《休みのお知らせ》明日12月29日(土)~1月9日(水)まで休ませていただきます。なお、「ことば探し」は、31日(月)まで、アップしております。よろしかったら、のぞいてみてくださいね。来年もまた、よろしくお願いいたします。 <(_ _)>楽しき年、あたたかき年、喜びの年にしていきましょう!
《お知らせ》『そうだったのか!この違いがわかれば、 きっと許せる「男女の違い105」』第13号」 をアップいたしました。↓ ★http://www.kotobasagashi.net/danjyomerumaga.php 今回のテーマは、 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると幸いです。 そういうわけにはいかないところもあり「ショックだ」との 感想もいただいておりますが、そんなところばかりではないので、 一部ではありますが、見てみてくださいね。 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>
《お知らせ》■『そうだったのか!この違いがわかれば、 きっと許せる「男女の違い105」』第13号」 をアップいたしました。↓ ★http://www.kotobasagashi.net/danjyomerumaga.php 今回のテーマは、 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると幸いです。 そういうわけにはいかないところもあり「ショックだ」との 感想もいただいておりますが、そんなところばかりではないので、 一部ではありますが、見てみてくださいね。 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>
《お知らせ》本日、法事のため、臨時のお休みをいただきます。せっかく来ていただいたのにすいません。明日は、アップいたします。どうぞ、よろしくお願いいたします。<(_ _)>
《お知らせ》■『そうだったのか!この違いがわかれば、 きっと許せる「男女の違い105」』第13号」 をアップいたしました。↓ ★http://www.kotobasagashi.net/danjyomerumaga.php 今回のテーマは、 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると 嬉しいです…そういうわけにはいかないところも あるとは思いますが(苦笑) 一部ですが、一読してみてくださいね。 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>
今日は、こちらの本からのお話紹介です。ちょっといい話が100ほど、おさめられています。「ちょっといい話」佐藤 光浩著やや古い話が多い「いい話」集ですが、短めで読みやすいので、すぐに読み切れ、穏やかな気持ちを取り戻すことができると思います。これからの季節に読むにはいいですし、気持ちがざわざわするとき、落ち込んでいるときなどにも、読んでみてくださいね。今日は、この本の中から、「ああ、よかった、よかった、 無駄だと言われることもあるけど、 これは、今も本当に役立っていて、 そして、村を変えたんだね」と、とても嬉しく思った話です。 小さな村の村長が見せたかった、夢のような光景《奇跡の井戸水》(89番目の話より)日本はこれまで、多くの開発途上国にODA(政府開発援助)を供与し、経済や社会の発展、生活の向上に役立てるための資金や技術の提供を行ってきました。しかし、ただ援助をして生活を支援するだけでは、本当の発展は望めません。1996年、当時の駐セネガル大使のもとに、手紙が届けられます。それは、9年前に深井戸を掘って給水施設を無償援助した、小さな村の村長からでした。その村は、ずっと昔から放牧をして暮らしていました。しかし、水資源が不足しているため、貯めておいた雨水がなくなると、男性は家畜を連れて水を求める長い旅に出てしまい、残された女性と子どもは、村に一つしかない浅い井戸の水でしのがなければなりませんでした。ところが1970年代に、その井戸も枯渇。彼女たちは8キロ離れた隣村まで水をもらいにいくのですが、そこの水が汚れていたため、多くの子どもたちが病に倒れてしまったのです。1983年、日本の技術者が村を訪れます。そして、地下130メートルの深井戸が掘られ、3カ所の共同水くみ場と4カ所の家畜用水飼い場も設置されました。村民はもちろん、家畜にもたっぷりと水を与えられるようになったのです。