今日見つけたもの。
ヒロジクキモジホコリ、
アカエノシロサカズキホコリ、
ガマグチホコリ
シロウツボホコリ

夫お勧めの広葉樹の落ち葉でみつけた。
ここはドクツルタケ場である。(よく出るんだ。)
あとスッポンタケ場にもいってみたがもう疲れて
(3時間もしゃがんだり、立ったり、しゃがんだまま前進したり)
そして見つかるのは同じ種類のものばかりだし、
(ガマグチホコリは私は初めて見つけたので最初は大喜びだったが
 すぐにそこいらで見つかるので、だんだんどうでもよくなった。)
かかんで探すのがいやになり、
その辺にすわって落ち葉の下から時々出てくる大きなミミズを見ていた。
ミミズって進んでいく方が頭なんだろうか。

帰りに薬屋さん(父のおむつを買う、パンツタイプ)と
病院(大学病院。
高エネルギー加速器研究所、じゃない、高エネルギー飲み物買うため)
晩御飯の買い物。

晩御飯
お刺身
じゃがバター(醤油味。父と息子喜ぶ)
冷やしトマト(定番)
あとは忘れてしまった・・

夜録画しておいた映画でタイトルは忘れたが
オーストラリアの巨大アンテナでアポロ11号の映像を受信する
んだけど、なんだか大変みたいなのを見る。
はずだったが、眠くてなんだかわからないうちにベッドにいた。



2005年06月19日(日)

朝ご飯
カレー入りナン(生協の)
アイスココア
冷やしトマト
胡瓜とシーチキンの和え物

お天気がまあまあなので菜園へ行く。
父、母、息子、私。
タマネギ収穫(息子)、ジャガイモ収穫(私)、梅拾い(母)。
車椅子でいった父は現場監督である。
ジャガイモを掘るのは楽しい。
ざくっとスコップを入れると、黒い土から白いジャガイモが出てくる。
手で土をどけていくと、さらに手にジャガイモが当たる。
掘っても掘っても出てくるのである。
だいたい一株から6~8個収穫できた。

菜園仲間のMさんが来ていたのでタマネギとジャガイモあげる。
(菜園の大家さんのところへは後から母が持っていって父の状態を話してきた。)

タマネギ半分、ジャガイモ3分の1を掘って帰る。
帰ってきてから、送る分、近所の方に上げる分と母裁量する。
私はシャワーを浴びて出かける準備だ。

父が庭にいたのでお向かいのHさんご夫婦遊びに来てくれた。
Hさんご夫婦と父母で庭でふかしたジャガイモを食べて
病気(とその付き添い)の話しをして笑っているのを聞きながら外出。

友達に会い、ランチ。
買い物をして夕方帰宅。

晩御飯
お刺身(マグロ、スズキ)
ジャガイモを蒸かし、バター醤油
チンゲンサイとキクラゲのあんかけ
胡瓜と紫蘇の和え物

夫は今日も午後から森へ行き、粘菌大収穫だった。
今日のは、葉に子実体がついているタイプである。
夕方ルーペを使って息子と分類していた。
ガマグチホコリやサカズキホコリが採れたらしい。
うらやましいなー。

今日は父の車の乗り降りで息子が大変活躍してくれた。
父は嬉しそうにしていた。



2005年06月18日(土)

朝ごはん
蒸しケーキ
冷やしトマト
胡瓜と紫蘇の和え物
アイスココア
(私は納豆ご飯。うまし)

雨なので菜園は休み。
歩いて買い物に行く。
林が見える裏道を通っていく。
細い銀の糸のような雨。
大好きなタイサンボクの花ももう終わりだ。

父が快調なのでゆったりした気分になる。
感謝である。
たとえば明日父が急に具合悪くなったとしても
今日のようなこんな穏やかな日があったのだからと
納得できそうなくらいである。

