朝生みたのでその感想でも・・ 「教育」と言うテーマでしたが、とりあえず番組内で募集されてた質問に僕なりの考えを
①「ゆとり教育」をどう思うか?その理由 コレに関しては僕は大失敗だと思います。後で理由も含めて書きますが「ゆとり」を与える場所が違うかなと。
②戦後民主主義の功罪 「様々な選択肢を与えたが選択する力を与える事は出来なかった。」と言う感じかな。
内容の感想ですが、なんというかパッとしない感じでした。さすがに「国家100年の大計」と言われる教育だけあって簡単には答えは出ないですね。
吉田さんだったかな?「ゆとり教育」を推進した側の人だったと思うけど、無責任と言うか今いろんな所で出てる結果を無視して「見方による」みたいな発言してた。確かに言いたい事は分かるけど、今の結果から考えたら成功とは決して言えないんだから「ゆとり教育」推進した側としては責任とらんといかんでしょ。
途中で眠くなってねたんで最後までの内容は分からないけど、自分なりの教育の理想を無責任に語って見る。
とりあえず、学校は基礎学力を磨くところで「ゆとり」なんかを提供する場ではない。厳しい中にも先生のやさしさや友達の素晴らしさを学ぶのがいいことだと思う。尊敬できる先生がいれば基礎学問を教えてもらってるだけでも道徳なども学ぶことができると思うし、学校ではあくまで付随的に基礎学力以外を学べる場だと思う。
そうすると現代では夫婦共働きなどで子供の心の教育がおろそかになる、とか言うことになると思うんだけど、それはあくまで学校以外の別の場所で行うべきだと思う。土日で地域主催の「総合学習」みたいなことをやればいいと思うし、そういった専門機関を作るのもいいと思う。
でも、やっぱり一番大事なのは家族それぞれが子供の心の教育をすべきだと思う。今は誰が悪いみたいなことになってて自分の責任を考えない風潮が強すぎるような気がする。
誰が悪いと罵ってみても、一番変え易いのは自分なんだから自分から物事に取り組む事が一番楽で効果的なことでしょ。
昨日僕にとって最大の「公」というのは国だと言うことを書きましたが、その事をちょい説明。基本的には小林よしのりさんの「戦争論」で書かれていたとおりだと思います。でもそう考える理由というのを自分なりに考えて見ました。
20世紀の歴史から学んだ事といえば、共産主義は理想に過ぎず資本主義と共存は出来ないと言うことだと思います。一部中国が例外と言えば例外ですが、純粋な共産主義ではないですし、国内の貧富の差を見ても明らかにおかしい事になってます。人海戦術で今はなんとかなっていると言う感じかな。
つまり人はなんらかの競争をしないと怠けてしまって競争をしている人と比べて明らかに劣ってしまうのです。すべての人が共産主義を信じれば理想も叶うかもしれないけど、そんなことはアリエナイ。
つまり人は競争を前提として生きるしかなく、それによって進歩していくのだと思う。その前提に立つと今の地球上では最大の競争単位としては国だと思うし、その国内に住む人は多かれ少なかれ自国が競争に勝つために貢献しなければならないと思う。だから僕にとって最大の「公」は国なのです。
では、世界はどういう位置づけなんだろうか? 僕は国同士が競争を行う「場」だと思う。審判としての「国連」が存在し正常な競争が行われているかを監視する。競争の最終手段である「戦争」などが起こらないように。
地球環境を守るために環境保全を行うのは競争を行う「場」を大切にするという「ルール」だし、発展途上国に援助をするのは競争に参加する事に遅れた国に競争に参加する力を与えて、より活発な競争を促すこともあるし、単純に競争の犠牲になった人に援助するという意味もあるだろう。
と言うわけで今の僕の最大の「公」は国なのです。
もし宇宙人が地球にやってきたら、僕の最大の「公」は世界になると思う。 その時には「進歩的地球人」の「公」は宇宙になっているんだろうケドね。
国籍で公務員管理職受験拒否は合憲の最高裁判断がありました。 当たり前だと思うのですが、高裁では逆の結果だったんですよね^^;
おそらくこの人が日本に帰化しないのは、自国に誇りを持って生きているということだと思うしその事は素晴らしいことだと思う。でも自国に誇りを持つと同時に気を付けなくてはいけないことは、他国の主権を認めることだと思う。過剰の愛国心を危惧する人はこの部分を危惧しているのだろう。
この人は自分が日本人と同様の扱いを受けないことを差別だと言っていたが、自国を誇り他国を認めない結果として起こる事こそが「差別」だと思う。まさに今この人が陥っている状況ではないだろうか?
日本の方針である「公権力行使や公の意思形成への参画にたずさわる公務員になるためには日本国籍が必要」という事項を認めず自分の権利のみを主張する。日本に帰化しない(おそらく自国を愛しての事だろう)のに日本の主権を認めない。この事こそ「差別」なんじゃないのか?