それは夢のような出来事だったといいます。しかし、大使が実際に村を訪れてみると、もっと夢のような状況が広がっていたのです。共同水くみ場の蛇口は、子どもたちが水を無駄遣いしないよう、夜間になると水道管理人がしっかりと鍵をかけて閉鎖。さらに村民たちが水道の使用料を出し合い、集まったお金をポンプ保守技師の給与や部品の調達、燃料費などに利用していました。さらに、ストックされたお金が大きくなると、パイプの延長工事を行い、学校や保健所に水を引き、さらに野菜畑や果樹園にも延ばし、収穫量を増やしていました。若者たちの仕事も増え、さらに貯水池をつくって、魚の養殖をしようという計画まであるというのです。ずっと放牧生活を続け、自然の成り行きに身を任せてきた村民たち。しかし、井戸ができてから、村民たちが生活を向上させようと知恵を出し合い、努力するようになりました。そう、村長が大使に見せたかったのは、井戸からあふれ続ける水でもなければ、喜んでいる村民たちの姿でもありません。自分たちの努力の成果を見てもらいたかったのです。(ここまで引用)セネガル大使も、この光景をみて、感動し、とても嬉しかったでしょうね。この話は、大使によって広がったと思われますので、そう思います。また、この深井戸を掘った方も、この話を聞いたら、嬉しかったでしょうね。やった甲斐がありましたね。国によっては、深井戸を掘って、争いになってしまうこともあるとか…セネガルの村は、本当によかったと思いました。村長の力もあったと思いますし、村民の頑張りもあったと思います。今は、魚の養殖をしているんでしょうか。この後の話がわかれば、また書きますね。
さて、今週~来週は、クリスマスに読んで欲しい本や心に残った話、感動した話など紹介していきますね。今日は、前回の「秘密のサンタ」の補足その2で、続きになります。ラリーさんは、1995年に匿名で取材に応じたことがあったそうですが、彼も本人も一切表舞台に出ようとしなかったし、家族も出ようとはしなかったそうです。そして、ラリーさんは、多くの人に感謝されるにつれて、どうしても、レストランにいた男性に会いたいと思うようになってきます。そして、ついに、1999年12月会いに行くのです。ミシシッピ州のトゥペロという小さな町に住んでいる男性に会いにいったのです。どうしても、会いたかったのでしょうね。自分の恩人ですから… その方は、テッド・ホーンさんと言う方でした。そして、そのテッドさんに、お礼を言ったあと、ラリーさんはこう言ったのです。「あなたがいなかったら、 今の私はなかった。 あなたがしてくれたことを、 いつか私も他の人たちに したいと思っていました。 お金がなくて悪いことをしようと 思った時もありましたが、 この20ドルのことを思い出し、 思いとどまることができました」と。そして、テッドさんに28年ぶりの恩返しをしたのです。ラリーさんは、そのお礼にと、テッドさんに1万ドルを渡します。テッドさんは、断りましたが、「今あるのは、あなたのおかげだ」と、言って渡します。すると、テッドさんは、受け取ったお金を、なんと、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったということです。テッドさんも、やはり、すごい人だったのですね。 テッドさんは、その後、「あの20ドルのことを覚えていて、 それが秘密のサンタ活動に つながったのは うれしいことだし、 すばらしいことだと思う」と、話していました。 ラリーさんは、その後も、活動を続けます。2001年同時多発テロがおこると、クリスマスにはニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドル配りました。2005年には、ハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配りました。そして、2006年、ついに彼は、身元を明かします。重い食道ガンを患い、死期をさとったからです。ラリーさんには、世界中に「思いやりを持つこと」を伝えたかったのです。この反響は大きく、2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届きました。その多くは、「自分も秘密のサンタになりたい」というものでした。日本、イギリス、ドイツ、中国など、世界各国から。2006年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行いました。そして、2007年1月12日、58歳という若さで、静かに息を引き取りました。 