なか杉こうの日記
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闇が濃くなったころ 窓の外で ヒャッとか キィッとか言う声がして 非常に不快だ とくに今日は熱があるので まるで車のブレーキをずうっと聞かされているようだ それは人間の それは男子の声である 向かいの子供が大きくなったのか あるいはその姉目当てに どこかの男の子が 二、三人たむろしているのか ヒャアッと 普通の話をするにでも まるで チューインガムを引き伸ばしたように 神経をさかなでする 盛りのついた 鶏の声のようである しばらくして 声がしなくなった 学生服が たったと坂を下りて行ったのか 彼らのこの時期の声は まるで自分が 襲われるような気がして 理解不能で 恐くてしょうがない。
2005年04月29日(金) |
「ある」こと=表現すること / 受かったよ。どうでもいいけど。 |
百閒先生は「ある」ことがすなわち表現することである、と言う。言葉が実体を規定する、あるいは作り上げるということだと解釈する。やつでの葉を描写したいのに、縁の下に狐が住み着いて夜音を立てるという話を書く。それは嘘でもなんでもないのである。人が五人来ようが三人来ようが、もし一人来たと書いたのがいちばんぴったりしていれば、そのように書く。 だから「自分はどうも書くのが苦手だ」という場合、実体が何かあってそれを表現するのが不得手だというニュアンスがあるが、そうではなくて、実体イコール書くことであるとする。だからきっとその人は嘘を書こうとしているのだ。 ほんとうのことをあらわす限り、どうもうまく書けないというのはなさそうである。 わたしも嘘のことを書いたことは一回もない。思い違いだ、筋違いだと人に言われたことはあるので、事実に基づいた意見を書くときは十分に気をつけないと非難の対象になるとは思う。 しかし時には現実が自分のなかで発酵しそれなりの流れになり、言いたいことが出てくるので、そういうときにはたぶん嘘ではない。
パソコン技能検定二種の1級に受かったよ。車の運転ができるようになったように うれしい。(できないけれど。) ワードとエクセルだけだけれど、職場で図表とかひょいと作る機会があると、手が自動的にすっす、すっすと動いてできるのは嬉しい。 エクセルは使う機会はないのだけどね。 しかしパソコン操作は相変わらず下手である。ファイルの処理とか今だによくわからない。早くホームページをきちんと作りたいなあとは思っているのですが・・・。
明日という日があるのは ほんとうに ありがたいが あたしは 幸せそうに振舞う人ほど ほんとうは 大変なところを 乗り越えてきたのだと思う それを獲得したから 今の幸せがある、ということ それはにじみでている もしかしたら 今しっかりと 結ばれていても いつ危うくなるか それだからこそ 強く、固く 手を握り締めている それがいかに うらやましそうに見えても それは苦労の代償だと思う だから当然だと思うから それは、それでよい、と思う わたしは 苦労もしていない のっぺり人生なもので きょうも 昔からの 浜に沈む夕日を眺めている 島がだんだん 黒く、とおくなる
がたがたっと家が揺れるので目が覚める。夜中。いろいろなことを考えると それっきり眠れなくなった。ラジオを聞きながら寝るということができないので しばらく今日読んだ内田百閒先生の本のことを思い返していた。 もう人気の無い造り酒屋のがらんとした部屋。その二階で子供の頃の百閒先生が いくつも並んだ酒蔵の屋根を見ている。夕刻。すずめが飛んでいる。 瓦の間に入ったすずめを百閒先生がつかまえるところである。
その、淡い色の空と、生暖かいすずめの描写。けがをした手の中のすずめ。それが冷たくなったところ。泣き出す少年。祖母がどうしたのか、と尋ねる。
百閒(栄造)少年はほんとうに祖母にかわいがられた。祖母は狸が化かすのを信じたり、独特な感性のあった人のようである。