お昼過ぎ夫一人で森に行き、ジクホコリを大量に採集してきた。
顕微鏡(実体)で見てみる。
わずかに虹色の光沢が見える。

晩御飯
骨お肉
タマネギ(お向かいのHさんからいただいた。上出来である。)と
紫蘇(庭の)の昆布茶和え
冷やしトマト
ジャガイモキンピラ
胡瓜と紫蘇のナムル風和え物

夜「バラの名前」見る。
アリストテレスのお笑い本には毒が塗ってありました。
というお話しであった。
ショーン・コネリー、またしても賢くてかっこいい役であった。
中世の僧院ってあんなふうだったのだろうか。



2005年06月17日(金)

夜息子と「メン イン ブラック(2)」を見て
大笑いしていたらネズチュウが部屋の隅を横切っていった。
まだいたんだー。
しかしねずみがちょろちょろ歩くのって
なんであんなにおかしいんだろう?

「メンインブラック(2)」は2度目。
よくこんなこと考えたね。
続きも作ってほしいな。



2005年06月16日(木)

今日の午後父退院。

昨日の打ち合わせで、退院いつごろにしましょうか、ということになり
ダメモトで「明日はいかがでしょう?」といってみた。
痛みと吐き気のコントロールはだいたいうまくいってるようだし、
来週の火曜日から週一で(だいたい3回を目安に)
主治医殿と地元の病院の在宅診療の先生が
そろって父の様子を見にきてくれること話しがまとまったし、
ではそれでいってみますか、となり、帰れることになったのだ。
よかったなー。
打ち合わせが終わったらバスも終わってしまい
(珍しく早く帰っていた)夫に迎えにきてもらった。
病院の車寄せのところで待っている間、梅雨空を見ていた。
明日父が帰れると思うと、こんな空でも古い友達と一緒にいるような、
なんだかなつかしいような、
もう大丈夫だよと言ってもらったような気持ちになる。

今日は仕事を午前中で切り上げ父を迎えに行った。
母午前中に地元の病院のケアマネさんのところにポータブルトイレの相談に行く。
心配なのはトイレだったので。

病院で主治医殿と話す。
じゃあ火曜日に。

担当の看護婦さん、薬の組み合わせのサンプル作ってくれる。
(すごくたくさん飲まないといけないので、ワケワカラン状態である。)
いろいろな看護婦さん、あいさつに来てくれる。
寂しくなってしまうけど、また来てくださいとも言えないし、と大笑い。
車のところまで、担当の看護婦さん、主任看護婦さん、実習の看護婦さん
その先生の看護婦さん送りにきてくれた。

家に帰って、父は「家はいいなあ」という。
庭の胡瓜を見て喜ぶ。
母と私も嬉しい。
そして父はちゃんと歩いて(シルバーカーを使って)トイレに行けた。
ポータブルトイレは明日くるけど当分使わなくて済むかな。

晩御飯
餅入り茶碗蒸し
鱈と肉団子の鍋
ニガウリの炒め物
大豆、ひじき、白滝の煮物
(父はおかゆと鱈だけ食べた。)

食べながら、看護婦さん達のことを話す。
本当によくしてもらった、頭が下がる思いだったと父言う。
母も私もそうだとつくづく思っていた。
前の入院の看護婦さんもだけど、今度の看護婦さん達の事も
私はきっと忘れないだろうなあと思う。



2005年06月14日(火)

朝久しぶりにお弁当を作る。
息子の中間試験の前まではたのし~♪
と喜んで作っていたのだが(ほんと?)
中間試験->修学旅行 あと父入院などあり
お金で解決する日々だったのである。

今日のお弁当
ソースイカフライ(イカフライをあげてソースにつけてご飯に乗せる)
インゲン塩茹で
ミニトマト
書いていて恥ずかしい。
すごい手抜き。

こんなお弁当でも息子は喜び(でもお弁当箱を忘れてくる)
作った私もたのしかった(みたいだ。)