今の世の中では「公」としての最大の単位は国だと思うし、それぞれの国同士が主権を認め、尊重する。これこそが平等なのだと思う。
自分勝手な「平等」を掲げ、日本国の主権を認めない奴は自国へカエレ。
個人的にゲームは結構好きで、今までいろいろやり込んできました。 最近は暇な時にやる程度ですが・・・
男 「価値観なんて人それぞれなんだから自分が好きなようにやってりゃ いいんじゃないの?オレはゲームが好きだから、適当に生活できる くらい稼いでゲームやって暮らしていければ幸せだね。」
女 「まあね・・・幸せは人それぞれだからね。 でもやっぱり世の中には多くの人が持ってる価値観の共有見たいな のがあって、例えば今野球選手は普通のスポーツ選手より年俸が高 いよね。それはやっぱりより多くの人が野球に興味があって、より 多くの人を感動させたりできるからだと思うよ。」
男 「そういうことも含めて自由なんだよ。だから俺は自分の価値観で幸 せだと思うことしか認めない。」
女 「まあ今の時代多様な価値観があって、それをどんどん奨励するよう な時代だからそう思うこと自体はいいんじゃないの?でもやっぱり 自分の価値観だけしか認めないんじゃなくて・・・」
男 「分かって無いなぁ。」
女 「そうね。あなたは正しい事言ってると思うわ。 まああなたらしく一人でオ○ニーでもしてれば? それが幸せなんでしょ?」
<糸冬>
いや、別に意味無いけどなんとなくこんなことが頭に浮かんだので・・・
いろんな価値観があるってのは難しいね。 難しい世の中になったもんだ。 それが楽しくもあり、苦しくもあるのかな?
女性天皇を認めるかどうかという会議らしいです。僕自身皇室典範のことよく分からないんですが・・・
とりあえず僕は今までの伝統というのは大事だと思うし、千年以上も続いてきた皇室に誇りも感じる。別に皇室自体が自分の誇りに思うと言うわけじゃなく、過去の日本人が千年以上にわたって皇室を敬い、守りぬいてきたことが素晴らしいと思うし、そんな日本人であることが誇りに思える。
だから過去の日本人が守りぬいてきた皇室の決まりごとなどはできるだけ守っていきたいと思うし、日本人として生まれたからにはその義務があると思う。
女性天皇が認められたのは過去にも何度かあり、それ自体は新しい事ではないらしい。しかしそれはあくまで「リリーフ」としての繋ぎであったらしい。それならば今回もそのような措置で構わないのではないかと思う。
できるだけ続いてきた伝統を変えない方向で、問題が生じたその時その時に対処していくというのではダメなのかな?
詳しい事はよく分からないので、突っ込んだ話ができないけどできる限り伝統は守って行きたいと思う。
だって、伝統が一旦途切れたら今までそれに関わってきた人の思いが途切れるような気がするから・・
今の時期は卒業のための修士論文を書いております。 ので結構忙しいのです。 内容ははっきり言って失敗です。例えると・・・
「どこでもドア」が欲しいから適当にドアを作って見たけど、くぐってみてもやっぱりどこにも行けなかった。「どこでもドア」を作るのにはまず最初に原理を知ることが大事だから、「通り抜けフープ」の原理を調べてみよう。う~ん、難しい・・・ <終わり>
見たいな感じです。アリエナイ例ですが、自分なりにはかなり的を得た例だと思っとります。「どこでもドア」がいつの間にか「通り抜けフープ」になってる辺りが・・ね
しかぁし、ここで考える。もし論文が成功したとしよう。僕が得る物はなんなのか?当然論文は失敗よりも書きやすく、悩まずにかけるだろう。また教授の信頼も上がるだろう。しかし教授の信頼が上がったところでもう卒業するのだし、正直そんなものは要らない。
成功によって得られるものは「地位」、「名声」や「お金」だろう。このうち学生のうちに得る価値のあるものなどない、と思う。唯一の「お金」に関しては学生のうちはもらえないし・・
逆に失敗によって得られるものはなんだろう?失敗によって論文は非常に書きにくい物になったが、失敗から学んだ事、またはその対策などを考える事により物事を多角的に考えることが出来るようになるだろう。また失敗の原因を考える事で次回からは同じ過ちを犯しにくくなるだろう。さらにこの失敗により「次こそは!」と言う気持ちも生まれる。
失敗から得られることは、すべて次回に繋がる事であり、まさに学生の本分である「成長」ではないだろうか。 学生のうちは成功によって得る物はなく、失敗によって得る物は多い。
よって学生のうちはどんどん失敗するべきなのである。
と、言ってますがどうでしょう?
[やる気]<無い袖は振れんって!!!