小さい頃、栄造少年は祖母に連れられて少し離れた田舎の町の山合いの神社だか寺だかにしょっちゅうお参りにいった。大人になって奥さんが大病にかかったとき、百閒先生は眠るときに、毎日毎日、その祖母に連れられてお参りに行った途中の田舎道を思い出すのである。
駅を降りて、人力車に乗り、降りて小川のほとりを歩き、土手にのぼり、山間の茶屋で休み、そのそばに馬がいて、馬の腹のところに黄色い蝶がひらひらと飛んでいたこと。小川から土手に上るところの澄んだ水のなかに欠けた陶器の茶碗があったこと。
お参りしたのは神様か仏様かそれも記憶にないらしいが、その道のりのことだけは百閒先生ははっきりと覚えている。それを毎晩毎晩思い出すのである。そのうちに奥さんの手術も終わり、順調に回復する。
祈り、である、と思った。百閒先生らしく、それは特定の神に対する祈りではなく、道のりを祖母とてくてく歩く、祈り。そばに澄んだ小川が流れていて陶器のかけらが見えて、馬のそばを黄色い蝶が飛んでいた・・・。
毎日それを思い出したのである。 眠れないとき、私もそれに習って百閒先生の書いたものを思い出そうと思う。
2005年04月25日(月) |
【雑記】「人身事故」 |
朝、駅に着いたら、途中で人身事故があり、電車の運転は見合わせということだった。仕方ないのでバスで次の駅に行き、私鉄で品川まで行った。その電車の混んだこと! もしかして明日休みをとろうかと思っていたのだが、遅刻して行き「明日休みます」とは言いにくくて諦めた。
これほどのこと。これを些細なこと、というのだろうか。遠慮して我慢してささやかな「自由」を求めて毎日働きに行く。働くこと自体は嫌いではない。ただそこには様様な人間がいるし、軋轢もあるし、そのなかでなんとかやっていこうとする。
そんな、月曜日。突如「人身事故」と言われる。電車に乗るつい五分前に途中の線路で、なんの事故かは知らない。けれど「また、飛び込んだのだろうか」と思ってしまう。
こんなことは何回かある、一年に。そのたびに何万人という人がやりきれない思いで職場に行く。黙って。ぎゅうづめの電車に乗り。途中で携帯をかけ。昨日はウイルスバスターの事故があったから、早く職場に言って手配しなければならない人もいただろう。
ぎりぎりと、砂を噛む思いだ。後ろ向きに生きたあるいは生きなかった人と、なんとか辛い中で前向きと言わないまでも、引っ張られるように生きざるを得ない人と。後者はいつも何も言わない。「・・・またか」と思うぐらいである。名も知らぬ人が事故にあっても・・・。
ぎゅうづめの電車から押し出されるようにして下りる。「ふうっ」と息をつく。こんな風にして勤めに行かなければならない何万人と、おそらく世界が暗闇の中で身を投げたかもしれない人の命とどちらが重いかといえば、命だ、と誰もが言うだろうか。
わたしの手のひらに見えない命が、消え去った命が載っている。それはもう、ないものだから、軽い。自分は朝は疲労があった。今はない。そんなふうだ。そんなふうにして、命がおそらく消えてしまった。何万人は今日も黙って仕事に行く。行けるだけ、幸いなのである。
また一週間の朝が来る また一週間のリズムだ 多少休んで いつも心配事はあって 決して要領よくなんて できない。 こんな、同じパターンを二年ぐらい 繰り返している その間、大変なことがあったり 次第に大変になったり。 余裕のあることができない 一見余裕があるように見えるかもしれない 本人もそんな気になっている 一週間。 ストレスばかりの一週間。 なにか、がりがりっと なにか、がりがりっと いきたいね。
2005年04月23日(土) |
ブログをやめてしまった。 |
