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2~3日前、ジェンダーの話を書いたけれど、そう言えば私も子供時代 ちょっと苦労した事があったのを思い出した。
女の子ならお人形さんごっこ
何でよ、とはその時は具体的には思わなかったが、とにかく周囲がみんな やっているから 汗をかきながら参加していた思い出がある。 「焙煎ちゃんお買い物に行きましょうよ」 「・・・行こう行こう・・・・・・」 小学5年生。年食い過ぎ。でも 更に年かさの子で中学2年生。 「ほら、赤ちゃん。ミルクですよ~」 うちのクラスでは中3の時に、出産で一年休学してた子が編入されて来て いたから、そろそろリアルで授乳可能なお年頃だったのだが。
全てのリカち○んを全裸にして放り投げておくと言う態度が不評だった子供時代。 自分が着替えるのも面倒なのに、何ゆえ人形を・・・って将来の事を考えて やっておくべきだったのかも知れないけど 当時は4つか5つだもんね。
東京で1年仕事をして来た父が 土産を携えて帰って来た。私は6歳だった。 父の頭が、何があったか驚くほど薄くなっていたのを鮮明に憶えている。 父の土産は 私には人形、2つ下の弟には 宇宙ゴマと呼ばれていた玩具だった。 中に電池が入っていて、かなり狭いところでも バランスを取ってクルクル回る。 案の定、弟は上手く遊べない。 ど~れ私が遊んでやろう。 「あんたは女の子だから 人形があるでしょう」 なに~っ!
当然の事ながら虫採りや三角野球(当時子供らの間であった変則野球遊び) には積極的に参加したが、悲しい事に 私は特別、運動神経が良いわけでも 無かった。「ミルクですよ~」の子の方が 上手かったりするから皮肉だ。 多分私は、今もそうだが冴えない子供であったのだろう。
家に戻るとステレオの前に座り、ずっとヘッドホンでレコードを聴いていた。 洋楽ばかりであったので 当然意味は判らない。 大人になった従兄弟に 原語の 歌詞が書いてある紙を持って行って「意味を教えて」とせがんだ事もあった。 今思えば 気の毒な事をした。従兄弟に。
その頃聴いていたレコードに入っていた曲で、大好きだった物を 最近急に 聴きたくなって探していたのだが 見付けた。 ザ・バーズのR・マッギン『イージーライダーのバラード』 他にも『北京の55日』とか『遥かなるアラモ』とか、今思えば映画音楽全集 が 家にあったと言う事なんだなあ。
明日でも息子と聴くつもりだけれど、う~ん今聴いても何かこう、わくわくする。 どっか遠くへ、ずっと遠くへ行きたくなってしまう。息子も連れて。
だが私は運転が下手糞であり、息子は乗り物酔いをするのだった。 なんと冴えない親子だろうか・・・。
金魚日記になっているこの頃。 松かさ病の金魚、シンゴちゃんが死んでしまいました。とほほほほほ。
朝7時。シンゴは静かに沈んでおり、水槽の壁に頭を向けてじっとしていた。 隣りの水槽では ポンポンが、やはりシンゴのいる水槽のある方の壁に頭を 付けてじっとしていた。 見つめあう恋 そんな感じであったが、それから30分後、シンゴが横倒しに。 隣りの金魚水槽では、残されたポンポンが大騒ぎになった。右往左往。 「見えるんだろうか??」 水槽と水槽の間は少しだが空いているし、ガラスも厚い筈なんだが。 光の屈曲とかで見えるのかな? 良く判らないけど。 シンゴは静かに横たわっている。浮いては居ないが 事情があって浮かない だけだろう。 多分このまま死んでしまう。 息子に言い渡す。 「お前が帰って来たらシンゴの墓を掘る」 まだ生きているのに。 「シンゴ、死ぬの?」 「死ぬ」 隣りの水槽では 相変わらず大暴れだ。 「シンゴが心配なんだね」 どうだろうと 思いつつ言ってみる。 餌を入れたら夢中で食い付いた。そこはやっぱり金魚。
息子が登校し、静かになった水槽前でしばらく様子を見る。 シンゴはゆっくりとひれを動かしている。もうすぐさよならだ。 小さい頃から小動物(特に鳥)をたくさん飼っていて、死に際の余りの苦しみ ように、殺してしまう事を何度も考えた。家族で相談した事もある。 だが、結局一度も出来なかった。ただ抱いていてやる事が多かった。 一番良くなついて、彼らが落ち着く飼い主が抱いていてやるのだが、そう 言っても 私か母かのどちらかであった。 だから生き物がどうやって息絶えるかを 私の手は知っていると思う。 ここには細かく書かないが。
夕べは夜更かしをしてしまったので、2時間ほど仮眠を取る事にする。 起きたらシンゴは死んでいるだろう。 シンゴが死んだらポンポンとの水槽の 間に 新聞紙を立てる事を頼んで、寝る事にした。 だが本当に互いが見えて いるのだろうか。謎だ。
2時間後、やっぱりシンゴは死んでいた。 「あれから直ぐ。一応 新聞紙立てといたけど、今度は自分の顔を映してみてる」 どうやらその通りのようだ。仲間だと思っているらしい。 シンゴは沈んだままだった。
息子帰宅。「さあ、埋めに行くぞ」 ビニール袋に生魚。スコップ。 「割り箸に『シンゴの墓』って書いてよ」 と私。 「でも割り箸だと細くて書き辛いね」 と母。 「割る事ないんだって。割らないでそのまま書いていいんだって」 割り箸を息子が持って、墓堀スタート。
夏の草花は根が張って中々掘れない。ちょっと掘って埋めてみたがシンゴは 意外と大きかった。 「・・・・・・埋めなおし」 他の部分を掘って埋めた。シンゴはドロの上を転がされてドロ玉のように なってしまった。 「花を掛けてあげなさい」 息子は走って行って少し大きめの 砂利を持って来た。 「これ上に乗せて」 墓石かあ。 「あんたが乗せなさい」 「いいよ。はいシンゴちゃん」 上からぎゅ~っと 石を押し込む息子。ちょっとっ!潰れる。 「さようなら、シンゴちゃん」
オーちゃんもいつか死んでしまう。判るかな? 生き物はみんな死んでしまう。 放って置いても死んでしまう。だからわざわざ命を奪うような事をしてはいけない。 お母さんだって同じ。いつかは死んでしまう。 「お母さんも?」 そう、でもまだずっと後、Rが大人になってから、とその場では言っておく。 判らないんだよ、本当の所は。 「ママちゃん(祖母ちゃん。母がそう呼ばせている)も?」 「そう、ママちゃんも。でも直ぐじゃない」 いつか判らない。自分も 子供の事も。 先の事なんて何も判らない。 明日の事すら判らないのだ。それが本当だ。 何年生きても、いや生きれば生きるほど、それが怖くなるんだよ。 「オーちゃんが死んだら、泣く?」 「・・・・・・・・・泣く」 そう。 「その時は、一緒にお墓を掘ろう」 まだ生きているのに。
「ポンポンは一人で寂しそうだ・・・あ~っ卵産んでる~っ」 やっぱりシンゴがオスだったか。 小さな旦那様は逝ってしまった。 1匹だけでも卵は産むのね。その後全部、食べてしまったけど。 「ポンポンも死んだら、天国でシンゴにまた会える」 「そうだね、シンゴはずっと待ってるから、ポンポンもここで待ってるんだよ」 「電球の輪を付けて」 ・・・電球の輪?? ああ~天使の。
何か宗教も何もぐっちゃぐちゃですな。 でもいいや、神様なんて自分の 心にちゃんとしたのが一人いればいい。形なんかどうでもいいんだ。
金魚が病気になってしまった。 いや、そもそもはずっと病気だったらしい。私が気が付かなかったのだ。 だって何も言わないしさ・・・。
最近 金魚話を二回もしているが、鱗が剥がれたと言うのが始まりだった。 てっきり怪我をしたとばかり思っていたが、どうやら病気であったらしい。 水の中に菌が居たのか 怪我だと思ってした傷薬の薬浴が良くなかったのか もう1匹の症状が悪化した。しかも同じ菌でも2匹には違う症状となって現れた。
「うわああっシンゴちゃんがピンポン玉のようになってしまった~」
松かさ病。難病であるらしい。 ウロコが剥がれた方は、ウロコが剥がれる病であるらしい。同じ菌で 引き起こされる。何故違う症状になるのか、何故松かさになるのかは、良く 判ってない部分もあるらしい。肝臓が弱いとか。金魚の肝臓・・・。 隔離。水槽は3つになってしまった(泣
「普通、横から見るから膨らんでいるとは思わなかった。迂闊だった」 「金魚の罠だね」
でもまあ、死なせるわけにも行かない気もするので 効く薬剤を買いに。
「何で金魚に、こんなにお金がかかるんだか・・・」 「おーちゃん、お前は お金がかからないから偉いね。2歳の時 鼻風邪1回 ひいただけだもんね」
ボタンインコのおーちゃん(11才)の株が上がった。
薬浴、塩浴。駄目な時は諦める。助かったらちょっと自慢しよう。 漂うピンポン玉ことシンゴちゃんを小水槽へ。 薬剤は強力、量を間違えると死ぬと聞いたので、物凄く気を使う。 もう1匹、ウロコ剥がれのポンポンは大きな水槽に残された。 残った方は大暴れに暴れている。普段は大人しいんだけれど。 この2匹は仲が本当に良い。金魚は仲良しな生き物だったのだ。
ウロコ剥がれの方は身体が大きくて体力もあるので余り心配してないが 松かさの方はピンチと感じた。離れ離れの夫婦金魚、しかも下手な人間の 男女より愛に溢れている。このまま永の別れにしてしまうのは辛い。
「でも数が減る事は減るんだよね」
そうだけどさ。それにしたって残ったのは大型3匹で一緒の水槽には 入らないんだもん。水槽1個にまとまらないなら生きてて貰った方がさ。 しかも今は、何これ、水槽3個。しかも2つは薬入り。
動物の飼育は経験だ。金魚はほとんど初めてなのだ。めげてはいけない。
金曜日は集団下校だった。これは予定としてあった物である。 ただ前日の木曜日まで集団下校(低学年のみ)になるとは先生方も暑い中 全く大変な事だった。うちから通学路がモロに見えるのだが、先生の手を 振り払い 脱出した子供も居た。いや全く、大変な事だ。 この日を集団下校にさせた張本人は隣りの区に住む30歳の男であったらしい。 きっとひどく叱られる事だろう。30歳と言う辺りで 容赦はないと見た。 だがまあ、危ない人には気を付けようと言う事で 子供らの寄り道も少しは 減る事だろう。いや、甘いか。減らないね。
