3:理不尽な世界; 5:訪れるかな平穏; 7:すべてが虚ろになる;
2015年06月30日(火) 今日の晩ご飯。
タモさん流生姜焼き。 自作オニオンドレッシングのサラダ。 ご飯。 お味噌汁。
2015年06月29日(月) どうしようつらい。
歯医者はなにかの罰ゲーム。
-22:15
今日は1.5週間ぶりの歯医者。世界で怖い存在は親と歯医者。どうしようつらい。
土曜日のお母さんからの電話で結構ダメージを喰らってしまいしばらく立ち上がれそうにない。フラッシュバックと悪夢ばっかりで情緒超不安定。どうしようつらい。
何をしても楽しくない。虚しさに拍車がかかってる。意識がポカーンとしている。ひたすら一箇所にじっとしていたい。ひたすら眠っていたい。
2015年06月27日(土) 逃れられない。
萎縮。
半年とかそれくらいぶりにお母さんから突然電話がかかってきた。東京喰種:re③を読んでいたら唐突に、なんの前触れもなく、予想もしていなかった現状で、僕がもっとも苦手な人から、どうしても避けたくなる、避けないと僕の身がほんと危なくなる、そんな危険を感じさせる相手から、それがお母さんというその本人から。
話している間中、声と全身の震えを抑えるのに必死で、もう内容をきちんと覚えていないけど、いつも通り中身なんてない、世間話と言えばそんなような、多分、母が娘にしたいような話を、彼女もきっとしたいから電話をかけてくるんだと、今でもそう解釈するようにしている。逆に他意があったら嫌だ(勘ぐらざるをえないけど)。
電話だから唐突なものではある。でも、今はメールも送れるし、母は電話してくる前にたいていメールを寄越すもんだから、今日は意表を突かれた。震える声は伝わってしまう。そうならないように務めるのに精一杯だった。iPhoneを持つ手もガタガタ震えて、何度も手が脱力してしまいそうになった。
母は、 「何度もメールしようと思ったけど、やめた、電話も迷った」と言った。この台詞を何度も聞いたことがある。母は僕に電話やメールをすることを確実に躊躇う。僕に気を遣って躊躇う。僕に責められたことがあるからだろうか。母も僕が怖いのだろうか。萎縮してしまう相手なんだろうか。
僕は母が苦手だ。今何をされるわけではないけれど、僕の理解をはるかに超越した存在過ぎて、得体がしれなくって、そういう意味で怖い。彼女は胸の内を明かさない。決して明かさない。言葉にしない。彼女はひとりでこっそりと泣く。僕はたまたまその背中を見たことがあって、その小さい嗚咽を聞いたことがあって、僕が守ってあげなかったら、誰がお母さんの味方になれるのか?と物理的にも小さい胸に問うた日のことを未だに忘れられていない。
母とは、自分を守ってくれる存在じゃない。守らなければならない存在だ。今ですら、それ以上でもそれ以下でもない母の存在が、僕には脅威であったとしても逃げられない。
2015年06月26日(金) (白目)
明日から一週間がまた始まる……。
-23:28
アカン、もうダメだ……疲れた……寝たい……。
2015年06月25日(木) どうともない穏やかな今日。
世界は善意で溢れている。
-21:33
今日、明日は旦那氏の休日。うちは土曜日から一週間が始まる。 毎日暑くなってきた。まだ扇風機で過ごしているけど、きっとクーラーを使い始めたらそっち一辺倒になりそうな予感。
久しぶりにピアスを買ってみた。一時期16個とか、バカみたいな数開けていたけど、もうなんだったんだろうアレは……。金属アレルギーで膿んでしまうから今日はノンホールピアスにした。開けた穴もほとんどふさがってるし、昔ほどマゾくはない(筈)。ただ、さっそく一個なくして凹んでいる。
夢見が悪いのは今はそういう時期なんだろうか。時たまする昼寝もガチ寝もどっちも夢ばっかりでしかもわりと短時間だorz 頭が四六時中回らない。意欲もなくなるし離人感はハンパないし幻聴みたいなのもあるし散々すぎるorz