じぶんのブログに 敵対的(hostile)なコメントがまた来たので気味が悪くなって 結局、ほぼ衝動的かつ突然にブログを廃止してしまった。 データは自分のパソコンにあるからいいや、と思ったとたん、 大切なことに気づいた。 ひとつは、そのブログをメルマガとして取ってくれていた わずかな読者がいたことである。 もうひとつは、そのブログに保存してあった、以前の膨大な作品データ。 自分のパソコンにあるのは整理されていないので、どこになにが 入っているかよくわからない。 このふたつを失ってしまった。 どんな読者の少ないブログでも、見にきてくれた人はいるのだから、 突然にやめるというのはその方たちに対する「背信」ではないか、と思った・・・。 あさはかなことしたなーと思う。もし、そのブログを読んでくれていて、これも 読んでくれている人がいたら、ごめんなさい、とあやまります。
人を蹴ってやった 人は、痛いというかな その人が 好きな人であろうと 好きな人であればあるほど 蹴ってやる、ひょいと とすれば 胸を抑えるだろう ひりひり、ひびくと 言うだろう 人を蹴ってやった 上目遣いに見ている どんなに 好きな人だって 気にそぐわないときは ずぶり、蹴ってやる ひどいね。
人の顔を見るなり あ、こいつはだめだ、と 思われると こちらこそ、だめだ、と思う そう思ったらどうしようもない なにかが 最初の段階で 閉ざされたのである これを開くのは 終世できないだろう そういう出会いをしてしまったのだ それは残念なことだけど いたしかたない。
2005年04月21日(木) |
回答するに、あたわず。 |
ついてくる ついてくる ストーカーのように ついてくる ひたひた、ひたひた たとえ ついてこなくても 怖さにおびえる ☆ 人の家に訪問する時には とんとん、と扉を叩き 「こういう者です。 これこれこういう訳で来ました。 用件はこれこれ。それではさようなら」 この言葉が 最低限必要である 言いたいことのみ 言い捨てて 名も告げず 笑いのみ残し 消えるというのは その人になにか 凹みがあるのでは、と思わせる ☆ 人を傷つける 人をおとしめる 一見批評と思わせて 人に、ぎりぎり言わせる そういう卑怯な輩を 何度も見てきた ☆ 人のうちに入るときには ノックをして こういう者ですと言おう それが返事をもらうための 最低限の礼儀 それがない輩には 回答するに あたわず。
もの言えばくちびる寒し秋の風、でしたかな、違うかな。 ネットというのはおそろしい。 いろんな人が見ているから、友好的なコメントも来るし 敵対的なコメントも来る。 こわいよね。 最近、身に沁みて感じたことでした。 いったんhostileなコメントをもらうとなかなか修復できない。 書くこと自体が恐くなる。世の中いろんな人がいるからね・・・。 自分のホームページにもどろうかなあ、と考えている。
なぜ山田洋次監督の映画が好きなのだろうか。と言っても私が見たのは 「男はつらいよ」シリーズ、「学校」シリーズ、それに西田敏行主演のいくつかに過ぎない。 「学校」シリーズは今思い出しても最高である。なんというのかなあ、「貧しき人々」を哀愁を込めて、そしてユーモラスに描くところ。ドストエフスキーの作品に通じるところがあると思う。 「息子」でしたか、下町のまるで空気に金属の粉がまじっているような作業所。そこに勤める耳の聞こえない少女。その少女に恋をする青年。暑い暑い日の鉄骨の運搬作業。 知恵遅れの人々。精神に障害を持つ人々。そしてそれを取り巻く人々、をやさしく描き出す。その描き方は決しておしつけがましくない。 やはり、ドストエフスキーの書き方に似ている。たしか「貧しき人々」でドストエフスキーは、貧しい下級官吏が上司の前に出てあわてて、上着のボタンがコロリと取れて転がるところを描いている。あのぶざまで、悲しい姿。山田監督の映画になりそうである。 それと同じ作品で、主人公が隣だったかに住む少女を窓からいつも眺めていたくだりがある。これは寅さん第一作で、ひろしさんが隣のさくらさんをいつも眺めていたというくだりにそっくりである。 山田監督の初期の作品のDVDが今月末に第一弾として、いくつか売り出されるそうである。買おうと思う。たとえば、「下町の太陽」「故郷」「幸福の黄色いハンカチ」などなど。ところがうちにはDVDのデッキがないのである。買わなくてはならない・・・。