金曜日、集団下校の時、子供達の間から ずっと泣き声が聞こえていた。 泣き声は我が家に向かって近付いて来る。息子の声とは少し違うかな と 思ったが、誰も泣いていない時に泣いている様な子供なので、やはり 息子なのだろうかと 私は考えていた。だが、迎えに出るのも躊躇われる。 ドアホンが鳴って出てみると 幾分日に焼けた息子が立っていた。 「今泣いていたの、あんたじゃなかったの?」 「オレは泣いてない」 非常に不本意と言う感じの声を出された。 「泣いてたのはMちゃん。転んで口から血が出た」 数軒先の女の子だ。あらら、それなら迎えに出て家まで連れてってあげれば 良かった。何故か息子だと思ったので、出られなくなってしまったのだ。 「私はてっきり、あんたが泣いているのだと」 「オレのランドセルは黒いから」 息子が突然 背負ったランドセルをこちらに 向ける。交通安全のビニールがかかっているので、それは黄色かった。 「黒いから?」 「ランドセルが黒い子は男の子だから泣かない。鼻血を出しても笑ってる」 後半は息子の創作であると思われる。だが前半は、息子が一人で思い付くとは 何だか思えない。 「そ~だね~、男の子だもんね~。でも本当に痛い時は 泣いていいんだよ。まあ 泣くよね~、黙ってても」 そんな事を言いながら、誰が黒いランドセルの話を息子にしたのかな?と 私は考えていた。
家族の者は全員心当たりがないと言う。確かに、うちの家族はここまで簡潔で 効果的な物言いをしないんである。「学校で先生に言われたんじゃないの?」と母。 「違うんじゃないかな~。先生はそう言う言い方、今はしないんじゃないの?」 黒いランドセル=男の子 は泣かない。 何か最近とみに言われるジェンダーな言いっぷりと言えよう。 だから、学校では指導として使わなくなって来ているのではないだろうか。
男は男らしく女は女らしく。と言う社会的性差を受けて成長の際に傷付けられ 大人になっても違和感の中生きていると言う人の話を幾つか見聞きした。 学校教育の場でも、ジェンダーについてはかなり慎重に扱われるように なって来ているらしい。 「男の腐ったの」「女の腐ったの」と言うのは男女がどうというよりは 「腐ったの」がまず良くない。これは なんか判る。 だが、『男だから』『女だから』と言う物が全て無くなってしまって良いのか と言うと、社会的性差が肉体的性差と無関係な物ばかりとは言えないだけに 難しい所であると思う。
「男なんだから」を私は良く使う。「男だろう」も使う。 「男の子だから、いいんだよ」は使わない。叱る時ばかりに使ってしまう 訳なのだが、やはりもう心底「男なんだからっ」と思うから言っちゃうのだ。
「ちんちんは何のために付いているのだ」 「おしっこをするため」 「そうだった」 大きくなったら、毛が生えて、身体も立派になる事だろう。 遺伝的要素を考えれば、かなり大柄な がっしりとした男になるはずである。 力も強くなる事だろう。心も強くあって欲しい。刷り込まれるように覚えて 欲しいと言う思いがあるのだ。「男だったら強くあれ」 だが、それが傷となる事までは 余り考えられない親だ。
私には娘は居ないが、いたらこう言ってそうだ。 「女だったら賢くあれ」 いや、男は馬鹿でも良いと言う事ではないです。自身が生きて来た実感と して娘がいたら言っておきたいと。 自分が賢くないんで苦労したんで。
社会的性差と言われるとぼんやりした答えしか出来ないが 強い男と賢い女。格好良いではないですか、そうは思うんだよね。
黒いランドセルの事を誰と話したのか寝しなに息子に聞いたが「忘れた」と言われた。 本当は忘れていないのか、やっぱり忘れたのか。言われた事だけ覚えていれば まあ いいよ。
某警備会社さんから出ている子供やお年寄り用の居場所が判るGPS端末の 営業の方に話を聞いた。
この端末、あれば便利だが、ちょっと微妙な代物。大きさが。 機能の割に確かに小さく、軽くはなっているらしいが 持つ方もある程度 しっかりしてないと無くしたり壊したりと言う事が頻繁に起きそうな。 ちなみにその時は1万円かかるんだそうです。
昔「お守りさん」って言うのをずうっと祖母ちゃんに身に付けさせられていて それには「お護符」と言う物が入っていたらしいんだけど紙の札一枚を布で 包んだ物だから、直接肌に掛けても 何の違和感もなかったんだよね。 そう言う物を想像してた。想像していた私の方が少しお馬鹿さんだったのかも。
それはともかく、その際、営業の方がしてくれた話しが大層面白かった。 (実は又聞き。私は留守にしており、家人が応対した) GPS端末は 確かに迷子のお年寄りを探したり、見知らぬ場所で途方に暮れて いる 子供の居場所を捉まえたりするには 威力のある物だ。 だが使い方をちょっと違えると、大変な脅威となる。 そしてそう言った使い方をメーカーさんはひどく迷惑がっていると言う。
実例1 営業に出っ放しの割には全く成績の上がらない営業マンの車に社長がこれを 積んでおいた。車はずううっとパチンコ店に止まっていたと言う。 営業マンはクビになった。『正直そう言う使い方は』的なメーカーの言い分に 「たまたま車に積んでおいただけ」と主張する社長さん。
実例2 ご主人がずっと持たされている。監視しているのは奥さん。
メーカーさんは微妙な立場だが、社長さんの気持ちも判らないでもない。 とは言え、これを使ってそれをやっちゃうと どうにもまずいと言う事なのだ。 実例2は私としては本人同士が納得しているなら何の問題もないと思うが 夫婦として それはとっくに破綻しているとも考える。 自分が男なら、そんなの「持て」とか言われたら テーブルひっくり返して 怒りそうだ。 それか、あんまり腹立つから残業する部下か同僚に持たせて その間に遊びに行く。わざと密に連絡取り合って地下鉄とかで待ち合わせして 返して貰うのだ。へっ。 ドウシヨウモナイ金遣いや遊びをする人間は居るだろうが、そんな人間が そもそも大人しく こうした物を持たされるだろうか。
GPSは監視が目的となるとまずいのだ。 子供がどこにいるか、結果的には監視しているに近い状態になってしまう 事もあるだろうが、やはり犯罪の防止や事故の予防が目的であり、お年寄りも 同じ事が言える。 どちらも判断が未熟であったり、欠けてしまっていたり、誰かの責任の下で 守らなければならない存在である。 実例はそれに当たらないと言う事なんである。
確かに便利だ。だけどちょっとやっぱり、扱いの難しい物なのだと感じる。
ここ数日は色々な事が変。 余りにおかしな事ばかりが続くように思えたので、これはひょっとして 変なのは私自身なのではないか?と考え、病院行きを検討していた。
でも何となく、今日理由が判った。暑いんである。北海道にしては暑くなる 時期が早過ぎ、しかも急に暑くなり、ここのところ圧倒的に雨量が少ない。 今丁度、日が変わったが まだ暑い。不快指数高し。原因は多分これだ。
庭はからから。植え付けたばかりの一年草に水が間に合わない。 夕刻、陽が落ちかかってからやっと水が撒けるのだが、買い物帰りで ぐったりの私に代わって祖母ちゃんと息子で水撒きをしていた。 「ちょっと!」物凄い勢いで母が家に飛び込んで来た。 「ハチが庭に巣をかけている」 ぎょぎょ~ん。全く気が付かなかった。
見れば家の前庭の生垣に作りかけのスズメバチの巣が。 地上から1mも無いところ。門柱の横。何ともセンスの無い場所に。 家の前は小学生が、朝 沢山通って行く。スズメバチが巣をかけたと 言うのはここら辺では聞かないし、勿論我が家では初めての事。 「母ちゃん、ハチみたの?どんなハチだった?」 「ものすごく大きい、オレンジの縞々のハチが!」 母が指で示した大きさは10cmはあろうかと言う物で、そんなハチはいないが それほど大きいと言う事になれば・・・「うわあっオオスズメバチだあ」 く、駆除会社、駆除会社。 初めに電話したところはフリーダイヤルで本州にあるらしい本社に繋がった。 テレホンレディー(結構年配)が関西系の訛りで言う。 「こちらでもまだ余りハチの被害は聞きませんが。北海道でしょう? 何かあるんですか?」 ここが愛知なら「はい、万博をやってますが」と答えるところだが。 何かあります? と聞かれましても。 「暑い日が続いて、雨が少ないんです」 巣の大きさを説明すると 「ああ、それならお客様で、まだ十分対処出来ますよ」 え。 「キン○ョールでもいいですから、撒いてハチを落としてから巣を取って 下さい。陽が落ちてからはハチは余り動かないんです」 「・・・・・・はあ。判りました」 ・・・・・・・・・もう一軒の駆除会社へ電話っ! 幸い こちらは直ぐに来てくれると言う。感覚の違いか、ハエハエカカカ(古)で スズメバチもオッケーなのか自信もないんだもん。怖いっす。 スズメバチの巣である事を確認するために開いた虫辞典を見ていた息子が 「これと同じの、公園で見た。今日」 と、いきなり怖い事を言い出す。 公園は我が家の裏、小学生はその横手を通学している。
ハチ駆除のおじさん到着。「こりゃまた、妙な場所に」 そうでしょう。 まだ可愛いうちである巣を早速、専門のお薬を使って撤去。 「ここらは樹が多いから、木の皮を剥がして来て巣作りをするんだよ」 それにしても、普通は7月から8月の事だがなあと おじさんも妙な顔。 「幾つか同じような巣を周辺に作って、そのうちから大きくして行くんだよ」 おじさんのハチの巣講座を聞いていて息子の発言を思い出す。 「そこの公園で、息子が同じような巣を見たって言うんですけど」 「ありゃ、じゃそっちもついでに取って行って上げるよ」 良い人だ(泣 「坊ちゃん、場所はわかるかな?」 「こっち」 限りなく頼りない案内人を先頭に、ハチの巣撤去部隊が行く。 「??」 「どこ?本当に見たの?」 「??」 おいこら。 「まあいいさ。無いから無いほうが良いもんねえ」 おお、良い人だあ。 「あった」 指差す方を見れば、うちのよりでっかいハチの巣がっ! 「本当にあった!」おじさんと私が同時にびっくり。 それは松の木の、かなり高い部分にかかっており、何と言うか非常に美しい 形をしていた。美しい。やばさひとしお。 おじさんは半信半疑でもあったか、キンチ○ールもどきを携帯していた。 吹き掛けたらハチが死なずに襲い掛かって来た。「ありゃりゃ、死なんねえ」 そう言いながら、刺される事もなく無事巣を撤去。ハチは確かにまだ それほど獰猛な時期では無いのかも知れない。 「35年やってるけど、一度も刺された事はないんだよ」古い連中は大体そんな もんさと言って、おじさんは笑った。かっこい~! 私の親くらいの年だが。
結局、公園の巣には既に卵が生まれており、巣作りが本格的になるところで あった。見事に通りに面している。ここを毎日小学生が大量に行き来するのだ。 しかも今日などは集団下校。理由は馬鹿な事をネットに書き込んだ者が居る と言う事らしく、誰だか判らないけれど取り敢えず叱られろ、もう。
スズメバチはどちらもキイロスズメバチ。 獰猛だが、精々3.5cmの身体である。誰だ10cmとか言ったのは。 息子は何となくお手柄だ。昼間、私に長々と説教を食らって泣いていたが この際 とっておきの私用ムシキングカード(キラ銅)を進呈する事にする。 「強さは160だよ」 「わあい」 ・・・何だか損した気分。