夜歩きに行き材料を仕入れてくる。
歩きに行くものいつぶりだろう。
空気が湿っていて重いみたいだ。
梅雨時はアジサイを見たり、
いろいろな緑の組み合わせを見たり(木の葉の色は様々だ。)
湿り気を楽しむようにしたいものだと思う。

明日のお弁当(予定)
焼きさばのまぜ寿司
(塩さばを焼いて大きくほぐし、寿司飯にまぜる。
 微塵切りのしょうがと青紫蘇とごまも一緒にまぜる。)
結び白滝とエダマメかまぼこの煮物
ころころポテト
ブロッコリ(産直)
ミニトマト

あさってのお弁当(予定)
牛丼(しゃぶしゃぶ用の赤身肉とタマネギ)
エリンギとベーコンの炒め物
ブロッコリ
ミニトマト
あともうひとつくらい野菜のおかずがほしいかな。
胡瓜と紫蘇の和え物なんかどうだろうか。
(明日は病院で痛み取りプロジェクトの打ち合わせがあり
 帰宅が遅くなるかもなのであさっての分まで今日のうちに算段しといた。)

仕事をしていると頭痛はしないし、
3時間しか寝ていないほうが体調がいいようだ。
週末は寝すぎているんだろうか。
でも昼寝大好きだし。
週末は頭痛くなってもいいから寝るほうを選ぼう!(ばかだなあ)

忍玉乱太郎の37巻来る。
大笑いした後息子に読ませる。
息子も大笑いだ。
今回滝夜叉丸の苗字が「平」だということがわかった。



2005年06月12日(日)

朝起きるとまだそのヘンが揺れているような気がする。
今日はボツビ(没日)だなあ。

母もよれよれなので、今日の病院は息子が行くことになる。
11時半夫が息子を送っていく。
(夫は無線のルータがきてうはうはしているので手がつけられない。)
5時くらいまで息子が父の相手をしてきた。
タバコに3回行ったそうである。
息子もなかなか使えるようになったものである。
今度の試験の結果が悪くてもこれだったらいいかなあ。

昨日私が帰ったあと、麻薬プロ殿が来て、
ながく話していかれたそうである。
父の退院まだ未定である。
耳鼻科(病院内の)に通うことになりそうだし。
(耳垢掃除をしてもらうため。)

今もちょびっと頭痛。



2005年06月11日(土)

黒糖蒸しパン
胡瓜とレタスのサラダ
ヨーグルト

息子学校へ。

母と成田山へ行く。
父が仏像のキーホルダーを欲しいといっているため
朝早くから電車に乗って出かける。
わくわくしながら行く。
母「行ったことがあるので、まかせて」というが案の定迷子になる。
駅の反対側の出口に行ったためで、最初からダメじゃん、であるが
いつものことなのでなんとも思わない。
でも成田山では仏像のキーホルダーなんて売ってなかった。
浅草に行った方が良かったかな。
お土産やの人に相談し、
1、ひょうたんを覗くと中に阿弥陀様の絵が見えるキーホルダー。
2、普賢菩薩様の金属プレートみたいなもの。
  2㎝くらい。巳年の人のお守り。(父は巳年)
を買う。

帰りに米屋で
餅入りどら焼き、不動餅(赤福みたいなあんころ餅)、ピーナッツ最中
、瓜の漬物(鉄砲漬けという)を買う。(羊羹は重いので買わない)
おせんべ屋で、おせんべいろいろ。
父の病院へ行く。
父のところについたら、まず、あんころ餅を食べて・・と考えていたが
電車の中で頭痛と生あくび。
あくび出過ぎて、泣いている人のようである。
このあたりからまずいかもという予感。

駅に着くとバス、将に発車したところで走って追いかけて乗る。
腰痛の母にはつらかったことだろう。
バスに乗ったら、何十回も乗っている道なのに
カーブのたび脳みそが右左にゆれてバス酔いになる。
なつかしいなー、バス酔い。
子供の頃はバス酔い大魔王(バスだけじゃない、電車やあやゆる乗り物)
だったのに、
中学くらいから乗り物では鉄の女になり
台風の時にフェリーに乗ってもハンバーグ定食など
平気で食べられるようになって幾十年である。
それがバス酔いだなんてねぇ、年はとりたくないものだ。