山田洋次監督は、満州で育ったそうだ。 彼の原風景というのは、日本の田畑や下町などの穏やかな景色ではなく、 車窓から眺める、どこまでも続く大地だったらしい。 これは気にとめておくべき重要なことに思われる。
2005年04月17日(日) |
【詩】この、黒いもの |
胸のうちにある この、黒いもの それに次々に 黒い膜がかぶさり つぎつぎに黒く 照り光りしている 中身は 石のように固く ごつん、ごつんと 胸の粘膜につきあたる なんとか乗り越えようと 光を見ているのだが 黒い岩となって すべてが吸い取られるようだ 胸のうちにある この、黒いもの どうやったって 溶けやしない こうやったら ああやったら そんな方法論ばかりが 空回りして 行き着く先もなく 照り光りする岩を また、覆う
2005年04月16日(土) |
面白い。「居候匇匇」 |
今日は久々に頭がすっきりしている。職場のことを思い出さなくてもいられるというのは、いいことだ。職場のことが頭を占めないと、ゆったりといろいろのことが考えられる。
きょうはしばしごろりと寝転んで、内田百閒大先生の「居候匇匇(いそうろうもんもん)」を読んだ。風船画伯の最後のお手紙はおかしくってげらげら笑ってしまった。「居候匇匇」は元々新聞小説として書かれた。しかし、面白い。ネコラツ先生に対する奥さんの嫉妬心や、万成くんのぼーっとしたところとか。それに三門オットセイ先生。これは百閒先生自身のことのようである。
谷中画伯、つまり風船画伯の挿絵がすてきだ。ばっちり楽しむことができる、この本は。百閒先生の本は読むほどに、前のよりも面白い。人に勧める気はもうとうない。ただ面白いから面白いのである。
2005年04月14日(木) |
逃れられぬ・服を買う |
この、いやらしさ、は ずっと続く ぬめっとした 逃れようとしても 逃れられない それは 歯の痛みのように ずうっと続いている 楽しかったことなどない だから こうして 書いている いやらしさ。 だからこうして 下を向いている さくらの花ふぶきも 溶かしてしまいそうな 固い、なにか。 いやらしさ。 人間のいやらしさ。 少しも妥協しようとしない つきつめると、こうだ いやな人間と共にいるぐらいなら 黙って 本を読んでいた方が良い。 それが許されないから、 ぬめっがずうっと続いているのだ ならば、逃れる術を考えるか うまく、逃れる術というのは、あるのか 見てくれを考えているから、 逃れられないのか いつも。
今日は晴れていい天気。しかし洋服を買いに行かねばならない。 わたしはこれが非常に苦手である。信じられないかもしれないが。 しかし、明日は職場の歓迎会なのだが、着ていく服がないのである。 しかしもう午後なので、時間が非常にもったいない。近くのスーパーで 何か買おうと思ったりする。 あー、服や靴を選ぶのがほんとに嫌なのである。 いい天気。日がかげってきそう。
2005年04月11日(月) |
Interview to Princess Di |
ダイアナ妃の「衝撃」インタビューを見た。うーん、ダイアナさんってやはりちいさな女の子の精神がそのまま生きている、という感じ。女の子の時の解決しない事柄が、そのまま、そのまま抱かれているという感じ。
衝撃という感じは全くしなかった。若い女性であのような境遇ならば当然持つであろう、悲しみ、辛さをそのまま出しているという感じだ。わたしは以前カウンセラーになるための勉強をしていたことがあるから、人の話のなかで、人が気持ちを吐露する場面には幾度か遭遇した。あんな、ものである。あんな、というのは決して軽く見ているのではなく、人間というのはあんな風である。
