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子育ての教科書は大してあてにならない。“良く“育った子というのは、たまたま生まれ持った性格とか、親の方針とか、出会いや経験などがうまく噛み合った、というところなんだろう。
2年前、9歳になる近所の子はちょっとした反抗期を迎えてた。物静かな性格で、口答えとかしないけど、母親のいうことをひたすら受け流してた。
「そろそろ夕飯よ。家に入りなさい」
「はい」
でも動く気配なし。
「ねぇ、そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」
とわたしが言うと、
「どうかな」
という感じ。
お母さんは言ってた。
「育てやすい子だったよ。几帳面で、きれい好きで、帰宅したらお風呂掃除してあったりしたこともあるし、部屋もいつもきれいに片付いてる」
いいなぁ、うちなんか全部めちゃくちゃ、棒切れ振り回したり、変なところからジャンプしたり、育てやすいなんて思ったことないわ。と思う反面、息子がこんなのびのび好き勝手やってるのは、わたしがいつも側にいて、父親は真面目に働いて時間がくれば帰宅して、何があっても両親が守ってくれるという安心感からなのではないか。それにひきかえ、この子は、アル中でリハビリ施設にいる父親は経済的にもあてにならず、お母さんは彼女を養うために働かなきゃならない。甘えることもままならない時もあって、出来の良い子供になる以外なかったんじゃないか、という考えも頭を過った。何かを尋ねても、9歳とは思えない大人びた解答、でも焼きたてのお菓子なんかを差し出すとたちまち子供の顔で目を輝かせた。この子は数年後、中学生になるくらいには、今までの我慢がたたってグレてしまうのではないか、とこの小さな反抗的な兆候に暗雲が立ち込めたように感じた。
ところが、彼女が中学生になった今、重い教科書を抱えて淡々と通学してる。そして、彼女の代わりにグレてしまったのは、お母さんだった。グレた、といってもワルになったわけではないのだが、落ち着いた大人のような彼氏はいつの間にかひとまわりは若そうな男にすり替わってて、その耳にピアスをつけた男は喫煙しながらとかビールを片手にうちの前をうろついている。お母さんはティーネイジャーのような服装で、写真を撮る時など娘よりやる気満々にポーズをとってるのを見て、夫と苦笑する。でもまぁ無理もない。一人で働きながら子供を育てるって本当に大変だったんだろう。色んな我慢をしてきたのは娘だけじゃなかったはず。だから娘が中学生になり、学校への送迎もなくなり、ちょっと手が離れたというところではじけちゃったんだろうな。で、この娘はというと、グレるどころか、母親の彼氏の小さな二人の連れ子の面倒を甲斐甲斐しく見て、その姿はまるで若くして子供を持った母親のようなのだった。
「あっ、ママの指がプッパ(イタい、イタい)してるよ」
と息子がわたしの指の擦り傷を見て言った。
「No worries! 僕はなんでも治る魔法のクリーム持ってるからね」
はぁ。
なにやらチューブに入ったクリームらしき物を持ってきて、小さな指で念入りに傷口に擦り込んでくれた。そのチューブには“リップバーム“と書かれていた。
わたしとは日本語で話している息子だが、寝言やひとりで遊んでいる時に口にする言葉は英語、フランス語、日本語、スペイン語が全部ごちゃ混ぜ。彼なりに他言語の間でそこそこの苦労をしているものの、英語で動詞にSがつく場所、スペイン語とフランス語では女性と男性名詞の分別、そしてそれに続く形容詞の変化などが自然と正しく話せるのは彼の宝だと思う。大人になってから学んだ言葉というのはこういうわけにはいかない。
日陰でのんびりと寝そべって過ごすのが最高の贅沢という季節になった。ランチを持って、午前だけで仕事を終えた夫と待ち合わせて川沿いにピクニックにでかけた。ブランケットを敷いて、パンやお菓子を食べ、紅茶を飲み、寝そべり、本を読み、歩いて周囲を散策する。ここにあるのは真っ青な空と木と草と野花と水と石と。。。。息子は色んな色の石を拾い、川に投げ、野花を摘み、蛇やカエルを探す。わたしは彼にクリエイティビティを培って欲しくて、遊び方に既成の型があるおもちゃなどをほとんど買ってあげてこなかったのだけど、息子は逞しく色んな物を拾い集めて、あらゆる物を創作する能力を身につけてる。自然の中に放置しても、そこで色んな遊びを見つけていつまでだって遊んでいられる。いつもは忙しい夫もずっと彼とひっついて一緒に虫を探したりしてくれたのが、きっと彼にとっては嬉しかったのだろう。帰り道、
「ぼく、ここすき。またこようね」
なんて言ってた。