病院に着いたが、もうあんころ餅どころではなかった。
建物の中に入るともっとキソウなので外で酔いをさます。
病室によろよろと行くと父と母、ここはもういいから休んだら帰れという。
夫に電話し迎えに来てもらう。

やっとの思いで家に帰る。
夫はどうしたんだろうねー、と笑っている。
晩御飯、頼んだよ、といって私は寝た。
頭痛と吐き気だ。
週末頭痛ってやつかもしれないな。



2005年06月09日(木)

病院へ。
父と晩御飯を待っていると、主治医殿来る。
明日の痛み取りプロジェクトの打ち合わせは父と母が出席することにする。
退院に向けて二つの病院がうまく連携できるようにカクサク中です、
とのこと。
ありがたいことだ。

晩御飯、歯磨き、薬のみのあと車椅子で外にたばこに連れて行く。
いい夕方だ。

父に昨夜のサッカーの話しをする。
すると父も日本が勝ってワールドカップに行けることを知っていた。
父は確か野球のはずじゃ?
なぜ知っているかというと、昨日麻薬プロ殿が来て話しをしているうちに
「ボクはサッカーがスキです。
 今日の試合よかったら日本を応援してください。」
のようなことになり、それで父は見たらしい。



2005年06月08日(水)

今日は仕事で病院へは行けず。
7時過ぎ帰宅。
サッカーだ、サッカー。
中田(浩二)も小笠原も出るからなー。

Iちゃんからサッカー見てる~?とメール。
見てるよん。気合を入れて応援しようぜ!
それからは応援しつつ、
Iちゃんとメールし、
(選手の誰それはマンガの××に似てるよね、みたいなことなど)
夫にも状況をメールで教え(前半終わったけど0-0)
ハーフタイムには食器を洗い
お茶を飲んでどら焼きも食べるた。
そうしたら柳沢が得点。
やった、やった!でかした柳沢!とIちゃんとメール。
その後大黒も得点。
Iちゃん、大黒って顔がモアイ像だという。(メールで)
あっはっは。

試合が終わるころ夫帰宅。
さっきからテレビの下でごそごそ音がしている。
ネズミだ!きっと!
昨日くらいからネズミがきているのだ。

ネズミは前にも出たことがある。
小さな野ネズミでつかまえて遠くの野原に放しに行った。
うちではネズミは「ネズチュウ」と呼ばれる。
その後縁の下の風を通すところに金網をはったので
もう何年もネズチュウは見ていなかった。

夫の食事のお相伴。(何も食べないけど)
10チャンネルで試合のハイライトシーンとか川渕キャプテンの
インタビューとかをやっているのを見る。
するとテレビの裏を黒いものが過ぎっていった。
なんだろ?目の錯覚かな。
またよぎる。
ネズチュウが歩いているんだ!
それからは目を凝らしてよーく見るようにした。
おおー、全長5センチ(尻尾込み)位のちょろちょろした小さいネズミだ。
ちょろちょろをやめてまたテレビの下でごそごそしているので、
夫その辺にあったお菓子の箱をぽいっと投げてみる。
ごそごそがやむ。
ネズチュウ、心臓麻痺で死んじゃったかな?ノミの心臓?
とか言っていると、またごそごそ始まる。
夫、「どこからかネコを借りてくればいいのかな?」という
私にネコの真似をしてみるように言う。
私「チュー」(それじゃネズミだよ)
いやあ仲間がいるって出てくるかなと思って。
「にゃー」
ネズチュウ反応せず。