解決しなかったこと、憎しみ、愛情への飢餓、それは誰でもが抱いている。彼女が「ボイス・トレーニング」を通じて、気持ちを出していく過程、そしておそらく成長への過程にあったことが想像される。
人というのは、まるで映画スターのように、一見matureでwell-manneredであっても、その内面の苦しみ、幼さは生き続けるのだなあ、と思った。
2005年04月09日(土) |
さくら、さくら、わぁ、さくら |
先ほどまで、土曜サスペンス劇場(という名前だっけ)を見ていた。それなりの筋書きで出てくる人もいちおう、演技がうまい。しかし筋書きがどうも男サイドの話で後味が悪い気がした。 サスペンスで面白いのは、コミカルでヒューマンな味わいのあるもの。見た後にふんわりといい気分が残るものである。前に泉ピン子がマンションの管理人のおばさんをやっていて、ものすごいどけち。というのも、そのマンションは社宅で、泉ピン子のご主人はその社員なのである。社宅には上司の奥さんたちがいっぱい住んでいて、その中で事件は起こる。
どけちの泉ピン子がとてもよかった。また、ご主人と息子・娘もよかった。このドラマは好きだった。 あまりというか、ほとんどドラマは見ない。テレビでどれがいい、と見るものはとくにない。家族が見ているので「ご近所の底力」は見ていると面白くなる。しかし「ためしてガッテン」は、とても役に立つことを紹介してくれるが、あまり好きではない。まだるっこしい感じがする。
桜が急に咲き出した。もうちらちら散り始めている。どこも、かしこもさくら。 今年はどうも桜があまり好きではない。去年まではたしかにうつくしい、と思い、他の多くの人々と同様に愛でていたのである。
しかし、今年はどういうわけかわからないが、桜を見ると気持ちが悪くなる。(ごめんね、桜さん)うす淡いピンク色があちこちに咲いているのを見ると、どうしてもっと強い色で咲けないのだろう、と思う。どうしてあんなにひらひらと気味悪いくらい、薄い花びらなのだろう。
ときたまピンクの中にカッと色の濃いサーモンピンクの花が混じっている、これはなんというのだろう、二色の桜。これを見るときれいだな、と思う。
その他は、わるいけれど、どこを歩いてもあのうす淡いピンクが咲き乱れているのを見ると、これはもう日本にいる限り逃げ場所がないのを感ずる。どこへ行っても桜、桜。気持ちがわるくて熱が出そうだ・・・。なんでこんな気持ちになるのかわからない。
日本を抜け出して、思いっきりカッと熱い南の国、真っ赤な大きな花が咲く海のほとりにゆきたい、と思う。もう、もう、桜はいいよ。咲いて散る・・・か。桜が散ると緑である。黄緑。これも苦手だ。
夏になるのもいい、冬の枯れた草原もいい、秋の充実した感じもいい。ただ春は・・・。なんという、私は春の生まれなのである。
自分のブログはてさて何をに、ふと思い出して「本郷の思い出」という文を書いたら、今日、駅前の本屋でなんと、「街道をゆくNo.12 本郷界隈」という雑誌を見つけた。
4月17日号である。息が止まりそうなくらいびっくりどっきりした。これは買わねば、と思い、買ってしまった。自分の書いたことに対する回答のようだ。本郷付近の地図もばっちり載っているし。世の中偶然ってあるものですね。
2005年04月05日(火) |
Swallow, swallow, Little Swallow... |
「やさしいビジネス英語」の一週間分を録音したつもりでいたら、その後の「リスニング入門」まで録音されていた。これがとても楽しい。
その中でやっていたのが、オー・ヘンリーの短編とHappy Prince (by Oscar Wild)である。オー・ヘンリーの作品は銀行強盗をしていた男の話。うっすら覚えてはいたが、こうして音楽やら、臨場感あるせりふが飛び交うドラマとなると、とても楽しい。
また、幸福な王子なんて子供の頃に読んで、振り返りもしなかった話であるが、こうして聞いているととても、いい。とくに、Princeが、ツバメに、Swallow, swallow, little swallow, と呼びかけて自分の宝石やら金箔やらを貧しい人々に持っていってやるように言うことばの、そのリズム。