とにかく、北海道ではまだスズメバチは早い筈だけど、もう巣が掛かってます。 うちのハチは気が良いんだか何なんだか、比較的見付け易い場所に作って ましたが、普通は、日が当たらず、見付かりづらく、高い場所に巧妙に 作っているみたいです。 自然豊かな場所にお住まいの方は一度、周辺を点検されるのも宜しいかと。
時々、ここでものすごく愚痴りたくなる事がありますが。 普段から愚痴は十分多めのこの日記、更に洒落にならない愚痴はちょっと やっぱりまずいので。 書けないかな~と思っているから 私にしては続いているのかも知れませんね。 ノートに書く日記(続かない)ならきっと今頃、文句で埋まっている事でしょうな。 だから今日は粘るCD屋さんの話を書きます。
行き付けの、近所のレンタルビデオ屋さんは3軒あるのだが(競争厳しい) 私の場合、借りるのはほとんどCD。1軒に無いと次へ行く。でもって3軒 共に無いと、ちょっと遠くへ行くのだけれど、大抵無い。この段階で初めて 購入を検討する。 3軒の品揃えはそれぞれに特徴があり、チェーン店である2軒は新作を きちっと入れており、幅広く深さもある程度深く、様々なジャンルをフォロー しているが、ビックリするような掘り出し物は無い。 残りの1軒はおそらくチェーン店ではない。CDは買取した物ばっかりみたいで 大手にはあるカバーのような物がない。ジャケットケース丸出しで陳列している。 ここのCDケースが、何とも粘るのである。
ねっぱると言えば、方言なんだろうか。指にこう、にちゃっと。 全てのCDが均等に粘っている。これはどう言う訳なのだろう。 非常に辛い事実だが、ここのCDには面白い物が案外多い。でなければ誰が 触っても触っても粘つくCDなど借りに行くだろうか。 買うか粘るか買うか粘るか、迷って結局『嫌だけど粘る方を取ろう』と なってしまうのだ。 この店で辛い事は まだある。狭い店内に全く違うBGMが3種流れていて どれも強烈なボリュームであり、しかもジャンルが全く違う。 オレンジレンジと向こうのレゲエとやっぱり向こうのへヴィメタルみたいな 奴とか。何故こんな事をするのか。 CDを探す間が辛い(耳と頭が)見付けたら見付けたで「あったっ」ねちゃっ である。 嬉しいんだか、悲しいんだかこれほど判らなくなる一瞬も無い。 強いて言うならとても切ない。
「済みません、CDがどれもこれも粘ついてます。あと、なんでBGMを1種類に しないんですか?」 聞いてみたいけれど聞けない。聞けますかそんな事っ。
リラクゼーション系CDに変わった物が多いと言うのも皮肉な話だ。 確かに聴くと癒されるが、借りた段階でもうストレスが溜まってしまうのだ。
現在探し物中はザ・バーズの「イージーライダーのバラード」 買えばいいんだけどサントラと言うほどでもないのでオムニバスならなるべく 聴きたい曲の多い物じゃなきゃ嫌だとか、買うとなると無茶苦茶我が儘だ。 レンタルなら何でもいい。でもこれが、無いんだよねえ。
ここの店なら或いはと、僅かな期待を込めて粘るCD屋ことM店へ。 サントラは無いので洋画オムニバスと言うコーナーを探す。 近いタイトルがあった、思わず手に取る。にちゃっ。 ・・・悲しいが収録曲を見てみる。あったぞ!イージーライダー。 ステッペンウルフ「ワイルドで行こう」 そうだ。私が聴きたがっているのはメインテーマでは無いのだった。 イージーライダーのメインテーマは「ワイルドで行こう」の方だった。 返そう。元の位置に戻す。にちゃにちゃっ。 指の裏も表も粘り付きまくり。しかも間違え。 粘り損と言う言葉もあるが、こう言う事態ではないはずだ。
帰ろう。私は悲しく不愉快で 鬱々としていた。 そう、愚痴りたい問題は 神経を抜いた後の歯のように 何かにひどく びっくりするか 感情が余程激しく動くまで、頭のど真ん中に居座って中々 気持ちを変えさせてくれないのだった。粘るCDに更に追い討ちを掛けられた。
大粒の雨が降って来て。青いヴィ○ツは時速50㌔で疾走する。 サラブレッドより遅いが 婦人用自転車よりは早い。 T・Rexの「Get it on」を聴きながら(これもレンタル)ちょっとだけ いい気分になる。 家に戻るとYAHOOのトピックスにT・Rexが再評価とかそんな話が偶然出ていた。 そりゃまあ、良いものは単純に時代で切り替わってゆく物でもないし。 新しかろうが名曲だろうが 3曲同時に流したらクイズ番組にしか ならないしさ。
「あの子と遊んじゃいけません。友達になっちゃいけません」
もしも子供が生まれて、大きくなったら これだけは言っちゃならんと思ってた。 母親同士が不仲なために、随分気の毒な思いをしていた友人を知って居るからだ。 小学校の高学年にもなれば親友と言うものが出来て不思議じゃない。 女の子は特に、物を貸し借りしたりトイレに一緒に行ったりトイレ以外の 場所も一緒に行ったり、遊びに行ったり呼んだり、マメ~なお付き合いが 始まる。 友達取っただの取られただので喧嘩になったり、果てはそれが原因で イジメの元祖みたいな物が始まっちゃうのもこの時期だった。
これが中学から上になると男を取ったになるんだけど。今はもっと早い?
とにかくA子とK子は仲良しで、親友だった。 活動的で美人のA子、お洒落に興味があり 今考えるとかなり早熟だったK子。 でもこの2人、母親が町内でも有名なほど仲が悪かったんである。 我々がきんちょにも知れ渡ってしまうくらい。 だって私が遊びに行ってても、K子のお母さんは 「いいかいAちゃんと遊ぶんじゃないよっ」 って言うんだもん。 「私はAちゃんのお母さん嫌いなんだからね」 おいおい、私怨かよ。とは当時の私は勿論思わなかったが,Aちゃんが 人様にあれこれ言われる子供ではない事は良く知っていた。 頭も性格も良く、運動神経まで良くて、綺麗な家に住んでいた。 一方のK子のところは特別余裕の無さそうな、我が家と似たり寄ったりの お暮らしぶり、まあ普通。私怨って厄介なんだよね。
初めは鷹揚に構えていたらしいA子の母の耳にもこの話が入ったか、似たような 事を言い始めたと言う。K子ちゃんと遊んじゃいけません。 私はこの二人が手を取り合って「私達、親友だよね」と言い合っているのを 一度目撃した。わ~、なんか大変な事になっちゃってるなあと思いました。
そもそも、何でこんな事になってしまったのか。 当時を知る母連の一人として、娘と同じでどっちつかずのうちの母の証言。 「Aさんはアクセサリーが好きで、いつも大きいのを身に着けていた。 どこか浮世離れした感じのする人でお葬式にピンクの大きなパールの アクセサリーを付けて来た時はさすがにみんなビックリして」 さり気なく人を浮世離れ呼ばわりか。 「でも、気持ちの良い人なんだけど」 発言が日和見な辺りが私もそっくり。 参観日でも確かに誰より目立つ。このお母さん、かなりの美人であった。 それは憶えてる。派手だったんだろうな。綺麗な物は昔から 私は綺麗だとしか 思わなかったので、キラキラしている物が沢山付いているとしか本当に感じ なかったんだけど。家に行っても親切で、美味しいものを沢山食べさせて くれたので悪い印象はないんだよね。K子の親にも別に悪い印象はない。 ただ本当に猛烈に不仲だった。今考えると怖いね なんか。
K子のお母さんとA子のお母さんが具体的に揉めてしまった事があったのか 知らず相手を傷付けてしまったのか、結局判らなかった。 判っているのは中学に進んで間もなく、K子とA子が他人のように行き来を 全くしなくなってしまったと言う事だった。
うちの母はA子の母とは ずっと年賀状のやり取りがあった。素晴らしく達筆な 賀状を何度も見せて貰った。「Aちゃん元気だって」 「ほ~う」 昔の友人の消息なんてそんなもんで、母同士の方がマメなやり取りをしていた。
2年ほど前、喪中の葉書が届いた。A子の母が亡くなったと言う。 うちの母より若く、ずっと会っては居ないとは言え、驚いて娘のA子ちゃんに 電話をしていた。 「大輪の花が咲いて落ちるような、そんな生き方をした人だった」 何でも花に例える所まで、何ゆえ母子は似てしまうのか。 A子もK子も、きっといずれ互いに会わない部分を見付け離れただろう。 だから本当は、そうなるまで待った方が良かった。 ならなかったらならなかったで、自分とは違う部分を持って来た娘なのだ。 或いは相手が。 どっちにしてもそれなら言うだけ傷付けるだけだろう。 そうは言っても。
この先、私がずっとこの言葉を誰か他人の子に対して言わないとは限らない。 ここでは知った風に偉そうに書いている訳だが、私はひどく感情的な人間だ。 親同士が不仲ではなくとも、相手の子に 自分の子供の不始末の原因を求める 事がないとも言えない。 それやっても、ちっとも良い事はない。ここで自分に戒めておこう。
自分の息子が「遊んじゃ駄目よ」の対象になったらすごく辛い。 ああ、考えただけで涙でそう。 取り敢えず感謝だ。遊んでくれる友達よ。 例え遊びの真の目的がピクミン2だとしても。
2005年06月18日(土) |
金魚夫婦愛、その後。 |
今日も金魚の話です。何と言うか、華がないですね・・・。 でもまあ、日常エッセイで、それが私の日常なんだようって事で。
金魚に夫婦愛はあるか。 結論が出ないまま、オスのシンゴの顔色がここ数日悪くなってしまった。 金魚に顔色があるのか。あります、顔があるんだからあります。 実際には顔色=体色の事で、金魚の不調はここから始まる場合がある。 体色が悪い→具合が悪い。 寝ている時以外で背びれをたたんでいる→更に体調が悪いか、病気。 横倒しになったりふらふらしている→かなりまずい。死に掛かってる。 浮いてる→死んでる。 こんな感じで、金魚の体調は悪化して行く。白点病などは背びれをたたんで じっと底にうずくまるので早いうちなら塩浴で回復可能です。
奥さんの怪我用の薬湯がどうにも旦那さんには合わなかった様子だ。 肝心の奥さんはぴんぴんしている。だから無茶な療法をしたと言う訳でも ないと思うんだけど。薬浴が原因にほぼ間違いなし。
旦那さんは直ぐに死ぬと言う事でもない感じだが、顔色が悪くなった。 脱色してしまった。食欲も今一つだ。 「シンゴ、ご飯食べなさい」 家族の心配そうな(やはり飼っていると微妙に情が)顔の中、餌が与えられる。 シンゴは浮上しようとしない。すると。 奥さんがシンゴの腹の下から彼を持ち上げ、水上まで運んで行こうとする ではありませんか。 「運んでる」 水面近くまで運ばれたシンゴは、だが ゆっくりとまた底に沈んで行く。 運んだ奥さんは、そこは金魚の悲しさ、沈んで行く旦那さんを横目に自分は バリバリと餌を頬張っている。 だが、再び潜っては 旦那さんを押し上げようとするのであった。 結局、押し上げては食い、押し上げては食いと言う感じでご飯はメスが全部 たいらげてしまったのだが(ある意味、とても悲しい風景だった) これでは仕方がないので、また少しご飯をプラスして入れて置いた。 しばらくして見ると、綺麗に無くなっていた。