夫、食事の後ネズミ捕りを物置から出してくる。
前のネズミはとても小さく、ネズミ捕りの金網の隙間からちょろんと
外に出てしまったのでガムテープが貼ってある。
(その時は後で夫が虫取り網で捕まえたのである。)
ネズミ捕りにチーズを入れて、わくわくする。
私はネズミが可愛いのである。
バッチイから飼えないのはわかっているんだけど見てみたいのだ。



2005年06月07日(火)

仕事を30分早く切り上げ、病院へ。
父ますます元気になっている。
晩御飯の後、歯磨き。ちゃんとできるようになっていた。
(入れ歯は私が洗う。)
明日は病院内の床屋さんに予約をしてあるそうだ。
そんな話しをしていると
今日のところは、もはや普通の人というかんじである。
看護婦さんに手伝ってもらい、
車椅子で外にたばこを吸いに行く。
ベッドから車椅子まで、どうにか(ゆっくりだけど)
自力で移動できるようになっていた。
これまた大変嬉しいので、そこにいてくれた看護婦さんにお礼を言う。
外、夕方で気持ちよし。
父ゆっくりタバコを吸う。
退院したら家でまた面白おかしく暮らせるような気がしてくる。

今日は母方の叔母夫婦といとこがお見舞いにきてくれた。
お客が帰った後、母が父の病室にいたら
麻薬のプロ殿(28歳。青年。)が病室に見えたらしい。
「お子さんは?」
「いやあ仕事が忙しくて。ヒトリモノなんです。」
などと話しをしていったそうだ。
だろうなー、というのが私の感想。
そのあと看護婦さんたちと、お見合い結婚がいいか恋愛結婚がいいか
話しをしてわいわいと笑っていたそうだ。
今看護学校の生徒さんが実習にきていて、父にも一人付いていてくれる。
とっても可愛いのよー。
以上母談。



2005年06月05日(日)

菜園へ、エダマメとトウモロコシに化成肥料を撒きに行く。
どうやるんだろ?
父はパラパラ撒けばいいといっていたので、
私なりのパラパラ基準で撒く。
遠くに撒く時にはそれなりにケイキをつけないと届かないようなので
つい「オニワーソト」なんていってしまいそうである。
(化成肥料、粒だし。)
これでいいのかなー。
エダマメは健気に育っている。
いい子だねぇ。

今年はタマネギが大豊作になりそうだ。
(きっと日本中タマネギは大豊作だね。)
いつ掘ったらいいのかわからないため、
試しに1個掘って病院へ持っていって見せることにする。

味付け卵と豆腐ハンバーグ(ネギとザーサイで中華風)作る。
ハンバーグに使った肉(豚モモヘルシースライス)、
期限が切れてはや3日目である。
フードプロセッサにかけるとき、クンクンしてみる。
チルドになっていたらから匂いはしないが、
ふと「食中毒への道」という言葉が頭をよぎった。
(そういうサイトがあるんである。読むとびっくりできる。)

今日はヨシヒロ叔父夫婦がお見舞いに来る。
父方の親戚であんまりふざけない人達なので私も神妙にする。
6人(夫、息子も行く)で病院へ。
夫、息子、私で食事に行き、やれやれとさっそくダラケた。
息子修学旅行のお土産、父に渡す。
五重塔のキーホルダー。
ありがとう、よく気が付いてくれたね。といってから
もしこの次行くことがあったら、小さな仏像がほしいという。
なんだ、なんだ?

3時前、私以外帰る。
私はうたたねしながら調べ物。(ちょっとは調べた。)
父寒がる。37.8度の発熱。
湯たんぽいれてもらう。それも2個もだ。
夕方夫迎えにきてくれて帰る。
なんだか頭痛がするなあと思っていたらどんどんひどくなり
家に着くころは「ウウ、キボチワル~」状態になっていた。
何も食べず、お風呂にも入らず寝る。
(ハンバーグのせいではない。まだ食べていないんだから。)

(6月7日に書く。)



2005年06月04日(土)

サッカーを見ようと思ったのだが1時には起きられず。
途中で夫が「オガサワラが点入れたぞー。」と
教えに来てくれたような気がして、
3時半リビングに下りていくやっぱりそうだった。
もう一回寝る。