明日はちょっとくらいまともになりますように(祈)。
2015年06月24日(水) 昔話をする年齢なのじゃ。
「うさぎのご隠居!」
-2:58
マイスリーとか飲んだよな?!飲み忘れてないよな?!自分の記憶を疑いたくなるほど、効いてる実感が全くわかない。飲んで3時間くらい経ってるのになんでこんなにシラフっぽいんだろう……。なんか怪しい気さえしてくる。飲んでないんじゃね?!いやでもやっぱり飲んでる痕跡があるわけでorz 今日も絶賛疲労蓄積なう!もうそろそろ勘弁して欲しいなぁ。
モヤモヤしてた気持ちは、いい加減もうどうでもよくなってほぼ忘れかけてる。何にイラッとしたのか明確に思い出せない(くらい疲れが勝っているとも言う)。友人も散々疲れきっているなか口走ったことらしい。僕は結局意味もわからずモヤモヤして、説明を求めたけどまだ疲れていて説明は得られなかったし、僕も弱っている人相手になんだかんだぶつける気もないし、旦那氏に散々喋って昇華ができたっぽいから、もういいんだわ。説明がないぶん、誤解した解釈のままかもしれないけど、それは仕方ないかな。 ただ、僭越ながら指摘させてもらえば、疲れてる時に僕に酷いこと言う回数がちとばかし多い気がするわ。余裕ないんだなっていうのはわかって、友人だから同情もするし、その時は受け流してたけど、まぁ、ちと多いな(苦笑)。
うーむ、寝れるかな。今すぐには寝れそうにないな。
-3:35
まあ、寝れない。今晩で夜勤の週の終わりだし、隠居生活の僕としては今すぐ眠れなくても特段支障がないから苦痛だけどまあいいや。仕方がない。
最近ニュースも漁ってないけど、絶歌の騒ぎ(?)は下火になったのかしらん。真っ白で綺麗な装丁の本だと思った。中身を読んでもタイトル絶歌の意味がわからなかった。イメージもできなくって。なんだったのかなぁ。 彼と同じ世代の人間って何人くらいいるんだろうかね。ググれば出てくるかな。あの日のニュースは僕も興味津々に見ていた。キレる17歳とか言う謎に揶揄される同世代の僕だけど、この本は読んでよかったというのが素直な気持ち。 人を殺すと(罪を犯すと)後悔するからやめとけと言うのは、もう生き字引だなと思った。毎朝起きて必ず過去を悔やんで、明日も同じで、死ぬまで同じで、戻りたくっても戻れなくってやっぱり後悔して、って、そういう後悔の連続人生はさすがに送りたくない。 彼と共通している部分は驚いたことに、食事がもうすんげー煩わしくって放棄したいということ。はげどですわ。
-23:48
どうしても疾患名がつくようになって15年目の今年。4年前、自分のいびつさにレッテルを貼らず向き合って律してくれるお医者さんに巡りあえて、だいぶ丸くなれたんじゃないかと思う。医者のところに通う以前の自分も、どうして自分はこうなのか誰かにちゃんと教えて欲しかった。本当はお母さんに教えて欲しかった。でもお母さんは自分のことで精一杯で宗教のフィルターを通してでしか僕と向き合えなかったし、今は今でほとんど音信不通だし、やっぱり親子関係は正常化されない。こっちが歩み寄っても、向こうは歩み寄ってこない、そんな疎外感に近い感覚をずっと抱いていて、これからも解消されないんだろうなと悲観しつつも、でもなるべく色々とショックを受けないようにやんわりと諦めるようにしていく作業も必要なんだろうな。 気づけば、成人してからの苦労は、子供の頃の苦労に比べたら屁でもなかった。旦那との離婚の危機に面した去年からの騒動も、親との間にあった確執に比べたら超かわいいもんだった。おままごとレベルの幼稚さ。親とのことは、おままごとに比べもう戦争。いつの間にか巻き込まれてて死にそうになって命からがら逃げ惑ってた感じ。すげぇ疲れた。この時代のことを思い出すと泣き出しそうになるけど、いつかそうならないようになるとだいぶ楽なんだろう。