また、ツバメが死んだとき、Princeの心臓がかちゃーんと砕けるあたり。
また、ツバメはなぜ南に行くのが遅れたのか、知っていますか。それは、コケティッシュなreed(葦)に恋したからです。いくら求愛してもつれない葦。
リスニングを学ぶのにも、ニュースを聞いているより、こうした物語を聞いているほうが百万倍聞き取りやすい。それは人の心の流れがあるからなのだろう。香気、と言ってもいいかもしれない。
2005年04月04日(月) |
What's interesting to you? |
いつも思うのだが、自分ひとりでなんとか満足にやっていける人は幸せだ。ひとりで、というのは、つまり、ありもしない名声を求めたり、実現しそうもない夢にあこがれたりしないで、周囲の人それに周りのものが得られていれば満足である人のことである。
たとえば自分で菜園をつくり、野菜が取れるのがなによりの喜びとする人。子供の成長や家族とともにいることをなにより幸せと感じる人。
わたしはどうか、わからない。いつも不満である。いつも不足している。
何が得られれば満足なのか、よくわからない。仕事もなにを求めているのか、何を是とすべきなのか、よくわからない。誰も何も言ってくれない。いつも、揺れている。
揺れている状態に慣れろというのだろうか。わたしは早くほんとうにしたいことを、したいのである。今の状態は違っている。職場ではずいぶんと自分の生にとって無駄なことが多い。それか仕事だと言われればそれまでであるが。
書くことが、好きである。それを追い求めていくべきなのか。
2005年04月03日(日) |
【詩】餅のような二日間・雑記・一万遍 |
また、日が過ぎた 餅のように伸びた二日間 わたしは 歩いて 私鉄の赤い電車のそばを歩いて すすきが光っているのを見た すすきは乾いていて 年老いても元気な老人のようだ 餅のような、二日間 すすきが白く輝いているのを見ながら あたしは、これから 好きなことをしよう、と思った。 餅のような二日間は、ながい あたしは息を大きくつくことができる あすからの一週間は 無駄な生である 給料がもらえるとか 理屈はいくつも立つが それでいて、無駄な 人をしなす、作業である 好きなことをしたい、と考えた すすきも、そうだそうだと言っている 白い餅のなかに沈んだ二日間 わるくない またあしたから きっとあしたから。
ふと、今までの主に詩のうちのよいものを集めてまとめてみたいなと思うときがある。しかし、その作業を想像するとどうも「自己撞着」的な仕事のように思えて うんざりもする。 から回り。じぶんの中だけを、から回り。 人はどうなのだろう。自分の作品を編む時、「これだけは人に伝えたい」と思うから、作品集を編むのだろう。しかし、自分は、自分の書いたものがひとつにまとまると、いや、そのまとめる作業すら「むだなこと」という感覚がある。 自分の書いたものは、自分が生きた「かす」である。豆腐のおからみたいなものである。 自分の書いたものでとくに人からコメントをもらったものでない場合、すぐに忘れる。「こんなものを、書きましたね」と人から言われてピンと思い出せないことが多い。何かのきっかけで自分が以前に書いたものを読んでも、「こんなの書いたっけ」と、頭が霧の中である。 他の人もそうなのだろうか。いや、ほかの人はもっと言葉を選んで、何かの意気込みを入れて書くのだろう。わたしは自分勝手にこうして書くのは好きだが、きちんとした文章がなかなか書けない。いつぞや小説の通信コースとやらに参加したことがあったが、ひどい点数とひどいコメントをもらってやめてしまった・・・。 きちんと書けばあんなことはないのかなあ。