雨が降らないうちに菜園に行く。
ソラマメ収穫。
取り残しのないよう、よーく見る。
大収穫で、家に帰ってさやから出すのに40分かかる。

デパートの積み立てが満期になったので手続きに行く。
最初のところでワンピースを買いそうになる。
ここの金券は夫の服を買うのであまり無駄遣いしないようにする。
もうひとつの方はいいかげんに使う用である。
ブラウス試着。2色あって迷い、時間切れでどちらも買わず。
お刺身と肉を買って11時半近くの駅まで夫に迎えにきてもらい家に帰る。
(レーセーに考えてみるとブラウス買わなくて正解。)

家に帰ると、母方の実家を継いだテルオ叔父が来ていた。
(私はテルオジチャンと呼んでいる。)
母の実家を大ビンボーにした張本人として、また
脳梗塞の後も倉庫の裏なんかで隠れてタバコをすっていたりする
困ったチャンとして、
母方の親戚からは「アレは・・」みたいに思われているオジサンだが
物心つくころからよく遊んでもらい笑わせてもらった私は大好きである。
今日も病院へ行く車の中でオモシロイ話しを聞いた。

ある日知り合い(遠縁かも)のご法事にどこかのお寺に行ったそうである。
包んだお布施が多かったらしく、
お坊さんは小僧を従え、気合を入れてお経を読んでいる。
早く終わらないかな、あ、鉦が(ジャラ~ンみたいな)
なったからもう終わりかな、と思うとまたお経が続くのだそうである。
うんざりしてあたりをみまわすと、
前のほうで妙に首が長くなっているヒトがいる。
あれっと思うとその人はばったり倒れてしまったそうで
それたら救急車がきて、名前は?住所は?(倒れた人の)と大騒ぎ
をしているのに、まだまだお経は続いてた、といような話である。
ヒー!母と私は大笑いする。夫は笑わない。

父元気で機嫌よし。
病院の食堂に母と叔父、夫と私で交代で食事に行く。
うどんを食べながら夫に
お寺の話しおかしくなかったの?と聞く。
(こういうことで夫が笑わないのは先刻ご承知だけど、
 おかしいコメントをすることがある。)
夫全然おかしくなんかないと言う。
倒れた人はご法事だから具合が悪くても無理して行ったのかもしれないよ。
それをそんなに笑ったりしてかわいそうだ、という。
そうなんだけどねー。

ところで夫はこういう話をへんに覚えていて、
例えばいつか(未来)夫と私が暑い日にご法事に行ったりすると
「今日は救急車は来なくてすむかなー?」などと
(多分周りがしーんとしてから)言って、
私は笑いをこらえるのに苦労するのである。

テルオジチャンを送りながら夫と母も帰る。
勉強道具(レポートがある)を持ってきた私は残る。
父が眠ったのでお菓子でも買いに行こうと思ったら、
お財布を忘れたことに気づく。
冷蔵庫の中の爽健美茶を飲んで、氷砂糖をなめる。
仕方なく調べ物でもするかなと思ったけど、眠いのでウタタネ。

主治医殿来て、父起きる。
父の食事の量を気にしている。(あまり食べられない)
今日は菜園のソラマメを食べましたというと、それはよかったという。
父の田舎の話しなどして、主治医殿帰る。
お礼を言って廊下まで主治医殿を送る。
食事が取れないのは、モルヒネの副作用だけなのか
癌が進んでいるせいもあるのかまだよくわからないという。
食事がちゃんととれるようになるまで退院を待っていて結局帰れなかった、というようなことにならないように、例のプロジェクトXで
何か考えていてくれるようである。

夕方父おきて、息子の修学旅行の話から、父の修学旅行の話になる。
日帰りで松島->(船、揺れる)塩竈->仙台。
塩竈神社の石段を登った話し。(今は登れない)
お弁当のこと。
今から考えると大したものではなかったなあと笑う。
でも楽しかったのだという。
晩御飯の世話をし(残り物を食べる、うがいをさせ入れ歯を洗うなど。)
7時近く夫が迎えにきてくれて帰宅。