2005年01月21日(金) |
シビリアンコントロール |
さっきのnews23でやってたけど、社民党の田議員が「陸上幕僚幹部が、憲法草案を中谷元・元防衛長官に渡していた問題」で中谷元防衛庁長官と草案を作成した陸上幕僚幹部を刑事告発したらしい。
なんというかシビリアンコントロールの意味を分かってるんですかね? そう言う僕も難しい意味は分からないですが(笑)
普通に考えて、誰でも憲法草案を考える事は自由でそれを提出することも別に問題なくて(まあ提出し過ぎるのも迷惑でしょうが)、その提出された草案を国会で審議し国民の賛同を得れば憲法になる。その審議と賛同を得なければならないって言うのがシビリアンコントロールでしょ。
そんなことも分からず、自分達がお好きな「言論の弾圧」を実践している社民党の議員はすでに末期ですね。
いや、ランキング見てると芸能関係の投票数が多いから題名にするとチラッとでも見る人いるかなと・・・
一応それ関係の話をすると、最近芸能人の追っかけとまでは言わないけど、ファンになるって気持ちがほんのちょ~~~~っとだけ分かったような気がスル。今までお笑い芸人で面白いと思う人はいても別に出かけて行って見ようとも思わなかったし、行ってる人の気持ちが全く分からんかった。
でも最近ちょっと分かった気がする。 なんつ~か「愛」? よく分からんが「愛」?
まあとりあえず、頑張っている人は応援したくなるし、しかも自分の好きな方向で頑張っている人はもっと頑張ってもらいたいから、ファンになって応援する。そんな感じか?
とりあえず最近自分の聴いている歌手のHPにメール送ってみたり、日記かいてる人の掲示板に書き込んでみたり、少しずつ応援しております。
ま、応援する前に「お前ががんばれよ!!」って言われるのは ワカッテオリマス
昨日の日記の題名と内容が余り繋がりなかったですね。というか書こうとしていた途中で終わってしまってました。忘れてたわけでは無いんですけど、丁度良かったと言うか・・・
んで、続きなんですが。 なにかの本で読んだような気がするんですが(責任は持てません)、色即是空の一つの解釈として意識(色)と無意識(空)を表現した言葉で、悟りの境地に近いものらしいです。
ここからは自分の解釈に拠りますが、 色即是空とは読みを直すと「色は即ち空なり」つまり「意識はつまり無意識である」ということです。はっきり言ってよく分からないわけですが、一つの例を挙げますと
例えば僕は姿勢が悪くて普段猫背になってます。でも「それではイカン」と思い「意識」して姿勢を良くします。この「意識」をずっと続けていくと「無意識」の内に姿勢を正していることがあるカモ。ということ
前までは「意識」していないと出来なかった事が「無意識」にできるようになる。これがプチ「色即是空」かもしれない。
前サッカー番組で日本代表FW久保竜彦さんが言っていた。(自分のボレーシュートを見て)「あれが無意識にできるようになると、他の事を考えられてプレーの幅が広がる」みたいなことを。これも一種のプチ「色即是空」?
何かの達人というのは厳しい修行を積むことによって、普段「意識」しないと出来ないことを「無意識」にできるようにしているのかもしれない。これをすべての物事に対して行えるようになるのが悟りなのかな?
僕のように猫背ですら「色即是空」出来ない庶民は、日々「意識」して生きてゆくしかないのです。
最近ニュースを聞いていると「ん?」と思うことが多い。昨日のサンデープロジェクトはライブで見逃したけど、ネットにアップしていた動画でみた。安倍さんの出てる部分だけだったけど・・
コレを見ると明らかに田原さんはこの問題をNHKの内部の問題と言うことにしたいと考えているのが分かる。朝日新聞の責任は全く無視したいらしい。 と言う感想を僕は持った。
そこで僕は思ったのだが、日記を書く前というか政治に興味を持つ前の僕ならおそらくこんな事には気づかず、田原さんの考えどおりにNHKが悪いとの感想を持ったかもしれない。大多数の人がそうであるように・・・
この違いはなんなのか?最近ニュースを聞いていると「ん?」と興味を惹かれたり、ニュースの内容の裏というか真実が見えるようになったのは。僕はこの原因は「意識」なのかなと思う。政治に関心を持つようになってなんとなくニュースを「意識」し始めたからその内容に興味を惹かれたり、その深い部分が分かったりするようになったのだと思う。
毎日同じようなニュースを聞いていても疑問にも思わなかったことが「意識」することで疑問に思えてきたり、理解できたりする。それでも今理解で来ているのは自分が「意識」している範囲までで、もっと経験を積んだ「意識」の範囲が広い人はもっと深く理解しているのだろう。
同じ内容を聞いても人によって捉え方が違うし、1を聞いて1も理解できない人と10を知る人の違いは経験などを含めた「意識」の違いにあるのかなぁとおもう。
できるだけ「意識」を広げられるように「意識」して日々送って行こう。
たぶん1000のためになる事を詰め込んだこの文章を読んでも「意識」の違いによって理解してくれる人としてくれない人がいるんだろうなぁ・・・
と、偉そうなことを言ってみる。 ほんとはためになる事は全く入っておりませんです。