金魚は1匹で飼うべきではないと言う話を 飼い始めに聞いた事がある。 競って食べる習性があるので、1匹だと餌食いが悪くなってしまうんだそうだ。 「鯉かよっ」 と突っ込みを入れたくなるくらい 確かに争って食べてはいる。 だが、幾ら自分の方が大きいとは言え、元気のない仲間を持ち上げて水面に 運ぶと言う行為は意外だった。 金魚の夫婦愛はやっぱりあるのではないか。
迷った挙句、今日まで待って水を替えてやった。シンゴは復調するのだろうか。 元気になって下さいね。一応面倒を見ていたらしい糟糠のでっかい妻のためにも。
私は花が好きなので、女性を良く花に例える事がある。 自分の心の中でそっとそう思うだけだ。美しい花なら媚びていると 思われるかも知れないし、その人が必ずしも、その花に好印象を 持っているとは限らない。
百合は華やかであり 凛と立つ姿は、何とも言えず気高く美しい。 でも仏花っぽいイメージもあるし、香りも大変に好き嫌いがある。 花粉は一旦服に付くと取れない厄介物なので、仏花用のは取り去ってある。
薔薇はケバイ、棘があると言う人もいるだろう。菊は辛気臭く思われがちだ。 どれも、咲いている姿は美しい。
アジサイは私の大好きな花だ。特に青い色のものが好きだ。 最近はハイドランジアと呼ばれ、ピンクとか星咲きなどの園芸品種がどんどん 生まれているが、元々日本の庭先にあった、あの青いアジサイが私は好きだ。 アジサイの花は好きだが、この花のイメージを人に対して持つ時、それは 必ずしも 好意的な思いばかりではなかったりする。
アジサイは水を良く飲む。雨の少ない年は 駄目になりがちである。 水遣りを少しでも怠ると たちまち葉は黄色くなり、しおれる。 かなりの大株になっても、いや 大株のアジサイこそ その傾向があるように思う。 「出来ればずっと水を注いで。せめて私だけにでも」 そう言っているように思える。そんな時がある。 暑い中、沢山の蕾を抱えている。無視は出来ない。水をやれば葉を立ち上げ 満足そうな姿になるのは 判ってはいるのだが。
この人は愛されていなければ枯れてしまうのではないかな。 人は多かれ少なかれ、愛はやっぱり必要だと思うが、アジサイのように 常に水を注ぐような愛が欲しいのだろうと感じる人が、稀にではあるが居る。 その愛が満たされていれば彼女は幸福そうであり、きっと綺麗な花を咲かせて いるのだろうと思う。だが、形勢の変化に弱いと言うか、直ぐにしおれる。 「ここが辛抱時だぜ」 他人事だからか、自分は思うのだが アジサイにそれを言っても無駄である。 綺麗に咲かせるためには、やはり他の花より確実に多くの水が要るのだ。 水は、優しい言葉であったり、態度であったり、自分の思い付きや行動に 対する、許容の広さであったりするようだ。
アジサイさんは 別に私にとっての困り者と言う事では、ちっともない。 ただ 本人がいつも苦しそうであり、いつも不幸そうだと言う事なのだ。 暑い盛りに沢山の蕾を抱えて雨を待っているアジサイのように。
アジサイは秋、花柄を採らないと勝手にドライフラワーになってしまう。 一旦咲いてしまうと、秋冬は、施肥さえしておけば世話要らずだ。 アジサイな奥様や恋人を持つ心当たりのある人は、更年期過ぎる辺り まで頑張ってみると言うのはどうだろう。 ドライフラワーになってくれるかも知れないからお得だ。 それって枯れてるとか言っちゃ駄目だ。
どころで私は 男性に対しては「牛に似ている」「山羊に似ている」と言う 感想しか持たない。彼らの精神性をないがしろにしていると言う事であり これはとっても、失礼だよね。
私は方向音痴だ。 それも、かなり重症の。 多分、人は頭の中に磁石を持っていて、それが私の場合、きっと狂って いるのだろう。どこで直せば良いのか知りたい。
行きたい花屋が隣の区にあると言う事を知った家族は、私が一人で行く事に 反対した。事故を心配されている事もあるが 「行き着かないのではないか」 と言う事が一番の問題なのだった。 「行けるねっ」 私は豪語した。大きな通りを左へ曲がって 真っ直ぐ行けば いいだけだもん。お店の人に電話で聞いたんだもんね。 その前に地図を見て「これならやれる」と思ったし。 『負ける勝負はしない』 これが私の人生のモットーだ。 『負けたと思わない。認めない』 これもセットで付いて来る訳ですが。
車は順調に走る。そう思っているのは私だけかも知れないが。 とにかく何とか目的地に着いた。驚くほど呆気ない。店の入り口を間違えたが。 結論から言うと、品揃えは今一つだった。エラそうだな私。 でも、大きな通りに面して建てられる花屋の品揃えに マニアックな物を そうそう求める方が間違っている事も判っている。 花屋さんや植木屋さんが纏まって建っている、「植木村」と言う名前も そのまんまな所が、実はあるんだけど、そこまでの道がグネグネして 危険と言う理由で私は行けない。自信が無いのだ。
それでも幾つかの商品を買っての帰り道、さっそく問題が起きた。 右折が出来なかったのである。 出口は狭く、左折車がつかえている。思ったよりずっと、交通量は多い。 「~~~~・・・・・・っ」 諦めて、左折する事にする。左折左折左折右折で、元の道を戻れる筈だ。 適当なところで左折する。セブンイレブンがあるところと覚えた。 次に来た時に困らないためだ。 道が真っ直ぐだったらいいなあと思いながら走る。だが道は真っ直ぐでは 無いような気がして来た。こう、ぐ~っと下へ下がっているような。 下は下であり、北なのか南なのか東なのかも判らない。 余り深みに入り込まないうちに左折する事にする。ここを真っ直ぐ行けば 元来た 大きな道に出る筈なのだ。でないと とても困る。 大きい道路が来るまで、じっと辛抱しようと思う。途中で曲がったら 全てが台無しと言うか、もう帰れない。 しばらく行くと 大きな道路があったので右折する。 何となく、見慣れない道だなあと考えながら走る。確か中央に分離帯があった 筈だけど、ここはないなあ。もう少し行けば出て来るのかな?分離帯。 そもそも3車線じゃなかったか?どうしてここは、2車線なのだろう。 信号で止まった時に住所を見る。そこは行った事のない場所だった。
私はどうするべきなのだろう。道は真っ直ぐ続いているが、行って良い物か。 だが、そんなに離れてもいない気もするのだ。 それとも逆方向に向かって 走っているのだろうか。 真っ直ぐ行けばきっといつか、青い道路標示の看板があって、どっちが家か 教えてくれるだろう。 だがもし「←札幌」と言うアバウトな書かれ方をしていたらどうすれば良いのか。 うちは札幌だが、大変な外れなのだ。 しばらく行くと表示看板が。そこには近所の住所が!ラッキー。 矢印の方へ真っ直ぐ進むと、今度は大きな陸橋が。 見た事もない陸橋を前に 立ちすくんでは迷惑なので 迷わず通過する。 私はどこへ向かっているのだろうか。
陸橋を降りると、そこは見慣れた場所だった。驚いた。 どこがどうしてそこに着くのか全く解らない。 だが着いたのだ。 知ってる道であれば、私は走れるのだった。
家に着くと家族に驚いたような顔をされる。「本当に行って来たの?」 「行って来た。でも帰りに迷子になっちゃった」 私は曲がるべき道を 2本も行き過ぎていた事が家に着いてから判った。 では、どこで曲がるべきだったのか。それらしい道は無かったと思ったんだけど。
人には向きと不向きがあるのかも知れない。いや、ある。 だが、自分でしないとね、な事もあるのだ。 道を2本も行き過ぎる。まるで己の人生のようではないかと思うと身に沁みた。 基本的に負けは認めない。だが、もう多分 あの店には行かないだろう。
夏が近付いて来た。 日本の夏、金魚の夏。 その後の我が家の金魚のお話をします。
彼岸に一匹逝ってしまってから 数が変わらない金魚たち。 合計4匹。28円が2匹。350円が2匹。 オスとメスとを分ける事にずっと苦労して来たが、分ける事自体もう止めた。 どうやらオス3匹、メス1匹である事が判明したからだ。 350円の金魚はどちらもオスだった。今は一緒に暮らしている。 28円の金魚のうち大きい方、ずっとオスだと思われて来た方がどうやら メスだった。今は 小さな旦那様と一緒に暮らしている。 小さな旦那様はたまに大きな奥さんのお尻を追いかけている。 それを見て、ずっと性別を反対だと思い込んで来た家族はあ~あと言う声を出す。 「尻追ってるよ・・・」 350円の大きな金魚と一緒のメス争いでは、小さなオスであるシンゴに とても勝ち目はない。実際、戦いに敗れ、弱って 小さなままになってしまった。 だが、種類も同じ金魚屋のキンギョこと和金のポンポンと一緒なら中々 堂々とした夫婦ライフを送れているようだ。
これまでの我が家の金魚の産卵歴は、メスが1匹なら何となく説明の付かない 部分もある。でも、もういいや。考えるのも面倒になって来ちゃった。
数日前だが、和金夫婦のメスの方が怪我をした。 ウロコが直径1センチほどに渡り、剥がれたり傷付いたりしている。 「・・・」 夫の暴力か。それとも何かの時の配慮が足りないのか。 実際、多くのオスに群がられたメスはウロコが剥がれてボロボロになると聞く。 でも、うちはちっこくて大人しい旦那さんが1匹いるだけだ。 「シンゴちゃん。あんた・・・」 金魚相手でも 事が微妙な問題だけに あとの言葉が続かない。問うても答えてはくれまい。
「だけどさ~、あんな乱暴出来るものかな?相手の方が2倍は大きいよ」 「だって、それじゃあ何であんな怪我するの」 「それは・・・」 そうなんだよね。
乱暴者の烙印を押され、すっかり評判を落としたシンゴ。昼間は悠々と 回遊しているだけだ。 「夜やってるんじゃないの?」 うわ~淫靡。 怪我にばい菌が入っても困るので(数が減れば 世話は楽になるんだけど) 金魚の傷薬を買って来る。高価っ! 息子の傷薬の方がずっと安い。
子供の出入りが多くなり、昼間の水換えはままならない。 夕方になってから、大急ぎで水を替える。早速 薬湯にしてやろうと考えていた。 メスの身体の傷は治りかかっている様子が見えた。 何と言うか、大きくなると金魚って丈夫ですね。
うちは水換えは灯油ポンプで行う。一応金魚用なんだけど、形も原理も あれと一緒。色々使ってみて、これが一番良かったのだ。 1個の水槽でバケツ2杯分の水換え。初めのバケツの汚水を捨てに行く時 しばしば私はポンプを水槽に無造作に投げ入れて行っていたのだが・・・。