息子は今日は外出だった。
食事のとき中国問題に対する息子の意見を聞く。

晩御飯(母作る。疲れているのでいい加減。)
お刺身
ソラマメ
サラダ(ブロッコリ、トマト、インゲン)



2005年06月03日(金)

今日も仕事帰りに病院へ。
父と一緒に痛みとりプロジェクトの打ち合わせに出席する。
主治医殿が呼びに来て、父は車椅子でいく。

今日のお題は「薬について」なので、薬(麻薬)の専門家殿が来ている。
あと看護婦さんお二人(一人は父の担当の看護婦さん)と主治医殿。
今飲んでいる薬の説明(MSコンチン(これが麻薬)、ステロイド系の薬、
吐き気止め、寝る前は安定剤も飲んでいる。)を聞く。
痛みの状況について父が話す。
(座っているだけなら痛くない。
 大変にありがたいと思っている。
 立つことは、痛いし力が入らない。というようなことを話した。)

だいぶ良くなってきているが、もう少しの効果を狙って
補助的にステロイド系の薬を増やしてみましょうということになる。
病気のことで、がまんをしたり、あきらめたりしていることは
ありませんか?と聞かれる。

私が「父はもう一度歩けるようになりますか」と聞く。
放射線をかけたことで(これ以前の骨転移ともあいまって)
骨折しやすいことはあるかもしれないけれど、
もう一度歩けるようになりたいという希望があれば、
リスクの管理をしながら、
いいと思えることはなんでもやってみましょうと主治医殿言う。
リスクよりは希望の方にウエイトをおいた医療を行いたいと、
これは麻薬担当殿の話しである。
ちょくちょくお顔を見に行っているのはその希望を伺うためです、
と言われる。
退院は早くて13日以降ということになった。

息子修学旅行から帰ってくる。
旅先での話し。
親切にしてくださった方がいるらしい。
ありがたいことだ。
おみやげの八橋(「おたべ」かな?)を食べながら聞く。

夫まだ帰宅せず。
今日はサッカーを見るつもりなので、いまちょっと寝ておくかな。
それか、息子が「プラトーン」を見るといっているので
一緒にちょっと見ようかな。
うろうろ。



2005年06月02日(木)

一昨日に引き続き仕事を30分早く切り上げ父の病院へ行く。
父さらに痛みが緩和されている。
座っていてももう痛くないという。
この調子だったら来週の半ばもしくは後半には退院させてもらえるらしい。
いやー、効いたねぇ、放射線。
骨転移して痛みが出ている人に教えたい。
放射線があるよって。
モルヒネが合わなくてゲロリンの人にも
いつか慣れる時が来るからがっかりしないでって。
(父は未だに吐き気止めのお世話になっているけど。)
父の余命も聞いて知っているけど、でも今が痛くなければいいんだ。

父の晩御飯の残り(ほとんど手付かずで残っている)を食べる。
父の入れ歯を洗い、うがいをさせる。
なかなか歯を磨くということが難しいらしい。

ナースステーションに食器を下げに行き、食べた量を申告する。
私はまだ食べたりないので売店にパンを買いに行く。
ついでに本屋をのぞく。
さすがに病院の本屋だ、普通の書店なら雑誌が置いてある入り口あたりに
病気の啓蒙書みたいなのが(雑誌の体裁)がおいてある。
タイトル『気になる 肺がん』
肺がんみたいな重大な病気に「気になる」なんて控えめな形容詞で
いいんだろうか?
私が肺がんだったら、気になるどころじゃないよなー、
『どうしよう! 肺がん』とか『なんとかして! 肺がん』
ってかんじだ。
父の部屋でカレーパンとチョコレートパンを食べて帰る。


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やまねこ [MAIL]