今週はとりあえず日記を書くことの難しさと言うか、継続の難しさと言うのを実感しました。といってもまだ2週間目なのが、自分のしょぼさを物語っていますが・・
今週の最初の日記は他に書こうと思うことがあったけど、なんとなくまとまらなく結構適当な内容になっちゃいました。自分の中でどうも切れが悪いと言うのがあってそれも書きましたが・・・
個人的に自分の日記を書いた&読んだ感想を言いますと結論を急ぎ過ぎると言うか、扱っている内容がチョットしかないのにそこから大きな結論を無理やり引き出そうとしている感じですね。
自分としては一応内容のある日記を目指しているので、その中で結論を出さないとという変な責任感があるからなのかなと思うのですが、自分の無知さかげんと簡単に答えが出るわけないという理由から結果的に内容が無責任になってる部分がありますね。
まあ日記を書き始めた理由が10割自分のためなので、こうやって考えて行くというのが成功でもあるわけですが・・・
まあこんな考え方もあるのかなと言う感じで読んでいただければ幸いです。
最近の右と左の定義がよく分からないので左右は使わないけど、平等主義の反対は自由主義だと思う。
平等主義は極めれば全く変化を許さないシステムになるし、自由主義は極端になれば無秩序となるだろう。どちらも重要な主義だと思うし、まさに最強の盾(平等)と最強の矛(自由)の関係だと思う。
どちらの主義にも優劣を付ける事は出来ないと思うが、今の世の中はアメリカの影響もあり自由主義の方が優っているという評価なのかもしれない。でもどちらも極端に陥ればシステムは機能し無くなるため、ケースバイケースでどちらを用いるかが重要となる。
体制側としてはその体制を維持するという「責任」があるため、矛と盾の用い方は慎重にならざるをえず、反体制側としては比較的「責任」が小さいため矛と盾の用い方に比較的自由度がある。体制が極端にならないようにするために反体制側の「責任」が比較的小さくなることは大事だと思う。
だから反体制側は相手の盾の部分を矛で攻撃することができるし、ケースによってはその逆もあるだろう。しかし反体制側にも責任があり、「このケースはこういう考えで盾(矛)を使う」という基本的な考えを持っている必要がある。
今の朝日新聞をはじめとする反体制側はその責任を全く放棄し、ケースバイケースで盾と矛を持ち変える事すらせず、その両方を持って体制批判をしているように思う。その主張には全く責任が無く、最強の矛と盾両方を持っているから自分を「絶対正義」と信じ、自分の主張を貫いている。その行為自体が「矛盾」を孕んでいるにも関わらず(コレが言いたかった
NHKの番組への政治介入の問題での野党の反応はまさにこれである。
今回NHKが認めているように番組の内容は明らかに公平性を欠いたもので、政府は盾を持ってこの問題に当たった(実際は番組内容に対して政府は何もしていないらしいが・・・)
民主党なども冷静に考えれば内容が公平性を欠いたものであるのが分かっている(盾側)にも関わらず(もしこれを公正であると思うのならその立場を明確にするべき)、参考人招致で報道の自由(矛)をかざし、これを問題化しようとしている。まさに無責任に「矛盾」しているのだ。
こういう明らかに正しい事をした場合は野党もそれを支持するくらいの良識があってもいいと思う。
「政治介入か指摘か」と言うことが問題になってますが、そういう問題ではなく、法(ルール)を守れない場合は介入も当然と僕は思いますがね・・・もしくは守れなかった場合の罰則を厳しくするなりの対策が必要だと思う。
今日は例え話で話を進めましたが、 「盾でどうやって攻撃するの?」という突っ込みは無しで・・
NHKへの政治介入の問題。 どんなに自由を望む人でも、最低限のルール(法)には従うだろうし、従うという前提で自由が与えられるはずである。
自由の拡大を望むのなら暗黙の了解として必ずルールを守るという常識があるはずである。自由の拡大を望めば望むほどルールを守るという自身の責任は重くなるし、ルールを破った時の罰は大きくなるべきだと思う。
今回の件では、放送法第3条2項のルール「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」にNHKが反していることは明らかだし、それを分かっているからNHKは「自ら」番組内容を変更したのだろう。
もしこれが内容変更の無いまま放送されていれば、政治的圧力の有無に関わらずNHKは放送法に反したことになり、もっと大きな問題になっただろう。そういう意味でNHKが「自ら」放送内容を変更したと主張していることは賢明な判断だし、NHKにまだ良識がある証拠だと思う。
もし政治的圧力でやむなく放送内容を変更したなんて言ったら、NHKが放送法に反した内容を認める事になるしね。
この問題で一番の問題点は、やっぱり朝日新聞の報道だと思う。 普段報道の自由を主張し、与えられた自由の代わりに大きな責任を背負っているはずなのに、中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理に関する誤報を報じるという最も基本的な責任すら放棄した行為をしたのだ。
「一人前になってから自由は与えられる」 こんなこと当たり前で誰も言わないから朝日新聞は判らないのだろうか? さらに自由を主張するなんて言語道断!!