27年間で700万にの人たちに150万ドル配ったそうです。生前、ラリーさんは、「シークレットサンタ協会」を設立していました。「会員資格は少なくとも1回他人への 親切な行為を行うこと」現在でも申し込みが多いそうです。そして、クリスマスになると、あちこちの街で、秘密のサンタたちが、活動しているそうです。(※アンビリバボーの過去のVTRと、 HP上の記事を参考にしました)27年間もこの活動を続けていたラリーさん、そしてそれを支え続けた家族、本当にすごいことだなぁと思います。ラリーさんのこの活動にあやかって、私も、クリスマス前には、必ず、誰かに親切な行為をして、シークレットサンタ協会の会員になる資格を得たいと思います。
昨日は、本当に失礼いたしました。<(_ _)>やはり、師走ですね。12月は、こんなことが少し続きそうです。どぞ、よろしくお願いいたします。さて、今週~来週は、クリスマスに読んで欲しい本や心に残った話、感動した話など紹介していきますね。今日は、前回の「秘密のサンタ」の補足です。この本を読んでいたら、例えば、レストランで、サイフがなくなったとしたら、サイフが見つからないといけないけど、どんな状況だったんだろう、とか、ラリーさんは、その後、レストラン男性に会いにいったのかな?とか、奥さんは、知っていたのかな?その後、どうなっているのかな?などなど、疑問を持ったので、いろいろと調べて見たのです。すると、いろいろなことがわかり、しかも、この本に書いてある以上のすばらしいことがわかったのです。本当に、すごい話でしたので、紹介したいと思いました。さて、秘密のサンタさんは、ラリー・スチュワートさんという方で、重い食道ガンを患ったため、「他の誰かを助けることこそが、 私たちの生きる目的なのだ」「アメリカのあらゆる街に サンタが訪れるように」 ということを伝えるために素性を明かしたことは昨日話しました。実は、ラリーさん、事業で成功したから、お金を配っていたわけではないのです。そうではなくて、自分が会社を首になり、うんと惨めなときから、12月に街角で恵まれない人々に対して20ドルの現金を配る活動を始めたのです。決して、お金があったから、ではないのです。さて、それでは、どんな状況だったのか?ラリーさんは、1948年にミシシッピー州で生まれましたが、幼い頃に両親を亡くし、生活保護を受けながら貧しい暮らしをしており、1ドルでも多く稼ぐために必至に働いたそうです。そして、ついに23歳で化粧品販売の会社を設立しますが、その年の11月に倒産してしまいます。ラリーさんは、ほとんどホームレス状態になります。お金もなくなり、空腹状態のときに、やけになり、レストランに入り、思い切り食べてしまいます。しかし、お金はありません。これはまずい、ととっさに、ポケットの中を探すフリをして、「お金を落とした」と言ったのです。普通なら、そんな言い訳が通じるはずもなく、無銭飲食で警察に突き出されるところでしたが、レストランの男性(経営者と紹介されていることもあります)ラリーさんの足下から、「落ちてましたよ」と、20ドル札をひろってくれたフリをして、ラリーさんに手渡してくれたのです。このおかげで、ラリーさんは無銭飲食で捕まることもなく、食事代を払うことができたのです。このとき、ラリーさんは、内心、よかったと思い支払いをすませます。そして、この時の20ドルの残りで、カンザスシティに移り住み、警備関係の会社を起こし、懸命に働きます。そして、この警備会社がうまくいき、結婚もし、子どもも生まれ幸せな生活を送ります。しかし、1977年、27歳のとき不況で、再び会社が倒産。このときもまた、食事代にも困るほどなり、銀行強盗でもしようかと考えます。銀行でお金を要求しようとすると、少女が窓口でお金を預けていて、それが20ドル札だったのです。この20ドル札を見たラリーさんは、レストランで20ドル札を受け取ったことを思い出します。「こんなことはしてはいけない」と、今度はセールスマンとして、一生懸命に働きます。しかし、なんと、今度は、会社の経営が思わしくないことを理由に、突然解雇されてしまうのです。またしても、お金に困ります。このとき、どうしようかと考えつつ、道の売店に立ち寄り、ポップコーンを頼むと、店の中の女性は、間違って違う商品とおつりをラリーさんに渡します。みると、女性の顔は、とても暗いのです。ラリーさんは、この表情をみて、「お金にとても困っている」と感じ、おつりの中から、20ドル札を彼女にクリスマスプレゼントだと言って渡します。このときの彼女の嬉しそうな顔、そして、運命の20ドルが、その後のラリーさんの運命を決定づけたのでした。