シンゴが投げ入れられたポンプ目掛けて、激しい攻撃をしている。 これまでは無かった行動だ。何度かポンプに体当たりを食らわせている。 「・・・・・・!」 ひょっとして、怪我の原因は 投げ入れたままにしてあったこのポンプ?? 1杯分を汲み取られ、水量が少なくなったところに ポンプを投げ入れられ (我ながらひどい事するなあ)身体の大きいメスの方が 吸い込み口にこすって しまったのか? また水量が少なくなったところにポンプを投げ入れやがってこの野郎と言う事で 堪らずオスが向かって来たんだろうか。 それなら納得。原因は私ですな。 もしそうなら、ごめん金魚よ。 だけど金魚が、そこまで学習するかな。 金魚にもあるんだろうか?夫婦愛。
とにかく悪かった。次回からそう言う いい加減な事はしません。 それでもメスの怪我が増えるようなら、やっぱり夜に何かやってるのかも 知れないけれど。
シンゴちゃんは、ほとんど口をパクパクしない金魚だ。 エラで間に合わせているらしい。そんなシンゴが たまに小さく口をパクパク させると、そこから本当に小さなあぶくが上がって来る。
2005年06月13日(月) |
たっつん(仮名)の事。 |
Y県の高校で、火薬を詰めた瓶を少年が作り、爆発させる事件があった。 瓶の中には殺傷力を高めるため、釘や、鉄片が入っていたと言う。 ネットから火薬瓶の作り方の情報を得たとか、無遅刻無欠席で成績は良かった とか小学校の卒業文集で「ゲームのキャラになりたい」と書いた辺りが 現実と虚構をごっちゃにしているとか、そう言った事が現在のところ報道 されている。精神的に幼いと言うコメントもあった。
この事件に 苦い記憶が頭の隅から引っ張り出されて来た。 たっつん(仮名)の事だ。 たっつんとは高校2年3年と同級であった。とにかく大人しい少年で、 少し白髪混じりの髪をいつも短く刈っていた。成績はそれほど良くは無かった。 だが、授業は真面目に受けていた。真面目に受けていたのは 授業だけでは 無かった事が判ったのは 3年の終わりが近付いた頃だ。 ちょっと意外に思ったが、彼は野球部に所属していたのである。
3年間、ずっとベンチだったと言う。だが一度も試合を欠席しなかった。 ずっとベンチで仲間を応援し続けたと言う。チームメイトはそれを知っていて 3年が卒業となる試合の最後に、どちらにせよ負けている事でもあるし 彼を打席に立たせる事を顧問に申し出たのだと言う。ところが顧問はこれを 拒絶した。彼は一度も試合に出られなかった。たまたまピッチャーもうちの クラスに居たもんで、彼が憤慨していたのをたまたま私は耳にしたのだった。 たっつんも その傍におり、少し不思議な笑顔を浮かべていた。
クラスでは特に友人は居なかった。とにかく口数が少ない。何も言わない。 コタロウ(仮名)と言う ちょっとボス格と言うか、硬派な少年が、良くたっつん をからかっていた。他の少年は野球部の子も含め、ほとんどたっつんを相手には していなかった。 コタロウはたっつんを乱暴に扱った。首に手を回しぎゅ~っとやるのだが 苛めていると言うよりは、相手が無反応で笑っている事に苛立っている様に 見えた。『苛めている』と、だから私は思わなかった。 「やめろ」と言えばコタロウは止めただろうと、今も思っている。
私はクラスでも変わり者の方であったと思う。馴染めないなと いつも思ってた。 たのきんのテレビも観てないし、揃っての昼ご飯も嫌い。男子の半分は変わり者の 女子などに話し掛けても来ないので、そんな男子よりいつもニコニコしている たっつんの方が余程マシだと思ってた。話はしなかったが。
たっつんの両親が学校に駆け込んだのは3年の終わりも近付いて居た頃だ。 担任がぽろっと話をこぼしてしまったのを これまた、たまたま聞いてしまった。 たっつんはひどい家庭内暴力を起こしていた。両親と兄弟に容赦ない暴力を 奮い、家がボロボロになるほどだと言う。手が付けられず 両親は学校に 泣き付いて来たのだった。 たっつんはコタロウが憎いと家で言っていたらしい。コタロウには 担任の拳固が確か入った筈である。
家を破壊し、家族を殴り捲くっているたっつんは 学校ではずっと 不思議な笑い顔を崩さずにいた。ずっとそうだった。 変わっているけど優しい子だと言うのが私の印象だ。 その話を聞いた時は、だからひたすら恐ろしく思った。
たっつんのその後を、私は知らない。クラス会も まだ余りないし、あっても 出て来ていない。話題も出ない。たっつんの家庭内暴力を知らないクラスメート も多かったと思う。
たっつんを最後の試合に出さなかった野球部顧問は 国語の教師だった。 それから数年後、真夏に無茶な訓練を課し、脱水症状で生徒が一人死んだ。 新聞に大きく出た。だが、教職は続けている筈だ。今はどうか知らないが。
恨みも怒りもあって当たり前。だが たっつんは全ての矛先を間違え、手段も 間違えてしまったように思う。 Y県の事件で、これからも盛んに言われるだろうネットとかゲームとか そうした言葉は もはや毎度の事であるが、これに関してはこんな子は居る。 そう感じる。
泣いたり怒ったりする事が、どれほど大事か。それを人前で見せる事を どんなに恥ずかしく感じたとしても。
2005年06月12日(日) |
スズメバチ巡回の季節。 |
外出から戻ってみると、少し前に家を出た母から留守電が。 「玄関に黒とオレンジの大きなハチが止まっていて驚いたから Rが学校から 帰って来る時、気を付けて見ていてやりなさい」 ふ~ん、そんな蜂はいなかったように見えたけど。飛んで行っちゃったか。 息子の帰宅時間。 小学生の声が聞こえたので、そろそろかと思ったら もう帰って来た。 寄り道でなければ一番乗り。何故に中間が無いのか。 「お母さ~ん、おっきいハチがいた」 むむう、やっぱり。 一応、庭箒を手に 再び外へ出る。だがハチの姿はどこにも無い。 「どんなハチだった?」 「花のところにいた。蜜を集めていたんだねえ」 のんきな。 「スズメバチだった?」 「わかんない。大きいハチだった」 「毛は生えていた?」 「生えてなかった」 ・・・・・・むむう。
6月の一時期だけだが、我が家にスズメバチの巡回が来る。 巣作りに適した場所を探しているのだろう。とは言え この辺りに巣を作った と言う話は聞かず、自然餌場も遠くなるので、以後やって来る事はほとんど無い。 うちに来るのはこれまで、専らキイロスズメバチだった。 オレンジと黒のハチ。・・・最悪のオオスズメバチを連想する。
一度仲間とパークゴルフへ行った帰り道、食堂で定食を食べていたらブ~ン オオスズメバチが窓から入って来た。 「!!!!!」 店には若い男女ばかり十数人が居たが パニックに。 閉じ込められて怒ったオオスズメバチは ブンブンバチバチ言って飛び回る。 半べそをかいている女の子も居た。私は半べそが似合うお年頃を 微妙に過ぎていた。 私のツレは大きな身体を丸め、何と私を盾にするではないですか。 その時、新聞紙を丸め 果敢にハチに立ち向かって行った無茶な男が一人いた。 もっとも、びびっていると失敗しがちだが、結局ムシ1匹叩き落すだけの事。 ガチガチ言うハチに向かって 冷静でさえ居られれば何て事はないんである。 彼は飛び上がって、スズメバチに鋭い一撃を食らわせ、テーブルに落ちたハチに 悠々と止めを刺した。 彼は、その時 定食屋にいた 全ての女性から賞賛の眼差しで見られた。 男性諸氏は ヒーローを前に彼女を横に、複雑な思いであったろうと思う。 怒って暴れるオオスズメバチは、ちょっとそれほど怖いです。
母が帰宅した。 「ねえ、やっぱり玄関にハチがいたって。スズメバチなんじゃないの?」 「・・・判らない」と母。 「毛、生えてた?」 「生えてたねえ。毛はたくさん生えてた」 スズメバチは毛が生えてると言う感じのしないハチだ。生えてないからだ。 大人しいハチは大抵 毛が生えている。毛に花粉がくっ付くのだ。 「・・・ムシ辞典を持って来よう」 オオスズメバチを見せる。 「ああ~全然これじゃなかった。もっと毛が」 しばらくパラパラ見ていた母は突然「ああ、これだ、多分これ」 ミツバチ。 ミツバチは案外と大きく見えるハチだ。襟巻きも堂々と立てる音も大きい。 でも花畑では大人しい。たまに写真などを撮りに仕事中の花畑に入ると 「ぶぶ~~ん」と嫌味な音を立てて去って行く。水撒き中は待っている。 「息子よ、ではあなたの見たハチもこれでしたか?」 ミツバチを見せてみる。「・・・・・・わかんない。大きなハチだった」 「ではこれでしたか?」 オオスズメバチを見せてみる。 「違う、全然これじゃない」 良かった。 「人騒がせなっ。全然普通のミツバチじゃん!覚えなさいミツバチくらい」
さて今日も草取り。 「そうは言っても、ハチの来る時期なんだから気を付けなさい」 喉元は過ぎたので、母の注意も耳の穴から聞き流し。 しばらく仕事をしていると、「ぶうんっ」 耳の側で強烈な音がっ 「!!!!」 慌てた時は声って出ません。私は庭を走って逃げた。 「ぶううううんっ」音はちっとも遠くならない。ひいっ 花のハチは、普通怒って追い掛けて来たりしないしっ。 刺された気配も無いので身体中を思い切って振ってみる。 ふと見ると、肩口に小さなアブがジャンパーに脚を引っ掛けて飛べなく なっていた。 「・・・・・・」 脚を外してやる。アブはよたよた飛んで行った。 私は全身から冷や汗を流していた。格好悪いったらない。
2005年06月11日(土) |
大関~、貴~乃~花~。 |
元大関貴乃花、双子山親方が亡くなった。 寂しいなと思う。私は現役時代 この人が好きだったんだよ・・・。
当時は 祖母の家に同居していて、テレビは居間に一台しかないし 祖父ちゃんは 相撲大好きだしで、選択の余地は無かったんだよね。 他の子の事は知らない。歌謡番組からアイドルを見つけてたのかも。 でもうちは チャンネル権は明治生まれの祖父ちゃんだから、相撲始まると その中から誰かのファンになるしか、もう無かったんだよ。 ファンになりたい年頃だし。
でもそう考えると、ラッキーだったかもと言える。 だって土俵には貴乃花が居たからね。彼はそう言う お相撲さんだった。 子供とは言え女の子。顔が可愛いと応援したくなる。
息子の方の貴乃花が出て来た時、確かに強くて、顔も・・・そう悪くはないな とは思ったけど 「余りお父さんには似てないなあ」と感じた。 でもその頃は、お父さんの貴乃花の記憶の方が 大分薄くなっていた。 親方は、息子もそれだけ大きくなったので それなりにお歳を召しており 見れば普通のおっさんになっていて、余計に判らなくなってしまった。 記憶の中の貴乃花は、優しい目をした土俵際の魔術師だった。 取り口が似ているのは、見た事のあるお相撲さんでは舞の海かな?と思う。 でも、元々 祖父ちゃんが見てた相撲だし、私は大して好きでもないので 大きくなってからは若貴全盛といわれた頃以外、ほとんど全く見ていない。 お相撲、詳しくありません。