朝日新聞社には政治介入で一人前になってもらうしかないんじゃない?ww
2005年01月13日(木) |
1月12日壺にはまる |
>社民党「労働者の党」で雇用内紛“勃発” 来週、党本部職員9人を解雇
>社民党は十一日、三十三人の党本部職員のうち来週中に九人を解雇する方>針を決めた。
ほんとに壺にはまりました。ニュース何回か読み直した後、社民党のホームページ行って社民党紹介を見直しました。
いろいろ突っ込みどころがありすぎて困る感じですが、普通考えるワークシェアリングをしなかった所を見ると、社民党はほんとに組織として崩壊の危険があるのかな?ワークシェアリングをしてもただの時間稼ぎにすぎないってことに気づいている辺りがなかなかしっかりしてるというか・・・
自らが育てた反体制のプロフェッショナル9人の動きが気になるところですが、やはり法廷に訴えるのかな。頑張って勝利を勝ち取って貰いたいところです。とりあえず妥協案として、裁判官あたりが「社民党の方針に従い、公正に議員を含めたくじ引きで9人を決めたらどうでしょう?」とかいって欲しいね。
まあ社民党の理念を全否定するつもりはないけど(今の社民党は全否定してもいいくらいですが)、世の中全体が左方面に行っちゃうと自分たちの色が出ないから色を出そうとしてさらに左に行っちゃったんだろうなぁ。
当然の報いとして、「世の中が左の崖に落ちる前に自分達が先に落ちちゃった」って感じか?
コレを教訓にして世の中は真ん中の道を通りましょう。
2005年01月11日(火) |
そこまで言って委員会 |
見ました。今週の日曜。 パネラーのみなさん一流の人達ばかりで聞いていてとてもタメになります。 その中で気になるのが田嶋陽子さん。
この人ご存知の通りフェミニストなんですが、女性の地位向上に尽力なされ、ご自身も国会議員を経験するなどすごい努力なさっているんでしょう。
しかし、よほど自分に自信があるのか人の話を全く聞かない。日本国憲法改正の話で自衛隊を軍隊と認めるかどうかの話の時に、「武器を持ったら人は使ってしまう。だから武器は持ったらダメ」みたいな事を言っておいて、北朝鮮への経済制裁の話では「北朝鮮はミサイルは打たない。金正日だって馬鹿じゃないんだから」という風な事を言っていた。
「金正日は馬鹿だ」ととりあえず突っ込みたい所だが、自分の国は信じられないが、他国(しかも北朝鮮)は信じられるという超楽天的なダブルスタンダードにはあきれるばかりだ。コレを指摘されても動じない姿はまさに、男勝りで男でもあそこまで立派に詭弁は吐けません。
また結婚して子育てする事に異常に反発し、「結婚して、子供を生んだら男の奴隷」みたいなことを言っている。女性の自由とか解放とか言ってる割に自分の価値観をTVで垂れ流し、その他大勢の女性の意見を全く認めていない。
大多数の女性は結婚して子供を生む事に幸せを感じるのだろうし、その幸せを感じられるのは女性の特権でもあると思う。もちろんそれ以外の事に幸せを感じる人もいるのだと思うけど・・
自分の価値観で他人を判断し、その人たちを「奴隷」とまで言ってしまえる田嶋さんは恐ろしいし、それで女性解放を訴える姿はまさにどこかの国の「解放軍」である。
「行き過ぎました。テヘッ」と照れて見せたらもしかして、もしかしたらお相手が見つかるかもよ
昨日のサッカー番組で見た内容でも・・ ご存知の方が多いと思いますが、FCバルセロナはスペインのプロサッカーリーグ「リーガエスパニョーラ」の超人気サッカークラブです。
バルサの愛称で呼ばれるこのFCバルセロナは、現在スペインリーグであのレアル・マドリードを押さえ首位を独走しています。何故このチームはここまでファンに愛され、現在成功を収めているのだろうか?
