前途多難と前途洋洋のはざま日記



踊る大捜査線とか、ケータイとか

2003年08月31日(日)

自分とこのドラマや映画がヒットするとすぐに「社会現象を巻き起こした」と大袈裟に浮かれてみせるフジテレビで大人気だった「踊る大捜査線」、あれは確かに面白い。音楽もいい(たまにうるさすぎる。台詞をかき消す音楽は要らない)。

テレビシリーズはリアルタイムでは観ていなかったが、のちにビデオで全部観た。
映画のパート1も観た。
んでもってきょう、パート2も観てきた。
感想はまた後日。


話はガラっと変わります。
そんなに変えなくても・・・・・ってくらい変わります。

携帯電話を持ち始めた頃は着メロなんつうものをダウンロードして面白がっていたが、それもすぐに飽きた。
今は着信はほとんどマナーモード(解除し忘れてお目覚めの「ブルドッグ」を聴けないこともあるが)、メール通知音は常にオフにしている。
だから、私に電話してもなかなか出ないとか、メール送ったのに返信が遅いとか、そういうの、ゴメンね。
すぐに気付かないことが多いの。
何のための携帯じゃっ!って怒られるかな。
なんか、着信音や通知音がうるさくて。「着うた」なんかとんでもないな。


着メロで印象深かったこと、それはうちのバンビーナ(猫)がお世話になっている動物病院でのこと。

犬の飼い主(女性)が、涙ながらに獣医さんの説明を聞いている。
端的に言えば「もうダメなのだ」と、「もう死んでいるのだ」と。
家族同然の犬の死。待合室で聞き耳を立てる(立てるな!)私も思わず涙しそうになった。
悲痛な空気が流れた、その時!
女性の携帯電話が鳴った、「キャンディ・キャンディ」のメロディを響かせて。
どうやら犬の様子を心配したダンナさんからで(聞き耳聞き耳!)程なく病院に駆けつけたダンナさんは入ってくるなり
「アカンかったか・・・・・」
と弱々しく言ったのでした。

奥から泣きはらした女性と、布にくるまれしっかりダンナさんの胸に抱かれた小さな犬が出てきた悲しみの動物病院だったが、私の頭には「こんな時キャンディ・キャンディっていうのもなぁ・・・・」の思いがぐるぐる回っていた。


乱暴な診断

2003年08月30日(土)

「粗食のすすめ」(東洋経済)という本がある。
中に「食生活自己診断チャート」というページがあり、いくつかの質問に答えて行くと自分の食生活の全貌が明かされるというしくみだ。
さっそくやってみた。

まず、主食はご飯が多いかパンが多いか?と聞いてきた。
−迷わずご飯だ!

ご飯を選択した者への質問は、
おやつは「おにぎり・いも類」と「和菓子・洋菓子」、どちらが多いか?というものだ。
−主食で米を食べ、おやつにまでおにぎりや芋ってことないなあ・・・・。和菓子・洋菓子だ。

次に突きつけられた質問は、
めん類は「うどん・そば」と「スパゲッティ・ラーメン」、どちらが多い?というものだ。
−最近なかなか「スパゲッティ」と小さい「ッ」は入らないぞ。うーん、どっちかなあ。
(ちょっと迷って)スパゲッティ・ラーメンにしよ!!

わずか3つの質問で私の食生活を診断してくれたありがたいフローチャートは次のような文章に行き着いた。

失礼ですが食事とは言えません。根本的に見直してください。

うるせえよ、たった3問でそれかよ。

もし、めん類のとこで「うどん・そば」を選択していたら、
飲みものは「水・ばん茶」と「牛乳」、どちらが多い?と聞かれる。
私の答えは「水・ばん茶」だ!
さあ、これでどうだ、どう診断してくれる!!

ひどすぎる食生活です。根本的に見直すことをおすすめします。


納得いかん。


私は時代遅れの野蛮人?

2003年08月29日(金)

塀の中の「加害者」と塀の外の「被害者(その遺族・家族)」の間に交流が生まれ、被害者が加害者の減刑を嘆願したり、死刑執行の中止を求めたりするケースが稀にあるらしい。

もしも私が被害者あるいは被害者の遺族(や家族)だったら、そんなことはあり得えない思った。
憎んでも憎みきれない、殺しても殺し足りない相手と交流し、理解し、許すことなどできるわけがないと。

被害者の声としてよく私たちの耳に届くのは
「(加害者は)犯した罪の重さを自覚し、悔いてほしい、謝罪してほしい。」
といった内容の言葉だ。
加害者が自分の罪と向き合ったところで、被害者の傷は癒えるのか、亡くなった人は戻るのか、空しくないか・・・・・そう考えたりした。


しかし・・・・・。

喧嘩相手とのわだかまりを晴らすには、喧嘩相手ととことんぶつかり合うしかないのではないか。
いじめられた人の心の傷を本当に癒せるのは、いじめた人の心からの謝罪の言葉しかないのではないか。

・・・という例と、重大犯罪の加害者と被害者の関係を同じに並べていいのかどうかわからないが、大事な家族を殺された人が、心の傷を癒し、失った大きなものを少しでも取り戻そうとする時、いちばん力になるのは加害者の心からの謝罪なのではないだろうか。そう思えてきた。
被害者は加害者によって癒されるという皮肉な現象だが。

加害者は自分の犯した罪と真っ正面から向き合い、反省し、謝罪する。
その過程にはきっと苦しみが伴うが人として再生するために欠くことの出来ない苦しみだ。
また被害者もポッカリ空いた暗黒の穴を埋め、もう一度生きる希望を見出し歩き出す時、うまく言えないが加害者が苦しみながら再生していく姿、本当に悔いて償う姿こそが力になるのではないか。

だから、被害者は加害者の反省と謝罪を強く望むのだと思う。

悲しいことに、人として再生不可能ではないかと思える人間がたまに現れる。
宅間守被告に反省と謝罪をどんなに求めても、それは叶えられないという感を強くした。
この先ずっと遺族の神経を逆なでし続ける感を強くした。
それならば・・・死刑やむなしか。
私は、考え方が遅れていると思われるかもしれないが、死刑廃止論にはどうしても傾かない。
たまに現れる宅間のような人間をみるにつけ、死刑以外の何があるのか、と思ってしまう。

私は時代遅れの野蛮人?

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