貴乃花は、だから関取と言うより 夕方のアイドルだった。 有名な、北の湖関を破って座布団が飛んだ場所の記憶はないのだが、 事あるごとに息子の貴乃花を見ては 「お父さんはもっとハンサムだった」 「こんなオバQのママの口みたいな口じゃなかった」 などと 八つ当たり気味な事を、根拠も薄く私は言い続けて来た。 でも強いのは確かに息子が強かった。ガタイもずっと良いなと思ってた。
相撲は好きじゃないし判らないけど、そのうちスキャンダルとか奥さんの 事とかが騒がれだすと 「何だか、ひどく可哀相」と思った。 人の家の中の事なんか判らないけど、昔、好きだった人だからさ~。 そのうち病の話。それからは早かったな。
親方が亡くなった時は、珍しくワイドショーを観た。 若い頃のフィルムが沢山流れていた。タレ目で優しそうな顔立ちの やはり 中々のハンサムであり、太れなかったと言うだけあってアバラが見えるほどの 中途半端な痩せっぷり。相手が大きいと 何だか悲壮感漂う。 同じ小兵でも舞の海の時には、感じなかった悲壮感だ。 でも勝つ時はちゃんと勝つ。 ひょいっと勝つ。 判官びいきの明治男 祖父ちゃんが喜ぶ。 私も嬉しかった事を思い出した。
そんな祖父ちゃんは案外 長生きではなかった。貴乃花の現役引退を見る事 無く、あっと言う間に病に倒れてしまった。祖母ちゃんの方はまだ健在だが。
結論。貴乃花はお父さんのが良い男です。私的に。 今 彼がお相撲してたら、見ますよ相撲。絶対に。
ムシキング。 ちょっとは下火になっているのか、その辺りは判らないが幼稚園から 小学校低学年くらいの男の子にはこの話題を振ると結構な確率でお友達に なれる。ポケモンと並ぶ便利なゲームだ。 でも、実際に やった事はなかったんだよね。 「そうか~技カードそんなにたまったんだ。すごいね、辞典も持ってるんだ~」 話くらいは合わせられるさ。大人だもん。 実際は1枚100円としてカード100枚で10,000円かよっなどと考えている。 自分は大人買いする癖に、子供用の出費にはシワイ私だ。 しかもこれはアーケード専用。並んでるったら並んでる。 子供の行列ほど怖い物はないので、これまで近付いた事はなかった。 「ああ~っムシキングだあ」(息子) 「そうだね」(私) こんな、感じであった。
ところがその日のスーパーはたまたまムシキングがガラ空き。 「・・・・・・」 元々私はゲームをする大人。カードも好きな物なら買う大人。 100円を入れてみる。カードが出てきた。 「カードをスキャンしてね」ちょっと待って。 どうやらこれは虫ではなく虫が覚える技のカード。 「ワザカードをスキャンしてね」 ・・・・・・「ワザを覚えたよ」 やったね。 だが虫カードは持ってない。こう言う場合はどうなるんだろうと思ったら 無条件でカブトムシになった。ほお。 要するにジャンケンボタンで相手に勝てば 自分が技を出せると言う。 むか~しドラゴンのゲームでこんなのがあったんだよ 持ってたんだよ何だっけ? CDから読み込んでドラゴンが出て来る、でもモンスターファームじゃない奴。
訳がわからず連打する息子。同じボタンを押してる割にあっさりと3勝した。 3回買ったら終わり。子供配慮だ。商品は何かな? ・・・なにも出て来ないって事は勝ち負けよっか最初のカードか。 へえ~。100円投入。 と言う訳で300円投入した結果、カードが3枚になった。虫2枚。技1枚。 ガイドの妖精らしい少年が初心者向けに 次の手のヒントをくれるのだが 話を聞かない息子が連打してしまう。 落ち着かないったらない。 ふうん・・・。帰りに子供向け甲虫図鑑を買って帰る。
甲虫図鑑は面白かった。世界のクワガタやカブトムシが勢揃いしているのは 良いのだが、それぞれに「かっこよさ」「気性」「強さ」「レア度」などの 評価が★で記してあるのだ。 私はかっこよさの★が一つしか付いていない甲虫探しに夢中になった。 居たよ居ました。フンコロガシと見紛う容姿のカブトムシが。 でも地域特産、「レア度」は高い。だから何なんだと言う感じだが。
確かにこれはカードを集めようかなって気持ちには ちょっとはなるね。 スキャンする時も ちょっとだけワクっとするしね。ゲーム自体 基本は対戦 でしょうが、結局メインはカード収集。 ここまでは まあアイデア勝ちで過ぎなければ問題はないと思うん だけども。
近所のホームセンターでアトラスオオカブトがペア5,000円で大量に売られ ている。小さなプラスチックの容れ物に、おっそろしく大きなカブトムシが 入っているのだ。本物は私も見るのは初めて。うむ大きい。
ニモの映画がヒットした時、カクレクマノミの乱獲があったとかで 海水魚 を淡水で飼って「あら、死んじゃった」な人が続出したとか。 今回も似た様な事が起きているんだな。 しかもカブトムシは種類によっては普通に日本に住み着く物も居るんじゃないか。 外来種についてはバスを初めとして随分揉めていたけれど、カブトムシだって まずい筈なんだけど。 何で売るかな。売れるからだろうか。でも見たとこ売れてなかったが。 死んじゃうだけだろう。可哀相だな。 まあ 鈴虫も金魚も似たような売られ方だが。 何か、コンニャクゼリーみたいなのを食べさせられて 王者の風格も何も あったもんじゃあ・・・。
カブトは死んでもカビなければ普通に飾っておける虫としてお得感が強いので 昔から子供らの間では人気だったんだけど、さすがに昔の子だから獲って来た奴。 紐つけて歩かせてるんだけど、お父さんが山に行く子は羨ましかったな。 死んだ奴みして~とか言って 良く見せて貰ってました。 懐かしいけど、これからも 外来の甲虫が ああした無茶な売られ方をするのだ ろうし、乱獲出来ないだけポケモンの方がやっぱりマシじゃないのかと思う。 実在する物でファンタジーをやるのは やっぱり相当の配慮が必要だろう。
任天堂とSEGAとか、大人な事情もあるんでしょうが、結局 余りに過ぎると 困った問題が起きるんじゃあないだろうか。
そんな強くてでっかいムシも 広い世界のどこかに 居ると思うと格好良い。 ・・・では駄目なのかな。
2005年06月09日(木) |
トンネルを抜けると。 |
長いトンネルを抜けるとそこは雪国だったらびっくりするだろう。 トンネル前に雪がなかったら絶対に驚くね。 真っ暗な場所を抜けたら、そこに思いも寄らぬ風景が広がっている。 どうした訳か、そうした光景は忘れられなくなったりする。
子供の頃、近所にソッコージョと言う場所があって、今考えれば測候所で あるのだろうが、その周辺は空き地になっており、子供達の遊び場になって いた。良質のバッタが採れるのである。 更なる大物を狙うためには 遠征が必要であった。 大物が住んでいる場所までには海員学校(当時は近くにそんな学校があった) の寮の裏口を通るのだが、時々兄ちゃん達が汚いナリをした子供達にパンを 投げてくれるのである。 アンパンである事もありジャムパンである事もあったが、それを口にしながら 更なる道を行くのである。 だが、いつも遠征をしていると ばれた時、大変まずい事になるので 大体は 測候所のバッタで我慢していた。 測候所の空き地へ行くには『正規の道』と言うのがちゃんとあるのだが 子供達は細く暗い道を通って行く。 空き地前の、民家の玄関口を勝手に通っていたのである。 やだ、今自分ちがされたら絶対やだ。「通るなようっ」って言うだろうな。
細い道を抜けると、一面が真っ黄色に染まっている。タンポポの季節である。 暗く細い道から、広く一面の黄色。 タンポポの季節はバッタ最盛期ではなかった筈だが、人の獲ったバッタを 『うんこバッタ』とか言っては喧嘩になっていた頃が、鮮やかな 黄色と共に蘇って来る。
岩をくり抜いたらしい 短いトンネルを抜けると崖下に広がる海。 そこは人気スポットで、人一人やっと通れる道を通って、海を見ては 「わあ」とか言って戻って来るわけである。 海であり砂であり海草であり、渾然一体 何とも言えない色をしていた。 そして空。一度だけだが、忘れられない。 きっともう、行く事はないだろうと思う。何せ遠いんである。 道中は滅茶苦茶危険。 「私を海に連れてって」と言う願いは、ちょっと叶えて貰うあても ないし、この先もきっとないだろう。愚痴っても仕方ないが。 ちょっとマニアックなその場所は、今もきっと 変わらずあるんだろうけれど。
真っ暗な場所から思いもよらぬ 明るく広い世界へ。 それがこんなに心を打ち、いつまでも忘れられないのは とうに忘れてしまった と思い込んでいる古い古い記憶が、どこかで作用しているのかも知れない。
夕方になって、どうしても明日の朝使う物を 買い忘れていた事に気が付いた。 それ自体はどこにでも売っている物で、一番近くのスーパーで買って来ると 言って、それでも私は車で出かけた。 家人が一人残っているので、家の事は何の心配もないのだが、6時近くになって 買い物に出かける事は滅多にない。
目的のスーパーには行かず、少し遠回りをしてコンビニで買う事にする。 そこにしか売っていない 飲みたかったアイスコーヒーを一緒に購入。 家からはさして遠くないコンビニである。 次の信号を右折すれば家に戻る・・・のであるが車は直進する。 そのまま10分ほど、真っ直ぐ走らせる。 時折使う、ビデオ屋さんへ行くコースだ。だが、今日はビデオ屋には寄らない。 右折左折左折でぐるっと回って、もと来た道を帰る。
道は広く、真っ直ぐで、車通りもそれほど多くない。私はこの道が好きだ。 道の両脇の多くは古い民家で、歩道までこぼれ出た庭の花々が 目の隅を 流れ、独特の色彩を頭に残す。 陽が長くなった。そうは言っても6時半を過ぎており、夕闇が落ち始めている。 だがまだ、十分に明るい。
信号は青、青、青。確かに気持ちは良いのだが、微かな不安もよぎる。 道はずっと、遠くまで真っ直ぐに続き、遥かにぼんやりと山の影が見える。 もしもこれ以上、日が落ちず、この道が本当にこのまま真っ直ぐ続いて いるのなら、どこまで行けるか走って見ようか。 だが実際は、その間にも少しずつではあるが暗くなり始めており 道も、しばらく行くと分かれ道になっている事を 私は知っている。 信号で 左にウィンカーを出す。
「買って来ました~」 帰りが遅い事について何か言われるかな?とも思ったが 家の中はまったりと した雰囲気に包まれている。 「先に、ご飯食べちゃったよ」 息子が駆け寄って来た。 「今日、納豆食べた、納豆!元気出るからねっお母さんも納豆食べな、納豆っ」
いや、お母さん今 そんな気分じゃ微妙にないし。あ、くさっ!納豆くさっ。 納豆くさ~っ!