バルサの一番の特徴はその収益システムにあると思う。 バルサはスポンサーを持たず、「ソシオ」と呼ばれる会員制度による会員費でその運営費用をまかなっている。そのためユニフォームにスポンサー名を入れることなく、それを誇りとしている。
ファンがお金を出し、それを意気に感じて選手は自分とチームの技術を磨き、その素晴らしいプレーでファンを魅了する。素晴らしいプレーを見せられたファンは、その対価としてまたお金を出す。そしてまた選手が・・・
この循環の中にはファンの選手とチームに対する愛情があるし、また選手にはファンとチームに対する愛情があるのだろう。まさにライカールト監督の言う「理想のチーム」なのだ。 素晴らしい「ハッピースパイラル」だと思う。
この事を考えると今の日本はどうだろうか? 国民は国の役人、国会議員を疑い、信頼など全くしていないだろう。また国の役人、国会議員は国民を裏切り利権をあさり、私腹を肥やしている。 完全な「アンハッピースパイラル」なのだ。
すでに状態がスパイラルなだけに、この問題はどちらが先に正されるべきという問題ではなく、両者共に正されないといけないと思う。
とりあえず「おいしい明日のために今日のご飯を褒めてみよう」
なんか切れが悪いな・・・
まだまだ読者が少ないので総括しても仕方無いですが、自分がしたいので総括します。 この日記を読んで「ずいぶん右寄りだなぁ」と思われた方もいるかもしれませんね。僕としてはそれはすごい遺憾で一種の「決めつけ」じゃないかなと思うわけです。(すでに脳の血管ピクピク) 僕の日記のどの辺でそう思われるのかを考えると、火曜日の内容では、福島瑞穂と小坂某を批判した所でしょうか?あれは単に内容の無いことを自慢げに話すのがキライナだけで思想を批判しているわけではないし、逆にいうと姜 尚中さんなんかは結構いいこと言うなと思ったりもしました。(あの声が8割カモしれませんが) 水曜日の内容では小林よしのりさんが好きなことを言いましたが、それはあの人の愛国主義なところが好きと言っただけです。 木曜の内容は李登輝さんを尊敬している事と、大日本帝国には良い面と悪い面があったと言っているだけです。物事を多面的にみることが思想なわけないですしね。 金曜では中国、韓国が嫌いだと言いましたが、別に思想的なものではなく、単純に一つの立場を許さない姿勢が嫌いだと言っただけです。 土曜の内容は金曜からのネタを使ったボケですね。あれで言いたかったのは日本人の誇りと自信かな。まあ中国、韓国をネタにしてますが・・ とりあえず、一週間で僕が言った思想的な事は「愛国心」くらいかな?これを思想と言うこと自体がおかしいと思うし、これをもって思想的に「右」というのなら自信をもって僕は「右」です。というか日本に住んでいる人でこの規定でいう「左」な人がいるのが信じられない。 人のことを「決め付ける」のは簡単で、自分の立場が保障されるような気がするのかもしれない。けど「決め付けて」話す人よりも「自分の立場を疑いながら」決断をして行く人の方が何倍も偉いと思うし、自分は常に考え続ける人でありたいと思う。
この日記を読んで「考えさせられるなぁ」と思ったら、僕はすごいうれしいし、この日記の成功だと思います。 一緒に「優柔不断」な世界はどうですか?
初投票ゲット致しました。どうもありがとうございます 是非是非ご意見などいただけるとうれしい限りです。
昨日の日記で「嫌い」だなどと「中庸」を自負する自分としては少々下品?な言葉を使いましたので、今日はフォローでも・・・
以下、超親中、親韓発言です。日本の国益が無視された国家機密に匹敵する内容ですので、胡錦涛君や盧武鉉君はしっかりと聞いておくように。 まず君たちは日本人を舐めすぎている。日本人に対し強行的に恫喝するような外交が自分たちの利益に繋がると考えているだろう。しかしそれは間違いである。しっかりと日本人の本質を掴んでいない。 日本人の本質は「礼節を重んじ、恩義は決して忘れずその恩に必ず報いる」である。それなのに君たちは礼節を重んじる日本人を弱腰と勘違いし、今の態度になってしまったのだ。 君たちの国の利益を考えるなら今すぐその態度を正し、「襟を正し、誠心誠意を尽くした外交を日本に対してするべき」なのだ。そうすれば日本人の本質として礼には礼を示し、自分たちの利益を忘れ必ず君たちの利益を満たす方向で動いてくれるはずなのだ。 今まで弱腰外交をしてきた日本側の者たちも同じである。日本人であることにもっと誇りを持ち、日本国に住んでいることに自信を持つべきである。そうすれば日本人は必ずあなた達を支持し、協力するはずなのだ。
もし、中国がその中華思想による覇権主義で日本との国と国の正常な関係を望まないのなら、 いつでもかかって来い!!!ヤッテヤルゼ!!!