昔は酷かった。昔と同じレベルの酷いことってそうそう起きないと思うから、起こるまではほとんどのことに耐えられそう(笑)。
2015年06月23日(火) 衝動的から感情的へ。
僕は感情的になった。
-21:32
うまく眠れない日が続いてる。眠くても昼寝もうまくできなくって、自分はいったいどこで疲れを取っているのかわからない。積もってくだけだ。
今日はスーパーに行ったら突然中国人風の出店者に餃子を渡されて食べることになった。餃子(でかい!)の次は焼売(これは普通)で、塩辛(イカがこりこりしていた!)、佃煮(磯の匂いがすごい!)、ひじきご飯(もっちもち!)、アサリのナニカ(酒の肴になりそう)、お茶で〆のフルコースみたいなのを食らった。お弁当に佃煮が良さそうで思わず買ってしまった。980円もして、こんなたっけぇ海苔なんて買ったことねぇわと内心驚きつつお金を渡した。でもうまい。それに100円位のふりかけを使うなら10回で元が取れるし一気に出て行った金額はでかい気がするけど、元が取りやすいからまぁ、いいだろうかな。
昨日は怒りと惨めさがなかなかおさまらなかったけど、寝て起きたらまあまあ鎮火していた。もうちょっとよく眠れてたら忘れてたかもしれない。あの不快感は、旦那氏と出会う前に多くの人からよせられた僕への排除的感情と似たものを感じたんだろう。理解できないんだからそんなこと言うなよ死ねよと突っぱねられた時の感覚だ。でも、前の自分よりはきっとはるかに対応がいい。昔だったら拒絶される自分に耐えられなくって、軽くODくらいはしていただろうなと思う。今の僕はさすがにそれはしない。それをするなら、不当だと言葉で説明させてもらいたい。今でも、そんな感情的を通り越した衝動的すぎる自分が嫌いで、あの時のようにはならないように律するのが、死ぬまでやる課題のひとつなんだと思うからな。
最近よく喋るようになったと思う。友人にも笑うようになったと言われた。まったく笑わなかったのにねって。多分、楽しく喋っている。自分の顔は見れないけど、多分笑って話すようになったんだと思う。しかも自然に。こう、頬が引きつったりはせずに。そのかわり喋りすぎる。際限がないと思う。感情的になった時、それを抑えようとして喋ろうとする。すごい必死なのかもしれないけど、それはそれで極端だけど、命をかけようとするよりは冷静な行動だし、何よりも冷静になろうとしている姿勢は認めてやってもいいかもしれない。話聞いてる方もほんとに疲れてしまうから、やっぱり迷惑をかけないようにマイクラやるかタグいじるかでもして淡々と黙々としていられたらいいな。
まぁ、そもそも、昔ほど激おこぷんぷん丸になることが少なくなった。感情的になることが悪いわけじゃない。けれど、僕の場合は特にそういう時にとる行動は失敗に繋がりやすいしなんのメリットも生み出せない。功を奏すると判断できた時だけ感情を見せればいいよ。 衝動的から感情的へ、そこからまだ少し。
2015年06月22日(月) ガチ勢。
久しぶりに、生きてたらダメダヨ!な気分である。
-2:17
どういう思考回路ならそういう結論に行き着くのかね自分。自分でもまだこのシステムがよくわかっていない。自分のことなのにやっぱりよくわからない。僕は何で傷ついたんだろう。なんでこんなに感傷的になっているんだろう。よりによって自罰的になっているんだろう。言い知れぬこの恐怖感はどこから来たんだろう。ぐっちゃんぐっちゃんでもうどれも整理できない。ぱにっく。
僕は自分のことがよくわからない(物理&精神)。非常に忌避するオカルトなんだけど、自分の症状はもはやオカルティズム満載すぎて、到底そんなものを持ってる自分なんて消してしまいたい存在で。 マイスリーとアモバンとセロクエルを飲んで1時間半経ってるのにぱにっくの興奮が勝って絶賛眠れないなう。おねがい寝させてくれぇ。
-21:11