「秘密のサンタ」の誕生のときでした。 この後、ラリーさんは、銀行に行くと、貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽とサングラスいう姿になり、困っているような人や貧しい人に20ドル札を「クリスマスプレゼントです、どうぞ」と、言って手渡していったのです。 自分もお金に困っていましたが、もっと困っている人たちがいることを、ラリーさんは身をもって知り、この活動を続けることになります。20ドルは、大金ではありませんが、自分がその20ドルで救われように、お金に困っている人、貧しい人たちにとっては、本当に助かるお金でした。1980年。 ラリーさんは、友人と会社を興します。今度は、長距離電話の会社で、ここでラリーさんは、懸命に働き、財をなしていきます。不思議なことに、この活動をすればするほど、会社の業績はあがり、ラリーさんの生活は、豊かになっていったということです。この間も、毎年12月には、街角に立ちます。そして、この「秘密のサンタ」は誰だろうと、街でも噂になるようになります。しかし、誰かは、誰にも分からないのでした。この当時に、写メでも撮れれば、すぐに身元が分かったでしょうね(笑)もちろん、家族にも秘密にしていました。ところが、この「秘密のサンタ」活動を始めてから8年後、お金を配っているときに、妻に声をかけられて、見つかってしまいました。このとき、妻はこの活動を許してくれないだろうと、思ったそうですが、妻は、「困っている人を助けることは素晴らしいことよ。 節約して、多くの人を助けられるように 一緒に頑張りましょう」と応援してくれたそうです。このときの、妻のことばは、ラリーさんにとって、最高の「クリスマスプレゼント」になったそうですよ。それ以後は、家族もこの活動を陰から支え続けます。そして、ついにラリーさんは、あのレストランの男性に会いに行ったのです。すると、この男性…この方も、すごい人だったんですね。本当に、驚きました!この話の続きは、明日書きますね。どぞ、よろしくです。
せっかく来ていただいたのに、すいませんっ!本日、急な用事が入り、休ませていただきます。やはり、12月…師走ですね~明日は、確実にアップいたします。どぞ、よろしくお願いいたします。
今日も、クリスマスに読んで欲しい本や心に残った話、感動した話など紹介していきますね。気に入ったお話、本がありましたら、ぜひ、ぜひ、読んでみてくださいね。今日も、昨日と同じ本からの紹介になります。この本には、感動する話が、100集められています。一つひとつの話に、思いが込められている上、年代を超えて紹介されているので、いろいろな感動秘話を一気に読めます。ぜひ、読んでみてくださいね。「ちょっといい話」さて、今日の話はこちらです。「秘密のサンタ」より(P104~105から引用)アメリカのミズーリ州カンザスシティには、12月に街角で恵まれない人々に対して現金を配る男性がいました。その活動は26年も続けられたのですが、男性が身元を隠していたため、どこの誰かはわかりませんでした。そのため、彼は、「秘密のサンタ」と、呼ばれていました。しかし、2006年11月、彼は突然素性を明かします。「秘密のサンタ」の正体は、同州に住む58歳の実業家。重い食道ガンを患い、人に親切にするという自分の信念を広めようと、正体を明らかにしたのでした。彼には職を失い、車の中で寝泊まりしていた時期がありました。そして、やけになってレストランでお腹いっぱい朝食をとったうえで、サイフをなくしたと嘘をついて、ごまかそうとしたことがあったそうです。普通なら、そんな嘘は通用しないでしょう。しかし、そのレストランの経営者は、彼を責めることをしませんでした。それどころか、あなたが落としたお金があったと言って、彼に20ドル札を差し出したのです。彼は、相手をうまく騙せたと思ったのですが、よく考えてみると、それがレストランの経営者の優しさであったことに気づきます。その後、彼はケーブルテレビの事業で大成功を収め、裕福な暮らしを手に入れます。しかし、そのレストランでの経験を忘れることはありませんでした。そして、1979年、ドライブインの女性従業員に20ドルを手渡したことをきっかけに、恵まれない人にお金を配るという活動を始めたのです。2007年1月、彼はガンによる合併症により亡くなりました。それまでに配ったお金は総額130万ドル(約1億5000万円)にも及んだそうです。しかし、「秘密のサンタ」は2007年の12月にも街角に現れ、人々にお金を配りました。