あれ?最後がおかしいような・・・・
僕は一方的に決め付けて発言する人が嫌いである。 一つの立場しか許さない人が嫌いである。 例えば、自分が実家で何らかのミスをしたとする。そうすると母がこう言う。「○○(僕の名前)はいつもそうなんだから・・・」と ここで僕の脳の血管が数本切れ、つい言い返してしまう。 「いつもってなんだよ。いつもって!!!」と ミスしたのは自分なのだから当然謝ろうという気もあるのだが、脳の血管が切れるとしょうがない。なぜかミスした僕が怒ってその場が終わる。 ゴメンナサイ
だから僕は中国、韓国が嫌いである(;゜ロ゜) 彼らは自分の立場以外の者しか許さない姿勢を示している。大日本帝国は確かに韓国を併合し、中国に侵略した。今の世の中ではその地に住む民族を支配するなど、言語道断の行いである。しかし韓国の併合には韓国内の併合を望む勢力があったことも確かだし、事実日本の統治によって韓国の近代化は急速に進んだのである。また中国に侵略した背景として、中国内の国民党と共産党の争いの中で共産党の漁夫の利に利用されたと言う面もあり、またその後日本を包囲するABCD包囲網ができあがり日本は自衛のための戦争を行わざるを得なかったと言う面もある。ここまで書いてしまうと日本を支持する姿勢しか許さないのはそっちだと言われる人もいるかもしれない。先も書いたが、今の世の中では他国に侵略するなど言語道断の行いで、そんな国家など存在を認めることはできない。だから過去を振り返ってあの行為は反省しなければならないし、二度と起こしてはいけないのだ。しかし今の価値観だけですべてを判断し、その当時の情勢なり価値観なりを許さないのもいけない。そういった態度が過去の悲劇を繰り返すことに繋がることにもなると思う。
とりあえず、僕を怒らせないで。脳の血管が切れすぎてやヴぁいから(泣
年末年始にかけてアジアの哲人、李登輝氏が来日されました。 中国の反発などで大きなニュースになりましたが、台湾総統を辞してもなお衰えないその影響力と行動力に李登輝氏への尊敬の念を禁じえません。 今回の来日には李登輝氏の深慮遠謀があります。現在の日本の「反中」情勢を利用し、日台関係を強めることはもちろん今まで中国に極度の配慮を重ねてきた日本外交の改善への一歩でもあります。日台関係の強化は当然台湾の利益にもなりますが、李登輝氏の行動にはそれ以上に大きな日本への「愛」が感じられます。自分の若かった頃に教育を受けた日本、また台湾を統治し、その近代化に貢献した日本への感謝の気持ちからの日本への「愛」でしょうか。しかし悲しいことに、その日本は現代の日本ではなく、今の日本人が卑下している大日本帝国なのです。大日本帝国のすべてを肯定するわけではありませんが、少なくとも今の日本よりは「覚悟」と「責任」をしっかりと持った立派な国家だったと思います。おそらくは大日本帝国ほどには愛していない今の日本を少しでも昔に近づけるために、日本の狂った外交を改善するために李登輝氏は小さな歩を進めたのだと思います。
李登輝氏が訪問した母校、京都大学でその訪問を門前払いすると言うニュースがありました。 大学に通っている一人の学生として少し考えて見ました。 もし自分の大学に李登輝氏が訪問して来たら、自分は李登輝氏に何か言えるのだろうか?「がんばって」なんて無自覚、無責任な言葉など絶対言えない。しかしそれ以外に今の自分に語るものなどない。いくら考えても 「ありがとうございました。日本も頑張ります」としか言えないような気がする。こんな抽象的な言葉だけど、今の自分にはそれくらいしか言えない。 いつか脳内の李登輝さんに「僕は○○をしました。今は日本のために○○をしています」なんて言えるようになりたいものだ。
立派な日本人になりたいなぁ・・・
昨日に引き続きパクリました。 とりあえず昨日書けなかった出演者批評の続き 村田 晃嗣さんだっけ?米外交専門家の人。この人僕が見てた中(「拉致問題」と「日中関係」)ではかなり冷静で、さすが米外交専門家らしく、各国の国益を考えた立場で考えていたと思う。というかアメリカ中心か?専門分野の日米関係の意見も聞いてみたかった。2chのをちょっと見た感じだとそこでは結構電波飛ばしてたらしいけど・・・自分の専門分野とかだと変な縛りとかがあって考えが曇るのかな?