さあ、ひとしきり 近所やら 遠くやらを回って ちょっと 心が翳ったこともあったが ともかく 日は射すし よい、天気 PCを消して 外に出ようぜ! なにせ わたしは 生きているのだから。 なにせ 生きているのだから。 これを一万遍、繰り返せ
ちょいと 心が泣いている 陰りがかかっている 日が射せば射すほどに 影が濃くなる それを、吹き飛ばせ、と。 よいことも、ある わるいことも、ある 早く歳をとって 小さな花壇をつくりたい、と思う 野菜を植えていたあなた。 お元気ですか
冬枯れの景色が好きだ。中学生ぐらいの頃から、たとえば試験が終わり早い時間に電車に乗り、窓から色のない山や畑を眺める。あれほど夏の盛りにはぎらぎら燃えるようだった緑も、今は灰色。枯れた木々の向こうから落ち葉を燃やす煙が上がる。
冬枯れの道。友達と遊びにゆく、森閑とした小道。煙の臭いがどこからか、漂う。曇りの道。
冬枯れの野山が日に白く照らされているのもいい。じいっと黙っている。黙っているけれど、いろいろな会話をしているのが聞こえる。それはうるさくない。じっと、いるだけ。
いまはもう、春なのだけれど、さくらも少ししか咲いていないし、むしろ冬枯れの景色の方がまだ、目立つ。
人間を相手にするより、色のない木々を眺めている方が好きである。方が、というより、絶対的に好きである。ゼロ対百パーセント。
このごろは耐性ができたのだろうか、あまり人に腹を立てることは少なくなった。あきらめ、と言うべきか。もしかして、きちんと言うべきことも言っていないのかもしれないが。
翻訳をもっとやればいい、と言う。英訳して外国の雑誌にでも投稿すればいい、と言う。こちらでどんどん和訳ならやりますから、と。よく言うよと思う。青い口の先をとんがらかして、言う。ちょこちょことメークアップするような調子で言うのである。
実際にこれまで翻訳をしてきた人は、それこそ集中して机に向かい、ものを調べ結構な時間を費やしてきた。それが彼女にできる、というのか。一日中おしゃべり好きな人に。そのくせ、和訳の仕事が舞い込むと、それはわたしのすることではないと言ってうまく逃げる、そういうタイプなのである。
こういうタイプに真正面からはむかうと、負ける。うまくはぐらかすしか、ない。やったことがないくせに、またはちょっとかじっただけのくせに、したり顔をして、言う。または、きちん調べずに適当に訳す可能性がある。「そんなの重要じゃないでしょ」とでも言いそうだ。
うちの職場でここ二三年、TOEICなどを基準に、よい得点を上げたものを語学スタッフとして活用させろ、ということで、そういう人たちに翻訳をやらせてきた。彼ら彼女らは別に語学要員として入ったわけではないが、たまたま英語がある程度できたのである。
しかしながら、英語ができることと、翻訳または通訳として使えるということとは別物である。彼ら彼女らを「活用」するために、この二三年間、その人たちの訳したものを読み、訂正し、組織内に配布できるようなものに仕立てるという仕事をした。
自分で訳せば数倍早いものを、である。わたしは別に翻訳ができるから特別だとかそんなことは言いたくはないが、翻訳で正確なものを仕上げるには、時間と根気と興味とリサーチ力がいる。そんなことをやらずにちょいちょいと翻訳してもそれはそれでかまわないと思っている人間がうちの組織には多い。
たまたま、向こうの雑誌から依頼を受けてうちの組織の担当者が原稿を書き、それをうちの方で英訳した記事が雑誌に載る。大きな写真入りだ。これを実現させるまでには、編集者との手紙のやり取り、写真の入手、テクニカル的な問題、それを英語にすること、などなど翻訳プロパーだけでない、いろんな作業が必要だったのである。
それを出来上がった雑誌記事のみみて、「もっとこんなのをやればいいのよ」と口をとがらかせて、きんきんと言う。「交渉ならやってあげてもいいわよ」ですって。頭から湯気が出そうであった。この女はほんとうに、苦手である。
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