実は、彼が臨終する際、友人の一人が「秘密のサンタ」を引き継ぐことを約束し、誓い通りに活動をはじめたのです。また「他の誰かを助けることこそが、私たちの生きる目的なのだ」と語り、「アメリカのあらゆる街に サンタが訪れるように」と願い続けた彼の意思は、多くの篤志家の心を捉えました。そして、「秘密のサンタ」はミズーリ州のみならず、カリフォルニアやアリゾナなどにも登場。活動は全米に広がっているそうです。 (ここまで引用)この話は、大分以前に、「奇跡体験アンビリバボー」でも紹介されたことがあるので、知っている方もいると思いますが、本当にすごい人がいるなぁ、私も何かできることをしようと、思わせてくれる話でした。しかし、この本の内容だと、ちょっとわからないことが多いし、疑問もわいてくることがあり、調べて見ると、いろいろなことがわかりました。日本の新聞でも、このことが報じられていました。四国新聞社の記事(2007年1月14日)「「秘密のサンタ」が死去」ラリー・スチュワートさんと言う方だったようです。そして、ラリーさんは、成功したから、この活動を始めたわけでなく、成功に至るまで、何度も挫折しつつも、この活動を続けていたことがわかりました。また、レストラン経営者ではなく、レストランの男性従業員であったこと、その時の状況、なぜ、20ドルだったのか、さらに、その後、ラリーさんは、この男性に会いにいったこと、なぜ、ドライブインの女性に20ドルを渡したか…などが、わかってきました。そして、その話が、もっと、もっと感動的だったのです。この話は、明日書きますね。
今日は、すっかり遅くなってしまいすいませんっ。朝から、締め切りに追われて、遅くなってしまいました。やっぱり、12月は、バタバタとしますね。でも、この時期に忙しいのは、本当に幸いだと思って頑張っています(笑)さて、今週~来週は、クリスマスに読んで欲しい本や心に残った話、感動した話など紹介していきますね。気に入ったお話、本がありましたら、ぜひ、ぜひ、読んでみてくださいね。まず、今日は、こちらの本からのお話を紹介します。「ちょっといい話 」今日は、富山県であった実話です。クリスマスに、こんなことがあったら、本当にステキだなぁと思いました。「サンタへの手紙」より(P102~130から引用)富山県にある幼稚園で、サンタクロースに宛てた手紙を書くことになりました。子どもたちは、思い思いにお願い事を書き、幼稚園が用意したトナカイのポストに入れていきます。そんな中、一人の女の子がお願い事を決められず、手紙を家に持ち帰ることになりました。家でうーんと悩んだ結果、女の子は手紙に「ペンダントをください」と書き、それをポストに投函します。ただ、女の子は大きな間違いをしてしまいました。トナカイのポストではなく、本物の郵便ポストに手紙を入れてしまったのです。しかし、話はそれだけでは終わりません。女の子はかなり心配症だったようで、本当にサンタさんに手紙が届いたのか、気になってしかたありません。そして女の子は、毎日のようにサンタさんに宛てた手紙を、本物の郵便ポストに入れ続けました。切手も貼っていないその手紙が、サンタさんに届くことはない…はずでした。ところが、クリスマスイブの当日、女の子の家にサンタクロースは訪れました。そして、たくさんの手紙をくれたことへのお礼を述べ、ペンダントをプレゼントしてくれたのです。実はこの手紙は、この地域を担当する郵便局に集配され、大切に保管されていました。毎日届くサンタさん宛の手紙を見て、この郵便局の人たちは、差出人として書かれた名前から、女の子の身元を探し回ります。住所と名前が判明し、局長が女の子のお母さんに連絡。そして、プレゼントを届けることになったのです。郵便局の人たちの粋な計らいが、少女の夢を実現させたのでした。 (ここまで、引用)きっと、この女の子は、この日のことを一生忘れないでしょうね。一生懸命、手紙をだしてよかったですね。明日も、クリスマス関連のお話です。どうぞ、お楽しみに…
《お知らせ》■6.7日は、お休みさせていただきますっ。 この時期は、なにかとバタバタとしますね。 来週は、クリスマスにおすすめの本などを紹介します。■『そうだったのか!この違いがわかれば、 きっと許せる「男女の違い105」』第12号」 をアップいたしました。 今回のテーマは「セックスに関する3つの違い」 生理的な違い、脳的な違い、感性の違いなどを取り上げています。 この違いを知ると、パートナーの気持ちを受け入れられるかも… 一部ではありますが読んでみてくださいね。 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>↓ ★http://www.kotobasagashi.net/danjyomerumaga.php■「今日のことば」11月の人気ベスト5」 本サイトにアップいたしました。↓ ★http://www.kotobasagashi.net/kotoba/vest5.php 今回は「叶」という字の話で、願いを叶えることばでした。 ぜひ、見てみてくださいね。 どうぞ、よろしくお願いいたします。