次は僕が大好きな小林よしのりさん。とりあえず一言 「小林さん本番弱すぎwww」 言いたいことほとんど言えてなかったんじゃないかな?自分も人と対面すると言いたいこと言えないタイプなんで分かるんだけど、後でああいえば良かったとか思って激しく後悔したりします。 反日の引き金になった中国進出誤報事件の時には 「あれは誤報だったんだよ。あれは」と何度も繰り返していたけど、必死になりすぎでちょっと負け犬の遠吠えっぽかったし(泣 と言うわけで期待してたほど、小林さんの持論を聞けなかったので残念でした。が、言うことはある。最近、2chなどでは小林さんが親中発言多すぎとか言って煽ってる人がいるけど、小林さんの考え分かって無さ過ぎる。戦争論1~3では読みようによっては1,2で反中・親米、3で反米・親中と勝手な2元論で読んじゃう人がいるかもしれないけどね。 基本的に小林さんはずっと「親日」!!! 親日なんて言葉じゃ足りない「愛日」だ!!! 何当たり前のことをと思った人、チョット待ってヽ(;´Д`)ノ まぁ当たり前のことなんだけど・・・ 小林さんは日本のことを考えて、まず現在問題が顕在化してる中国の問題点とそれを放置して来た日本の問題点を論じて、その後「じゃぁやっぱりアメリカか」と盲従しちゃう人を戒めるためにアメリカの問題点も論じたんですよ。だからドッチに偏ってるわけでもなくあくまで「親日」。 日本の利益のために時には中国寄り、時にはアメリカ寄り、で2大国に焼きもち焼かせちゃうくらいの外交をやって行こうぜってことですよ。
題名はパクリです。すいません(´_ゝ`) 今日は4日ですが、元旦の「朝まで生テレビ」の感想でも・・・ まず、福島瑞穂やヴぁすぎでした。もうアフォとしか言いようがないかなと。基本的にああいう人は人の情に訴える発言、例えば「人権」、「命の尊厳」とか「戦争反対」などの当たり前発言を言ったあと、そのための具体的な考えを聞かれると「話し合わないといけない」とか「今の世の中は○○が軽視されてる」なんかの中身のない発言しかしないわけですよ。まあ世の中にはそんな発言を聞いて「なるほど」とか思う人がいることの方が怖いわけですが・・・ とりあえずあのアフォ映像はもっといろんな人に見てもらって、ダメ政治家一掃の足がかりにしたいものです。 次にレインボーブリッジとか言う団体の小坂さん、この人北朝鮮専門家みたいなこと言ってるくせに、肝心なところは「わかりません」「そうかもしれないですね」みたいな感じで全然専門家じゃないし、ただの北のスパイでした。 まぁワカッテタケド。 他にもいろいろ参加者の批判したいけど、こっから中身について
元旦の朝生の構成は3部立てみたいになってて、最初に「キタへの経済制裁」次に「日中関係」最後に「日米関係」みたいな感じでした。最後は眠くなって見れなかったケド・・・ 最初の経済制裁についての討論で気を吐いてたのが東京大学教授の姜 尚中さん。この人基本的には経済制裁慎重派なんで、この人の話聞いた時に「韓国人だから制裁慎重派なんじゃねぇの」みたいな感じで軽く流そうとしたんだけど、あのスローな口調とハスキーボイスに騙され、ちょっと考えてみた。自民党若手の山本一太さんが言ってたけどアメリカから「拉致問題と6カ国協議をリンクさせて考えろ」みたいなことを言われたらしい。アメリカも姜 尚中と同じ考えらしい。アメリカの考えには必ずアメリカの国益があるわけでなおさらアヤシイ。こう考えると答えは簡単 アメリカ、中国、韓国の6カ国協議での狙いは北の核開発放棄なわけで、そのための外交カードとして日本の拉致問題を使いたいに違いない。だから姜さんとか「日本だけの経済制裁には意味は無い」とかいうちょいと無理のある理論で経済制裁に反対するのだ。やつらは見事に自分の国の国益を考えているのだ。
では、日本の国益はどうなのだろう?。最近世論の流れになっている経済制裁。これをやったとしてやられた北がまともな対応をしてくるだろうか?経済制裁したからと言って向こうが誠意を見せる保障はないし、経済制裁による日本の明確な国益はないように思う。ここまで来て「なんだよこいつも北朝鮮のスパイかよ」と思った人チョット待ってヽ(;´Д`)ノこれは一つの考えですよ 日本の国益を考えると今経済制裁をするんじゃなくて、6カ国協議でアメリカ、中国、韓国の3国に恩を売る形で拉致問題を北朝鮮に対する外交カードに使えばいいんじゃないかなと思うわけです。こうすると当然日本には北朝鮮の核開発放棄という国益プラス3国にちょっとした恩を売るという新たなカードを得ることができるかも。 まあ現実問題として、拉致被害者家族にとっては今にでも経済制裁して欲しいのでしょうけどね・・・ムズカシイネ
2005年01月03日(月) |
明けましておめでとうございます |
生まれて初めて日記を書くことにしました。 今の所学生、今年4月からは社会人のTakuです。 以後、愛のある生温かい目で見てもらえるとうれしいです。
まあ最初なんで日記の名前の説明でも・・・ 優柔不断-ぐずぐずして物事の決断が鈍く、煮え切らないこと らしいです。 好きな言葉が中学生くらいの頃から「中庸」な僕ですが、 優柔はほっといて不断ってのがなかなかいいかなと思うわけです。 当然、優柔不断のマイナス面の決断できないというのが問題あるけれども、 何かを決断する前には必ず選択肢をいろいろ考え、また決断した後もその 決断が正しかったかどうかを考え続けるわけで、そんな感じの「思考の不断」とでもいうのをずっと持っておきたいなと思って選んでみました。 最初にほっておいた優柔ってのは自分の考えに反対する人に対する自分 の態度ってことでw
最初なんで紹介くらいしか書いてないですけど、これから書いていく内容に対する反対意見などどんどんメールください。 「木を見て森を見ず」にならないように、出来るだけ「中庸」を保てるように書いていきたいと思っております。
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