4時過ぎまで眠れなかった。そうね、惨めになる話なんてしなくてよかった。でもね、相手によるんだ。もっとも惨めな点は過大評価したことかもしれない。わからないことの方が世間一般的で、その世間には自分は入れなくて入ってもいない認識でそれがあたりまえのこととして日々が流れていくことを望まれていて、そういうふうにしかやっぱりまだなれなくって、なのに希望的観測で動いてしまってアテが外れて勝手に嘆いているだけなんだ。正直、僕からしたら不当だよ。でもそれが理解されることもなく、感覚的に許容や受容もできないことってあるだろう。そんなめんどくさいこと、したくないだろう。疲れるし苦労なことだ。でも、言い出したからには最後まで責任を持つべきだし、生理的に嫌でそれがあたりまえなんだって言われてもそれと真逆の生理現象を持ってる僕からしたら何言ってんのって反論を申し込みたくなってしまうだけのことなんだ。
2015年06月21日(日) 今日も病気。
-20:25
自分はクソの役にも立たないと思って落ち込む。特に昨日今日はつらくもないのにしなきゃいけないことを放棄してしまったからな……。生きるのに必要最低限のこともしたくない日って、他の人もよくあるのかな……。基本的な飲み食い、排泄さえ放棄したくなる。改めて書いてみると、もはや生きるのに抗っているとしか思えなくなったけど。なんか病気なのかなこれ。なんか病気っぽいな。 自分ひとりだけだとなんだか嫌な理由は、自分だけではなんの証明もできない不安定さと不完全さに拍車がかかる気がするから。自分だけが思っていること認識していることというのは、客観的な証明のしようがない。自分が絶対に間違わないと言い切れない以上、その点でひとりは不安だ。確認厨としてはほんとに(自分だけが思っているなんて、孤高で素敵なことかもしれないけど)。
-21:21
「いつも何してるの?」っていう素朴な質問がいちばん苦手なことに気づく。もはや嫌悪。自分の問題の本質を突くからつらい。トイレも我慢してタグいじりをしていました、仕事でもなんでもないけどって答えなきゃいけないのが昨日と今日の有り様で。もっと暴露すれば僕は仕事をしたことがない。仕事のつらみも、金を稼ぐ意味もわからないでいながら、消費だけはいっちょまえにする。社会に出たことがないというのは問題なんじゃないだろうか。そんなことも実感できない。復帰する社会がない。出たことがないから帰るべき社会というのが存在しない。社会的な生き物に生まれた以上、こんなに惨めなことはないと思いながら身勝手に生きているふりも死んでいるふりもしてきた。夢は社会にでること……なのかもしれないけど、もう面倒くさくってこのままの方がいいような気がして困っている。社会との繋がりというか橋渡しというか、それは旦那氏がしてくれている。異常すぎる受け身さ。
-23:00
そんなことを社会人の友人に話したら、 「自慢か。羨ましい」という意外な返答と説教的なことをされて困惑している。「それを言えるのは限られた人だから」と。そうか、そうかもしれない。事実そう見える側面はあるし、事実事情と言える側面は彼には見えない。仮に事情があったとしても、彼に最初に言ったように、非社会人はどんな理由があるにせよ批判され叩かれる(べき)存在にしかなれない。自分でも言ってるように、働いたことがない、金のありがたみもきちんとわかっていない。そんなのは羨ましがられることだと自戒せよ、ということだ。 自分が大きく間違っていた。言わなくていいことを言って反感を買った。ありとあらゆる意味で普通の感覚を持っていない自分を激しく責めている。
2015年06月20日(土) 病気。
いざエンピツ日記を目の前にすると書けなくなる病気。 すごい異様な感覚。報われない時間をつくってしまったな。書いては消して書いては消して。なんにもならない。
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