席替えになりました。息子のクラス。 それを知らせるプリントを頂いた。 「今度の席はどこかな?」 息子はど真ん中の列の一番前。つまり先生のまん前。 いわゆるそこは特等席だ。 目の悪い子、一時的に怪我をしたりして不自由のある子が前に座る事に なる場合がほとんどだ。だが例外もある。 うろちょろする子。 うちのクラスには私の知っている範囲で息子の他にももう一人ちょろ助が 居て、その子も見事に 最前列になっていた。 「自分が、なにゆえ真ん中になったか考えて見なさい」 先生とお話しする機会があったのだが、全ては仰らない物の、明らかに ちょろ助なため 前列になっている事は判った。 「何で前だと思う?」 「くじだから」 それはそうだが、お前さんと隣りのちょろは違うと思うぞ。 「うろちょろするのと、先生の話を聞いてないでしょう?」 「だって、Hちゃんはちゃんと聞いてるよ」 息子の新しいパートナーHちゃんは とても大人しい女の子だと言う。 「だけど一緒に前だもん」 それは気の毒な事にも お前の目付け役に任命されたんだっ。 「Hちゃんは先生のお話を聞いてるけど、あんたは聞いてないでしょう」 「時々聞いてないよ」 「教室を、勝手に出る事あるでしょう」 「時々あるよ」 むう。
「図工とあさがおの世話は すごく得意なんです」 先生が笑って仰る。いたなそう言う子、私の子供の時も。 今、何やってんだろうなあ・・・。
目の悪い子は黒板が見えないから前に座るけど、うろちょろするあんたが 前に座ってたら 何時までも前が空かない。ちゃんとしろ。
内心では昼ご飯を食べてからの勉強はちょっとはきつかろうと言う思いも ある。5時間目にもなれば、ふらふらしたくもなるだろう。 でも駄目なんである。辛いところだ。私は真面目な子供だったが 学校は 大嫌いだった。高校まで、普通に通っていたが 「やってられるか」 と言う思いを抱えた学生だった。 8割以上の先生の事は大嫌いだった。
数年前、近所のスーパーで偶然、宿敵Ⅰ先生にばったりと会った。 高校時代、反吐が出るほど嫌いであった彼は、私の事を良く覚えており 変わっていないと懐かしがってくれた。お孫さんを見せてくれ、娘さんを紹介 して下さった。 「現役時代はひどかったって、随分卒業生から言われてね。そのたんび いや、悪かったって謝ってるんだよね」 暴力は全く奮う人ではなかったが、やたら学校側について権力的な物言いを する人だったので生徒には嫌われていた。私は彼の似顔絵を描き、かなり お下品な漫画にして休み時間に回して、ウケを取っていた。 どうみても、もう一度会いたいと思わせる優しい好々爺になってしまっている。 やれやれ、こんな事もあるのだ。こちらも歳を取った。
「まだ小さい子だから、長い目で見ないと」 先生は仰る。息子は先生が大好きだと言う。 小学校一年の私の担任は厳しかった。もう亡くなっているが 好きになる 機会も 結局無かった。 どうせなら、学校も先生も好きであった方が良いに決まってはいるのだ。 嫌いになる人の数は少ない方が、自分自身の健康のためにもいい。 そして贔屓とか、そう言った意味合いではなく、先生にも嫌われるよりは 好かれる子供であって欲しいが、ちょろだから嫌われると言うものでも まあないんだろう、実際は。
人魚姫の話が完結した。 人魚は迷った挙句、ついに王子を刺す事が出来ず 朝日と共に海に身を投げ 泡となって消えて しまいましたとさ。 おしまい。 さて、息子 。どう思いましたか?
近頃の小学生の国語の勉強って難しい。読解力を早くから要求して来る。 これは絶対、我々の時代より早くなっている。 だから物語は、さり気無く試験付きにした。動機は不純だが微妙に切実。
「刺すと思ったのに」 おいおい。 「刺せばお母さんとお姉さんのところに帰れるのに」 なるほど。異性を愛すると言う発想自体が まだ無いんだった。 「刺されちゃうのがお母さんなら?」 「泡になる。消える」 答えは変わらない。この辺は一生変わらないで 欲しいもんなんだが。 「お姫様には王子様はお母さんと同じか、もっと大好きな人だったんだね。 お喋り出来なくなっても一緒に居たかったんだから」 「・・・・・・」
ま、黙ってたって解る日が来るさね。
「Rちゃんなら、どうすれば良かったと思う?どうすれば一番良かった?」 かなり抽象的な事を訊ねてみる。
「ばばあのところに行かなきゃ良かったと思う」 待てっおばばと私は読んだだろうがっ。
だがこれは ちょっと正しい。 確かに、おばばのところに行かなきゃあ良かったんである。 それじゃあ お話にならないが。 もっと他に良い方法があるものを 解っててしばしば人は早まります。私も。
現実でもこのおばば、あちこちに居るね。気を付けないと。
2005年06月05日(日) |
珍名さん、いらっしゃい。 |
ちょっと風が強く、曇り空の日曜日。 庭仕事をサボって、息子も3時前には回収し、ちゃんと観ました安田記念。 そしたらファンファーレ 思いっきりフライングしてました。 ああ言う事は珍しいんでしょうねえ。スターターが上がっているかどうかって 判らないもんなんだろうか。何でまたあんな事に。
今回は香港から強い馬が来てます。サイレントウィットネス。先日まで負け知らず だったと言うこの馬と、それに初めて土を付けた馬とあと1頭。 どうなんでしょう。移動で痩せちゃったとか言われてますが。 で、でかいっ550㌔。すごい、尻尾が半分の所で切ってあるので大きな尻が 余計に大きく見えて、何か格好良いとか美男とか言う以前にでかくて怖。 対する日本は珍名コンビです。いや、私は今回はそう言うレースだと思って 観てました。馬券かってないですし。 またこの珍名さん、2頭とも栗毛で本当に中々の美男。
マル外のアサクサデンエン。アサクサは冠で持ち主は田原さんと言う方なんだ そうです。活躍馬にアサクサキニナルがいます。マチカネさんを思い出すなあ。 アサクサゴロゴロ。いや、マチカネさんよりある意味シュールかも。 額にダイヤ型の流星の綺麗な馬デンエン君。細身のせいか 馬体重より小さく 見えます。
もう1頭は名前聞いただけで馬主が判る小田切有一さんの馬オレハマッテルゼ。 お父さんはサンデーサイレンス。ですが綺麗な栗毛馬。お母さんの名前は カーリーエンジェル。お母さんのお母さんが名牝ダイナカール、エアグルーブの 甥っ子(?)になる馬です。お姉さんは活躍時に厩舎の火事で死んでしまった悲劇の馬 エガオヲミセテ。馬名で初めて「ヲ」の字を使った事でも知られた馬でした。 良血なのね。しかも本当に綺麗な馬です。オレハマッテルゼ。 後脚2本が確か白。品良く、非常に良い感じ。 それ行け珍名コンビ。(失礼)
レースは速い展開でした。あっという間にゴール前。 飛び出して来たのは綺麗な栗毛で、でもオレハマッテルゼではない方。 そう、アサクサデンエンの方でした。 すごいぞデンエン。格好良いぞデンエン。 実況では気のせいか ほとんど名前呼ばれてなかったけど。 サイレントエウィットネス3着。 2着に もしかしたら枠入りで暴れるかな~?などといけない事をちょっと だけ期待してしまったスィープトウショウ。 オレハマッテルゼは・・・11着~っ揉まれちゃった~。
「何、この馬 流星以外は白が無くて、こう言うのも綺麗だよねえ」 「でしょ~?一着だったんだよ」 「何て馬だっけ?」 「アサクサデンエン」 「はははははははははは」
・・・デンエン・・・・更に強い所を見せてやって下さいよ。 それと、次は頑張れ オレハマッテルゼ・・・。
超能力とか霊能力とか そうした力があるのかどうか本当の所は判らない。 私の知り合いには霊が見える人がいる。誰でも一人くらい知り合いに居ませんか? 怖い本なんかで体験談を読んだりしていると「う~ん。見える人は見えるのかも」 などと考えてしまうが、友人を見る限り「見えてないだろ」と思うしかない。 言わないけど。
だって陳腐なんだもん。 不幸な話があると「あそこは血塗れの人がいつも行列を作って通って行くのが 見えたから、いつかこう言う事が起きると思ってたよ」 お墓参りに行くと「今。○○さんとそのお母さんがこっち向いて笑って 煙に乗って昇って行ったよ」とか。 余りにもベタ過ぎないか。こっちが何も見えないのを良い事に。 そこは弟さんも強い霊能力を持つそうで、二人で延々と如何に恐ろしい物を 見たかについて語り合っていた。血塗れが何かキーワードみたいだ。
もう一人、本人は何も見えないが『人の未来を占う占い師』に何でも相談 する人を知っていた(過去形)。困った事があるとその女性の所へ相談に 出掛ける。何故普通に友人や、家族に相談しないのか。 どうも理想の答えが返ってこないかららしい。 『占い師さん』は目玉が飛び出そうな結論を寄越す。 どう考えても自分の失態が、丸きり相手の責任になって 更に相手は額を床に 擦り付けて謝るべきであるみたいな答えを平気で持って来ちゃうのだ。 「『占い師さん』がそう言っていた」一回5,000円、相手によっちゃボロイ 商売である。
この様に、霊能力には本当に見えるらしい人が身近に居ないため やや懐疑的な 私だが 虫の報せなどと言う古くからある言葉に付いては疑う事は無い。 これは金縛りと同じで 説明の付く部分も無いではないからだ。
虫の報せとは違うが、2年に一度くらい何だか不思議な思いをする。 これは普通の人もこのくらいのペースでしている事ではないかと思う。 息子が帽子を無くした。何処で失くしたかさっぱりであり、学校でも見当たらない。 散々叱って諦める。2日経った夕方、椅子に座っていて仮寝をしようとして ふと眠るでもない起きているでもない様な事になり、夢にしては はっきりと 見慣れたソファーにちょこんと息子の帽子が乗っているのが見えた。 紺の帽子にオレンジのラインがくっきりと、帽子は前を向いているのに 後ろ側の交通安全のバッジも見える。そこで目が開いた。 「お母さん今変な夢見た。多分帽子は明日見付かる」 翌日、息子が意気揚々と帽子を被って帰宅した時も何となく満足感があった。 帽子は息子の帽子掛けに戻っていたのだそうである。早速床に投げられた帽子を 夢で見たソファーの上に置いてみる。良し。 たま~にあるこうした事は 潜在意識と偶然が重なって起きている事なので あろう。だが、どうせならもう少し派手に得する場面とかであって欲しい。