引き続き、九州旅行の話になります。あと2回ほど、九州旅行の話になります。どうぞ、よろしくお願いいたします。<(_ _)>今日は、阿蘇と巣鴨のつながりです。あったんですね~つながりが…そして、それは、私にとって、たいそう嬉しいつながりでした。なぜ、そのつながりがわかったか…実は、阿蘇観光していたときに、ソフトクリームがおいしいというはちみつやさんがあると聞いて行ってみたのです。ここです。「阿蘇みつばち牧場」店内にいっぱいにはちみつが売られ、その一角のカウンターに、おいしいと教えてもらったソフトクリームがありました。そこで、カウンターに座り、ソフトクリームを頼むと、そのカウンターの先にいた、男性が話かけてきたのです。「どこからいらっしゃったのですか?」「えっと、ばらばらで… 神奈川、東京、茨城からです」「今日は、おみやげを買いにきたのですか?」「いえ、ソフトクリームがおいしいと 聞いてきたので…それを食べに」「ソフトクリームにもはちみつが入って ますから、美味しいんですよ」ということで、早速ソフトクリームを頼み、食べていると、さらにこう聞いてきたのです。「東京の方は、どちらから?」「巣鴨です」「え、巣鴨? じゃ、うちの支店がありますよ。 ご存じですか?」 と、いうのです。そういえば、はちみつのお店確かにあったと思いだし、こう答えると、「ああ、はちみつの店あります、あります」「その店、うちの店なんですよ。 熊本に本店があり、巣鴨に支店をだして いるんです」と、教えてくれたのです。なるほど、そう言われてみれば、巣鴨のはちみつ屋さんで、売っていた商品が並んでいました。実はこの店で売っている、はちみつの「マヌカ蜜」は、ピロリ菌を押さえる効果があるとかで、店頭で紹介していたので、1度行ってみたことがあるのです。そのころ、私はピロリ菌保持者だったので…(今は、薬を飲み退治しました!)お値段が高かったので、「マヌカ蜜」買わないできましたが、1度入ったことがあったのでした。そこで、入ったことがあることを伝えると、さらに、こんなことを言ったのです。「僕も時々巣鴨に顔をだしているので、 ぜひ、立ち寄ってみてください。 そして、さきほど、 「いきなり団子」の話を していましたが、 その「いきなり団子」、 この店で売ってますので、 ぜひ、買いに来てください」「えっ、はちみつ屋さんで、 いきなり団子を売っているのですか?」「そうなんです、これが美味しいんです。 蜂蜜がはいっていて…」と、教えてくれたのです。「いきなり団子」とは、さつまいもとあんこがはいっているおまんじゅうのことで、実は、私が大好きなんですね。すでに、道の駅で買い込み、食べてもいたし。その「いきなり団子」を巣鴨支店で売っているというのです。私は、1度は行ってみたけど、それには気づかずで。そこで、戻ってきてから、早速、巣鴨支店に行ってみたのです。すると、確かに確かに、売っていました。ほら、これが、巣鴨店の「いきなり団子」店頭で、ふかしていて、熱々を食べられるのです、店内で。お茶付きで。ちなみに、こちらが、道の駅で食べた「いきなり団子」どちらも美味しかったですが、はちみつ屋さんのほうが、さつまいもがあつく、しっとり感がありました。男性の方にも、「いきなり団子を食べたくなったら 巣鴨店の方に行ってくださいね」と、すすめられたし、確かに美味しかったので、これからは、巣鴨店で買おうと決めました(笑)そうそう、なぜ、この「いきなり団子」が、このはちみつ屋さん売られているかというと、いきなり団子は、熊本の郷土菓子だから、のようです。今は、都内をはじめ、あちこちで見かけますが、もともとは阿蘇地方でよく食べられていたのです。それで、こうして巣鴨でも売られている、というわけです。なお、この店のソフトクリームも、巣鴨店で食べることができます。こちらもおいしいので、ぜひ、巣鴨に来たときには、立ち寄って食べてみてくださいね。巣鴨地蔵通商店街、JR巣鴨駅寄りの、「高岩寺」の手前にありますから。というわけで、私は、これから、「いきなり団子」をいつでも食べられるようになりました。嬉しいです。