昔からたま~にこう言う事はあった。だが、何を見ても、何となく口にする事は はばかられた。だが、ある時を境に 見たら言う事にした。 虫の報せと言う物を、一度だけ経験している。 街を歩いていて何の前触れもなく、何が見えると言うわけでも無いのだが ある人が死んでしまうと言う事が頭に浮かぶのだ。理由は全く判らない。 それは一定間隔を置いて、数ヶ月に渡って続いた。 その間私は、その人に一度も連絡を取らなかった。 逆に電話しづらくなってしまったのである。 年に一度くらいしか会わなくなっていたとは言え、大切な人だった。 電話が入り、その人の名が出た瞬間、何も聞かないでも全てが解った。 私は酷く悔やんだ。それからは 見た事は全て、口に出す様にしている。 だが、この虫の報せも説明の付かない事ではない。 彼女の家の冷蔵庫は いつも空だった。食から始まる私にとって その冷蔵庫に ある種の危機感を 無意識に私は覚えていたのだと思う。 食べない事は、生きる気力の足りない事だと私の無意識は常に思っていたの かも知れない。
だがそれでも、見たら言う。人の生き死にを感じる事は二度と無く それからはネックレスがポケットから出て来ただの、そんなのばっかだが 一度だけ十万のネックレスのあり場所をあてて5千円親から貰った事がある。
ホームの方で、ちょっとお話を書いてます。 で、書く時は「これはどうなんだろう?」と思った時はネットで調べて みたりします。大抵は 直ぐに答えが見つかって、これは便利。 漢字もネットの辞書を使って調べてるし。 「とうに着いてる」の「とう」って漢字で書くと「疾うに」なんだそうで。 漢字にするのは止めました。それはともかく。
今のラブホテルってどんなんなっているんだろうと。 たまたまそう言うネタを思い付いてしまって、無縁な物を何ゆえ思い付くん だろう。でも思い付いてしまった物は・・・でもって調べてみました。 ラブホテルネット 面白い物がありますね。面白かったです。 他にも幾つかホテル関係の書き込みを読んだりもしました。 回転ベッドって過去の遺物となりつつあるんですか? ひょっとして、そう言うホテルは行った事あるけどそれってなに?って人も 今ここ読んでいる方でいらっしゃいますか。 回転ベッドは回転するベッドです。横に回転します。縦に回転したら磔けの 罰ゲームですね。 昔は、これのないラブホテルは無かったと言って良いのではないかと。 でもこれに一体何の意味があるのかは判らなかったです。 周囲が鏡とかで、それと連動させて意味があるんでしょうかね。でも酔うじゃん。 回転スピードが調節出来るやつとかもあったみたいですが、アトラクション じゃあ無いからなあ。廃れて来てると聞いて寂しい話と思いつつ微妙に 納得しました。 それでは今はどんな設備が主流なのか。
ジャグジー。良いですねえ。休まります。お風呂関係の充実です。 エッチイス。これってスケベイスですね? これの正式名称が俄然気になり出しました。検索「スケベイス 製造」 あったあった、製造会社さんのページが。商品名「イス」 それはそうだ。
ゲーム機が結構標準装備。これは良し悪しって感じもしますが、そうでもない 物なんでしょうかね。若い女性でゲームをする人も居ますがしない人も 結構 多いんじゃないかと。 セックスもゲームも娯楽と言う事で一纏めとかにならないのかな? 「間が持たなければ煙草」古き良き時代です。煙草は身体に悪いけど。 「それかエロビデオ」 オレは今 間が持たないからこんなの見ているけど 実は結構恥ずかしいと言う気持ちを男性が持つ分、ゲームよかましな 気がしますが。どうなんでしょうね。アダルトビデオやDVDは今でも勿論 普通に観られるみたいですが。
カラオケ。これはあるでしょうね。結構昔からあったですよ。 でも、どんなシチュエーションで歌っているのか不思議で仕方なかったん ですけど。それは今も不思議。歌から入るのかな?そう言う事もあるか。
他にもお食事関係の充実とかは良いですね。食うは基本ですから。 コスプレルーム。これは昔は無かった物ですね。いや、一部にはあった。 これの元祖は聞いた事があります。似合う頃に行ってみたかったかも。 ソフトSM系は健在のようです。需要はコスプレとどっちがあるんでしょうね。
学生時代、この部屋に入ったと言う人の所に群がって「どうだったどうだった」 などと聞いてました。 「ええとねえ。吊り輪があって」とかね。
何しに学校行ってたんだろうなあ、今思えば。
子守唄も聴かずに自分で歌い、お話を読めばストーリーと全く違う事を 訊いてばかりいた息子が、最近ようやく 寝る前に物語をせがみ始めた。 遅い。もう6歳。数ヶ月前から一人部屋で勝手に寝ている。 寝る前のお話なんか、照れくさくて嫌になって来る年齢ではないんだろうか。 でもまあ、とにかく、聞きたいと言う。 学校の読み聞かせとかが関係しているのかも知れないな。
始めの話は「幸福の王子」 実は私は ハッピーエンドが嫌い。子供の頃からそう。 好きな物語は「赤いろうそくと人魚」「ごんぎつね」「小鹿物語」など。 「フランダースの犬」とか。何だかトラウマコレクションみたいである。
「楽しい話と、悲しい話、どっちをして欲しい?」 「幸せの王子」の次の話を決める時、一応息子に聞いてみた。 もし「楽しい話」と答えたら「豆の口は何故黒いか」と言う話をしてやる つもりだった。これまで聞いた昔話の中で 馬鹿馬鹿しさでは群を抜いている お気に入りの話だ。 息子は「悲しい話」と答えた。 そうか。 「じゃあ人魚姫の話を」 もちろん、海の泡バージョンである。
話は5夜に分けてする。今日はいよいよ銀のナイフのところまで話した。 「王子を刺せば、人魚に戻ってお姉さんやお父さん達と幸せに暮らせる。 もし刺せなければ 海の泡になって消える」 残りは明日のお楽しみだ。 ここで質問コーナーを設けてみる。 「Rちゃんが人魚姫だったら、どうする?」 息子は少し考えて答える。 「王子様が、今日帰りに、みんなで木で刺したナメクジだとして」 おいおい、「だとして」じゃないだろう。 「お姫様は お喋り出来なくなっても一緒に居たいくらい 王子様が好きだった んだよね」 ナメクジと一緒にすんな。それとナメクジを苛めるな。
「じゃ、先の尖った所でちょっとだけ ちくっとする」 「駄目、ぐっさり刺さないと」 「じゃ、平べったい所で」 「ぺんぺんってするのね? 駄目、ぐっさり刺さないと」 ひどい事を言っているようだが、いや、言っているのだが 私の時は一回で ぐっさり刺すんだなって判ったもんね。想像力ないな、息子よ。
「じゃあ人魚姫がRちゃん、王子様がお母さんで考えたら」 ・・・いいじゃないかっ今しかこんなお馬鹿な例え話は出来ないんだしっ 「Rちゃんは消える」 無表情な顔で言う息子。 「お母さんが死んだら嫌だから、Rちゃんは消える」 泣) 「そうか Rちゃんならそうするの、人魚姫はどうするのかは明日のお楽しみ」 言いながら涙声。 「お母さん、のど渇いた。ポカリスエット(好物)飲みたい」 「はい、今持って来る。特別だよ」
「やられたね」 と母は言う。やっぱりそうかね。 まあ、本心もあるけど、計算もゼロではないだろうな~。一応6歳だもんねえ。 いつもベッドに入ってから飲み物を飲みたがるのだが、階下で飲ませて、 それ以降は禁止しているんだよね。 まあいい、詰まらない例えで迫った こっちも悪い。
ナメクジ話との落差が激しいが、とにかく消える気分には ちょっとは なったかも知れない息子。 これが肝心と 私は思わないでもない。悲劇にはどこか痛みに対する 想像力を豊かにさせる何かがあると感じる。 賛否はもちろん、あるでしょうが。
2005年06月01日(水) |
インコを見に行こう。 |
百貨店のペットショップへ行ってみた。 ここには「可愛いね」と言うと「カワイイネ~、カワイイヨ~」と何やら 怪しげな撮影現場のような声を返すインコが居ると聞いたのだ。
「カワイイヨ~」の主はオトメズグロインコのプリンちゃん♂オトメであっても 男の子らしい。このインコ、ズグロ(頭黒)と言うだけ あって、頭頂部は真っ黒。だが、その他の部分があんまりな配色なので 頭が黒い事なんか、ちょっと直ぐには気が付かない。 腹を見せると そこは、赤と青の見事なツートンカラー。羽は緑で尻羽根は 黄色い。ゴシキセイガイインコ(ローリーキート。オーストラリアで 鳩みたいに集まって来る派手派手な奴)からウロコ模様を抜いたと言うか ベッタリ絵の具を塗り付けたような色合いは、トロピカルと言うより 既にサイケデリック。 とは言え、見れば大変に人馴れしている様子だ。 「プリンちゃん可愛いよ」「プリンちゃん可愛いねえ」 プリンちゃんは食事中だったので相手にしてくれない。 しばらくすると遊び始めたので、再び挑戦。「可愛いね~」 「・・・・・・」 ・・・可愛くない。 だが、簡単な音になら即座に反応してくれた。 「はっはっはっはっはっは」 「はっはっはっはっはっは」 「は~っはっはっはっはっは」 「は~っはっはっはっはっは」 プリンちゃん♂は次第に、興奮して来てしまったようである。 餌箱の中に裏返しに入って、天井に向けた両足をバタバタさせながら 「け~っけれけれけれけれけ~っ」 と絶叫し始めた。 その様子は大型インコ独特の「鳥でも、でかいと ここまで迫力あります」 のまんまで、私は結構楽しみながら、インコ臭いカゴをいつまでも覗いていた。
コガネメキシコインコ、ナナクサインコ、ウロコインコ ほとんどが10万円前後である。 破格はモモイロインコの50万円。高価いっ。綺麗だけどね。 ヨウムも高価だが、この日は売れてしまったのか店頭にはいなかった。
大型インコは殆どが物真似が得意だが、返事が出来る種類は余り居ないと言う。 「ただいま~」と言えば「ただいま~」と返す。 「おかえり~」と返せる利口な種類がヨウムだ。賢い物は相当数の会話が かわせると言う。顔に非常に特徴がある。怖いと思う人も居るかもしれない。 だが実際は、気性の穏やかな鳥だと言う。
「きえええええええええええっ」 耳が潰れそう。ウロコインコだ。可愛いがこれはなあ。本当に耳がっ。
他にも色々なペットが居たが、ミーアキャットが ずっと狭い小屋の中を グルグルと回っていた。ミーアキャットかあ。ペットとして売ってるんだ~。 鳥は昔から飼ってますが、他のペットって余り詳しくない。 亀とトカゲはちょっと欲しいけど、チョコエッグのフィギュアでも別に良い。
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